July.31,2001 色物番組、メチャクチャ

7月29日 新宿末広亭7月下席昼の部

        紀伊国屋ビル地下の[庄屋]のタイム・サービスで850円のうな丼が750円になっていたので、迷うことなく飛びこんでかっ込む。冷奴、しじみ、みょうがの味噌汁に、漬物がついて、この価格は安い。さあて急がないと、寄席の幕が開いちまうぞ。あれっ、末広亭の楽屋方向に曲がっていく和服の女性は、江戸屋まねき猫さんじゃないの? おかしいなあ、今席は出番ないはずなのに・・・。ひょっとして誰かの代演かなあ?

        前座、春風亭鯉三。「鵜の真似をするカラス、水に溺れると申しまして、慣れないことはするものではないということですが・・・」と、すぐに『十徳』に入る。頑張ってね。

        桂快治は、座布団に座る早々、「頑張っていきましょう!」―――って、珍しい出だしだね。音楽関係のライヴじゃないんだから・・・。ネタは『ざるや』。株をやっている縁起かつぎの旦那の店の前を通りかかったざるや、旦那に呼びとめられて、「へい、荷を上げましょう」 「上げましょうなんて気分がいいね。これはひとつ取っといておくれ」とご祝儀をもらえば、「天にも上る気分です」 「生まれは?」 「上野です」 「兄弟は?」 「上ばっかり8人」 「う〜ん、一番下って言わないのがいいね」―――前半の機転の効かない男が、後半にヤケに機転の効く言葉遣いをするこの噺、ちょっとヘンなんだけど、面白いやね。

        やっぱりだ! 俗曲の春風亭美由紀が休演で、トラで江戸屋まねき猫! 「動物の物真似しかしない女性は私ひとりなんですが、なかなか有名になれません。これも私の努力のたまものでして・・・、体型ばかり横に広がってしまってるんですが・・・」 女性だと声が高い分、真似しやすいのもあると馬の鳴き声。なるほどね。低い声でも出来ると今度は犬の鳴き声。「体型を無駄にしてませんでしょ!」 つづいてニワトリ。オンドリの時を告げる声のあと、メンドリの卵を産む様子を今度は顔真似で演ってみせる。上手いなあ! カエル、秋の虫とつづき、最後は十八番、サカリのついた猫。

        三遊亭円丸も休演。トラが三遊亭右京。「女性がいとしい、優しいなんて思ってたのは結婚する前まででしたね。今や、妻の特権を利用してやりたい放題ですもんね。不良債権」 なんだか、客席が乗ってこないと思ったのか、「こういう受けない日は、家に帰って夜、お星様とお話するんです。『お星様、きょうは末広亭で、私のポリシーを受け入れられませんでした』 するとね、お星様が『早くこちらへいらっしゃい。こちらへ来るとあなたはスターです』」 けっこう受けてるよう! 「私、これからお客さんのことを[お客ちゃん]と呼びたいと思います。ですから、みなさんも私のことを[右京ちゃん]と呼んでください。それでは、これから両者の絆を確かめるために・・・今や野菜もユウキの時代です。一緒に呼んでみましょう、私のことを[右京ちゃん]と!」 しょーがねえなあ、この人だって、もう50代だろ? ありゃ、ネタに入らずに漫談だけで引っ込んじゃった。

        柳亭楽輔。「IT革命なんていいますがね、ITって何の略だかご存知ですか? 楽屋ではインキンタムシの略だなんて言った人がいますがね。いいですか、Iはインフォメーション、Tはテクノロジーなんですって。インフォメーションは情報ですよ。テクノロジーは・・・・・・ですよ」 何の噺が始まるのかと思ったら『犬の目』。私もこのところ目が悪くて、一日中目薬を差している関係で、この噺のように一度目を取り出してシャボンで洗いたい気がしてくる。代わりに犬の目を入れられちゃあイヤだけどね。犬の目を入れられた男が、寄り目になって目を固定させる演技が上手い!

        おいおい、漫談のローカル岡が休演だよ。どうなっちゃってるんだ、この日の色物は! トラが都家歌六のミュージカル・ソー。音楽用に作られた特別のノコギリを弓で弾いて音を出す。「ソーというのはSAWって書いて、ノコギリなんですよ。ソーでしょ」 それにしても、なぜかこの日の末広亭、音響の調子が悪い。歌六の声をマイクがうまく拾えず、声がよく聞こえない。カラオケに合わせて、ミュージカル・ソーを弾くのだが、そのカラオケの調子も悪い。音が突然に大きくなったり小さくなったりで、しまいには切れてしまったり。それでも漫談を繰り広げながら、『あこがれのハワイ航路』 『雨のブルース』 『月がとっても青いから』 『ラ・クンパルシータ』と弾き上げる。

        三笑亭可楽がお囃子に乗って出てきておじぎをしたが、まだお囃子が鳴り止まない。「まだやってるよ。マイクの調子が悪いと思ったら、お囃子の調子も悪いらしい。このマイク、65年前に『前畑がんばれ』ってやったマイクらしいんですよ、どうやら。大きな声で演りますから・・・」と『家見舞い』に。

        春風亭柳橋が、「女将さんがお妾さんにヤキモチを焼く噺で・・・」と始まったので、『悋気の独楽』か、『権助魚』かと思っているうちに、「ちょっと寄席に行ってくるよ」 「寄席というところは、安くて長い間いられて結構なところですね。居眠りしててもいいし、アクビしててもいいし。それでは3000万円ほど持っていきますか?」 「そんなにいらないよ」 「そうですか? 終わったら贔屓の噺家に祝儀を出して、一杯飲ませてと、いろいろと金がかるんじゃないですか?」なんてクスグリのようなマクラを長く入れている。どっちなんだろうと思っているうちに『権助魚』が始まった。

        おやおや、今度は鏡味正二郎の太神楽が始まった。どうしちゃったの、この日の色物! 出物がまるっきり違うじやないの! 「若手でございます。スリルとサスペンスをお届けしてしまうやも知れません」と、まずは五階茶碗から始まったのだが、実に安定している。しかもピンで出ているから、物を渡してくれる人もいないというのに、実に涼しい顔でこなしていく。「つづきまして、末広がりは傘の曲芸」と傘の上で、毬、金輪、一升枡と、軽々と回してみせる。

        桂米丸が出ると、拍手が多くなる。「落語家になりたいという人が急激に増えているんです。しかも大学出た人がね。就職できなくなっているんですかね」と、始めに教えるような短い小噺の話が始まる。「Aが喋って、Bが答えるというような短い話かせいいんですがね。『ここ台所にしようと思うんですがね』 『勝手にしろ』。これを教えたんですけれど、前座さん、お客さんの前で上がってしまったんですね。『ここを勝手にしようと思うんですがね』と演っちゃった。『台所にします』じゃあ、面白くならない。そしたらね、咄嗟に『キッチンとします』だって。それを聞いてた80過ぎの長老、『チキンとします』だと思っちゃった。あの人ならいいんですよ、トリの人だから」 ネタは『病院風景』とでもいったところか。「病院のカード、たくさん持っている人いますよね。眼科に行って、耳鼻科のカード出しちゃったりして。『もしもし、これは耳鼻科のカードですよ』 『よく見えねえからここに来てるんだよ』」

        三遊亭円遊は、いつもどおりサラリーマン川柳の話から、途中でダイエットの話になる。「ダイエットにもいろいろあるようで、リンゴダイエットですとかね、ダンペルダイエットですとかね・・・それから、寄席に来てガツガツ食べないとか!」と上手最前列の、2人組の若い女性をギロリ。この子たち、コンビニで買ってきたらしいフライドチキンやら、枝豆やらをさっきから食べ続け。私も気になってたんだ。これだから寄席で何か食べてると怖い。「落語の方には48バカなんてのがありまして、中には、食い気専門のバカなんてのがありまして」とまたもや先ほどの女性たちをギロリ。与太郎噺なんだろうが、何のネタが始まるのかと思ったら、『かぼちゃ屋』。

        松旭斎小天華の手品はプログラムどおり。青黄赤のロープを使った奇術。スカーフの奇術などがつづき、最後は普通の紙袋から、スカーフやら花のケースやらをつぎつぎと取り出してみせる。

        三笑亭笑三が飄々と出てくる。「春は恋愛結婚、秋はお見合い結婚が多いそうですな。学術的に調査、研究、統計をとってみましたところ、そのわけが判明しました。なぜ春が恋愛結婚が多いかといいますと・・・早い話が・・・アキが来ないうちにハルやっちまおうって・・・」 ネタは新作で、う〜ん『異母兄妹』とでもいうのかな。

        中入り後の食つきは、山遊亭金太郎。「暑いですね。日曜の昼は、寄席に来てアイスクリームでも食べながら笑っているのが一番」 でも、七月中旬の猛暑から較べると、この日はずっと楽。いや、むしろ場内はクーラーが効きすぎて寒いくらい。おやっ? 回りを見まわすと、おんなじ緑色のバスタオルを肩に巻いている人が目立つ。これ、末広亭で貸し出しているのだろうか? なんだか風流とは程遠い感じで、ネタの方もこれまた風流とは逆を行く『茶の湯』。

        イヤな予感が的中してしまった。色物の番組がメチャクチャになっているこの日、一番のお目当てのひとつだった東京ボーイズまで休演。「別にお祭りの帰りに来たわけじゃありません」とハッピを着て出てきたのは宮田章司。いつもの物売りの声。納豆売り、金魚売り、アサガオ売り(苗を売って歩いていたそうな)、コウモリ傘の張替え、七味唐辛子。薬売り、飴売り各種。「くだらないんですがね」と、おでん物語なんていう珍しいものまで聞かせてくれた。

        昔々亭桃太郎は、いつもの桃太郎のニュース解説から。「ホームレスが―――ホームレスの人ってけっこうインテリが多いんですよ。東大出だとかね。本を読んでいるが多い。何を読んでいるのかなあと思って、こないだ見てみたら、『古事記』だって」 ネタは『結婚相談所』。結婚相談所にやってきた男と相談員との会話が続くのだが、桃太郎独特のぶっきらぼうな笑いが、客席を大いに笑わせてくれる。「趣味は何ですか?」 「ポピュラー音楽を聴くことです」 「プレスリーとビートルズではどちらが好きですか?」 「ビートルズです」 「どの曲が好きですか?」 「ええっと、思い出すとジンと来る曲なんですが・・・」 「『イマジン』ですね」

        御大、桂文治登場。「10日づつの興業で、同じメンバーでやっておりますが、毎日同じ事やっているわけじゃないねえんですよ。実は明日の方が今日より面白い」 なんだか小言幸兵衛みたいになってきちゃってる文治師匠なのだが、この人の言うことは何かと為になることが多い。実は、けっこう真っ当なことを言っていることが多いのだ。そんな文治に『二十四孝』を演られると、「うん、親孝行しなきゃな」という気にさせられる。乱暴者に大家さんが親孝行の話をする。病気の親に鯉を食べさせようと、真冬の氷の張った池に裸になって寝転がり、氷を溶かして鯉を取った人がいたなんて話をされて、この乱暴者、「氷の上で転がって喜んでいるのは、シロクマかアザラシくらいなもんでえ」と、減らず口を叩かせても、どことなく人間観察の優しさが感じられる。

        もうメチャクチャになっちゃった色物。ひざがわりで出てきたのは、もっと浅いところで出るはずだった漫才のWモアモア。高齢社会の健康問題についてのネタで場内は、ドーッと沸いてしまう。「歳とったらね、子供に財産残そうなんて思わないで、自分のために全部使いなさいよ」 「全部使ってしまって、まだ生きていたらどうなるのよ」 「だから、計画的に使いなさいということ」 「計画的にって、いつ死ぬか分らないじゃないの。計画立てようがないよ」 客席には実際に高齢者が多かったこともあって、笑いが絶えない。

        これだけ客席を爆笑させちゃうと、トリの桂枝助は演りにくかったろう。「みなさん、もう選挙行きましたか?」 そう、この日は参議院議員選挙の投票日なのだ。「タレント候補、多いですよね。でも大したタレント出てないね。落ち目になってるのしか出てない。だって、私が出てないですもんね」 「この末広亭はね、都内で一番古い寄席なんですよ。伝統があります。ほら、天井にはデントウたくさんついてますでしょ。提灯もついている。それにしても、汚ねえ・・・いや、歴史があります」 しばらくマクラで繋いで『長短』へ。気の長い人と気の短い人の噺だが、やや気の長い人の口調が早い気がした。もっとじっくり気長に演ったほうが笑いがとれそうなのだが・・・。どうもセリフ中心になりがちになっているような印象だった。セリフに捕われ過ぎずに、顔の表情などで無言のところを出せばいのになあ。これもひざがわりのWモアモアが、喋りまくってしまったのがいけないのだろうか・・・。

        昼の部の幕が下りはじめ、枝助が何回も頭を下げている。これで出ようかと思ったが、何だか消化不良のよう。そのまま夜の部まで居残り佐平次。前座の雷門花助が『八問答』を手馴れたテンポで軽快に喋り、消えていく。頑張ってね。

        出ました、神田北陽の講談だぞ! 釈台をバンバンと叩き、いつものツカミ。「釈台の叩き方には、ある一定の法則があります。一回バンと叩くのは句読点の句点のようなもの。バンバンと二回叩くのが、いわば読点。他にも私が編み出し叩き方があります」と、バンバンババンバンとリズムをつけて叩いて見せる。「めったやたらに叩く。これはお客さんを眠らせないために叩くだけ」 この日のネタは『太閤記 曽呂利新左衛門』。この人の講談、めったやたらと面白い。15分くらいの持ち時間なのに、10分くらいで切り上げてスーッといなくなっちゃうのだが、物凄い早口。だからその内容たるや、普通の人の20分以上のものがギッシリと詰まっている。

        よし、それでは私にとってのトリは北陽だったということで、小屋を出よう。外へ飛び出すとムッとくる暑さ。ヒラリと愛馬に飛び乗って、一鞭ピシリとくれると、一目散に投票所へ向けてパカランパカランパカランパカランと、バン! いけねえ、馬なんていないんだ。地下鉄に乗ってガタゴトン、ガタゴトンと・・・・・・って、締まらねえの!


July.29,2001 レアネタ歓迎!

7月28日 本牧落語五人会 (お江戸日本橋亭)

        たまにはあんまり高座にかからないような珍しい噺が聴きたい。今月の本牧落語五人会のネタは、『千両みかん』以外はあまり聴かないネタが並んでいる。よーし、これに行ってみよう。

        前座は桂才ころで、ネタが『十徳』。愛嬌があって、好印象を与えるいい前座さんだ。『十徳』を時間をかけて、じっくりと聴かせる。もうすっかり噺家に慣れてきた感じだ。いいねえ。上手い。頑張ってね。

        柳家小ゑん。「楽屋に差し入れがありましてね。吉窓さんへっ言うんですが、勝手にみんなで分けちゃおうって開けてみたら、タラバガニのカニ缶なんですよ。差し入れにカニ缶ってどういう意味だろうと考えたんですが、きっと『いつまでも横ばいの芸であるように』って・・・違うかな。きょうのネタが『叩き蟹』なんですね」

        「印刷物には私のネタ、『フェ』となっていますが、正しくは『フィ』です。三遊亭円丈師匠が十年以上前に作って、二度ほど演っただけという噺でして、誰も知らないから間違えても大丈夫。それにしてもくだらない噺なんですよ。稽古してて演るのがイヤになってしまう」 こうして始まった『フィ』だが、あらあら、私、これ聴いたことがあるよ。久しぶりに逢った友人同士、話していると一方の男の会話の中に「フィ」という言葉がやたら挟まる。「お前、なんで、やたらと[フィ]という言葉を入れるんだ?」と訊いてみると、「みんな入れてるじゃないか」という答え。こうして他の人とも話してみると、みんな「フィ」という言葉が入っている。「あのー、トイレはどこでしょう?」 「トイレはフィ、ここをまっすぐフィ行って突き当たりを右フィ行ったところフィ」という具合。自分がおかしくなったのかと精神科に行くと・・・。円丈師匠、これ二回だけってことはないよなあ。だって私聴いているもの。すごくシュールな噺で、なんだか筒井康隆あたりが書きそうな噺なので、よく憶えている。

        五街道佐助。「珍しい噺をかけてみようと思いまして・・・、最近はあまり演る人が少なくなってしまった噺でして・・・。今では私の師匠の雲助が、たまーにかけるくらいで、そのまた師匠の十代目馬生がよく演っていたというものでございます」との前置きで始めたのが、『臆病源兵衛』。夜は物騒だからと昼間しか出歩かない臆病者の源兵衛をおどかしてやろうと、うまいこと誘い出した隠居と八五郎。隠居が台所で鉄瓶に水を入れてきてくれと源兵衛に頼むと、そこに待ち構えていた八五郎が幽霊のマネをしておどかす。びっくりした源兵衛が、思わず八五郎の頭を鉄瓶で殴ってしまう。さあて死んだ八五郎の死体をなんとかしようとツヅラに入れて、不忍池までやってくるが、実は気を失っただけで生きていた八五郎が息を吹き返す。不忍池のハスを見て、ここは天国に違いないと勘違いをするが・・・。ここは天国なのか地獄なのかと聞いて歩く後半が、この噺の面白いところ。くだらねえなあと思うような噺なのだが、たたみ込むような演出で、テンポがあって面白く聴けた。

        林家正雀は『男の花道』をかけてきた。何かと思ったら、芝居などで有名なあの噺。旅先で突然の目の病に苦しむ売れっ子の歌舞伎役者中村歌右衛門を治療してあげた名医。のちに酒席でからまれる。そのときふと歌右衛門の名前を出すと、本当に歌右衛門を知っているというのならここに呼んでみせろと言われる。それはできないと言うと、歌右衛門と知り合いだなんてウソだろうと言いがかりをつけられ、ひっこみがつかなくなる。そこで、公演中の劇場に手紙をしたためて届けさせると、公演の最中だといのに、命の恩人のために芝居を放り出して医者のところへかけつけるいう、涙の物語。正雀は、キッチリとこの名作を演じてみせた。この話、実話じゃないよねえ。どーも、私、この話って以前から無理があるような気がしてるんですがねえ。旅先で眼病になって、それを治すっていうのもヘンな話だけど、酒席でからむ男もヘン。歌右衛門を今ここに呼んでこいと無理強いするのもヘン。医者が来なかったら切腹してみせるとまで言いきってしまうのもヘン。まあ、そのへんの無理さかげんを感じさせないのが腕の見せ所なんだろうけどね。

        中入り後、鈴々舎馬桜が「暑いですなあ。37、8度なんて体温と同じじゃないですか。ムッとするような暑さ。これは『千両みかん』を演るのに、その状態が分ってもらえるんじゃないかと・・・」と話しはじめた。若旦那が寝込んでしまっている。番頭がどうしたのかと若旦那に尋ねると、「みかんが食べたい」と言う。「みかんなんていくらでも買ってきてあげますよ」と約束したものの、季節は真夏。どこの八百屋もみかんなんて置いてない。「あのう、みかん置いてないでしょうか?」 「冗談言うない! この真夏にみかんがあってたまるものか! 天水桶にスイカが三つばかり浸かってるから、てめえの頭も一緒になって浸けてから、もの言いな!」 今や真夏でも冷凍みかんがある時代。ちょっとピンと来ないよね。若旦那も若旦那だ。スイカ食べりゃあいいじゃないの。生暖かいみかんよりよっぽど冷したスイカの方が旨いと思うけどね。

        トリは三遊亭吉窓。「いやあ、暑い日が続きますが・・・。先日、橋の上を歩いていましたらね、まるでクーラーのようなヒンヤリした風が吹いてくるんですよ。それで前から歩いてくる人に『この橋は何ていう名前なんですか?』って訊いたら、『レイボウ(レインボウ)ブリッジ』って」 軽い笑いをとって、本題の『叩き蟹』へ。日本橋の橋のたもとの餅屋で騒動が起こっている。子供が餅を盗もうとしたらしい。そこへやってきたある男。自分が金を払うから子供を勘弁してあげてくれと、餅を渡して逃がしてあげる。ところが、この男も無一文。代わりに蟹の置物を彫ってみせ、この蟹を叩いてみろと言って立ち去る。店主がこの蟹を叩いてみると、蟹が横にツツツと動く・・・。名人左甚五郎の噺のひとつ。情は人のためならず、めぐりめぐって自分に帰ってくるという、まさに人情噺。おそらく師匠の円窓から習ったのだろうな。

        レアネタがズラリと並んだ落語会。あまり人が演らないというのは、噺に無理があったり、噺自体がつまらなかったりするわけだろうけど、どうしてどうして楽しんだ3時間フィ。あれっ? 何だかパソコンのフィ、調子がフィ・・・。


July.22,2001 涙はストレス発散の行為

7月21日 志の輔らくご21世紀は21日 (安田生命ホール)

        立川志の輔という人は、私にとって特別な人だといえる。すっかり落語を聴かなくなってしまっていた時期が長く続いていたのだが、何年か前に文化放送の午前の番組で志の輔がパーソナリティをしていたのを仕事をしながら毎日聴いていたことがある。ははあ、これは面白いことを言う人だなあと、何回か独演会に通うようになっていた。円丈一派の新作落語会以外に落語を聴きに行く、唯一の噺家だった。古典落語をこういう切り口で演ることもありかと感心して通っていた。ヘンな落語ファンだったでしょ、私って。

        用があって、上野、浅草界隈を汗だくになって歩いた日の夜、新宿の志の輔の落語会の会場へ。前座は立川志の吉で『子ほめ』。頑張ってね。

        志の輔の一席目。あいかわらずマクラが長く、またこれが毎回面白いとくるからうれしい。「落語会のある日は、なるべく体調を整えて夜に備えるのが習慣だったのですが、このところそれが崩れつつある」と言う。「昼間のビールは効くから飲まないようにしてたのが、2時間ほど寝ればすっきりするのが分り、暑い日など主催者に薦められると飲んでしまうようになったし、昼間、ゴルフでハーフほど回ってからの方が落語がうまくいったりする」 そして、ついにこの日、絶対にやってはならないことをしてから、この会場に来たと言う。「実は今、武道館でアリスのコンサートを見てから来てしまったんですね。あの素晴らしいコンサートを見せられた後では落語なんて出来ない」 ふーん。あんまりアリスに興味のない私にはピンと来ない。まあ好きな音楽は人それぞれ。まっ、いいか。私にはアリスよりも志の輔の落語の方が感動がある。

        アリスの話から、マクラは一転。言葉というのは、選び方、使い方だという話になる。人の持っているカメラを「古いカメラだね」と言うよりは「懐かしいカメラだね」と言った方がカドがたたない。「AさんよりBさんはきれいだ」と言うとAさんは否定されるが、これが「Aさんにも増してBさんはきれいだ」と言えば、Aさんは否定されない。[より]と[増して]の言葉のマジックだ。「ただし、この使い方を間違ってはいけません。『Aさんにも増してBさんは貧乏だ』という使い方はまずい」 この辺の言葉遊びが志の輔らしい。

        いったいこのマクラから何を演るのだろうと思っていたら、『ちりとてちん』だった。予定していた句会が中止になってしまったご隠居。六人前の料理を頼んでしまったものの、この処分に困る。口の達者な六さんに一人前薦めると、「おっ、これが鯛の刺身ですか。私は世の中に鯛の刺身というものがあるというのは聞いていたのですが、食べるのは初めて」と口に入れて、「生きがいいから、口から飛び出してきそうだ」 うなぎの蒲焼を食べちゃあ「飲みこまなくても、うなぎの方から口に入ってくる」と如才ない。気持ちよくなったご隠居、反対にいつも言葉にトゲのある、しったかぶりのタケさんに腐った豆腐を食べさせようと思いつく。凄い臭気に咽ながら腐った豆腐を食べるタケさんの表情が圧巻!

        二席目に入る前に、マサヒロ水野の西洋お手玉。これは、ボールを使ったジャグリングのショー。音楽に乗って無言でボールを投げ上げているだけなのに、実に芸になっている。三つのボールでジャグリングするだけでなく、手のひらで四つ、五つとボールを回してみせたりする。さらにはライトを消して、光跡の残る光るボールを使ってのジャグリング。そのきれいな事! 客席から溜息が漏れる。笑いの要素も交えながら行われるこのジャグリングにすっかり酔いしれてしまった。

        着物を着替えて、志の輔が出てくる。「男より女の方が平均寿命が長いのは、どうも精神的な部分があるからなんでしょうね。どうも泣くという行為は、目からストレスを発散させているらしい。女は泣きたい時に泣ける。それが男は小さい時から『男のくせに、泣くんじゃない』なんて言われて歯を食いしばって耐えていたりする。それがどうもストレスになって長生きできないんじゃないかと・・・」 なるほどねえ。客席から盛大に拍手があがる。意外にも女性からの拍手が多い。ふーん。

        このマクラで、果たして何の噺かなあ。人情噺で泣かせようというのかなと思っていたら、なるほど、「噺の方で自分の感情を出してしまってもおかしくないのは若旦那という存在でして・・・」と『唐茄子屋』が始まった。遊び者でついには親から勘当されちゃった若旦那の徳さん。身投げをして死のうというところを、叔父さんに助けられる。真人間に戻してやろうと、商売の八百屋の唐茄子を売らせることにする。朝方、唐茄子を仕入れてきた叔父さん、「いやあ、きょうも暑いなあ。こりゃあ、お天道様ひとつじゃねえぞ。もうひとつどこかに隠れているに違えねえ」 その暑い日に若旦那に唐茄子を担がせて商売に出す。この叔父さん、実は人情家。甥の若旦那のことを心配しているのだ。勘当された若旦那の徳さんを、「徳はどうしたんだろう」と毎日気にかけていたのだ。そのことを女房に指摘されると、「いやあ、俺は『徳はどう死んだんだろう』って言ってたんだ」って否定する。江戸っ子だねえ。

        額に汗して、天秤棒を肩にしょって唐茄子を売る徳さん。疲れ果てて荷を投げ出してしまう。通りかかったニイさん、徳さんから事情を聞いて、可哀想だと代わりに唐茄子を近所中に売ってくれる。地道に働くこと、世の中、情のある人もいるんだと身を持って体験した遊び者の若旦那だ。売れ残ったあとふたつの唐茄子を持って、貧乏そうな長屋を通りかかると・・・。いやあ、泣けましたね。

        『唐茄子屋』を演じ終えた志の輔、「アリスは同じ曲をばかり毎回演っているのに、何であれだけ受けるんだろう。そこへ行くと私は毎回同じ噺を演るわけにはいかない」なんて言ってたけど、私ももう何回も『唐茄子屋』違う人で聴いているけれど、そのたんびに感動してしまう。男なんだからと泣いちゃいけないと思いながらも、やっぱり泣いちゃった。ところで、緑内障に涙はいけないのだろうか? 緑内障の原因ははっきりしないのだけど、どうも疲れ目とストレスにも関係しているらしい。涙もろいほうだから、悲しい映画を見たり人情噺を聴くたびに涙を流していたんだけどなあ。


July.21,2001 わーい! 志ん五の与太郎だあい!

7月20日 国立演芸場中席

        前回一緒に末広亭に行った友人のご贔屓は、春風亭柳昇と林家木久蔵。このへんの感覚が私には分らなかった。4年前の私にとって、このふたりは到底面白いとは思えなかった噺家だった。しかし、せっかく何年か振りで東京に帰ってきたこの友人に付合って寄席に行ってみると、このふたり、面白かったのだ。ガチガチの正統派(?)落語好きからすると、「なんだこりゃ」という内容なのだが、素直な気持ちで聴いてみると、このふたりはバツグンに面白い。この瞬間だっただろうか、私が落語をもっと素直で自由な気持ちで聴きだしたのは・・・。

        先週、帰国中のこの友人は[三越落語会]に、柳昇と木久蔵が出ているという理由で当日券で入ったそうな。ところが、木久蔵は外国旅行帰りで疲れているように見えて面白くない。柳昇は、この4年でめっきり歳をとったようで、ネタの『カラオケ病院』がシャレでなくなっているように感じられたという。ところが、トリで出てきた古今亭志ん朝の『酢豆腐』にすっかり酔いしれてしまったらしい。元気なさそうに出てきてマクラを振る志ん朝に不安を感じたものの、噺に入った途端、突然にハツラツとした高座に変わって、あとはもう、すっかり志ん朝の世界に。もうこの一席だけで木戸銭の4000円は安いと実感したとか。よかったね。

        さて、その友人も、いよいよ遠い国へ戻ることになった。最後にもう一度、落語を聴きに行きたいと言う。今度帰国できるのは何年先か分らない。よーし、それじゃあ、もう一日付合うとするか。国立演芸場中席の千秋楽。色物も多いから、落語以外にもいろいろな芸を見ていってもらいたい。

        前座は権太楼の弟子の柳家さん太。客がゾクゾクと入ってきて落ちつかない客席。こんなに入るのも珍しいのかも知れない。さん太も困惑している。だってまだ正式には開演前の時間だもんね。「席についた順にお聞き下さい」と、まだザワザワしている客席に向かって『一目上り』を一生懸命に演じる。頑張ってね。

        柳家小のりが出てきた途端に、友人が「あれっ!? この人、トム・ハンクスそっくり!」と囁く。本当だあ! この人、トム・ハンクスだよ! と思った瞬間から、頭の中がトム・ハンクスで一杯になってしまう。「旅行なんてものも早くなりましたね。飛行機に乗ると前日に着いちゃったりする」 「江戸時代の交通手段というと駕籠。これは効率悪い。ふたりでひとりしか運べない。なぜかというと、ひとりじゃあ担ぎ難い」とマクラを振って『蜘蛛駕籠』へ。もうこちらの頭はトム・ハンクスでいっぱい。駕籠かきが何をしようがトム・ハンクスが落語をしているようにしか見えない。フハハハハ、面白いなあ! 秋には真打昇進とか。いいねえ。寄席通いの楽しみがまた増えた。与太郎噺なんか演らせたら、もう『フォレスト・ガンプ』そのものになっちゃいそう。

        客がまだ入ってくる。もう立見状態。一旦下りていた幕が再び上がるとBOOMERのコントだ。河田が遊園地へやってくるところから始まる。「ここは一応、遊園地という設定ですからよろしく」 すると、作業着姿の伊勢が登場する。「お暑うございますなあ。7月なのに35度! これだと8月になったら40度まで行きそうですね。12月になったら90度」 伊勢の今回の役柄は、お化屋敷の案内係。5000円で中を案内するという。伊勢が案内するとギャグばかりかまし、ちっとも怖くない。「ちょっと! あんたが喋ると怖くなくなるの! こっちは怖い思いをしに来たんだから!」 最後は例によって紙袋を使った手品ギャグ。この人たち、これすっかり気に入っちゃてるみたいね。

        柳家喜多八が例によって、ダラダラと出てくる。「暑いですから、日が陰るまでここにいた方がいいですよ。それにしてもよく来ましたねえ。その了見がわからない」なんて言いながら、『蛙茶番』の一席。元気あんだよ、この人、本当は。

        奇術のマギー審司が休演。トラが花島久美。CDの色が変わる手品は何となくトリックが分ったような気がしたが、鮮やかだなあ! スカーフ、トランプ、新聞とコップの水、と手品が続き、ロープ手品の種明かし。これも相当に練習しないと出来ないよなあ。すると「蒲田サンケイ学園で手品教室してますからどうぞ」と、ちゃっかりアッピール。

        中入り前は桂文朝。「寄席の方では、言い伝えがありまして、7月20日にいらしたお客様を大切にしろと・・・。そういえば今日は偶然にも7月20日・・・」って、いつものツカミから、「暑いからといって、冷房は体によくないと言います。あまり長く座ってない方がいですよ。私が終わったら帰った方がいい」なんて言いながら、『熊の皮』へ。ようやくの思いで荷を全てさばいた八百屋の旦那、家へ帰れば、やれ水を汲んで来いだの米をとげだの女房にこき使われる。「おまえさんがといだ方が、お米が喜ぶんだよう!」なんて、上手い言いようだねえ。これじゃあ、亭主もやらざるをえない。

        仲入り。相変わらず「血糖値が下がると眠くなる」と言う友人は、コンビニで買ってきたチョコレートを舐めている。「本当はサイコロ・キャラメルが食べたかったのだけど、無かった。あれもう、売ってないの?」 さあ、どうだろう。

        「海の日でございますが、泳ぎにも行かないでお出でくださいましてありがとうございます」と始めた澤孝子の浪曲は『お富与三郎 稲荷堀(とうかんぼり)』 玄治店の話のあとにに当たる部分だ。この有名な話、私は不勉強にしてよく知らないのだよ。玄治店の跡というのもウチの近所にあるし、稲荷堀というのも小網町だというから、ご近所なんだよなあ。今度、勉強してみなくちゃ。与三郎が坊主を殺す凄惨な噺。ふう、凄いねえ! 下手の前の方で聴くいていたら、ツイタテの向こうの三味線を弾いている人が見えちゃった。佐藤喜美江さんっていうのかなあ。美人だねえ!

        古今亭志ん橋。「しんばしと読む人がいますが、しんきょうと申します。噺家でございます。こう言っておかないと坊さんと間違えられる」 スキンヘッドの志ん橋さん。私もスキンヘッドだから、「蕎麦屋でございます。こう言っておかないと、坊さんと間違えられる」と挨拶するようにしようかなあ。ネタは『だくだく』

        紙切りの桜川忠。まずは、一杯の客席を見渡し、[大入袋]をあっという間に切り上げる。続いては歌舞伎十八番『助六』から[遊女揚巻]。三枚のいろ紙を使って、揚巻三枚同時に切り上げる。緑、紫、そして赤。見事だなあ。最初の注文は[おかめ] こんなのはお手のものらしい。二枚一緒に切ってしまう。次が[屋形船] こんなのもよくあるお題。かーんたん簡単。[竜]というお題にはちょっと躊躇。「そういう難しいのはねえ・・・」と言いながら、まずは[ピカチュー]をサーピスで切ったあとで、「それでは、竜、切りましょう」と時間をかけて切っていく。出来上がったものは、真中から開くと見事な双竜!

        トリが古今亭志ん五。「都内の寄席は、新宿、上野、浅草、池袋。みんな繁華街にあります。買物ついでに寄席に行こうなんてお客さまが多いんですが、この国立演芸場は最高裁判所の隣。裁判がてら寄席に行ってみようかというお客さんばかりで・・・」 この日は裁判がてらのお客さんで立見まで出てんだよう! 「こうやって、お客さんを見まわしまして、何の噺をしようかと考えるんですよ。きょうはお子さんが多いから、アンパンマンやピカチューの噺にしようとか、きょうはご老人が多いから、何処の焼き場が安いとか・・・。ええっと、きょうのお客さんはっていうと・・・バカの噺をしましょう!」 やったあ! 志ん五の与太郎噺が聴けるぞ! ラッキー! ふはははは、『道具屋』だあ! こんな前座さんが演る噺でも志ん五にかかったら、とんでもない与太郎さんの登場だあ。ほんとにこの人の与太郎ときたら、もう常軌を逸しているんだから! 「あのね、おいさんね、ネズミの捕まえ方教えてあげようかあ。フフフ」 「どうすんだい」 「オロシガネにね、おまんまっ粒塗りたくってね、ネズミの出てくる穴の前に立てかけておくの。そうすっとね、ネズミが出てきて、『あっ、こんなとこに、おまんまがある。台所まで行く必用ありませんよっ』って食べ始めるとゴリゴリゴリゴリ削られちゃって、最後には尻尾だけになっちゃう」 「ふわあ、寒気がしてきた。どこの世界に尻尾になるまで気がつかないネズミがいるんだよ!」 このエキセントリックな与太郎に場内は大爆笑に包まれている。

        友人もこの与太郎には度肝を抜かれたようだった。お馴染みの噺でも、演る人によって、様々な登場人物になる。これでしばらくまた日本には戻れないという友人も満足そうな笑みを浮かべている。今度は何年先になるか分らないけど、また帰国したら、寄席に行こうね。


July.15,2001 今回は友人と末広亭

7月14日 新宿末広亭中席夜の部

        外国生活の長い友人が、4年ぶりで一時帰国を果たした。久しぶりだね、と夕食を一緒にして、さてこれからどうしようと思っていると、寄席へ行きたいと言い出した。まだ宵の口、夜の部の後半だけなら見られそう。よーし、それなら新宿末広亭へ行ってみようではないか。末広亭の前に着いたのが午後7時をちょっと回ったあたり。うん、中入り前には間に合った。

        木戸銭を払って飛び込むと、ちょうど翁家和楽、小楽、和助のトリオが太神楽を演っていた。傘で毬や枡を回している中を、前から4列目あたりに滑り込む。さあ、和助の五階茶碗が始まるぞ。バチとバチの間に毬をふたつ挟むところでは、友人の口から思わず「うそっ!」と声が漏れる。しかしこの五階茶碗という曲芸、いつ見ても感心しちゃうなあ。和楽、小楽のナイフの交換取りも見事に決まって、さすがさすがの太神楽。

        三遊亭円弥は、やっぱり幽霊は東京弁でなければいけない、これが大阪弁だと、「うらめしおまっせ。そやかて恨みはらさずおきまへんで。あほらし」となって、ちっとも迫力がない・・・ってホンマかいな、あほらし。ちゅーて『皿屋敷』に入りはったわ。お菊の幽霊が出るというので評判になって人がワンサカ集まってしまうある御屋敷。「こりゃ、末広亭より客の入りがいいね。土日だとざっと5〜600人」 そういえばこの日の入りは、ざっと4〜50人といったところか。あまりいい方の入りじゃないなあ。さて、噺の方は興業師までが乗り出して、バカな盛況。「客集めるなら、やっぱりアマッコでなきゃね。噺家何人集めたって客は来ない」

        さすがにもう、あんまり驚かなくなったけど代演はショックがある。柳家権太楼が休演で、トラが柳家小満ん。ネタが『宮戸川』だったのだけれど、途中で隣の友人を見たらば熟睡中。寄席の定番のようにして乗せられるこの噺だが、毎回のようにして聴かされていると、つくづく難しい噺だと思えてくる。半七とお花の物語が中心にあるはずなのだが、霊岸島のオジサンの家に泊めてもらおうとふたりで行くと、噺がオジサンとその古女房の会話に移行してしまう。聴く側の立場としては、そこで若いふたりの噺が一端切れてしまうのがもどかしい。確かにオジサン達の昔ののろけ話も面白いのだが、ほどほどにしないと、噺の方向が途切れてしまう。この辺のバランスが演者の腕の見せ所になってくるような気がする。

        中入り。『宮戸川』の終り近くで目を醒ました友人は、売店に直行。甘納豆を買ってくる。おいおい、さっき一緒にメシ食ったばかりだろうが。そしたら、「血糖値が下がると眠くなっちゃうの。これで大丈夫」ときたもんだ。そんなもんかねえ。

        春風亭勢朝も休演。トラが三遊亭吉窓。「勢朝は、急にいい仕事が入りまして、今朝方から行方不明でございます。筆記用具をお持ちの方は、プログラムの勢朝という字を消していただいて、ついでに[バカ!]と書いておいていただいて、隣にどうか[吉窓]と書き直しておいてください。なかなかいい男だったと書き加えておいていただきますと、より良いのではないかと・・・」 休演するとホントに何を言われるかわかんない。「先日、岐阜へまいりましたら、鮎の塩焼きが出されたんですね。よく見ると鮎の脇の部分にへこみがある。これが鵜飼で捕った鮎だというんですね。鵜の噛み跡が残っているんです。つまりいっぺんは鵜が飲み込んだものでしょ。それを鵜飼いが吐き出させたもの。ああいう鳥は歯なんか磨かないだろうし・・・。もっともウガイはしている」 

        ネタの方は、なんだこれは? 聴いたことない噺が始まっちゃった。子供がおとっつぁんに英語の勉強を教わりにくる。「英語かあ。おとっつぁんが英語を習ったのはもう25年も前のことだ。いいか、学問なんてのは進化するものだ。この25年のうちで変わってしまったかもしれんぞ」 怪しげな英語の話題から、子供の通っている学校で今、都都逸を作るのが流行っているという話題へ。そんなのいつの時代だあ。おとっつぁんも都都逸を作るのは得意だと題を貰って作り出す。茶碗が題に出ると♪茶碗片手にお箸を持って、あとはオカズを待つばかり なんてえのしかできない。それに対して息子の学校の友人のは♪桜吹雪が腰掛け茶屋の、すする茶碗の中に散る ってキレイだねえ。それで息子の作ったのが♪きのうもきょうもあなたは来ない、ヤケで飲みます茶碗酒 って、おいおい、いくつなんだこの子。

        ギター漫談のぺぺ桜井。「若い人には勝てませんね。知能指数高い人がたくさんいますからね。でも負けませんよ、体脂肪率なら。それに背が高いですよね、今の人は。でも血圧の高さなら負けませんよ」 いつものように『禁じられた遊び』を弾きながら『浪花節だよ人生は』を歌い、『さよなら』で終わる。友人、「最後のところで、あの人、イヤな顔してた」―――って、あれはいつもの演技なんだって! 客が多くて盛大な拍手で終わると決まる演技なのだけど、この日みたいに客が少なくて拍手がパラパラだと決まらないんだなあ、これが。

        三遊亭円窓。最近、スポーツ新聞の一面に相撲の話題が出ないという話から入って、トンチ相撲のことになる。「朝、会社に行く亭主には、そのおかみさん。送り出しておかみさんの勝ち」 「仕事に行こうとして家を出ようとするでしょ。新婚当時は、女房が出てきて『行ってらっしゃい』と言ってくれたもんですよ。それがこのごろ、そんなことしてくれやしない。靴を履いて外へ出ようとするでしょ。女房なんて出てきやしないから、ムッとしてまた靴脱いで、ツカツカツカツカと部屋へ戻って女房に、『(気弱に)行ってまいります』。それくらい厳しいんですから。こういう風にね、こっちから言ってやれば、『ああ、本当は私の方から挨拶しなければいけないんだ』と思ってくれればと思ってやるんですがね・・・それで向こうから挨拶してくれるようになっていれば、こんなところで絶叫していなーい!」 ネタは、うわーこりゃ初めて聴く噺だよ。『半分垢』ではないの。巡業を終え、東海道の吉原の宿の茶屋で富士山を見た力士。茶屋のお姉さんに、「さすがに大きいですねえ」と言ったらば、「大きく見えるようですが、半分は雪です」とけんそんした答えが返ってくる。人間、自分を卑下して語らなければいけないと悟ったこの力士・・・演題みればもうオチは分るよね。

        柳家さん喬。「夏も終りに近づいてきました・・・そんな話を早くしたいですねえ」 この日も猛暑。今年はまだ7月というのに梅雨はどこに行っちゃったんだろう。末広亭の古いクーラーも、客が少ないと冷え過ぎ。おやあ、吉原がどうのこうのというマクラを振ってるぞ。これ、もしかして、またもや『徳ちゃん』かあ? 「大正時代、私どもの先輩にあたる噺家がふたり、吉原に遊びに行ったという噺でございまして」 やったあ、『徳ちゃん』だあ! 喬之助で聴いて以来、私はこの噺が大好きになってしまったのだ。やっぱり師匠の『徳ちゃん』は一味違う。身長180cmはあろうかという、小錦そっくりな花魁が相方に出てきて、思わず「私はね、女遊びに来たんだからね、度胸試しじやないんだからね」と言ってしまう。このバケモノみたいな花魁が何回聴いても可笑しい。「ウハハハハ」という不気味な笑い声の花魁、うーん、夢に出てきそうだあ。

        ひざがわりが、大空遊平、かほりの夫婦漫才。かほりって美人だから、出てきただけで高座がいきなり明るくなる。一方的に喋りまくるかほりに、ときどき合いの手のように入る遊平。この緩急が楽しい。ネタはゴミの話。いかにも主婦らしいテーマだなあ。かほりが「賞味期限には気を使ってますよ」と言うと、遊平が「そうそう、薬なんて長いこと引き出しに入ったままで使わなくなっていたりしますからね。ウチの風邪薬なんて大丈夫かい?」 「ああ、期限が切れそうだったから、この前、あなたの布団剥いで風邪ひかせて飲ませたわよ!」 「そりゃあ、ないだろ」 「あなたとハサミは使いよう、って言うでしょ」

        トリは春風亭一朝。林家彦六の逸話から、『片棒』へ入る。ケチ兵衛さんが、自分が死んだらどんな葬式を出すかと三人の息子に質問する噺。豪華な葬式にしようとする長男。粋な葬式にしようとする次男。安くあげようとする三男。中でも、次男の部分が聴き応えがあった。山車におとっつぁんの人形を飾って、お囃子がつく。そのへんのノリが絶好調。三男のオチが決まって幕が下りていく。座布団を脇にずらして、幕が閉まりきるまでお客さんに挨拶をする一朝。あの熱演を見せられちゃあ、惜しみない拍手をする気になる。

        熱風の新宿の街へ。友人と今見た落語や演芸の話で盛りあがった。たまに、友人の住む都市にも噺家が来ることがあるという。でも一年に一度くらい。何回かテープを送ってあげたことがあるのだが、やっぱりこういうのはナマでなきゃね。


July.9,2001 これぞ、コント!

7月8日 パンタロン同盟 (下北沢 ザ・スズナリ)

        ラサール石井、小宮孝泰、清水宏、春風亭昇太による、毎年、夏に行っているコント集の第3弾。前二回を見逃していて、今年こそはと勇んで出かける。

        開演前に、例によって昇太の前説テープが流れる。「携帯電話、PHSなど音の出るものはスイッチをお切りください。もし公演中にベルが鳴ったりしたら、公演は即中断し、草の根分けても捜し出し、もう、ひどい目に合わせますからそのつもりで・・・。フハハハハハ」

        まずは、『ケガ奉行』というコント。石井と小宮がジャレ合っていると、小宮がケガをする。どうしようかと迷っていると、そこに現れるのが清水のケガ奉行。ウンチクを述べて去って行く。これは3段オチになっているネタで、さあいよいよ3段目というところに現れるのが、何とオチ奉行のゆーとぴあ・ホープ。今回の特別覆面ゲストだ。

        そのあとが、清水と石井のシュールな『スポーツ実況中継』。昇太、小宮の切腹をテーマにした連続ショート・コント。石井、清水の忍者連続ショート・コントなどが続く。

        上手いなあと思ったのが、小宮の主婦、石井の八百屋という設定のコント。さすがにコント赤信号で鍛えた、ふたりの息。ともすると泥臭くなりがちなタイプのコントをアドリブを入れながら進めていく。「ウチの野菜はテンノウご用達だからね」 「えっ! ほんとう? 皇居に届けてるの?」 「いや、自ら買いに来るんだ」 「ええっ!?」 「コウゴウも来るよ!」 「ほっ、本当?」 「ミチコさんね」 「ええっ!?」 「もっとも皇居じゃなくて、そのカド曲がったところのウチ」 「だって、天皇って言ったじゃない!」 「うん、みんなは天野って書いて、アマノって読んでるけどね、オレはテンノ」 「みっ、ミチコって言ったじゃない!」 「うん、奥さんの名前がミチコ」 「でもコウゴウって言ったでしょ」 「うん、旦那さんと交互に来るんだ」

        中休みのような、4冊の国語辞典を使ったコーナーを挟んで、北島三郎(ゆーとぴあ・ホープ)と山本譲二(清水宏)のコント。ホープ独特のテンポでアドリブらしきものも多く、ちょっと間延びした印象。清水の困惑した表情がまた可笑しい。

        やっぱり、小宮と石井がからむと面白くなる。金融屋(小宮)と、借金取りに追われる夫(石井)と、その妻(昇太)のコントになると、小宮が飛ばしまくる。石井が「何年かに一回、この人、こうやって切れることがあるんですよ」と舞台を暴れまくる。この息と間なんだよなあ、本当のコントの醍醐味というのは。この人たちは、それをよく知っているんだ。最近の若手コントたちは、この呼吸が分っていないから、ただただセカセカしているだけで、笑いに結びつかない。

        総理大臣(石井)への記者(小宮、清水)会見コント。これはあまりにブラックで、とてもここには書けない。でも、面白いんだなあこれが。替わって、落語家が総理大臣だったらという記者会見。お囃子に乗って昇太が羽織姿で登場。「構造改革について、意見をお願いします!」 「構造改革。はい、いただきましょう」 「いっ、いただきましょう?」 「構造改革とときまして、キャバクラのホステスとときます。そのこころは、できそうでできません」

        ニューヨークの街のビルの屋上。ついに完全犯罪が破れ、犯人(石井)を逮捕しに来たふたりの刑事(小宮、昇太)。そこへ現れたのが、モロに『北の国から』の田中邦衛(清水)。ニューヨークの都会を、いきなり北海道に持っていってしまう。

        このへんから清水宏が弾ける。次が、呆け老人大喜利で、昇太が司会。あとの三人が回答者となるが、もう清水が飛ばす飛ばす。問題なんてどうでもいいらしくて、ボケまくり、舞台狭しと暴れる暴れる! なぜかシコシコと紙切りで宝船を切っている小宮。そんなものも清水にかかっては、あっいう間にひっちゃぶられる。ちょっと暴走しすぎか、昇太たちに最後は座布団で殴られていた。

        シメは、ゆーとぴあ・ホープのお得意の卒業式ネタ。ホープが先生になって、4人がひとりひとり卒業生となって、最後の挨拶に行く。このへんはもうアドリブが多いみたいだ。4人とホープのアドリブがどうぶつかるかが、楽しい。小宮は「先生、最後に人生とは何かを教えてください!」との答えに「ほら、あの空を見ろ!」と言われ、「先生はあの大きな空のように広い心を持てとおっしゃるのですね」というお決まりのパターンのあとに、アドリブで「人生とは長靴のようなものだ」と言われ、「長靴!? ちょっと待ってくださいね、今考えますから・・・・・・・・人生とは雨の降ることもある。道はドロンコのこともある。心して歩んでいけということですね」と切り返す。石井、昇太と続き、最後は清水。例によってのゴムバンド。見事に決めて幕。

        みんなが楽しんで演っいるなあという2時間20分。これぞコント! ほんと、こんな小さな劇場で4日間公演。もっと、みんなに見て欲しかったなあ。特に今の若手お笑いコントの人には、本当に面白いコントというのは、こうなんだよというのを見て、感じて欲しかった。来年も行こうっと!


July.8,2001 タニマチにはなれないけれど、おめでとう! 三太楼!

7月7日 第50回ミックス寄席[三太楼前祝い] (浅草・木馬亭)

        今年の9月に真打昇進が決まった柳家三太楼の、前祝いの会の4回目。前祝いだけで、もうこんなに演っているなんて、なんと恵まれていることか。場内は補助椅子までいっぱい。人気のほどが感じられる。幕が上がると、うしろには[柳家三太楼賛江 柳家三太楼後援会より]といううぐいす色の垂れ幕が下がっている。もう師匠扱い?

        前座は、柳家ごん白。いきなり「おとっつぁん、何もねだったりしないから、天神さま連れてっておくれよ」 「よし、約束だぞ」と『初天神』が始まる。団子を買ってもらうところの、おとっつぁんがミツを舐めとってしまうあたりの描写が細かい。飴玉のくだりは演らずに高座を下りる。なかなかいいじゃない、ごん白くん。頑張ってね。

        柳家三三。知ったかぶりの旦那に、八っつぁんがいろいろと質問をぶつける『やかん』。「やかんは、なんでやかんというんです?」の問いに突然、講談が始まってしまう。「なんで講談演ってるんですかい?」と言う八っつぁんに、「ちょっと待ってな、今、趣味の時間なんだ」。川中島の合戦に那須与一が出て来たりして、大騒ぎ。一席終えると、「落語の会でございます。色物がないので、踊りをひとつ。畳半畳の踊り『奴さん』」。『やかん』の講談部分のノリといい、この寄席の踊りといい、器用な二つ目さん。先が楽しみだなあ。

        柳亭市馬。「木馬亭開場以来の入りで、席亭さんに成り代わりまして、御礼申し上げます。お客様の中で、よく隣の人と話している方がございまして、マクラを振っただけで、『たぶんこれ、[子ほめ]だよ』なんておっしゃっている。それで、噺に入ると『ほうら、[子ほめ]だ!』 『もうすぐ何か食べるよ。ほら食べたろ! 食べたらあと5分。もうすぐオチ言うよ。ほうら、言った』」。このあたりで客席から何か意味不明の声がかかるが、聞き取れず。市馬もちょっと困惑の様子。そのまま『高砂や』に入ったのだが、最初ちょっと調子が出ない。この人の落語は、よく言うとキッチリとした端正な落語なので、何か動揺があったのかな? 話しているうちに、調子が戻ってくる。謡いの稽古をつけてもらっている八っつぁん、どうも謡いの調子が掴めない。いつしか、謡いが浪曲に変わってしまう。「♪たーかーさーごーやー 清水港の次郎長はー」 「おいおい、浪曲演ってるんじゃないんだからね」 「へえ、木馬座なもんなで、つい」。

        中入りの前は三太楼の師匠である柳家権太楼。なぜか最近見たという、話題の映画『A.I.』の粗筋を紹介しはじめる。なんだかよく分ったような分らないような説明を聞き流していると、結論として、「この映画は[愛]をテーマにしているというのに、これには[愛]がひとつも描かれていない。虚しくなっちゃいましてね・・・。それで、きょう、また寄席と寄席の間に『沈黙のテロリスト』というのを見にいったら、これまた虚しくなっちゃった」。

        へえ、師匠なかなかの映画通なんだと思っていたら、「それでね、今、ごん白の落語で余計虚しくなっちゃった」とごく白を高座に呼びつけて小言が始まってしまう。「ごん白は、楽屋での評判がとてもいい。キビキビしていると、志ん朝師匠からも是非自分の会で使わせてくれと言われています。が、きょうのあの落語はダメです。あれは、誰から習った噺ですか? 大方、さん喬さんに教わったんでしょう? さん喬さんはそんな教え方はしない! 君は受けようとしている! その意地汚さが落語に出ている! 落語は素直に演ればいいんです。自分の個性を出そうなんていけない!」

        「あの『初天神』の子供は何歳のつもりだ?」 「小学校に上がるか上がらないかくらい・・・」 「そうでしょ! あれじゃあ、ごん白自身の歳だ。子供らしさが出ていない」。ジッと手をついて師匠の話を聞くごん白。「それから時代考証だ。アタシは、たこ焼き屋が出たときにはびっくりしました。あの時代には、たこ焼き屋なんてなかった! たこ焼き屋を出しちゃいけない!」 「あれは、さん喬師匠も、たこ焼き屋を出して・・・」。場内爆笑。 「それは口答えという! おい、喬太郎!」。中入り後が出番のさん喬の弟子、喬太郎が普段着のまま、高座に出てきて手をついて頭を下げる。「お前の師匠はどういう師匠だ!」 「はい、よく言っておきます」とピューと楽屋に逃げる。「あの人が演っているのならいい。だが、お前は演っちゃいけない! それから、目の演技を使わなきゃいけない。ほら、目をな、こうやって(表情を浮かべて)ツーッと回すだけで、お客さんに屋台を見せるようにするんだ。目でお店を見せるというやつだ。いいか、大きな声で落語を演ったり、受けようと思っちゃいけない。生意気にも途中から入ったろ。そういうのは前座はやっちゃいけない。ヘタなところで入ってヘタなところで切ろうなんて思っちゃいけないんだ。あの噺は、ちゃんと演れば30分かかるものだ。頭から演って、時間がきたらそこで止めて下りればいいんだよ!」

        ごん白を下がらせて、「まあ、今夜は特別な、アット・ホームな夜です。そういう見方があるんだと分ってもらえばいい。そうかといって、お客さんをシーンとさせて帰っちゃいけない」と始めたのが『宗論』。だが、私の見方がおかしいのだろうか? この日の権太楼の調子はいまひとつ盛り上がらない。いつものような弾けるような、客席を笑いの坩堝にするようなテンションが感じられない。どうしたんだろう? 受けようと思っちゃいけないなんて言ってしまった手前、セーブしちゃったんだろうか? シロートでしかない私の目には、ごん白くんの落語は、前座としてはそう悪くないように写ったし・・・。前座のうちは、キチンとした落語を演れという小言なのだろうか? それはそうなのかもしれない。でも、この日の権太楼の落語は、なぜか生彩を欠いているように感じたのは私だけだったのだろうか?

        中入り後に口上。幕が開くと、下手から、市馬、三太楼、権太楼と並んで頭を下げている。市馬の挨拶。「このたび、9月に三太楼くんの真打昇進が決まりました。昭和63年入門。NHK新人演芸大賞、国立演芸場花形演芸大賞など、さまざまな賞をもらいまして、テレビのレポーターもこなすというマルチな活躍をしております。権太楼ゆずりの陽気な芸風。みかけは薄ボンヤリしておりますが、男気のある噺家でございます」

        つづいて権太楼の挨拶。「ウチに来たばかりのころは、これのおとっつぁんとおっかさんが毎年訪ねてまいりまして、『大丈夫でしょうか?』と訊くんです。そのたびに『分りません』と答えてまいりました。噺家というのは、いつ、どう化けるか分りません。これから先は・・・。分りません。分らないから楽しいんです。一生懸命やってもダメだった。それが落語なんです。やがて壁にぶち当たることがあります。スランプです。それを脱け出すのに5〜7年かかることもあります。そのときは、どうか耐えて見つづけてやってください。いずれ、『良くなったなあ』という時が来ます。そうなれば成功です」

        「私も真打披露興業の経験はあります。都内の各寄席を回って50日間演りました。もう緊張でいっぱいでした。ほとんどの高座であがってしまいましたね。やるぞという気持ちが空回り。新聞には『凄い真打が出たと聞いたが、たいしたことないじゃないか』と書かれました。トリをとっていると、ひとり、またふたりと、お客さんが席をたってしまうんですね。『ああ、帰らないでくれ』と思う。小さん師匠に打ち明けました。すると『みんな帰っちゃったのか』 『いや、みんなじゃないんですが・・・』 『いいじゃないか、何人でも残ってくれているなら。みんな帰っちゃったら、お前も帰りゃいい』。それからですね、帰る人は帰れって気持ちになれたのは・・・」 「噺家は大博打はしません。てめえが人生、丁半賭けているからそんなことはしない。この噺家が大成するかどうか、噺家を自分の人生の遊びとしてみてくれると。うれしいなと・・・」。ここで三本締め。

        柳家喬太郎は、さっきの一件があって、演りにくそう。「きょうのことは、どうぞ忘れていただいて・・・」。そこに拍手。「そこで拍手貰っちゃシャレにならない」。古典ばかり続くためか、あるいはさっきの件で演りにくいのか、新作の『母恋いくらげ』。浜に打上げられたクラゲの坊やとバス遠足に来た小学生の結びつきは・・・。ナツメロしか歌えないバスガイドと小学生のやりとりが可笑しい。そんな中に二日酔いのマセた小学生。これは新作だから、小学生らしくなくてもいいのね。みかん食べながらブツブツとひとりごと。「今月のイイノホールの『円朝祭』で、志ん朝師匠のあとで、この噺演らなくちゃならないんだよなあ」

        この夜の主役、トリの三太楼が高座に上ると、「待ってました!」の声。すかさず三太楼、「今、声をかけてくださったのは私の小父さんでした」。「志ん朝師匠が言うんです。『噺家はね、健康より丈夫だよん』って、どういう意味ですかねえ」とマクラを振って、『崇徳院』に入る。原因不明の病で寝こんでしまっている若旦那。カシラがどうしたのか聞き出そうとすると、「笑っちゃイヤだよ」という。絶対に笑わないと約束させて話し出すと、これが実は恋煩い。グッとこらえるカシラ。そのこらえ方が上手い。やがてこらえ切れずに大笑いを始めてしまう。「すいません。1分間だけ笑わせて!」。2月にこの人の『紺屋高尾』を聴いたが、あれも恋煩いの噺。ただ、あれは職人が恋煩いをする。見事に職人の風情で恋煩いを描いてみせたが、今回はキチンと若旦那の恋煩いになっている。あいかわらずひとりひとりのキャラの立ち方が上手い。喬太郎よりも兄さんにあたるが、喬太郎には1年先を越されてしまった。しかしこの人、なかなかに味のある上手い噺家だと思う。秋の披露興業が楽しみだ。

        外に出ると、権太楼師匠自らが出て、お客さんに挨拶している。高座を下りたばかりの三太楼の姿も。客のひとりが、三太楼の懐の中にご祝儀を突っ込んでいるのを目撃する。ああ、いわゆるタニマチさんかあ。あーあ、私もあんなことができたらなあ。暑い日が続いていたが、この日は妙に涼しい。もう店が閉まりはじめた浅草ロック街をブラブラと歩き、インド料理屋で遅い夕食とした。


July.2,2001 上野清水の観音様に百日願かけようか

6月30日 新宿末広亭六月下席夜の部

        眼圧は下がったものの、それは薬のせいで一時的に下がっただけかもしれない。町医者にかかった時のように、またいつ、薬が効かなくなって眼圧が上がるか分らない。いくらか、元気は出てきたものの、やっぱりちょっと気分は沈みがち。こういうときは、小難しい映画を見るよりは、寄席に行って笑った方がいい。新宿末広亭、六月下席の夜は柳家小三治がトリを取る。この日は千秋楽。ほかに行ける日がなかったから、ラストチャンスだ。

        末広亭に入ったら、すでに前座さんの高座は終わっていた。柳家三之助の『金の大黒』が終わろうとしているところ。あれえ? 交互出演の予定の横目家助平でも柳家小のりでもないわけ? みんな、そんなに忙しいのかなあ。

        松旭斎菊代がカードの手品を始める。サイコロのようなカードで、最初は1。裏返すと4、もう一度裏返すと2。さらに裏返すと5。最後は1に戻っている。「それでは種明かししましょう」と言って、種を明かすと「なあ〜んだあ」という簡単な仕掛け。「それでは、おうちに帰ってやってみてください」と、仕掛けのついたカードを客席に飛ばす。「では練習です」ともう一度演ってみせ、さらにもう一度演ると、ありゃま、これは配った仕掛けのあるカードじゃ出来ない。最後はビール瓶の空中浮揚。終わったビールを紙コップに注いでお客さんにサービス。

        柳家はん治。「いろいろなところで、落語を演っています。先日なんて横浜の中華街の料理屋でしたよ。円卓の上が高座。噺がつまらないとグルグル回されちゃう」。ネタは『権助魚』。

        柳家喜多八が例によって、ダラダラと出てくる。「悪気はないんですが、虚弱体質でして・・・、血圧は低いし・・・。やる気がないわけではないんですが、力が入らない」。ウソでえ。こちとら、そんなの演技だと分ってるよーだ。ネタは、おお! また『筍(かわいや)』ではないの。この噺、この人に合ってるよ、本当に。

        三遊亭歌奴。「今、笑える処といったら、寄席と国会だけ。国会はウソが多いけど、寄席はロクなこと言わない」 「異常気象が続いてますね。きのう、夜中に起きちゃった。異常起床」 「近くの洋菓子屋、潰れちゃった。ケーキ悪いんですね」 「池袋からバスで来たんですが、乗客の9割はジジババ。このまま焼き場へ行けばいいのにね」。このまま、話は老人ネタの漫談へ。と言ったって、この人ももう六十代でしょ。

        民謡の柳月三郎。三味線を弾きながら次々と民謡を歌いあげる。「きょうは声の調子がいい。こればっかりは高座に上がってみないとわからない」っていつものセリフだけど、この日は特に調子よさそう。例によって『津軽じょんがら節』のさわりを演ったところで、高座を下りる。

        紙切りの林家正楽。あれっ? 正楽はトリ前の膝がわりだったんじゃないの? なんか用が出来て浅いところの出番になったのかなあ。まずはと『相合傘』を切り上げる。旦那に傘を差し上げる芸者さんらしき女の人。粋だねえ。最初の注文は、「屋形船!」。こんなのはよく出る題なのだろう。軽快にハサミが動く。花火を見上げる屋形船の男女。きれいだなあ。うしろのオバサン、「うわー、上手! うわー、凄い!」。それを見たお客さんが今度は、「小さな花火!」。ちょっと考えてから「小さな花火っていうと、線香花火ですかな」と、夏の夜、浴衣を着た女の子がひざまずいて線香花火をやっている姿を切り上げた。「女義さん! 女義太夫!」。しばし考え込んでしまう。「女義さんねえ。女義太夫。それを切ればいいだけのことなんだけど・・・」。チョイチョイチョイとハサミを動かして、確かに、女性と見える人が義太夫を語っている姿。それに、うしろには三味線を弾いている人の姿も。

        柳家〆治。東京湾にクジラが迷い込んできたという小噺。江戸の魚たちが、クジラを見て、「立派な体格ですね。せっかく江戸まできたんだから、何か名物を食べていってください」と言う。「そうだ、蕎麦はどうです?」と言うと、「モリだけは勘弁してください」。そのまま『そば清』へ。

        柳家小満ん。噺家のよく演る、刑務所の慰問の話から始まる。「刑務所の檻の前を通って会場へ向かうんですよ。すると『よっ! 三遊亭の師匠!』なんて声がかかる。私は三遊亭じゃなくて柳家なんですがね。無視していると『よっ! ハゲ、バカ、くそったれ!』」。このまま、柳亭痴楽の物真似などを挟んで漫談が続く。「時間が遅れまして・・・、明日はキチンとネタを演りますんで・・・」と高座を下りちゃった。おいおい、千秋楽なんじゃないの、この日。

        すず風にゃん子、金魚。「ねえ、よく見ると金魚ちゃんってカワイイでしょ?」。いつものツカミだ。この日は、上手桟敷席の一番前に陣取ったオジサンにバカに受けている。「あらあ、あなたマニアですか? 金魚ちゃんってハーフなんですよ。ブタとイノシシの」。また[胎教]のネタかと思ったら、この日は就職の[適正診断]のネタ。あいかわらずにぎやかな高座だ。

        桂文朝。「暑い日には冷たいお酒を呑みたくなりますなあ」と振って、『寄合酒』へ。お馴染みの噺だなあと軽く聴いているうちに、私は聴いた事がない話が出てくる。乾物屋の鰹節だの数の子だの鱈だのをだまくらかして持ってきてしまうのは、いつものこと。与太郎が味噌を裏の原っぱに落ちていたと拾ってくる。「イヤな予感がするなあ。ちょっとこっちによこせ。これ〇〇〇なんじゃないのかあ」と見ると、確かに味噌。「どうしたんだこれ?」と改めて訊いてみると、「酢や醤油と一緒に、自転車の籠に入ってた」 「返してこい、返してこい、替わりにビール持って来い!」

        中入りがあって、食いつきが三遊亭金時。ありゃあ? プログラムに無いぞ。柳家燕路のトラかあ? 「余興やゴルフコンペの司会なんてのも頼まれるんですがね、こないだのは、地引網の司会。地引網やっている隣で小噺やってくれだって。ただし笑わせないように。力が出ないからって・・・」。ネタは『紙入れ』。

        入船亭扇橋。「今出た、金時は金馬の息子です。かみさんから生まれたのは確かですが、種の保証は知りません」。この日は『ろくろ首』。与太郎に縁談話。いいことずくめの縁談なのだが、ひとつ困ったことは、相手のお嬢さん、丑充時になると首がのびて行灯のアブラをペチャペチャと舐めるという。「でも、昼間は大丈夫なんでしょ。新宿を歩いていて、本人が三越、首は伊勢丹の屋上なんてことはないんでしょ」

        古今亭志ん輔。「人間、拍手を貰うなんて、芸人以外では人生の中で、そうそう無いですよ。結婚式のスピーチですとか、カラオケですか。カラオケの場合は、止む終えず叩いている。目は次に自分が何歌おうかとリスト見ながらね」。ネタは『たがや』。両国橋の上での、たがやと侍の一騎打ち。「群集は侍に向かってゲタを投げるは、草履は投げるは、石は投げるは、祝儀は・・・投げない」

        おやおや、膝がわりはギター漫談のぺぺ桜井だよ。いつものように『禁じられた遊び』を弾きながら、『浪花節だよ人生は』を歌うって、どういう感覚してるんだろう。凄いなあ。「スパニッシュ・ギターというのはね、右手をお米をとぐように動かすんです。ご飯を入れるとスペイン風炊き込みご飯。きょうはシーフードが無いので音階を入れます。ゴカイの無いように」。時間が押してるらしく、この日は短く演って下りた。最後はいつもの『さよなら』。ドラマチックなギターのイントロから、ポツリと「さよなら」。ドッと拍手。それを恨めしげな目で見て去って行く、いつもの演技。上手いなあ。

        さあ、いよいよトリの柳家小三治だと、身構える。ところが札が[金馬]と出る。え――っ、小三治、休演なの? せっかく4時間も待ったのにい。「小三治は、なんか具合が悪いとかで、もう長いことないらしいです」。まったく休演すると何言われるのか分らない。「テレビなんかはビデオ撮りしておけばいいのですが、生はそういうわけにいかない。小三治がお目当てだった方、今度出るときは、チケット売り場で一言『こないだは、小三治、休演だったぞ』と言っていただければ・・・正規の料金を頂戴いたします」。この日のネタは『景清』。木彫り職人の定さん。腕はいいのだが、あるときから目が見えなくなる。「上野清水の観音様に百日願かけてごらん。百日でダメなら二百日。二百日でダメなら三百日だよ」と言われ、日参する。そうして百日目の満願の日、定さん、観音様にお参りに行くが・・・。先代の桂文楽で何回か聴いた噺。ちょっと信仰心臭くて、あまり好きではないのだが、緑内障という病を背負ってしまった私には、しみじみと伝わってきた。

        喧騒の新宿3丁目。地下鉄の駅へ向かう。私の目も治ってくれればいいのになあ。上野清水の観音様に百日願かけに行こうかなあ・・・そんな暇ないか。さあ、帰って目薬と飲み薬だ!


July.1,2001  前座!? さん喬!!

6月24日 柳家さん喬一門会 (池袋演芸場)

        開演時間を忘れてしまったのが幸いした。宝塚記念をテレビで見てから池袋に向かう。16:45に到着。演芸場の前にさん喬師匠自らが座って出迎えている。チケット売場を覗いて、「夜の開場は何時ですか?」と訊く。「18:00です」との答えに、「まだ1時間以上あるなあ」と引き返えそうとしたところ、さん喬師匠の隣にいた人(おそらく、さん喬師匠のところの前座さん)が、「チケットはお持ちなんですか?」と声をかけてくれる。「ええ、前売りで買って、もう持っているんです」 「それじゃあ、この整理券をお持ちになって、17:40には戻ってきてください」とのこと。24番の整理券を受け取り、近くの喫茶店でアイスココアを飲みながら本を読んで暇をつぶす。

        17:35に演芸場に戻ってみれば、もう長ーい列が出来ている。地下への階段を降り、23番のうしろに並ぶ。喬太郎が、整理番号順に並んでいるかどうか確認に来る。「整理番号が若い順に並んでください。いいですかあ、年齢が若い順じゃあありませんよー」。これには並んでいる人たちに笑いが巻き起こる。これだから落語会の列はそんなに苦痛ではない。さらに驚いたのは、さん喬師匠と席亭さんが自らがさらに番号順かどうか確認にきたこと。ロック関係なんてかなり大雑把で、「はい、では1番から10番までの人、お入りくださーい!」だもんなあ。

        開場は18:00だと言っていたのが、早めに開場した。これもお客さんを思ってのことだろう。立って、ただ待っているのって、けっこう辛いんだよね。池袋演芸場のキャパは約125席らしい。席が埋まったところで、今度は立見のお客さんを入れていく。ざっと、160人以上は入ったのではないだろうか? 場内はそれこそ、立錐の余地もない。

        開演は18:30なのだが、18:23には幕が開く。下手から、小太郎、さん喬、喬太郎、喬之助の順で並んで座って頭を下げている。これから口上の始まりだ。こういう場面で仕切るのが喬之助。「プログラムにはないのですが、おわびを申し上げたくて・・・。いやしいものですから、チケットを売りすぎてしまいまして、立見の方が出てしまいました。申し訳ございません。おわびと言ってはナンですが、急遽、お帰りに、落語協会のカレンダーをお配りすることにいたしました。あっ、売れ残った訳じゃあありませんよ。中には噺家のサイン入りのもございますんで・・・。重ね重ね、申し訳ございません。前売りをお買いになられた方には、整理券を出しますから、当日、なるべく早く会場におこし下さいと申し上げようかと思ったのですが・・・」。そこへ、さん喬師匠が一喝、「バカヤロー! こうして立見になられているお客様の前で、何ということを言うんだ!」

        さん喬師匠の挨拶。「では、本格派から一言。立見は出さないということを考えていたんですが、申し訳ございませんでした。当日売りの方には、お帰り願ったようなわけでして。志ん朝師匠のときは200人入れたそうですが・・・」。そこへ喬太郎がまたチャチャを入れる。「高座の横に座ってもいいですよ。ただし、みんなから見られちゃいますけど・・・」

        喬太郎の挨拶。「別に志ん朝師匠の向こうをはった訳ではないんですが・・・。以前、渋谷ジャンジャンで、ブラック、談之助などと出たときに、「差別発言だ!」とお客さんに吊るし上げをくらったときを思い出してしまいました。今また、そんな気持ちです」

        小太郎の挨拶。「チケットを売りすぎてしまいまして、申し訳ございません。今回の会の趣旨について説明させていただきます。私ども一門には3人の前座がおりまして、11月のさん喬師匠の会に、どの前座を使うかというのを皆様のアンケートの結果で決めようということでございます。どうか、お帰りがけにアンケートに、どの前座がよかったかチェックを入れてお渡しください。中入り後に前座3名が続けて高座に上ります。お聞き苦しいでしょうが、ひとつよろしくお願いいたします。『お前の噺にも辛抱してるんだ』という方もいらっしゃるでしょうが・・・。あっ! 一番前の席と高座との空間にもお座りくださってもかまいませんよ」。その声で立っている人の何人かは高座の前の空間に座りこむ。高座から見える中央に陣取ったのは、何と権太楼のTシャツを着た男性。喬之助「むむっ、権太楼一門のスパイかあ!」

        モギリでプログラムを渡されてまず驚いたのが、開口一番が、さん喬になっていたこと。ええっ! どういうこと! だってさん喬師匠は当然トリでしょ? 一旦幕を下して、また上がると、さん喬が出てくる。「きょうは別名、[前座をいたぶる会]と言いまして・・・。一番最初に上がるというのは緊張するものです。もう、一番最初に上がるのなんてのは、何十年ぶりでしょうかねえ。昔はよく、大師匠が高座から下りてきて『きょうの前座は誰が上がったんだい・・・ああ、あいつか。それで客席が盛り上がらないんだ』なんて言ったもんでして、一番最初に上がる人によって、その日の雰囲気が決まってしまう。ほんのちょっとの微妙なことなんですがね・・・。いけない、[ほんのちょっと]と[微妙]じゃあ言葉が重なってしまう。(楽屋へ)おい! 気をつけるんだぞ!」。このあとは、自分の弟子のぼやき。「あとから出てまいりますがね、さん角なんてやつは、靴脱ぐときに靴べら差し出したりなんする。あとで演りますが、穴から部屋を覗くところを演らせると指で輪ッかを閉じたまんまで覗いていたりする。『それじゃあ見えないだろ! 親指と人差し指をつけるの! わかんねえかなあ、人差し指ってどれだ?』って言ったら、小指を指差してやがる。トリは喬太郎ですが、なんですか『諜報員メアリー』ですか、そんなのを演るみたいで・・・、そしたら『でも師匠、短いですから』だって」

        「サンドラボンノウといいまして、呑む、打つ、買うの三つの道楽は煩悩としてついて回るそうでして」と振って、「昔、吉原というのは・・・」と始めたので、もしかしたらと思ったら、やっぱり『徳ちゃん』だった。この噺の存在を知り、さん喬師匠の『徳ちゃん』にいつ会えるんだろうと思っていたから、こんなに早く聴けるとは・・・うれしい驚き。大正時代、ふたりの噺家が吉原をひやかして歩いていると、呼び込みのニイサンに呼び止められる。前金制でふたりで一円五十銭だというので上がる気になる。「売れそうも無い噺家ふたり捕まえました。中に放り込んで!」てんで中に通されると、そこは小汚い部屋。壁には落書き[このウチは、牛とキツネの泣き別れ、モーコンコン]。布団は綿ではなくワラが入っているし、毛布は軍の払い下げで、以前は軍馬の毛布だっという。「オレはキリストじゃあねえ」。相棒の徳ちゃんの部屋は、ちょっと先、「そこんとこ、ずーっと行きますと、みかん箱が積み上げてありますから、それを、はすっかいになって通っていただいて、そう、カニみたいになって、そう円菊みたいにはすっかいに・・・」。さあ、いよいよ花魁の登場。イモ齧りながら入ってきて、イモが喉につかえる様が可笑しいの。化け物のような大女。「な、何かご用ですか? お部屋を間違えたんじゃございません?」という男に、「フハッ、フハハハハ」と笑って、「ねえ、チューしよ、チュー」と迫る花魁。やっぱり、さん喬師匠の『徳ちゃん』は可笑しい。好きだなあ、この噺。

        喬之助。「師匠のあとというのは、演りづらいですね」 「きょうは中入り後に前座さんが三人出ますが、楽屋ではこの三人、もうこの世のものでないような顔をしています」 「最近は男が余ってますからね、女の方が強い・・・ということで」と『宮戸川』に入った。碁の会で遅くなってしまい、おとっつぁんに締め出しを食ってしまった半七。近くでは、これまた締め出しを食ってしまったお花ちゃん。オジサンのところへ泊めてもらおうと半七が歩き出すと、お花もついてきてしまう。走って逃げようとすると、お花ちゃんも追っかけてくる。「うわー、追いぬかれちゃったよ。ふわあー、凄い風圧だあ」。先回りして、オジサンの家の前で待っているお花ちゃん。早合点した、オジサンに「二階で、早いとこ寝ちまいな」と言われて・・・。ふたりきりになると、お花ちゃん「締め出し食ったなんてウソなの。私ね、ウチの前で半ちゃんが帰ってくるのを、ずっと待ってたんだっ。半ちゃんと話したいことがあってね。ねえ、半ちゃん、ちょっとだけ」。へえ、こういう型もあるんだ。花ちゃんが[まちぶせ]してたって型。ふうん、これもいいねえ。

        小太郎。「きのう師匠のお宅に伺ったら、さん角くんとさん坊くんがいるんで、『明日、大丈夫? 私の前でちょっと演ってみなよ。直してあげるから』って言ったら、さん角くんが『ハーッ』って元気なく言うんですよ。それで聴いてやったんですよ。聴きたくなかったんですがね。そのあと、さん坊くんのも聴いて、帰ろうとしたら、さん角くんがいない。部屋で稽古してるのかなと思ったら、タオルを顔に乗せて寝てた」。ネタは『夢の酒』。

        中入り後は、小太郎と喬之助がアミダクジを持って出てくる。「さあ、前座オンエアバトル2001梅雨。11月のさん喬師匠の会の前座を誰にするか、これから三人の前座さんの高座が始まります。みなさん、1キロバトルづつ持っているんですからね。よろしく審査してくださいね。では、出てくる順番を決めましょう。一応、楽屋でアミダクジを作ってきましたが、公平をきすために、お客さんにもう1本、線を入れてもらいましょう。一番前の権太楼Tシャツのあなた、いかがですか? あれっ? Tシャツ替えました?」。ほんとだあ。喬太郎のサインの入ったTシャツに変わっている。アミダクジ抽選の結果、出演順は、さん市、さん坊、さん角の順となる。「さん喬師匠の会の前座を決めるのは、あ・な・た・たち・でーす!」

        さん喬師匠が、座布団を持ってくる。メクリをさん市にして出す。なんだか偉そうな前座さんだなあ。さん市は『家見舞』。格安な水甕だと、肥甕として使っていたものを買ってアニキのところに持っていく。手に臭いがついてしまったのを落としに風呂へ行って戻ってくると、「まあ、一杯やっていってくれ」と酒を出され、ツマミに冷奴を出されたものの、この豆腐、どこの水で冷やしたんだろう。おひたし、しんこと出され、全て食べられない。じゃあ、焼き海苔でもと出されて「おたくでは、焼き海苔を水にさらしたりしませんよね」。汚ったない噺だよなあ。噺が終わって高座を下りるときに、楽屋をチラッと見て、素早く座布団を裏返して、逃げるように下りる。さん喬師匠、のっしのっしと現れて、また座布団を返し、メクリをさん坊に替えながら、楽屋に小声で「バカヤロー!」

        さん坊。「恋愛をすると、パーッとなってしまって、回りがよく見えなくなるっていうのがありますね。好きなのかな、好きかもしれない、好きだなんてね。以前好きだった子がいましてね、ドラマのようなんですが、歩道橋の上をふたりで歩いて、ちょうど真中に来たところで、大きな声で『好きだー!』って叫んだんですよ。そしたら彼女も大きな声で『ごめんなさーい!』。失恋しちゃいました。ネタは『短命』で、これまた自分で座布団を引っくり返していく。前座・さん喬、「バカヤロー!」

        さん角のネタは、やっぱり『真田小僧』。障子に穴あけて覗きこむところで、客に大受け。さん角くん、ちょっとテレくさそう。

        「普通、トリの前には膝変わりといって、色物が入ります。きょうは私が寄席の踊りをひとつ」と言って、日本舞踊と寄席の踊りの違いを実際に演ってみせる。なるほど、寄席の場合は舞台が狭いから、大きな動きを排して省エネ風。『なすかぼちゃ』を踊ってみせて、座布団をまた持ち出し、メクリを喬太郎にする。

        「(踊りまで踊る)芸達者な前座さんが出てきたもので、これからが楽しみです」 「『ウチも大きくなったな』と師匠が言うんですよ。『だって6人だぜ。さん角、さん市、さん坊、喬之助、小太郎、それにオレ。なっ!? 6人だぜ』 『えっ!?』」。まさか喬太郎を忘れているわけでもないのだろうが・・・。「名人は上手の坂をひと登り」と始めたのが、『彫り師マリリン』。キャバクラにやってきた刺青の名人の前に、ちょっと頭の弱いホステスのカオリが「えー、彫り師っていうことはー、あたしのボキャブラリーにー、無い!」。説明を聞いてすっかり刺青に興味を持ったカオリちゃん、「あー、わたしー、すっごく、いいかなあーって」。刺青なんて彫っちゃいけねえと止める名人に、「えー、そうじゃなくってえー、わたしも彫り師になりたーい」。何を言い出すんだと思えば、「えー、でもー、わたしー、大学落ちてー、キャバクラになってえー、手に職をつけようと思ってー、腕に[職]って彫ってもらったの」。違うって!

        めでたく、カオリが彫り師マリリンとなったところで幕。出口では、一門勢揃いでカレンダーを配っている。もう6月も終り。あと半年しか使えないカレンダーって何だあ? やっぱり余っちゃたやつじゃないの?

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