だれかの木琴 2016年9月19日 スバル座 東京郊外の美容室。そこへ引っ越してきたばかりだという人妻小夜子(常盤貴子)が客として現れる。応対に出たのはまだ若くてイケメンの海斗(池松壮亮)。髪を切り終わった後、海斗が名刺を手渡すと、小夜子も名刺を差し出してきた。海斗はその日のお礼を小夜子のケータイにメールで送る。また来店してもらおうとする営業メールだった。ほとんどの場合、客がそのメールに返信をよこすこともないのだが、小夜子からは返信が届く。それをキッカケに小夜子は海斗を指名して頻繁に美容室にやってくるようになる。しかもことあるごとに海斗のケータイには小夜子からのメールが届くようになる。あるとき、小夜子は新しく買ったベッドの写真を撮って送りつけてくる。ここまでくると、これは誘っているとしか思えない。 一盗二卑三妾四妃五妻って言うじゃないですか。男って人の持ち物、人妻との関係が一番燃えるらしい。もちろん私にはそんな経験はありませんが。しかも相手はあの常盤貴子。これはもう、うれしい展開。ムフフフフ、こりゃあ面白いことになってきた。男なら当然関係を持つでしょと思って観ていると、海斗は自制心が強いというか冷静というか真面目というか小夜子に興味を示さず、むしろ「ちょっとおかしいんじゃないの」と相手にしないでいる。「いやあもったいない」なんて思っていると、ここからが恐ろしくなってくる。小夜子の行動はだんだんエスカレートしていってストーカー行為にまで発展してしまう。海斗の住むアパートにやってきたり、いちごを買いすぎたから食べてくれと持って来たり、海斗に恋人がいると知ると、その相手の勤め先に現れたり。 小夜子が新しく買ったベッドに横たわって、髪と体を愛蒸される妄想にふけるシーンがあるんですね。その少し後で海斗の務める美容室に、「女性美容師に髪を切ってもらいたい」という青年がやってくる。髪を異性に触られることによって性的興奮を感じたいらしい。このへん、対になっているんでしょう。 原作は井上荒野。女流作家というところがミソ。おそらく男にはこういった小説は書けない。女がどう考えているかというのは男の生理ではなかなかわからないところがある。劇中、蛍雪次朗が「女は狂うんだ」と言う台詞がある。男には女性のことがわからないところがあるから「狂う」としか表現できないのだが、それが女の生理ってものなんだろうなぁ。 とにかく怖いのは、小夜子には自分がストーカーをしているという自覚がないんですね。これ、オオタスセリの『ストーカーと呼ばないで』と同じ。ネットを見ると、自分も小夜子と同じことをしてしまいそうで怖いと書いている女性もいたりするし。 最初は、美貌の人妻の不倫ストーリーかと思ってワクワクしたようなところもあるが、どんどん怖くなっていった。それは小夜子だけではない。小夜子の中学生の娘も、海斗の恋人も、小夜子の夫が行きずりで関係を持ってしまう女も、男から見ると、いったい何を考えているのかわからなく思える。なんでもないような仕種や行動なのにゾッとするものを感じてしまったり。人によっては、それが女性の神秘というものなのだろうが、なんかね、こういう映画を観ると、女性不信に陥るというか、女性というイキモノが怖くなってしまいますね。 9月20日記 静かなお喋り 9月19日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |