イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密(The Imitation Games) 2015年3月17日 TOHOシネマズ日本橋 第二次世界大戦中、ドイツの暗号システム、エニグマの解読研究をつづけたイギリスの天才数学者の実話。なんだか観る前は、ほとんど食指が動かなかった映画。この手の話って結局、偉人伝みたいになものに陥りがちで、若い頃だっら「はぁ〜、なるほど、私も努力して、立派な人物になろう!」なんて、そのときだけ奮起して、そのうち忘れちゃうなんてことになってしまう類の映画かもしれない。。また、今みたいに齢を重ねてしまうと、「偉い人だけれど、今更私が頑張ったってなあ」ということになりかねない。ところが、この映画、そんな偉人伝とは一線を画した、実に面白い映画だった。 なにしろ実在の人物アラン・チューリングは、とんでもない天才なのだ。成ろうと思ったって最初っから私ら凡人には、成れっこない人物。それで天才であるが故か、こと数学には人並み外れた才能があるものの、この人、人間的にはどうかというと、およそ一般社会には受け入れられないような性格なんですね。協調性が無いなんて次元の問題じゃない。他人の気持ちなんて、まったく理解していない男。だからエニグマ解読研究チームに入っても、仲間とまるで折り合いがつかない。天才イコール変人とでも言うんでしょうかね。 エニグマを解くには人間が何人も集まって解こうとしても無理。じゃあそれを機械にやらせてしまおうというのがチューリングの発想。それでただ一人で機械を作ることに没頭する。そして完成した機械こそ、「あっ! これってコンビューターじゃん」と、今の時代の人なら誰でもわかるはずだ。最後のテレップでも、これが最初にコンピューターを作った人のひとりだと出てくる。 おそらく古今東西、天才と言われる人って、どこか普通の人とは違っていて、何かに夢中になっていると周りが見えなくなってしまう。バカと天才紙一重という言葉もあるくらい、ほかと浮いてしまっている。でもこういう人がいてこそ、人類に革命をもたらす、誰も考えもつかないことが発明されたりするんだと思う。 とにかく周りから浮いてしまっているから、小さいころからイジメの対象にされてしまう。床に閉じ込められてしまって、唯一の友人に助けてもらう。このときの分析が小学生の域を超えてしまっている。「人はなぜ暴力を好むかと言うと、気分がいいからだ。それが覚めてから残るのは虚しさだけだ」。これ、奥が深いよなぁ。暴力って肉体的暴力だけじゃなくて言葉の暴力も含まれると思う。怒りにまかせて相手を罵倒してしまって、しばらく経ってみると、なんで私はあんなことを言って相手を傷つけてしまったんだろうと落ち込んでしまうことがある。暴力はお互いに不幸しか生み出さない。それは戦争という、この映画のもうひとつのテーマにも繋がってくることだろう。 学校でよく映画鑑賞会とかいって、映画館に映画を観に行くことをカリキュラムにしてる場合があるけれど、この映画、果たして、そういった課題作品に向いているのかどうか? アカデミー賞各部門にノミネートされ、脚本賞まで取ったとはいえ、凡人には逆立ちしても無理な天才の話。そしていじめられてもジッと耐えるしかなかった男の話。それが高校生以下の生徒のためになるかどうかというと・・・難しいところだよね。 3月18日記 静かなお喋り 3月17日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |