2011年8月3日梅津和時・夏のぶりぶり2011 2日目(新宿PIT INN) 三夜連続の梅津和時ライブ、2日目に行ってきた。この日は31年目のD.U.B.だ。生活向上委員会を経て、1981年に生向委の仲間、テナー・サックスの片山弘明、ベースの早川岳晴、ドラムスの菊池隆と結成したのがドクトル梅津バンド。後のD.U.B. 私がD.U.B.をライブハウスで聴くようになったのは1986年ごろから。その2年後の1988年には菊池隆が脱退してカレー屋をやると言い出したことから解散。ドラムスが抜けた穴をメンバー・チェンジするということなくD.U.B.は発展的解消してしまった。 だから、私がD.U.B.を聴いていたのは最後の2年間くらいだったろう。あのころはオートバイにも夢中だった時期で、新宿PIT INN、西荻窪アケタの店、横浜エアジン。もうどこでもオートバイで行っていた。実は解散後も何回か突発的にライブをやっていたようなのだが、1988年以来、23年ぶりに私はD.U.B.のナマ音に接することができた。なにしろ彼らの音はまだCDが出る前で、全てレコードかカセット。いまだにほとんどのものがCD化されていない。いかに私が彼らの音に飢えていたことか。1か月前、前売発売日にチケットを手に入れ、この日をこんなに楽しみにしていたことは近頃、それほどないだろう。 早めに夕食を摂り、19時30分の開場前にPIT INNの前に到着。定刻に入って、飲み物を受け取り席に着く。 20時ちょうど、楽屋のドアが開いてメンバーがステージに上がっていく。「31年目でも私たちは何も変わっていません。容貌は変わったかも知れませんが」と梅津が前置きして、フルートを手に持つ。アルトサックスが担当だが、他にもソプラノサックス、クラリネット、バスクラリネット、フルートなどを、その場に合わせて取っ換え引っ換え吹くのだが、今回は途中でピアニカもあった。梅津のフルートのフレーズに応えるように片山のテナーサックスが、フレーズを繰り出す。片山、相変わらず音がでかい。それにベースとドラムスが加わり、しばしインプロビゼーションが続いてから、ベースが徐々に緩やかなリズムを刻み始める。ああ、これは『On a Little Boat to Aivalik』だ。D.U.B.としては定番だった曲。ややテンポを上げての演奏。 『デコボコ山』『1970』『日本からの旅人たち/Tourist From Japan(Nokyo)』『Pretty Kranke』と続いた第1セット。とにかく片山のテナーの音のでかさは日本一だろう。それに早川のベースがうねりを上げるのだが、その歌うようなベースは他に例をみない。そして23年のブランクを感じさせない菊池のドラムス。まったく変わって無いじゃないの。今となっては仕方ない事なのかも知れないが、解散は今も惜しい。 60分の第1セットから20分の休憩を挟んで第2セットへ。『God is Gone』を1983年のメールス・ジャズ・フェスティバルのときのままに再現しようという試みがなされ、4人共懐かしそうにしていたのが微笑ましい。「よくこんなバカなことやったよなあ」と言う早川に、「これでオレたち人気が出たんじゃないかと返す梅津。これまた定番だった『タンゴ タンゴ』から、新曲『D.U.B.2011(仮題)』。なんだか報道番組のテーマ曲のような乗りの良さ。このあと、「ブラスサウンドをお楽しみください」と、梅津、片山に、早川がトロンボーン、菊池がトランペットで参加というお遊びがあって、ラストは『Pop Up』で締め。 短いアンコールのあとは、記念写真撮影タイム。お客さんに写真を撮らせ、ネットに流してもかまわないとのことなので、私も撮ってまいりました。いい笑顔でしょ。終演22時40分。早く帰って寝ないと。でも無理して行ってよかった。 8月14日記 このコーナーの表紙に戻る |