March.28,2001 小三治の名演に酔う

3月24日 第232回国立名人会 (国立演芸場)

        開口一番、入船亭ゆう一『寿限無』。なかなか端正な語り口で好感が持てた。こういう誰でも知っている噺で、余分なクスグリなど入れずにキチンと笑いが取れる。こういうことって大切ですよね。

        柳亭市馬。「よく、中学や高校の落語教室なんてのに呼ばれるんですがね。噺に気を使うんですよ。泥棒、酒飲み、博打の噺は教育上よくないんで出来ないでしょ。廓の話なんて、もっての外だし。よくそんな噺を始めてしまうと、先生がこちらを睨むんですよ。落語家を呼ぶなんてのが一番教育によくないと思うんですがね」。そんなことないって! 落語の方がよっぽど為になることだってあるよ。もっとも、だからお前みたいなバカが出来たんだと言われると返す言葉がないけど。

        「世の中には、粗忽な人がいますな。我々落語家の中にもおります。はっきりと名前は言えませんけど、私の師匠の柳家小さん」。うわあ、人間国宝の粗忽話が聴けると思い気や、そのままスーッと『粗忽の釘』に入ってしまった。残念、小さん師匠のこと聴きたかったのにィ。粗忽者を演じようとすると、やたら騒々しい性格にしてしまう型があるが、市馬のは抑制が効いていて安心して聴けた。

        今月の『花形演芸会』で姉様キングスとして出て唖然とさせた女流上方落語家桂あやめが高座に上る。私は歌舞伎に疎くて知らないのだが、歌舞伎の演目『桜姫菖蒲文章(さくらひめあやめぶんしょう)』を落語として演じてみせた。波乱万丈の人生を送った女性の姿を描いたものなのだが、短い時間で語るにはちょっと無理があったかも。笑いの要素も少なめで、途中ウトウトとしてしまった。

        「国立劇場には食堂がありましてね、そこのかけうどんが美味しいんですよ。最初250円だってえんで、バカにしてたんですけどね、食べてみたらなかなか旨い。今も食べてきたんですけど、そしたら何だか眠くなっちゃって、勤労意欲がなくなっちゃいますな」。高座に上がる早々そんなマクラを振られちゃうと、こっちまで眠くなっちゃったのが入船亭扇橋。でもその飄々とした話方で『ねずみ』が始まると、ジッと聞き入ってしまった。この話、いくらでも笑いや熱演を入れられて、笑いがとれてホロリとさせて、意外なオチまで用意されているというオイシイ噺なのだが、扇橋はあくまで淡々と語ってみせる。勿体無いといえば勿体無いのだが、この、ふわーっとした空気はどこから来るのだろう。肩から力が抜けた気持ちよさとでもいうのだろうか。客席は静かに聴いている。そしてオチが決まったところで大きな拍手があった。中入り後に期待を繋ぐいい中トリだった。

        中入り後に出てきたのが古今亭志ん五。舞台に現れ、スーッと高座に座りお辞儀をして顔をあげるや、マクラも何もなし。いきなり「あー、屑屋さん、ちょっとこちらに入ってください」と『井戸の茶碗』に入ってしまった。中入り後の食いつきですぜ。マクラもなしにいきなり噺の世界に入ってしまうというのは、よっぽどの自信があるのだろう。いやあ、期待どおりでした。武士の意地の張り合いから、トントンと噺がよい方向に向かっていくこの噺、私好きなんです。意地の張り合いから悪い方向へいく噺って多いでしょ。こういう噺はホッとする。志ん五の演じる侍はよく似合っている。へえ、志ん五といえば、よくぞここまでぶっ飛んだという与太郎を演じて一世を風靡した人。最近はあまり与太郎噺を演らなくなってしまった。封印しちゃったのかなあ。与太郎だけでなくとも噺が上手いのを今回も実感できましたね。でも寂しいなあ。たまには志ん五の与太郎、聴きたいよう。

        トリに繋ぐのは粋曲。神田福丸姉さんと日本橋栄華姉さん。『春雨』から入って端唄を聴かせてくれる。寄席で流行ったという『たんちろりん』という面白い曲、いいなあ。そして「女の恨み言の唄が多くて」と言いながら、さのさをふたつ。最後は『木遣りくずし』に『相撲甚句』までサービス。今だに、こういう粋曲の類いは苦手な私だが、だんだんとよさが分かってきたかもしれない。

        時間が大幅に押していたせいもあるのだろうが、トリの柳家小三治は売物の長いマクラは無し。うわあ、そりゃないよと思ったのだが、噺に入ってその理由が分かった。『猫の災難』を演ったのだが、何とこれ50分くらいの長講。これは小さんの十八番でしょ。昔よく聴いたよなあ。

        鯛の頭と尻尾を貰った熊さん。そこへ訪ねてきたのが熊さんの兄貴分。鯛の頭を見て、てっきり鯛を丸ごと一匹あるのだと早合点。酒を買ってくるからと飛び出しちまう。さあたいへんだ。つい、頭と尻尾だけで身はないのだということを言いもらしてしまった。5合の酒を都合して戻ってきた兄貴に、「兄弟(きょうでい)聞いてくれ。俺が火を熾そうとしていたら、隣の猫の奴が入ってきて、身だけ咥えて逃げてっちまいやがった」。「しょーがねえなあ。どうしても鯛(てい)が食いたくなってきちまいやがった」てんで、今度は鯛を買いに出ていっちまう。根っからの酒好きの熊公。兄貴のいない留守に一杯くれえいいだろうと飲みはじめると、ついつい5合全部飲んじまう。さて、どうしよう、また猫のせいにするか・・・。

        熊五郎のとぼけたキャラクター造形がピカ一。「あの、もしもし猫さん、そんな悪いことをしてはいけませんよ」。小さんゆずりの可笑しさだが、小さんのよりとぼけた感じが出ていて面白い。また酒飲みの心理も、じっくりと描けていて秀逸。ひとりで酒を飲んでいる場面が長く続く噺なのだが、まるで飽きさせない。さすがだなあ、小三治。この日、私が家に帰って刺身で一杯やったのは言うまでもない。


March.24,2001 意気込みだけが空回りしてませんか?

3月20日 落語21 (プーク人形劇場)

        新しい新作落語を作っていこうという意気込みは分かる。私も積極的に支持したい。[実験落語会]のころのメンバーに、さらに新しい人達が加わってきたのもいいことだ。ちょっとくらい噺や演じ方がイビツでも我慢します。無理矢理でも納得しましょう。しかしです。今回のは、はっきり言ってつまらなかった。

        開口一番で出てきた林家木之助は、木久蔵門下の前座さんで、しかも入門してからまだ間がないらしいから、しょうがないでしょう。高座に上がった途端にキョトキョトと落ち着きがなく、あがっているのかなと思ったが、どうやらそれが地らしいのだ。未来の携帯電話がテーマの噺をしたのだが、話がよく分からない。ここのお客さん達は、新しい新作落語の語り手を育てようという暖かい心の人が多いのだが、笑うというより苦笑していた。せめて苦笑を本物の笑いにまでは持っていくように努力して欲しい。

        川柳つくし。酔っ払い川柳川柳の弟子の女流落語家。二つ目に上がったばかり。カワイイ女の子で私は大好きなのだが、今回の噺は何なのであろうか。これがいかにも[女の子]が考えているような世界。若い女の子の恋愛話。好きだの嫌いだの、喫茶店で女の子同士が話しているような内容が続き、途中で眠ってしまった。女の子には受けそうだけど、オジサンにはこういう話は辛いだけ。ストックホルム・シンドロームというテーマはいいと思うのだが、チマチマした話にしないで、もう少しダイナミックに話を展開できないものだろうか。

        私のご贔屓神田北陽は休演。トラは同門の女流講釈師、神田昌味(まさみ)。どうやら新作を演るのは初めてらしい。果たして実話なのかどうか分からないが、親友のユカちゃんと一緒に歌の先生に歌を習いに行くうちに知る、先生の秘密。何を話そうとしているのか方向性が見えてこないので、少々退屈してくる。何を話したかったは最後になってようやっと分かる。携帯電話のメール・トリックといった推理小説じみた話だったのだと気がついて、今までの伏線のようなものが理解できたのだが、いかんせん、それまでの持っていき方が辛い。「人生の隙間に現れる、魔の携帯メールの一席」と締めくくるなら、もう少し、携帯電話に関する前振りも欲しかったところ。もう少し話を整理し直してみたらどうだろう。

        この会を引っ張ってきている三遊亭円丈は、新ネタ『落語実況中継』を用意していたものの、直前でツマラナイと感じボツにしたという。そこで引っ張り出してきたのが昔一度だけ演ってオクラにしてしまったという『十倍レポーター』。テレビの災害レポートを揶揄したものだが、やっぱりこれは噺が荒唐無稽すぎて、ついていけない。これなら、『落語実況中継』を聴きたかったなあ。タイトルだけ聞くと面白そうだもの。

        中入り後は古今亭錦之輔。山田風太郎の忍法帖シリーズのような噺。忍者の末裔の女性を婚約者にしてしまった男が、結婚を阻止しようとする忍者一族に阻まれ、闘いを余儀なくされる。う〜ん、面白いんだけどねえ。相手の忍者が強そうなのに実は弱いとかという発想は落語的でいいんだけれど、最後の対決が、ほとんど『ドラゴンボール』か『中華英雄』。山田風太郎世界だけで完結させて欲しかったなあ。

        何となく元気のない高座が続いたが、トリが林家彦いちで一気にテンションが上がった。会社をリストラされた男が図書館で文献を調べるうちに、昔[電球踊り]なる芸を演った芸人がいたことを知る。この男、[電球踊り]の再現に取り組み、[電・球太郎]の名で寄席に出るようになる。そうすると客に大ウケ。寄席のイロモノとして一世を風靡するようになる。いつも同じ内容の高座しかしないが、客には受ける。寄席の仲間達は陰で笑っているが、電球太郎の口癖は「いいか、芸の刀はいつも磨いておけよ」。そんなある日、ちょっとした事件が起こる・・・。最後にはちょっとした趣向もあり、「なんじゃこの噺は」と思いながらも、客を引っ張っていく話芸のテクニックはピカ一。低調だった今日の会では、唯一の光みたいなもの。でも、あくまで60W電球の光。蛍光灯とはいわなくても100W電球くらいの光は欲しかったなあ。


March.18,2001 5人の落語家は原材料をどう料理したか

3月17日 作者のいる落語会 (国立演芸場)

        この会のチケットを買ったのは発売後かなり経ってからで、その時点で前から3列目のド真中が買えた。こりゃあ、さすがに客の入りが悪いなあと心配して行ったら、立見こそないものの、ほぼ満員。どうしちゃったんだろう、国立演芸場。いよいよ演芸ブーム再燃か!? 

        今回は小説などの原作を落語化した演目がズラリと並ぶ会。原作をいかに落語として華させるかがポイントになってくる。出演者が原作に食われちゃわないようにと願いながら、席に着いた。

        まずは入船亭扇好が、小泉八雲の『のっぺらぼう』に挑戦する。「この話、長い話なんですよ。どこまで行っても終い(しまい)がない。でも、始めはあるんです」と、有名な[のっぺらぼう]の話を始めた。男が橋の袂で身投げをしようとしている女性を助ける。「何があったか知らないけれど、何も若い身空で死ぬことはないじゃないか」。と、この女性、振り向きざまに「こんな私でも話を聴いてくださいますか?」と向けた顔が、目も鼻も口もない[のっぺらぼう]。「口が無くてどうやって話すのか、無理がありますが・・・」。そうなんですよね。この話、活字ならばそんなにヘンではないのだが、落語の形で見てしまうと違和感がある。ラジオあたりで声だけで聴くと、もう少し自然なのだろうが・・・。扇好の演出も、そんなこともあって、あえて怖い話という方向にはせずに、サラリと演ってみせたのは正解。

        反対に、村上元三の『あんまと泥棒』を演った鈴々舎馬桜は、「灯り落としをさせていただきます」と舞台の照明と客電を落としての高座。歌舞伎の方でも演じられる話だそうで、林家正蔵(彦六)も演ったことがあるという。そう言われて馬桜を見ると、何処となく正蔵に似ている。正蔵は、これを[ほのぼのとした人情噺]として演ったそうだが、馬桜は[怖いサゲ]になるので暗くした中で演りたいと言う。「ただですねえ、暗くすると寝ちゃう人がいるんですよ。寝ちゃってもいいですが、ひとつイビキだけは勘弁してください」。

        あんまが貧乏長屋の自宅に帰ってくると、そこに泥棒が入っている。匕首を顔に突きつけて金を出せと迫る泥棒。こんな貧しい生活のメクラに金があるわけないと主張するあんま。馬桜は泥棒のセリフを言わず、あんまのセリフだけで噺を進めていく。う〜ん、それが成功だったかどうかは私には判断が難しいところ。あんまだけのセリフだと、ちょっと違和感があるし、一本調子になってしまう。実際暗い客電で眠くなってしまったもの。ただ、このサゲの不気味さを出すならば、確かに泥棒には喋らせない方がいいのだけど・・・、でもねえ、ちょっと擦れっ枯らしの噺好きだと、このサゲ分かっちゃいますよ、直前で。サゲを言ったあとで、客電を明るくして寄席踊り。[奴さん]と、そのヒネリの[たいこもち]。

        懐かしい演目が出てきた。映画監督の山田洋次が書いたという『真二つ』を柳家小ゑんが演った。これは、山田洋次が今や人間国宝の柳家小さんのために書いた噺で、昔、小さんで聴いたことがある。今や小さんもこれを高座にかけることは無いだろうから、珍しい演目だ。師匠の小さんから教わり、山田監督にも許可を取ったという。「今、この話をやってもいいのは、小さん師匠と私だけなんですよ」と演じ始めた。

        道具屋が田舎を歩いていると、ある農家の庭先で、薙刀に大根が干してあるのを見つける。その薙刀の刃に木の葉がヒラリと触れると木の葉は真二つ。トンボがとまるとトンボが真二つ。もしやと思って見ると、これはどんな物でも真二つにしてしまうという伝説の名刀[魚斬丸]。この薙刀の価値を知らない農民から、安く買い叩こう道具屋は交渉を始めるが・・・。

        小さんのものとは違い、いかにも小ゑん流の『真二つ』になっていた。これはこれで好感が持てる。ただですね、私、この話が以前から好きになれない。山田洋次という人は、もともとパクリの上手い人で、自分の映画にも他の映画や小説のアイデアを上手く取り入れてしまう人。この『真二つ』は、小さんで聴いたときに気がついた。これ、絶対にロアルド・ダールの短編のパクリ。ダールのはもちろん薙刀ではなくて箪笥なのだが、意外な結末はまったく同じ。近い古典落語に『猫の皿』があるのだが、私は『猫の皿』を聴いたときはダールを先に読んでいて(中学生のマセたガキでした)、きっと結末はダールと同じだと思っていたので、このオチにはびっくりした。こういう手もあったのかと古典落語の奥深さに感動しました。さて、山田洋次監督、ダールから持ってきたでしょ!? これは露骨だと思うけれどなあ。

        中入り後に、緊張した顔で林家たい平が出てきた。この人のこんな顔は始めて見た。やはりいつもの噺を演るのと勝手が違うのか。林家たい平が選んだのが宮部みゆきの『深夜タクシー』。宮部みゆきは何冊か読んでいるが、これは初めて聴く噺。深夜、郊外の駅に降り立った男。家に帰りたいのだが、最後のバスはもう出てしまっている。仕方なくタクシー乗り場にひとり並ぶが、いつまで経ってもタクシーが来ない。そこへ老人がひとりやってきて話しかける。「もうタクシーは来ませんよ。方向が一緒のようですから、一緒に歩いて帰りませんか?」。ふたりは話しながら団地に向かって歩き出す。やがて老人の話は怪談めいてきて・・・。演り方によっては、けっこう怖い噺。それを、たい平はもちまえの現代的なギャグをふんだんに盛り込んで演じてみせた。どう考えてもこんなギャグが原作にあるわけはない。ここまでたい平流にしてもらえると、きっと宮部みゆきも原作者冥利に尽きるというものだろう。

        トリが三遊亭円丈で、東海林さだお原作の『即興詩人』。東海林さだおの『日本漫画文学全集』の中の一編を落語にしたものだという。円丈を一躍有名にした『グリコ少年』よりも前に演ったものだというから、かなり古い。「もう長い間演っていないので、すっかり忘れていまして、当時のノートから起して演ってみますが・・・」と自信なさげ。それでも始まると明らかに現代的に直したらしい箇所もあり、工夫しているなあと思う。ただ、やっぱり話し馴れていないらしく、テンポが出ない。私の記憶では、これ、小ゑんで聴いたような気がするのだが・・・。いっそ小ゑんが演った方がよかったのではないか。いや、小ゑんは『真二つ』があるのか。

        老夫婦の住む新興住宅街の朝、枯葉がハラリと落ちて食卓に落ちてきた瞬間から、その家の主(あるじ)が即興的に詩を読み出す素人詩人になってしまう噺。この噺の経験というのは、きっと後の傑作『横松和平』に繋がっているものだと思う。円丈師匠、もうこれ、小ゑんにあげちゃいませんか?


March.12,2001 落語おたく

3月10日 第23回トンデモ落語の会 (なかの芸能小劇場)

        ブラック、談生、談之助、志加吾の立川流の4人に三遊亭新潟を加えた5人でやっている落語会。客層が若い。どんなものであれ、落語を若い人が聴いてくれるのはうれしいではないか。

        開口一番の前座は立川ブラ汁。1月3日の『落語21』で演った新聞勧誘員の話をまた演っていた。2ヶ月たって、ちょっと上達してきたかな。あのときよりも間がよくなってきた。新聞勧誘員がもう少し凄みを効かせられると、納得できるのになあ。

        落語もできる漫画家? 漫画も描ける落語家の立川志加吾、高座に上るなりいきなりアニメ小噺から入る。名古屋人の会話。「ドラえもんのポケットには何が入っているんだろうね?」 「どえりゃー、ええもん」。このくらいは分かるのだが、そのあと『キャプテン・ハーロック』やら『機動戦士ガンダム』やら『ゲッター・ロボ』のネタになると、さっぱり私には分からない。でも、若い観客にはドカンドカンと受けている。世代の違いとはいえ、歳を感じるなあ。ネタは[おたく寿司]なる寿司屋の話。キャプテン・ハーロックのコスプレで寿司を握る店主と、知らずにうっかり入っちゃった客の会話。駄目だあ、付いていけない。「アニメおたくなんてバカにしますけれどねえ、アニメ好きなんて落語好きの数千倍いますよ。あんたらの方が[おたく]だ」 う〜ん、私は[おたく]だったのかあ。「『日本おたく化時代』の『上』でございます」と言って引っ込んだ。

        そのつぎの立川談生の落語は何と書いたらいいのだろう。その内容はとてもここには書けない。与太郎のもっとすごいやつの話とだけ書いておこうか。面白いんだけどね。なんだか秘密クラブみたいだなあ、この落語会。

        三遊亭新潟は1月7日に、やはりこの場所の『落語ジャンクション』聴いた話を出してきた。貧乏学生2人と中国からの留学生が、歌舞伎町の高級クラブに行って飲み逃げをしようとする話。これは本当によくできている。前回聴いたときは、前半がちょっとモタつくなあと思っていたのだが、それは伏線をたくさん張る必用があったからで、それが後半にドカンドカンと炸裂する。今回はそれを知っているので、「うふふふふ、これが効いてくるんだよねえ、後で」ってひとりでニヤニヤしていた。何ていうタイトル付けているのだろう、新潟くん。これなら真打は当然かも。9月の真打披露興業には行ってみようかな。

        先週、国立演芸場の客席でみかけた勉強家の快楽亭ブラックは、いきなり最近出演したアダルト・ビデオの話題をマクラに。このへんのギャップが凄い。それに続くネタが、お得意の古典落語のパロディ物。今回は『笠碁』なのだが、とても書けない。タイトルからして『笠〇〇〇』と伏字になってしまう。芸術祭の大賞を受賞したというのに、これだもんなあ。

        トリは立川談之助。[えひめ丸]事件のアブナイ話題から、もし日本が今アメリカと戦争をしたら勝てるというムチャクチャな論理を展開する『丸秘・第2次太平洋戦争シナリオ』。これもかなりアブナイ話だなあ。でも、勝てないって!

        帰る道すがら考えた。私ってやっぱり[おたく]かなあ。どう思います?


March.8,2001 浅草キッド絶好調

3月4日 我らの高田“笑”学校 しょの十二 (紀伊国屋サザンシアター)

        誰でも知っている謎の前座が出るという噂があって、はたしてそれは誰なのか場内は興味深々。そして現れたのが石井光三だったので、ワーッと歓声が上がる。今年70歳を迎えるという石井社長、右足が痛くて正座できないという。座布団を脇によけて、高座にアグラをかく。すごく偉そうな前座(笑)。テレビで芸のないタレントがもてはやされているが、やはりしっかり古典を勉強している人が残るようにならなければいけません―――と辛口の挨拶。でもねえ社長、今日の出演者、みんな新作派ですよ。小話のような落語を一席。カミシモが切れてないのはお愛嬌ですが、ちとネタが古すぎて、会場の人がついて行けなかったみたい。

        NHK新人演芸大賞を受賞した武闘派(笑)の落語家、林家彦いち。夜の電車内で起こった、ウォークマンカシャカシャ「ざけんなよ!」連発切れそうな若者対彦いちの、対決話。題して『魂のドキュメント落語』。簡単に話しちゃうと、どうってことない内容なんだけど、グイグイと引っ張る話術がうまいから、ついつい引きこまれてしまう。

        去年『ヨーデル食べ放題』でブレイクした桂雀三郎。本職は落語家でっせ。かの枝雀の弟子というから驚き。ネタは老人ロッカーの話。退職した老人達がロック・バンドを作る。『どうにもとまらない』の替歌で、♪震えが止まらない とか、『お馬の親子』の替歌で、♪ポックリポックリ死んだ とか、なんだか春風亭柳昇の『カラオケ病院』みたいだなあ。それでも、ギター持ち出してきてギター弾きながらだから偉い。

        客層が若いと見て取ったからだろうか、三遊亭円丈『ランボー 怒りの脱出』を持ってきた。これは、かの映画『ランボー 怒りの脱出』を落語で演ってみようという試み。落語という形態が一番苦手にするのがアクション・シーン。それをあえて落語のしぐさで表現しようとする爆笑編。円丈は今、自分の落語をCD化する作業を進めているが、これなど音だけでは面白さがまったく伝わらないたぐいのネタだから、こういう機会によく見ておかなくちゃ。

        中入りがあって、松村邦洋。『品川心中』をキムタクが演ったらというネタで笑わせる。「昔、浅草の浅草寺の裏手に、吉の原ってのがあってさ・・・」。おいおい、なんで『品川心中』で吉原なんだよ。次が浅香光代が『品川心中』を演ったら。「冗談じゃないよ! こちとら浅草寺の裏手のゴロゴロ会館で芝居やってんだからね。昔、吉原って言われてたところの近くなんだい! えっ!? わかったかい、サッチー。あたしゃ、あんたを許さないからね」―――って、だから『品川』なんだって! このあと、野球界ネタに突入。てなところで、本人このあとのネタを忘れて小さなカンニング・ペーパーと首っ引き。高田文夫がマツムラの台本を持ってきて、ソッと手渡す一幕も。しかし、この男何をやっても憎まれない得なキャラクターなんだよなあ。

        今回なぜこの会を見ようと思ったのかというと、浅草キッドが出るからだ。爆笑問題のナマの漫才を聴いて、今度はもうひとつの東京漫才の最先端、浅草キッドを見てみたくなったのだ。もう、この二組はライバルのようなもの。しかも、どちらも、そう簡単にはナマでの漫才は見られない。浅草キッドが舞台に上がる。客席は大いに盛りあがりだ。時事ネタをちょっと振ってから、日曜の夕方にいまだに放送されている長寿番組『笑点』の話題に入る。『笑点』って見てますか? 私、もうほとんど見ていない。初期の立川談志が司会だったころに見ている程度で、前田武彦時代とか、三波伸介時代とか、ましてや三遊亭円楽になってからなんて、まったく見ない。あれ面白いですか? なんだかシーラカンスと化したような番組、あれでも視聴率がいいらしくて打ち切りにならないんですよね。まったく不思議。浅草キッドの漫才は、そのへんに鋭く切りこんでいて物凄く面白いのだが、内容があまりに過激で、ちょっとここには書けない。しかし、30分以上のこの漫才、面白かったですねえ。もっと頻繁に彼らの漫才を見たいなあ。

        出演者全員と高田文夫が舞台に集合しての大喜利トークに入っても、話題は『笑点』。『御乱心』を書いた円丈は宿敵円楽が俎上に上っているのに、発言は控えめ。浅草キッドのノリはまだ続いていて、うわー、とても書けない。高田文夫の責任編集誌『笑芸人』の2号では『笑点』を持ち上げておいて、ここではこきおろし。ハハハハハ。でも『笑点』って、あれはあれで、いいんでしょうね。まあ、長く続けてください。今週の日曜に久しぶりで見てみようかな。


March.4,2001 ポカスカジャン結成ソング

3月3日 第262回花形演芸会 (国立演芸場)

        どうしたことだ、また今回も立見が出ている。去年までは、当日券でも楽勝で席が確保できたのに! まあ、それだけ演芸ファンが増えたのはうれしいことだが。

        前座、桂枝七。ネタはやはり先週もここで立川志の吉も演った『十徳』。まあ、前座話なんだろうけれど、こういう死語となっている言葉を使ったネタで笑いを取れというのは酷な話。舌慣らし。頑張ってね。

        女流講談、神田山吹。昨年亡くなった師匠の神田山陽がよく演ったという、明治の自由民権運動の政治家、中江兆民の逸話を読み上げる。中学、高校の歴史の授業で、その名前は耳にしているものの、どんな人だったのかはすっかり忘れていた。家に帰って、さっそくインターネットで調べてみたら、有りました、中江兆民のページ! いやあインターネットって便利だし、ためになりますなあ。

        コント、Dô−Yo。オーディション風景をネタにしたコントから始まって、映画『バトルロワイヤル』のパロディで、お笑い芸人同士で殺し合いをさせ、生き残った方を番組に出させるという『お笑いバトルロイヤル』といったコント。一方に渡された武器がマシンガン。もう一方がしゃもじ―――って具合で笑えるのだけれど、よく考えてみると、『バトルロワイヤル』でもフォークとか鍋の蓋なんていうのを支給された人もいて、本来ならあれは笑っちゃうよね。

        円楽一門、好楽の弟子、三遊亭好太郎が『親子酒』の一席を演る。この話、私は大好き。酒飲みの親子が禁酒の誓いをするものの、どうしても飲みたくなってしまうのが酒飲みの性。おやじさん、一杯くらいいいだろうとおかみさんに拝み倒して飲み始めてしまう。一杯のつもりが二杯、二杯が三杯。私も酒飲みだから分かるんだよなあ、この気持ち。三杯目で急に酔いが回って、態度が豹変。突如からみ酒になるのが可笑しい。そこへ、やはり外で飲んできちゃった息子が帰ってきて・・・。何度も聴いた古典だけれど、酒飲みの心境が活写されていて、名作だよね。好太郎、サラリと演ってみせてお後と交代。

        さあて中入り前にお目当てのポカスカジャンだ。ポカスカジャンのテーマ曲を演奏すると、客席から手拍子が鳴る。リーダーの大久保くんに言わせると、手拍子が鳴るのはここ国立演芸場だけだそうな。彼らはあくまで[コミックバンド]のつもりだからプログラムに[ボーイズ]と書かれるのが不満のようだけど、でもさあ、このテーマ曲、もろボーイズだよ。国立演芸場にはこれで7回目の出場。私は彼らをここで見るのは、確か4回目だから、半分は見ているんだなあ。

        二日後の3月5日には結成5周年だそうで、今回は趣向を変えて、ポカスカジャンの結成の経緯(いきさつ)を17分の歌にしたものを披露。これ、二日前のテレビの深夜番組『いろもん』でのトークの内容を歌にしたようなものだから、結成秘話をすでに知ってしまっている私にはちょっと不満。大久保くんのフォーク調の歌から始まり、省吾くんのブルース(絶品!)、玉井くんのメッセージソング風と、なにやらちょっとしたミュージカル仕立て。なかなか面白かったけど、やっぱりこういうのではなくて、普通のネタを演って欲しかったなあ。『いろもん』での『[マミムメモ]だけで歌う憂歌団』なんて傑作だったもの。テレビを見ている人が分かるかどうかは別として。

        中入り。ロビーに出て、コンビニで買ってきたおにぎりを食べていると、ニコニコしながら近づいてくる人がいる。「あれ? 誰だっけ?」と思っていたら、「翁庵さんでしたっけ?」と話しかけられた。その瞬間に思い出した。1月に長崎くんがポカスカジャンをウチに連れてきて、そのあと一緒に居酒屋に飲みに行ったときに会ったワハハ本舗の人だあ。来月、大久保で演る『3バカビートだポカスカジャン!』のチラシを渡される。行きますって!

        開演5分前のベルが鳴り、客席に戻ろうとすると、ロビーで快楽亭ブラック師匠の姿を見る。立見で入場されていた。一番後ろの壁に寄りかかってトリの花緑までしっかり見ていった。勉強家だよなあ、この人。

        大阪出身の漫才DonDokoDon。「東京では[痴漢は犯罪です]なんてステッカーが貼ってあったりするでしょ。そこへいくと大阪なんて[痴漢はあかん]ですもんねえ」 おいおい本当かあ、それ! オバちゃんネタ、携帯電話ネタなど短いネタが続いて、雑談風の漫才で終わってしまうのかなあと思ったら、数年後にはタクシーの運転手はみんなロボットになってしまうだろうというコントに突入。これがターミネーターのテーマ曲に合わせて動くロボット運転手。いいねえ、いいねえ、このネタ、気に入ってしまった。

        このあとに凄くインパクトのある出し物があった。上方の落語家、桂あやめと林屋染雀による音曲漫才、姉様キングス。高島田のカツラに黒の着物、白粉を塗っての登場。あやめはいいとして、男の染雀がこのナリをして出てくると異様! 染雀が三味線、あやめがバラライカを弾きながら都都逸を! ♪聖子の離婚ははやりの風邪よ はたの(波多野)迷惑かえりみず ときたもんだ。

松竹梅シリーズ。小さん師匠ネタ。
♪国宝師匠を松竹梅にたとえるならば (話しは)ウメー (ギャラは)タケー あとはお迎えマツばかり

慌てて、「どうかインターネットには流さないように」って言ってたけど、バラしちゃったもんね。

        講談の風雲児が神田北陽なら、浪曲を変えようとしている男がここにあり。国本武春だ。幕が上がって国本武春が登場すると「待ってました!」の声がかかる。「ひとりだけですか? もう一度やってみましょう」と一度楽屋に引っ込んで、再び登場。「待ってました!」 「日本一!」 「名調子!」 「たっぷり!」 これに気をよくしてか熱を入れて『谷風情相撲』。これは、落語の方でも『佐野山』の話として有名。いいなあ、浪曲も。

        トリが柳家花緑。「姉様キングスって過激ですねえ。私も少し三味線を演るんで、今度師匠でおじいさんの小さん師匠と組んで演ろうかしら。ジジマゴキングスって。当然私が突っ込みで、師匠が呆け。あっ、これもインターネットに流しちゃダメですよ」 へへーんだあ。流しちゃったもんね。

        さあ今回は大ネタだ。人情話『鼠穴』。酒と女で身を持ち崩し、江戸へ出てきた竹次郎。商売で成功した兄のところへ奉公させてくれと頼みこむ。奉公よりも自分で商売をしてみないかと貸してくれたのはたったの三文。二束三文というくらいだから、雀の涙。一文が今の30円〜40円だから90円〜120円。これでは何も出来ないと兄を恨みながらもそれを元手に商売を始め、10年後には蔵を三つも建てるほどの出世をする。そして兄のところに昔借りた三文を返しに行くが・・・。

        熱演でした。しかし、どうも私は相変わらずこの人の話に合わない。竹次郎は地方なまりがあるのだが、それが時々無くなってしまうのが気になるし、人物の造形もいまひとつ。とてもスジのいい噺家さんだから期待しているのだ。前回も書いたように、やはりまだ20代。こういう話ってやはりまだ味が出てくる年齢に達していないのかもしれないのだが・・・。なんだか名門の坊ちゃんっていう感じが残っていて、それが取れてくると凄い噺家になりそうなんですがね。

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