March.31,2002 ドロドロしない不倫劇

3月24日 『風の砦』 (明治座)

        西郷輝彦の座長公演。原作は原田康子。これがヘンな話なのだ。パンフレットを買ったら西郷輝彦が共演の杜けあきとの対談で、「これは『日本版・マディソン郡の橋』だ」と言っているが、なるほど、そういうことなのかと思った。しかし、この話はもっと複雑。

        ときは幕末のころ、秋田藩士の西郷輝彦が沿岸警備のために、北海道行き単身赴任を志願する。ところが西郷は新婚ホヤホヤ。なぜに単身赴任かというと、結婚相手の渡辺典子から、初夜に「私には他に愛する人がいる。私に手を触れたら自害する」と拒絶されてしまったからだ。しかもその渡辺典子は、幼いころから西郷を慕っていたというのにというから、物事はますます複雑になってくる。

        宗谷に同僚の細見大輔とやってきた西郷、そこで彼は宗谷出張所長の浜畑賢吉の妻である杜けあきと不倫関係に陥ってしまう。そんなところへ、妻である渡辺典子がやって来てしまう。渡辺典子が好きになってしまった相手というのは、西郷と一緒にやってきた細見だったのだ。ところが今度は細見は現地のアイヌ人鈴木ほのかに夢中になっているというから、これはもう一見ドロドロの話。

        ところが、やっぱり大劇場の大衆演劇なんですね。ドロドロした感じはまったく無いのが不思議。細見大輔がアイヌ人に斬られて死んでしまうと、話が急速にまとまってしまう。西郷は渡辺と縒りを戻し、一緒に秋田に帰ることになる。細見の墓に手を合わせる渡辺には、もう未練は無さそう。どうなってるんだあー。西郷と杜の関係も終わってしまったらしい。浜畑との夫婦生活は何事もなかったように戻る。結局、浜畑は、自分の女房が不倫していたという事実を最後まで気がつかなかったらしい。

        これって、どういう話なの? おいおい、これでいいのか? 西郷輝彦は渡辺典子を許せるのか? 杜けあきを諦めきれるのか? 渡辺典子はもう死んだ細見大輔を何とも思わないのか? 杜けあきは西郷輝彦を諦めきれるのか? 浜畑賢吉は本当に妻の不倫に気がつかなかったか? それでいいのか? 多くの疑問が私の頭の中に残る中、舞台は幕が下りて、再びカーテンコール。出演者全員が晴れやかな顔で舞台に現れた。

        これって、おそらく原作ではもっといろいろと肉付けされている話なんだろうなあ。原作を知らないで見た私は、なんとも消化不良のまま劇場を出た。まあ、これでいいのかな、大劇場の演劇って。


March.30,2002 おめでとう、扇辰!

3月23日 上野鈴本演芸場三月下席夜の部・真打昇進披露興行

        落語協会、今年春の真打昇進は五人。今宵は、その中でも古典落語をキッチリと演じると評判の入船亭扇辰がトリをとる。早咲きの桜舞い散る上野の山をチラッとながめて鈴本へ。チケット売り場には長い列ができている。後援会の人や、落語好き、それにそれとは関係なくやってきた団体さんなどで、この夜もいっぱいになりそうな予感。

        幕が開くと、後ろ幕がたらしてある。富士山と日の出。その横に雲がかかって、辰が伸び上がっている絵柄だ。前座は入船亭ゆう一『寿限無』。頑張ってね。

        古今亭志ん太がさっそく扇辰を持ち上げている。「扇辰あにさん、尊敬してるんです。後輩によくおごってくれますから」 ネタは『手紙無筆』で、「前文御免くだされたく候」を繰り返しているところまで演って、「冗談言っちゃいけねえ」で下りてしまった。始まったばかりなのに、もう時間が押しているのだろうか?

        三遊亭小円歌ねえさんも、「扇辰さん、早くから入りまして、楽屋をウロウロウロウロしています」と楽屋の様子を客席に伝える。『見世物小屋』を陽気に弾いて歌ってから、いつもの踊り。「『奴さん』と『かっぽれ』どちらがいいですか?」と訊くのもいつもどおり。そうしたらお客さん、「両方!」 「じゃあ今日は『奴さん』やって、明日『かっぽれ』やりますから、来てね〜ん!」

        この日、私が一番印象に残ったのは次の古今亭菊丸だった。やっぱり時間がなかったのだろう。高座に上がってから下りるまで七分。マクラをふって『親子酒』に入ったのだが、これが大爆笑ものの高座だった。大酒呑みの親子、お互いに禁酒をしようと約束する。ところが酒好きの常。どうしても止められない。我慢ができなくなったおとうさん、息子の留守におかみさんにおねだり。「一本だけ、一本だけでいいんだからさ」 「あなたが一本ですむわけないでしょ」 「じゃあ、呑ませてみたら」 この策略にひっかかっちゃった。やっぱり、さらにもう一本ということになる。やっぱり一本じゃすまないのが酒呑みの常だ。「ドハハハハハ、お前も悪いんだよ、呑ませなきゃよかったんだから」 ついにはヘベレケ。そこに帰ってきたのが、これまたヘベレケに酔っ払った息子。「おとうさん、只今帰りました」と障子を手で開けるや、その場に倒れてしまう。父も子もひどく陽気な酔っ払いという風情なのが可笑しい。そういえば、この人で以前聴いたことがあるのは『宗論』。あれも親子の会話だけで進行する噺だ。こういう設定を得意とする人なのだろうか? とにかく明るくて可笑しいのだ、この人の高座は。

        これまた大爆笑の人が続く。桂文楽が『権兵衛狸』を始めたのだが、これがまた可笑しいのなんのって。床屋の権兵衛さん、寝酒をキューっと一杯やって布団の中に入るのだが、なかなか寝つけない。「証人喚問した人が、今度は逆に喚問されるって、変な国会だね」なんて思っていると、たぬきがいたずらにやってくる。この床屋さん実は格闘技の達人。舞の海ばりのねこだましでびっくりさせたところで、張り手をくらわし、壁に叩きつけて返って来たところをウエスタンラリアート。ひっくり返ったところにニードロップ。そんなにしなくてもいいのにー。ふん縛ったたぬきをどうしてくれようと村の人に相談する。「たぬき汁にするべ。牛肉は危ねえだ。たぬきが一番安全だよ」 たぬき君、御難だね。

        大爆笑熱演型のふたりのあとは、さぞ演りにくかろうと思ったのだが、柳家喜多八はいつものペース。肩から力が抜けたようなマクラから、実際に『小言念仏』に入るや、これまた飛ばす飛ばす。「ボケたボケたなんていう老人がいますがね、ウソですよ。とボケてるだけ」 元気一杯、小言を飛ばすお年寄りが楽しい。自分から動けばいいのに、自分はお経をあげているからという理由で動かない。体は動かなくなってきているのに口だけは達者のお年寄り、こんな人、昔はたくさんいたよなあ。

        ニューマリオネットのあやつり人形。この人たちも芸暦長いよなあ。むかーし見たテレビ番組で、「ただ人形に踊りを踊らせているだけで、芸になっていない」と手厳しいことを言われていたのを憶えているが、こうして久しぶりに見てみると、いやー、上手くなりましたねえ、この人たち! 日本民謡をバックに踊る人形の動きが可笑しいのだ。今や立派な芸になっている!

        林家たい平は漫談だけ。[履歴書]→[誰でもよかった]→[客席の団体さんの弁当]→[新幹線のボックスシートのおばちゃん]→[ムネオ、マキコ(物真似つき)]→[JR車掌のアナウンス]→[みのもんた]→[納豆]→[学食の月見うどん]。彼の高座を見たことがある人なら、こんなメモを見ただけで内容がわかるはず。このところちょっと元気がないように見えるのは気のせいかなあ。

        新真打になる扇辰の師匠、入船亭扇橋は『ろくろ首』を短めにサラリと演った。夜になると首が伸びて行燈のアブラを舐めるという奇病を持ったお嬢さんと結婚した与太郎。初夜からお嫁さんの首が伸びる。「伸びた、伸びた! 初日から伸びた!」と逃げ帰ってしまう。「初日も千秋楽もねえ!」 (客足が)伸びるという意味もあるのだろうか? なかなか憎いネタで弟子を祝福する扇橋師匠。粋だねえ。

        真打昇進披露口上にはなくてならないこの人、鈴々舎馬風。[ムネオ、ツジモトキヨミ]→[談志、志ん朝、三平]→[結婚式の司会]と、これまたいつもの漫談。結婚式のスピーチ「挨拶は短く、幸せは長く」を持ってきて本当に短い高座で仲入りに繋げた。ところが、この後の口上での馬風の挨拶が例によって長いんだから、チャラかな?

        入船亭扇辰真打昇進披露口上。幕が上がると、下手よりこん平(司会)、円菊、扇辰、扇橋、馬風、円歌が並んで座っている。「例年より十日早い開花宣言のなか、鈴本演芸場にご来場いただき、ありがとうございます」こん平の名調子の挨拶から始まった。円菊「十三年半かかってようやく真打。扇辰くんは人間も穏やかでして、芸は人なりと申します。将来を期待しながら見守っていきたいと思います」 優しいはげましの言葉だ。

        そこへいくと馬風の挨拶は、もう、ひとつの高座ネタとなってきた。「春爛漫、美酒爛漫。爽やかないい季節になりました」から始まって、大相撲、高校野球、プロ野球開幕と、関係ないことを次々と話題に乗せ、他の幹部連から睨まれると、急に思い出したかのように、「ついでに扇辰くんの真打昇進披露口上を申し上げます。前座のころから働き者で志ん朝が可愛がっていました」と添えてからの、ウチアゲの催促、女を紹介しろというネタもいつもどおりに長い長い。

        会長の円歌はちょっと元気がなさそう。「また新しい品物が出てきました。真打披露というのは、いわば陳列台のようなものでございましす。手を取って共に登ろう花の山」簡単な挨拶だけ。師匠の扇橋は表情も変えずに飄々としていたが、やっぱりうれしかったんだろうなあ。「扇辰のかみさんは『千と千尋の神隠し』の主題歌を作詞したそうで、映画は大ヒット。日本アカデミー賞まで取ってしまった。ですから、モノが違うんですね、こいつとは。いくら貰ったかまだ訊いてないんですが、貰ったらみんなで世界旅行に行こうと思っています」 ありゃありゃ、弟子の話ではなくて、そのかみさんの話かいと思っていたら最後で、「(扇辰も)だいぶ骨っぽい噺をするようになってきました」とうれしそうに話す表情。やっぱり自慢の弟子に違いない。馬風の音頭で三本締め。

        大瀬ゆめじ・うたじは、いつもの[お客さん二人]から[大阪不眠]へ。安定した漫才だ。

        古今亭円菊は『宮戸川』。将棋に夢中になって夜遅く家に帰った半ちゃん、怒った親父さんに締め出されてしまう。一方のお花ちゃんも同じ状況。またまた始まるちょっと色っぽくて、それでいてなんとも楽しい寄席の定番噺。青春小説を読んでいるような気になる楽しいネタだ。霊岸島の叔父さんのところに泊めてもらおうと走る半ちゃんを追いかける花ちゃん。「逃げても逃げても追ってくる。まるでポチみたいだな」

        三遊亭円歌。いつもの老人ネタをいくつか演って、「きょうは若い人が最後に演りますから、あまり演りません。五十六年も演って、もう疲れちゃって・・・。扇辰、じっくり聴いてお帰り願いたいと思います」 やっぱりなんだか元気ないなあ。

        林家こん平も漫談を短く。扇辰は新潟の長岡出身。こん平も新潟。同県人だ。「長岡は都市部。私の生まれたのはもっと田舎の千谷沢村。村の者は[ちやざわむら]なんて呼びません。[ちゃーざーむら]。柏崎は[かっわ!]、長岡は[のわー!]、小千谷は[おっじゃー!]」 ほんとかね。寒い地方では言葉をツメルるというからほんとうなんだろうなあ。「大きな声では言えませんが、披露口上のときに、あんなに大拍手で迎えられたのは始めて」とよいしょして扇辰を盛り立てて高座を下りた。こういうときには馬風と並んで、どうしてもいて欲しい人なんだよね。

        ひざがわりが三増紋之助の曲独楽。[独楽調べ]→[末広の曲]→[輪ぬけ]→[真剣刃渡りの曲]→[風車]。風車(かざぐるま)はキセルの雁首に大きな独楽を入れて回す曲芸。クルクル回る独楽の模様に「わあー、きれい」と客席からつぶやきがあって拍手がくると、「まだよ! 真横になるからねー!」 ほんと、どうしたらこんなこと出来るんだろう。

        メクリが扇辰にかえった。それこそ場内割れんばかりの拍手である。「待ってました!」 「かっこいいー!」 扇辰が座布団に座ってお辞儀をしても、まだ拍手が鳴り止まない。「今まで生きてきて、今日が一番幸せです」という第一声に万感の思いが込められていたとみた。「何がうれしいと言って、ようやくしゃべれる」 口上の最中は新真打は一言もしゃべってはいけなくて、ずーっと手をついて下を見ていくちゃならないんだよね。「今日が門出でございます。これから旅に出ます。どうか末永くお願いいたします」と、すっと『ねずみ』に入った。CDを作って、その中でも演っているから、自信のあるネタなのだろう。もっとも、ちょっとこの夜の扇辰は緊張していたのかも知れないが。静かな口調で実に丁寧な『ねずみ』だった。人物の演じ分けもしっかりとしていたし、申し分ない。ただ、このところ志の輔の『ねずみ』に変化が出てきていて、それを面白いと感じている私には、いささか物足りなかった。まだ若い扇辰くんにこんなことを言うのは酷なのだろうとは思う。でもきっといつの日か、扇辰流の『ねずみ』をもっと練り上げて欲しいと思ったのだった。

        オチまでいって頭を下げたところで、口上に出てきた五人の幹部が洋服に着替えた格好で再び高座に上がり、お客さんに何回もお辞儀をしていた。幕が下りきって、幕の裏ではまた三本締めをやっいてる音が聞こえる。頑張れ! そして、おめでとう! 扇辰くん!



March.24,2002 笑いと音楽のアヤシイ関係

3月21日 『歌って踊って大爆笑』 (国立演芸場)

        いろいろと企画ものを出してくる国立演芸場。今月は音楽ネタだけで構成しようという企画を出してきてた。これは面白そうだと早めにチケットを確保しておいた。でもそれにしては入りはイマイチ。当日券も余裕で取れたようだ。何で? 面白そうなのに。

        前座は金原亭駒丸で『鮑のし』。頑張ってね。

        音楽ものしばりで始まったトツプバツターの立川談慶は、オリジナルらしい『替え歌小町』。亭主の悪口をダーッと一方的に、立て板に水にまくし立てるお松さん。この長いセリフをよくぞ憶えたと感心。大家さんにたまには亭主を喜ばせてやれと諭される。「歌でも歌ってやったらどうだい」 「歌ですか? 歌はだめですけど、ここにゴロッと横になって、うたたね」と駄洒落には強そう。大家さんがテストする。「畳」と聞くと、♪タタミの海岸散歩する・・・。「柱」と聞くと、♪ハシラがあるハシラがあるハシラがあーあーるーうーさー・・・。「本屋」と聞くと、♪君たちホンヤの子 ゴーゴー・・・。おいおい、これじゃあ伊東四朗と三宅裕司の突然歌を歌い出してしまうコントのパターンじゃないか。亭主が帰ってくるとお湯に行けだの食事は何を作ろうかと、これまた立て板に水。お喋りだから亭主に嫌がられるパターンなんだよね、お松さんって。「うるせえな」という亭主に「うるせい・・・♪ウルセイナの父がいる ウルセイナの母がいる」 「黙れ」 「黙れ・・・♪ダマレのために咲いたの それはあなたのためよ」 「ばかやろう」 「ばかやろう・・・♪V・A・C・A・Y・A・R・O ばか・やろ・おー」って苦しいなあ。終わって踊り。雪駄の裏にチップを貼りつけたものを履いて、雪駄タップダンスかっぽれ。曲が『ドリフのいい湯だね』―――ってなんなんだこれ。ときどき音楽にタップのリズムが合わなかったりするけど、御愛嬌か。

        林家しん平が師匠だった林家三平の秘密に迫った。「(三平が)ミュージカル落語の元祖みたいに言われていますがね、そんなことないんです。小噺の間に歌ってただけなんです。小噺の間に次の小噺を考えるために、頭の中で整理しながら歌ってる」 そうそう、思い出したよ。三平という人は、くだらない駄洒落の落語家としてしか記憶されていないけれど、歌を歌いながら小噺を演っていたんだっけ。クリスマスの時期だったら『ジングルベル』を歌って、途中に小噺を挟んで行く。「歌の途中で『あっ』って入るんですね。思いついたんですね、何かネタを。それで小噺を演る。♪ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る・・・あっ!『おかあさま、おかあさま、キリスト様は何時に生まれたの?』 『夜の十時か(十字架)』。そしてまたすぐ歌い出す。♪ジングルベル、ジングルベル・・・これはね、受けなくても面白かったように錯覚する。この手法を三平は思いついたんです」 そうかあ、そうなんだあ。音楽の力って凄いけど恐いよね。これはテツandトモにもいえることだ。『何でだろう』という歌なんて、メモに書き出したものをあとから読んでみるとあまり面白くないのだ。それが聞いている最中はバカに面白く感じる。そしてあとに残るのは『何でだろう』のメロディーとテツの派手な踊りだけってことになる。それでいて「面白かったなあ」という感想になってしまうのだから、音楽というのは偉い。そして恐い。しん平はどうやら一度だけ演ったことのあるミュージカル版の『たらちね』を演ろうとしていたらしい。全編歌で『たらちね』を演るというもの。ただ、照れちゃったのかな? 後半は『月光仮面』と『ウルトラマン』の話に逃げて下りてしまった。どこが音楽ネタだかわからなくなってしまったが、音楽と笑いの関係を解き明かしてくれただけでもいいとするか。

        快楽亭ブラックは『野ざらし』を始めた。なんで『野ざらし』? さっぱり音楽が出てこないぞ。出てくるとしたら後半で釣りをしながら歌うところぐらいかと思っているうちに噺がドンドン進んでしまう。怪談噺のような口調で語る隠居に「そういう話し方じゃなくて、三平みたいに演ってくださいよ」と三平の語り口を再現しはじめた。「♪雪よ岩よ 我らがやどり・・・ 『いやあ、谷川の水で炊いた飯盒のメシは旨いなあ お前も食えよ』 『いや、いいよ、さっき誰かが上流でフンドシ洗ってた』・・・♪雪よ岩よ 我らがやどり・・・『うなぎやさん、これ日本料理ですか、西洋料理ですか』 『うちはヨウショクだよ』・・・♪雪よ岩よ・・・」 そうそう、それでも小噺が浮かばないと、「体だけは大事にしてくださいよ」が入るんだっけ。それとさ、小噺に入る前に「こないだなんて、たーいへんなんですから」が入る。あとから考えると、どこがタイヘンなのかよくわからなかったんだよね。さらにいくつか、いつもやるパターンがあって、「こないだなんて、ここから落っこちちっゃたんですから! それを見てお客さんが『あっ! 落語者』」。もう毎回こればっかり。ええっと、話がまたそれてしまった。ブラックの噺はまだ続いていくが、まだ音楽が出てこない。そのうちにシモネタのオンパレード。一番前の席に小学生の男の子がいてもお構いなし。しょーがねえなあ。ようやく向島で釣りを始めたかと思うと、他の釣り人と、しりとり歌合戦を始めてしまう。何なんだあ!? こっ、これが歌謡落語? 

        仲入り。前座をぬかすとこれで落語三席聴いて、音楽とあまり関係なかったなあとボンヤリとロビーで考え込んでしまう。後半に期待か。

        そんな食いつきがミッキー亭カーチスだ。ロカビリーのミッキー・カーチス。これはょっと期待できるなと思っていたら、マクラが、奥さんと別居生活をおくっているという話から始まってしまった。六十すぎの別居生活男って・・・と、ちょっとナマナマしすぎるので引いてしまったら、夢で見たという小噺のようなものを始めた。バカバカしくて可笑しいのだが・・・ねえ、ミッキーさん、本当に別居してるの? 離婚なんてしないでね。このあと何を演るのかと思ったら、なんと『弥次郎』を始めるではないか。カツゼツが悪いこと、猪が出てきて雄の急所を握りつぶしたという話をしておいて、死骸から子供が出てきたという話に持っていったのに、雄牝のことを突っ込まなきゃいけないのを忘れてしまうなど、まあ本職じゃないからしょーがないけど、どこが音楽に関係あるんだ? と思っていたら、一席終えてからロカビリーを始めた。三味線と、飛び入りのギターをバックに高座に座ったままで『ビー・バップ・ルーラ』と『ハウンドドック』。お客さんの手拍子でリズムをとって気持ちよさそうに歌うのだが、やっぱり正座してのロカビリーは変! 途中で入れたハーモニカ・ソロも、もう少し元気あってもよかったし、三人のリハーサルが出来てないようで、エンディングが中途半端でうまく決まらない。うーん。

        本来は二月二十九日生まれだから、なんと十九歳なんだそうだが、今年七十八歳の白山雅一の歌謡声帯模写が始まった。戦前派の流行歌手専門の物真似だ。まずは灰田勝彦で『鈴懸の径』。うーん、さすがに古すぎて似ているのだかどうかわからない。『アルプスの牧場』を歌う灰田勝彦ならまだ聴いた記憶があるのだが・・・。次がディック・ミネの『夜霧のブルース』。うーん、似ているんだろうなあ。しかし、これ2コーラス歌われてもなあ・・・(笑)。三曲目が田端義夫の『別れ船』。これも2コーラスだが、1コーラス目が昔のバタヤン。2コーラス目が今の・・・というより今よりも、もう少し若いバタヤン。その違いをわかって欲しいというのがその趣旨。もちろん私は今の田端義夫しか知らない。聞き比べてみると、白山雅一さんの言うように昔のは細くきれいな歌声だ。対して今のはクセが強く、ちょっとくどい感じ。ふーん、人間、歳とともに歌い方も変わってくるんだなあ。そういえば、ミック・ジャガーだって初期のころとは歌い方が変わってきているし・・・ってそんな話じゃないのだここは。四曲目も一番と二番で違う時代の歌い方を聴かせる、東海林太郎の『赤城の子守唄』。舌使ってビブラートをつけるところが面白い。本当にそんな歌い方だったの? ここで、一番前に座っているお子さんへのサービスでウグイスの鳴き声。ただし、猫八流の指笛ではなく、口笛。最後は藤山一郎で『東京ラプソディ』。丸坊主、黒ぶちメガネの白山先生。あれえ? 誰かに似ているなあと思ったら、『電波少年』で有名になった、坂本ちゃん! ごめんなさい。

         「寄席では遠慮しながら演っているんですよ。高座で歌を歌うというのは。そこへいくと今日は大っぴらにできる」 川柳川柳はいつも『ガーコン』しかかけなくなってしまったが、この人には『ジャズ息子』という、やはり音楽をテーマにした噺がある。こういうときにこそ、『ジャズ息子』を期待したい。ところがだ、始まったのはやはり『ガーコン』だった。ちょっと、ここで川柳と『ガーコン』について考えてみたい。この人、とにかく毎日毎日どこかの寄席に出て『ガーコン』を演り続けているのである。自作の落語とは言え、中身といえば軍歌を歌い続けているだけなのだが、内容は日によって変わる。日本が勝ちつづけている時代の明るい軍歌から、敗戦の色が濃くなった時代の暗い軍歌へと歌い継ぎ、終戦、ジャズが入ってきたところでグレン・ミラーで締めるのが大筋。軍歌の内容はその日の気分によって違う。突然何かを思い出すのだろう。戦争中のエピソードや、それまで歌ったことのなかった軍歌が入ることがある。それと同時に忘れていってしまう軍歌もあるらしい。以前聴いていたときに歌っていたものが、今ではさっぱり歌わなくなっていたりする。川柳も七十すぎ。こうなるとボケとの闘いもある。一年三百六十五日、『ガーコン』を演っているというのに、自分でメロディーが浮かんでこなくなることがある。たとえばこの日は、かの『空の神兵』が出てこない。『軍艦マーチ』を歌うつもりが『錨をあげて』になってしまう。今、日本でこんなに軍歌を歌っている人は他にいないぜ。右翼だってこんなには歌わないだろう。それと、この噺のバランスだ。「本当は軍歌なんか好きじゃない」と言っている割りには前半の軍歌の部分が長すぎる。ジャズが好きだと言うなら、後半にグレン・ミラーでもベニー・グッドマンでもルイ・アームストロングでも、もっとたくさん演りゃあいいじゃないか。ジャズが始まった時点でこの噺、すっごく明るくなるんだから。それと、体をジャズのリズムに揺らしながら、「今でも、こういう奴いますよ」って古すぎる。いないよもう、こんな奴。スイングどころか、モダン・ジャズを聴いている大学生もいなくなっちゃった。みんなロックでしょう。いや、もうロックも古いか。今はラップでしょ。ヒップホップでしょ! こんなこと七十すぎのじいさんに言ってもしょーがないんだけどね。

        トリは桜川ぴん助社中の踊り。かっぽれの由来を簡潔明瞭に語ってくれたあと、お座敷芸を見せてくれる。『深川』は普段寄席で聞きなれているものよりテンポが遅いようだ。『お軽勘平の道行き』 『漫画魚釣り・夕暮れ』と演って、いよいよかっぽれ。『石なげ』 『けんかかっぽれ』 『編み紐』と披露してくれて、お賑やかに幕。

        それにしも、今回の催し。国立のアイデアには頭が下がるが、後半はともかく、前半の落語三本はどんなものか。せっかく音楽をテーマに企画を組んだなら、ボーイズが一本入ってもいいではないか。本当はポカスカジャンが欲しいが、東京ボーイズだっていいじゃないか。それと堺すすむに『なんでかフラメンコ』演ってもらったっていいじゃないか。小円歌の三味線漫談だってある。あるいはテツandトモだっていい。うーん、まあ、しん平のおかげで、笑いと音楽のアヤシイ関係のヒントが見つかったから、いいとするか。


March.23,2002 円太郎の『らくだ』に堪能

3月17日 小朝の特選若手会 池袋演芸場三月中席夜の部

        普段あまり定席に出ない春風亭小朝が、三月中席はめずらしく寄席に出ている。昼は新宿末広亭のトリ、夜は池袋演芸場『小朝の特選若手会』で中喜利の司会。夜の池袋は珍しく前売の全席指定。発売日にしっかり買っておいたら、やっぱり完売になったようだ。池袋演芸場の階段を降りて客席に向う途中、トイレに寄っていこうと思った。内開きの戸を押すと何かにつかえてしまった。ここ池袋演芸場の地下二階のトイレは一番手前に洗面台があり、ここで誰かが手を洗っているとつかえてしまうのだ。手を洗っている男が私をジロッと見て脇へどいた。花粉症なのだろうか、大きなメガネと大きなマスクをしている。ところが、その髪の毛を見て誰だかすぐにわかった。短髪なのだが金髪に染めている。小朝だ! 私と入れ違うように大きな荷物を持って出て行った。何やらスケッチブックのようなものが見える。どうやら中喜利で使う道具らしい。

        早めに席に着き始まりを待つ。まずは前座。柳家初花『道灌』。しょっぱなって読むんだっけね。頑張ってね。

        「ハイテク犯罪なんて言いますがね、いつごろからあったかと申しますと江戸時代。銭湯へ一番汚いゲタをつっかけてって、一番きれいなゲタを履いて帰ってくる。履いてく犯罪」 くだらねえー。でもおもしれー。柳家三三はそのまま泥棒の噺に入った。なんと珍しや『釜泥』。豆腐屋さん、毎晩のように釜を盗まれる。ようし、今夜は釜の中に入って寝ずの番をしてやれと思いつく。「ばあさんや、釜の中に座布団を敷いといてくれ」 「やっぱりオカマは痔に悪い」 「何言ってるんだ、鉄の上に座ると尻が冷えるんだよ」 この旦那、ただ釜の中でジッとしているだけでは退屈する。燗をしたお酒を持ってこさせるあたりが落語の登場人物。ところがばあさん、酒だけ持ってきてツマミがない。「理屈ばっかり言って、ちっとも気がきかねえんだから。大学出た前座みてえなもんだ」 帰って調べてみたら三三って県立小田原高校卒。最近は大学出の噺家が多い中、珍しくなってきたね。このセリフ、ちょっとした三三の意地ってもんかな。

        [毬と殿様]のお囃子で林家彦いちがピンクの羽織で出てくる。いよいよ今月真打昇進だね。ネタは一度聴いたことがある『ジャッキー・チェンの息子』。二世の辛さを中国語なまりで語るジャッキー・チェンの息子。「学校から帰ると毎日カンフーの訓練! それが終わるとドーベルマンとの闘い! またカンフーの訓練! それが終わると大型バスにぶつかって軽いケガですむ訓練よ!」 この噺、清水宏のものだそうだ。なるほどそう言われれば清水宏が考えそうなネタだ。ふたりは話術が似ているから何の違和感もない。「みんな、こぶ平さんのこと悪く言うでしょ。きくお頑張れ! お父さんはもっと頑張れ!」 二世はつらいよ。しかし後述するが、この夜はあとでこぶ平が出て、すばらしい落語を披露することになるのだ。

        昼間、新潟の地酒フェアで『親子酒』を演ってきたという三遊亭白鳥。ええーっ、そんな古典落語できるの、この人? 「原宿はまるで仮装行列。ヒラヒラのスカートで、まるでメイドさんみたいな格好をした女の子が歩いている」 そうなのだよ。あれ、コスプレのつもりなのかなあ。あるいはロリータ・ファッションなの? 恥ずかしくないのかね、あれで電車の中に乗ってきちゃうんだよね。おじさんの方が見ていて恥ずかしい。ネタの方は、お得意の動物ネタ。「カッパの悲しい気持ちを落語にしてみました」と話しだした。森の動物たち親善麻雀大会で、クマ、キツネ、ウサギに一人負けしてしまったカッパ。負け金の10万円が払えなくて、ケチョンケチョンに言われてしまう。「だいたいお前は動物じゃねえ」 「またまた」 「お前は化け物だ」 「そんなことありませんよ」 「だって動物図鑑に出てないもの。お前が出ているのは水木しげるの妖怪図鑑」 失意のカッパ、人間とホノボノとふれあおうと決心する。日本名作昔話『鶴の恩返し』を参考にして炭焼きのゴンベイの家にやってきて無理矢理に人間と親しくしようとするから話がややこしくなる。ゴンベイの家の前で「この吹雪で迷った女でございます」 「私は叶姉妹の妹の美香です」などと言っても相手にしてもらえない。ついにはキレて「ちくしょう、開けやがれ!」と毒づく始末。恩返しどころか、結局は人間を騙くらかそうとするカッパくん。聴いている間中、何と言う題名の噺なのか気になっていたのだが、最後で「このあと、おいおい怪談になります『眞景かっぱねヶ淵』の序でごさいます」と締めた。おいおい、本当にそんな噺なのかあ?

        この夜、真中の中喜利以外は唯一の色物となるのが林家二楽の紙切りだ。まずはいつものようにハサミ試しで桃太郎が犬にキビダンゴを渡しているところ。お客さんからのリクエスト一枚目は「豪華客船飛鳥!」 「豪華客船飛鳥ですか。見たことも無い。紙切り芸人、何でも切れると思ったら間違いですよ」なんて言いながら本当に切り出したのはさすが。「最初にお断りしておきますが、このあとにクイーンエリザベス号を切れと言われましてもおんなじですからね。それと船体の窓は切りません!」 二枚目は今聴いたばかりの白鳥の噺に触発されたのだろう、「カッパ!」。最後が立体紙切り。一番前に座っていたお客さんの干支を聞いて、それを切ろうという趣向。「干支は何ですか?」 「巳年です」 「巳? 蛇ですか? 最悪ですね。誰でも切れるじゃないですか! では今日はウサギを作りましょう」と切ってみせてくれたのが、手のひらに乗せる立体紙切りのウサギさん。この人、いろんなこと考えるもんだ。

        お待ちかね中喜利のお時間。下手から司会の春風亭小朝、林家久蔵、林家いっ平、五明楼玉の輔、橘家文左衛門、三遊亭小田原丈がズラリと並ぶ。一問目、子供が外から帰ってきてひと言。それに小朝のママが「まあ偉いわね」と答える。そのあともう一度子供がいうセリフでオチがつく。
玉の輔 「ママ、大クワガタ捕まえたよ」 「まあ偉いわね」 「美味しかったよ」っていうのが口切り。
いっ平 「電話出たよ」 「まあ偉いわね」 「『パパ居る?』って言うから『いらない』って言った」
文左衛門は顔からのキャラクター作りか、コワモテパターン。
文左衛門 「ぼく、覚醒剤止めたよ」 「まあ偉いわね」 「今度は売る方にまわった」
文左衛門 「おとうさんの背中流してあげたよ」 「まあ偉いわね」 「でも模様がなかなか落ちないんだ」

        二問目。誰がどこへ引っ越したかという駄洒落合戦。小朝の例題だと「将棋の名人が引っ越していったね」 「どこへ?」 「大手町(王手)」
久蔵 「ロッテの選手が引っ越したね」 「どこへ?」 「グァム(ガム)」
いっ平 「鈴木宗男が引っ越したね」 「どこへ?」 「離島(離党)
小田原丈 「ビフィズス菌が引っ越したね」 「どこへ?」 「町内(腸内)」
文左衛門 「やくざ者が引っ越したね」 「どこへ?」 「渋谷区(シャブヤク)」
久蔵 「SM嬢が引っ越したね」 「どこへ?」 「佐渡」
小田原丈 「剣道の達人が引っ越したね」 「どこへ?」 「市内(竹刀)」
いっ平 「カラオケ好きが引っ越したね」 「どこへ?」 「南極(何曲)」
久蔵 「負けず嫌いが引っ越していったね」 「どこへ?」 「三重(見栄)」
文左衛門 「カツアゲ常習者が引っ越したね」 「どこへ?」 「横須賀」
もう、こういうのだとポンポンといくらでも出てくるから噺家さんは面白い。最後にシモネタばかりの玉の輔のをズラリと並べておこう。解説はなし。
「電動こけしが引っ越したね」 「どこへ?」 「ウイーン」
「床上手が引っ越したね」 「どこへ?」 「奥飛騨」
「包茎が引っ越したね」 「どこへ?」 「火星」
「オナニーばっかりやっている人が引っ越したね」 「どこへ?」 「武蔵こすりすぎ」
「オナニーばっかりやっている人が引っ越したね」 「どこへ?」 「しごく」
もう、しょーがねえなあ。

        三問目、やりくり川柳。各自スケッチブックに川柳の下の句五文字を書いておく。お客さんから上の句の五文字をもらって、中の七文字で辻褄を合わせるというもの。一回目、ここでも文左衛門と玉の輔がはじけていた。文左衛門の書いておいた五文字は「殺し合い」。そこへお客さんのお題の五文字が「花曇り」。
「花曇り クスリが切れて 殺し合い」って、何の関係があるんだー!
一方の玉の輔が書いていたのが「イラン人」
「花曇り そんな名前の ロシア人」 おいおい、イラン人じゃなかったのかー! だいたいロシア人だってそんな名前いないよー!
         二回目。久蔵「ホームレス」 いっ平「下痢ピーピー」 玉の輔「いっ平くん」 文左衛門「殴り合い」 小田原丈「できません」。そんなところにもらったお題が「オープン戦」
久蔵 「オープン戦 どうでもいいぞ ホームレス」
いっ平 「オープン戦 ビールを飲みすぎ 下痢ピーピー」
玉の輔 「オープン戦 心はいつも いっ平くん」
文左衛門 「オープン戦 星野と審判 殴り合い」
小田原丈 「オープン戦 たった一人じゃ できません」
さすが噺家さん、機転がキクね。

        柳家花緑が突然の休演となってしまったらしい。林家たい平が高座に上った。たい平ってこの夜は鈴本のトリのはず。もう七時だよ。大丈夫なのかねえ。「只今、国立第二演芸場が出来まして・・・」と言うから何のことかと思ったら、国会の鈴木宗男の証人喚問のこと。「宗男、宗男って、国民全員が呼び捨て―――って、宗男、優香、ヨネスケくらいのものですよ」っと、お得意の物真似で「私はですね、一生懸命やってるんですよ」 似てる似てる。「でもぺーさんとどこが違うんでしょうね」 アホの坂田に似ているとも言われるし、この人コメディアンのようなキャラクターに思えてしょーがないんだよね。ネタは『紙屑屋』 「白紙は白紙、カラスはカラス、線香紙は線香紙、チンピはチンピ、毛は毛」と紙屑を仕分けしている若旦那、文字が書いてあるものをついつい読んでしまう。「なになに? 『三月十七日池袋演芸場林家たい平出演』だって? 聞いてないよ!」

        ズラーっと若手ばかり集めたはずの『特選若手会』。ありゃりゃ、川柳川柳が出てきたぞ! 「こういう老人が出ると違和感感じるでしょ。(今夜は)若い人多いね。浅草の方が演りやすいんだよオレは。昔の歌、みんな知っててくれてるからね。別に軍歌が好きなわけじゃないんだよ。『ガーコン』のために歌ってるだけ」と言う割りには、この夜も気持ちよさそうに軍歌を歌っていた。しょーがねえなあ。たまには『ガーコン』以外の噺も演ってくれないかなあ。かの名人円生の弟子だが、円丈と共に新作に走った川柳。「古典を演るというのは楽だよ。そこへ行くと新作は無から有を生み出すんだから。ところがね、作ろうとするとあらゆるものがすでに古典にあるんだ。かつて『ジャズ息子』ってのを作ったら、すでに『宗論』があって、『義太夫息子』というのまであるのを知ったんだ」と、『ジャズ息子』の一端を演ってみせてくれたのだが、私もこの噺一回しか聴いたことない。体力がいるのかなあ。70歳を越えるとちっょと無理なのかも。以前、さん生という名前で出ていたときにはソンブレロ被って、ギター持って、ラテン音楽漫談なんて演っていたのになあ。

        「ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、最近古典落語を勉強しています」と林家こぶ平が『一文笛』をかけた。スリの名人を描いた噺だが、笑いの要素がほとんどない難しい噺。これをキッチリと演じてみせたこぶ平の力。いよいよ本格化してきたようだ。ただ、聴いていて、噺を急ぎすぎているような気がした。もう少しじっくり出来ないものか。出来がよかっただけに、ちょっと気になった。

        今回の[特選若手会]のもうひとつの企画。日替わりで三人の演者がトリで『らくだ』をかける。今宵は橘家円太郎の登場だ。円太郎というと、私は以前は『短命』にばかり当たっていた。この人の『短命』は大好きなんだよなあ。最近は『稽古屋』にばかり当たる。これもまた絶品なんだ。両方とも爆笑編なのだが、さあ、じっくりと聴かせる大ネタ『らくだ』の出来やいかに。

        『らくだ』の見せ場はいろいろとあるが、まずはらくだの兄貴分だ。相当に乱暴者のらくだの兄貴だ。それ以上の恐さがなくてはいけない。その兄貴がらくだの死体を発見するところから始まるが、この兄貴、なかなかの迫力だ。屑屋言うところの「腕なんて丸太ん棒みたいで、顔なんてこんな大きくて、顔中キズだらけで、バッテンバッテンバッテンバッテン」 「長崎の出身だな」と月番さんのクスグリが出るほど。マクラで酒癖の悪い川柳川柳のことをふっているから、なぜか私の頭の中の屑屋さんは川柳師になっている。大家のところへ行って死人にカンカンノウを踊らせる段になると、兄貴が「カンカンノウを歌え!」 「歌えません」 「歌えないわけないだろう!」 「『マラゲーニヤ』ではいけませんか?」で完璧に川柳師が動いているように見えてきた。またこの死体に踊りを踊らせるという場面がいい。マイケル・ジャクソンの『スリラー』のビデオ・クリップでバックで踊っているゾンビを彷彿とさせる踊りなのだ。死後硬直した体で踊るという表現を上手く表していた。

        そして『らくだ』といえば、最大の見せ場が、屑屋さんが酒を呑んで豹変するくだり。「清めの酒だ、一杯やってけ」と兄貴に言われ、早く帰りたいがために一気に呑むものだから、「いい呑みっぷりだねえ」ということになってしまう。「もう一杯呑んで行け」とすごまれて、そっと茶碗を出す屑屋さん。あと少しだけにしてもらおうとする屑屋さんだが、徳利で茶碗を押さえつけるようにして入れる兄貴の手つきが上手い。これまた一気呑みの屑屋さん。「そう一息で空けられちゃあ、愛想がねえや。かけつけ三杯っていうだろう」ともう一杯。「一息でやるんじゃないぞ!」と言われて、落ち着いて呑んでみると、「これ、いい酒ござんすね」ということになる。「わかるかい。だからゆっくりやれっていうんだ」 こうなると酔っ払った屑屋さん腰を落ち着けて呑み出してしまう。「親方、優しいんですね。いや、優しい人でなかったら人の世話なんてやってられない。人の世話するには手間も金もいるんですよ。見て見ねえふりをするのは簡単だ。そんなときね、つくづく自分がイヤんなっちゃう」 ふふふ、絡み酒モード突入だ。こうなると持て余してきちゃうのが兄貴の方。そろそろ仕事に行った方がいいんじゃないかと諭すのに、「酒の席で仕事の話はいけねえ。酒がまずくなる」と今度は居座りモード突入。もうこうなると恐いものなしだ。「おめえ、酒癖が悪いんだな」という兄貴の言葉も聞こえない。「もう一杯注げ!」と、さらなる酒乱モード。目が据わってきている。煮しめを食おうとする時も右手の茶碗は離さない。ここですかさず、こぶ平の演った『一文笛』のオチをクスグリで使うあたりが、余裕か。最後は泣き上戸モードでグズクズと愚痴を語り出す。約50分の長講。いやあ、堪能しました。

        『らくだ』って噺、小朝も演るのだろうか? どうも合わない気もするのだが、一度聴いてみたい気もする。


March.17,2002 大人のラブ・コメディ

3月16日 『You Are The Top 〜今宵の君〜』 (世田谷パブリックシアター)

        初日間際で鹿賀丈史降板との報を聞いて心配になる。私としては別にキャスティングはどうでもいいのだが、代演の役者さんが短期間の間に役をものに出来ているかが心配。そんなこともあって自分の買ったチケットが公演12日目とあって、それだけ日数がたっていれば大丈夫だろうと、ちょっとホッとする。

        世田谷パブリックシアターという劇場は初めて入ったが、いい劇場だと思った。演劇を見るには、いい空間を醸し出している。私は一階席のほぼ中央だったが、壁にへばりつくように作られた二階席、三階席も見やすいのではないだろうか? 定刻、『You Are The Top 〜今宵の君〜』は突然に始まってしまう。客電がまだ点いたまま、客席にもまだざわめきが残っている中、舞台奥の扉から作詞家役の市村正親が登場する。ここはどこかのスタジオ。下手にグランドピアノ、上手に三人掛けのソファとセンターテーブル。無言のままひとりでコーヒーをいれ、資料を置いて、雑誌を読んでいるうちに、作曲家役の浅野和之が入ってきてセリフが始まる。このあたりは同じ三谷幸喜の『オケピ!』を彷彿とさせ、何が始まるのか期待が高まる。

        ふたりは七年前に死んだ女性シンガーとトリオを組んで、それなりのヒット曲を生み出していた。その彼女の追悼コンサートのために新曲を書上げようというのが、この芝居の設定。ひとつの曲を作り出すまでの作詞家と作曲家のやりとりの中で、女性シンガーと、ふたりの男との、それぞれの繋がりが回想されていく。いわば三角関係にあるのだが、この女性を演じる戸田恵子がいい。初めてふたりの前に現れたオーデションのシーンから、トリオの力で賞を取った夜のシーン、ふたりと別れて別の男との結婚を打ち明けたシーン・・・。そのたびに戸田恵子は舞台に登場するのだが、その登場場所は変幻自在。舞台のとんでもないところから登場したりするのである。衝立を舞台の下手から上手へちょっと移動させて一旦止め、さらに上手へ動かすとその後ろに戸田恵子がいたりする。まるで大掛かりのマジックを見ているような気分。

        作詞家の市村と、作曲家の浅野は、それまでお互い黙っていた、戸田との生前の関係について打ち明け合う。お互い、戸田は相手は知らないだろうが自分と特別な関係にあったと思っている。この点が鹿賀が降板したことによって作品の印象がかなり変わってしまったように思える。おそらく鹿賀だったとしたら見るからにプレイボーイという感じになって説得力があり、市村とのやりとりも派手で濃いものになっただろうにと思う。逆に浅野だと落ち着いた芸術化肌という感じになる。どちらも捨てがたいが、鹿賀版も見てみたかった。

        ふたりの頭の中では、きっと女性シンガーは自分のことを好きだったに違いないと思いこんでいる。しかし死んだ女性シンガーがどちらを好きだったかは永遠の謎。ふたりは、いかに女性シンガーとの関係が進んでいたかを暴露しあうが、どこまでが本当でどこまでがウソなのかはわからない。どちらかというと作曲家の浅野との関係が進行していたかに思われるが、本当は作詞家の市村に心がいっていたようにも思える。ところがどう考えても、女性の方が一枚上手。どうにもしたたかに生きていたとしか思えないのである。実はふたりを手玉にとってたんじゃないか。戸田恵子のラストがそれを思わせている。それにしても戸田恵子のセクシーだったこと! これまでの私の持っていた戸田のイメージと大分違う。さすが名女優。

        「男の人ってバカね。物事をなんでも勝ち負けで考える」 三角関係で、どちらの男性と結婚したかで男は勝ち負けを意識してしまう。実は女性の側からすると、そんな問題じゃないのかもしれない。

        三谷幸喜にしては、笑いの要素が比較的少ない、ウェルメイドな大人のラブ・コメディ。前半は笑いが多いのだが、後半に入ってしんみりしたムードになってくる。

        ラストは完成した曲『You Are The Top』を3人が歌い、踊るシーン。作っているうちに笑いをとる、いびつな歌詞がそのまま残っているのが楽しい。帰りがけに500円で売っていたCDを買ってしまった。井上陽水作曲のこの曲、間に合わなかったらしくて浅野ではなく、鹿賀が入って歌っている。となると、やっぱり鹿賀版が見たくなってきた。再演してくれないかなあ。


March.16,2002 さん喬『柳田格之進』の静かな思い

3月10日 上野鈴本演芸場三月上席夜の部

        ネットの落語好きの間では、柳家さん喬師匠の人気が高い。十日間の寄席興行に毎日通っている人も多い。古典落語の大ネタを深く解釈して、大きく壊すことなく、この人なりの世界を構築して聴かせてくれる。登場人物の背景となる性格、心情をとことん考えて演じる落語世界は、今、古典落語に新しい息吹きを与えているといっていいだろう。今回、鈴本がさん喬師につけたキャッチ・フレーズが、「優れた表現力 落語の美学ここにあり」 ネットを見ていると、鈴本のさん喬師がトリを勤めるこの十日間の模様が、毎日続々と報告されている。行きそびれているうちに、もう千秋楽。何としても行かなくちゃと上野へ駆けつけた。

        この日は昼の部もトリの柳家権太楼が休演だったとかで、さん喬師がトリをとっていた。チケット売り場に並んでいると、ネット関係で知り合った落語好きの顔が続々と出てくる。そのまま夜の部の列に付く人、夜の部は見ないで仲間と喫茶店に向う人、みんな蒸気した顔をしている。明らかにさん喬師の高座に酔っているのだろう。チケットを買って客席へのエスカレーターを駆け上がる。ちょっと早いが、席について松坂屋の[東北六県物産展]で買ってきた[ほたて弁当]をペットボトルのお茶と共にたいらげる。さあ、これで落語を聴く体制は整ったぞ。

        前座は、さん喬師のお弟子さん柳家さん坊の『寿限無』。頑張ってね。

        続く柳家小太郎もさん喬師のお弟子さん。「九時、九時半・・・十時・・・十一時・・・まで続く可能性がございますから、気を楽に持ってご覧ください」 わーい、さん喬師、何を演ってくれるんだろう。長講歓迎! ネタは『牛ほめ』。新築した叔父さんの家をほめに行く与太郎の噺。叔父さんの家に着くなり、大きな声で叔父さんさんを呼ぶ。「ごめんくださーい! ごめんくださーい! ごめんなさーい! 勘弁してくださーい! おじさーん! 勘弁してくださーい! 人殺しー!」 元気な与太郎さんだなあ。

        曲独楽の三増紋之助もいつも通り元気だ。この人の輪っかを使った[輪ぬけ]という技はスピーディで楽しい。「はいっ、よっ、よっ、よっ、はい!」と言いながら、輪とヘラの上に独楽をひょいひょいと移して行く。終わるとガッツ・ポーズを決めるのもこの人ならでは。

        これまたネットではファンが多い五街道雲助が、浅い位置で出てきた。昔の髪結い床のマクラをふっているのでこれは『浮世床』かなあ、『不精床』かなあと思っていたら、『浮世床』の方だった。将棋の部分だけをキッチリと演ってくれた。歩が一枚足りないのでアブラムシの死骸を歩の代わりにしてやる―――って汚ったねえ床屋だねえ。保健所黙ってないんじゃないの?

        「私も人の子で、花粉症でありまして・・・」 ただでさえ脱力系の柳家喜多八がちょっと辛そう。いつものように、「ただでさえ虚弱体質でして」とブツブツと話し始めたら、客席のどこからかヤジのようなものが飛んだ。「最近、耳も遠くなってまいりまして・・・」 この人にはかなわない。ネタは『元犬』。人間になりたいとお百度参りした犬が、晴れて人間になれた。ところが真っ裸。親切な旦那が引き取ってくれる。着物を与えてくれるが、着たことが無いので着るにも一苦労。「羽織を着たことも無いのかい? 前座さんみたいだな」

        林家こん平は声の調子が悪いようだ。「ちょっと咽喉の調子を痛めまして、喋るというよりも、がなるといった方がいい」 風邪じゃないそうだけどお気をつけて。ネタがいつものように『笑点』に関するお噂。この長寿番組、実は私あまり好きではなくて、ほとんど見ていないのだ。見ていたのは中学時代で、その時の司会が立川談志。談志が降りると同時に見なくなっちゃったんだよね。談志の出ない『笑点』なんて面白くもなんともないと思っていた。そのかわり、あのころ、談志にはかぶれていたっけ。クラスの仲間五人集めて、文化祭で大喜利をやったのを思い出した。三問の問題と、それぞれの問題に十個の答をひとりで考えて台本を作り、やらせたのだ。私はもちろん司会役。談志気取りでした。ちょうど放送部がビデオを買ったばかりの時で録画していたから、母校の中学校に行くと、ひょっとするとまだ残っているかもしれない。ああ、若気の至りとはいえ、恥ずかしい!!

        そんなことをボンヤリと思い出していると、高座は大空遊平・かおりの漫才に替わっていた。遊平が可笑しなことを言い出した。「今年は2002年。上から読んでも下から読んでも2002」 「それがどうしたって言うのよ!」 「今度は110年後ですからね。2112年」 何言ってるんだかとばかり、夫婦漫才のかおりの方が遊平を無視して一方的に飛ばしていく。ゴミ問題、リサイクル法、賞味期限、機械化、少子化、携帯電話・・・どちらかというと家庭的に話題をポンポンとスピーディにふる。ひとりで飛ばしまくるかおりに、遊平が「共働きなんだから力を合わせてやろうよ!」と言うと、「あなたが入っちゃうと、私のスカート踏むってことになっちゃうの!」 田中真紀子の名ゼリフ。いずれ何のことかわからなくなっちゃうのかなあ。今年の流行語大賞に入れといて欲しいなあ。

        「名前が一朝というくらいですから、いっちょうけんめいに演ります」 いつものツカミでニコニコしながら春風亭一朝も飛ばしている。これまたいつもの彦六の逸話からスタートし、ネタの『芝居の喧嘩』に入るや、一気呵成に突っ走る。芝居小屋の中で、水野十郎左衛門の子分と、幡随院長兵衛の子分が大立ち回りするこの噺、聴いている方も、やっちまえやっちまえと喧嘩を楽しんでしまうのだけど、いいところで終わっちゃう。ごったがえしている中、どさくさに「ごめんなせ、ちょっと通してくだせえ」と、なぜか『たがや』のたがやさんが出てきた。「ばかやろう、噺をメチャクチャにしやがって!」 もともとメチャクチャな噺なんだもん、もっとやれー! 火事と喧嘩は江戸の華。

        テンションの高い高座が続くなあ。次は三遊亭歌之介だよ。この人の漫談のテンションはいつものことながら何? 「中学の英語のテスト。『うどんを英語でなんというか?』 アメリカにうどんってあるのかあ? 特産地なら、SANUKIって書くのに! RAAMENって書いたんです。バーツ! 答はJAPANESE NOODLE  ウソですよー! 去年のアメリカに行ったら、UDONって書いてあった! うどんでいいんですよ! 学校の先生はアテにならーん! 薔薇という字を書ける人いますかー! 葡萄! 農協の人も書けーん! 憂鬱。見ているだけで憂鬱になってくるー! 芋と竿の区別がつかーん! 長い方が竿・・・言えてる(扇子でおでこをピシャ)」 こう書いてもこの人の面白さはいつものことながら活字では無理なんだよなあ。

        仲入り後は、鏡味仙三郎・仙一の曲芸。五階茶碗、毬、バチの取り分け。息子の仙一がやる五階茶碗は父の仙三郎の口と手のサポートでたんたんとスピーディに進む。ここがピンで出ている鏡味正二郎あたりと違うところ。正二郎だと自分ひとりで茶碗や房やバチなどを手探りで取らなくてはならないし、曲芸をしながらも口でいろいろと喋らなくてはならない。どちらも安定した五階茶碗を見せてくれるのだが、ハラハラした感じで楽しませてくれるのは正二郎の方なのだ。このへんが曲芸の微妙なところ。

        「よろしい季節になってまいりました。三寒四温、春遠からじ。季節がよろしくなると旅に出たくなります」 流れるように柳家小燕枝が『三人旅』に入っていった。四つに分けて演じられる長い噺の、びっこ馬のくだりだ。この日はテンションが高すぎるメンツが多かったので、ちょっとホッとする。のんびりと旅でもしてみたい気になってくる。

        ゆったりした気分になったあとで、またまた出ましたハイテンションの柳家喬太郎だが、この日はまた特にテンションが高い。「待ってました!」の声に、「お待たせしました!」と答えるのだが、テンションだけ高くて出てくる言葉といえば、「十日間寄席に出るということは、たいへんなことでございまして・・・きょうはまるでやる気ない。はい、力一杯やっていると見せてウソをつこうと思ってます・・・(客席に)怒ってます?」 この日は、師匠のさん喬も昼夜トリをとることになったが、はからずも喬太郎も三太楼のトラで昼夜ひざ前の位置。「昼の部が終わって、師匠とずっといるのがイヤなものですから・・・(下手と上手の楽屋をキョトキョト)」 こうして始まってしまったのが、この日、昼の部を終えて一旦池袋に戻り、出直してきた山手線内の出来事。べつにオチがあるわけでもない、ちっょとしたスケッチ。大塚からすず風金魚が乗ってきた。花粉症だということで大きなマスクに大きなメガネ。「まるでショッカーの怪人!」 ふたりで話していると隣に座っていた中学生の女の子が立ちあがってシートのすきまに手を突っ込んでいる。切符を中に落としたらしい。金魚あねさんと手伝ってあげて、ようやく切符を救出。「この女の子ね、日暮里で降りていった。降りる間際にね、『飴あげます』だって。『いらねえよ!』と思ったけど、差し出してくれたのがイチゴミルクですよ! イチゴミルク!」 いいなあ、女子中学生とイチゴミルクの組み合わせ!

         「この話、オチがないんですよ。そんなこと話していると・・・私の持ち時間あと六分」 何をしていいのかわからなくなったのか、喬太郎ファンの言う[ぶっ壊れモード]。いまどきのジャリはセコジャリばかりだという話をちょっとして、なぜか突然、「池袋。繁華街の割りには、どんよりしている。曇り空が似合う街」と、ときどき演っている漫談『池袋名所案内』(こんなタイトルかどうかはしらないけど)に入ってしまった。「落語を演れという気持ちが充満してますね。やりませんよ、私。千秋楽なんだから好きなことを喋る。明日からは出ないから」 演れ演れ演れ! 落語なんていいから、好きなことを喋れ! こんなぶっ壊れモードの喬太郎って好きなんだ! 「西武なんて威張ってるでしょ。駅を隠すようにしてある。バルコ! いやらしいでしょ。一方の東武! 昔汚かったけど、今はキレイ。やっぱり威張ってる。東武伊勢崎線は会津若松まで行くって・・・そんなに遠くなくてもいい」 それに較べてひっそりと建っている三越を語る喬太郎が可笑しいのだ。日本橋三越のライオンは「俺が三越のライオンだあ! てめえら、万引きでもしてみろ! 俺が見張ってるからなあ!」 いっぽう池袋三越のライオンとくれば「ニャーオ、あんまり見ないでください。何でも持ってってー」 このあと、喫茶店の[サルビア]や[蔵王]の話になるのだが、デパート編だけでお時間。

        紙切り、林家正楽。いつものとおり『相合傘』をあっという間に切り上げて、お客様からのお題は、『土俵入り』。「雲流型で」とお客さん注文つき。『四畳半』は芸者さんが旦那にお酌しているところ。「お客さんは、さん喬師匠!」という注文を無視していたけど、出来あがったものはなんとなく、さん喬師の顔に似ているなあ。最後は『鈴木宗男』。証人喚問を翌日にひかえたこの日、「明日が楽しみでございますなあ」とチョイチョイと、小泉さんに文句を言っている宗男の姿。どちらも似てるー! こういう注文最近多いんだろうな。切り慣れている感じだもの。

        さあいよいよトリのさん喬師匠の登場だ。「千秋楽でございます。(客席を見まわし)十日間お通いになった方もチラホラ・・・。無駄なことをなさったなあと」 私もできることなら十日間通いたかったところ。今宵は何をかけてくれるのだろうと期待していたら、『柳田格之進』だった。娘と二人暮しの浪人、柳田格之進が娘の薦めに従って碁会所に現れる。万屋善衛門というという商人と知り合い碁を打ち出すと、腕前はほぼ互角。ふたりは碁会所で、来る日も来る日も碁を打つことを楽しみにしている。やがて善衛門の家で打つようになる。遠慮深い格之進は、善衛門の家で打つのを遠慮しているのだが、どうしても格之進と碁を打ちたい善衛門は、小僧の使いを出してくる。「主人が、用がございますのでいらしてくださるよう申しておりますが」 「ちと所要があって、行かれないと申し上げてくだされ」 すると小僧さん「ウエーン」と大声で泣き出してしまう。「きっとそう言って断るだろうと申しておりました。そう言われても連れて来なければ、お前は今晩おまんま抜きだって、ウエーン」 善衛門は余ってしまった米があるので受け取ってくれとか、貧乏をしている格之進に、いろいろと心遣いをする。こうしたエピソードを、さん喬師は静かに積み上げていく。春に始まったふたりの碁友達が、やがて夏になり、秋になっていく様子が鮮やかだ。十五夜にはお嬢様も一緒にとの誘いも、着ていく着物がないという困窮している設定をさりげなく盛り込む。謹厳実直な格之進。そんな彼を本当に尊敬して敬愛している善衛門を余すことなく描いていく。その見事なこと。そして月見の夜。一杯やったあとに「月見の夜の騒ぎを余所に、ピシッ、ピシッ」と碁に夢中になっていくふたり。

        翌日、善衛門宅にあったはずの五十両がない。もしや、格之進がという思いが善衛門の心にかけらもなかったかというと、そうでもなかったろう。だが忠義だてしているのか、はたまた格之進への嫉妬心があるのか番頭の心は晴れない。「あの五十両のことは忘れろ」と主人に言われても収まりつかない。格之進のところに赴き、さりげなく問い質したつもりなのだろうが、武士たるものの心には許せないものがあったに違いない。並の武士ならば、即刻、無礼者として番頭の首をはねるところだ。ズケズケと人の心の中に入り込んでくる無神経な番頭だが、仕方なかったのかもしれない。さん喬演出ではこの番頭もあまり悪い人間には描いていない。思いを決めると娘を呼び、牛込のおばさんのところへやろうとする。「積もる話もあるはずだ。美味しいものもたくさん食べておいで」 この言葉が何を意味するか察することができない娘ではない。「お腹をおめしになさることだけはお留まりを」と、吉原に身を沈める覚悟をする。その親子の会話の切ないこと。親子の情が伝わってくる。

        吉原に身を売って手にした五十両を番頭に渡す格之進。無念の思いは押さえられない。「もし金が出てきたらどうする」 「そのときは、この首を差し上げましょう。ついでに主人のも差し上げます」 五十両を持って帰った番頭を善衛門は烈火の如く怒る。「あの五十両は忘れろと言ったのに!」 ほうぼう手を尽くして格之進を捜すがついに見つからない。「大切な大切なおひとを、たった五十両のために、おまえは私から取り上げるのか!」と言う善衛門の悲痛な叫びが涙を誘う。

        季節は冬。大晦日の大掃除で、額縁の裏から五十両が出てくる。なんということをしたんだ。番頭も番頭だが、うっかり額縁の裏に置いて忘れてしまった善衛門も善衛門なのだ。悔やんでも事は遅い。

        正月二日。「江戸中を雪が染める」 彦根藩の留守居役に取りたてられた格之進に番頭が出会う。さあ、ラストの名場面が待っている。善衛門のところにやってきた格之進、善衛門と番頭を許すかというと、この噺、そうはならないのが珍しい。ふたりの首を切ると言う。自分が悪かったと主従で庇いだてする中、「そのような、赤貧洗う身の上ながら、五十両をどう工面したか、考えたことがあるのか! 一度でも五十両の出所を思うたことがあるのか!」 人を疑うことが人間関係を壊していってしまう。しかし人間の感情において、[疑い]という感情は無くすことが出来ない。今話題の国会議員が、いくら弁明しても、国民は納得しないに違いない。用は、人の心にズカズカと土足で入っていくことが問題なんだろうなあ。そして、やはりこれは無常の世界なのだろうか。善衛門のうっかり、番頭の気持ち、格之進の性格が、微妙に運命のイタズラで作用してしまった世界なのか。

        いろいろなことを考えながら外に出ると、ネットの仲間が待っていた。「出待ちというのを憶えてしまいましてね」 H田さんの言葉に私もさん喬師匠が出てくるのを待ち構える。この十日間ほとんど通ったというH田さんが、十日分のネタをうれしそうに教えてくれるのを感心して聞いていると、さん喬師匠が出てきた。みんなで改めて大きな拍手をしたのだった。    



March.9,2002 夢丸新江戸噺・その3

3月3日 国立演芸場三月上席

        桃の節句。国立演芸場の入口でチケットを差し出すと雛あられを渡された。実はチラシにもそのようなことが書いてあったので、途中でコーラのペットボトルを買ってきたのだ。座席に着いて雛あられの袋を開け、アメリカ人が映画館でポップコーン片手にコーラを飲むスタイルを真似して、私は雛あられでコーラ。ヘーンなの!

        前座は三笑亭朝夢で『居候』。頑張ってね。

        「きょうはお雛様、桃の節句でございます。それで私もピンクの着物」 三笑亭正夢の鮮やかなピンクが目に眩しい。『穴子でからぬけ』のうなぎ、どじょう、穴子以外の手を披露してから『牛ほめ』へ。家を新築した叔父さんのところに与太郎が家を誉めに行って小遣い銭をせしめようとする噺。叔父さんも散財だったろうなあ。「三月かかったよ」 「三月! でも大丈夫。火事で焼けたら十五分で燃えちゃう」

        「今、日本で一番活躍しているのは誰でしょう。そう、田中真紀子。天国のお父さんが言いました。『真紀子よ、あまりやりすぎると、恥かくえい(角栄)』 こういう、しょーもない駄洒落を連発しながら、高座を右に左に歩き回っている男がいる。牧田博。『お笑いスター誕生』出身で牧野周一の弟子だったという。私はこの人を見るのは初めてだったのだが、妙にハマってしまった。ひとつジョークのような駄洒落をいい終わる度に、上手、下手に手を差し出して、「くだらない? くだらない? ♪くっくっくくー、くーだらないー」と歌う。この♪くっくっくくー、くだらないー というメロディーが数日間頭から離れなくなってしまってまいった。「行司さんが酒呑んで二日酔い。その行司さんが言う言葉は『はっけよい(吐き気酔い?) 残った、残った』」 オエー、汚ったないねえ。 ♪くっくっくくー くーだらないー  もう本当にくっだらない駄洒落を次々とかましてくる。ここまでくだらないと返って壮観。気に入っちゃったのだよ、この人。

        桂小南治は、狭心症で亡くなった師匠の話をマクラに、『長屋の花見』に入る。今年は暖冬で桜の開花も早そうだから、もうこんな噺をやってもいい季節になってきたのかなあ。貧乏長屋の花見はもちろん酒ってわけにはいかない。大家さんの用意したのは番茶を煮出して水で薄めたもの。「おかしいと思ったよ。上にアブクが出来ていて、瓶にはキッコーマンってレッテルが貼ってある」 卵焼きの代りがタクアンで、蒲鉾の代りが大根の漬物。もっとも、今じゃあ卵よりもタクアンの方が高価になってきちゃったかな? それに蒲鉾よりも大根の方が健康にはよさそうだなあ。

        民謡の黒田幸子の伴奏は、「ちょっとくたびれた内裏様とお雛様」のアコーデイオンと三味線。これに楽屋で叩かれる太鼓が加わり楽しい時間となった。『大漁節』を歌ったあとは、客席に降りて埼玉の行田の団体さんのために埼玉の民謡。でも同じ埼玉でも『秩父音頭』は違うんじゃないの? 東京のお客さんのために同じ東京だと大島の『大島あんこ節』も強引だなあ。アコーディオンの男性が『武田節』を聴かせてくれている間にお色直しをすませてきた黒田幸子は和服から紫の洋服姿へ。客席から「淡谷のり子!」の声。「もう少し若い人の名前言ってくれませんか?」と苦笑いしながら、ラストナンバーは『ソーラン節』。歌い終わったところで客席から祝儀袋を持った男性が高座に近寄って黒田幸子に手渡す。うふふ、今度ロックコンサートでやってみようかな・・・似合わねえー!

        三遊亭遊三は、例のぱぴぷぺぽ。どうやら正式なタイトルは『ぱぴぷ』らしい。帰りがけに演芸場の出口に貼り出されていたこの日の演目には[三遊亭遊三 ぱぴぷ]とあったし、ネットで見てみたらWOWOWの放送したリストにも『ぱぴぷ』として載っていた。この噺、誰にでも受けるのだが、特にお年寄りの反応がいい。五十音配列で歌ってみせるのが、ほとんど懐メロな上、「これをやるとボケ防止になる」と言うものだから、年寄りが本気になっている。最後に、これに加えて「手をクネクネと捻りながらやるともっといい」なんて言うものだから、客席中でお年寄りが手をクネクネ。本気にしない方がいいよー!

        仲入り後のマジックはマジックジェミーが休演で、同じ一門、魔女軍団スティファニーの中でも若くてカワイイKANAちゃん。黄色いドレス姿で悩殺してくれました。音楽をバックに無言で次々と繰り出されるマジックに幻惑されっぱなし。途中でようやくMCが入ったら、舌っ足らずな声でこれまたカワイイの。「何か数字をひとつ思い浮かべてくださーい。はい、それに2をかけてくださーい。つぎにその数字に4を足してくださーい。できましたかあ? 今度はその数字を2で割ってくださーい。はい、それではその数字から最初に思い浮かべた数字を引いてくださーい。できましたね。その数字を当ててみせましょう。その答はこのスケッチブックから出てきまーす」 ありゃありゃ、これはどうやったって2にしかならないトリックなんだけど、お年寄り感心しているぞ。でも許しちゃうもんね。KANAちゃん、カーワイイー

        「きょうは代演でございます。プログラムには描いてありませんから・・・見ないように」 桂南なんが休演で、トラの三遊亭遊之介が始めたのが、きっと誰か演ると思っていたこの日のためにあるようなネタ『雛鍔』 それほどよく出来た噺とも思えないネタなので、なかなか聴くことができないのだけれど、ひな祭りときたらこれを聴かなくちゃね。ほんわかした滑稽噺を聴きながらまた雛あられをパクつく。ありゃ、ひと袋たいらげちゃったよ。

        東京太とゆめ子の夫婦漫才。『寄席演芸年鑑』を見たら東京太って、松鶴家千代若・千代菊の弟子なんだあ。あの栃木なまりの「もう帰ろうよ」のおじさん。京太も栃木なまりが売り物だから同郷の弟子ってことになるのかなあ。そういえば師匠の芸風を受け継いでいる感じだ。生まれた場所は周りに家が十四軒しかない栃木の田舎。「それでも有名人がふたり出た。ひとりは『笛吹童子』や『紅孔雀』の作曲家として有名な福田蘭童で、もうひとりが私」って、いまどきの若い人、そんな古いこと知らないぞー! ♪ヒャラーリヒャラリコ ヒャリーロヒャラレーロの『笛吹童子』、♪まだ見ぬ国に住むという 紅き翼の紅孔雀の『紅孔雀』・・・って、ちゃーんとメロディーが浮かんできてしまう自分がイヤだ、ああ! ・・・栃木出身の京太と九州出身のゆめ子の掛け合いが可笑しい。ゆめ子が「栃木は海がないでしょう」と言えば、「あえて作らなかったの!」 「潮騒なんて知らないでしょ?」と突っ込めば、「白菜ならあるよ」

        三笑亭夢丸の新江戸噺三作を追っかけて、ようやくこれで三本目の『太公望』を捕まえた。遊女に入れ揚げて遊郭に居続けてしまう絵師がいる。やがては財産そっくり使い果たしてしまうが、それでも遊女から離れられない。借金の代りに襖障子に太公望の絵を描くが、それでも間に合わない。やがてふたりは吉原を脱け出すが逃げ切れない。絵師は大川に身を投げて死んでしまうが、遊女は連れ戻されてしまう。そんなある日、障子に描かれた太公望の絵が障子から脱け出して・・・。三作を聴き終えて思うのは、これ、ひょっとして三題噺だったのか? という疑問。『小桜』 『夢の破片(かけら)』 『太公望』に共通しているキーワードは、大川(隅田川)、遊女、幽霊の三つ。それぞれ個性のある噺なので、違いはわかるのだが、おんなじような印象を持ってしまった。もう少しバラエティのある噺に分散できなかったものか。決して悪くはないのだが、不自然な筋の持っていき方や、ややこなれていないと思われる部分も多い。もう少し時間をかけて練っていく必要がありそうだなあと思いながら、国立演芸場をあとにした。

        ♪きょーは楽しいひな祭り・・・。皇居のお堀を散歩しながら帰りますか。



March.3,2002 二週続けて花形

3月2日 第274回花形演芸会 (国立演芸場)

        月に一度の花形演芸会。月に一度とはいえ、その月によって日付はまちまちだから、今回のように二月の花形が終わった翌週に三月の花形ということもありえる。待てよー、先月の花形は日曜だったから、この土曜の花形まで六日間しかなかったじゃないか! レポートを書くのは二日続けて!

        前座は桂才ころの『穴子でからぬけ』。この人、先月も池袋でこれ演ってたなあ。やたら声のでかい人だと思っていたら、キャパ百ちょっとの池袋と、キャパ三百の国立ではちょっと勝手が違う。それでもよく通る声で、聴きやすい高座だった。頑張ってね。

        姉妹漫才のニックスは、Wけんじの弟子Wエースのさらに弟子。デビューのときに師匠から提案された名前の候補は三つ。Wパイパイ、うさぎとかめ、ニックス。前のふたつは嫌だとなるとニックスしか残ってなかったという。デビュー四年目だそうだが、初めて見た。妹のトモミの今年のラッキー・ナンバーは3なのだそうで、今宵の話題は3。無人島に持っていきたいものベスト3。延長コード、炊飯器、お米っていうのがおかしかった。おーい、どんなに長い延長コードを持っていったら他の陸地のコンセントに差せるんだあー! なかなかテンポがよく、明るくわかりやすい漫才。これからが楽しみだ。

        春風亭柳好は、いつものエンピツの小噺、ケーキ屋の小噺から、最近所帯を持って借家を捜しているという話題を振っている。そうかあ、柳好さんも結婚したんだあ。ところがネタに入るとこれが『権助魚』。おいおい、結婚早々浮気の噺かい? どうも亭主が浮気をしているらしいと感づいたおかみさんが外出する亭主に権助を共につけさせるが、旦那に丸め込まれてしまう。大川で網打ち遊びをしたことにして魚屋で網取り魚をみつくろって買って帰れと言われ、スケソウ鱈やニシンを買って帰る。「スケソウ鱈やニシンなんて北の方の魚じゃないの。大川で取れるわけないでしょ」と言うおかみさんに、「たまには東京見物に行くべえって、鈴木宗男に連れられてやってきました」 柳好さん、浮気しちゃダメよ。

        講談の神田北陽は新作を持ってきた。「私の持ち時間は二十分。ところがさっき演ってみたら四十五分かかる」 早いテンポで二十分に収まるように話すと宣言しながらもこの人、話したいことがあると我慢できない。理容協会から公演の依頼を受けたという話が始まってしまった。本来は織田無道が出る予定が、先日のゴタゴタでキャンセルになり、北陽がトラになったというわけ。織田と北陽の共通点といえば坊主頭ということだけ。織田の公演テーマは『仏教に学ぶ経営学』だって。はたしてトラの北陽は何を話すことやら。理容協会はなぜに坊主頭にこだわったのだろう。それでこの日に持ってきた新作とは、ある映画のパロディー。「最後までわからなかったら、最後にテーマ曲を歌います」と言っていたが、これは誰だってわかる。幕末、ある剣術の道場の修理をしているクマさん。そこのお嬢さんに一目惚れ。ところがこのお嬢さんには心に秘めた相手がいた。それはなんと坂本竜馬。そう、これは『男はつらいよ』の幕末版パロディーなのだ。付いた演題が『坂本竜馬外伝・男はつらいよエピソード1』 まだ出来たばかりの噺らしく、細部をもう少し練った方がいいかなという印象を持ったが、面白かった。おいちゃんが「クマ!」と言うべきところを「トラ!」と思わず言ってしまったりして、逆に観客には受けていた。

        先週やはり花形で『子別れ』をビシーッと演った柳家花縁がこの日も出ている。「談志さんがよく、『きょうは演りたくないんだよ』と言ってるけれど、そんなこと思ったことなかった。ところがきょう初めてそんな気持ちになった。花粉症なんですよ。目が真っ赤でしょ。目に力が入りません。クスリを飲むとボーとしてしまう。飲まなくてもボー」 花緑さんも花粉症なのかあ。私も花粉症持ちの身の上。実はこの日、開演ギリギリで演芸場に飛びこみ、前座の才ころさんの噺が始まった途端に発作が止まらなくなり、一時的にトイレに避難。顔を洗い、うがいをして、鼻をかんでから席に戻ったのだった。辛いよね、この季節。ネタは『時そば』 屋台の蕎麦屋の格好を詳しく説明している。「親ばかチャンリン、蕎麦屋のフウリン」といって、昔の蕎麦屋は風鈴をぶら下げていたそうだ。へえー、真冬でも風鈴を付けていたのかなあと思っているうちに噺の中に。うまく一文ごまかす様子を見た男が真似してやろうと、翌日に別の蕎麦屋を捕まえる。「ものは器で食わせるっていうけど、そこんとこいくとお前んとこは・・・猫のお椀だろ、これ! うわー、持ってるだけで不快になってくる。しかもフチが満遍なく欠けてるね。食器を洗うと手を切るだろ?」「いえ、ウチは洗いません」 汁を飲んでみるとブワーッと吐き出してしまう。「どんなダシ使ってるの? お茶葉かなんか?」 蕎麦はとみればうどんのように太い。「なんだ、この麺の自己主張!」 しっぽくのチクワが薄く切りすぎていてみつからない。「こんなにグルグルかきまわしているのに出てこないよ。脱水までしてんだから」―――って洗濯機じゃないんだから。ついには「食べてる自分が可哀想になってきた」 この噺、いろいろな演じ手がドンドンまずさをエスカレートさせていっているみたい。ウチの蕎麦もそんなこと言われないように気をつけなくちゃな。

        仲入りが入って、食いつきが林家たい平。「花形の楽屋はいいですね。あまり偉い師匠がいなくて」 なにやら仲間内で盛り上がっているみたい。マクラをそこそこに『二番煎じ』に入った。火の用心の夜回りを二組に分けて、グルッと一周してきた一の組。番所に戻ると土瓶に酒を入れ、燗酒を煎じ薬と称して酒盛りが始まってしまう。しっかりシシ鍋まで用意している周到ぶり。都々逸大会まで始まってしまう。そんな中、宗助さん「新作です。新作を演らしてください」って、それは都々逸なんかじゃなくて、たい平の田中真紀子と鈴木宗男の物真似。そこへ見回りの役人がやってきたから大騒動。この役人、煎じ薬だという酒にご満悦。「何か鍋のようなものを隠した気がするが・・・」って隠したのは宗助さんの尻の下。役人に後ろを向いてもらっている間に取り出してみると、フンドシが汁をみんな吸っちゃっている。フンドシから汁を搾り出して、具の盛り付けを整えて、お役人に出す。「かわったダシが出ているな」「あの、フンドシ・・・」「おお、ホンダシか、それはけっこう」

        落語は立川談春が最後。このあとのトリはテツandトモ―――ってどういう構成だあという声も聞かれそうだが、私はこういうやり方も花形の場合アリだと思っているので歓迎。談春は報告から入った。「花粉症のボクちゃんは帰りました。『帰らなきゃいけないんだよなあ』とデレデレと。そしたら、たい平さんが一言『花緑さんは短命だ』」 へえー、花緑さん、結婚したんだ。それでマクラで、今引越しをしているなんて言ってたんだあ。 「きょうの出演者だって十五年もして見なおしてみたら凄いですよ。柳好がいて、山陽がいて、小さんがいる」 一昨年五代目を継いだ柳好、今年の夏に山陽を継ぐ北陽、いずれ小さんを継ぐ(?)花緑・・・。談志を継ぐ談春までは言わなかったけどね。ネタは『棒鱈』。料理屋でふたりの江戸っ子が飲んでいると、隣の部屋では田舎侍が妙ちくりんな歌を歌っている。『もずの嘴』やら、『十二ヶ月』なんていう唖然とするようなものばかり。「(あんなヘンな歌ばかり歌うの)何でだろう」と、トリのテツandトモに繋げるクスグリ入り。

        テツandトモをトリに持ってきた意図は何なんだろう。真中に持ってくると座が荒れてしまうからなのか? 若手コントを最後に持ってこないと帰ってしまう客がいるからか? そのこともあってか、彼らは出てくるなり、「この豪華メンバーの中で、ぼくらがトリなの何でだろう」とかましてきた。ギターを弾きながら歌うトモと、踊りながら歌うテツのこのコンビ、いつも舞台衣装はジャージ姿。衣装代が安上がりな筆頭だろう。『必ずいるんだよ』『ショートソング』『何でだろう』の三つのコーナーで舞台狭しと動き回っていたが、この人たちのネタというのは、文字にしてしまうと案外面白くない。有名な『何でだろう』だって、♪うちのお父さん パチンコで負けて 二度とやらねえと言ってたのに 次の日行ってるの何でだろう とか、♪特急列車が通過するとき 中を見ようとする奴 何でだろう とか、よく考えると、たわいないのが多いのだ。それでも笑ってしまうのは、音楽の勢いとテツのオーバー・アクションの踊り。まあ、これも芸といえば芸。トモが「あのー、NHKの『爆笑オンエアバトル』って見ている人いますかあ?」と客席に声をかけると、かなりの手があがった。私もすぐさま手をあげた。毎週とはいわないまでも、三週に二回は見ている。感極まったような様子をみせたトモ、次のセリフが出てこないフリで、「実は三月三十日放送の『爆笑オンエアバトル』で・・・・・・・・・何と・・・・・・・・・・きょうと同じネタ演るんです! きょうのがよくわからなかったという人に見て欲しい」 なんじゃそりゃー!(笑) シメは私がこの人たちのネタで一番好きな、『笑点』のテーマ曲の顔を使ったあてぶり。

        柳好、花緑と、新婚生活真っ只中のふたりに当てられた印象の今回の花形。外も割と暖かい。春は近くなったなあ。うぇっくしょん、うぇっくしょん。いけねえ、春の前にこちらは花粉症の発作だあ。


March.2,2002 頭の切り替え

2月24日 第273回花形演芸会 (国立演芸場)

        花形演芸会は、国立演芸場が月に一回行っている企画だが、その月のメンツによって入りが良かったり悪かったりの差が大きい。正月の二日に国立演芸場に行ったら、二月はゲストが爆笑問題だと知り、迷わずに即前売券を購入。これじゃあ二月は売りきれ必至だもん。しかも色物が、爆笑問題以外でもアンジャッシュにポカスカジャンが出る。これは爆笑問題が出なくても買い。お年玉を貰ったような気になったものだった。チケットを買って二ヶ月近く、この日をどんなに楽しみにしていたことか。やっぱり即日完売だったらしく、立見まで出る超満員。

        前座は金原亭駒丸で『たらちね』。前半を丁寧に演じていた。時間が無くなったのだろう、名前を聞き出したところまでで高座を下りる。頑張ってね。

        前座のあとはいきなり女流講談、神田阿久鯉。昨年、二ツ目に昇進して、小松から阿久鯉になった。ネタはこの人が得意としているらしい『天明白波伝』から、『神道徳次郎生い立ち』。文武両道といきたいところだが、剣術は目録手前までいっているというのに、易学はさっぱりという徳次郎。天狗小僧霧太郎という金持ちから奪った金を貧乏人に分けていたという男のことを聞き、自分も義賊になろうと決心する。「清く正しく美しくは善人と宝塚の生き方。自分は悪人になって太く短く面白おかしく生きてやる」―――って心境が変化してしまう過程がいささか唐突に感じられた。そんな徳次郎の初仕事というのが・・・私は思わず失笑してしまったが、そういう噺なんだろうね。『天明白波伝』を知らないから、この序の部分だけでは判断がつかない。阿久鯉の言うように、「これからがますます面白くなるのですが、ちょうどお時間です」なのかも知れない。

        柳家三太楼は、ネパールで落語会を演ったというマクラから入った。「ネパールは、ちょうど三十年前の日本。先進国に追いつき追い越せという気が・・・ありません。仕事がなくてもあせらない。どこか似た光景だと思ったら、寄席の楽屋と同じ」と、遊んでばかりいて勘当になった若旦那が活躍する『湯屋番』に入った。手紙を持たされて芳町の[やっこ湯]にやってくると、ここの旦那手紙を一読。「『ただし名代の道楽者』としてある。横に赤い線が引いてある。これ、要注意ってことでしょ」 とりあえず旦那が用を済ます間、番台に上がることになるが、さあこうなると三太楼の見せ所だ。先日もこの人の『野ざらし』を聴いたが、自分ひとりで空想の世界に入ってしまった人を演じさせたら、この人ほどぶっ飛んでしまう人は、そうざらにいない。歌武蔵言うところの[ひとりキチガイ]だ。ひとり大暴れなのだが、それでいてこの人は芸に品があるから嫌味にならない。得な人だよなあ。

        若手ばかりが出る演芸会だから勢いがある。後先の人のことなど考えずに突っ走るんだから、みんなテンションが高くなる。次のポカスカジャンもいつになくテンションが高かった。二時間くらいのステージを軽くこなしてしまうやつらだから、十五分にギッシリと詰め込もうとする。いつもの省吾の絵描き歌『エキゾチック・ジャパン』で軽くツカミを入れると、ノンちんが「アリーナ盛り上がってますかー!」 国立演芸場は若い人も多いが結構年齢の高い人もいる。着いて来れるかな? 音声さんに「マイクの音を低くしてください。自分たちミュージシャンと勘違いしそうだから」って、マイクを上げてくれという人は多いけど、下げろなんていう人珍しいよなあ。このあとは、ポカスカジャンには珍しく客いじりモード。省吾が『武田鉄矢の作った仮面ライダーの主題歌』で客席に乱入。中年男性を標的にしてショッカー学園の返事をさせる。こういうネタは案外、若い人たちばかりのところよりも、こういう場所の方が効果があるのかも。「ぼくたち、目を逸らした人を標的にする傾向がありますからね」 おーこわ。玉ちゃんがお得意の放送禁止用語だらけの『津軽ボサ』をかますと、ノンちんの『永ちゃんのロックンロール』。矢沢永吉ならぬ永六輔に扮したノンちんの、どこへ行っても受けるネタだ。それにしても、『黒い花びら』をローリング・ストーンズが『黒くぬれ』としてカバーしたなんて初めて聞いたぞー! 舌っ足らずな風の永六輔の物真似で、「朝、散歩をしてたら、空から雨が降ってきました・・・あさだあめ」って本当に永六輔が言いそうだなあ。シメは省吾のお得意『カンコク・ロック』。『監獄ロック』のメロディーで歌われるのは、金日○そっくりの扮装をした省吾の危ないネタ。テポ○ン、拉○といった単語がバンバン出てくる。「TVではできません。演り逃げでーす!」と去って行った。

        これだけ引っ掻きまわしていったポカスカジャンのあとは、さぞかし演りにくいだろうと思われたが、さすがに爆笑問題だ。時事ネタをポンポンと出して漫才を繰り広げていく。小泉首相、田中真紀子、小泉孝太郎、鈴木宗男、癒し系グッズ、プチ家出、ソルトレーク五輪、ブッシュ大統領・・・。話題がコロコロ変わるのが散漫なようでいて少しも飽きさせない。さすがに才人たちだ。「雪印、四月で解散だそうです」 「これからはソロで頑張ります」 「ロック・バンドじゃねえよ。これからは雪印の製品買う人いませんものね」 「これからは象印にしよう」 「魔法瓶じゃねえよ」 なぜかここでしか見られない爆笑問題。他でも出ているのだろうか? テレビ、ラジオ、雑誌の仕事が多く、舞台に立つのは減ってしまっているようだ。そのせいか、客を引き寄せるテンポがいささか狂ってきているような印象を持ったのは私だけだろうか。

        仲入りがあって、頭を切り替えて橘家円太郎の高座に備える。トライアスロンが趣味というフィジカルな面を持った円太郎の高座はキレがある。体力なら他の若手には負けないという勢いがある。この日の『稽古屋』も、女っ惚れする歌を習いに来た男、二十五歳の色っぽい師匠の緩急をつけた演じ方が面白い。そして実際には見えない女の子の様子が、目に浮かんでくるかのような演じ方。好きなんだよなあ、この噺。

        アンジャッシュは去年テレビで見た『桃太郎』。幼稚園の先生が生徒の前で桃太郎の寸劇を見せようとするもの。渡部は桃太郎役で頭に桃太郎のお面を乗せている。一方児島は、それ以外の、犬、猿、雉、おじいさん、おばあさん、鬼を紙に描いたものを出して演じる。「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたキビダンゴ、ひとつ私にくださいワン」 「鬼退治に付いて行ってくれたらあげますよ」 「お腰につけたキビダンゴひとつ私にくださいキー」 「鬼退治に付いて行ってくれたらあげますよ」 「ボクのこの爪で鬼の内臓をえぐりとってみせますよ」 「子供が相手なんですから、そんなキツイ表現は困りますよ」 「お腰につけたキビダンゴひとつ私にくださいキジ」 「キジって何ですか!」 「だって鳴き方がわからない・・・」 「キジはケーンですよ」 緻密に計算された笑いでコントが進行していく。キッチリと作られた脚本で、特に後半、児島のうろたえた様子が見事に計算の上でなされていくのが快感だ。この人たちのは、かなり細かい演技が要求されるし、段取りが必要なコントなのだ。やはり今の若手のコントの中で一番上手いという確信を新たにした。

        いったいこの日の番組を組んだ人はどういうつもりだったのだろうか。女流講談→三太楼のひとりキチガイ→珍しく客いじりをしたハイテンションのポカスカジャン→毒を撒き散らした爆笑問題→色っぽいお師匠さんの円太郎→緻密な計算のもとに組まれたアンジャッシュのコント。そして柳家花緑のトリと来た。私は一向にかまわないけど。だから花緑も高座に座る早々、「どうして芸を切り替えて見られるのだろう」と不思議がっていたが、その花緑が持ってきたのが大ネタの『子別れ』だから、ますますこの日の構成がムチャクチャになってきた(笑)。これが五十分近い長講。もともと長い噺だが、花緑は[中]の部分から入って[下]を演るという構成にした。吉原に居続けて四日後に酔って帰ってきた熊五郎。針仕事に余念のない女房が膨れっ面をしているので、酔った勢いもあってついつい吉原でののろけ話をしてしまう。ちょっと現代的すぎる女郎が出てくるのが花緑らしい。怒った女房が子供を連れて家を出てしまうと、女郎を家に引き入れて暮らし始める。ところがこの女郎が一緒に暮らしてみると態度が急変。現代的な可愛い女性像が一転、だらしない女に豹変してしまうところに対比のよさがあって面白い。[下]に入って人情噺になると、おかみさんの様子がこれまた可愛いのだ。うなぎ屋の前を行ったり来たりする様子が、なんともカワイイ女性像に描かれている。だから、子供が五十銭という大金を持っているのを、盗んだもののと勘違いして怒るところなど、割と軽く描いている。重く描きがちの人情噺。しかし、これだけ重い噺を軽く演じられるというのも、いい意味でのひとつの才能。これができるのは、やはり花緑と小朝だろう。いやいや、面白い時代になってきたものだ。


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