荒野のストレンジャー(High Plains Drifter ) 2015年5月27日 NHK−BS放映録画 1973年作品。クリント・イーストウッド監督二作目。確か、公開されてしばらく経ってから名画座で観て、そのあとも二回くらい追いかけて観たような記憶がある。興行的には、当時ひっそりと公開されたような気がする。西部劇は下火だったし、マカロニウエスタンのブームも、とうの昔に去っていた。 でも私にとって西部劇はマカロニウエスタンであった。生粋の西部劇ファンからは忌み嫌われるであろうけれど、私にとっての西部劇ヒーローはクリント・イーストウッドであり、フランコ・ネロだった。そのクリント・イーストウッドがマカロニ・ウエスタン当時の、汚い恰好の流れ者役ときちゃあ、私にとってはストライクだった。 この映画は、もうほとんどの人がご存じのように、クリント・イーストウッド演じる名無しの男は、実は幽霊だということはおわかりだと思う。原題の高い平原の漂流者とは、まさに、そのことを意味しているんだろう。 イーストウッド演じる幽霊は自分の手で、自分を殺した三人の犯人を殺し、町の人間にも復讐する。住民自らの手で町中の家をペンキで真っ赤に塗ってしまい、そんな家や町に住もうなんていう人間はもういないだろう。何軒かの家は燃えてしまったし。 インターネットを見ていて、イーストウッドはこの映画にジョン・ウェインにオファーを出して断られたらしいのだが、役は殺される保安官役だろうか? 主役はもちろんクリント・イーストウッドしかありえないわけで、だとすれば見せ場のない保安官役は当然ジョン・ウェインは蹴ったろうしなぁ。ジョン・ウェインはそれとおそらくマカロニ・ウエスタンのようなスタイルを嫌ったんじゃないかという気がする。マカロニウエスタンに出て人気になったような奴が監督する映画なんかには出たくなかったのではないか。 ジョン・ウェインは表向きの回答として、この映画の町民たちはアメリカの先駆者たちの精神を持っていないとしているそうだが、それもそうなのかもしれない。マカロニウエスタンには西部魂なんて出てこない。実際『荒野のストレンジャー』の町の住民たちは、みんな責任を人に押し付けて、自分たちは知らんふりをする。でもそれじゃあ『真昼の決闘』はどうだっただろうか? 誰一人、一緒に闘ってくれる町の人も無く、たった一人で決闘の場に赴く保安官(ゲイリー・クーパー)はどうだったのか。まあ、ジョン・ウェインが『真昼の決闘』に出ることも無かっただろうが。 5月28日記 静かなお喋り 5月27日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |