風雲電影院

ラ・ラ・ランド(La La Land)

2017年3月2日
109シネマズ木塲

 中学生の時、三本立ての映画館にビートルズの映画を観に行った。『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』。館主が音楽映画三本立てのプログラムを組んでいて、あとの2本が、『ウエストサイド物語』と、もう1本は確か、デーブ・クラーク・ファイブだったと思う。
 『ウエストサイド物語』にはさして興味がなかったが、観始めてその世界に引き込まれてしまった。私が観た初めてのミュージカルだった。その後、『サウンド・オブ・ミュージック』だの『マイ・フェア・レディ』だの『シュルブールの雨傘』だのを夢中になって観たのを憶えている。
 そのうちに『フィニアンの虹』に出遭い、それに出ていたフレッド・アステアのダンスに痺れ、昔のフレッド・アステアやジーン・ケリー、ジンジャー・ロジャースのミュージカル映画のテレビ放映を楽しんでいた。
 ところが、そのこからアメリカではミュージカル映画は当たらなくなり、製作本数も減ったと同時に、私のミュージカルへの興味も、ある時期からスーっと消えてしまった。それはもう、新しく公開される映画ばかりでなく、今まで夢中になって観ていたはずのものまで含めて、ミユージカルには興味が持てなくなってしまったのだった。
 それはどういうことなのかというと、なんだかそのころから、ミュージカルの音楽が私には退屈に思え始めてきてしまったから。時に、60年代は終わり、70年代に入っていた。私の頭にはもう音楽と言えばロック。それ以外のものは、もうほとんどどうでもよくなってしまっていた。

 結局のところ、音楽というのは、その人その人の好みの問題。『ラ・ラ・ランド』のなかで、「ジャズは嫌いだ」と言うミアに、セヴァスチャンは、「ジャズは聴くんじゃだめだ、見なくては」と言ってジャズクラブに連れて行くが、これって、ある意味迷惑。どんな音楽が好きかなんて人によって異なるのだから、自分の好みを押し付けようなんていうのは、やらない方がいい。クラシック音楽が好きな人間にハードロックを聴かせようとしたって拒否反応を起こすケースが多いだろう。もし誰かが私に、三代目 J Soul Brothers がいいからコンサートに行こうなんて言われも、おそらく私は苦痛しか感じないだろう。
 私にとって、もうあのころから、いかにも大仰な、ミュージカルの音楽は苦痛になってしまっていた。「それじゃあ、『トミー』はどうなんだ」と言われそうだが、あれもどちらかというと苦手。

 『ラ・ラ・ランド』は久しぶりに観たミュージカル映画という感じだが、やはりもう、昔からミュージカル映画が好きだという人が好きそうなオープニングの高速道路でのダンスシーンも、ファンタスティックな天文台のシーンも、ラストの空想の中のシーンも、私はさっぱり入っていけなかった。これはもう、だから好き嫌いの問題のだ。ああいうシーンが好きな人は好きなんだろうし、私はもうなんだか面白いと思えないというだけのことだと思う。

 ロスで、自分のジャズクラブを持ちたいと思っている男と、女優になりたいと思っている女のラブストーリー。ふたりとも願いは叶うが、結ばれることはなかったという、ほろ苦いハッピーエンド。それでよかったんだと思う。人間、自分が生きやすい状態で暮らすのが一番。つまり、音楽だって人生だってそう。人に言われることじゃない。

 セヴァスチャンは、やや古いコンボジャズが好き。しかしそれじゃあお金にならない。クラブで、つまらないクリスマスソングばかり弾かされる。でもそのクラブに集まるお客さんは、そういった音楽が心地よく感じるわけで、セヴァスチャンが好きなタイプのジャズは苦痛だろう。誘われて入ったロックバンドも、進化系ジャズバンドも彼には合わない。しかし、それを心地よく感じる人だっている。お金のためならと思って、そんな仕事をしているミュージシャンって、おそらく世界中にゴマンといるだろう。それでそれらの活動とは別に自分の音楽をやっている。自分の好きな音楽がやれるジャズクラブが持て、しかもそれが流行っているらしいという結末は、だからこれ以上ないハッピーエンド。

 やっぱり私はミュージカルは好きになれないってことらしい。これは音楽と同じで、好き嫌いの問題。

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