風雲電影院

オケ老人

2016年11月12日
TOHOシネマズ日本橋

 日本人はエルガーの『威風堂々』が好きなんだな。ドラマを含めてテレビでは年中この曲が使われる。
 私は高校時代に短い期間ではあったけれど、ブラスバンド部に所属していたことがある。学校の行事での式典には必ずと言っていいほど、この『威風堂々』を演奏していた。ブラスバンド用に編曲し直していた楽譜だったから確かなことは言えないけれど、いくつか難しい個所はあったが、それほど難易度は高くなかったと思う。室内楽の行進曲のようなもので、入学式、卒業式は言うに及ばず、式典関係にはなんにでも使いまわしがきく便利な曲なのだ。
 『オケ老人』で、主人公の小山千鶴(杏)が、間違えて老人しかいないアマの交響楽団に入ってしまった時、最初に演奏に参加した曲も『威風同道』。ほとんど原型をとどめないほどのグダグダ演奏で、いかになんでも、こんなになるわけがないといった酷い演奏なのだが、この辺はさすが、コント演劇・男子はだまってなさいよの細川徹だけのことはあって、ゲタゲタ笑って観られる。ギャグなんだと思えば素直に笑っていられる。実際この映画は、映画館のなかは、アチコチで笑い声が絶えなかった。

 梅が岡市にはアマチュアのオーケストラがふたつあって、もともとは梅が岡交響楽団ひとつだったのが、あまりにドヘタな老人が混ざっているので、本格的にオーケストラをやろうとする者たちがみんな抜けて新たに梅が岡フィルハーモニーを結成。小山千鶴は間違えてヘボオーケストラ梅奏に入ってしまったというわけ・当初は事情を説明して梅フィルに移ろうとするのだが、梅奏の人たちに煽てられたりすると、言い出せなくなってズルズルと居ついてしまう。私にも似たようなところ格あるから、これわかるなぁ。

 それでも、こんなところにいたら碌なことにならないから、梅フィルのオーデションを受けに行く。すると・・・梅フィルの幹部っていうのが実に鼻持ちならない連中で、「いるよなこういうやつって感じ。なんとかオーデションに通って、梅奏と梅フィルを掛け持ちする生活。小山千鶴が梅フィルの合同演奏練習に参加するシーンが辛い。指揮者が音が変だと気が付いて、「ここのところ、ヴァイオリンだけで」、「第2ヴァイオリンだけで」、「小山さんだけで」と犯人を特定していく。小規模なブラスバンドくらいだったら、すぐに弾けてないのは誰だとわかってしまうが、大人数のオーケストラだと、ひとりくらいわからないだろうと思っていると、犯人捜しが始まる。私もブラバンでへたっぴだったからドキドキしてた(笑)。

 なにしろオーケストラにかぎらず、音楽、特にクラシックというのは実力の世界。完璧な演奏を求められる。下手なプレイヤーは排除されていってしまう。でも、音楽というものの原点に立ち返ってみると、音楽とは聴いたり演奏したりを楽しむもの。言い換えれば、楽しくなければ音楽じゃない。『セッション』では無理難題を言う鬼教官に、音楽自体が嫌になって主人公は音楽をやめてしまう。私はクラシックは嫌いではないが、ロックやブルースやジャズに比べ、あまり聴きに行かないのは、すべて譜面通り、ミスは許さないといった、独特の雰囲気に息苦しくなってしまうからかもしれない。

 あと、この映画で思ったのは、人にものを教えるということの難しさ。小山千鶴は高校の数学の教師でもある。いわば「教える」ということのプロ。それが梅奏の指揮者になって老人たちに音楽を教えても、誰もさっぱり上達しない。それが用事が出来て代わりに別の若い人にお願いしたら、次の練習では見違えるように全員が上手くなっていたというエピソード。人にわかりやすいように教えるというのが、いかに難しいか。どうしたら相手が教えを理解してくれるのか。これはあらゆる現場に共通することのように思える。

 ハチャメチャな男子はだまってなさいよの細川徹にしては、予定調和のウェルメイドな喜劇って形だけど、映画だもん、万人受けでいいんじゃないの。こういうのも作れるるってことなんだね。

 クレジット・タイトルになったところで帰った人がいたけど、オマケあり。惜しいなぁ。いいオマケだったのに。

11月13日記

静かなお喋り 11月12日

静かなお喋り

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