April.28,2001 私はまだまだ初心者だと実感しました

4月22日 喜多八の稽古風景 (落語協会二階)

        今月は定席に4回行って、実にいろいろな噺家さんを知った。その中でも、2回遭遇した柳家喜多八の落語には感じるものがあった。『竹の子』と『あくび指南』の二席を聴いたことになるのだが、どちらもノホホンとして面白い。『寄席演芸年鑑』を見て、この人が小三治の弟子と知って、「なるほどなあ」と思った。いかんなあ、勉強不足だあ。この分だと、まだまだ知らない噺家さんがいる。インターネットでこんなページを持ちながら、何も知らない。検索でたどり着いた人は笑っているだろうなあ。偉そうなことは書けないものだ。

        御徒町から住所を頼りに落語協会の事務所へ向かう。それにしても定席通いを30年ぶりに再開したのが今月の始め。1ヶ月経っていないのに、喜多八の独演会を聴きに落語協会の事務所まで行くことになろうとは。なんだかディープなところまで来てしまったなあ。付近をグルグルと回って、ようやく落語協会の事務所にたどり着く。これが憧れの落語協会の事務所かあ。うれしくて頬がゆるむ。二階へ上がって靴を脱ぐと広い和室があった。ここの奥に机を置き、毛氈をその上にかけ、座布団が一枚乗せてある。即席の高座の出来あがりというわけだ。入口で木戸銭1000円也を払い、座布団に座りこむ。

        喜多八がお囃子もなく、スーッと出てくる。定席で見せていた、やる気のないような態度はまるで見えない。やっぱりあれは演出だったんだ。「『盗人相撲』(ぬすっとずもう)という落語があるのを知りまして、これを演ってみたいと思っているんですよ。相撲の地方興業が終わって、行司役の男が歩いて家へ帰ろうとする。途中で日が暮れてしまったらば、盗人がふたり現れる。ふたりの盗人は、この獲物は自分のものだと主張しあって喧嘩になる。それならと男は自分は行司であるから、ふたりで相撲をとって勝った方が自分から金品を巻き上げればいいじゃないかと提案する。ふたりの盗人が裸になって相撲をとっているスキに、二人の盗人の金品まで持って、行司はスタコラサ。『おーい、行司が逃げるなんてことがあるかー!』 『この勝負、預りおきまーす!』がオチなんですがね」 面白ーい! すっとぼけていて、喜多八向きの噺ではないか。

        というわけで、てっきり『盗人相撲』を演ってくれるのかと思ったら、「まずは、お馴染みの噺で・・・」と『唖の釣』に入った。七兵衛さんが与太郎と殺生禁断の寛永寺の池に釣りに行き、見まわりの役人に見つかってしまう噺。与太郎の方は七兵衛さんに見つかった時の言い訳を教わった通りに言って難を逃れるが、七兵衛さんは、口がもつれてしまって言葉にならない。唖のように手振りで説明するのだが、さすが年季を積んだ喜多八の芸だ。その驚いて言葉にならない表情が、本当に上手い!

        一席終わったところで、お茶が出される。落語協会の茶碗で落語協会のお茶。きっと何人もの噺家さんが、これでお茶を飲んだんだろうなあと思うとうれしくなる。お茶が何か特別なもののように感じられて、旨い。センベイが回ってくる。このセンベイがまた旨い! どこか有名店のものなのだろうか―――と思っているうちに喜多八がまた高座に戻ってきてしまった。センベイをポリポリやりながらは迷惑だろうから、そっとポケットにしまう。

        今度はネタ下しだというので、いよいよ『盗人相撲』が聴けるのかと思ったら、『船徳』が始まってしまった。船宿の女将さんの演じ方がいい。商売熱心な女将さんの様子が、気持ちよく演じられている。道楽がすぎて勘当されてた若旦那の徳兵衛。船頭になったものの半人前。その船に乗ることになってしまった、ふたりの客の描き方もいい。船宿に馴染みの男と船の嫌いな男、この描き分けが冴えている。「ほんとうに大丈夫なんだろうね。この船はちゃんと水の上に浮かんでいるんだろうね。船の下で押さえている人がいるんじゃないの?」 トントントンと噺が進み、「おあがりになりましたら、船頭を一人雇ってくださいませ」のオチにたどり着いたと思ったら、ありゃま、まだ噺が終わらない。

        三年後、徳兵衛が一人前の船頭になった噺に入って行く。芸者と船頭のふたりだけで船を出すのは禁じられいるのだが、よんどころない事情で、芸者のお初を乗せて徳兵衛は船を出す。そこへ、にわかに雷雨がやってくる。「中にお入りなさいよ」というお初の声に、「それはいけません」と断っていた徳兵衛だが、やがて根負けして中に入る。盃をやったりとったりしているうちに・・・・・・。へへへへへ、粋だねえ。これは『お初徳兵衛』の上にあたる部分。もともと『船徳』は、この噺の序の部分を膨らませたものなんだそうな。いやいや、知らなかったことが、まだまだあるもんだなあ。勉強しなくちゃね。


April.24,2001 BOOMERに注目!

4月21日 第263回花形演芸会 (国立演芸場)

        ありゃま、客が入っていないよ。今年に入ってこの会は毎回満員御礼だったというのに、客席を見渡せば三分の一しか埋まっていない。やっぱり今月は出演者が地味なせいかなあ。私は、BOOMERがトリってだけで買いでしたがねえ。だって、他所でBOOMERを見たくても、そう簡単には見れないんだから。

        前座は春風亭柳二郎。「柳二郎とだけメクリに書いてあると、やなぎじろうと読まれてしまう」とボヤいて『道具屋』へ。がんばってね。

        春風亭昇美依。柳昇門下の女流落語家。ポッチャリとした体型が愛嬌がある。「こういう体型をしていると、よく甘い物が好きだろうと言われるんですが、甘い物は嫌いなんです。もっぱらお煎餅とかポテトチップスが好きなんで、それで何でスリムにならないのか・・・」。なんて言いながら『饅頭こわい』へ。この人の『饅頭こわい』の特徴は、饅頭が大好きなのにわざと怖いと言ってのけた辰さんが、饅頭を前にして片っ端から饅頭を食べていく場面。「うわー、怖いよう。周りは饅頭だらけだよう・・・・・うわあ、栗饅頭だあ・・・・・・・・・・・・・・・・・栗の周りの白餡が高級で・・・・・・・・・・・うーん、怖いよう・・・・・ひゃあ、ブタ饅だあ・・・・・・・・・この肉汁が、なんとも・・・・・・・・・・・・怖いよう・・・・・・・」。普通「怖い、怖い」と連発しながら急いで食べていく様子を演じる者が多い中で、昇美依は、無言でじっくりと味わっている時間が長い。ほんとうに旨そうだなあ。ひとつ食べ終わるごとに胸のツカエをトントンとやるところなどが、オチに繋がっていくあたりリアルだなあ。

        漫才エルシャラカーニ。「ナゾナゾいくぞ。上は大火事、下は大水、なあんだ」 「そんなの誰でも知ってるよ。風呂だろ?」 「残念でした。答えは怪獣シタカジー」 「そんなんありか!」 「それじゃあ、入口がひとつで出口がふたつ、なあんだ」 「ズボンだろ?」 「残念でした、ズボン型トンネル」 テンポよく進めていく若くて元気のある漫才。気持ちいいなあ。

        上方落語の桂喜丸。「いまどき、テレビでは落語なんて放送してくれへんねん。放送してくれた思ったらNHKは朝5時でっせ。大阪の民放は深夜1時。いったい誰が見るのよ」 「もう大阪は吉本の天下ですな。わてはざこばの弟子でございまして、吉本に属さない米朝の孫弟子にあたるんですわ。米朝師匠というたら、小さん師匠と並んで今や重要無形文化財ですわ。そこへ行くとウチのざこば師匠ときたら、重要・・・・・参考人。あっ、これインターネットに流したらあきまへんで!」。へへえんだあ、流しちゃったもんね。ネタは『悋気の独楽』。汗ダクの大熱演!

        喜丸の大熱演のあとを受けて出てきた三遊亭竜楽。「アタシはあんなに頑張れません」と涼しい顔。「自民党の総裁選が行われていますが、どうやら小泉さんが当選しそうになってきました。小泉優勢(郵政)って」 「私ら噺家仲間も国会議員選挙に出ようとした人が何人かおりまして、桂三枝さんなんかもそうでした。でも家族の反対にあっちゃって、断念したようですが、家族で過半数の賛成を取れないようじゃ無理ですよね。ウチの円楽師匠も出馬しようとしたことがあるんですよ。馬が・・・出る。落馬しちゃいましたがね」。涼しい笑顔で『井戸の茶碗』に入っていった。この善人ばかりが出てくる噺、今どきこんな人はいないよねと思うけれども、そんな世の中だからこそ、こういう噺は胸に沁みてくる。

        さあて、中入りがあってコント三連発だ。幕が上がると、順番からするとアルファルファが出なくてはいけないのに、次のきぐるみピエロが出てきた。出てくるなり、初めて国立演芸場に来たという話から、永田町の駅からこちらに向かうと大きくて立派な建物があったので、これが国立演芸場かと思ったら、それは最高裁判所で、その隣にあるボロい建物が国立演芸場だったというクスグリで笑いをとろうとする。そのへんまではいいのだが、そのあとがいけない。客席を見渡し、入りがよくないという話から、客層が高年齢だということを無神経に話す。以前はコチラも若かったから、こういういい方には抵抗なかったが、すっかりオッさんとなってしまった今は、こういうことを言われると辛い。

        それでも、そのあとのコントが面白ければいいのだが、始めたショートコント集がいただけない。『マジカルチャージ』『もしもハナクソがお金だったら』『リレー』『スケバン』『国家斉唱』『オペラ』・・・・・・・・・とエンエンと続くのだが、クスリとも笑えない。客席もシラーッとしている。最後に長めのコント『ヒーロー』を演ったのだが、変身ヒーローもののパロディのようなもので、高年齢の人にはまったく受けない。きぐるみピエロのふたりは、本当に自分たちが演っている笑いが面白いと思っているのだろうか。若い人たちが集まるライヴ会場では受けるのかもしれないが、国立演芸場に集まる観客にはこの程度のものでは笑えないよ。ここに集まっている人は感覚が古いと思うのならそれも勝手だが、実はここに集まっている客は長年お笑いを見つづけてきて、目が肥えているのだよ。

        順番が替わったけれども次はアルファルファだと思ったら、なぜか竜楽が座布団に座っている。「実はアルファルファがまだ来ていませんで、そのツナギというわけですが、別に二回舞台に上がったからってギャラが2倍になるわけじゃない・・・・」。場ツナギにということで、師匠の円楽が司会をやっている『笑点』の裏話を始める。「大喜利のコーナーは台本があるんじゃないかという方がいらっしゃるんですが、あれは台本は無いんです。15分くらいのコーナーですが、1時間15分くらいかけて撮っている。録画ですから、あとから編集するわけです。だから突然歌丸さんの座布団が三枚から六枚になっていたりする」 「問題が出されると、とりあえず全員手を上げる。本当にできている人とダミーで手を上げている人がいるんですな。円楽師匠はできている人しかささないんです。巧妙なサインがあるんです。できている人は円楽師匠と目を合わせる。これがサインなんです。でもね、ひとりだけできてないのに目を合わせる人がいる。誰とは言いませんが・・・着物は黄色」

        話していても、いっこうにアルファルファは現れない。「それでは、『コンパクト笑点』というものを演ってみましょうか。といっても、きょうは噺家が私以外では、前座さん二人が残っているだけ」 前座の春風亭柳二郎と雷門花助が座布団を持って出てくる。客席からお題頂戴で謎かけをやることになる。「総理大臣!」 柳二郎すかさず「総理大臣とかけて、不味い蕎麦屋と解く。そのこころは、モリはけっこうです」 ドッと笑いと拍手がきたが、あたしゃ分っちゃったよ。だってアタシ、蕎麦屋だもん。「総裁選!」 今度は竜楽、「総裁選とかけて、イチローに投げる大リーグのピッチャーと解く。そのこころは、内角(内閣)の行方が気になります」 最後に花助が「きょうのお客様とかけまして、殴られた頭と解きます。そのこころは、ドンドン盛りあがってます」

        それにしても、アルファルファどうしちゃったんだろう。ドタキャンはないよな。何か事故でもあって来られない理由があったんだろうと善意に解釈したいが・・・。何とか若い観客を国立演芸場に呼ぼうという劇場側の期待に答えて欲しい。古くからのお笑い好きも新しい笑いを経験できるし、新しい観客も若手コントの間で落語のよさを知ることができる。そんな意味で中入り後はコントだけにするという番組編成にしているはずだ。以前、中ほどでBOOMERが出たら、BOOMERが引っ込んだら、若い子がゾロゾロと劇場から出ていっちゃったことがあった。だから、きょうはBOOMERがトリってわけなんだろうから。アルファルファさん、何があったかしらないが、すっぽしじゃないよね?

        BOOMERの河田がビシッとした背広姿で出てくる。「私はFBIのモルダー捜査官。宇宙人は存在しないと思われているが、実は存在するのです。それは『E.T.』や『エイリアン』に出てくるような、ベタな格好の宇宙人ではなく・・・・」 と、伊勢がモロにベタな宇宙人の格好で登場。まったく伊勢というキャラクターの笑いは、今、コントの先端を行っているのではないか。志村けんに近いところもあるが、あれよりもクズれていない。レオナルド熊という雰囲気もあるが、あれほどクドくない。「私はキラキラ星からやってきた宇宙人だ。私の星は今危機に見まわれている。是非あなたに救って欲しい」 「そんなこといわれても、私には何もできませんよ?」 「月々10万円づつ振り込んでくれればいいのだ」 このあと、お得意の小道具を使ったギャグが連発するのだが、この人たちは小道具を使わせると、ほんとうに面白くなる。前回見た『水戸黄門』の紙芝居は最高だった。実は、あのコントを見たあとに『江戸っ子かばパソ演芸場』のアイデアが浮かび、作ったのが去年の11月の分。そういえば、今年になってあのコーナー、さっぱり出来ないなあ。それにしも、やっぱりBOOMER、一段先行ってるね。


April.21,2001 疲れているから止せと言われても、やっぱり寄席

4月15日 新宿末広亭夜の部

        今回はこちらのコンデションが最悪だった。本来なら金沢一泊強行軍旅行などというものをやったらば、そのままおとなしく家に帰って寝ればいいものを、羽田に着いたその足で地下鉄を乗り継いで新宿末広亭へ。先日ひょんなことからお逢いできて話ができた春風亭昇太師匠がトリをとっているのだ。見に行かれる日は、この日だけ。なんとしても見に行かなければ――――というわけで、疲れた身体を引きずって末広亭の下手桟敷席に腰を下す。

        入場したらば、夜の部はもう始まっていた。前座は見られずじまい。この日の前座さん、ごめんなさいね。私が入ったら前座のあとの春風亭柳太郎の噺がもう始まっていた。どうやら、88歳の老人がテレクラに行く噺らしい。「テレクラってえのは、女の子をテレテレと口説いてクラクラとなっちゃうところだろ?」。ハハハハハ、面白いねえ、この噺。でもねえ、途中から聴いたけど、このオチはだいたい想像ついちゃったよ。

        新山ひでや、やすこの漫才。「最近、女性のタクシードライバーが増えていますねえ」 「そうですねえ」 「その運転手さんが以前、どんな職業に就いていたか、すぐ分るんですよ」 「へえー」 「先日乗ったのは、元スチュワーデスの運転手さん」 「へえー、何で分ったの?」 「走り出す時に『只今より、離陸しまーす』って言ったもの」 「まさかあ」 「それからね、元看護婦さんの運転手さんなんて、すぐに分った」 「どうして?」 「駐車(注射)が上手かった」。このあと、元ファーストフードの店員、元フジテレビアナウンサー、元女性自衛官・・・とエンエンと続く。面白れえー!

        春風亭柳好は休演。トラは桂平治。「おいおい、オヤジ! ラーメンにゴキブリが入っているじゃねえか!?」 「おや、きのうのより大きいね」。飲食店のみなさま、害虫駆除には金を惜しまずに願います。ウチには一匹もいませんよ。という矢先から、目の前の桟敷席の靴入れ兼机で小さなゴキブリが這っている。末広亭さん、ぜひとも害虫駆除してくださいね。業者を紹介しましょうか? ええっと、平治のネタは『鼻欲しい』

        このへんで旅の疲れが出てきたのか、頭がボーッとしてくる。ちょっと眠い。桂小南治が出てくるなり、「いい陽気になりましたなあ。楽屋の方でも師匠方が火鉢の前で、眠っているんだか、固まっているんだか・・・」 う〜ん、陽気のせいもあるのかなあ、こっちも眠くなってきたけれど、ネタの『近日息子』はやっぱり面白いなあ。早とちりなんだか、いたずら者なんだかわかんないこの息子の話。私はやっぱりこの息子、大のイタズラ好きなんだと思うなあ。

        こくぶけんが河内音頭で自己紹介。コテコテの大阪弁で「最近、東京弁が移ってきまんな」。おーい、いいかげん大阪弁なんとかしいな。それにしても大阪人って、東京に来ても頑固に大阪弁通すよなあ。「それにしても売れまへんなあ、東京に出てきて大分経ちますが・・・。先日も『テレビで見た事ありませんね』言われまして、これ、小さなジョーク、大きなショックでんがな」

        桂伸乃助が『高砂や』を演っているあたりは、その声に誘われてついウトウト。旅行帰りにそのまま寄席へ行こうなんていうのが失敗なんだよなあ。

        えっ!? 続く春風亭鯉昇が休演。うわーっ、この人聴きたかったのにィ。トラが桂幸丸。「相変わらず森総理の失言問題が取り沙汰されていますな。でも当然なんですよ。森に湿原(失言)はつきもの」。こんな調子で、政治、スポーツ、芸能ネタをテンポよく笑いで取り上げていく。なんとなく米助のタッチに似ている。

        寄席から遠のいていると、ホント知らない噺家や芸人がこんなにいたのかと唖然としてまう。きょう、今まで見て来た人達は全部初めて見た。いかんなあ、反省反省。それにしても、身体中を疲れが押し潰してくるようにダルい。それでも見続けてしまう自分とは何だろう? 寄席の魔力に取りこまれたとしか思えない。

        コントD51も休演。最近、国立演芸場が若手コントの発掘に力を入れているが、こちら定席でしか見られないD51を是非一度確かめたかったのだが、これは先送りかあ。まあいいや、定席へ行けば年中出ているらしいし。トラで出て来たのが宮田章司。これはまた珍しい芸にめぐり合った。なんと昔の物売りの売り声を再現するというのだ。手始めに納豆屋、あさり屋と披露してみせ、客席からリクエストを募る。「豆腐屋!」 「金魚屋!」 「いわし屋!」の声に、ひとつひとつ答えていく。「風鈴屋!」のリクエストには「いいですね、風鈴屋。でもあれは喋らねえ」。

        私は子供のころ、浅草永住町の母の実家に入り浸っていたこともあって、物売りの声は毎日耳にしていたっけ。飴屋の売り声なんていうのも、こうやって聴いていると、微かに記憶があるように思うのだが、勘違いか? 最後は七色(なないろ)唐辛子屋。そうなんですよ、東京の下町では七味唐辛子のことを七色唐辛子って言った。ウチでは七味のことをナナイロって今でも言う。中学生のころ、杉並区の中学に通ったら、私がナナイロって言うのがヘンだって先生に言われた。「七味唐辛子をナナイロなんて言うのは聞いた事がない」とまで言われた。教養なかったんだな、あの先生。

        まだ見た事が無かった噺家が続く。「最近、いろいろな落語会が方々で開かれているようですな。中には『恵まれない噺家の落語を聴く会』なんてのがあったりして」。このところ私のバイブルとなっている長井好弘さんの『新宿末広亭 春夏秋冬 「定点観測」』によると三遊亭栄馬は、大ネタ、レアネタが多いというので楽しみにしていたのだが、この日は『がまの油』。まっ、また見に来ようっと。

        長井好弘さんが、けっこうページを裂いている昔々亭桃太郎。「曙が――、やきもち焼きの奥さんに閉じ込められて、あけぼのの缶詰」 ありゃ、長井さんの二年前の観測記録と同じ駄洒落小噺が続いていくぞ。ヒャハハハハ、変わってないんだ、この人。このぶっきらぼうな語り口が可笑しい。しょーもない小噺が一区切りつくと、座布団の横に置かれた湯呑茶碗から、お茶を啜る。どうもこの湯呑は桃太郎の仕込みらしい。「セコな茶碗だねえ。普通は蓋とか敷ものとかあるのに・・・・・・、これは公民館に置いてあるようなやつだよ。野良仕事の昼休みやってんじゃねえ!」 フハハハハ、長井さんが書いてるのとおんなじだあ。そしてネタがまた、いつものらしい『結婚相談所』。師匠の柳昇ゆずりの話し方なのだが、もっとぶっきらぼうで、すっとぼけた味わいがある。柳昇落語をうまく自分のものとして消化している。いいねえ、いいねえ、くだらないけど。もちろんこれ、最高の褒め言葉ですよ。

        桃太郎で笑いすぎて、また疲れが出てきちゃった。松旭斎八重子のロープ手品。反対側の上手桟敷席ではゴロリと寝ている人がいる。私も足を前に投げ出して見ることにした。

        ようやっと知った顔が出てくる。三遊亭小遊三。ふわーっ、それにしても眠い。ウトウト。ああ、『蛙茶番』かあ―――と思っているうちに眠りの国へ。

        「おなーかーいーりー!」の声で目を醒ます。しばらくの睡眠でいくらか元気が出てきた。弁当弁当! ええっと、この弁当の話は、明日の『言いたい放題食べ放題』で書きますね。

        パンパパン。大好きな神田北陽が釈台を叩いている。いつものマクラから『宮本武蔵』へ。ポンポンポンッと語って聴かせるとパッと引っ込んじゃった。この間、約10分。ええーっ、これだけ? 北陽の無駄話って講談にも増して面白いのにィ。それにしても、おかげですっかり目が醒めた。

        ローカル岡という人は、いわば日本のスタンダップ・ジョークみたいなことを演る。こういうの、日本で受けるのかというと、う〜ん、やはり爆笑というところまでは行っていないようだ。茨木弁で朴訥と喋るその語り口は、ついつい引きこまれてしまうのだが・・・。自虐的なジョークが続く。「女房パソコン、息子ファミコン、俺家電リモコン」 「地震、雷、火事(家事)は俺」 アメリカ人だったらゲラゲラ笑うんだろうなあ。

        いよいよ春風亭柳昇と思っていたら、三笑亭笑三が高座に上がった。「柳昇さんは、昨晩突然に気が狂いまして・・・」 おやおや、代演ですかあ。見た事もない魚がかかる。「この魚は何という名前の魚でしょう?」お代官様に問うてもわからない。そこで代官、この魚の名前を知っているものには褒美をとらすとお触れを出す。ははあ、これは『てれすこ』ですね。ギョロッとした目の笑三がこの噺を演ると、ほんとうに可笑しい。

        なんだか、身体が熱っぽくなってきた。ひょっとして風邪をひいてしまったのかもしれない。さっさと帰って寝ればいいのに、まだ末広亭に居残っている、もうすぐトリの昇太の登場だ。春風亭小柳枝は、お馴染みの『小言幸兵衛』。「で、あなた様のご職業は?」 「はい、仕立屋を営んでおります」 「仕立屋だから営む(糸)か。糊屋だったらベトナム」 上手いクスグリだなあ。大家の幸兵衛が勝手に先を想像して、芝居噺へと変化していくこの噺の妙は、いつ聴いても可笑しい。「古着屋のとこの宗旨はなんだったかな? えっ? 天理教? で、お前さんのとこは? ええーっ? モハメット教だってえ!!」

        ボンボンブラザースの曲芸。喋りなしで、輪、バトン、帽子とジャグリングを見せていく。さあ、次は昇太だ。もうすぐ帰れる―――って何やってんだか。

        「旅行なんてものは、行く前と行ったあとが一番いいんですよね。よくいますでしょ、旅行から帰ってきて家に着くなり、うわーっ、やっぱりウチが一番!」って、ほんとうに高座で寝ッ転がってみせる。春風亭昇太の面目躍如。疲れた身体が、また元気になってくる。ネタはこのところよくかけている『人生が二度あったら』。おじいさんが新聞を読んでいる。「うーん、総裁選かあ。今度は誰が総理になるのかなあ・・・・・・・・・・・わからん!」 「三波春夫も死んだか。どんな歌を歌っていたっけかな・・・・・・・・・・わからん!」 「ほう、春風亭柳昇も死んだか・・・・・・・・・・新聞もたまにはいいことを書いてあるなあ」 自分の師匠まで茶化すことが出来るのは、ホント昇太くらいのものだろう。そして、それを笑って許すのも柳昇という人柄なんだろうなあ。柳昇もいい弟子を持ったものだし、昇太もいい師匠を持ったものだと思う。

        この『人生が二度あったら』、タイムトラベルものとして、とてもよく出来た噺になっていて私は気に入っている。オチが決まって、昇太がペコペコとお辞儀をしているところを幕が下りていく。さあ、さっさと帰ろう。早く帰って寝なくちゃ。明日からまた仕事だ、仕事だ!


April.14,2001 落語は生き物

4月8日 池袋演芸場四月上席昼の部

        先週は池袋、昼トリの喬太郎から入って夜の志ん朝師匠まで見ようという作戦だったのに、町会の花見があったりで喬太郎に間に合わなかった。しかも、上野の夜の部にも出ているからと鈴本に行ったら、喬太郎は休みで代演が出てしまった。こうなったら意地でも喬太郎を見に行ってやろう。きょうは、夜に用があるから、夜の部の志ん朝師匠まで見るわけにいかないが、昼の部を喬太郎までみっちり見てやろうっと!

        池袋演芸場のチケット売場でお金を差し出すと、

「あのー、きょうは特別興業で、昼夜入れ替えになりますが、よろしいですか?」

        と言われる。へえ、どうやら入りがいいので、土日は昼夜入れ替えにしたらしい。

「いいんです。きょうは喬太郎見に来たんだから。志ん朝師匠も見たいけど、夜は予定が入っちゃってるから、いいの、いいの」

        前座は柳家さん坊『寿限無』。ああ、この人、去年の夏も見たなあ。噺もやはり『寿限無』。確実に上手くなっている。がんばってね。

        「席に余裕がありますから、広く使ってくださって結構なんですよ。寝ていていただいてもいいんですよ。あたしら慣れてます。よその協会みたいに裁判に持ち込んだりしませんから。でもイビキは勘弁してくださいね。それと寝返り」。柳家喬之助が気持ちをほぐしてくれる前説のようなことを言う。入りは40人くらい。あとからさらに20人くらい入ってきたから、まずまずの入りかもしれない。「最近、世の奥様方の間で水泳が流行っているそうで、なんでもダイエットが目的らしいですな。泳げば痩せるかと言うと・・・カバ、トド、アザラシ・・・海で泳いでいる動物はみんな太っている」。ネタは『真田小僧』。

        大きな男が高座に上る。三遊亭歌武蔵だ。この人は以前に一度だけ見たことがある。元武蔵川部屋のお相撲さんという変り種で、あのときは、相撲部屋でのことを漫談風に語っていたけれど、あれは面白かったなあ。ところが、きょうのはいけない。すぐに『たらちね』に入ったのだが、言葉が上品すぎる女性という役が、この目の前の歌武蔵を見ていると、どうも浮かんでこない。『たらちね』を演っちゃあいけないというわけではないが、もっと自分に合った噺がありそうなもんだと思うのである。こういう噺は損だと思う。前日に鈴本で見た五街道佐助の『たらちね』よりも確かに上手いとは思うのだが、ヒョロッとした佐助の方がこういう噺には向いている。

        定席に行かなかったもんだから、漫才も知らない人ばかりだ。つぎの女性コンビ、すず風にゃん子・金魚も初めて見た。それにしても凄い衣装だなあ。左のにゃん子が「私のこと、よくハーフじゃないかと言われるんですよ。そうそう、金魚ちゃんもよくハーフだって言われることがありましてね、ブタとイノシシのハーフ」。きょうのネタは女性らしく胎教をテーマに持ってきた。東京漫才というよりは、関西のドツキ漫才の影響が強いような気がした。

        柳亭市馬は、また例によって高校の落語教室での事件をマクラにして、きょうのネタは『のめる』。この人の噺は、なんだか安心して聴ける。

        先週は夜の方で『たけのこ』なんていう珍しい噺を聴かせてくれた柳家喜多八が、なぜかきょうは昼の方に出ている。あの脱力オチをさらりと言ってみせるのは、なかなかに実力が伴っていないと出来るものではないでしょう。「昼来るのはいい度胸ですなあ。きょうは入れ替え制ですよ」。だからあ、きょうは志ん朝師匠じゃなくて喬太郎が目的なんだってばあ。ネタは『あくび指南』。[あくび指南所]という看板が掲げられているのを見つけた男が、この稽古場を訪れる。「下地はおありですかな?」 「あるわけないでしょ、こんなクダラナイの!」 「それでは、ひとつ演ってみますから、よく聴いていてくださいよ。『おい、船頭さん、船を上手へやってくんな。・・・・・・日が暮れたら、堀からあがって、吉原でも行って、粋な遊びの一つもしよう。・・・・・・船もいいが、一日のってると、退屈で、退屈で・・・・・・ふぁーっあっ、ならねえ』。なんだかやる気のなさそうなキャラクターの喜多八がこれを演ると、本当に上手い。自分のキャラクターを上手く使った噺だ。味のあるいい噺家さんですねえ。オチを見事に決め、ダラダラと楽屋に引っ込んだ。

        鏡味仙三郎・仙一の太神楽。五階茶碗にバチのくみ取り。なんだか安心して見ていられる曲芸だ。上手いなあ。

        中入り前は柳家さん喬。「新宿末広亭の楽屋に小さん師匠がぼんやり座ってらっしゃいました。『師匠、これからどちらかに行かれるのですか?』 『うん、御苑の八重桜でも見に行こうかと思ってなあ』。いい風景じゃありませんか」。静かにネタに入っていく。『おせつ徳三郎』だ。冒頭の刀屋のシーンの見事なこと! おせつを殺そうと刀を買いにきた徳三郎と店主のやり取りをじっくりと見事に演じてみせた。

        なんだか、さん喬の名演でお腹いっぱいになったところで中入り。それでは、ここらでリポートも中入りとさせていただいて、ちょっと気になる文章を目にしてしまったので、そのことを書きたいと思う。『週刊文春』の今週号だ。『私のごひいき』という連載コーナーで作家の中野孝次という人が『「落語家」ベスト6』というのを書いている。ちょっと長くなるが引用させていただく。

「落語を堕落させた一番の元凶はテレビだろうと思う。画面に間(ま)があくのを恐れるために、テレビでは高座でのように充分な間をとらなくなった。また茶の間での視聴者にあわせて、たっぷりと噺を語るよりも、ただ笑わせればいいという安易な道へ走ったり、そんなことが重なって落語の芸は低下した。だからわたしは今は寄席に出かけないが、落語は好きで、仕方なくレコードやテープで昔の名人の噺を聞いてひとり慰める。そして昭和三十年代、渋谷の東横落語会でまのあたり見た、名人上手のおもかげをしのんでいる」

        こうして東横落語会に毎月出演していた6人の落語家の名前をあげ(五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭円生、八代目桂文楽、三代目桂三木助、八代目三笑亭可楽、五代目柳家小さん)、こう結んでいる。

「落語の芸の最高のものが、あの東横落語会の六人衆にあったと、わたしは今もかたく信じている。落語とはこういうものだということを、わたしはこの六人の名人の語りで知った。それが余りに強く印象されているので、今の落語を聞くことができないのである。だが、あの人たちの芸に触れることができたのは、わたしの生涯の幸運であった」

        イヤなことを思い出してしまった。母の実家は、浅草の永住町にあった。池波正太郎が小さいころ住んでいたところのすぐ近くだ。わたしは小さいころから、夏休みや春休みになると、この家に長いこと泊まりこんで過ごしたものだった。母の兄にあたる私の伯父は、私の面倒をよくみてくれた。中学生になって突然、落語の魅力に取りつかれてしまった私は、昭和四十年代の始め、毎月、紀伊国屋ホールで開かれていた『古典落語を聞く会』を欠かさずに見にいっていた。昭和三十年代の志ん生、三木助、可楽はすでになく、中野孝次の挙げている中では、もう円生、文楽、小さんしか残っていなかった。永住町の伯父も落語には少々詳しかった。私がこの三人がいかに素晴らしいかを伯父に向かって話すと、「ケイちゃんは、志ん生を見てないんだろ? 志ん生の方が上手かった」と来る。口惜しかったですねえ。そして伯父はもう、そのころからほとんど寄席に行かなくなってしまった。

        それからというもの、私はラジオの演芸番組やテープを捜して、志ん生、三木助、可楽を聴きまくった。確かにこの人たちは上手かった。しかし、もどかさを感じてしまうのだ。上手いとは思うものの、私はやっぱり目の前でみた円生、文楽、小さんの方が頭に残っている。それは何故なんだろう。それはきっと落語というものが生き物なんだからだと思うようになってきた。落語は、演者と観客が、その演じられた空間の中で生み出していく空気のようなものであるような気がするのである。だから中野孝次が、東横落語会で感じた志ん生の落語は、きっと確かに素晴らしいものだったに違いないのである。ただ、それがレコードやテープになってしまったものは、もう別物でしかない。落語とは、その時その場所に集まった演者と観客が体験する生きた感動なのではないだろうか?

        私も今でもよくラジオから録った昔の人のテープを聴いている。私の尊敬した円生、文楽だけではない。もちろん、志ん生も三木助も可楽も聴いている。しかし、やはり生の落語が聴きたくて、年に数回は落語会に足を運んできた。勉強不足で私は中野孝次なる作家がどんな作品を書いたか知らない。しかしだ、寄席に行きもしないで、昔の名人のレコードやテープばかり聴き、「落語の芸は低下した」なんて、よくも言えたものだ。例えば、今、高座に上がっていたさん喬だ。この『おせつ徳三郎』が、円生のものに劣るとは私には思えないのである。少なくとも、テープとしてしか残っていない円生のものよりは、遥かにいいと思う。だって、今なんですよ。落語とは今なんですよ。今演じられているものが魂を持っているんですよ。

        中野孝次の文章の冒頭は、テレビ批判である。もうお決まりのような切り口。テレビを批判する前に、なぜ自分で落語を聴きにいかない! この人は落語が好きなんじゃない。昔見た、あの瞬間を懐かしがっているだけなのだ。

        こんなことを書いている私だが、つい先日までは寄席の定席に行こうとしなかった。どうせ大した芸人も出ていないだろうと思い込んでいた。気に入った数人の落語家が出いる落語会に顔を出すだけ。そして何かと言えば、円生や文楽を生で見たという自慢話が口を出そうになる。もう少しで私もあのイヤな伯父と同じになるところだった。

        こちらの中入りが長く、ちょっとクドくなってしまった。中入り後のリポートに戻ろう。いきなりとんでもない噺家が高座に上った。柳家小三太。もちろん初めて見る噺家さんだ。丸いメガネをかけ、東北なまりがある声で、何やら故郷の結婚式に出席したときの話を始める。「私、今年48歳なんですがね、私は実は双子でして、その双子の兄貴が結婚したんですよ。私が司会になって結婚式をやったわけですが・・・」 この漫談風の話が面白いようなつまらないような不思議な雰囲気で進行する。父が『浪曲子守歌』(♪逃げた女房にゃ未練はないが・・・)を余興で歌ったとか、小三太の奥さんが『別れても好きな人』を歌ったとか、本当だかツクリだか分らない話が続いて行く。

        すると今度は、「じゃあ、ちょっと歌を歌います」と言い出す。「では旧ソ連邦の歌をいってみましょう」 手拍子を鳴らしながら「♪ア、ソーレ ア、ソーレ」 「ではつづきまして韓国の歌 ♪ア、コーリャ、ア、コーリャ」 「次は中国の歌」(わかるって!) 「♪ア、チャイナ、ア、チャイナ」(やっぱりね) 「つぎは歯医者の歌」(まだあんの?) 「♪ハ(歯)ア、ドーシタ、ドーシタ」 「最後に船の歌 ♪アラ、ヨット、アラ、ヨット」

        漫談だけで終りかと思ったら、なんとネタに入った。『金明竹』。これには私はひっくり返った。そうですねえ、はっきり言っちゃうとヘタクソです。これなら前座でももっと上手い人がいるんじゃないかと思うくらい。『金明竹』といえば、立て板に水のごとくの関西弁の口上が命。これがもう、つっかえてばかり。しかも関西弁らしいイントネーションが無い。私ポカーンとして見ていました。普通ならこんなの見せられたら腹が立つところだろうけれど、まったく腹が立たない。どうしてなんだろう。へへえ、寄席の世界には、こんな不思議な噺家さんがいるんだあ。こういう人は定席に行かなかったら一生知らないで終わってしまったことだろう。なんだか寄席の魔力に取り付かれつつある自分を感じる。

        柳亭小燕枝は『野ざらし』だ。ははあ、馬の皮を太鼓に使ったという前振りを入れている。これは、正しいオチまで演るつもりだな。普通途中までで切ってしまうこの噺を久しぶりに最後まで聴いた。

        三味線を抱えた柳月三郎が出てくる。う〜ん、民謡ねえ。私は不得意分野だな、これも。でも、こうやって静かに耳を傾けていると、いいもんだなあと思えてくる。最後は津軽じょんがら。うん、上手い!

        さあて、柳家喬太郎。待ってましたよ。「いいの? きょうはこれで入れ替えだよ?」 昼夜入れ替えだと知らないで、志ん朝師匠目当てで昼に入っちゃったんだと思っている客を想定しての第一声のクスグリ。いいの、いいの、喬太郎! きょうは、あんたを見に来たんだから!

        きょうは、ほほう、古典ですか。『竹の水仙』。『ねずみ』『三井の大黒』などと並ぶ左甚五郎の話のひとつ。東海道の宿のある宿屋に甚五郎が宿泊している。宿賃を払わず、酒ばかり飲んでゴロゴロしているのを宿の主人の女房が気にして、主人にそろそろ勘定をと催促に行かせる。「あのう、そろそろこの辺で勘定の方、一度精算していただきたいのですが・・・」 「ふむ、いくらになる?」 「三両三分二朱でございます」 「ふむ、三度三度わけのわからないものを食べさせてもらって三両三分二朱か」。甚五郎はすっからかんの一文無し。代わりにちょっと彫り物をするからと裏の竹薮から竹を切ってきてもらう。「いいか、わたしが仕事をしている間は、けっして障子を開けるでないぞ!」と言って仕事にかかる。心配になったのが宿のおかみさん。逗留しているのが名人左甚五郎とは知らず、「まさか、鶴が機織ってるんじゃないだろうね」・・・。ときどき喬太郎らしいクスグリを入れながら、じっくりと語り込んでいく。トリに相応しい堂々たるもんだ。笑いを取りながらも、この彫物名人話を感動的に演じきってみせた。いいぞ、いいぞ、喬太郎!

        感動でうっすら浮かんだ涙をそっと拭いながら、池袋演芸場の階段を上る。階段は夜の部の開場を待つ人の長い列がもう出来ている。いいなあ、みんなはこれから志ん朝師匠がトリの夜の部を見るんだなあ。たっぷり楽しんできてね。でも昼も良かったんだよ。

        もう一度書く。この喬太郎の『竹の水仙』が全盛期の小さんに較べて見劣りがするなんて言えるだろうか? もちろん小さんのものとは微妙に違う。喬太郎らしい工夫がアチコチに盛りこまれているからだ。小さんと同じものを演ってどうする。少なくとも、テープとして残っている小さんのものを聴くよりは遥かにいい。だって落語はナマ物なんだもの。

        レコードやテープのみで落語を聴いていたって、そりゃあ人の勝手。そっちの方がいいというなら、そうすればいい。しかし、中野孝次がどんなに偉い作家か知らないが、自分で今の寄席に行きもしないで、「落語の芸は低下した」なんて書かないでもらいたい。なにしろ膨大な発行部数を誇る『週刊文春』というマスメディアだ。蕎麦屋のおっさんが10人前後の読者を想定してインターネットの自分のホームページでほざいているのとは違うのだ。つい最近まで定席に行こうとしなかった自分への自戒を込めて書いておく。


April.10,2001 サービス精神の鬼、たい平!

4月7日 上野鈴本演芸場四月上席夜の部

        満開の時期は過ぎて、このところの風で桜の花はかなり散ってしまった。地面は花びらだらけで、掃除がたいへん。でも上野の山は、きょうもたいそうな人出だ。そんな中、人ごみを掻き分けて上野鈴本へ。何やってんだかね。

        前座は、またまた三遊亭天どん。きょうは古典の『道具屋』。「何か珍なるものはあるか?」 「はっ?」 「珍なるもの。変わったものだよ」 「私が一番変わってますがね」 だんだん上手くなってきたね。二つ目目前とか。がんばってね。

        可哀想だったのが次の五街道佐助。噺が半ばまで来た時に、心無い客の野次にあってしまう。動揺を隠せない佐助。「すいません、もうすぐ終わりますから」。可哀想だよ、一生懸命演っているんだから。『たらちね』よかったですよ、なかなか。

        太神楽、先週の池袋に引き続き翁家和楽、小楽、和助の皆さん。一番若い和助の傘の上でリングを回す曲芸、池袋は天井が低かったから思い切って宙に放り上げられなかったけど、天井の高い上野なら大丈夫。気持ち良さそうに回して放り投げている。続いて、やっぱり池袋でもやっていた和助の3本のバチを使った曲芸。真剣な表情で取り組む和助を見て、和楽が「顔を見ていた方が面白いですよー」。無事に終えると「百面相の曲芸でしたあ」。今度はいよいよ和楽と小楽のナイフのジャグリング―――なんだけど、ありゃ、早めに終わらせちゃった。

        「平日の昼の部なんて、寄席はガラガラですからね。普通の人は、みんな仕事してますもんね。高座に上がって客席を見渡すと、・・・・・・・ア―――――、3人」。五明楼玉の輔、いつものツカミだ。ほう、今日のは新作だ。癌の告知ができないでいるお医者さんの話。ふふふ、おもしろーい!

        「落語を真剣に聴こうなんて思わないでくださいよ。ボーッとして聴いてしださればいいんですから」。入船亭扇遊は『初天神』。こまっしゃくれた子供を熱演!

        ここで本来は林家こん平だったのに、ありゃま代演。桂文朝。「なぜ、ここにこん平がいないかと言いますと・・・・・・・・・・ここより、いい仕事があったというわけで・・・・・」。本当のことを言うなよなあ。ネタは『子ほめ』。

        紙切り、林家正楽。まずは手始めに、[相合傘]を鮮やかに切り上げた。お客さんからの注文は、[お花見]、そして[花祭り]。そういえば翌日の8日はお釈迦様の誕生日の花祭り。もうこんなことを祝う習慣無くなってきちゃったよね。お釈迦様の像に甘茶をかけている二人の女の子を切り上げる。「イチロー選手!」 「イチローね、シアトル・マリナーズ」 一瞬考えて、打席に入ったイチローの姿を切り上げてみせた。バットがデカイ! すると次が「松坂大輔!」 「松坂ですか。西部ライオンズね。今度はピッチャーですか」 あっという間に切り上げて「だから、投げてるところ。でも、誰だかわからない」

        さあて、お待ちかねの柳家喬太郎―――と思いきや、また代演だよ。まいったなあ、楽しみにしてたのにィ。トラで上ったのは古今亭菊丸。「喬太郎は、急にキチガイになりまして」と大声で第一声。「みなさまにキチガイをお見せしちゃいけないので、入院させました。明日は、治って退院するそうですが・・・」 いろんな言い訳があるもんだなあ。菊丸の演ったのは『宗論』。キリスト教にかぶれた息子と、浄土真宗を拝む父親との宗教論争。息子が「さあ、お父様、一緒に賛美歌を歌おうではありませんか!」と『いつくしみ深き聖なるイエスは』を歌い出す。これ、確か『冬の星座』と同じメロディーだっけ。これがなぜか最後に『里の秋』になってしまうのがオチ。そういえば似てるよね。

        五街道雲助がドスの効いた声で登場。「ワニって動物は丸くなって寝るそうですな。ワニなって寝るって」。ネタは『狸賽』。

        中入り後に出てきたのが柳家三太楼。最前列の小学生の男の子に挨拶。先の長いお客さんだ、大切にしないとね。私も中学生のときに寄席の最前列で見ていると、よく客イジリの対象にされたっけなあ。おやおや、珍しい噺に入ったよ。近所の医者から祝い事があったと赤飯が届けられる。これは、お礼にいかなくちゃならない。女房が亭主にお礼の口上を教える。「いいかい、そして口上を言ったあとで、くれぐれも、いいかい、あたしがだよ、あたしがよろしく言っていたと伝えとくれ。いいかい、ここんとこ忘れるんじゃないよ。わたしがよろしく言っていたと伝えるんだよ!」 「分ったよ、行ってくるよ・・・・・・・まったくもう、夫婦関係じゃないね、これは。まるで師弟関係」 ははあ、『熊の皮』だな。まてよ、これはオチが艶笑噺になるパターンがあると聞いたことがあるぞ。最前列のぼっちゃんには、ちと毒じゃないの―――と聴いてたら、やっぱりソフトな方ね。ふう。

        野茂がアメリカで二度目のノーヒットノーランを達成した。「わたし達の世界でもノーヒットノーランってあるんですよ。ハナからシマイまで、お客さんに一度も受けない、かすりもしないって」。橘家円太郎がネタに入って行く。ほほう、きょうは『野ざらし』ですか。「葦を分けてみてみると何があったと思う? これがなんと、しゃれこうべ」 「えっ? 新幹線でいらしたんですか? 新神戸」 「いや、しかばねだよ」 「京浜東北線ですかい? 赤羽」。調子ものの八っつぁんの感じがよく出ている。

        トリのたい平の前に柳家小菊が三味線を持って現れ、いい音色を聴かせてくれた。「寄席スタンダード・ナンバー、への一番。三部作でございます」 それでは第1楽章♪カエル ピョコ ピョコ ひとヒョコ、にヒョコ・・・・・・・・・・。第2楽章♪ヘビがニョロニョロ・・・・・・・・・・。それでは第3楽章♪ナメクジがヌラヌラ・・・・・・・・・。面白くて粋で色っぽい小菊ねえさん、いいな、いいな。キャイーン。

        さあ、林家たい平だ。「私にも前座時代ってのがありまして、前座っていうのは寄席での仕事が多くてたいへんだっんですよ。座布団ひっくり返して、メクリひっくり返して、楽屋じゃ師匠の湯呑ひっくり返して怒られて」。林家三平の流れをくむ、客の心を掴む爆笑小噺のようなものを、矢継ぎ早に繰り出してくる。高座でも立ったり座ったり寝転んだり大暴れだ。これが一転ネタに入ると、ちゃんとした落語になるから凄い。しかもサービスたっぷりのクスグリが盛りだくさん。三平落語をいい意味で進化させていると思う。

        爆笑漫談が20分以上続き、笑い転げている客に「大丈夫ですよ、ちゃんと落語やりますからね」。さあネタに入るぞというところで、「うっ」と詰まって第一声が出てこない。国立で『反対車』やったときもそうだったなあ。でもそれがまた笑いを誘うから可笑しい。気を取りなおして演ろうとすると、今度は客席で空き缶がカランカランカラン。「あっ、もう大丈夫でしょうか? いいですか、落語に入りますからね」。

        ありゃ、きょうのネタは『船徳』じゃないの! 私は中学時代に先代の桂文楽のレコードを一枚持っていた。それが『船徳』だった。B面が『うなぎの幇間』。このふたつの噺はもう何回となく聴いた。「四万六千日様(しまんろくせんにちさま)、お暑い盛りでございます」。これ、真夏にやるネタだよねえ。でも、いいか。ありゃ、季節を春にして花見に変えてるよ。古典を演らせても、たい平のことタダではすまない。もう汗だくの大熱演。「おーい、船頭さん、早く船を出しとくれ!」。そこへ間が悪くというか間が良くというか、客席の携帯電話がツルルルルと鳴ってしまう。「おーい、携帯電話も鳴ってるよう! 船頭さん早く出しとくれえ!」。

        「竿はいいかげんにして、そろそろ櫓にしておくれえ」 「へい、こうでしたかな、こう。こう。志ん朝師匠が櫓を漕ぐ手つきてえのは」。もう、どうにでもしてくれい! たい平、面白すぎるぞー! 本来は、「お客さま、着きましたら船頭をひとりやとってくだい」でオチになるのだが、たい平のはそんなことではすまない。例によって落語ファンには驚天動地のたい平流のオチが用意されている。それは、ふふふ、聴いてのオ・タ・ノ・シ・ミ。


April.7,2001 志ん朝を聴ける幸せ

4月1日 池袋演芸場四月上席夜の部

        今年になってこのコーナーを突然に作り、しかもほとんどが落語を聴きに行った話ばかりなので驚いた方もおられるだろう。別に今年になってから急に落語好きになったわけではなく、私の落語好きは中学生の頃まで遡る。その後、一時熱が冷めたが、それでもけっこうホール落語の類には足を運んでいた。

        一昨年からホームページを始めて、落語会のレポートのようなものを書きたいと思っていたのだが、いかんせん書き方が分らない。そんな折の去年の年末、私は一冊の本に出会った。『新宿末広亭 春夏秋冬 「定点観測』。この話は先月、[アームチェア]に書いた。「そうかあ、こうやって書けばいいんだ」 まさに目から鱗でしたね。そんなわけで、今年の初めから猛烈な勢いで落語を聴きに行くかたわら、このコーナーを書き始めたというわけです。

        そして、よせばいいのに、何と私は『新宿末広亭』の著者、長井好弘さんにファン・レターならぬファンEメールを打ってしまったのだった。しかも、ずうずうしくもこのコーナーのアドレスまで付記して。長井さんは優しい方だった。私の未熟で乱暴なこのコーナーの文章を読んでくださり、すぐさま返信メールをくださった。

「寄席定席のリポートがないのが、ちょっとアレですが、面白い面白い。時々自分の文章を読んでるような感じがするのは、きのせいだろーか」

        しまったあ。書き方が分らなかったからといって、他人の文章を真似するのはよくない。このメールをいただいてから、一生懸命になんとか自分の文体を作り上げようとしているのだが、どうしても長井さんの亜流になってしまう。ごめんなさい、長井さん。そしてもうひとつ、私は長いこと定席に行っていないのだった。どうも生意気にも定席を軽く思っていた節が私にはあったようだ。よし、もう一度、定席から始めてみようではないか! 今月から定席にも通うぞ! 情報誌を広げる。おおっ! 池袋演芸場の夜の部のトリが古今亭志ん朝師匠ではないか! う〜ん、定席通いを再開するにはうってつけの番組ではないか! よし、これは行くしかない!

        という訳で、行ってきました、池袋演芸場。ここの地下に入るのは何年振りだろう。本来なら、昼夜入れ替え無しだから、昼トリの喬太郎あたりから見たかったのだが、この日は町会の花見があったり、翌日の仕込みがあったりで、池袋演芸場に飛びこむことができたのが、夜の部が始まるギリギリ。喬太郎が見れなかったのは心残りだけど、今度また昼の部を見に来ようっと。満員の客席にようやくひとつ空席を見つけて席につく。

        古今亭朝松(ちょうまつ)が、型どおりの前座噺『道灌』を演る。がんばってね。

        さあて、いよいよ始まるぞ! まずは古今亭菊若。マクラにドモリの小噺を続けたあとで、「今日は4月1日、エイプリル・フール。私は、この日はこの噺と決めております」と言って始めたのが『弥次郎』。なるほど、この噺があったかあ。大ウソつきの弥次郎の話。これを持ってきただけで、菊若技あり。なんせ、トップ・バッターだもん、やった者勝ち。後の出番の人達はネタ帖を見て、「ああっ、この噺もうやられちゃったかあ」と口惜しがったかもね。イノシシの金玉を捻って、イノシシが悶絶しているスキに止めを刺そうと腹を切り裂くと、手に手に刀を持ったイノノシの子供が飛び出してきて、「やあやあ、おとうちゃんの仇・・・」 ここで菊若、客席に向け「さて、イノシシの子供は何匹出てきたでしょう」。へへえんだあ、今日はみんな志ん朝師匠を聴きに来てるんだ。大の落語ファン集団だぜ、この噺は何回も聴いてらあい。客のひとりが「イノシシだから、シシ16!」 するとすかさず菊若「私思いますに、死んだシシから生まれたんですから、シサン(死産)12、あるいはシゴ(死後)20」って、これがオチかい! すーっと引っ込んじゃった。 これまた技あり。よおし、一本!

        是非見たかったのが漫才の笑組。長井さんの本にもたびたび出てくる寄席の若い漫才師だ。「私達のこと知らない人多いでしょうね。なにせテレビにほとんど出ていませんから。今年も正月の寄席中継のときに浅草演芸場にいたんですよ。ところが二元中継で、出番が中継と中継の間」。テレフォン・ショッピングのネタと二時間サスペンス・ドラマをからかったネタで、客席をドッと沸かせて、オアトと交代。

        古今亭志ん馬がびっくりした顔で高座に上る。「いつもの池袋の調子で上がってしまったら、大勢のお客さまで・・・」。いつもはガランとしていることで有名な池袋演芸場。バカ言っちゃいけない、今席のトリは志ん朝師匠ですぜ! 東京中の落語ファンが集まってるんだい! 「離婚の原因の多くは、夫の浮気なんだそうで・・・」と『紙入れ』を始める。今では浮気相手なんて味のない言葉になっちゃいましたが、落語の世界では、いまだに[間男]なんてえ言葉が死語にならないで残っている。機転の効く内儀さんも落語世界ならでわか。そういえば内儀なんてえ言葉も死語になってきたなあ。志ん馬、久しぶりに見た。やはり、定席、来なくちゃなあ。

        次の林家たい平を楽しみにしていたのに、何と代演。古今亭右朝。ちょっと、ちょっと待ってよお。また志ん朝一門かい? これじゃあ、中入り前までは、このあと志ん橋、志ん五、志ん駒って、志ん朝一門会になっちゃうじゃないの。せっかく定席に来たのだから、いろんなところの人が見たいよなあ。「代演で失礼いたします。今日のお客様は、志ん朝師匠お目当てでございましょ? でも分りませんよ、寄席には代演制度というものがございますから、志ん朝師匠、お出になるかわかりませんよ?」 ええーっ! 止めてよお、そんな冗談! ネタは『六尺棒』。

        奇術の松旭斎美智。サイコロの手品、ハンカチの手品、レコード盤の手品に続けて、ロープの手品に入る。最前列の若い男性にロープを切らせてから、この男性を集中的に客イジリする。ははあ、これかあ、長井さんの書いていた客イジリってえのは! さんざからかって、「ねえ、今日は誰を目当てにいらしたんですか?」 「古今亭志ん朝師匠!」 「・・・・・・・・・もう一度訊くわね、誰を目当てにいらしたの?」 男性しぶしぶと「松旭斎美智!」 「そうそう、そうでしょう。でもね、私も志ん朝一門なのよおん」 ゲゲッ、今日はすっかり志ん朝一門で固められているのかあ。最後はお札の手品で、またくだんの男性をからかって引っ込む。この人が出るときは最前列はよそう。でも、私はもう若くないから大丈夫かもね。

        古今亭志ん橋は『出来心』。泥棒の親分の役がドスが効いていて上手い。子分の新米が泥棒に入った話を親分に聞かせる。「金のありそうなウチに入れって親分が言ってましたでしょ。こないだね、大きな庭のウチを見つけたんですよ。花壇がありましてね、鶴の噴水まである。それに何とテニスコートまで付いている」「そいつぁ、大金持ちの家だなあ」「これが親分大笑い。そこは何と日比谷公園」

        次の志ん朝一門は古今亭志ん五。「桜が満開でして、そんな時に花見もせずに、よりによって落語を聴きにいらっしゃるなんて、これぞ真の落語ファン」 えへへ、昼にはもう花見は済ませてきましたよう。むむっ、今日はたいこもちの話かあ。あっ、『幇間腹』ね。このところ不景気だとボヤきまくっている幇間の一八のモノローグが可笑しいと思いきや、若旦那の前に出たとたんに、ガラッと変わってたいこもちになる変わり身が見事! 「いよっ! さすが若旦那! おそれ入谷の家具センター!」

        俗曲の柳家亀太郎が三味線を小脇に登場。いきなり、世界の国とその首都を折りこんだ『世界めぐり』なる曲で客席のドギモを抜いたと思ったら、次が三味線で『ラ・クンパルシータ』ときたもんだ。さらにはベートーベンの『運命』のサワリを披露。どうなることかと思っていたら、次は寄席の音曲を披露してくれた。三味線を習い始めたころに最初に習ったという『数え歌』を弾いてみせ、「これが慣れてくると、こんな風に変化してきます」と、オカズ入りの『数え歌』を弾いてみせる。さらには『竹に雀』。おやおや、三味線教室が始まったよ。三味線の部品の説明から、本調子、二上がり、三下がりのコードの説明。そして最後はバチを取って『たぬきの腹づつみ』とごさい! いやあサービスたっぶり!

        中入り前は古今亭志ん駒。「『笑いとは長寿の国へのパスポート』っていい言葉だと思いませんか? アタシの嫌いな言葉は、[ウソ、キャンセル、督促状]。反対に好きな言葉は[御祝儀、寸志、車代]。サラリーマンの皆さんはいいですなあ、私はボーナスなんて貰ったことがない。きっと皆さんは60.8ヶ月分くらい貰ってるんでしょ。でも12月は寄席にお客さんは来ませんなあ。なにしろ12月は英語でDecember。出銭バーですもんね」と立て板に水の早口でボンボンと飛ばしていく。このままネタには入らず、海上自衛隊にいたころの話から、志ん生師匠の逸話まで。うふふ、面白いなあ。これならネタ演らなくてもいいから、いつまでも聴いていたい。「今日のお囃子はおまささんですね。この人『雨あがる』にも出たんですよ。それじゃあ、ここで踊りをひとつ。数あるレパートリーから・・・いつものやつ」

        中入り後出てきたのは、三遊亭歌之介。ありゃ、これはきん歌じゃないの。昔、[実験落語会]でよく見たんだよ、この人の高座。そうかあ、今は歌之介っていうのかあ。いけない、いけない。定席へ行くのをサボっていると、このザマだあ。この人、ちょっと痩せちゃったんじやないかなあ。「誰が目当てか分っております。では1時間半ほど演ってトリの方と交代・・・」 ドッと笑いが来る。そうなんだよなあ、みんな志ん朝を聴きたくてここに集まっている。なんだか、舞台と客席が一体となって、トリの志ん朝を待っている感じだ。「最近、ウチの女房をみてますと、妻という字が毒という字に見えてくる」 「みなさん、今度から旅客機のファースト・クラスには風呂が付くことになったのをご存知ですか? 戦闘(銭湯)機って言って。行き先はもちろんニューヨーク」 こんなことを独特のリズムで流れるように話していく。長井さんが「このおかしさを文字で伝えきれないのがもどかしい」と書いておられるが、まさに同感。きん歌時代から、ずーっとこの調子らしく、この面白さは本当に聴いてもらうしかない。ネタには入らず、客席をドカンドカン沸かせて引っ込んじゃった。

        やる気なさそうにして柳家喜多八が出てくる。このやる気なさそうなのが、この人のキャラクターらしい。立ち食いそばの話から、「春は芽、夏は葉、秋は実、冬は根を食べると申します。竹冠に旬と書いて筍ですな」と始めたのが、かなり珍しい話。私は以前一度どっかで耳にした憶えがあるのだが、何処で誰だったかまったく思い出せない。家に帰ってインターネットの検索を入れてみたら、こんなのが出てきた。そう、『たけのこ』という噺なんですね。ふふふ、このオチがカワイイ。ちょっとこのオチを演るのが恥ずかしい人も多いだろうなあ。喜多八のキャラクターに合ったオチとも言えるんだけど。

        トリまで残すは、翁家和楽社中の太神楽。和楽、小楽、和助の3人が、笑いすぎた観客の頭の中をリフレッシュしてくれる。それにしても見事な曲芸だなあ。

        盛大な拍手の中を古今亭志ん朝が出てくる。毎度ながら、そんなに期待されとも困るんだがという表情で話始めるのだが、ネタに入るとその表情が一変し、噺の中に入っていくのが感じられる。うんうん、今夜は廓の話か。何だろう。『三枚起請』かなあ。あっ、『お見立て』だあ。イヤな客を追い出そうと花魁が、自分は死んだことにしてもらうことにする。「死因はどうしましょう。そうですね、野垂れ死になんていかがで」「野垂れ死にはいやねえ。そうだ、よく似た言葉で焦がれ死になんてどうかしら。旦那に逢えないのを苦にして死んでしまったなんて」 立見まで出ている客席は、志ん朝の芸を頭の中に刻みつけるように食い入っている。大きなホールで志ん朝を見たことがあるが、あれはつまらなかった。やっぱり小さな空間で、この同時代を生きている名人の高座を見る方が何十倍も楽しい。なんて贅沢な時間だろう。

        ようし、今度から、積極的に定席にも通うぞ!


April.1,2001 小宮孝泰の大きな財産誕生

3月25日 小宮孝泰ひとり芝居『接見』 (中野スタジオあくとれ)
       星屑の会 ルーズ ワンズ ウェイ #1

        小雨模様の天気の中、中野南口を会場目指して歩く。ときどき地図を見ながらキョロキョロ。あった、あった! 小宮さんのアップの写真のポスターが見えてきた。

        前説に、小宮さんとは[パンタロン同盟]で一緒の春風亭昇太と清水宏が上る。

「毎度のことですが、携帯電話、PHSなどの音の出るものは電源を切ってくださいね。芝居の途中で着信音が鳴ったりしますと、小宮さん、やる気を無くしちゃいますからね」
「そうですよ、小宮さん、泣きますからね。本当に泣き出しちゃいますからね」
「トイレは、舞台の袖にありますから、行きたい人は今のうちに行っておいてください。芝居の途中でトイレに行く人がいたりすると、小宮さん、やる気を無くしちゃいますからね」
「小宮さん、泣いちゃいますよ。それとですね、嘔吐
「えっ! 嘔吐!?」
「芝居の途中で吐かないように。小宮さん、泣きますよ。一度、本当に私が落語を演っているときに吐いたお客さんがいて、会場が落語どころじゃなくなっちゃったことがありますからね」

        舞台には簡単な机と、椅子が一脚だけ。

        これが、留置場の接見室という設定だ。真っ暗な舞台が、上からのスポット・ライトに照らされると、小宮孝泰の弁護士が座っている。暗黙の了解として、机の前にはガラスが張られており、その向こう、客席側に容疑者が座っているということになる。

        当番の国選弁護人としてやってきた小宮孝泰が、観客には見えない容疑者と話を始める。深夜のスナックで酔っ払って、行きずりの男を殴ってしまった容疑で逮捕されてしまった男。本人は殴っていないと主張している。観客には見えないし声も聞えないこの男との会話だけで、物語が進行していく。

        私にとって、最初のひとり芝居を見た経験というのが、加藤健一の『審判』。モノローグで構成されているひとり芝居で、内容が暗い上、モノローグだけで2時間というのが私には無理があるように思えた。ひたすら苦痛な2時間で、二度とひとり芝居だけは行くまいと決心した記憶がある。それがイッセー尾形などの登場で、ひとりだけでも十分に人を引きつけることができるということが証明されたように思う。

        作・演出の水口龍二の脚本がよくできている。感心したのは、[オウム返し]がほとんど無いということだ。[オウム返し]とは例えばこういうこと。電話なんかのシーン。テレビの刑事ドラマでよくあるでしょ。刑事が電話をとる。「はい、こちら捜査1課。何!? 殺し!? 何処でだ!?・・・・・ 新宿?・・・・・ うん、歌舞伎町か・・・・・コマ劇場裏のゲイ・バー[ゆたか]。で、ガイシャは?・・・・・ 中年の男? 身元は? うんうん、運転免許書によると井上恵司・・・・・なに! ゲイ・バーのマスターが犯人を目撃したって!?・・・・・うん、岡山弁を話すトドのような体型の男・・・」てな具合。セリフで全てを直接説明してしまう。こういうのってシラけるんだよね。ところが、『接見』はよくできていて、[オウム返し]を極力排除して書かれている。演者のセリフと動きだけで、相手が何を言ったのか自然と類推できるように作られている。

        小宮孝泰の、この弁護士の造形がまた上手い。水口龍二も最初から小宮を念頭に置いて書き下ろしたのだろうが、ぴったりの役回りだ。苦労して弁護士になり、なんとかこの道で食べているが、娘にはバカにされているどこにでもいる平均的な父親でもある中年男。時々身体のアチコチの筋肉が痙攣を起こす原因不明の持病を抱えている。途中で発作が起きて苦しんだかと思うと、ある瞬間からケロッと治ったりする。その変わり身が可笑しい。

        1時間10分ほどの芝居であるが、ラストで物語の真相が語られ意外な方向に進む。最後に接見室を出ようとして、また発作かと思わせて、椅子の背に背中を擦りつけ「痒い痒い!」のしぐさには大笑いした。見事な幕切れ! 小宮さん、水口さんからいい芝居を貰いましたね。これからも、もっとこの芝居、練りこんでいってください。

 

―――おまけ―――

        終演後、近所の居酒屋に場所を移してウチアゲ。一緒に行った友人の川端コーセイらと隅の席で盛りあがっていると、疲れた顔の小宮さんがやってくる。

「いい芝居でしたね。やはり、ひとり芝居となると落語をやった経験が参考になったんじゃないですか?」
「落語っていうのは、ひとりで何役も演じるってことでしょ。それがひとり芝居というのは、
相手の演技を頭の中で想像して、リアクションしなくちゃいけない。ちょっと違うものですね」
「それにしても、いい芝居を貰いましたね。これなら身体ひとつで、何処へ行ってもできる」
「今ね、ロンドンへ国費留学できないかなと思ってるの。その一環として、外国で英語で『接見』を上演できないかなと思ってね。ドメスティックなネタとして『雨の慕情』とか出て来るから、そこのところをどうするかってこともあるけど、是非やりたいなあ」

        いいなあ、いいなあ。期待してますよ、小宮さん。

        石井光三社長が舞台の片付けの陣頭指揮を終えて駆けつけて来る。今回の公演が無事に終了したことを祝って、社長挨拶

        間違えるといけないから、紙に書いてきたという祝辞を読み上げる。あとで紙を見た小宮さん、「社長、大分アドリブが入ってたじゃないですか!」

        小宮さん自ら、大入り袋の手渡し式。スタッフひとりひとりに、感謝のコメントを添えながら、大入り袋を渡していく。前説をやった春風亭昇太師匠にも!

小宮さん、渡しながら昇太さんにひと言。
「落語とひとり芝居の違いは何でしようね」
落語はあんなに長くない

        そして、作・演出の水口龍二にも! よおし、日本一!!

        座が和んだところで、昇太師匠に話しかける。前から一度話してみたかったんだ。

「先月の国立『花形演芸会』の高座、拝見させていただきました。あの『花粉症寿司屋』のネタ、面白かったですよ。あれ、いつごろ出来た噺なんですか?」
「2年くらい前ですかねえ。花粉症の時期になると演っているんです」
「そうですか。オチが『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を使ってましたけど、以前はどういうオチだったんですか?」
「『タイタニック』を使ってました」
そうか、そうかあ。来年は何を使うのかなあ。

        石井社長には、先日の『我らの高田“笑”学校』でのことを聞いておかなくちゃ。

「『我らの高田“笑”学校』の高座、拝見させていただきました」
「そうでっか。ごらんいただけましたか」
「足がお悪いとか」
「骨なんとか症いいましてな。正座できまへんのや」
「高座で、座布団を脇によせてお話になってましたね」
「昔は
前座扱いの者は、座布団を使ってはならないというキメがあったんですわ。その話、あのあとウチアゲで高田先生にしましたらな、先生も知らなかったって、その話、『毎日新聞』のエッセイで、そのあとで書いてくれてました」

        側で聞いていた昇太師匠も知らなかったと言って、興味深げ。

「あのときの、俳諧師の噺、珍しいですね。どなたかに習った噺ですか?」
「昭和19年ごろから21年ごろにかけて、
桂右之助いう人にサシで習った噺ですわ。今は誰も演らなくなってしまった噺ですが、死んだ枝雀が教えてくれいうて、私が教えたことがおましてな、高座でマクラとしてかけたことがおます」
「そうすると、その師匠からは他にも教わった噺があるんですか?」
「もう4〜5本あります。高田先生には『また演ってくれ』言われてます」

        今では誰も演らなくなってしまった噺、是非後世に残したいなあ。

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