インサイド・ルーウィン・デイビス 名もなき男の歌(Inside Liewyn Davis) 2014年6月26日 TOHOシネマズ・シャンテ 1961年を背景にしたフォーク歌手の映画。 私がフォーク・ソングというものを知ったのは中学に入ってからで、60年代も半ばを過ぎようとしていた。同年代の女の子たちはほとんどビートルズに夢中。私もそんな影響を受けてビートルズを聴いていたが、どちらかというとローリング・ストーンズだったりベンチャーズだったりといった方が好みのようなとこがあった。そんな中でフォークソングを好んで演奏して楽しんでいる級友たちというのも存在して、そういう連中はキングストン・トリオとか、ピーター・ポール・アンド・マリーといったきれいなコーラスを聴かせる曲に夢中だったように思う。これ、私らよりも一つ上の世代の、歌声喫茶に足しげく通って歌を歌っていた名残りのようなものだったのかもしれない。割と優等生タイプの連中が多かった気がする。文化祭にフォークギターを持って数人で出演し、文化祭のあとのキャンプファイヤーで『若者たち』をみんなで歌っているような連中。なんとなく、こういうのとは、私は距離を置いていたようなところがあった。 日本でフォークが反戦の象徴として認識され始めたのは、60年代も後半に入ってから。私がボブ・ディランの『風に吹かれて』を知ったのは、最初は、ボブ・ディランではなく、ピーター・ポール・アンド・マリーだった。後に、ボブ・ディランのものを知った時は、「全然違うじゃん」と愕然とした。『インサイド・ルーウィン・デイビス 名もなき男の歌』のルーウィン・デイビスもソロで、椅子に座って、背中を丸め、暗い歌を歌う。ライブハウスに売り込みに行っても、ソロは歓迎されない。そこで人気があるのは、きれいな身だしなみの直立不動で歌う、清潔感のあるグループ。あるいは、女性のソロ。小汚い恰好のルーウィン・デイビスは門前払いだ。 最初の方のシーンで、ライヴハウスの裏の路地で彼がボコられるシーンがあって、台詞などから前後関係が掴めず、「なんなんだ、このシーンは」と思われるところがあったが、それはラストでリフレインされたときにようやくわかる仕掛けになっている。まだ1961年当時、彼みたいなスタイルはまったく歓迎されていなかったのだろう。一方で彼がステージを降りたあとで、入れ替わるようにステージで歌っているのが、いかにもボブ・ディランを思わせる人物。あ〜、1961年って過渡期だったんだね。 そういった、フォークソングのシーンに興味が無い人でも、ネコのシーンは面白く観られそう。住所不定で知り合いのところを泊まり歩いているルーウィン・デイビス。ソファで目を覚ますと茶トラのネコがいる。家を出て行こうとすると、このネコがドアの隙間から出てきてしまう。ドアは自動で閉まってしまうから、中に戻すこともできない。近所の人に預かってくれと言っても断られてしまい、仕方なくネコを抱えて地下鉄に乗る。撮影用に飼われたネコなのだろうけど、普通ネコって、抱えて外に出たらジッとできないよ。よく撮ったね。ネコ好きの人は、このネコを観るだけでも価値があると思う。 6月27日記 静かなお喋り 6月26日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |