大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院(Die Grosse Stille) 2015年1月5日 早稲田松竹 二本立て同時上映で観た『リヴァイアサン』と同じで、ナレーション無し、状況を説明する字幕も無し、音楽も無し。ただひたすら山奥の修道院の日常が、淡々と映し出される。あまりに淡々としている上に169分という長尺なので、ところどころ眠くなってしまった。これはこのドキュメンタリーを撮っていいという許可をもらう条件が、ナレーション無し、音楽なしだったのだそうで、こういう形になってしまったようだ。なんの説明もない映像だから、観る人間が、映像から情報を集めるしかない。 男だけの修道院。何しろ基本的に私語禁止だから言葉が情報として観る側に伝わってくることは、ほとんど無い。この修道院に入った者は、独房のような部屋に入り、一日中神に祈りを捧げて過ごす。食事は、部屋まで運ばれ、そこでひとりで済ます。圧倒的に多いのは修道士たちが跪いて祈りを捧げている映像。実際、おそらく毎日それの繰り返しなんだろう。 映画の始まりは雪の修道院。それが、いつの間にか雪は無くなっている。山の中、晴れた日、あるいは雨の降っている日、常に静かな日常の様子が続く。 最初のうちは、ひたすら日常が映っているから、あまり変わり映えの無いシーンに飽きてきてしまった。娯楽もなにも許されない。私語もダメ。そんな世界に俗世間の垢にまみれた私などは、このままこの映画は何も起こらない修道院の様子を映し続けるだけなんだろうかと不安になってきてしまった。ところがこの映画、後半に入って俄然面白くなる。ここの修道士たちは全員丸刈り坊主頭なのだ。それをどうやら定期的に散髪するらしい。なにしろ照明も無さそうな修道院。電気など来ていないと思ったのだが、なんと頭を刈るのに電気バリカンを使っているのだ。私はてっきり手動のバリカンかと思っていたが電気を使うとは! 修道士たちが山の道を歩いているシーンがある。どうやら運動のために集団で山を歩くのが義務付けられているらしい。そのときは、なんと私語禁止のはずだと思っていたが、私語をかわしている。休憩をとるシーンの和やかさといったら、ホッとする場面だ。 そして映画は、また雪のシーンになる。一年が過ぎ去ったという感じなのだろうか。このシーンが実にいいのだ。なんと修道士が雪の積もった坂でスキーをやっているのだ。いや、正確にはスキーとは言えないのかも知れない。だってスキー板を履いていないから。靴のまま滑っている。底にワックスを付けなくても滑れるくらいの急な坂。そこを滑り降りる。あるいは転がり下りる。みんな楽しそうに笑いながら。このシーンまで来て、私はうれしくなった。やっぱり人間、娯楽が好きなんだ。そしてこういうささやかな娯楽を修道院でも許されている。楽しそうに遊ぶ修道士たち。そのほほえましい光景に、私も救われた思いがした。 1月6日記 静かなお喋り 1月5日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |