June.30,2001 新作落語中興の祖、円丈!

6月23日 高田文夫特別プロデュース
       第13回きたくなるまち区民寄席
       新作落語シンポジウム (北とぴあ つつじホール)

        [売切御礼]の文字がポスターに書き込まれていた。なるほど会場に入ると満員。早めにチケットを取っておいてよかった。北区といえば、つかこうへいが北区つかこうへい劇団を作ったりして、やはりこの北とぴあホールで、よく公演をしたりしている。芸能には理解のある地域だ。他の区も見習って欲しいもんだよなあ。

        桂米二郎。「大家さんがね、とても親切にしてくれるんですよ。元気ですか? とか言ってちょくちょく顔を出してくれる。ただ、いつも来るのが毎月25〜27日ごろなんですよ。どうも家賃の催促らしいんですがね」。こうして始めた落語が、ありゃ、『粗忽の釘』。おいおい、新作落語シンポジウムじゃあ無かったのかあ? 長屋に引っ越してきたあわて者、隣の家に突きぬけるくらい長い釘を打ちこんでしまい、隣に話しに行く。「お宅に出ている釘、ウチのだから勝手に使わないように!」

        林家彦いち。この人の話術は、本当に巧みになってきた。どうってことない短い出来事を、引っ張って、引っ張って、ストンと落とす。この日のは、街を歩いていたら、知らない人から声をかけられる。「アーッ、アーッ!」って笑っている。分らないから、会釈して返すと、まだ「アーッ!」。お前は誰だあと思っていると、相手が「アーッ、ハハハハハ、同じ服!」 「ユニクロですよね」と答えておいたけどね勝手にしろ――だ! 他にも山手線のイチャイチャ・カップルの話。軍歌を鳴らしながら細い路地まで入ってきた右翼の宣伝カーらしきものの正体は・・・とか、上手い、上手い。もう何回も聴いたけれど、それでも笑ってしまう。ネタは、葬儀屋の奥さんが考え出した価格破壊葬儀屋[ワクワク葬儀店・ザイム]の噺。「棺桶ふたつで一万円! なんてのどうかしら。あるいは、棺桶をもうひとつプレゼント――とか」 「会員カードも作りましょう。裏にね、10個の枠を作って、ひとり死んだらハンコひとつ。不慮の死だったらハンコふたつ。全部貯まったら、ひとりタダ」

        三遊亭円丈。「北区はいいですねえ。こんな立派なホールがあって、こんな催し物があったりして。そこへいくと私の住んでいる足立区は、東武線1本で東京と繋がっているだけですからね。東武線のポスター見て、びっくりしました。「やめましょう! 電車に石を投げるのは!」。北区を持ち上げておいてパソコンの話へ。「噺家もホームページを持つ人が増えました。毎日更新したりしている。だけど、自分のネタは二年間更新なし」 「それにしてもパソコンの日本語ってどうにかならないものですかね。[環境を設定してください] [一般保護違反です] [不正な処理をしました] 何のことだか分らない」。そうそう、パソコン歴の長い円丈師匠でも分らないんだもん、私だって分る訳ないよなあ。ネタは『振り向けば』を演るつもりが、小道具を忘れてきたとかで、急遽『いたちの留吉』に変更。3年6ヵ月の刑が、間違われて36年の務めでシャバに出てきた[説教するヤクザのオジサン]がハンバーガー・ショップに就職するまでの噺。

        中入り後は抽選会。この日の出演者のサイン色紙が当たるというもの。私は、やっぱりハズレ。クジ運悪いんだよなあ、昔から。

        東京ボーイズ。『ああ! 新撰組』を歌ってから、ネタの新撰組の寸劇。たった三人で新撰組を演るから、ひとりで何役も演ってタイヘン。「ところで山崎くん、勤皇の動きはどうなっている?」 「きんのうはですね、ジャイアンツまたベイスターズに負けちやいましたね。ダメですね。新庄のツメのアカでも飲ませたい」 「きのうじゃないんだよ。勤皇!」。近藤勇を鶴田浩司や三船敏郎の物真似で演ったかと思えば、眠そうな仲代達也、小泉純一郎、長島茂雄にまで近藤勇を演らしてしまう。鳥羽・伏見の戦いが始まる。「隊長! 弾が飛んで来ます!」 「タマ!? そんなのグローブで取っちゃえ!」 「敵は新式の銃です!」 「ジュウで驚くなよ、ニジュウで行け」 「敵は、大砲を使ってまいりました」 「柏戸でいけ・・・古くてお客さん分らないじゃないか! 新しいのでいけよ」 「ええと、敵は武蔵丸を使ってきました」 「では貴乃花を使え・・・ぜんぜん受けないじゃないかよ!」 「ええと、じゃあ曙、カマボコ・・・」。シメは、きょうも何故か短い『中ノ島ブルース』。

        春風亭昇太。「思い起こせば私も、いろいろな賞を貰いました。NHKの新人演芸コンクールから始まって、芸術祭の賞まで貰いました。でもひとつだけ貰えなかったものがあります。北とぴあ若手演芸賞! 口惜しかったですね。北区の方が審査員! 何を見ているんだろう、この人たちは・・・!」。このあと、いつものマクラが始まる。花見の席とりに行かされた話をしていて、「私なんて中途半端に有名でしょ」と言ったところで、「そんなことないよー」と、ノンビリした掛け声。ネタは『人生が二度あれば』。

        彦いち、昇太、円丈に高田文夫を交えてのトーク。高田文夫が円丈を、新作落語の中興の祖として紹介する。そうだよなあ、円丈が出てくる前は、新作といえばサラリーマン落語みたいのばっかりで、このままでいくと新作は滅びてしまうんじゃないかと思われたものだった。円丈の登場してきたころの私は、ちょうど古典のホール落語に飽きがきている時期で、定席にも背を向けていたから、円丈が主催する新作の落語会にしか行かなくなっていた。そこは、円丈を頭にして、新しい落語を作り出そうとする息吹きがあった。何しろ新しいものを作り出そうというのだから失敗作も多く、一度の落語会で面白いものがひとつもないなんていうこともあったが、私は飽きることなく年に何回かは足を運んでいた。

        円丈師へのインタビューが続く。古典の円正に弟子入りしたのはどうしてか? という質問に、「芸の基本を知りたかったからですね。これは正解だったと今でも思っています。実に細かく教えていただきましたよ」 「いろいろと実験的なことも演りましたよね」 「ええ、紙ヒコーキ飛ばしたり、ラジコンを使ったりね。うまくいかないことも多くて・・・」 「文珍さんが初めて円丈さんを見たときに『黒船が来た』と思ったそうですよ」

        彦いちも昇太も、やはり円丈にあこがれて、この世界に入ってきたのだという。昇太は最初に誰の弟子になるか迷ったという。そこで絞り込んだのが、柳昇、円丈、川柳。まず、川柳が消えた。「よく考えたら、あの人は遠くで見ていた方がいい。富士山みたいなもの」。それと柳昇の落語は一般的で、「これは商売になると思った」。そして、「芸協にはライバルがいなかった」。へえー、昇太って、案外計算高いんだあ。

昇太「ウチの師匠、もう83歳ですがね、まだ新作作ってます。『最近できなくなった』とは言ってますがね」
円丈「私は今でも、年間10本くらい作ってますね。でも、いいとこ1割しか残らない」
彦いち「私は長く作って、何回か高座にかけて、刈り込んでいくやり方ですね。だんだん変わっていく」
円丈「ギャグを作らせたら、もう、今の若い人の方が上手いですね。ただ、私の方がまだ、全体の構成、人物描写は上だと思っています」

        高田文夫が「昇太は最近、古典演りたがっているんですよ」。それに対して昇太の答えというのが、「『古典出来ないから新作演ってるんだ』と言われたりするんですよ。口惜しくってねえ。それで、古典演ってみたら客がよく入るんですよ。これは金になるなと・・・」。おいおい、昇太さん、ホントにそんなこと考えてるの?

        それに対して円丈は、まったく古典を演る気はないと言いきった。「演りたくありません!」の力強い一言に、私は感動してしまった。円丈師匠! やっばり私も着いて行きます!


June.26,2001 団体さん、静かにしてね

        アンジャッシュのDVDが出た。これは、NHKの『爆笑オンエアバトル』で放送されたもののうち8編を収録したものだが、驚いたことに私は6本のネタは見ている。よく練り上げられた台本、緻密な構成、演技力、これぞ私の一番好きなタイプのコントなのだ。人によっては、こういうアドリブ性のないコントを嫌う人もいるかもしれないが、騙されたと思って是非みて欲しい。若手コントの中では、私には1歩突きぬけているように思うのだ。

6月17日 上野鈴本演芸場中席昼の部

        この日もオバチャンばかりの団体さんがざっと5〜60人。ドヤドヤと入ってきて幕が開く。

        前座は林家ふく平。ネタが『子ほめ』。がんばってね。

        いきなり奇術から。本当は仙三郎、仙之助の太神楽なんだけど、休演なのでアサダ二世の奇術が入っちゃった。「きのうのお客さんは可哀想だった。私、お話だけで終わっちゃった。お客さん、道具見ただけ。きょうはやる気ですからね」。この人、毎回こんなこと言ってるみたい。この人のトークだけっていうの一度聴いてみたいものだなあ。スカーフの手品。「手品っていうのはね、あまり鮮やかにやっちゃダメ。拍手するのを忘れちゃう」。ハハハ、拍手の催促かな? 前回も見たトランプを一枚引かせて、それを風船の中から出して見せる手品。一番前の客にトランプを切らせて、「切るの上手いね。毎晩やってるんじゃないの?」 「風船がふたつあります。黄色とダイダイ色のやつ。どっちが好きですか? 黄色? じゃあダイダイ色のやつ膨らませて」 別にマジッシャンズ・チョイスじゃあないよなあ。「膨らませるの上手いね。毎晩膨らませているんじゃないの?」

        五明楼玉の輔。いつものツカミになるマクラから『動物園』へ。玉の輔のは『珍獣動物園』ともいうもの。紅白のガラのパンダとか、いい匂いのするスカンクなんてのが出てくる。黒いライオンのヌイグルミに入るハメになった主人公、「エサとして生の馬肉を放るから、お客さんの前でガツガツと食べるように」と言われて、「鍋にできないかなあ。お銚子2本つけて、芸者さんもつけて」 「だめだめ、それじゃあライオンがトラになっちゃう」

        三遊亭歌武蔵が休演。トラがなんと柳家権太楼。もうけ、もうけ。こういう代演なら大歓迎。気の長い人のウチに気の長い泥棒が入ったという小噺。不精者の小噺(「これだけ不精者が集まったんだから不精者の会作ろうか?」 「よそうよ、めんどくさい」)とやって『長短』へ。私が父に連れられて初めて寄席に行ったのが東宝名人会。トリが柳家小さんで、『長短』だった。これを聴いた瞬間に落語の魅力に取りつかれてしまったんだから、私にとってはいわくつきのネタ。権太楼のも上手いねえ。気の長い人が饅頭を食べる様子が可笑しいの。膝に落ちたカスを拾って食べるとこなど芸が細かい。小さんのは羊羹で演ってたなあ。

        林家彦いちは山手線のイチャイチャカップルの話から、例のドキュメント落語。緊急停車したJR車内での、ヘッドホン・ステレオから大きな音を漏らしている10代後半の[キレる若者]事件の噺。普通、数十秒もあれば語りきってしまう話なのだが、彦いちにかかると、微に入り細に入り、その描写の上手いこと! まったく話術の巧みな人だ。

        漫才のすず風にゃん子、金魚、この日は白の衣装ね。「金魚ちゃんてカワイイでしょ?」豆タヌキみたいな金魚にドッと拍手。「あら、きょうは拍手が多いですね」。ネタはまた[胎教]の話。

        柳家小せん休演。トラの桂文朝は『初天神』。天神様に連れてってくれとせがむ子供がやがては居直ってしまう。「よおし、連れてってくれないなら、向かいのおじさんに、おとっつぁんとおっかさんのこと話してきてやるからな!」。向かいのウチに行って、「あのね、きのうの夜、ウチのおとっつぁんとおっかさんが、アタイのこと早く寝かしつけちゃってね、おっかさん化粧なんてしちゃってね、ふたりでイソイソと布団の中へ・・・」。こりゃたまらねえと呼び戻して一緒に天神様へ。夜店のところに行くと、さあ始まった。「ねえ、おとっつぁん、何か買っておくれよ、何か買っておくれよ、買っておくれよ、買っておくれよ、買っておくれよ・・・。おとっつぁん、どうして聞こえないふりしてんだよ」 「うるせえなあ。これ以上言ったら、籍抜いちゃうからな!」

        柳家喬太郎は、お得意のハブの小噺から入った。このころから団体さん中でオバチャンがふたりペチャクチャと世間話を始めてしまう。それが妙に耳に入ってきてうるさい。気になってしょうがない。池袋案内が始まる。西口の喫茶店[サルビア]。「ここは、何でもあります。トースト、スパゲッティ、ピザ、ハンバーグ・ライス。まあ、このへんはどこでもやっているから驚きませんが、なんと、たぬきうどんがある。讃岐じゃないんだから・・・。それとアイス・コーヒー。ビールのジョッキに入れてくるんですよ。[キリン]って書いてある」 「もうひとつ純喫茶蔵王もある。ここは、コーヒーのお代わりは出来ませんが、トーストは食べ放題。トーストなんてそんなに食べられませんよ」。こんな漫談みたいなのが続く。面白いなあ、今度は浅草編、上野編、新宿編を演ってくれないかなあ。「夏らしく『怪談牡丹灯篭』をみっちりと演ろうと思ったのですが、お時間がきてしまいまいた」

        また団体さんが入ってくる。お茶子さん、補助椅子を出したりしてタイヘン。三味線漫談の三遊亭小円歌。「待ってましたア!」の掛け声がかかる。「ほんとに待ってましたあ? にゃん子ちゃんや金魚ちゃん、そして私みたいにカワイイ女も寄席に出てるんですよお。あら、半分くらいの人はそう思ってないようで・・・」 「私は円歌師匠の弟子なんですよ。山のアナアナ・・・なんて演ってた人、ご存知ですか? 私の名前は小円歌。小で切らないでね。そうするとアタシの師匠死んじゃうの(故円歌)」 「三味線漫談演っているの、今やふたりだけ。あとの人みーんな死んじゃったの。私以外では玉川スミさんだけ。もうスミさんも80超えてるの。もう三味線漫談は演芸界のトキ。絶滅寸前。人口孵化も出来ないのよ」。三味線弾きながら、笑わせてくれる。最後は立ちあがって踊り。「『やっこさん』と『かっぽれ』どちらがいいですか?」。客席から「かっぽれ!」の声。「よかった。この前なんてこう言ったら『東京音頭』やれなんて・・・。神宮球場行って自分でやってくださいな」

        春風亭正朝は『金明竹』。「だんはんいらはりまっか」 「えっ!? たどんやさん?」

        古今亭円菊が、団体さんが入っているときにやる小噺から始める。「茨城の団体の方はどちらですかな? ははあ、さすがに上品な顔の方が多い。それと長野の団体の方は? ははあ、さすがに上品な顔の方が・・・って、二つ言うと面白くない・・・。ええっと、茨城の小噺と長野の小噺があるんですが、どちらを演りましょうかね。まっ、どちらでも同じなんですがね。茨城の人の方が人数が多そうだから、代表して茨城の小噺。ある人に男女同権って何だって訊いたらね、旦那もおかみさんも茨城県だって・・・。あの、これ長野でも同じですよー」。ネタは『粗忽の釘』。名人志ん生直伝の面白さを今に伝える人だ。ほーんと、なんとも可笑しいんだよなあ、この人の噺。茨城の団体さん5〜6人が立ちあがってロビーへ出て行く。ねえ、次は中入りなんだから、もう少し聴いてなよ。面白いんだから。

        中入り。ありゃ、長野の方の団体さん帰っちゃったよ。ええっ! 小円歌、正朝、円菊と、みっつしか見ないで帰っちゃうの? もったいないなあ。

        中入り中の場内アナウンスの中で、「上演中の私語はご遠慮ください」と流れたのだけど、そんなことを聞いているオバチャンじゃない。中入り後、漫才のあした順子、ひろしのトラ、ギター漫談のぺぺ桜井が出てきても私語が止まない。私の席は中ほどで、注意に行きたくても出られない。困っているとある男性が「いいかげんにしてくれ」と注意に行ってくれる。こういうの、お茶子さんが何とかしてくれないとなあ。キレる若者じゃなくて、キレるオバチャンだったらどうするの?

        「先日、医者に行くのに、健康保険証を忘れて行っちゃったの。『先生、持ってくるの忘れちゃったんですが、いいですか?』って言ったら、『いいよ、ウチだって免許持ってないんだから』」 「音楽には長調と短調があります。それでは、この曲は長調でしょうか、短調でしょうか」と言って弾きだしたのが『蝶々』。

        また飛んだ恥をさらしてしまった。ええっと、何回も書くようだが、私が落語をよく聴いていたのは中学生時代。そこから、あっさり落語離れしてしまい、特に定席にはほとんど行っていない。年に何回かのホール落語。文楽、円正、馬生あたりが死んで、一方で新作に革命をもたらした三遊亭円丈が出てきたころから、主に新作の会にしかいかなくなってしまった。何回か前に『こいがめ』を初めて聴いたと書いたのだが、これはどうやら定席の方では定番の噺のようで、どちらかというと『家見舞い』という題名で通っているらしい。この日も春風亭一朝が、これを演っていた。それにしても、汚ったねえ噺。

        林家たい平が「師匠(こん平)のところに、弟子入りしようとやってくる人が多いんですがね、先日来た人の履歴書を見てびっくり。1年で13回も職を変わっている。気になるでしょ? どのくらい気になるかというと・・・今、目の前をトイレに行こうとしているオジさんくらい気になる」。鈴本の座席は前との間隔が狭い上、前の座席に取り付けてある机を出すと、真中あたりに座っていた人は出て行くのにタイヘンな苦労になる。オジサンが無事にロビーに出るまで、「お気をつけて」とか客いじりしてたものだから、何の噺だったか忘れてしまう。

        「最近流行ってますでしょ。通り魔殺人。『誰でもよかった』。怖い言葉ですね。先日、ある地方に呼ばれて落語演りにいって、帰りに市長さんに挨拶したら、『落語家さんなら誰でもよかった』」 「きょうは父の日ですが、世のおかあさん、おとうさんの言うことは聞かないでしょ。そのくせ、なんで、みのもんたの言うことは聞くんでしょうね。昼のテレビで『ブロッコリーが身体にいい』なんていうと、その日はスーパーからブロッコリーが売りきれちゃうんですから」。途中、滝口順平やら田中真紀子の物真似を挟みながらの笑いの大サービス

        「おかあさん、納豆の三個パックなんて買ってくるんですよ。あの発砲スチロールの、環境を破壊するだけの容器に入ったやつ。パキッと蓋取って、中から納豆のネバネバのついたセロハンをニチャーと剥がして・・・。これを小鉢に移そうなんておかあさんいません。発砲スチロールの容器の中だけでかき回している。それからカラシですよ。フクロからカラシ搾り出して、手についちゃったりなんかして・・・。それからかつおだし入りの醤油ですよ。いらないかと思うと、『いつか使うだろう』なんて冷蔵庫に入れちゃう。もう冷蔵庫の中は、そんなのですでに、いっぱい」。おやおや、漫談だけで下りちゃったよ。ライヴァル意識のありそう相手の喬太郎が漫談だけだったから、たい平も漫談で勝負したのかなあ。

        紙きりの林家正楽も休演。おやおや、またかよ。トラが大瀬うたじ、ゆめじ。「(うなぎ屋で)、お姉ちゃんがうな重持ってきたから、冗談で『このうなぎ、ヨウショク』って言ったの。そしたら、『和食です』だって」。ふふふふふ、始まった始まった。このネタはやっぱり名作ですね。最近の「そんなことスナ」もいいけど、やっぱりこれは傑作。

        トリは春風亭勢朝。「500円玉は使えませんと書いてある自動販売機で千円札入れたら、おつりで500円玉が出てきた」 「なぜ手術のときに手袋を使うのかというと、いざというときの証拠を隠すため」。ありゃりゃ、最前列に小さな女の子がいるのに、ヤバイ小噺を始めたぞ。「電気屋のオジサン、家に帰ってラジオをつけようとしたら、まちがっておかみさんのオッパイを捻っちゃった。『おや、このラジオ鳴らないぞ』 『おまえさん、サシコミが入ってない』。ネタは、脱線ばかりしてなかなか終わらない『池田屋』。

        さあて、夕食は・・・、やっぱり、ウナギだな。


June.22,2001 セカセカしているだけの笑いは・・・

6月16日 第6回柳太郎の会 (お江戸日本橋亭)

        眼圧が思うように下がらない。お医者さんに、「仕方ない、レーザーでちょっと切りましょう」と言われてしまった。その翌日、気分はきわめてブルー。寄席行こうかな? 4月に入った末広亭で途中からしか聴けなかった春風亭柳太郎の会があるという。あのときのネタはおじいさんがキャバクラに行って・・・とかいう噺で、この人のこと気になっていたんだ。しかも、二ツ目の会というのに、漫才、講談、歌と踊りまで入っている。よおし、これに行くか。会場もウチから歩いて行けるところ。

        まずは前座。昔々亭ぱんち。「ウチの田舎のおばあちゃんは朝昼晩とヒエばかり食べてたからヒエ症になっちゃった」。桃太郎のお弟子さんだけあって、ネタは『ぜんざい公社』。がんばってね。

        桂花丸。こちらは歌丸のお弟子さん。マクラはケータイネタ。「客席に携帯電話がかかってきまして。『えっ! 妻の淳子・・・妊娠・・・出産・・・〇〇病院・・・頑張れよ!』て、こうなると落語どころじゃなくなっちゃう」。ネタは『唖の釣』。こっちの気分がブルーで、どうもきょうは乗れないせいもあるのか、与太郎の声のトーンが高すぎて、どうも耳障りに聞こえてしまう。

        さて、古典も新作もこなすという、柳太郎の登場。まずは古典。ネタ下しで『蟇の油』を演るという。ただし、これ10分で終わってしまうので、もう1本『十徳』をつけると言って話しだしたのだが、この『十徳』、なんと4分。前座さんが演ったって、たっぷり10分はかかる噺。ちょっと早すぎる。もう少しじっくり話せないものかなあ。なんだかセカセカしすぎて笑えない。そして『蟇の油』に入ったのだが、お決まりの見世物小屋のマクラのあと、蟇の油の口上に入ったところでつかえてしまう。何度か演り直したのだか、上手くいかず絶句してしまった。そして、ついには「もう一度勉強してまいります」と、この噺を諦めてしまった。

        「替わりに[謎かけ]でもしましょうか」と言い出して、突然に[謎かけ]が始まってしまう。すぐに「どわすれ!」という題が出る。苦笑いしながら、「う〜ん、う〜ん」と考えて、「[どわすれ]とかけて、[大事な財布]とときます。そのこころは、棚に上げっぱなしでございます」。イジワルなわけじゃないだろうが、客の方も咄嗟には題が浮かばない。次に出た題が、「脂汗!」。「う〜ん、う〜ん。[脂汗]とかけまして、[今日の『蟇の油』]とときます。そのころは、やがて冷や汗に変わるでしよう」

        これで終わるわけにいかなくなったのか、柳太郎は、「それじゃあ、『子ほめ』を演らせていただきます」と、『子ほめ』が始まってしまった。う〜ん、悪くないんだけど、やっぱりどこかセカセカした『子ほめ』のような気がする。こちらの正直な気持ちとすると、前座さんが演るような噺を2本セカセカと演られても困ってしまう。先代の桂文楽は、絶句してしまって、「もう一度勉強してまいります」と言って、二度と高座に上がろうとしなかったが、柳太郎さんはまだ若いのだから、また『蟇の油』に挑戦して欲しい。

        神田北陽に交代すると、まず第一声が、「[どわすれ]とかけまして、[泳げない人]とときます。そのこころは、どうしても浮かびません」 「[脂汗]とかけまして、[いい事が何もなかった日の日記]とときます。そのこころは、いやなのにかいてます」 ははあ、柳太郎が『子ほめ』演っている時に考えていたんだな。「10分もあれば芸人ならそのくらいは浮かびます。その場で咄嗟にというのが、難しい。私が最初に浮かんだの言いましょうか? [脂汗]とかけて、[おなら]とときます。そのこころは、ウンコを我慢しているときに出ます」

        「噺の途中で絶句してしまうということはあります。他所で演るときはありません。これが自分の会だからあることなんです。庇うわけではありませんが、前日までに憶えたつもりでやってくると高座でハッとなってしまう。出来なくなってしまう。柳太郎くんは正直ですから、ごまかそうとしない。私の場合はどうするかというと『お告げがあって出来ませんでした』と言っちゃう」。北陽がナイス・フォローしている。

        北陽も古典、新作をこなす。拍手の多さで、どちらを演るかアンケートをとる。古典、新作とも拍手の数は、ほぼ同数。新作の方が拍手がやや長かったという理由で始まったのが『世界の栓の番人の家族』。ある小さな時代遅れの文房具屋の屋根裏に、世界の栓なるものがあり、これが外れると天変地異が起こるというSF(?)。どうするんだろうこんな噺、と思っているうちに、「これからが面白くなるのですが、ちょうど時間とまいりました」と引っ込んじゃった。ウソだろう? この先、出来てないんじゃないの? まあ、面白いんですが、世界の栓の番人という設定だけ浮かんで無理矢理に演っちゃった気がして・・・。北陽さんが好きな私は、ちょっとガッカリ。それでも聴かせちゃうのは話術なんだろうなあ。

        中入りが入って、今度は柳太郎が花丸と組んで漫才。ちょっとブラックすぎて書けないインターネット・オークションのネタから、精子バンクのネタ、テーマパークのネタと出してきたが、これまたちょっとセカセカしすぎか? 浅草キッドの線と似ている。でも、これ面白かったよ。寄席でも演ればいいのに。

        つぎは、漫才のプロの登場だ。ヴィンテージ。上方の若いコンビ。まだ若いから、これからの人達なのだろうけど、柳太郎とはちがってプロなんだから、率直な感想を書かせていただくと、私には面白く感じられなかった。『鶴の恩返し』を[馬]でやってみたらどうかとか(相方の一方が馬面なので、こんなことを言う)、[亀]でやってみたらとかいう笑い(「亀、助けてくれた人のところに行くのに何10年かかるんだ」という突っ込み)。そこから、『桃太郎』、『かぐや姫』、『白雪姫』と童話ネタでまとめたのだが、なんだか、めまぐるしいだけで、どうも笑えない。

        スピーディな漫才というのは、漫才ブームがあったころ、ツー・ビートやら、B&Bやらから始まったものだと思うが、実力がないと、単にセカセカした慌しいものでしかない。その場では、ちょっと面白かったなと思っても、メモでも取っておかない限り、会場を出た途端に、「はて、あの人達はどんな話をしたんだったろうか」と思い出せなくなる。こういうタイプの、お笑いライヴに出ている人達は、そういった場所では受けているのかもしれないが、何度も書くように、笑いを長年見つづけてきた[面白がる達人]たちには、「なんて幼稚な」としか見えていないことを気がついて欲しい。ヴィンテージの漫才の締めくくりは、これらの伝説(童話)のネタのまとめとして、「ぼくらが、伝説の漫才師になればいいんだよ」としていたが、そうなることを心から祈っています。

        俗曲の桧山うめ吉。お囃子から転向して二年という、まだ若くてきれいな、お姉さん。歌舞伎町で髷を結って着物姿で歩いていたら、オカマと間違えられたというマクラを振って、『すととん節』 『おてもやん』 『長崎ぶらぶら節』 『ちゃっきり節』と淡々と三味線を弾きながら歌っていく。最後は立ちあがって『潮来出島』を踊って、引っ込んじゃった。歌も三味線も上手いし、若くてきれいなお姉さんなのに、愛想がない。もうちょっと、こっちのことも考えて欲しいなあ。これだと、歌と踊りの発表会。

        トリの柳太郎。今度は新作。「私だって師匠の春風亭柳昇に気に入られたいと思っているんですよ。だって好きで弟子になったんですから。ところがどうも師匠の私を見る目が冷たい。どうしてなんだろうと思って先輩に相談したらば、『柳昇師匠は、食事をのんびり食べる奴が嫌いなんだ。それと遠慮する奴。食事をおごられたら、勢いよくかっ込むと喜ぶんだよ』。私はねえ、こんな大きな身体していますが、食が細いんです。それである時、師匠と地方に行ったときに入った食堂で、カレー・ライスを注文したんです。出てきたカレーは超山盛り。必死でかっ込んでみせたら、師匠ニヤッと笑って『もう一杯いくか?』。そんな[食の悲哀]を落語にしてみました」と始めた新作落語。ちなみに柳太郎さん、[しょく]の[く]にアクセントを付けてたけど、これだと[職]になっちゃうよ。

        歌舞伎町にラーメン博物館ができ、そこへ行った男の噺。激辛ラーメン専門店では百倍の超辛ラーメン、千倍のマジ辛ラーメン、一万倍のゲロ辛ラーメン、一億倍のヤバ辛ラーメンしかなく、なんでそんなのばかりかというと、「ウチのラーメン、不味いから辛さでごまかしてる」。ハハハ、これ説得力あるなあ。次のファッションヘルス・ラーメンはちょっと荒唐無稽すぎるかなあ。最後のぼったくりラーメン屋というのが可笑しい。ばかにハデな内装の店でクラブみたい。「なんでここでラーメン売ってるの?」 「これは落語だからだよ」。4月に聴いたじいさんがキャバクラに行く噺のオチは見当ついちゃったけど、こちらのはけっこう鮮やかに決まってました。ただ私の好みから行くと、噺が現実離れしすぎているのがちょっとマイナス点か。

        柳太郎さんのラーメンの噺を聴いたら、帰りにラーメン食べたくなってきた。日本橋の街をブラブラと自宅方向へ歩いて帰る。ちょっとブルーな気分はまだ抜けない。もっとドカーンと笑えるのが見たかったなあ―――よし、明日は上野鈴本へ行ってみよう。というわけで翌日は鈴本へ行ったわけですが、そのことは次回。


June.16,2001 寄席に行こうかサッカー見よか

        今回のレポートを書き始める前に、お知らせしたいことがある。今月のこのファイルの一番下に5月20日池袋演芸場夜の部のレポートを書いたのだが、その中で私は当日のメモを無くしてしまって、出演者のネタをほとんど書けなかった。それが先日びっくりしたことに、見ず知らずの方からメールをいただいた。なんと、あの日の池袋演芸場におられた方で、ご自分でもホームページをお持ちになっていて、ネタと感想を公開しているという。それでさっそく見に行きました。なるほどなるほど、しっかりとあの夜のネタが書いてありました。すみません。どうもありがとうございました。

        ははあ、前座が入船亭ゆう一で『子ほめ』で、きく麻呂は『堀の内』。小金馬は志ん朝師匠が酔っ払って何も憶えていなかったことからというエピソードから『代り目』に入ったんだったんだ。円太郎の『短命』は正解。若円歌は『桃太郎』かあ。円弥の『馬の田楽』も自信がなかったけど正解。小太郎は『悋気の独楽』ね。これは、今思い出した。

        それにしても、もうこのホームページを始めて随分と経つのに、いまだに知り合いの10人前後しか読んでいない気で書いている。誰でも見られるものを作っているという自覚があまりにも希薄だ。少しは反省しないと・・・とは思うものの・・・。では、今回のレポートに入ります。

6月10日 池袋演芸場六月上席夜の部

        正直いって、この日は迷った。サッカー、コンフェデレーションズ・カップ優勝戦、日本対フランス戦のある日だった。家でテレビ観戦をと朝から思っていたのだが、どう考えても日本が勝てるとは思えない。そんなもの見なければいいのだが、家にいれば気になってテレビをつけてしまうのは明らか。ええい! 寄席にでも行って忘れちまおう―――てなわけで、やってきました池袋演芸場。

        前座、三遊亭麹。「その昔は女房が亭主に寝顔をみせるのを恥としていましたが・・・」のセリフを二回強調して言う。「ここに赤線が引いてあるんです」。おやおや麹くん、もう妻帯者なのかな? ネタは『たらちね』。上手いよ、この人。以前にも書いたけど前座とは思えない。将来が楽しみだなあ。

        「三遊亭歌扇と申します。落語協会の会長円歌が私の弟子でして・・・」。おいおい。「2割の法則というものがありまして・・・。エステに行って痩せられる人は全体の2割。後の8割は行っても無駄。デパートへ行く人の2割は買物目的。後の8割はヒマだから。寄席に一生懸命聴きに来ている人は全体の2割。後の8割は友達に無理矢理誘われて来ちゃった人。今日出てくる芸人で一所懸命やるのは・・・、今日は15人くらい出ますから、2割というと・・・私以外後2人・・・」。「楽屋で、もし一億円拾ったらどうするかという話題になりまして、こうなると意見は二つに分かれました。自分のものにしちゃうという常識派と、警察に届けるという大馬鹿野郎。円歌師匠にお訊きしましたところ、『落とした相手が貧乏人だったら返す』ですって」。一億円持っている人が貧乏人なわけない。「蕎麦屋で中年女性4人組がなかなか注文が決まらない。『そうだ、店員さんに決めてもらいましょうよ』。するとその店員『おかめ四つ!』。ハハハ、ウソでえ、そんなこと言うわけない。てんで、こんな調子でネタに入らず漫談で終わっちゃった。

        次のアコーデオン漫談の近藤志げるは、いきなり『誰か故郷を思わざる』をフルコーラスで歌った。「歌ったのは霧島昇。作曲・古賀政夫。そして、作詞・西条八十」。ああ、どうやら長井さんの本で読んだ近藤志げるの西条八十に関するウンチク話が始まるらしい。

        関東大震災のとき、逃げ惑う群集。そんな中に西条八十の姿もあった。夕方、疲れ果てて座りこむ群衆。そんな中、ひとりの少年がハーモニカを取り出して吹き始める。『船頭小唄』♪俺は川原の枯れすすき、同じお前も枯れすすき・・・。のちに三大童謡詩人となる西条八十の先輩格にあたる野口雨情の作品でもある。あと一人は北原白秋ね。このハーモニカの音色を聴いた群集は大拍手。「そうか、私は文学詩しか書いていなかったが、流行歌には群集をそんなに力づけるものがあったのか。それなら、私もそんな詩を書いてみよう」。流行歌詩人西条八十の誕生である。

        『旅の夜風』(霧島昇、ミス・コロンビア)。これは、『愛染かつら』の主題歌ね。『純情二重奏』(霧島昇、高峰三枝子)と歌ってみせ、「ついて来れない?」って、いくら私がオッサンでもそこまでは・・・と思っていたら、「じゃあこれは分るでしょ」と『絶唱』(舟木一夫)を歌ってみせる。う〜ん、これなら辛うじて小学生の時に聴いた。これも西条八十だったんだあ。『この世の花』(島倉千代子)、『越後獅子』(美空ひばり)、『王将』(村田英雄)、『青い山脈』(藤山一郎、奈良光枝)、『東京音頭』(佐藤千夜子)、『侍ニッポン』(徳山漣)、『芸者ワルツ』(神楽坂はん子)とズラーッとメドレーで歌ってみせ、『建設の歌』で止まる。

        時は終戦まぎわ。北京で大使館員の妻として過ごしていた西条八十の娘は、敗戦となったらどうなるのだろう。いっそのこと青酸カリを飲んで死のうかとまで思っている。そんなときに花街から聞こえてきたのが、この曲。

唄を忘れたカナリアは後の山に棄てましょか
いえ、いえ、それはなりませぬ

唄を忘れたカナリアは背戸の小藪に埋めましょか
いえ、いえ、それもなりませぬ

唄を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえ、いえ、それはかはいさう

唄を忘れたカナリアは象牙の船に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄をおもひだす

        父の作詞した『かなりあ』である。これを聴いた瞬間、八十の娘は、「あのカナリアだって最後には歌えたではないか」と思う。諦めてはいけないと父とカナリアが今自分に語ってくれたんだと思って、彼女は自殺を思いとどまり生きて日本に帰ってくることになる。

        終戦。日本で一番多くの軍歌を作った西条八十は、A級戦犯として絞首刑されると噂される。『同期の桜』♪貴様と俺とは同期の桜・・・。『若鷲の歌』♪若い血潮の予科連の・・・。ああ、あれが西条八十かあ。といっても、ボクのこと戦中派だと思わないでね。歳は取っているけど、そんなに年寄りじゃない。小学生のころ流行ったんですよ、クラスで軍歌が。一通りのは歌える。川柳師匠の『ガーコン』には着いて行ける。

        この軍歌を作ったというのが、近藤志げるには気に入らないそうで、一方で、どんなに強制されても軍歌は書かなかったのが野口雨情―――と言ったところで時間いっぱい。うわあ、もっと聴きたいなあ、この人の話。1時間でも2時間でもいい。なんてこと書いてたら、随分と行数を使っちゃった。いかんいかん。

        「楽屋にいらっしゃる時は、手ぶらはご遠慮くださいね。この前、こう話したら茶封筒にお金入れて持ってきた人がいた。茶封筒ですよ、茶封筒。しかも、[ご祝儀]とか[お車代]とか書けばいいものを、[何かの足しにしてください]ですからね。みんなで50円づつ分けましたけどね」。こうマクラをふったのは三遊亭多歌介。ひとり50円って、15人出てたとして、750円かなあ。よおし、今度この人が出たら、人数分×50円茶封筒に入れてあげようっと。ネタは珍しや『新聞記事』。ご隠居さんが、新聞で天ぷら屋の竹さんの家に強盗が入って、竹さん殺されたそうだと話す。ところがこれがとんだ作り話。二段オチのある、よく出来た話。こういうの好きなんだよなあ。

        講談の宝井琴柳。「調べてみますと、忠臣蔵、討ち入りの日は雪ではなく雨だったようですな。史実に忠実に雨でやれといわれれば、出来ないことはないんですが・・・。(パン)降りしきる雨の中を大石内蔵助を始め四十七士の面々、水たまりの中をバチャコンブチャコン・・・。あんまりきれいじゃない」。ネタは『義士銘々伝』から堀部安兵衛の道場破りの一席。

        ここから、代演三連発。全てお目当てだった演者だったので気落ちしてしまう。あーあ。紙切りの林家正楽のトラが、すず風にゃん子、金魚の漫才。嫌いじゃないんだけど、正楽さんの紙切りで頭をいっぱいにして来ただけに、このけたたましい漫才は気に障ってくる。ネタも前に見た[胎教]をテーマにしたやつ。

        柳家さん喬のトラは、柳亭市馬。山形の学校に落語教室を演りに行ったときのいつもどおりのマクラから入ったが、池袋演芸場の上手のドアを見て、「このドアの向こうは非常口らしいんですがね、まだ見たことがない。どうなってるんですかね」。そう、私も気になっているんだよね、このドア。ネタの『粗忽の釘』に入る。そそっかしい亭主が長い釘を長屋の壁に打ちこんでしまって、隣まで突き抜けてしまったらしい。謝りにいった先が隣ではなくお向かいさんち。「落ちつくんだよ!」とおかみさんに言われ、隣に謝り行くと、今度は落ちつきすぎ。女房とのなれそめを話しだしてしまう。縁日に誘って腰巻を買ってやったら大喜び。「『まあ、お前さん、いいもの買ってくれて、ありがとね』なあんてことを言ってねえ・・・それでアタシの腕にギュッとしがみつきやしょ・・・。ですから、私も・・。まあ・・・えっへへへへへ・・・じゃあまあ、こっちおいでよ・・・なあんてね・・・ことがありまして」。このあと新婚当時の行水ののろけ話など長い長い。面白いけど。

        林家しん平のトラ林家鉄平は『桃太郎』。子供の方がこの昔話の由来に詳しいという御馴染みの噺だが、鉄平の演る子供はガラ悪いんでやんの。「おい、よしお」 「なんでえ」 「もう寝なさい」 「おとっつぁん、早く寝かして、おっかあと何すんだ? セックスか?」。これには父親もタジタジ。「お前なあ、セックスなんてものは・・・いいかげん飽きるものだ・・・。飽きない奴もいるけど・・・」。やがては息子に金を取られたりタイヘンだ。

        漫才の大瀬ゆめじ、うたじは何だか疲れているらしい。東洋館、鈴本と回って3軒目。「こんなことやってる場合じゃないんだよね。サッカーどうなってるんだろう。今日のお客さんはサッカー、嫌いなんだな」 「ジャイアンツなんで負けるんですかね。強い選手みんな引っ張ってきちゃって、全勝してもおかしくないのにね」。さらには、小泉首相や森元首相の話とポンポンと飛び、いつまでもネタに入らずに四方山話のような内容で終わってしまった。「そんなことスナ」という漫才ネタももう何回か聞いたから、いいか。

        出てくる演者が一応に、今日はサッカーの決勝戦なのにというマクラを使うが、金原亭伯楽のが一番痛烈。「今、コンフィデレーションズカップをサッカー場で見ている人とそれをテレビで見ている人の総数と、寄席で落語を聴いている人の総数を比率で考えてみると・・・、やっぱりちょっと[変質者]かな・・・と」。あーあ、ついに変質者にされちゃったよ。ネタは『宮戸川』。

        中入りがあって、食つきは三遊亭歌武蔵。あれっ? 『たらちね』が始まっちゃうのかなと思った。『たらちね』は前座がかけたぞと思ったら、こちらは私の嫌いな『持参金』。こういう噺好きな人もいるんだろうけど、私はいつもグッタリしちゃうんだ、これ。しかもデッカイ歌武蔵が演ると、持参金つきで嫁入りに来るという8ヶ月の身重の器量の悪い女性というのが頭にありありと浮かんできて、もう・・・。可哀想だよなあ、こういう噺。女性に悪い気がするのだけど。でもまあ自分のことをブスだと思っている女性はいないというから、いいのかなあ。

        五街道雲助は、私は初めて聴く『こいがめ』。あにきの家見舞いに甕を買いに行くが、高くて手が出ない。そこで格安の中古の肥甕を買っていく話。汚ったねえ、噺だね、これ。

        太神楽、鏡味仙三郎、仙一。息子の仙一の安定した五階茶碗が始まる。私のうしろにいた中年女性、「あら、凄い!」って、まだ茶碗を乗せ始めたばっかり。これからもっと凄くなるんだから。

        私の前の席に親子らしい2人組がいた。子供の方はもう大きくて大学生くらい。体格からいっても、体育会系らしい。なんだか退屈そうに見ていたのだが、トリの三遊亭歌之介の出番に一番前の席に移動した。歌之介が出てくると大きく手を振る。どうやら知り合いらしい。歌之介も目で挨拶している。トリは30分の持ち時間。例によって、あの独特の言いまわしでフラフラと漫談を演っている。これが面白いんだなあ。どうやってもこの可笑しさは活字では表現できない。「最近韓国語を習っています。大変良く切れるハサミですね。ヨ――チョンギレルハサミダ。朝食は何にしますか。パンニナニハサミダ。寂しい夜は自分でコスミダ」。25分漫談を演り続けて、5分のネタ『お父さんのハンディ』。息子が都立高校を受験するので、好きなゴルフ絶ちをしているお父さん。見るもの何でもゴルフに関連づけて頭に浮かんでくる。サンドイッチを食べようとすると、サンドウェッジを思い出してしまう。奥さんに「バカ!」と言われるとバンカーを思い出す。カレーライスをスプーンで食べようとすると「ああ、スプーン!」。「このカレー、肉が入っていないじゃないか。ニンジンにグリーンピース。ああ、グリーン」

        変質者はウチに帰ります。やっぱりサッカー負けちゃったね。口惜しがって寝るよりも、寄席で笑って寝た方がどんなに身体にいいか。もう、変質者だと言われてもいいもんね、ボク。


June.13,2001 ちょっとガッカリ、三谷幸喜の10年前の再演

6月9日 『ヴァンプショウ』 (PARCO劇場)

        今、黙っていてもこの人の脚本なら客が入るという三谷幸喜の10年前の作品の再演。入場すると、ハワイアンが流れていて、舞台の中央に南国の花が置かれスポットライトに照らされている。吸血鬼の話に何でハワイアンなんだあ?―――という疑問も2時間20分の芝居の間、何もハワイは出てこず、ただの冗談だとあとから分って、少々拍子抜け。

        開演と同時に大音響のロックがかかる。真っ暗な舞台に自動車に乗った5人の男。深夜の道を自動車で移動しているという設定らしい。退屈しのぎに「何か怖い話をしないか?」という提案で、それぞれが自分の知っている[怖い話]を始める。舞台が暗いのと、こちらが少々疲れていたせいもあって、眠り込んでしまう。このシーンだけで20分くらいあった。出演者が楽しんで演っているらしいのは伝わってくるのだが、いささか長い

        いよいよ本題が始まる。小さな田舎の駅。若い女性がひとり、電車を待っている。そこへ、先ほどの5人の男たちがやってくる。駅には駅員さんがひとり。なんでも電車は遅れているという。時間つぶしに5人の男たちは、[しりとり歌合戦]を始める。やがて、もうひとりの女性もその輪に加わることになるのだが・・・。

        実は5人の男たちは吸血鬼。大学のオチケン(落語研究会)のOBなのだが、メンバーのひとりがペンシルバニアに、世界で落語が通じるかというテーマで武者修業に出たときに吸血コウモリに血を吸われて吸血鬼になってしまう。帰国後、オチケンのメンバーに噛みついたものだから、メンバーは次々に吸血鬼になってしまったというわけ。ただし、ひとりだけ血を吸われずにいた男がいて、自分が吸血鬼でないことを隠しているという設定。この吸血鬼たちは、人に迷惑をかけてはいけないと、人は襲わず、もっぱら献血カーを襲うということをして生き延びている。

        さて、ここから話は、女性に自分たちが吸血鬼だということがバレてしまい、この女性をどうするかという方向に進む。詳しくストーリーを書くと、これから見る人の興味をそぐことになるので書かないが、前半は[笑い]の要素が多いコメディ。それが、中間あたりで死人がひとり出て、後半はホラーになる。

        コメディ部分で、せっかくオチケンの仲間という設定があるのに、これを生かしきれていない。なんだか、オチケンではなくてテニスサークル仲間であるような感じすらする。三谷自身が演出していないせいかもしれないが、どうも笑いが盛りあがらない。

        後半のホラー部分だが、これも紅一点の若い女性が、最初からこの人は何かあるなという予感がミエミエだから、実は・・・となっても意外性がない。何かもうひとヒネリあるのかと期待していたのだが、これということは無いままに終わってしまう。ラストの、カバンを開けると・・・というのも余計で、あそこまでやる必用は無いと思う。あんなに説明してしまうと、逆に怖くない。だって観客はもう中身は気がついているんだもの。説明過多は怖さを半減してしまうというのに・・・。

        再演にあたり、もう少し手直しすれば良かったのにと思うのだが、三谷さん、忙しかったんだろうね。


June.9,2001 古典落語をうまく自分のものにしだした昇太

6月2日 浅草演芸ホール上席昼の部

        入場前に、場外馬券売場に寄ろうと思ったのが失敗であった。どうも安田記念の予想が決まらない。前日からスポーツ紙の競馬欄を何回も読みなおし、当日の朝も何回もマークシートを書き換えたというのに、まだ迷いが残っている。11時45分の浅草演芸ホール開演の時間には十分に間に合うように家を出たつもりだったのだが、馬券売り場に着いてからもまた、長考が始まってしまった。賭け金1000円の競馬なんかに、そんなに考え込んでも無駄と分っていながら・・・。結局、安田記念は超大穴。私の予想はまったく届かなかった。

        そんなこともあって飛び込んだときにはもう12時を大幅に越えていて、前座さんとハナの春風亭昇乃進は終わったあと。マジックの松旭斎八重子がロープを使った手品の種明かしを演っていた。この種明かし、知っているんだけれど見ると演るとじゃ大違いなんだよなあ。「左手にお客さんの注意を引いておいて、ここで右手は結構忙しいことになっています」。そうなんだよなあ。それが出来れば私もマジシャンになっている。

        春風亭柳好。「きょうは団体さんが入っているそうで。先日、鉛筆を作っている会社の団体さんが入っているっていうんで、急遽小噺を作って演ったんですよ。『トンボ、どっか行っちゃったね』 『コクヨ』っていうんですがね、あとから聞いたら三菱鉛筆の団体さんだった」。本当かあ? 造りだろうなあ、これ。ネタは『牛ほめ』。

        三遊亭遊吉。「奥様方で、やたら丁寧な言葉を使おうという人がいらっしゃいますが、何でも[お]を付けたがる。ビールに[お]を付けて[おビール]なんて言う。それならコップにも[お]を付けて[おコッブ]って言えばよさそうなものを・・・。デパートで公衆電話をかけようとした奥さん『「お電話どちら?』と店員に訊いたら、紀文に連れて行かれちゃった」。ネタは『寄合酒』。

        紙切り、林家今丸。まずは手始めに『浴衣の夕涼み』を切り上げる。そうかあ、もうそんな季節になってきたんだなあ。お客さんの最初の注文『景清』には何故か「・・・それはちょっと・・・」と退けてしまう。次のお題『イノシシ』。こんなのは簡単かつ鮮やかに切り上げてしまう。『三社祭!』の声には、紙をふたつに折って切り出し、紙を広げてみせれば多くの人が神輿を担いでいる姿。『イチロー!』という題が出る。4月に正楽が注文で切り上げたのを見たなあ。今丸のは頭が大きくて、ちょっとまんがチック。でも、何故かイチローらしさが出ているからさすが! ここで「さきほど『景清』というお題が出ましたので」と、『景清』を切り出す。「歌舞伎の方ではお馴染みの暴れん坊『景清』です」と薙刀を持った景清を切り上げる。私、歌舞伎には疎いからなあ。最後に最前列に座っていた男の人の似顔を切り上げて見せた。似てるー!

        三笑亭可楽ももう60代だろうけど実に博学な人で、中東の国々の話題など持ち出して、びっくりしてしまった。五臓六腑って何のことを言うのかなんて知識を持ち出し、果ては始めたネタがかなりブラックなテーマの新作『臓器移植』。若いねえ。

        いつも演っているらしいサラリーマン川柳の話から入ったのが三遊亭円遊。〜露天風呂 化粧おとして トドの群〜 「女房がね、2ヶ月ダイエットして体重が半分になったって・・・。そしたら亭主が『その調子で、もう2ヶ月頑張れ』って」 自分がマイホームを手に入れた時の話になる。〜マイホーム 手の出るところはクマも出る〜 〜一戸建て 周りを見れば 一戸だけ〜。何のネタを演るのかと思ったら、ぜんぜん関係なくて『身投げ屋』。

        年寄りが続く。三味線漫談の玉川スミ。「待ってました!」の声が飛ぶ。うわー、懐かしい。まだ現役なんだあ。椅子に座って、♪久しぶりだね お前の三味で・・・と歌い出した途端に昔のスミ姉さんのことを思い出してしまう。元気のいい毒舌家の人だったよなあ。それがちっとも嫌味でないの。さすがに歳を取ったが、声の張りのいいこと。客席に団体さんがいることを知って、「どこから来たの? 善光寺って、長野の善光寺? アタシはね、以前、長野で倒れて入院して、すっかりそこの病院にお世話になっちゃって、おかげさまでもう80近くなるのに、こんなに元気。感謝しているんですよ、長野には」って長野と客のヨイショ。果ては今年の10月の浅草余一会で演る芸能生活八十周年公演の宣伝。♪歳を取ろうが 目が霞もうが 恋に定年 ありゃしない イヨー! スミちゃん! いつまでもお元気でね!

        そこへいくと次の三笑亭夢楽は、めっきり老け込んできたように思える。この人ももう70代半ば。病気でもしたのだろうか。無駄話など一切なしで『一目上り』に入ったのだが、そのあまりにスローな話し方にテンポが出てこない。これでは、トントントンと一目づつ上がっていく可笑しさが出てこない。昔は大声でテンポのいい噺家さんだったのになあ。

        三遊亭円右ももう、80近いはず。釈台のうしろに椅子を置いての高座となった。「アキレス腱を痛めちゃいまして」という円右だが、やはり全盛期のような元気がない。それで始めたのがドキュメンタリー落語という『モリアオガエル』。昭和天皇が沼津の御用邸にご逗留なされているとき、天城の営林所の職員が天皇陛下に八丁池の天然記念物のモリアオガエルが生息している様子を御覧に入れようとする。ところが季節は冬。カエルはみんな冬眠の最中。そこでどうしたかというと・・・。面白いエピソードだと思うのだけど、落語として聴かせるからには、もう少し工夫が必要な気がした。

        ありゃあー、楽しみにしていた東京ボーイズが休演だよー。トラはコントD51。息子の住んでいるアパートを捜しているおばあさんとお巡りさんのコント。「あけぼの荘というアパート、知りませんでしょうか?」 「この辺は区画整理されちゃいましたんで、まだあるかどうか・・・」 「ああ、セイリ(生理)はもう無くなった」 寄席の定席に出ているコントって今、どんなこと演っているんだろうって興味を持っていた。最近の若手お笑い芸人たちの演るコントとどれだけの違いがあるんだろうって思ったんですね。ようやく目にすることが出来たD51のコントというのは、一言で言うなら古臭い。くどくて泥臭いんですね。ちょうど、ゆーとぴあとかコント55号が演ってたようなやつ。こういうのが寄席では受けるのかなあ。今のスマートなコントに較べると、ちょっと・・・。いまだにこんな事演っているのかという感じでしたね。まあ、懐かしくもありますが。

        中トリが昔々亭桃太郎。「キングから私の演った『裕次郎物語/ぜんざい公社』のCDが出まして・・・」と宣伝のようなことを言ったら、拍手がきた。「先日、この寄席に満員のお客さんが入ったことがあって、そのことを話して『売店で売ってますから買ってください』と言ったら、300人の大拍手ですよ。こりゃあ、売りきれちゃうぞと心配してたら、一枚も売れない。買わないなら拍手するな!」。私、このCD買ったよう。このところ毎朝ホームページ打ちながら聴いてる。おっもろしろいんだなあ、これが。特に『裕次郎物語』は何回聴いても腹を抱えて笑っちゃう。こんなの聴きながらだと、ホームページを打つ手が止まっちゃうんだけど、面白いものはしょーがないよね。ネタは何を演るのかと思ったら、歌謡曲の歌詞がくだらねーというよくあるやつ。「『365歩のマーチ』 ♪1日1歩 3日で3歩 だってやんの。1日1歩しか歩けなかったら便所にも行かれない」

        さあ、中入りが終わって、食つきは神田北陽。もともと超早口の人なのだが、この人が定席に出るときは、より早くなるような気がする。15分の持ち時間を12分程度で切り上げて突風のようにいなくなってしまうのだが、その中身たるや普通の人の20分くらいの内容がある。あまりに喋るスピードが速いので、メモを取る手が追いついていかない。「明治のころには講談専門の寄席というものが各町内に一軒づつあったそうで・・・。隣町の方が面白そうだってことになるとお客さんがいなくなる。そこで出来たのが[連続講談]。『今日の続きは明日演りますから来てちょうだい。その続きは明後日演りますから来てちょうだい』。例えば中山安兵衛が高田馬場に駆けつける有名なシーン。『このあと波瀾万丈になるのですが(パン) このあとは明日のお楽しみ(パンパパン)』。それでこの日のネタは『谷風情相撲』。『両者上がってまいりまして時間一杯。グーッと見合ったところで(パン) 何と私の持ち時間一杯となりまして・・・(パンパパン)』。この人、定席だといっつもこのパターンらしい。

        ここから休演三連発。漫才のWモアモアのトラは物売りの声を聴かせる宮田章司。ほほう、今日は[蛇女]の見世物の口上を演ってくれた。なぎら健壱が得意なんだよなあ、これ。それに較べると宮田章司のは、ちょっと物足りないかなあ。「さ〜あ お早くいらっしゃい みなさん 可哀想なのはこの子でござい この子の生まれは北海道 十勝の国は石狩川の上流で生まれました ある日のこと お父さん 山でマムシの胴体真っ二つ マムシの執念子にむくいて できました子供がこの子でござい 当年とって18歳 手足が短く胴体に巻きつくという・・・」

        春風亭柳昇のトラが桂文治。「私、夜の方に出ているんですが、今夜はちょいと用がありまして、昼の人と代わってもらいまして・・・」。この人、伸治っていってた昔、私の父によく似てた。目をギョロッとさせて話すところなんて、そっくり。このところ小言幸兵衛みたいにうるさいことばかり言う文治が、ちょっと耳障りだなあと思っていたのだけど、私の父は昔っから、説教なんてしたことがない。そのへんがかなり違うのだが、喋り方がついつい父を思い出してしまう。ネタは『代わり目』。もう誰でも知っている噺なのだが、文治のはさすがに上手いなあ。オデンを買いに行ったとばかり思って、独り言で女房に感謝の言葉を呟いている酔っ払い。客席から「見てるよ」と女性客の小さな声。「おおーい、まだいたのか!」のお定まりのオチでドッと笑いが来る。上手い人が演ると、知っていても可笑しい。

        三笑亭夢太郎のトラは何と、夜の部のトリのはずの三笑亭茶楽。「夜、ちょっと用がありまして、昼の人と代わってもらいまして・・・」。ありゃりゃ、文治師匠とつるんで何処行くんだろう。ネタは『紙入れ』。出入り先の女将さんに「今夜は亭主が留守だから上がっておいでよ」と引っ張り込まれた小間物屋。ふたりで一杯やって、おかしな雰囲気になっている。客席からまた女性客が「亭主帰ってきちゃうよ!」と小さな声でポツリ。そこへ「ドンドンドン 私だ、今帰ったよ 戸を開けないか!」 先の女性「ほおら、帰ってきちゃった」

        ボンボンブラザースの曲芸。輪、ゴルフボール、ボーリングのピンとつぎつぎとジャグリング。そして例によって帽子の被せっこ。

        「落語界というのは縦社会です。縦社会というのはどういうことかというと、上が逝かないと全然偉くなれないということですよ。ところがですよ、上が全然逝かないんですよ。最近、落語家が死んだなんてハッピーな事件聞いてませんよ。みーんな生きているんです。医学の進歩もいいかげんにしてもらいたい」。トリの春風亭昇太が相変わらず飛ばしている。「こんなこと20年もやっているんですからね。20年といったら普通の会社だったら課長とか部長といった役職もらってるでしょ・・・そうでない人もいるかもしれないけど・・・しかしですよ、少なくとも『花見やるから場所とっておけ』なんて言われないでしょ。しょーがないから花見の場所取りですよ。ゴザ持って・・・。それで、年寄りが多いから便所の側がいいだろうって、便所の隣にゴザを広げてひとりで座ってるわけですよ。そうすると私なんか中途半端に有名じゃないですか。この中途半端というのがいけない。人が近づいてきて、『あっ! あなた落語家さんでしょ』 『ええ、まあ』 『名前何ていったっけなあ・・・ああそうだ、三木助さんだ! あなた三木助でしょ・・・あれっ? 三木助さん死んだはずじゃない』 ではここにいる私は誰かしら」

        ネタは古典の『ちりとてちん』。腐った豆腐を知ったかぶりの男に食べさせる噺なのだが、この噺が昇太流に解釈するとこんなに面白くなるのかというくらい可笑しい。古典落語を何とか新しい時代のものにしようとする新作派の人も多いが、成功しているのは少ない。あくまで骨子を崩さずにそれでいて、まったく新しいものに変えてしまう昇太の腕前には唸ってしまった。


June.2,2001 酔っ払いの失敗

5月20日 池袋演芸場中席夜の部

        しまったあ! メモを無くしてしまったあ! 2〜3日前から、池袋演芸場中席千秋楽のことを書こうと思っていたのだが、メモが見当たらない。部屋中を捜し回ったのだが出てこない。今朝になってようやく思い出した。

        先週の土曜日である。あの日は、軽く酔っ払って帰宅したのだった。そして自分の部屋に入るなり、そのあまりの散らかり様に唖然となり、よせばいいのに部屋の整理整頓に取りかかってしまったのだった。いやあ、酔っ払って整理なんてするもんじゃありませんなあ。もういらなくなった雑誌やチラシの類をポイポイとゴミ箱に放りこんでいった。ひととおり部屋が片付くと、我ながら自分を褒めてあげたくなるくらいにキレイになった。よおし、次はもう5月も下旬だから衣替えじゃあ―――と冬服と夏服の入れ替え作業。すっかりいい気持ちになって、ゴミを出し、寝てしまったのだった。そうだ! あのときにチラシのウラに書いておいた寄席でのメモを一緒に捨てちまったんだあ!

        さあ困ったぞ。誰が出ていたかは、かろうじて当日貰ったチラシが残っていたので分るのだが、誰が何の噺をしたのか皆目分らない。前座は名前すら分らない。ええっと、ハナは林家きく麻呂・・・ダメだあ、さっばり思い浮かばない。2週間近く前だもんなあ。書くのを引き伸ばしていたツケが回ってきちゃったぞお!

        次のぺぺ桜井のギター漫談は、かろうじて憶えている。なんだか『チューリップ』を弾いてみせて、♪ドレミ、ドレミ、ソミレドレミレ・・・ これを一音上げるとどうなるかとか、二音あげるとどうなるか・・・という具合に、音楽講座が始まっちゃったんだ。

        橘家円太郎は確か、『短命』だったと思う。この人の『短命』好きなんだよなあ。特に後半のおかみさんが出てくるところ。ゲラゲラ笑っちゃうんだ。

        三遊亭小金馬はマクラをよく憶えている。志ん朝師匠から、「いい酒が手に入ったんだけど、飲みに来ないかい?」と電話をもらって駆けつけると確かに机の上に、珍しい焼酎が置いてある。「こういう、いい酒はね、味の分る小金馬くんと一緒に飲もうと思ってさ」っていうんで飲み出す。ふたりでいい気持ちになってきたところで、小金馬が前から思っていたことを切り出してみる。

「師匠、今度一度、稽古をつけていただけませんか?」
「稽古ん? いいね、いいね。稽古やろうよん。で、何が演りたいのん?」
「ひとつ、『品川心中』を演りたいと思いまして」
「うん、『品川心中』いいね、いいね。でもアタシ、[下]は演らないよん。[上]だけだよん」

        どうも調子が良すぎるなあと思い、翌日また志ん朝師匠に「昨日はご馳走様でした」と電話を入れる。

「ところで師匠、稽古のことですが・・・」
「稽古ん? 稽古って何だっけ?」
「あの、稽古の約束をしたんですが・・・」
「そんなこと言ったっけ?」
「ええ」
「それで何を演りたいの?」
「あの、『品川心中』を・・・」
「『品川心中』? 止そおよん。『品川心中』、面倒くさいよおん。で、アタシは[下]はやらないよ」

        酔っ払いは何も憶えてないのだ。待てよ、この日、私は酔っ払ってなかったけど、小金馬のネタをまったく憶えてない。ああ! メモがメモが・・・。

        松旭斎静花の奇術・・・・・ダメだあ、思い出せない!

        キョンキョン柳家喬太郎は、キャバクラに刺青師が入ってくるところから始まる。ははあ、これが噂に聞いていた『彫り師マリリン』だな。この人の演る若いパープリンな女の子は、いつもながら絶品!

        三遊亭若円歌・・・・・ダメだあ、思い出せない!

        漫才の大瀬ゆめじ うたじ。これもいつものネタ。「公園の砂場で、3人の子供が遊んでいたんだよ。そしたら中のひとりに対して、あとの2人が頭から砂をかけているんだよ。それで言ってやったんだ『そんなことスナッ』てね」 「えらい! イジメが流行ってますでしょ。そこを『そんなことダメッ』て叱ったあんたは偉い!」 「いや、ダメッじゃなくて、スナッ」 「おんなじじゃない」 「いや、これはシャレなんだよ。砂とスナッ。同じ言葉が二つ出てきたでしょ。可笑しいじゃない」 「同じ言葉が二つ出てくれば可笑しいのか? そんなのなら私だって知ってる話しがある。私の知り合いに田中さんという人がいて、可笑しいことに、この人の子供がやっぱり田中・・・」 「当たり前じゃないか!」

        三遊亭円弥・・・・・『馬の田楽』だったかなあ。ダメだあ、憶えてない! このあとの中入りで中華弁当を食べたのは憶えているのだが・・・。

        中入り後の柳家小太郎は、5分早く上がったとかで、持ち時間が多くなってしまった。そこで始まってしまったのが、これまた仲間内の酔っ払い話。1月2日の小さん師匠の誕生日には一門が勢揃いして宴会が始まるという。午後8時ごろから夜中まで果てしも無く続くと思われる宴会も、前座の雑用仕事はタイヘン。そんなとき救われるのが、川柳川柳師匠。酔っ払ってくるとお得意の口ラッパが始まる。そうなると、小さん師匠の目付きが変わる。それを受けて馬風師匠の目がギロッとなり、「そろそろお開きにしよう」となるいう。

「さん喬一門会でも、小さいながら宴会をしたりするんですよ。これも前座時代は雑用係ですからタイヘン。ここでもね、川柳師匠の代わりになる人がいるんですよ。喬太郎兄さんなんですがね、酔っ払ってくると目が据わってきて、さん喬師匠に絡みだす。(すっとんきょうな声で)『ししょー! ちょっとアタシ、ナマ言っちゃっていいですか? ナマ言わせてもらっちゃっていいですか? ししょーねえ、アタシ、ししょーのイドチャ(井戸の茶碗)好きでしたよ。あれわあ、良かった。でもねえ、ししょー、ししょーの最近のイドチャ、ありゃあ、ダメだあー』。こうなるとお開きということになります」

        可笑しいなあ、こういう内輪の暴露ネタだーい好き。それにしても、小太郎が何のネタを演ったのか憶えてない。

        入船亭船遊は、『皿屋敷』。なぜ憶えているかというと、このあとの林家正楽が、手始めにお菊の幽霊を切り上げてみせたから。

        正楽への注文は、「江戸っ子!」の声がかかる。どうも絵柄が浮かばないらしく、ハサミを手に考え込んでいる。無駄話をしながら考えている風なのだが、苦心しているようなのがありありと分る。まだ絵柄が浮かばないまま三味線が鳴ってしまった。「三味線鳴っちゃいましたねえ。切らなくちゃしょうがないんだが・・・ハハハ」とハサミを動かして切りあがったのが『強情灸』の一場面。次の「三種の神器!」にも困っていた。「三種の神器って何ですか?」 「やたかのかがみ、あめのむらくものつるぎ、やさかにのまがたま、の三種です」 「つまり、鏡と剣と玉を切ればいいわけなんだよなあ」とこれまた困っているよう。結局切り上げたのが、この三つを持っている人。

        さあ、トリの柳家さん喬だ。「噺家の時しらずと申しまして・・・」、ははあ、季節はずれのネタに入るわけかあ。真夏のネタかな? 「昔、吉原は浅草へ移る前は日本橋にあったそうで・・・」。そうなの、ウチのアタリがそうだったんだよなあ。すぐ近くの道路はいまだに[大門通り]という名前が残っている。とすると、吉原の話かな? 「築地に市が移る前は、日本橋がやはり魚河岸だったそうで・・・」 あれっ? 吉原の話じゃないの? 「佃」という地名も残っていますが、これは大阪商人が作った町で・・・」 ありゃま、いったい何の噺が始まるんだろう。『佃祭』かあ? 「芝の浜にも市は立ったそうで・・・、何の噺が始まるかとお思いでしょうが、そうです。『芝浜』です」とテレたように話す。

        芝の浜で五十両入りの財布を見つけた魚屋が、家に帰って仕事なんざあほったらかして、長屋中の仲間を集めて大宴会を始めてしまう。続々と店屋物が届く。「へい、酒屋でござい」 「へい、天ぷら屋でござい」 「へい、魚屋でござい」 なんだって魚屋が魚屋から出前とるんだよ! というクスグリを入れながらの導入部の見事さ

        以前、立川談志が『芝浜』の魚屋は、呑んだくれの遊び人なんだから、もっと乱暴な人物に描かなければいけないということを言っていた。確かにそうなのだが、この日聴いた、さん喬の演ずる魚屋はその上をいっていたと思う。「おまえさんは酔っ払って夢を見たんだよ」とウソをつかれて、しゃかりきになって働く魚屋。これが、あまりに乱暴者だとこうはいかない。程合いというものがあるのだ。翌年、二人の間に男の子が生まれるという設定もいい。これでますます働きがいが出てくるという演出だ。

        そして、クライマックスの大晦日のシーンへ。三年後、表通りに店が出せ、使用人の何人かも持つ身分になっている。使用人に小言を言うあたりも、どこか乱暴者の面影を残しながらも、いい魚屋の主に成長した感じが出ている。ヨチヨチ歩きを始めた息子を可愛がる姿も、ニクイ挿入だ。「怒らないで最後まで聞いておくれよ」と切り出すおかみさんに五十両入りの財布を見せられる。普通、ここで「オレは以前これとそっくりな財布を拾った夢を見た」というセリフを入れるところだが、さん喬だと首を傾げるだけでこれを表現してしまう。この傾げ方が上手いんだなあ、これが! 笑いが客席のアチコチから漏れる。そしていよいよオチへ向かう。禁酒していた魚屋におかみさんが盃に酒を注いで呑ませようとする。このときの表情がいい。匂いを嗅ぐ前に、ポイッと乱暴に放り出して、「やめた! また夢になるといけねえ」とぶっきらぼうに言い放つ。最後まで魚屋になりきった演出に、すっかり魅せられてしまった。

        この、さん喬師匠の噺をもっとたくさんメモしていたのだが、メモはいまごろ焼かれてしまっている運命。酒の上の失敗、自業自得なのだが・・・。う〜ん、今度こそ毎日整理整頓に務めるぞお!

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