September.25,2001 夢のある人っていいなあ

9月23日 山田club『ジム・トンプソンの部屋』 (新宿SPACE107)

        17年間、商事会社に務めた時次郎(小宮孝泰)は、会社を辞めて探検に出ようとしている。目指すはマレーシアのキャメロン高原。1967年に謎の失踪を遂げた、タイのシルク王ジム・トンプソンを探しに行こうというのである。乏しい資金ながらも、現地では一日缶詰一個、あとは現地調達で獲物や草を捕ってでも生き延びて探検を続ける覚悟である。そんなところへ、妹のひぱり(大竹一重)がやってくる。彼女は売れない漫才コンビをやっているが、800万円の借金を抱えて、借金取りから逃げ回る生活。探検に出るという兄の計画を聞き、この企画を知り合いのテレビ・プロデューサー(藤原顕人)にもちかける。テレビ局から資金を調達し、自分も儲けようという魂胆である。プロデューサーはやってきて企画書を見るなり、これでは地味すぎてテレビの番組にはならないと言い出す。そこでひばりの発案で、企画は大幅に派手になっていくが・・・。

        テレビ制作現場の裏側をのぞいているような楽しさの中で、ジム・トンプソンの失踪の謎が小宮の口から推理されていく面白さは、ちょっと推理小説のよう。最初は、これが喜劇なのかどうか分らなくて、笑っていいのか戸惑っていた観客も、自然と笑い出す。そして、笑いながら見ていくうちに、はたしてジム・トンプソンは、何者かに誘拐されたのか、はたまた事故にあったのか、それとも自分の意思で失踪したのかというテーマの流れが、人生の本質に迫るような脚本になっている。

        主演の小宮孝泰はじめ、舞台経験は少ないながら大竹一重が上手いコメディエンヌぶりで楽しませてくれた。それに渡辺美香、藤原顕人、吉田愛弓らの演技が光った。

        時次郎は、職を投げ打って、小さいころからの夢だった冒険家になる。私にそんなことができるだろうか。だいたい、そんな夢なんて持ってなかったというのが本音。そういう夢を持っている人、夢のために人生を賭けられる人って、羨ましいんだよなあ。小商人の倅は、やっぱり小商人なのかなあ。新宿の夜空を見上げながら、ふと溜息をついた。


September.23,2001 騒々しい漫才が流行りだけど・・・

9月22日 第268回花形演芸会 (国立演芸場)

        爆笑問題あたりが出ているときと違って、やはりこれといった目玉がいないときの花形演芸会は入りが悪い。なんでかなあ。定席には出ていない若手のコントなんかが見られるいい機会なのに、なんで見に来ないのだろう。私はスケジュールが許すときはなるべく見に行こうと思っている。今月もテツandトモ、おぎやはぎが出る。『爆笑オンエアバトル』でよく見かけるこの人たちのナマが見られるのだ。しかも1400円だよ。

        前座は金原亭駒丸。『鮑のし』。頑張ってね。

        立川笑志。「もうテレビも週刊誌も、アメリカの同時テロの話題一色ですね。私なんか貿易センタービルに縁がないですが、もしあの場にいたら新聞に出たでしょうね。[談志の弟子、焼死(笑志)!]って・・・・・・すいません、不謹慎な事言っちゃって、しかも国立で・・・」なんていいながらも、ブラックなネタが続く。とても書けない。「ウチの談志は協会に加盟してないから、私ら弟子も寄席には出られないんです。談志は『寄席なんかに出たってしょーがねえ』なんていうんですがね、あちらの方は一言『出さねえ』。だからタマにこういうところに出てくると、いろんなことを噺たくなっちゃうんですよ」

        ネタは『あたま山』だ。サクランボウの種を飲み込んじゃった男の頭から桜の木が生えてくる。春はその桜を見ながら宴会をする。やがて、その桜を引っこ抜いてしまうと穴が開き、水が貯まって池になる。みんなその[あたまが池]に舟を出して舟遊びだ。「あそこにいく大きな船は何だろうね?」 「ありゃあ三十石船だよ」 「あの小さな船は何だ?」 「ありゃあ、マーメイド号だ。堀江謙一が乗ってる」 「あの沈みかかっている船は?」 「ありゃあ、タイタニック号だよ」 「自衛艦に囲まれて行くあの船は何でしょうね?」 「ありゃあアメリカの空母キティホ・・・」 もう、しょーがねえなあ。

        テツandトモの、どっちがテツでどっちがトモか御存知だろうか? 左の赤のジャージで大きなアクションをする方がテツ。右の青のジャージでギターを弾いている方がトモ。まずはそれを憶えてもらうための自己紹介ソングから。「明日、『笑点』に出ます。もう何回か出ているんですが、円楽さんがなかなか私たちの名前を憶えてくれないんですよ。『きょうのハナはテツandトモです』と言うところを『テリーandトム』とか、こないだなんて『テリーandトメ』ですからね」 この人たちのネタは、ほとんどがコミックソングといった形態。まずは『こういう奴って必ずいるんだよ』とその裏バージョン。裏バージョンの方が面白いってどういうこと!? 次がショートソング。嘉門達夫がよく演っているようなものだけど、切り口がちょっと違ってこちらも新鮮。最後がこの人たち御得意の『何でだろう』 ♪何でだろう 何でだろう 何でだ何でだろう というフレーズはすっかりお馴染みになってきた。内容は他愛無いんですがね。「よく見ると、オバさんのサイフに鈴が付いているの、何でだろう」とか「カンニングしたのに点数悪いの何でだろう」とか、こうやって文字にしてしまうとあまり面白くないのに、歌として演ると面白いの何でだろう。

        一旦幕が下り、上がると釈台が乗っている。女流講談の一龍斎春水(はるみ)の出番だ。ところがメクリがまだ[テツandトモ]になったまま。おーい、前座、何やってんだー! 一旦座った春水が自らメクリをかえす。パチパチパチと盛大な拍手。この人、そういえば一月の花形にも出ていたっけ。アニメの声優出身の人ね。ネタが『大岡政談〜二人の母親』。おお、あの有名な噺かあ。母親に子供の手を引っ張らせるやつね。さすがに女性が演ると、この噺はいいなあ。思わず産みの親が手を離す場面ではジーンとしてしまった。

        入船亭扇好。「こういう商売をやっていると運動不足になりがちなんでね、スポーツジムに行ったんですよ。平日昼間会員。寄席なんて平日の昼間なんてお客さん来ませんよ。だからジムも空いていると思ったんです。それが、いっぱい! もうオバサンだらけ。プールなんて水が見えないくらい。オバサンいなくなったら水が無くなっちゃうくらい。みんな帽子にゴーグル姿。それが泳がないで歩いているだけなんですよ。一度も水の中に顔をつけないのに、何で帽子とゴーグルが必用なんでしょうね」 わかるわかる。私も毎週一回だけど、区の温水プールで泳いでいるから、よく分るんだ。こんなオバサンでいっぱい! さんざんオバサンをくさしておいて、「女性が多い方が、(落語)演りやすいんですよ。甲高い声で笑ってくれますからね」と持ち上げてネタに入った。

        へえー、『宮戸川』かあ。扇好のも、お花ちゃんがかなり積極的なタイプ。喬之助で聴いたような、[待ち伏せ編]ほどではないにしろ、半ちゃんを本当は好きなのが伝わってくる。「あたしも霊岸島のおじさんのところに連れてってちょーだいな」 「冗談じゃない。ただでさえ思い込みの激しいおじさんなんですよ、あなたみたいな若い女の子連れてっちゃ、どんな思い込みをされるか分らない」 「あたしはかまわないのよ」 「こっちが困るんですよ」 走って逃げる半ちゃんを花ちゃん追い抜いちゃう。「ぽっくり履いて、よくそんなに早く駆け出せますねえ」 年寄り夫婦の会話があって、さあいよいよ、ムフフフフ。雨が降ってきて、雷の気配。「アタシ、夜の雨、怖いの」 「私はあなたが怖いの!」 もっと長く演ってほしいけど、いつもの決まりでお時間ね。

        国立演芸場の中入りは、他の定席よりも長く取ってくれる。スーパーで買ってきた惣菜のコロッケを三つも食べてしまった。さあ、あと三人。七組だけというのは寂しいけれど、逆にいうと寄席の定席は出演者が多すぎる。多すぎて忘れちゃうもの。

        おぎやはぎというコンビの名前が、どうしてつけられたのかと思っていたら、本人たちが解説してくれた。向かって左が小木くんで、右が矢作くん。なあーんだあ、そんなことかあ。でも面白い名前だよなあ。「あんなにテレビなどでやっているのに、詐欺って無くならないですねえ」と、電話での詐欺の実演。簡単に引っかかってしまう小木に、「なんだか騙している気がしねえなあ。もっと疑り深くなれねえの?」と、もう一度やると、電話にすら出ない。「何やってんだよ! 電話に出なくちゃ始まらないだろうが!」 「詐欺師からの電話に出るわけないだろ!」 いいよいいよ。この人たち、騒々しくないのがいい。ボソボソとしているようで、キチンと漫才を演っている。ネタも一本芯が通っていて話がアチコチに飛ばないのもいい。騒がしいだけの漫才は私にはわずらわしいだけ。この人たちマーク付けとこーっと。

        ありゃりゃ、前座さんがまたメクリをかえすのを忘れてる。新山真理が自分でメクリをかえして登場。相方の新山絵里が結婚してしまって漫才から漫談に転向してしまった真理。十数年前コンビ結成してデビュー当時にジャイアンツの納会で熱海後楽園に行ったときの話を始めた。「この年は、王監督時代で三年連続してジャイアンツが優勝を逃した時でした。最初に関係者の人たちが挨拶をしたんですが、挨拶というより、みんな怒ってるんですね。説教聞かされて選手たちはシーンとしちゃってる。そのあと私たちが出て行って『新山絵理・真理でーす! ワーッ!』と出て行っても、シーンですよ。『誰だ、あいつらは』って顔してる。篠塚、原、槙原、中畑、みんなムッとしている。私ね、ジャイアンツ嫌いなんですよ。原が2日後に結婚式を控えていた。知ってます? 相手は6歳以上年上の出戻り! 出戻りが悪いんじゃないんです。うらやましいんです。こっちは一度も結婚してないんだから。それでついつい言っちゃったんですよ。『原さん、明後日結婚おめでとうございます。でも子供は生まれないと思いますよ。チャンスに空振りが多くて』 そしたら『東京スポーツ』に載っちゃいました。『女漫才師大暴言』だって。本当なんですよ、今度コピー見せてあげましょうか」 うわー、見たいな見たいな!

        トリが春風亭柳好で『井戸の茶碗』が始まったのだが、なんとここにきて突如睡魔が襲ってきた。中入りで食べたコロッケでお腹がよくなってしまったのだろうか、善人ばかりの噺で、いい気持ちになってしまったのか、コックリコックリ。なんとか頑張って噺を聴こうとするのだが、眠りに引き摺りこまれてしまう。柳好は明るい芸風の人で、その雰囲気も人が良さそうな気がする。人の良いクズ屋さんなんて、まさに人柄が出ている。ふたりの武士はというと・・・う〜ん、ほとんど眠っていたから、よく分らない。ごめんなさい。


September.17,2001 うへー、半数が代演

9月15日 新宿末広亭九月中席昼の部

        寂しい客席だった末広亭の日曜夜の二連発。今度は土曜の昼の部に行ってみることにした。入場してみるとざっと15〜6人。それでもこの日は団体が入るようで、後ろのほうに[予約席]とありヒモが張ってある。席に着いてプログラムを見れば、ありゃ、別の紙が挟まっている。ええーっ! この日専用のプログラムではないか。代演が多いので、この席のプログラムが用をなさないようなのだ。見比べてみて唖然。なんと前座をぬかしてこの日出演予定の18組のうち半数が休演

        休演組は、2〜3日前に亡くなった太神楽の鏡味仙之助さん(合掌)の、仙之助・仙三郎コンビは当然として、紫文(俗曲)、才賀、つば女、小猫(物まね)、円菊、ゆめじ・うたじ(漫才)、志ん橋、小円歌(俗曲)。みんな、お葬式に行っちゃったのかなあ。残ったのが、つくし、さん福、一九、美智、竹蔵、川柳、小ゑん、小せん、文朝。トラ組が、ペペ桜井、歌る多、世の介、和楽・小楽・和助、二三蔵、馬の助、馬風、きみまろ、小団冶。うう〜ん、ショック! 朝、ホームページで確認したときは変更なしだったのになあ。

        前座、三遊亭金兵衛。『つる』 頑張ってね。

        イエローサプマリンのお囃子に乗って川柳つくしが出てくる。へえー、この人の出囃子は『イエローサブマリン』だったんだあ。新作の会でしか見たことがなかったから知らなかったなあ。「結婚したての友達と食事したんですよ。さんざんお惚気聞かされちゃって、『あんたも早く結婚しなさいよ。カレシいないの?』だって。その場で、貿易センタービルみたいに崩れ去ってしまいましたね」 漫談だけ。師匠の川柳も漫談みたいなものだから、定席ではこんな調子なのかもなあ。

        「ギターはいろんな弾き方ができます。左手で絃をギュッ押さえちゃうとこんな音になります」 ギター漫談のペペ桜井がいつものネタのあとにこんなことを言い出した。ミュートだね。「雷の音だって出せるんですよ」と紙切れを取り出して、それをピックにして弾きだした。「ねっ、カミナリ(紙鳴り)の音・・・これ考えるのタイヘンなんですよう!」 いつも同じようで、ちょっとづつ違う。この人の高座は楽しい。

        柳家さん福は『短命』。この噺の面白いのは、やはり後半八五郎が自分の女房にご飯をよそってもらうくだりだろう。おかみさん、シャモジを使わずに茶碗をおひつに入れてご飯をすくい出す。「おいおい、シャモジ使わないのかよ!」 「そんなもの背中かくのに使ってるんだよ!」という掛け合いが可笑しい。さん福のもよく笑える。私、好きなんだ、この噺。後半爆笑の度合いが少ない噺家だとガッカリしちゃうの。

        柳家一九は『桃太郎』。子供を寝かしつけようと童話を聞かせているおとうさんに、「昔々あるところに・・・」と語り出せば「昔っていつ? ある所ってどこ? 山があるのかしら、海が近くにあるのかしら、寄席はあるのかしら、客は入っているかしら?」 おいおい、寄席の心配してる子供っているかあ? ハハハ。あれっ? いつのまにか末広亭も満員になっている。

        プログラムには[玉すだれ]となっていた三遊亭歌る多が、道具も持たずに高座に上がる。おやー?と思っていると、いつもの漫談に入ってしまう。ここは色物のトラで入ったのだから何かそういったものを演って欲しかったなあと思ったのだが、漫談がひと段落つくと、「玉すだれとなっておりますが、道具を忘れてきまして・・・」と言って、替わりに踊りを踊ると言う。「三千ほどのレパートリーの中から・・・ひとつしか無いんですが『深川』を・・・。大丈夫ですよ、注射と同じですぐ終わりますからね」 道具を忘れるってどういうことなんだろうと不思議に思ったのだが、翌日彼女のホームページの日記を見て納得。ふーん、いろいろと複雑な事情があるもんなんだなあ、芸人さんの世界って。

        アメリカでの旅客機を乗っ取ってのテロ事件。この日は出てくる芸人さんほとんどが話題に持ってきた。金原亭世之介も「末広亭はいいですな。こういう木造の小さなところは安全。もっともここは飛行機が突っ込まなくても崩れそう」 う〜ん、最近補強工事やってたから大丈夫だと思うけど・・・。「中学のとき友人が[わたしは東京に住んでいます]を英語にしろと言われて[I live in Tokyo]と答えたんですね。そしたら今度はそれを過去形にしろと言われて、いったい何と答えたと思います? [I live in Edo]だって」 漫談だけかなあと思っていたら、小噺風に[スズメの捕り方]と[鴨の捕り方]。

        「私は歌手なんですよー!」橘家竹蔵が『平成貧乏神追放音頭』なる歌を、突如カラオケなしで歌い出した。これ即興なんじゃないのかなあと思ったら本当に売ってるのね。まったく知らなかった。このあと『お血脈』演ったあとに踊りまで! 「前に出たおねーさんが『深川』やったから、アタシは『浅い川』・・・ってね、そんなの無いから『かっぽれ』」 サービスいいね!

        はからずも落語が五本続いちゃったから翁家和楽・小楽・和助の太神楽はホッとする。やはり和助の五階茶碗が人気。毬を二個挟む[中つぎの毬]には「おー!」の声が上がるし、[糸での吊り上げ]にも「おおっ!」。[回し灯篭]には大きな拍手が上がっていた。

        橘家二三蔵は、さかんに童話を語ってくれるのだが、これがみんな「垢ずきん」だの「家具屋姫」だの「小太りじいさん」だの「離さんかじじい」だので、ヘーンなの!!

        川柳川柳は今日も元気だ。「今日は敬老の日なんだそうですがね、そんな日作っちゃダメだよ。普段から老人を大切にしないから、こんな日があるんだ」 「人間歳とると子供に返るっていうだろ。七十以上の人は還暦少年法って作ってさ、どんなに悪いことをしても匿名。写真なんて出ないようにすればいいのに。それで老年院に入れられるの」 話が歳とともに過激になってくるのがこの人。「貿易センタービルにテロ組織が乗っ取った旅客機が突っ込んで・・・。世の中どんどん荒っぽくなってるね。あれはもう第2のパールハーバーだよ」といつもの『ガーコン』に入っていった。『真珠湾攻撃の歌』 『若鷲の歌』 『空の神兵』 『加藤隼戦闘隊』・・・。「まったく同じこと(貿易センター事件)やってるよね。カミカゼ特攻隊。片道燃料積んで突っ込んでいったんだから」 いつものネタなのだが、ちゃんと笑いも取る。不思議な人だ。

        どうも色物の芸人が不足しているようだ。金原亭馬の助が出てきて落語ではなくて百面相を。「どうして百面相を演る人がいなくなったのでしょうか? (1)難しくてできない。(2)馬鹿馬鹿しくて演る人がいない。ピンポーン! 答えは2番でーす!」 なんて言いながら、大黒様、恵比寿様、線香花火、花さかじいさんの正直じいさんと意地悪じいさん、ぶんぶく茶釜のタヌキとそれを見て驚いた和尚さん。

        鈴々舎馬風は結婚式の話やら、小さん師匠の話やら、なんだかまとまりつかないなあと思っているうちに、なんとなく形がついてきて最後は『会長への道』に落ち着いた。この人もいつもどおりなんだけど可笑しいんだよなあ。

        それにしてもこの日は、古典落語を演る人が少ないね。中入り後の柳家小ゑんは古典も新作も演る人だから、これだけ古典が少ないと古典に行くのかなと思っていたら、聴いたことのない新作だった。嫁と姑の噺なのだが、姑のいない留守に糠味噌の樽に嫁が手を突っ込むと、中に引き摺りこまれてしまう。中には古くから浸けられっぱなしのナスがいて・・・といった内容。不思議な噺だなあ。

        客いじりを得意とする奇術の松旭斎美智がちょっと苦労している。この日の団体さんは、新宿歯科医師会。一番前に陣取ったこの人たち、ちょっとヒネクレ者が多いらしい。お札の数を勘定する手品で素直な反応が引き出せない。遊びなんだからさあ、そんなにヒネクレなくたっていじゃない。騙されて楽しむのが奇術なんだから。

        次の柳家小せんも漫談のみ。仙台でたぬき汁を食べさせられた話だ。私も食べたくないなあ、そんなの。揚げ玉の入った鍋じゃダメだろうか?

        「こんな商売やってますと体を動かす機会が少なくなってしまいましてね。アスレチックでもやろうとは思ってるんですが・・・。でもね落語演ってると首だけはあっちむいたり、こっちむいたりするから、首の運動だけはしてる」と柳家小団冶は『権助芝居』へ。もっとも始めの方だけ演って引っ込んじゃった。

        漫談の綾小路きみまろは今日はピンクの燕尾服。これまたいつものネタだ。倦怠期の夫婦のネタに客席の中高年女性の爆笑が沸く。

        トリが桂文朝。「私がトリでございます。トリの条件というものが内部資料にございまして、芸はもちろんのこと、人格、財産、偏差値、これが高くないと出られない。特に小せんとは一緒にしないでください」 小せんさん、もう帰っちゃってるだろうから、何言われているのかわかんないだろうなあ。ネタが『紙入れ』。ありゃ、前回二週間前に末広に来たときもトリは円雀で『紙入れ』だったよ。う〜ん、このネタ、トリに向いているのかなあ。どうせトリで演るなら、間男の最中に亭主が帰ってくる前の部分をたっぷり演って欲しいと思うのは私だけだろうか。ああそうか、これは昼のトリ。時間の関係もあるし、真昼間から色っぽすぎる噺は無理があるかなあ。


September.15,2001 「(息子に)仕事ありませんかー!?」

9月8日 柳家小三治独演会 (亀有りりおホール)

        亀有の駅に降り立ったのは、十数年ぶりになるだろうか。まるで浦島太郎。駅前はすっかり区画整理され、様がわり。大きなビルが建っていた。このビルの中に目指す亀有りりおホールがあるらしい。まずは腹ごしらえと商店街をうろついていると、焼肉屋が目に入った。焼肉という気分ではなかったが、急にビビンバが食べたくなってきた。店に入って、ビビンバを注文。「ランチタイムですので、セットがございますが」というので、ビビンバ・セットにしてもらう。間もなく出てきたのはビビンバにワカメスープ、サラダ、キムチ。食後にはコーヒーが付くと言う豪華版。堪能して落語会に向かおうとレジに行ったら、請求されたのはたったの550円。ええーっ! やっ、安いなあ! キムチなんかかなり本格的な味だったよ! いいなあ、亀有。

        大きなホールは満員御礼の入り。柳家三三が『二十四孝』をきっちりと演じる。いかにも小三治の弟子らしく、とぼけた味わいのある芸風なのだが、どうも破綻がなさすぎるような気がする。もっと奔放に演ってもいいのになあ。前半の大家さんが説教するところはいいのだけれど、後半の自宅に帰ってからの部分にもっとハチャメチャな感じがあった方が私の好みなんですけどね。

        出囃子に乗って柳家小三治が出てくる。「実は私は、きのう網走から戻ってまいりました」という一言でもう笑いを取っている。「北海道は寒いですな。あんなとこ行くもんじゃない。それで東京に帰ってきたら暑い。この前は鳥取の山の中に連れていかれたり、その前は神戸の暑いところに連れていかれたりで、なんだか暖っためられたり冷されたりで、私はシモヤケの足じゃないんですからね。もっともシモヤケと言ったって今の若い人はご存知ないでしょうが・・・」と、シモヤケの解説が始まってしまった。こりゃあ長いマクラになりそうだぞ。

        シモヤケの話が一段落ついたと思ったら、話が戻ってきた。網走で仕事をしているうちに歯が欠けてしまったので、羽田に着いたあとで行き付けの歯医者に行こうとする。歯医者のある場所は小田急線の喜多見。羽田から電車を乗り継いで行ったのでは間に合わないからクルマで行ったという話になり、何を言いたいのかと思ったら歯医者の帰りに新宿方面に戻ってきたら東京農大があった。網走にも実は東京農大あって、その日の朝に見たばかり。「一日に二回東京農大を見たという、ただそれだけの話なんですけれどね」とズズーッとお茶を飲む小三冶。ここまでで10分。実はこれがマクラのマクラだということにあとから気が付くことになる。まったくゾクゾクしてくるくらい、小三冶の長――いマクラは面白い。

        本当のマクラはこれからだった。小三冶の息子の話だ。このことは『もひとつ ま・く・ら』という本に詳しいのだが、その勉強嫌いだった息子の現在の話だ。突然に勉強を始めたこの息子は、結局東京農大に進学し、卒業することになる。「農業大学出たんですから、百姓になるとか農林省に務めるとかすると思ったんですよ。それが、農・・・のう・・・ノウ・・・能無しなの」

        この息子、スキーに夢中になり卒業後も就職をせずにインストラクターをやっていたらしい。今、35歳でインストラクターも辞めた。同じインストラクターの女性と結婚し、子供も生まれたという。もういつまでもインストラクターをやっているわけにもいかない。「それじゃあまともに何か生活になる仕事をやってくれるのかなと思ったらね・・・今まで、そんな・・・大学出て・・・そんな15年も何もしなかった奴が、今何仕事があるん・・・(絶句)! つまりここで何を話したいかといいますと、(セガレに)何か仕事ありませんか!?

        訥弁でつっかえつっかえ話す小三冶のマクラは、まことに味のあるもので、これが自分の息子の恥ともいうべきことでも、そこはかとないユーモアが漂い可笑しい。話はあっちへ行きこっちへ行き、一旦脱線すると、とんでもない方向に向かい、また戻ってくる。結局この日マクラは40分。「もういいや、今日は落語なんて、どうでもよくなっちゃった。小噺ひとつして終わらしちゃお!」なんて言っていたが、『千早振る』が始まってしまった。

        百人一首の在原業平の歌、「千早振る 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くぐるとは」の意味を知ったかぶりの隠居さんに聞きに来る噺。知らないことはないと自慢している隠居が突然にこの意味を聞かれて、訥弁になって慌てる様が、本当に訥弁の小三冶に合っていて、そのリアルな様が面白い。結局、『千早振る』も40分。隠居さんが花魁の千早太夫と、相撲取りの竜田川の長ーいストーリーを語り終える様は、長――いマクラを聴かされた観客と同じような、キツネにつままれたような感じだったろうなあ。

        中入りを挟んで小三冶のニ席目。「今日はまさか、息子の就職問題を話すことになるとは思ってもみませんでした。何か、仕事ないですかねえー!」 二席目は時間がないから短いものを演るのかと思っていたら、『死神』が始まってしまった。小三冶版は、呪文が「あじゃらかもくれん きゅうらいす てけれっつのぱっ」 オチがくしゃみオチ。これまた長い『死神』だなあ。50分くらい演ってたろうか。長―いマクラ一本。たっぷりの噺ニ席。この三本立ては、お得でした。


September.9,2001 やっぱり寂しい日曜の夜

9月2日 新宿末広亭九月上席夜の部

        前回は、落語協会のホームページから[本日の寄席]で出演者を確認して出かけるということをしてみた。今回は、もうひとつの落語芸術協会(芸協)の番組に行ってみよう。残念ながら芸協のホームページには、そういった便利なページが無い。客席の椅子に座って、芸人が出てくるまで分らないのだ。ぐずぐず言っていても始まらない。目指すは今回も新宿末広亭の夜の部。

        前回同様に、中入りで食べる弁当を買うのに手間取ってしまって、末広亭に飛びこんだら、もう前座さんは終わっていた。ごめんなさいね。

        ケータイの電源を切って、中間あたりの席に座る。高座には女性の落語家春風亭鹿の子が『八問答』を演っている。芸協にはこのネタを演る人が多いような気がする。トントントンと運ばせる噺なので、前座の早いうちから教わるのだろうか? 「生まれた日は?」 「8月8日8時8分」 「暑いときに生まれたねえ」 「末広亭も暑い」 そういえば場内がムシムシする。強暴に冷たい末広亭のクーラー、故障しちゃったのかな?と思っていたら、その直後からスイッチを入れたのだろうか、またまた寒いくらいになる。「東京の寄席は8軒、落語家の数488人、女の噺家8人、鹿の子は18歳」 ぷぷっ! これ、どこまで本当なのかなあ。落語家の数は500人超えているはずだし、鹿の子ちゃん、18歳って・・・!

        ほおーら、さっそく代演だ。モノマネの江戸家まねき猫が休演で、トラが物売りの声の宮田章司。「プログラムには出てませんよ」 最前列でプログラムの出番表を見ているお客さんに声をかけている。「私はね、誰か病気になったりケガしたりしたら出てくるの。救急車みたいなものだ・・・」 そういえば芸協の番組を見に行くと、必ずといっていいほどトラでこの人が出ている。芸協の遊軍芸人。貴重な人らしい。客のリクエストに答えて、つぎづきと懐かしい物売りの声を聴かせてくれる。「風鈴屋!」 「いいですねえ、風鈴屋! でもあれは呼び声はない。風鈴なんて、ひとつが鳴っているから風流なんでね、たくさんの風鈴ぶる下げて、ガシャンガシャンとうるさくてしょーがねえ」 「ラオ屋!」 「知ってます? キセルの真中の筒の部分ね。あれ、なぜラオっていうか知ってました? あの木材はラオスから輸入しているからラオ・・・って、あまりアテにはならない」 なあんて言いながらラオ屋の呼び声。

        「次の出番の鯉之助くんね、この番組から二ツ目になったんですよ。落語界というのは、厳しい身分制度がありますからね。前座さんなんて着物脱ぐと体中傷だらけですよ。いろいろな先輩がイジめてくれますから」 三遊亭とん馬が後輩にエールを送り、与太郎の小噺をひとつ演ると、立ち上がって『かっぽれ』を踊る。鯉之助くんには、いい膝がわりのような高座で、繋いであげる。

        春風亭鯉三から、名前を変えて二ツ目昇進を果たした滝川鯉之助。「きのうから二ツ目になりました。黒人奴隷がリンカーンの解放によって一般市民になったような気分です」と、元気がいい。でもねえ、これからですよ、噺家の本当の修行というのは。『高砂や』、悪くなかったけれど、謡いの稽古をしているシーンで浪曲になってしまうところ、もうちょっと浪曲を練習した方がいいような気がするなあ。

        またもや色物に代演だ。コントD51が休みで、トラが音曲扇鶴。その名のとおり音曲師。「お待たせしました・・・と言っても、誰も待ってないか」 そりゃそうだよね、プログラムに載ってないんだから。「前の方が熱演でして、私の時間5分も使ってくれちゃった」 二ツ目になったばかりの鯉之助くん、ペース配分には気をつけようね。皮肉言われちゃうもんね。この人の演るようなのを端唄とかいうのだろうか? こういう分野に興味がなかった私には分からない。ただ、一生懸命に歌詞を聞き取ろうとしたのだが、歌い方がクズしているのだろうか歌詞が一部分らない。もう少し分りやすく歌ってくれるといいのだけどなあ。

        女流講談は神田紅。「夏も終わろうとしています。講釈師はこれからは、年末に向かって『忠臣蔵』シーズン」と、『義士銘々伝より〜赤垣源蔵徳利の別れ』の一席。そうかあ、もうそんなシーズンになっていくんだなあ。ウカウカしていると今年も終わっちゃうぞ。

        桂南八。「九月になりましたが、残暑はまだ厳しい・・・さほど厳しくないか・・・。これはなんザンショ」 ヘンな年だよなあ。六月から七月にかけて猛暑。それが八月から、妙に涼しいが続いているんだよなあ。「八月には台風が来ましてね。来るなー! 来るなー! と叫んだけど上陸しちゃった。台風には目はあるけど耳はない」 「地球温暖化、南極の氷が溶けて今に砂浜が無くなっちゃうそうですよ。鳥取の砂丘、まだ見てない人はサッキュウに見てくださいよ」 くっだらないと言ったらそれまでだけど、こんな漫談が続いて引っ込んで行った。いいじゃない。オモシレー、オモシレー!

        ボンボンブラザースがいつもの曲芸。やっている最中にときどき下手の衝立のデッパリに帽子を投げるのが、痩せている方の人の恒例。この日は一回目成功。帰りぎわのニ回目が失敗。口惜しそうに指を鳴らしながら帰って行った。どこまで本気なんだろうね、このコンビ。でもいつでもコミカルで楽しい曲芸。貴重な人達だよなあ。

        「この私が座っているところを高座と言います。コウザといえば銀行。でも預金無いしね融資は受けられないしねえ。かと言って、強盗に入るほどの勇気はない」。三遊亭茶楽がボヤきながら、ネタの『厩火事』へ。

        春風亭柳橋は私の嫌いな『錦の袈裟』。なぜ嫌いなんだろう。一週間前に、志ん五で聴いたときは面白いと思ったのに、今夜はまた面白いとは思えない。嫌いなわけを今度じっくり考えてみようっと。

        ローカル岡の不思議な茨城弁スタンダップ・ジョークにも、このところようやく慣れてきた。最初はあまり面白くないと思っていたのだが、こんなのもアリかなという気になってくる。「警視庁の警部が痴漢行為だって。ケイブにでも触ったのかね」 「乳ガンって触れば分るそうですね。シコリがあるんだそうです。なんでも、この間、お医者さんが患者さんの何でもない方のオッパイ取っちゃったんだって。シコリ残しちゃったね」

        中入り前の春風亭柳昇は『雑俳』。マクラで自分の作った川柳をいくつか紹介していたが、私の気に入ったのはこんなの。[目薬の 半分ほどは 顔にかけ]。只今、緑内障で毎日目薬のお世話になっている私にはこの気持ち、よく分かるなあ。どうしても目に入らなくて、顔にかけてしまう。それにしても柳昇も歳を取ったなあ。ところどころでトチっている。突然に俳句の文句が出てこなくなったりする。ちょっと寂しい。しょーがないよな、もう八十歳越えているんだものなあ。

        中入り。伊勢丹の[大北海道展]で買ってきたカニ天丼。大きなカニの身を天ぷらにして、ご飯の上に乗せてある。旨かったけれど、ちょっと汁が辛い。大急ぎで食べてお茶で流しこんだ途端に、幕が上がった。時間短いよう。

        中入りでお客さんが大分帰ってしまった。残ったのはざっと30人。先週もそうだったけれど、日曜の夜なんて明日のことを考えたら早めに家に帰って寝た方がいいんだろうけどなあ。面白くなるのはこれからなんだよ。ところが食つきの桂右団治がちょっと辛い。よく見るとカワイイ顔をした若い女性の噺家さんなのに、何で真っ黒な着物に真っ黒な羽織なんだあ? 喪服の着物はあれでなかなか色っぽいけれども、この右団治の着物姿に色気を感じないのはなぜだろう? 「オカマではございません。花嫁になれる落語家でございます」と言われても、そのドスの効いた声で言われると、オカマの方が色っぽいようー! と言いたくなってしまう。

        与太郎の小噺を始めた途端、楽屋から「それはもう出ました!」と声がかかる。「与太郎の噺が前に出たのはネタ帖で知っているんですがね、小噺まではわからない。それじゃあ、これは演りましたか?」と、もうひとつ与太郎小噺。ところが笑いがこない。そのまま『かぼちゃ屋』に入ったのだが、どうも、与太郎像がしっくりとこない。かぼちゃを売りに出された与太郎が「このかぼちゃ旨いのか?」と言われて、「旨いよ、味の素が入ってるんだ」と答えても何だか笑えない。妙にドスの効いた声を出す与太郎で違和感がある。他の登場人物もみんな、なんだかドスが効いていてヘンな感じがする。女性がひとりも出てこないこの噺、女性の右団治が演るのは不利のような気がするのだが・・・。男の噺家に負けまいと、わざとドスが効いた台詞回しをしているのだろうか? この人の女性が出てくる噺を一度聴いてみたい気がする。

        さあお待ちかね、東京ボーイズだ。私が見るときには珍しく、代演なしで出てきてくれた。「まだ暑いですね」とリーダーの五郎さんがワイアン(ハワイアン)を歌うと言う。「それでは、『小さな橋の下で』」。すかさず八郎さんが「そこに住むの?」 「バカ言っちゃいけない」 「それは正しくは『小さな竹の橋で』」 そうだよね、原題は『On A Little Bamboo Bridge』 六さん隣でフラダンス。次はズージャ(ジャズ)だと『漕げよマイケル』。これがジャズかどうかは疑問だけど、アコーデオン、三味線、ウクレレという楽器編成でジャズは無理なんじゃないの? 六さん嫌々三味線を弾いてたけど、これがなんとなくバンジョーみたいで、いいじゃない! ソンシャン(シャンソン)の『ろくでなし』を演ろうとしたところで時間が無くなってしまったらしい。エンディングの短縮版『中ノ島ブルース』でお開き。もっと長く演って欲しかったのにぃ!

        三遊亭小円右のトラが橘ノ円。「今、落語界で80歳以上なのは、人間国宝の小さん師匠。それと、さっきここに上がりました柳昇師匠。噺家なんて商売は死ぬ前の日まで高座に上がってたりする。それが若くして体を壊して死んじゃうのがいたりする。時間がありすぎるんでしょうかね。楽屋で会うと、『どうだい、ちょっとコレ(酒を飲むシグサ)行こうか』なんてことになる。『笑点』で人気の出た小円遊なんていました。『巷では・・・』なんて言ってバカに人気が出た。あいつもねえ、テレビの芸と高座の芸が違うんでアセッちゃったんですねえ。それで朝から晩までやって(飲んで)ました。それで肝臓患って逝っちゃったんです。まあ噺家なんて、ほとんどが飲兵衛なんです。まあいろいろと精神的に疲れを感じるから酒に頼っちゃうなんて人がいますがね・・・」 漫談でもないシミジミとした話が続いていく。しかし、ついつい聴き込んでしまう。

        「噺家って朝から晩まで何とかしてお客さんに笑ってもらおうかって考えているものだから、ウチに帰ると無口になっちゃう。だから女房と会話をするような噺家ってほとんどいないんじゃないかな。こういうことを喋れば女房が喜ぶということは百も承知しているのにダメなんだなあ、私なんて・・・。家庭の事を考えている落語家なんて一人もいません。自分の弟子のことしか頭にない」 客席もほとんど笑うことなくシンミリと聴いている。いいなあ、こういう時間も。なんだか寄席以外の酒の席かなんかで聴かされているような話だなあ。「きょうは楽屋話で失礼しました」と楽屋に去って行った。

        円の楽屋話で、客席がシンミリしたムードになってしまった。ただでさえ、時間が経つに従ってお客さんが減っていく。次の三笑亭笑三には爆笑を期待したかったのだが、円に刺激されたのか、またもや芸談が始まってしまった。「私どもの大先輩である柳家金語楼はこういう事を言ってました。『我々落語家という商売は、お客様の前で、いかに上手に恥をかくかによって、おタカラを頂戴しているんだよ』 これを私なりに簡単に申しますと、『落語家という商売は、お客様の前で恥をかくからゼニになるんだよ』ということです」 お客さんみんなシーンと聴き込んでいる。気になったのか、「これも反応がない。やはりハンノウは西武電車の終点まで行かなきゃ・・・これは私のひとりごとですけれどね」 だからあ、みんな感心して聴き込んでいるんだって!

        膝がわりが北見マキの奇術。ロープやコインの、よく見る奇術を喋りなしで次々とこなしていく。その手際の鮮やかなこと。これだけ鮮やかだと喋りはいらない。

        トリは三遊亭円雀だったが、ネタが『紙入れ』。ありゃ、この人の『紙入れ』は先月も聴いたなあ。悪くないデキなのだが、2ヶ月続けて同じ人の同じ噺が、しかもトリでというのはついてない。もうあとに出る人はいないんだから、20分くらいで終わる噺ではなくて、もっと大きなネタを演ってほしかったなあ。ハネたときにはお客さん20人程度。明日があるからって、そんなに早く帰ることないのになあ。


September.2,2001 今夜は静かな末広亭

8月26日 新宿末広亭八月下席夜の部

        代演制度のある定席は、落語・演芸ファンにとって悩みの種。行ってみたらお目当ての芸人さんが休演で、聴きたくも無い代演を聴かされるハメになったときなど、悲しみを通り越して、フツフツと怒りが込み上げてきたりする。それが最近、落語協会のホームページを見れば、[本日の寄席]というコーナーで、その日の各定席の出演者が確認できることを知った。これは助かる。さっそく出かける前にホームページをチェック。ふむふむ、奇術のアサダ二世が俗曲の柳家亀太郎に代わって、ギター漫談のペペ桜井がアコーデイオン漫談の近藤志げるに変わって、円窓が左楽に、南喬が正朝に代わったのね。これだと心構えができる。トリの志ん五も、ちゃんと出るし、よし行こうではないか!

        中入りのときに食べる弁当前を選んでいたのでちょっと遅くなり、入ってみるともう前座の柳家初花の高座が終わろうとしているところ。この人、初花と書いて[しょっぱな]と読ませるらしい。ネタは『出来心』。頑張ってね。

        古今亭菊之丞。「懐を痛めないで噺家を贔屓にする方法って教えましょうか?」 おやおや、不思議なことを言い出したぞ。「テケツ(チケット売場)で、『菊之丞出てます?』って訊いてください。『出てません』と言われたら、『じゃあ、つまんないから帰るわ』って帰っちゃってください。すると、『じゃあ、そろそろあいつも真打にしなくちゃ』ってことになる」 なあるほどねえ。菊之丞さん、早く真打になれるといいね。「ただし、『出てますよ』と言われて、『じゃあ、つまらないから帰るわ』なんて言わないでくださいよ。ホサれたりしますから」 「前座って、一日寄席で働いていくらになると思いますか?」 うんうん、凄く興味ある。「千円ですよ。こう言ったら、『時給で?』と言われたことがある。一日千円なんですよ」 前座さんもタイヘンだなあ。「前座期間が終わって二ツ目になって、毎日寄席に行かなくてよくなると、家でゴロゴロ。これがもう、自分の家にいながら居候しているようんなもんで・・・」とマクラを振ると『湯屋番』の本編に入る手前まで演って、下りちゃった。

        三味線片手の太田屋元九郎。「ヨーロッパへ国際旅行博覧会というので行ってきました。韓国の人が『三味線という日本の楽器で、わが韓国の曲演ってはもらえませんか』と注文した。断ることができねえんだ。何しろ日本代表だからね」と、三味線で『アリラン』を弾いてみせる。「これ弾いたら喜んでくれて、キムチ一年分貰った。あれは、いいキムチだ」 こんなパターンで、ボリビアの『エルコンドルパーサー』、アルゼンチンタンゴ『ラ・クンパルシータ』などを三味線で披露していく。果てはベンチャーズの『パイプライン』まで三味線でテケテケテケテケ。この人、本来はじょんがら節を演る芸人さん。最後は『津軽じょんがら節』が始まったと思いきや、途中で『禁じられた遊び』にスライド。ニコリともせずにスッと三味線を持つとペコリと頭を下げて帰って行った。青森芸人、粋だねえ。

        橘家円太郎は漫談のみ。「寄席にいらっしゃる方は、頭のいい方ばかり。頭の悪い方というのは、東京ドームや歌舞伎座なんかに行っちゃう」と、寄席を盛んに持ち上げている。「馬風師匠に連れられて、東京ドーム行ったんですよ。ビール一杯八百円って、たけえんじゃねえの! タコヤキなんて六個で六百円ですよ! 外なら十二個で三百五十円で売ってる。しかも電子レンジであっためてよこすから、ヌルヌル。歌舞伎座に行けば芝居の前に大食堂で吉兆の弁当を取らされたりする。腹一杯になって眠くなったところで、いい加減な芝居してしまおうなんて・・・。そこへいきますと、末広亭は素晴らしい。リサーチをしまして、大食堂を止めました。何もないのが一番いい。売店には匂いのたたない食べ物など、餓えだけは凌いでいただこうと各種取り揃えております」 ウハハハハ、宣伝のコーナーなのかなあ、円太郎の出番って。

        古今亭菊輔は『長短』をかけてきた。気の長い人と短い人の対比が楽しい噺だが、この演じ分けが意外と難しいのかもしれない。気の短い人の演じ方が上手くても、気の長い人の演じ方が下手な人がいる。短気のキャラクターに引き摺られてしまうのか、気長さが上手く出ていない。そこへいくと菊輔のは、気長のキャラクターが上手い。「ひとから・・・ものを教わる・・・なんてえ・・・ことは・・・・・・・・いや・・・だろうね――――――え――――」 イライラしてくるくらいのろいのが伝わってくる。その分短気の方のキャラクターがちょっと気長に引き摺られちゃっているような気もするのだが・・・。難しいんでしょうね。

        黄色い燕尾服で、立ち姿で演る漫談の綾小路きみまろが出てくる。中高年女性をネタにした漫談が、言われている当の中高年女性に受ける受ける! 客席のほうぼうでギャハハハハという笑い声が起こる。「仕事を終えて、満員電車に揺られて家に帰れば、冷めたご飯に冷めた妻ですよ。鍋料理だった日には、もう雑炊になっている。やがては、妻には『墓だけは別にして』なんて言われる。なんとハカない人生」 こうゆうのに受ける女性ってどうゆうことなのかなあ。自分のことを自覚してるのやら、はたまた「身近にそういう人いるけど、私は違うわよ」と思っているのかなあ。

        すっかり湧いた客席が、次の柳家さん助で収まる。『不精床』が始まったなあと思ったらコックリコックリと眠りの世界が呼んでいる。一時、完全に気絶。あれっ? 終わったのかなと思ったら、立ちあがって頬かむり。着物の裾を上げて、なにやら踊りが始まるよう。釣りに行った男が途中で小便がしたくなり、用を足してまた釣りを始めると糸を顔に引っかけてしまうしまうという内容のものを、踊りのような、お囃子に合わせたパントマイムのようなもので見せる。不思議な芸を見せられた気分。

        次の柳家小猿治になっても、こっちの眠気は収まりそうにない。[猿]という字は、実は獣辺が無いのだが、どうしてもパソコンから出てこないよー! [吉池]の前の歩道で泥棒を捕まえたという実話をマクラに、『芋俵』に入る。泥棒が、人を芋俵の中に入れて目当てのウチに置かせてもらい、夜中になったら出てきて手引きするという手を思いつく。ところが中に与太郎を入れてしまったことから起こる騒動。与太郎を入れるのには反対している泥棒仲間が「与太郎はよした方がいいんじゃないかい。眠り込んだらどうする。よくイビキはかくしね。客席とおんなじで・・・」と言っていた記憶があるが、なにせこちらも睡魔に襲われている最中。ふわー、眠い。

        柳家亀太郎の俗曲が始まった。おなじみの世界52ヶ国の国名と首都を折り込んだ『歌で世界地図』が終わって、都々逸を演っているようだったが途切れ途切れの記憶しかない。♪ひざまくら させて辺りを 見ながらソッと 水を含めて 口移し とくらあ。誰かそんなことしてくれる女性いないかなあ―――っと。

        林家正雀が元気に『紀州』を始めたので、いくらか目が覚めかけてきた。途中で彦六の逸話が挟まる。亡くなって随分になるが、この人くらい寄席で逸話がネタになる人はいないだろう。なんだか、寄席に行くと毎回何かしら聴かされているような気がする。それにしてもネタの尽きない大師匠ですね。

        一旦醒めかけた意識が、次の古今亭志ん橋でまた遠くなる。『あわびのし』だということだけは憶えている。「これは何という魚ですかいな」 「テイだよ」 「テイ?」 「タイだよ」 「タイ・・・それじゃ、中にアンコ入ってるんですかいな」 「タイヤキと間違っているんじゃないか?」という会話が聞こえてきたような記憶が微かにあるのだが・・・。

        一時間くらい気絶と覚醒を繰り返していたが、アコーディオン漫談の近藤志げるが、例によって何やら古い歌を歌っているのに頭がハッキリとし始めた。「若い人が多いね。こんな歌、知ってた? ざまあみろってんだ。寄席に来る人の平均年齢は六十から八十歳。必然、演るネタが古くなる」 どうやら、また西条八十作詞の歌を演っていたらしい。「西条八十の童謡知ってますか? ♪かあさん お肩をたたきましょう タントン タントン タントントン・・・ 『肩たたき』ね。♪テンテン テン毬 テン手毬 テンテン手毬の 手が逸れて・・・ 『毬と殿様』ね」 へえー、あれが八十かあ。タントンタントンとかテンテン手毬とか、リズム感のある詞を書いていたんだなあ。

        「西条八十は戦争反対だったんですよ。それが日本で一番多くの軍歌を作ることになる」 当時、早稲田の教壇に立っていた八十は学生まで狩出されて戦争に行く状況を目の当たりにする。何百人も出かけていって一人も帰ってこない。そこで彼らのために作った詞が『学徒出陣の歌』。♪花もつぼみの若桜 五尺のいのちひっ提げて 国の大事に殉ずるは 我ら学徒の面目ぞ・・・

        「死んだオヤジのことを思い出すんです。天皇陛下ってあだ名でしてね。おっかないオヤジでした。よく殴られましたよ。みんな腫れ物に触るような感じでした。当時、私はお小遣いなんて貰えませんでした。薄暗い上がりかまちの、おじいちゃんがやっている駄菓子屋がありましてね、そこの駄菓子を盗んだことがある。それを誰かが見ていてオヤジに言ったんです。オヤジ、拳を振り上げたまま泣いてるんです。『シゲルよ、考えてみりゃあ、お前が悪いんじゃない。キチンと躾ていなかった俺が悪いんだ』って言ってね。そのとき硬く誓いました。今度はうまくやろうとね。そのオヤジも今は靖国神社にいます」 終戦記念日から13日。改めて、ソッと心の中で手を合わせた私でした。

        円窓のトラとなった柳亭左楽が居心地悪そうにしている。「昼夜出番を変わってもらいまして・・・。イヤなもんですな、プログラムと見比べられたりして・・・、何者が出てきたんだろうという顔されてね」 そうかあ、トラで出てくる噺家さんも演りにくいものなんだなあ。ネタは夏らしく『酢豆腐』。腐った豆腐を食べさせられてしまう若旦那。若旦那は軽い乗りでノロケ話をしているが、左楽のはなんだか軽すぎるくらいの上品な佇まい。イヤミがなさすぎて、あれ食べさせちゃうのは可哀相なくらい。

        中入りに、買ってきた穴子寿司を頬張り、お茶のペットボトルで流し込む。寄席の中入り休憩は短いから忙しい

        食つきは林家しん平。案の定、まだ食事中の人が標的になる。早いところ食べ終わってよかった。末広亭のコーラは昔ながらの瓶タイプ。これにストローを刺してくれる。「コーラ、気が抜けてませんか? みなさんが買ってくれないと古くなっちゃうからね。どんどん循環させないとね。末広亭のTシャツも売ってますよ2500円! 今買わないと冬になっちゃうよ! 冬になったらしまっちゃうからね。私がデザインしたの。買っていってよー」 私が眠り込んでしまっていたのは、こちらが疲れていたせいもあるが、きみまろ以降はお客さんがだいぶ帰ってしまい、残ったお客さんがなぜか静かな人ばかり。しん平、盛り上げようとして一生懸命だ。

        「ついに吉野家も280円。松屋、すき家と同じになっちゃった。味はどこでもたいして変わらないんだもん。でも[汁ダク]って始めたのは吉野家が初めだね」 おそらく、この言葉の発生は築地場内市場の吉野家からだろう。築地の飲食店では昔から通っている言葉だ。「吉野家では通じた言葉だけど、初めて聞いた[すき家]の店員がドンブリの上スレスレまで汁を入れてきちゃった。ホドってもんがあるんだよ。肉なん浮いちゃってる。牛丼のお茶漬けじゃないだからさあ。お汁が熱いからドンブリも持てないの。スプーンがないと食べられない」 このあと[牛丼の正しい食べ方]講義に入るのだが、これがなかなか面白い。「ふーん」と感心して聞き込んでしまった。笑いが起こるというより、みんな「うんうん」と相槌を打ってる感じ。お客さんおとなしいなあ。

        「ジャイアンツ何で勝てないんだろうね。全勝してもおかしくないメンバー揃えているのにね。優勝難しくなってきちゃったよ。だって昨日も負けて、今夜もまた5−4で負けてるところ」 この日、結局ジャイアンツは負け。アンチ・ジャイアンツの私は気分がいい。大瀬ゆめじ・うたじは相変わらずの『大阪不眠』のネタ。シャレを理解しない相手にさかんに説明している。「今までは東京に住んでたの! それが大阪に行ったもんだから、大阪フミンになっちゃったの! 京都でもいいんだけどね・・・」

        桂南喬のトラの春風亭正朝が出てくる。「今朝がた電話がかかってまいりまして、なんでも南喬さんが急に死んだそうでございまして、死んだものはしょーがないというので、私が出てまいりました。明日はまた生き返って出てまいりますが・・・。トリの人が休んだことがあって私がこうして同じ事を言いましたが大丈夫。シュニンに口なし―――って」 相変わらず静かなお客さんはシーンとしている。「きょうは受けないなあ」と正朝が首を傾げている。ネタは『手紙無筆』。受けないのがイヤになったのか時間がきたのか、最後までいかずに高座を下りてしまった。

        柳亭小燕枝は、爆笑が期待できる『小言念仏』を持ってくるが、これまた客席は静か。なかなかいい出来の『小言念仏』だったんだけどなあ。

        膝かわりの太神楽、翁家和楽・小楽・和助で、和助の三本のバチの曲芸のコーナーが冴えない。[とっておきのワザ]の、バチを投げ上げて一回転して受け取るというワザが何回やっても決まらない。もう一回、もう一回と、六回目でやや不完全ながらOKとなる。どうしちゃったんだろう、和助くん。

        こうなるとトリの古今亭志ん五に期待するしかない。これだけ静かなお客さんを前にして、いったい志ん五は何を持ってくるのだろうか? ひょっとして人情噺だろうか? それだともっと引いちゃうかなあ。笑いの要素が多いネタが続いていたこの夜。それなのにお客さんは静か。志ん五の伝家の宝刀、与太郎を持ってきて果たして受けるだろうか? 「相変わらずのところで、ご機嫌をうかがおうと思いますが」と始めたので固唾を飲んで聴いていると『錦の袈裟』に入った。この噺、私はあんまり好きではないのだが、志ん五ともなると話は別だ。何しろこれには与太郎が出てくる。

        錦のフンドシそろいで締めて吉原に繰り込もうと相談がまとまったところで、与太郎が出てくる。「アタイも行くよー!」 さあ、いよいよ出てきたぞ。志ん五の物凄くデフォルメした与太郎だ! うふふ、受けてる、受けてる。錦のフンドシが買えない与太郎がオカミさんの入れ知恵で寺の和尚さんに錦の袈裟を借りに行く。「うんちわー! うんちわー!」と寺に行って、袈裟を貸して欲しいというと、和尚さんそれではと小坊主を呼ぶ。「珍念や、珍念! 袈裟箱を持っておいで」 「うへ〜〜〜ーい!」 歯を剥き出して、与太郎以上の凄まじい珍念が出てくる。「バカ!! お客さんのマネをするでない!」 ほどよく与太郎が出てくるこの『錦の袈裟』に末広亭のお客さんも満足したらしい。オチを言って頭を下げる志ん五に暖かい拍手が起こる。幕が下りてくる。

        日曜の夜が終わろうとしている。八月も浅草のにゅうおいらんずに住吉踊り、新宿のアロハマンダラーズ、上野のさん喬・権太楼特選会と定席は賑やかだった。それに比べて、今夜は静かな夜だったなあ。夏も終わろうとしている。

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