顔役暁に死す 2016年6月27日 三日月座BaseKOMシネマ倶楽部 1961年東宝映画。 原作大藪春彦、監督岡本喜八、主演加山雄三という三つが「???」となってしまう。それくらい結びつきにくい。実際に観てみても、この三つがうまくブレンドされておらず、反発しあっているという珍品。 原作になった『火制地帯』は読んでいないが、このころの大藪春彦は、ほとんど似たり寄ったり。ある街に男がやってきて、その街のヤクザとドンパチやるっていうのがパターン。原作をどこまでいじっているのかはわからない。 しかし加山雄三は、およそ大藪春彦に似つかわしくない。のちに東宝和製ハードボイルドアクションで、なかなかいい味が出せるようになるのだが、このころはまだお坊ちゃん臭さが抜けていない。なにしろ若大将シリーズが始まる前の映画だ。いや、もっともこの映画で若大将のイメージはできたと言っていいんじゃないかという感じで登場する。アラスカの森林伐採の監督の仕事から帰ってきたというその顔は、もう若大将そのもの。しかし、帰ってみれば市長をしていた父親は暗殺されていて、いつのまにか後妻になった女性が家に住んでいる・・・って、ツッコミどころありすきだろ! いかにアラスカにいたとしても自分の父親が再婚してて、しかも市長の要職にある人物だというのに、殺されたのに息子は知らなかったって、何? しかも帰ってきて、その事実を知ったというのに、まるで悲しみの感情すら浮かべない。冗談まで言う爽やか若大将。なにこれ〜。 冒頭が、パレードをしている市長を、何者かがライフルで狙撃して殺すシーン。これがなかなかよく撮れている。狙撃者はライフルの薬莢をその場に落としていくのだが、「おいおい、プロの殺し屋が証拠残していくなよ」とツッコミたくなった。実はこの薬莢が、のちに重要なことになるので、映画としてはこれでいいのだけど、薬莢をそのままにしていくかなぁ。 原作、監督、主演が。まったくかみ合っていない珍品だと思うが、観終って、顔役、暁、死すという三つの単語も、この映画の内容とまるでかみ合っていないことに気が付いた。このタイトル、誰がどういう理由で付けたんだ? 6月28日記 静かなお喋り 6月27日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |