ダラス・バイヤーズ・クラブ(Dallas Buyers Club) 2014年7月24日 早稲田松竹 「あなたは余命一ヶ月です」と医師から宣告されたら、どう思うか。若かった時の私だったら、まずは恐怖感を覚え、自分の運命を呪い、いてもたってもいられなかっただろう。何が何でも生きたいという衝動を感じたはずだ。これが生命力なんでしょうね。それが、3年前に癌を経験したあたりから、以前ほど生への執着が無くなってきてしまったような気がする。今や癌は不治の病ではなく、私も、手術をすれば助かるとは言われたけれど、「放っておけば、いつ手遅れになるかわからない」と言われた。手術は成功して命は繋がったが、退院してみると、今度は以前のように何が何でも生きるんだという貧欲なまでの生に対する欲求は影を潜めてしまった。あそこで生き残ったのも運命なら、死んでしまっていたのも運命だったという気がする。 実話の映画化。1985年にエイズの宣告を受け、あと30日の命だと言われた男、ロン・ウッドルーフ。あのフレディ・マーキュリーがエイズで死んだのが1991年。それより6年も前のことだ。世間の認識も、ゲイがかかる病気と思われていた頃で、ノーマルだった彼は、最初は信じられず誤診だろうと思っていた。それが体調の変化からおかしいと思い始めて図書館で調べ始め、やはり自分はエイズなんだと気が付く。このへん、今だったらインターネットで調べるんでしょうけど、図書館のマイクロフィルムというのが時代ですね。私は自分が癌かも知れないというのをインターネットで知った口ですから。 このロン・ウッドルーフ、お世辞にもいい人とは言えない人物。一応、電気工という職業は持っているのだが、博打はするわ、ドラッグはやるわ、女には目は無いわ、博打で負けた金は持ち逃げするわ、ほとんどダメ人間。それでも日本のニートみたいな、引きこもりのダメ人間とは正反対な、やたら活動的なタイプのダメ人間だから生への執着心は並外れている。これをマシュー・マコノヒーが演じるのだが、マシュー・マコノヒーといったら、健全な身体つきの俳優さんというイメージだったのが、21キロ体重を落として、まさに病的な身体になって出てくる。これ、どうやって身体を作ったのだろう。どちらかというとマッチョな人だったはずだから、ああいう病的な体型にするというのは、まともな体重の落とし方じゃない。アカデミー賞って、身体を極端に作り変えた人に賞が行く傾向があるから、これで主演男優賞を取ったのもうなずけるところ。 とにかくエネルギッシュなダメ人間だから、自分がエイズにかかってゲイだと見なされることが我慢ならなくて、ゲイ扱いされるとキレてしまう。それが映画の後半になっていくと、ゲイをさげすむ人に対して怒りをあらわにするようになるってところも、この映画のみどころ。それにしてもアメリカ社会って、弱者へのいたわりが薄いというか、露骨だね。ゲイやエイズ患者に向って、こんなにひどい仕打ちをするものか。日本では考えられないでしょ。日本だったら、腫れ物に触るように離れていくくらいで、こうも攻撃的にはならないと思うのだけど。 それでとにかくエネルギーのある人だから、認可されていないけれどエイズの治療薬があると知ると、メキシコでも日本でも中国でも、どこにでも出かけて行って、こっそり買い付けて密輸しちゃう。しかも自分の分だけなんて消極的なことじゃない。これが商売になるとみると、大量に買ってくる。それでおそらくは最初のうちは商売のつもりだったんだろうけど、映画のタイトルどうりのダラス・バイヤーズ・クラブを作り、エイズ患者に良心的な料金で分け与える。なかなか認可を出さない機関にはケンカを売る。効果が無い薬を販売している会社は糾弾する。なんかどんどん、いい人になっていっちゃうんだね。それは自分でもそんなつもりは無かったのかも知れないけど。 映画のラストで、結局ウッドルーフは7年生きたと文字が出るのだが、ということは1992年まで生きたことになる。フレディよりあとに死んだわけか。まぁそれでもエイズには敵わなかったのだけれど、医者から1ヶ月の命と言われて、そののま何もしなかったら、本当にそのまま死んでたのかもしれないし、だとしたら、あれだけいろいろやって7年生きられたってことは、やる価値があったってこと。う〜ん、どうなんだろう。私だったら、そのまま運命と思って、何もしなかったと思うのだが、果たしてどちらがいいのか。ちょっと考えてしまうところですね。 7月25日記 静かなお喋り 7月24日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |