イン・ザ・ヒーロー 2014年9月17日 丸の内Toei なんだろう、これ。いや、いい映画には違いないんですよ。感動もあるし、ラストの忍者映画撮影シーンなんかも面白く出来ているし。でも、どうしても、作品の中に入って行けない自分があるわけです。 これ、いわば、活動屋と呼ばれる映画製作現場の人たちの物語なわけです。いやね、私も学生時代は、まぁ、いわゆる映画青年みたいなものだった。年中、映画ばかり観ていて、どんな形でもいいから映画に関わる仕事ができたらな思っていたところがあって、なんとかそういうところに潜り込む伝手は無いかと思っていた。結果的に映画に関わることは無く、別の世界に入って行って、最終的には家業を継ぐということになってしまったのだけれど、あのとき、無理をしてでも映画の世界に入って行ってしまったらどうだっんだろうと思うこともある。そして、やはり冷静に考えると自分には向かなかったろうなとも思う。だから学生時代に映画について熱く語っていたときのことを思いだすと、なんとも恥ずかしい気持ちが襲ってきてしまう。もう、思い出したくもない。 一ノ瀬リョウ(福士蒼汰)はアイドルとして人気があるが、子供向け戦隊ヒーローの映画で、ヒーローのひとりの役を貰う。ただ彼は不満顔だ。自分の夢はハリウッド映画に出てアカデミー賞を貰う事。こんな役をやる気にはなれないでいる。一方で、一ノ瀬リョウがやる役は、それまでスーツアクターとして日の当たらないところやってきた本城渉(唐沢寿明)がやることが直前まで進んでいたのに、最後に来て覆ってしまい、本城はまた一ノ瀬がやる役のスーツアクターということにされてしまう。 唐沢寿明というと、大和ハウスのCMを思い出してしまう。役所広司演じる役者が、大和ハウスのCMに出る一連のシリーズで、ダイワマンなるスーツヒーローになってくと頼まれて、さすがにそれは嫌だと断ると、唐沢寿明にその役が回っていって、仕事を取られてしまうというバージョン。唐沢寿明自体、スーツアクターの経験もあり、映画のチョイ役や裏方の仕事までしてきた人。これはずばりど真ん中のCMだった。 最初は嫌々、戦隊ヒーロヘものの映画に取り組んでいた一ノ瀬も、本城や現場の人間の映画に対する熱意を理解するようになり、なんとなく体育会系の繋がりのような裏方さんたちの世界に親近感を覚えていく。なにより一ノ瀬は、映画が大好きで、DVDもたくさん所有している映画好きなのだ。 そんなある日、日本で撮影予定だった忍者が主人公の外国映画の主役が降板して帰ってしまう。その代役の話が、本城のところに来る。大喜びの本城。しかしこの役、クライマックスのアクションシーンは、ワイヤーもCGも使わないという、大変危険なものだった。周囲の反対をよそに本城は、この無謀ともいえるシーンに挑む。 監督の言うことは無茶苦茶だ。ワイヤーもCGも無しで高いところからクッションも無い地上に飛び降り、襲い掛かる敵の忍者たちを倒していくシーン4分30秒をワンカットで撮るというのだ。こういう発想は、まずそういうアクションができる役者がいてこその発想だろうとツッコミを入れたくなるところだが、無茶を言う監督って、日本にも昔いたからねぇ。だいたい、そんなシーンを撮影するにはどれだけ大きなセットが必要で、どんだけ金かかるんだと、これまたツッコミを入れたくなってくるのだが、これも昔はあったんだよなぁ。 第一、監督はともかく、現場のスタッフや役者たちは大変なことになっているはずで、その辺のシーンは一切描かれない。現場は不満の嵐になりそうだが、みんな活動屋魂を発揮しちゃって撮影に臨んじゃうんだよね。 高いところから背中からズドーンと落下したときには、「あっ、死んだな」と思った。それが起き上って、押し寄せる敵の忍者たちとの殺陣が延々と続いて行く。もちろん映画の中で撮ったシーンじゃないから、ワイヤーもCGも使うし、カット割りもたくさん使った映像。これでも十分に迫力あるんじゃない? ワイヤー、CGなし、ワンカット長回しにこだわる意味がわかんない。しかもこれで死人が出たら、冗談ではすまされないでしょ。 なんかねぇ、活動屋魂を美化したような映画に見えてきてしまって、「ああ、いろいろ苦労した映画人が、こういう映画を撮りたかったのね」という気持ちが感じられてきてしまう。その気持ちはとてもよく伝わってくる。でもねぇ、映画を作る現場の苦労を見せられてもなあという気持ちにしかならないんですよ。そんなもの見せられちゃうと、ただ映画を観ることを楽しみにしているこちらとしては、重荷になってしまうだけなんだよなぁ。 9月18日記 静かなお喋り 9月17日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |