風雲電影院

その夜の侍

2012年11月20日
有楽町・スバル座

 劇団Shampoo Hatの芝居の映画化。監督も劇団の主宰者赤堀雅秋がやっている。

 最近の韓国映画は強烈で、まさに観客の心にガツンと一発お見舞いしてくる。そういう作品を観るたびに、日本映画はどうしちゃったんだろうと不甲斐なく思っていた。なんだか、私には今の日本映画は、ふにゃふにゃしたものばかりだと思えてならなかった。
 実をいうと、数日前に観た『ふがいない僕は空を見た』も、私には不完全燃焼で終わってしまったようで、なんだか物足りない気分でいた。そこへ、この『その夜の侍』だ。観始めて、心がざわつくのを憶えた。そう、福本伸行のマンガに文字として出てくる、「ざわっ」「ざわっ」といった感覚。

 山田孝之扮する工員木島が、軽トラを運転中、自転車に乗った主婦を撥ねてしまい、ひき逃げをする。この描写が淡々としているだけに怖い。タバコを吸いなから運転していて、脇見をして横から出てきた自転車に気が付かなかった。木島は、急に飛び出してきた相手が悪いんだという論理で自分で自分を納得させ、助手席に座っていた仕事仲間が救急車を呼ぼうと言うのを無視して、その場をそのまま立ち去ってしまう。現場で倒れている主婦を見て、「今夜、どこかの家で鯖ミソを作っているな」と、目の前で大変なことになっているのに、あくまで自分本位にしか考えていない様が恐ろしい。山田孝之、凄いね。

 一方、被害者の夫中村役を演じるのが堺雅人。最初誰だかわからなかった。メガネをかけて、うつむき加減の外観から、しばらくして堺正人と気が付いたときはびっくりした。事件後、木島は捕まり、5年後には刑期を終え出所してきている。中村は妻の事が忘れられず、犯人を自分の手で殺そうと考えている。しかし痩せっぽっちの上に糖尿病。ところが相手は鬼畜のような男。さあ、どうするのか。いいねえ、堺雅人。

 このあたりから、内容にかなり触れます。ネタバレになりますので、知りたくない方はご注意ください。

 鬼畜と書いたが、木島はもう人間じゃないような粗暴な男。出所しても反省の色なんてこれっぼっちも無い。運が悪かったくらいにしか思っていない。仕事もせず、昔の仲間からせびり、自分の事故のことをバラしたろうと、昔の仲間を脅して殺そうとしたりする。道路工事の警備をアルバイトにしている女性にイチャモンをつけ、手籠めにし、果てはその女の家に転がり込んで恐怖で押さえつけてヒモのような暮らしをしている。

 中村は、木島に「お前を殺して、俺も死ぬ」という手紙を毎日送りつけている。その日を8月8日と決め、ふたりの日常が、その日に向かって描かれていくことになる。

 そして、いよいよその夜。台風が接近していて大荒れの天気の中、ふたりは公園で対峙する。

 もみ合うふたり。しかし、中村も木島も相手を殺せない。

 この日の前、中村を心配した男が中村に見合話を持ち掛け、強引に女性に合わす。おそらくそのころから中村にはなんらかの変化があったのではないか。ただし、中村の方から「私はあなたと結婚できるような相手ではありません」と断ってしまうのだが。

 殺せないとなった中村は木島に「何か他愛のない話をしましょう」と持ち掛ける。相手が黙っていると中村は、木島を観察しながら毎日、木島が何を食べていたかメモを取っていたものを読み上げる。コンビニ弁当、居酒屋チェーンでの夕食。なんとも虚しい食生活。そんなことしか中村には木島の生活に関する知識がない。相手をわかろうとしても、直接話したことのない中村には、そんな糸口しか見つからない。もっとも鬼畜の木島には中村とコミニュケーションを図ろうとする意思さえまったくないのだが。

 韓国映画だったら、どういう結末に持って行っただろうかと思う。出所後もまったく反省の色も無く非道の限りをつくす男。その相手を殺すところで終わっていたのではないかと思う。

 韓国の観客は、この映画を観てどう思うだろうか? 物足りなさを感じるだろうか? 生ぬるいと思うのだろうか?

 相手を殺せず、相手を理解することもできないまま、雨の中、家路に向かう中村の横に、見合相手だった女性の運転するクルマが止まる。女性は中村に傘を渡し去っていく。

 なにも解決しないままのように、映画は終わっていく。雨の中、傘をさして歩く中村の後ろ姿に被さる『星影の小径』。小畑実でヒットしたこの曲は、その後も多くの歌手がカバーしているが、今回のUAによるバージョンは、このラストにぴったりで、映画館を出てからも頭の中をなかなか去らなかった。

 木島は社会のためにも殺さなければならないような男。しかし、中村は殺すことができない。ふと、『星影の小径』を聴きながら、これが実は日本人なんじゃないかと思えてくる。恨んで恨んで恨みぬいても、そして相手がどんな非道な相手でも、自分の手にかける事は出来ない。良くも悪くも、そこまで思いきれない。どこか諦めにも似た感覚。それが大多数の日本人に流れている血なんじゃないかと思う。

 今jまででも復讐をテーマにした映画は日本にもたくさんあった。でもきっと日本人の観客は、そういう映画にカタルシスを憶えながら、現実にはそれを糧として軽はずみな行動を取らずに、毎日を淡々と過ごしていたんだと思う。

 私はこの映画を観てなんだか吹っ切れた思いがした。韓国映画は韓国映画で評価する。でも、これが日本人の心情を描いた映画なんだ。それでいいんじゃないかな。国民性の違いといえばそれまでだが、なんだか『その夜の侍』の方に、より救いを感じたのだ。

11月23日記

静かなお喋り 11月23日

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