映画立川談志 2014年5月30日 WOWOW放映録画 これを映画と言ってしまっていいのだろうかという疑問はある。もともと映画にしようとして残したものではない素材を集めて、劇場公開用に無理矢理一本の映画にしたもの。製作費はほとんどかかっていないと思われる。 最初のシーンは、談志最後の高座になってしまったときのものの映像。談志はこのあと喉頭癌の手術を受け、声帯を失い、二度と喋れなくなる。高座に上がるなり、マイクに覆いかぶさるようにして、「喉を患って思うように声が出ない」と、お客さんに打ち明ける。 立川談志という人は、マイクで拾った声を嫌う傾向があったようで、ホールで落語をやるときも、マイクは使ってもあまり大きな音量にはさせなかったようなところがあった。千人越えの大きなホールだと二階席で聴いていると、その声は聞き取りにくい。二階席から「聴こえねえよ!」と声がかかる。すかさず「聴こえてるじゃねえか」と返す談志。しかし、聴き取りにくいことはあいかわらずだ。どんなにナマの声にこだわっても、聴く側に届かなかったら意味がない。どうしてもナマの声で聴いてほしかったら、もっと小さなホールでやるべきだし、自分の地声を強くすべきだろうと私は思っていた。第一、そんなにマイクがいやなら、あんなにたくさんのCDやDVDを出すというのは矛盾しているではないか。 この映画の後半は、あの談志自らが「落語の神が舞い降りてきた」という『芝浜』をそっくり収録している。これも、もちろん映画にしようとは思っていないで録画されたものだから、かなり粗悪な映像だ。カメラは正面に据え付けられた一台のみ。おそらく記録用のカメラ映像なのだろう。音声も会場全体の音を拾ってしまっているから、観客の大きな咳払いがやたらと入っている。それはいい。それは仕方ないことだ。問題は、その『芝浜』の中身。 『芝浜』は三代目桂三木助が、今の形にしたと言われている。そして三木助の形が、男の『芝浜』なら、談志は、女の『芝浜』なのだそうだ。つまり、三木助は亭主に焦点を当て、談志はおかみさんに焦点を当てた。特に後半、おかみさんが大晦日に、嘘をついていたと告白するところ、これは女の『芝浜』最大の見せ場になるはずなのだが、どうにもこちらに迫って来ない。それほど女を感じない。これなら、いまや女をやらせたらずっと女を感じさせる腕前を持った若手がゴロゴロいる。談志は自分では「うまくできた」と思い込んでいるのだろうが、残念ながら、それほどでもない。これに開眼したのが70歳というのも遅きに逸した感じ。せめてあと10年、20年若かった時点だったらと思うと残念でならない。 むしろ凄かったのは『やかん』の方。というよりはこれは『やかん』まで行かないから『浮世根問』だろう。談志流屁理屈が炸裂する。これをイリュージョンと言っていいかどうかは疑問だけれど。 『落語チャンチャカチャン』も、70歳の落語家が得意げにやるほどのものでもない。いろいろな落語をごちゃまぜにするというアイデアは、何も談志が初めてではなく、けっこう若手もやってるし、そちらの方が面白かったりする。 WOWOWで観たから、視聴料は払っているものの、入場料を払って観たわけじゃない。しかし、談志ファン以外、あまり金払ってまで観るべきものじゃない。ほんとにこれ、映画と言えるのかね。 5月31日記 静かなお喋り 5月30日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |