風雲電影院

ブルー・ハワイ(Blue Hawaii)

2015年6月1日
三日月座BaseKOMシネマ倶楽部

 エルヴィス・プレスリー版『ハワイの若大将』(笑)。
 加山雄三の若大将シリーズ第一作『大学の若大将』が1961年。『ブルー・ハワイ』も同じく1961年。『ハワイの若大将』が1963年。微妙な所だが、少なくとも若大将シリーズが『ブルー・ハワイ』のイタダキではなさそう。でも、なんとなく似ているのは、青春スターを使った映画であること、どちらも音楽を盛り込んでいること、あとはあの時代の空気だったんだろう。今だったら、いくら音楽もやるアイドルがいたとしても、こういう映画は作らないだろう。

 兵役を終えてヨーロッパからハワイに帰ってくるチャド(エルヴィス・プレスリー)を空港まで迎えに行く恋人のマリー(ジョーン・ブラックマン)。マリーは澄子さん(星由里子)だね。
 チャドは親のパイナップル会社を手伝えと言われるが、自分は他のことがやりたいと主張する。これは若大将では、大学生の加山雄三が親から老舗のすき焼き屋を継げと言われているけど、「ほかにやりたいことがある」と言いだす、お決まりのバターン。
 チャドは兵役といっても、どうやら実戦に参加したわけじゃないらしい。「軍隊はどうだった?」と訊かれて、「最高だったよ」なんて答える台詞がある。お気楽な時代の台詞だよなぁと思うけど。
 結局、チャドは恋人のマリーが務める観光会社にガイドの職を得て就職。最初の仕事は女性教師と数人の女学生のハワイ旅行のガイド。ハワイの名所を紹介する観光映画の側面も見せつつ、若い水着姿の女性たち、全篇に流れるブレスリーの歌、そしてお決まりの勘違いの嫉妬話。過不足なく盛り込まれた娯楽を楽しめばいいという趣向の娯楽映画。これに田中邦衛の青大将役が出てくれば、完璧なんだけど(笑)。

 ただどうなんだろう。当時、プレスリーをロックンロールとして捉えていた人には、ハワイアン風の曲ばかりがかかるこの映画には違和感を感じたかも。
 エルヴィス・プレスリーというのは、私よりも上の世代の人たちが夢中になった歌手であり、女性にとってはアイドル。小学校のころから洋楽は好きだったけれど、プレスリーにはピンと来なかった。今、プレスリーの曲を聴くと、確かにこの人、歌が上手い。しかし歌が上手ければ好きになるかというと、これは別問題。私は残念ながらプレスリーはいまだに好きになれない。いかにロックはプレスリーから始まったと言われても、私にとってのロックは、ビートルズやローリング・ストーンズとの出会いからだ。

 残念といえば、私が不思議でならないのは、エルヴィス・プレスリー、石原裕次郎という大スター(ふたりとも私は初期のころから好きになれない)が、スリムな身体でデビューしたのに、その後、ブクブクと太りだして、ほとんどデビュー当時の姿は見る影も無くなっているのに、引き続き人気があったこと。これだけはわかんない。プレスリーは、太ってからも大きなサングラス、長いもみあげ、ヒモがたくさん付いたド派手な衣装で歌うようになって、それがまた大人気になった。これがまたもう私には観るにも聴くにも耐えなかった。プレスリーが亡くなったあとも、プレスリーのそっくりさんというのは、みんなこの、でぶプレスリー。スリムだったころのプレスリーを真似ようという人って、なぜ出てこないの?

 プレスリーにはまったく興味がなかったが、加山雄三には憧れたなぁ。おぼっちゃまのくせにスポーツ万能で頭が良くて、歌も上手くて作曲までこなして楽器までできる。これがまた映画の中だけじゃなくて、加山雄三自身がそういう存在にシンクロするんだから、憧れるのも無理はない。体型だってブクブクと太るところまでいってないし、78歳だという現在も元気でジジ臭くない。私と加山雄三の差は、ますます開くばかりだが。

 若大将シリーズの最初の海外ロケはおそらく『ハワイの若大将』。あのころから日本でも海外旅行ブームが始まったんだろうし、一番人気があったのはハワイなのではないだろうか。その人気の原因のひとつに、『ブルー・ハワイ』と『ハワイの若大将』があったのではないかという気がするのだが。

 『ブルー・ハワイ』は、すったもんだの騒ぎが最後に見事に収まってハッピーエンド。いい時代のお気楽な映画だったんですね。当時の日本のプレスリー好きの若い人が、週に一度の日曜日、『ブルー・ハワイ』を観て、プレスリーの歌に酔いしれ、ハワイ旅行に憧れていた様子を想像すると、これもまた趣のある映画だなと感じられて、こういうのも、「まあ、いいか」という気になるのではありました。

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