May.28,2002 長野のオバチャン

5月19日 池袋演芸場五月中席昼の部

        池袋四月革命。夜の部の中入り後を、喬太郎、たい平、三太楼の若手三人だけでまかせるという思いきった企画に続いて、五月中席夜の部の中入り後は、権太楼、さん喬のふたりだけにゆだねるという、これまた好企画。これに行かない手はないと思っていながら、ズルズルと、この日がラストチャンス。人気になりそうだから、また昼の適当な時間から入ろうと思ったのだが、よく見ると昼の部も円丈をトリに、新作派で固めていて面白そうなのだ。ようし、初めての経験になるが昼夜通しで見てやろうか。

        六月の保健所の衛生検査に向けて、午前中は厨房の大掃除。九時から十一時半までの二時間半、みっちりと掃除をしてから急いで飛び出す。まだ十分とはいえないのだけれど、これからあと二週は日曜の大掃除が続く。途中のコンビニでサンドイッチふたつと、おにぎりをひとつ。それにペットボトルの水を購入。一路、池袋演芸場へ。十二時四十五分入場。席に座ると、まずは一つ目のサンドイッチに齧り付く。これから八時間の長丁場だ。

        昼の前座は三遊亭かぬう。去年、円丈門下に入ったばかりだが、前座にしてはびっくりするほど上手い。『まんじゅうこわい』を実に元気よく演った。楽しみだなあ。頑張ってね。

        同じく円丈門下の三遊亭天どんは、以前にも聞いたことがある『合併家族』なる噺。突然、父親に呼び出された長男のキミヨシくん。父親はおもむろに、「我が家は重大な経済危機にある」と言い出す。「それは、お前が働かないからだろう!」とやりかえすと、大金持ちの城島家と、我々安藤家は合併しようと思うと言い放つ。金はあるが子宝に恵まれない城島家、金は無いが美人の長女と、頭のいい次男を持った安藤家の合併。「これからは、城島家のおとうさんが、お前のおとうさんだ。私は福とうさんになる。お前はこれからは犬に格下げ」 最初聴いたときは、あまりにムチャクチャな噺だと思っていたのだが、今度はスンナリと笑えるようになった。天どんが上手くなったのか、こっちが馴れたのか?

        もうひとり円丈門下が続く。三遊亭らん丈は、本を二冊高座に持ち込んだ。「広辞苑。三キロあります。無駄に大きい。広辞苑で[男]を引いてみますと『女でない方』。[右]を引いてみますと『左でない方』。これが三省堂の『新明解国語辞典』で[右]を引いてみるとどう書いてあるか。『アナログ時計の文字盤に向った時に、一時から五時までの表示のある側。[明]という漢字の[月]が書かれている側と一致』」 うん、私は『新明解国語辞典』は三版を持っていて、四版は買わないまま、今は五版を使っているのね。三版の時点では、まだ右に関するこんな文章はなかった。「[恋愛]を引くとこう出ています。『特定の異性に特別な愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感を得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと』」 客席の中央にオバチャンの団体が座っていた。そのオバチャンたちが、いちいち反応するのだ。「うそだあー」「そんな辞書ないよ」 はいはい、あるんですね、これが。ははあ、らん丈くん、一冊は『新明解国語辞典』。もう一冊は、赤瀬川原平の『新解さんの謎』だなあ。

        今年の一月からまた寄席に出るようになった小野栄一。七十二歳になるという。自分で描いた似顔絵を見せながら、ものまねを演るのは一月に見たときと同じスタイル。森繁久弥の『知床旅情』に繋げようと、北海道の話題を出したところで、オバチャンの団体さん、「私ら、長野!」 まったくもう、オバチャンたち遠慮がないんだから。今は北海道の話してんの! 軽くあしらって、森繁の『知床旅情』のものまねに入ったが、「森繁さんも言っています。『歌は聴くものじゃない、歌うものだ』って。一緒に歌っていいですよ」なんて言うものだから、オバチャンの団体さん、大きな声で大合唱。あっ、あのここは、小野栄一のものまねを聴くところであって、歌声喫茶じゃないんだから。ふう。淡谷のり子の似顔絵を見せれば、「それも栄一さん描いたの?」 「そうですよ」 「上手いね」 「それじゃあ、あとで一枚差し上げましょう。芸というのはね、絵にも通じるんですよ。芸が上手い人は絵も上手い。字もそうですよ。寄席では出演者の名前、寄席文字で書くでしょ。めくり一枚書くと三万円ですよ。字の上手い前座さんはアルバイトで書いている。自分の高座の出演料よりも高い」 時間いっぱい、オバチャンたちと、藤山一郎の『東京ラプソディ』や、東海林太郎の『名月赤城山』を合唱して、まだ演りたいレパートリーを残したまま、美空ひばりで終了。オバチャンたち、好きな似顔絵を一枚あげると言われ、「ひばりちゃん」。いいお土産になったね、長野のオバチャン。

        古今亭志ん弥は『蜘蛛駕籠』。この噺、私は好きなんだよね。客引きの駕籠屋が待っていると、ヘンな客ばかりが通りかかる。中でも酔っ払いはたちが悪い。ヘンな歌を歌いながらやってくる。「♪もしもしカメよ よく噛めよー」 「♪昔 昔 浦島はー 助けた亀に 沈められー」 「♪村のシンジュの首飾りー」 果てはお馴染み「あーら くーまさん あーら くーまさん」だ。

        柳家さん吉の代演で八光亭春輔が高座に上った。「さん吉が風邪をひいてしまいまして、今朝熱を計ったら36.5℃という高熱でして・・・」 おいおい、それは平熱だろうが―――という突っ込みを入れたくなるが、この日は柳家小さん師匠の告別式。小さん門下のさん吉が昼の部に出られないのは当然。さん吉は夜の部に出ることになるのだが、そのことは後日のレポートで。さて、春輔は『目黒のさんま』を演ったのだが、これがいつも耳慣れているものとは大幅に違うものだった。全部で三十分近くあった。まず小噺が入る。私はまだ聴いたことがないのだが、『そば大名』という噺に近い。蕎麦を打ちたくなった殿様、見様見真似で、まずは水回し。水が多すぎたり蕎麦粉が多すぎたりで出来あがった生地はダマだらけ。麺棒がないので六尺棒で麺をのばす。出来あがったシロモノは到底食べられたものではない。無理にでも食べないと[手打ちになる]というのがオチ。将軍が家来を引き連れて遠乗りに出る。この部分が長い。どうしても遅れがちの将軍を気遣って、前に行きすぎないようにと家来たちは苦労する。この時点で、この噺は何だ?と、一旦メモ帖に『目黒のさんま』と書いたものに[?]マークをつける。家来たちの気苦労を知らずに、「余の馬術の腕前も上達したであろう」と鼻高々な将軍。「よし、今度は、あの森まで競争だ」と駆出してしまう。やってられないのが呆れ顔の家来たち。「ウントコショのドッコイショのドッコイショのウントコショ」といい加減についていく。「腹が減った。弁当をもて」と言う将軍。しかし弁当は馬に置いてきてしまった。そこへ農家から、さんまが焼けるいい匂いが。「あれは下魚で、下々の者が食すもの」と言われても我慢ができない。家来の言い分を聞かずに、農民からさんまを分けてもらう。焼きたてで、チュープー、チュープーいっている、そのさんまの旨いのなんのって。城に帰ってからもこのさんまのことが忘れられない。大名たちに、さんまを知っているかと聞いて歩くが、「肩が凝るので月に二度は呼びます」 「それは、あんまであろう」。そんな中で、水戸の大名が、さんまは水戸の名産だと言い出す。かくて、一塩にしたさんまを大量に運ばせる。城内で、この大量のさんまを一斉に焼いたものだから、城は煙だらけ。火事と間違えた鳶が纏を振りたてて飛び込んでくる騒ぎ。耳慣れた『目黒のさんま』では、さんまを脂抜きして殿様の前に出すが、焼きあがったそのままのさんまを出す。さんまを一口食べた将軍。「さんまは目黒に限る」はそのまま。なんだこれ? こんな型があるのかと、落語好き関係の掲示板に書き込みをしたら、なかむら治彦さんが教えてくれた。林家正蔵の型とほとんど同じなんだそうな。なるほどなあ、林家の型なのかあ。長い噺を演ったあとに、さらに『かっぽれ』を踊ってくれた。

        ギター漫談のペペ桜井もいつもの調子。「音楽には短調と長調があります。それでは、これはどちらでしょう」と『蝶々』を弾くと、団体のオバチャンたちも、また一緒に歌い出す。だからあー、歌声喫茶じゃないんだから。『禁じられた遊び』を弾きながら『浪花節だよ人生は』を歌ってみせたら、オバチャンたち、「素晴らしいー」 はいはい、いいお土産になったでしょ。

        「三面鏡というのは便利なものでして、左右の姿まで見える。実は五面鏡というのが開発されまして、これだと後ろの方も見える。極秘情報ですが、今、さらに上からも下からも見えるものを開発したそうですよ。今年の十二月二十四日に七面鏡(鳥)として売り出そうと・・・」 三遊亭円弥は『松山鏡』。民話としても有名だから、長野のオバチャンたちも、噺が終わる前にオチを囁きあっている。はいはい、そんな大きな声でオチを言わないでね。

        仲入り後は、告別式を終えた柳家が高座に上る。柳家小ゑんは『すておく』。『すてきな奥さん』に夢中の主婦。家のリフォームに関心を寄せている。カーテンをヨーロッパ王朝風のレースのカーテンにする。それを見た亭主、それは合わないと言い出す。「だって、レースのカーテンのこっちに仏壇、こっちに神棚だよ」 この家、三角形の土地に建てられた築六十八年のモルタル造り。子供三人で壁を押すと家が揺れるというシロモノ。狭い家に一家七人暮らし。収納に苦労しているが、亭主の趣味は場所を取るものばかり。やがて夫婦喧嘩へ。「カメラを何台も買ったりしないで、もっと場所を取らない趣味にしなさいよー。お米に字を書くとか」 「お前のお腹の肉を収納しろー。顔を模様変えしろー」 その翌朝、主婦はこの家の縁の下に地下収納のスペースがあることを発見する。中に入ってみると、そこには、ロゼット洗顔パスタだのフマキラーだのが出てくる。オバチャン、「フマキラー、ウチではまだ使っているよ」 はいはい。

        同じく小さん門下の柳家小せん。「私の師匠の小さんが逝っちゃいました。小さんが冥土に行ったらば、先輩たちがたくさんいるでしょうね。古参なのが」 複雑な笑いが起こったところで、「これ前からあるんですよ。先代の小さんが死んだときもやってた」 ネタは『トイレ文化論』。初めて洋式便所を入れたのが帝国劇場だったそうで、みんな入場料を払ってトイレを見に行ったという話から、柳好の上野駅トイレ事件を詳細に。さらには柳橋新宿トイレ事件に話を進めようとすると、オバチャン、「トイレの話は、もういいよう」

        曲独楽の三増紋之助が、「まずは、小手調べ。曲独楽で使う独楽は紐で回すのではなく手で回します」と、大きな独楽を手で回して手のひらに乗せたら、オバャンたちから、「ほおー」との声。お得意の[輪抜け]で、オバチャンの「うまいよ!」の声で気をよくしてしまったらしい紋之助、「ちょっと待って。やろうかどうか迷ってたんです」と、板と五つの小さい独楽を持ってきた。今年の二月に三増左紋こと、マサヒロ水野で見た、板の上に赤、緑、桃色、紫、黄色の五つの独楽を乗せて、そのうちの任意のひとつだけを回してみせるという曲芸。「さあ、何を回しましょうか? はい、緑ですか」と回し出したのはいいものの、どうも勝手が違うよう。「ちょっとお師匠さん」とお囃子を止めてもらってから、状況説明。「今、バラバラに動いていますが、失敗じゃないんですよ。いずれ、この緑だけが回るようになるんですから」とまた回し出すが、「ちょっとお師匠さん、お師匠さん。もう少し明るめな曲で」。こうしてまた回し出したのだが、この人の曲独楽は賑やかというかうるさいというか・・・(笑)。「あれー・・・・・おーし、おしおしおし」 なんて演っているうちに緑の独楽が板から落下。板に乗せて、また回し出すものの、緑以外のがなかなか止まらない。「うー、止まってくれー。紫ー、本当に止まってくれー! ・・・・・おーしおしおし・・・・・あー! また回りだしちゃったー!」 たまりかねてかオバチャン、「ガンバレ、ガンバレ」 必死になってる紋之助が可笑しい。「もう芸じゃなくなってきたー。ぐすん。もうどうしていいんだかわかんなくなってきたー」 それでも何とか緑だけが回るように持っていった紋之助、「ご心配をおかけしました。私もこんな風になるとは思わなかった」

        トリの三遊亭円丈は、小さん師匠の想い出から、自分の師匠円生、先代文楽の逸話を語り、『悲しみは埼玉に向けて』に入った。円丈としても長年に渡って演っている代表作だ。東武浅草線竹の塚に住んでいる円丈ならではの新作落語。実は私も人生のある数年間、東武線沿いの埼玉県に住んでいたことがあって、この話、よくわかるのだ。浅草寺のある始発駅浅草から、西新井大師の西新井を通って、終点の東照宮のある日光。寺から寺へ。駅を追って、東武線の悲しさを語るこの落語、久しぶりに聴くなあ。「浅草→会津高原、4時間40分の広告文字。これにどんな意味があるのでしょうか? 新幹線なら4時間40分あれば、福岡の一歩手前まで行ける」 大笑いして聴いていたのだが、最後に「『悲しみは埼玉に向けて、Version5.5』でした」で締めた。少しずつ、新しいギャグが増えてきている気がする。これからも刻々と変化を遂げて行くネタなんだろうなあ。もっとも長野のオバチャンたちは、「電車の線がわからないから理解できなかったね」だって。来月は、柳家小三治の独演会を見に、久しぶりに東武線で春日部まで行く。車内で、CDになっている『悲しみは埼玉に向けて』を聴きながら車窓の風景を眺めながら行こうかな。

        さて、これで昼の部終了。いよいよ夜の部に突入する。実は、これからが波乱万丈、面白くなるのですが、時間がきてしまいました。この続きは、また来月。


May.25,2002 暑い『うなたい』

5月18日 第276回花形演芸会 (国立演芸場)

        ぴあの前売りで買ったら、何と最前列。困るんだよなあ、メモ帖を手に噺を聴いているのが演者にミエミエになってしまう。突っ込まれたらイヤだなあと思ったら、隣に座った若い女性がおもむろにノートを取り出すではないか。そして噺を聴きながら何事か一生懸命に書いている。シャープペンを走らせる個所が、だいたい私と同じところというのも気になる。ひょっとして彼女も何かホームページのようなものを持っているのだろうか?

        前座、三遊亭麹『湯屋番』。頑張ってね。

        桂快治は、いつものように「頑張っていきまっしょ」と自分で自分に気合を入れてから。家の中で放し飼いにしているツガイのモモンガの話から(あまりに突飛なペットので、ちっょと引いてしまった)、犬の話題へ。盲導犬、警察犬、麻薬犬などの話をふってから、「芸をする犬もいるんですよ。昔から面白いこと演ってるんですがね・・・・・志村けん」 そのままスッと、人間に生まれ変わった犬の噺『元犬』に入る。裸でいるところを人入れ屋の旦那に救われた犬、変わり者好きの隠居のところに奉公に出されるが、本当にヘンなことばかりやる。お湯がチンチン沸いてくると、思わず自分もチンチンをしてしまう。「そういうわざとらしいのはいけないよ。座布団あげないよ」 快治のは、もう一人の奉公人の女性の名前がオチになる型。

        若手漫才の18KINは初めて見た。ボケに回る背の高い男大滝と、突っ込みの背の低い男今泉の感じが、爆笑問題のスタイルに似ている。ただテーマは時事問題には触れず、ディズニーランドやら、結婚式やらといった若者が興味のある話題がテーマ。ディズニーランドの話の流れから童話というのはヘンだという笑いに繋げていく。『熊のプーさん』 『白雪姫』 『シンデレラ』 『赤ずきん』 そういえば無理があると言われれば無理な話なんだよなあ。「『桃太郎』、拾ってきた桃を食うかあ? だいたいそんな巨大な桃運んでくるなんて、どんな怪力なんだよ、おばあさん。赤ちゃんを桃の中に詰めた奴がいるぞ。幼児虐待だろうが!」 このコンビ面白い面白い。今度からチェックしなくちゃ。ちなみに今このコンビのことを知りたいと思って、[18KIN]で検索を入れたら、アダルト系サイトが山ほど出てきた。興味のある人はお験しあれ。ハハハ。

        『白鳥の湖』の出囃子に笑いが起こる。そう、三遊亭白鳥の高座だ。ネタは前から聴いてみたかった『戦え軍人くん!』(『おばさん自衛隊』)。人材不足に悩む自衛隊が、おばさんのバイタリティを放っておく手はないと『女性セプン』に広告を出す。「おばさん自衛官大募集。自給千円。世界の平和を守ってダイエット」 これで二百人のおばさんが集まってしまう。隊長が挨拶しようとするも、ひとりでもうるさいおばさんが二百人。ペチャクチャペチャクチャ、そのうるさいのなんの。あきれ返った自衛隊、過酷な任務を与えておばさん全員を辞めさせようと、中東和平のためにイラクに出撃させる。「イラクってどこ?」 「イラクって足立区の先じゃない?」 「違うわよ、シャケの玉子よ」 パラシュートでイラクの砂漠地帯に降下すれば、「砂だらけね、ここどこ?」 「鳥取よ」 「お土産屋はどこ?」と観光旅行と勘違いしている。例によって奇想天外な噺なのだが、こんなおばさん、現実にいそうなのが面白い。

        アンジャッシュのコントってクールなんだと思う。多くのコントコンビは笑わせよう笑わせようと、これでもかこれでもかとオーバーアクションで笑いを持ってくるのだが、その多くが笑えない。そこへいくとアンジャッシュは、あくまで冷静に、笑い、コントというものを考えているふしがある。アドリブを廃した緻密な構成で勝負する。そこが私の好きなところだ。この日のネタ『キャッチホン』もすでに一度見ているし、DVDでも見ている。それがまた見直してみても、まったく退屈しない。公園で出会った高校時代の友人同士のふたり。児島はこれから彼女に電話でプロポーズしようとしているところ。どういう文句にしようか渡部に相談する。「ふたりで恋のバッテリーを組まないか、っていうのはどう?」 「うーん、今のはやりは野球じゃなくて、サッカーだからなあ」 「それじゃあ、オレと恋のPK戦してくれない?」 「PK戦してどうするんだよ」 意を決して、公衆電話で彼女に電話。そこへ渡部も妹にビデオ録画の件で電話を入れる。すると・・・。本当によく練られて丁寧に作られたコントなのだ。もっともっと評価されていいと、いつも思う。

        青木さやかのひとりコント二本。
『公団住宅のエレベーターガール』
        デパートのエレベーターガールになりたくてデパートの就職試験を受けたのに落ちてしまった女性。なぜか流しのエレベーター・ガールをしている。そんなのありかあ?(笑) 「こちらから好きな番号をお選びください。3階、8階。はい、自分で押してください。私のモットーは自主性でございます」 そこへ乗りこんで来た学生時代の友人。彼女は本物のエレベーター・ガールになっていた。「あら、メジャー・デビューしたのね。こちらはインディーズ」って、なんなんだあ?(笑) 山田邦子がデビューしたときも、確かエレベーター・ガールのネタってあったような気がしたのだけど、青木さやかのも面白い。
『産休代理の幼稚園の先生』
        カニのぬいぐるみを胸につけた幼稚園の先生。「先生は子供が大っ嫌いです。でも免許持ってるから大丈夫。ついてきてね」って本音を言いながら顔は笑っている様子は、前のエレベーター・ガールと一緒。「将来、何になりたいの? おかあさん? そう、あなたのおかあさんみたいになりたいの? 身長150cm、体重80Kg。『あたしだって必死なのよ』が口癖で血糖値が高いおかあさんね」って笑顔を浮かべながら言うのだが、毒があって可笑しい。
        この人、初めて見たが面白いなあ。興味を持って、今、検索を入れてみたのだよ。[青木さやか][幼稚園]で入れてみたら、またアダルト系サイトへ。青木さやかって同姓同名のAV女優でもいるのかな?

        「曲芸を無理矢理に見てもらおうという、素晴らしいお時間です」と鏡味正二郎。いつもながら安定した曲芸だ。五階茶碗の切っ先止めで、ちょっとグラッときて躊躇する仕種を見せても、「やめましょーか?」と言うセリフはあくまでクール。きれいに切っ先止めもこなしてしまうのは当然。

        トリの柳家三太楼は、先日亡くなった小さん師匠の思いでをマクラにした。「前座のころ、小さん師匠にフランス料理のフルコースを御馳走になったことがある。フランス料理なんて初めてですよ。オードブルの皿に花があしらってあった。食べられるものかどうか考えていて、皿の上にあるものだから大丈夫だろうと食べてしまった。小さん師匠が『うめえか?』 『うまいという程ではありませんが食べられました』 それで師匠が食べようとしたらボーイが飛んできた。『師匠、食べられません!』 私のときは、このボーイ、黙って見ていた」

        この日のネタは『鰻の幇間』。以前にも書いたと思うのだが、私は先代桂文楽のこの噺が大好きで中学時代には小遣いをはたいて、このレコードを買い、何回も何回も聴いていたという過去がある。はたして三太楼がこの噺をどう演るのか、興味深々だった。どこかで見知った旦那を捕まえた野幇間の一八、誘われるままに汚い鰻屋に連れて行かれる。鰻を見ていくから、先に上がっていてくれと言われて、トントントンと二階へ上がる。「暑っ、暑いね」とセンスでパタパタ。「閉め切りじゃないかよ。・・・・・戸を開けると、すぐ壁になっている。これじゃあ風が入ってこないじゃないか」 今やどこへ行ってもクーラーが入っている。昔のこのムワッと暑い感じ、今の若い人にはわかりにくいかもなあ。この暑さを強調した演出、文楽の型では見当たらない。しかし、この暑さを描いた描写はいいと思う。鰻を見てきた旦那、「オツだね」 「オツですね。オツ以外の言葉見当たりませんね」

        酸っぱいしんこを食べても、「もう少しで漬けすぎではないかというギリギリのところで」。噛みごたえのある鰻を食べても「たいそうコシの強い鰻ですな。こういう鰻を食べてみたいと思ったところで」とヨイショに余念がない。文楽型だと、この旦那は誰だかわからないが、序盤で「てめえと逢ったのは清元の師匠のお弔いで、麻布の寺で逢ったんじゃないか」とヒントらしきものがある。三太楼のは、「お宅はどちらだったでしょう?」 「先のところだ」のみ。この質問と答の回数が文楽のものよりも多いのが面白い。便所に立つ旦那。その間にひとりで妄想を膨らませる部分が、この噺の見せ所のひとつ。「どこの人だったけなあ。そうだ、これからウチをつけるんですよ。これから通っちゃてね」 旦那のところでキリキリ働いて気に入られ、旦那の妹と結婚し、家まで建ててもらって、お金がふんだんに有り余る。「銀行始めようかな。取り立て専門の」

        最高の見せ場は、このあとの一八が騙されたとわかって、仲居さんにブチブチと八つ当たりする部分。「うさんくさい奴だったよ。なんか企んでいる目してたよ」と言ってももう遅い。しんこや鰻の文句は食べたところですでに皮肉が入っていたが、ここでも容赦なし。相当に不味い鰻だったのね。文楽型だと、最初に一八が二階へ上がったときに机を持った子供が走って行く。上で今まで習字の稽古をしていたという設定。三太楼で聴いたのは、ここはオシメが干してあるという設定になっている。「オシメなんて干しておくんじゃないよ。鰻屋の二階なんて、女の子引っ張って来て手を握ろうなんてとこなんだよ」 なあるほどね、暑さの上にオシメ。こりゃあ、うっとうしい状況だ。

        川戸定吉『落語大百科』をあたってみたら、『鰻の幇間』には、文楽の型と、志ん生の型には大きな違いがあると書いてあった。文楽のはあくまでも[芸人の寂しさ]を描いたものだというのに対して、志ん生のはこれでもかこれでもかと一八をいじめぬくスタイル。これでいうと、三太楼のも志ん生型なのだろうか? 暑さの強調も追い討ちをかけるよう。それでいて三太楼の『鰻の幇間』には悲惨さがあまりなく、気持ちよく聴けた。一八にどこか品が感じられたのも嫌な気持ちにならなかった原因かも知れない。


May.19,2002 これからが楽しみな二ツ目さんたちの夜

5月11日 深夜寄席 (新宿末広亭)

        有楽町で朝日名人会を見てから新宿へ向う。喫茶店で読書をして時間を潰し、回転寿司で夕食を済ますと新宿ピットイン。この夜は吾妻光良のブルースセッション。吾妻さんのなんとも可笑しいトークを挟んでの、あまり有名でないブルースの数々を聴く。ギターの腕前とセンスは超一流。それでいて本業はフツーのサラリーマンというのが不思議。演奏前に英語の歌詞の内容をかいつまんで説明してくれるのが親切だ。中には英語の歌詞のあとに訳詞をして歌ってくれたりもする。『スインギン・オン・ザ・ムーン』なんて曲の訳詞の中には、「♪ふたりで散歩しよう 商店街」だの「♪買おうかもう一杯 缶チューハイ」なんて歌詞も出てきて、ここはアメリカなのか日本なのかわからなくなるのが、またまた可笑しい。

        2セット目の2曲目の途中で退席。末広亭に向う。この夜はもう一本予定があるのだ。先日、私の店に古今亭駿菊さんが来店された。駿菊さんとは一年前、まだ二ツ目で菊若だったころに何回かメールのやりとりをした。それが思い出したように突然のご来店となった。ご一緒におられたのは、どこかで見た人。おそらく噺家さんだろうと思ったら、五街道喜助さんだと紹介された。ああ、先月のなかの芸能小劇場で、ヘンな百面相と、ドイツ、中国、パレスチナ版の「隣の空き地に囲いができたね」を演った人だ。私は今までにこれ以外に喜助さんの高座を見たことがない。『東京かわら版』を見たら、深夜寄席に出ているではないか。ご来店のお礼の意味も込めて見に行くことにしたのだ。

        トップは古今亭志ん太。「深夜寄席は、我々の心意気が違います。末広亭の社長の目が後ろで光ってないもんね。何を演っても大丈夫」 この会、二ツ目さんたち、のびのびとした雰囲気で演っているよね。この夜は観客も結構入っている。熱心な落語ファンって多いんだなあ。ネタは『あくび指南』 ワビとかサビとか、日本の習い事をちょっと風刺したようなこの噺、好きなんだよね。「寄席のあくびなんてものもございます。これは演らんほうがいいでしょう。噺家がガッカリする。あくび三つで即死する」 午後十時を回って、昼間っから出歩いている私も少々眠くなっている。でも、大丈夫。まだあくびは出ないよ。

        「入門して九年目に突入しました。噺家になってよかったと、しみじみ思う今日このごろです」と言うのは五街道佐助。彼の『たいこ腹』は、幇間の一八に品があって良かった。幇間というと、臭く臭く演じる人がいるが、この佐助の一八は程というものを持っている。「へっ、若旦那が針に凝った。どーも隅におけませんな。もっとも真中に出ると邪魔だけど」なんてセリフがひとつも嫌味にならないのだ。てっきり芸者衆相手に打つものだと思ってたら、「お前に打つんだよ」と言われたあとの一八の表情がいい。「もっと粋な遊びが出来ないものかね。相変わらず道具だけ立派だね」と目をやる仕種も可笑しい。いいねえ、佐助の一八、気に入ってしまった。

        柳家三三は、ゴールデン・ウイークの高速道路渋滞地獄絵図をマクラに持ってきたが、ネタの『大山詣り』もこれまた地獄絵図。宿で、熊さんが酔っ払って暴れる場面が可笑しい。果ては雑魚寝している長屋の面々の上を「人間の腹渡りでござい」とやれば、みんな怒るって!

        三三が長く演ったので、おやおやもう十一時十五分。この夜のお目当ての喜助くんの持ち時間は、あと十五分。「三三くんには長く演っていいよって言ったんです。今まで府中で小三治師匠がトリの会をやってきたんですが、八時五十分バラしのはずが、ハネたのが九時二十分。『馬の田楽』なんて、どう演ったって三十分ですよ。それがマクラに四十分。(マクラを演るのが)好きなんでしょうがねえ。ちったあ時間守れよ」とクサす。ふふふふふ、ボクら、そのやたらと長いマクラが好きなんだよね。それで喜助くんがトリで、残り時間が十五分なのね。ほう、ネタが『四段目』だ。三度のメシよりも芝居が好きな奉公人の定吉。使いに出したら、こっそり芝居見物。なかなか帰ってこない。朝の十時に出て戻ってきたのが四時じゃあバレるって。相手先で掃除の手伝いをしていたとか、おとっつあんが病気でという言い訳もバレバレ。このバレバレの言い訳をする定吉の表情がカワイイ。「私の出世を妬んでいる人がいるー」 「バカ、お前のどこが出世しているんだー!」 ついには蔵の中に入れられてしまう。「やい、旦那! 芝居を見に行くのが、そんなに悪いかー! 奉公人にもっと自由を与えろー!」 昔の小僧さんは、そんなに休み無かったもんね。可哀想。でも可笑しいんだよなあ、喜助の定吉はどこかカワイイ。夕食も与えられずに蔵の中。ひもじくて仕方ない。腹が減ったのを、見てきた芝居を再現してみて紛らわせてみようとするものの、やっぱり空腹には勝てない。やっぱりいかに好きなことがあっても、メシも欲しいんだよね、人間って。

        なかなか普通の定席では見られない二ツ目さん。まとめて四人見ることができたけど、どうしてどうしてみんな上手いじゃないの。どんどん新しい噺家が着実に育っている。これは楽しみが増えてきたなあ。


May.18,2002 若き名人会

5月11日 第二十五回 朝日名人会 青風篇 (有楽町朝日ホール)

        毎月一回、有楽町マリオン内朝日ホールで行われている落語会。いつもは、年齢層が比較的高いのが特徴。それが今月は青風篇と銘打って、若手の人気噺家をズラリと揃えた。さすがに前の方の列は若い人の姿が目立つ。

        前座は十一月に二ツ目昇進が決まった、柳家ごん白。おおっ、『初天神』ではないの。ごん白の『初天神』といえば、思い出すのは去年の七月七日浅草木馬亭『三太楼前祝い』の高座。前座で出たごん白が『初天神』を演った。私は良い出来だと思ったのだが、そのあとで、聴いていたらしい師匠の権太楼から小言が飛んだ。その権太楼の言い分は、素人の私には、なかなか芸の道は厳しいものだというものに感じられた。さて、あれから十ヶ月。ごん白の『初天神』はどう変わっただろうか? 金坊が実に子供らしくなってきた。うんうん、いいよ、いいよ。屋台が並んでいる場面だ。そうそう、目の演技だ。屋台を見ている演技。目の動きで観客に屋台が並んでいる様子を想像させるだったよね。「うわあー、わたあめ屋だあ。あれは・・・アンズあめ屋だあ・・・あの子当ったんだあ。二本余計にもらってるう〜」 うん、ぐっと良くなっているね。指摘されたたこ焼き屋は削除したんだね。お父さんが団子のミツを吸うところは、以前から上手いと思っていたのだけれど、さらに磨きがかかったみたいだね。二ツ目昇進は遅すぎたくらいだ。いいぞ、いいぞごん白!

        立川笑志は、自分の独演会のお知らせから。本当はチラシを用意していて、会場で配ろうとしていたのだが、会場側から断られたそうだ。「ここは、朝日新聞の会場。ただでチラシはまけないらしい。朝日新聞に広告を出せってことでしょうか?」 談志の庭にある桜の木の火傷事件をマクラに、サクランボの種を食べた男の頭から桜の木が生えてくる『あたま山』へ。桜の木を抜くと穴があいて、水が溜まる。「ヨットに乗っている人がいるよ。ああ、堀江謙一だな。あたまん山ひとりぼっち。おや、外人が泳いでいるよ。イアン・ソープだ。ヨコハマで逢いましょう。おおっ、水の中から大きな船が浮かんできて宇宙に飛び立っていったぞ。宇宙戦艦大和だな」 なっ、何もそんなのまで出てこなくても・・・。

        「世の中、あってはならないことが起こります。北陽の神田山陽襲名。これは、なんとしても阻止しなければ!」 五明楼玉の輔、こんなこと言っているけど、本当は祝福してるんだよね。ネタは『悋気の独楽』。寄席に出かけるとウソを言って、お妾さんのところにイソイソとでかける旦那。おかみさんに言われて、旦那のあとをつける定吉は匍匐前進したり、旦那の背中にへばりついたりしてタイヘンだ。陽気な中にもどことなく険がある玉の輔が演ると、こういう噺、いいねえ。

        春風亭昇太は、いつもの海外旅行ツアーの漫談から、こんなことを言い出した。「日本で買えないものは、必要ないものなんですよ。必要なものなら業者は輸入します。お土産にもらったりするマカデミアン・ナッツなんて、そんなに美味しいですか?」 そうだそうだ、よくぞ言ったぞ。グリコのアーモンド・チョコレートの方がよっぽど旨いぞ。「なんで昔の人は、食べ物を大事にしていたのか・・・・・それは冷蔵庫が無かったからですよ」と、腐った豆腐を食わせる「ちりとてちん」へ。口が嫌がっているトラさん、「男の生き様を見ろ!」と一気に口の中に流し込む姿は壮絶。

        「私は絵描きになりたかった」と言うのは、神田北陽。「熊谷守一という画家がいますでしょ。絵も素晴らしかったが、書も素晴らしい。そのひとの言葉で、こんな意味の言葉があるんです。『ヘタに書いたからといって、それを消したり破いたりしても、ヘタに書いたという事実はなくならない』」 うーん、深い言葉だなあ。これは高座での芸にも言えるかもなあ。この日のネタは、去年の暮れに紀伊国屋ホールの独演会でかけた『甚五郎外伝』。あのときは、あとでアンコールのような形で『ねずみ小僧外伝〜サンタクロースとの出会い』を演って『甚五郎外伝』のアタマに繋げていたが、今回は逆に『サンタクロースとの出会い』から始めて、『甚五郎外伝』に繋げるという形。サンタクロースがギックリ腰で動けなくなったので、替わりにねずみ小僧が子供達にプレゼントを配りに行くことになる。そんなねずみ小僧にサンタクロースがひとつの頼み事をする。「もし、子供が目を醒ましてしまったら、将来何になりたいか訊いてくれ。そして、『頑張って信じていれば、願いはかなう』と言ってやってくれ」 ある家の男の子には、木彫りのクリスマスツリーを贈る。「ボク、こういうのを作れる人になりたいんだよー」 こうして本題の『甚五郎外伝』に入っていった。そのあとは波乱万丈、これからが面白くなったのだが、残念ながらお時間でございます。もう少し詳しくは、このコーナーの昨年十二月分に書いたので割愛。

        「私、歌手だったんですよー」と江戸屋まねき猫。小学校二年生のとき、レコード会社がイギリスで流行っていた『チキンソング』という曲の日本語版を出そうとしたことがあるそうな。「日本でニワトリの声を出せたのは、父と兄だけ。ところが父も兄も歌が上手く歌えない。そこで目をつけられたのが私。若干八歳ですよ。私がメイン・ヴォーカル。バック・コーラスで父と兄がニワトリの声を出す」と、その『チキンソング』を再現して歌ってくれた。「でも、まるで売れませんでした」 うへー、欲しい欲しいぞ、そのレコード。後半は最近よく演っている河童の鳴き声。作家先生からのリクエストで研究したという河童の鳴き声の考察がいささか長いが面白い。文献によると、「赤ちゃんのような甲高い声で『ヒ―――』と鳴くという説と、低く『ヒョ―――』あるいは『ヒュルルルルル』と鳴く説があります」 こうして、まねき猫ものまね劇場が始まる。人里離れた山寺の境内で河童を目撃した犬と猫が、驚いて逃げ出すところまでを効果音だけで描ききった。これは、まねき猫オリジナルの素晴らしい芸の完成だ。

        終電間際の地下街。煮詰まっているカップルというのをよく見かける。いったい何があったというのだろうと思うのだが、ふたりだけで人目もはばからずに自分たちだけの世界に入っている。半分、ざまあみろと思うのだが、本人たち真剣なんだよね。柳家喬太郎の分析は鋭い。「女が泣いている場合。女はブツブツ言いながら、ときおり男を見る」 「女が怒っている場合。女は瞬きもしないで男を睨みつける」 「男が困っている場合。男はブツブツと言い訳をしながら、女の顔を絶対に見ない」と、それぞれの所作を演ってみせるのだが、これが抜群に上手い。現代の若者を描写させたら、絶対にこの人にはかなわない。

        ネタは先月鈴本で聴いた『純情日記横浜篇』だが、あのときは、客席に酔っ払った若者がいて、邪魔をしたものだから噺に集中できなかった。今度は落ちついて聴くことができた。ファミレスで働く若い男。同じ店の女の子が好きになってしまう。ところが性格がシャイ。噺家になろうと修業中の友人に、上手く喋るコツを教わりに行く。友人はデートに誘って告白しろと勧める。「当って砕けろだよ。このカップがお前。それで壁がオレだ。一遍砕けて、コナゴナになったとしても立ち直れるんだ。そのときに瞬間接着剤になってやるのがオレ」ってよくわからないエールを贈られて、彼女に電話。「あっ、あの・・・・・逢えないかなあ・・・と思ったりして・・・いや、職場じゃなくて・・・・・デート? デートじゃなくてさ・・・・・あっ、やっぱりデート・・・っていうのかなあ」 この、女性に電話をするときのドキドキする感じ、わかるよなあ。横浜でのデートの約束を取り付け、ふたりで横浜の街を歩き回り、中華街。コンパで覚えたビール。無理して招興酒まで飲んじゃって悪酔いの山下公園。「オレ、酔っ払ってんだ。だからこれからいろんなこと言うけど・・・笑えよ。・・・・・・・・・・好きだよ、マジで。ダメなのはわかってる。だから振って、振らないで振って・・・・・ていうか、多分結果はわかっているんだけど、目つぶって数数えるから、嫌いなら帰って」 こうして数を十まで数える男・・・・・結果は・・・。

        喬太郎の切ない世界にどっぷりと浸って、いい気持ちになった。「喬太郎の落語は落語じゃない、演劇だ」という声も耳にする。しかし、喬太郎の持つ落語世界が、聴くものをグイグイと引きつけてやまないのも事実だ。私は、やはり喬太郎のものはあくまで落語なんだと思う。落語にいろんな種類があっていいはずだ。喬太郎の手法は、落語の新しい可能性を切り開いたものだと大いに評価したいと思うのだ。


May.14,2002 盛りだくさんな豪華で楽しい明治座新企画

5月6日 『居残り佐平次〜次郎長恋の鞘当て〜』 (明治座)

        前日、NHK博物館で、古今亭志ん朝のビデオをプロジェクターで見せる催しがあり、三本のうちの一本に『居残り佐平次』が入っていた。明治座の芝居を見る前に、落語版をサラっておこうと初めて愛宕山のNHK博物館を訪れた。百人前後のキャパシティのホールは、老若男女合わせて一杯。こんなに入ったことはそうないということだ。改めて志ん朝さんの人気を思う。志ん朝の『居残り佐平次』は、オチまでいかないで四十分ほどで終わった。終盤、ちょっと後味が悪くなる部分をバッサリ切り落としてあった。これでいいんじゃないかなあ。明るい芸風の志ん朝さんには、こっちの方がずっといい。

        ビデオだけ見て帰ろうとしたら、この日は私の参加している熊八MLのオフ会だった。一度も参加したことがなかったのだが、私の面が割れているメンバーのひとりに見つかってしまった。この日、これといって予定があるわけでもなし、私よりも若い人たちと一緒に、虎の門の[バーミヤン]へ。最初は、こんな若い人たちと話が通じるだろうかという不安も、ビールを飲みながら落語の話をしていくうちにどこへやら。ついつい夢中になって話している私がいた。[バーミヤン]を出てからも、2次会だというので、新橋の居酒屋へ。若い人相手に、ついつい昔の話をしてしまって、ちょっと煙たく思っているだろうなあと思いながらも、夜は更けていく・・・。

        翌日。ゴールデン・ウイークの最終日だ。朝からゴールデン・ウイーク明けの仕込みを総て片付けておいて、明治座夜の部へ出かける用意をする。明治座まで歩いて5分。我が家から最短距離の劇場である。今回の公演は明治座としても冒険だったろう。果たして商業演劇として、風間杜夫、平田満で客が呼べるであろうか? それは、少なくともこの日の入りから見て杞憂だった。場内満席。補助椅子まで出ている。客層も、いままで通りの明治座のお客さんから、小演劇のファンらしき人、それに落語界から出ている柳家花緑のファンらしき人まで、さまざま。

        客電が落ちると、スポット・ライトが花道に当る。迫りに座布団を敷いて座っている男がひとり。風間杜夫だ。いきなりピンで座長が出るというのは、こういう舞台では珍しい。いきなり風間杜夫で落語が始まってしまう。もちろん『居残り佐平次』だ。風間杜夫が落語が得意だということは、ちょっと知られたことだ。プロの噺家さん顔負けの調子で『居残り佐平次』の序の部分を演っていく。上下をキッチリと取って、品川の遊郭[赤木屋]へ繰り込んだ佐平次が仲間とドンチャン騒ぎ。一夜明けて、予ねて打ち合わせておいたように、仲間がみんな帰ってしまったところまで演って、芝居が始まる。

        「お勘定を」と請求する店の若い衆は柳家花緑だ。「カンジョウ、カンジョウって、人の感情を害するようなことを言うねえ」と言い放ち、お直しにするから、もう一本浸けてくんなと、これはもろ『居残り佐平次』なのだが、それだけではない。実は今回の作品の元になっているのは、1999年の11月に水谷龍二が[星屑の会]の為に書き下ろした『次郎長漫遊記』を下敷きにして、商業演劇用に書きなおしたもの・・・・・というよりも、映画『幕末太陽傳』を風間杜夫で舞台化しようというアイデアに、『次郎長漫遊記』をドッキングさせたという方が近いだろう。

        品川遊郭を舞台に、落語から『居残り佐平次』 『品川心中』 『よかちょろ』 『お見立て』などを持ってきて、それに同じ遊郭に泊まり込んでいる幕末の浪士たちの話を加えたのが『幕末太陽傳』。それにさらに清水次郎長が同じ遊郭に泊まっているという状態を作り出しているから、話がどんどんとややこしくなる。それをさすがの水谷龍二だ。過不足なく描いていって、最後に総てをまとめあげるのだからスゴイ。

        落語ファンにとっては、『幕末太陽傳』で、落語の『三枚起請』がちょっと作りかえられており、[親子で二枚の起請]というような話に作り替えられていたものを、キッチリと『三枚起請』に戻しているところがうれしい。

        実は、私は『幕末太陽傳』は好きなのだが、どうも主演のフランキー堺の演技に疑問があった。あれでは、居残りではなく、幇間そのものだ。幇間ではなく、あくまで調子のいい男でなければいけないのだと思う。そこへいくと、志ん朝の『居残り佐平次』はキッチリと居残りだったし、今回の風間杜夫もキッチリと居残りという形で演じていたことがいい。次郎長役の平田満は、史上最弱の次郎長だが、こういう次郎長も楽しい。花魁役の女優陣がいい。『野獣郎見参』でいい俳優ぶりを見せてくれた高橋由美子は、今回も光っているし、余貴美子、馬渕英里何といったこれまた小劇場経験のある女優さんたちは、これまでの明治座に出てきた女優さんたちの演技とは違うものがある。

        この脇を固めるのが[星屑の会]の面々。このところ大劇場に積極的に進出しているラサール石井、小宮孝泰のコメディ演技は舞台がパッと明るくなる。渡辺哲、でんでん、有薗芳記、三田村周三も[星屑の会]の乗りで楽しんで演っているよう。特に渡辺哲は後半、暴走ぎみなのが可笑しい。それに加えて柳家花緑の初々しい演技もみもの。

        明治座では、主要な役者はワイアレス・マイクを使うものだが、今月は主演のふたりを含めて誰も使っていない。さすがは小演劇で鍛えた声だ。マイクなしでもキッチリと3階席まで聞こえる。

        芝居を楽しんだあと、小宮孝泰さんと居酒屋で呑む。小宮さんは明大オチ研出身。落語に関する造詣はかなり深い。落語のこと、芝居のこと、ついつい夢中になって遅くまで話し込んでしまった。


May.8,2002 変人?たちの夜

5月4日 第八回 寄席・山藤亭 『メジャーな変人たち』 (紀伊国屋ホール)

        キャイ〜ンのライヴを見た足で新宿へ。山藤章二が企画する寄席。今年はヘンな芸人をズラッと並べたという。どのくらい変人なのか見てみよう。

        一人目の変人は神田北陽。おやおや、座布団も釈台も無い。「きょうの出演者はみんな立ち芸なんです。私ひとりのために高座だの釈台だのを用意するわけにはいきませんので、立ったまま演ります」 おお、去年、野音のポカスカジャンのときに演ったように、人間釈台を使うのか・・・と思ったら、今度は逆。「自分が釈台になって、釈台の気持ちになろうと思います」と自分の頭にプラスチックのまな板を乗せ、助っ人に張り扇で叩いてもらおうというもの。北陽が一本指を立てると一回。二本指を立てると二回叩くという段取り。ただ、これだと間が微妙に遅れるのが難。ネタはお得意の新作『レモン』。「私はメジャーでも変人でもありません」なんて言ってたけど、十分に変人じゃないの!

        二人目の変人、松尾貴史は[ドン・キホーテ]で買ってきたというスプーンを大量に持って登場。「うさんくさい会にはうさんくさいことを」と、スプーン曲げをやってみせるという。「スプーン曲げ。能力って、役にたつものでしょ。それを役にたたなくしてどうするんですか」と、さまざまなパターンを実演してみせる。「ここでやったことは人に言わないように」というので詳しくは書かないが、こんな簡単なトリックだったのかと今更ながら驚いた。空中スプーン投げS少年のトリックには、会場が大きく沸いた。後半は、スポーツ新聞の記事をいろいろな人の物真似で読むというネタ。伊武雅刀、岸田今日子、滝口順平、小泉純一郎、小林克也、中島らも、大島渚、藤本義一、山下達郎・・・・・数えていったら、約30人。俳優、歌手、政治家、文化人なんでもござれだ。変人だよ、やっぱりー。

        コントゆーとぴあは、いつものゴム紐コントね。「先生、ご相談があります」 「金は無いぞ」 「・・・・・」 「漫才ブームで稼いだの、全部使ってしまった。あれば、こんなところに出てない」 アドリブがポンポン飛び出すうちに、ネタの段取りをホープが忘れてしまって、ちっょとモタモタしたコントになってしまったが、そこがまた面白い。「人生というのは、あっという間だ。長いようで短い。短いようで長い。人生は一本のゴムだ。これが人生だ。人生を噛み締めろ」 いったいこれ、何回演ったんだろう。そして私もいったい何回見たことか。この痛いコントを何十年も演ってる、この人たちも変人だよね。

        ヘンなトークで煙に巻く手品を演らしたら、やっぱりこの人だろう。次の変人はマギー司郎。上に赤、下に青のハンカチが結ばれている。「上のハンカチがお客さんの好きな色に変わっちゃう。さあ、何色にしましょうか?」 「白」 「ああ、白は休みなの」 「緑」 「緑は午前中で終わった」 「ピンク」 「ピンクは最初からダメ。普通、こういとき、黄色って言わない?」 マギー司郎の着ている服も黄色。こりゃあ、お客さんの方が変人なのかなあ。

        最後の変人、月亭可朝を見るのは久しぶりだなあ。「♪ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで〜」 山高帽にギターを持って歌うのは、これまたいつもの大ヒット曲『嘆きのボイン』。子供客も多いが、そんなことおかまいなしにシモネタ漫談が続く。こんなところに連れてくる親が悪いのかもね。最後にやった中国人の奇術が、前に出て演ったマギー司郎のものと被る。マギー司郎のは、左手にハンカチを入れ、「これが右手に移ります・・・・・はい、移りました」と右手を広げて見せないで、「今度は左手に移ります」とやってみせるもの。これが可朝のは手が込んでいる。中国語で演ってみせ、「はい、これウソだと思うでしょ。ニホン人、ウソつく。ウソつくのはドロボウ。ケイサツくる。手がうしろに回るね」と手を後ろに回してハンカチを移してしまうというもの。

        これには、さすがのマギー司郎も、あとでの雑談コーナーで、「ネタが膨らみました」 この雑談コーナーがいかにも変人たちのフリートークらしく面白かった。ホープ、可朝の借金談義が面白い。「借金というのは返すアテがあるもの。アテのないものは借金とは言えまへん」 う〜ん、なかなかウンチクのある言葉だ。出演者全員、口々に「私は常識人ですよ。変人なんて思ってない」というけれど、やっぱり変人だよなあ、この人たち。これは最高の誉め言葉。


May.6,2002 今年もGWはこれ

        ゴールデン・ウイーク後半初日。熱海へ一泊してきた。昼すぎに旅館入り。まずは風呂に入り、旅館のお菓子を食べて、お茶を飲んだ途端に睡魔が襲ってきて、ゴロリと横になるとスーッと眠りの中へ。しばらくして目が醒めると、読みかけの小説を数ベージ読んだところで、またいつしか眠りの中へ。再び目を醒ますと、窓から涼しい風が吹いてくる。ボンヤリと窓から熱海港を眺める。また風呂に行って部屋へ戻れば、夕食の支度が整っていた。刺身や鯛の兜煮をツマミに、まずはビール。クハーッ、うめえなあ。あっ、仲居さん、お銚子一本つけてね。料理をすっかりたいらげるころには、すっかりいい心持ちだあ。もう何もしたくないもんね。

        翌朝、熱海までやって来て一歩も旅館の外に出ていなかったのに気がついた。朝食前に散歩にでも出ますか―――てんで、熱海の海岸をブラブラ。「♪熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日かぎり 共に語るも今日かぎり」 もっともこっちは、おっさんの一人歩きだけどね。尾崎紅葉『金色夜叉』 ダイナマイトに目が眩み・・・じゃなかった・・・ダイヤモンドに目が眩み、金持ちの富山に走ったお宮さんを、貫一は許すことができなかったのだ。名台詞が頭をよぎる。「来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるから、月が・・・・・・月が・・・・・・月が・・・・・・曇ったらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いて居ると思ってくれ」



        お宮の松の前で立ち止まって明治文学を思い、さあ旅館に帰って朝食だと歩き出したらば、なんと寄席のぼりが見えるではないか。大月ホテルの前に四本ののぼりが!



        あれー? どうしたんだ、これは。慌てて道路を渡って大月ホテルの前へ。げげっ、なんとゴールデン・ウイークに落語会を開いているのだ!


第一回 大月寄席
日時 平成十四年四月二十七日〜五月六日(五日休演)
場所 熱海大月ホテル
昼席 午後三時〜五時
夜席 午後八時〜十時
料金 (入浴料込み)
    当日 二千円
    前売り 千七百円
出演 金原亭馬の助
    桂才賀
    三升家小勝
    立川左談次
    三升家勝好

        うわー、知らなかった! こんな催し物があるなら、旅館でゴロゴロしてないで見にくればよかったあ! これからもう、朝食を済ませて、東京に帰らなきゃならないんだあ。あ〜あ、こんなことなら宿は大月ホテルにすればよかったなあ。宿泊客は千円でいいっていうし。ありゃありゃ、こんなメンツなかなか東京の寄席でも見られないよ。落語協会からの四人に、なぜか高座で本を読んで笑いをとる立川流の左談次。午後の三時まで熱海に残っているという手もあるのだけど、この日の午後は前売り券を買ってしまった催し物があるのだ。

5月4日 キャイ〜ンLIVE2002 KARASI (恵比寿ザ・ガーデンホール)

        というわけで、やたらと長いマクラをふって、ここからが本文。新幹線で東京駅に出て、そのまま山手線に乗り換えて恵比寿へ。去年初めて見たキャイ〜ンのライヴ、今年もゴールデンウイークは、これで決まりだ。今年も漫才2本とコント3本。その繋ぎにビデオ『ウドスエの奇行』が挟まっていくという構成。

漫才『結婚』
        フジテレビの女子アナ大坪千夏との仲があきらかになった天野が、ウドと結婚の話題で盛り上がる。「理想の結婚生活ってどんなの?」と問いかける天野にウドが答え、ウドの役を天野が演り、ウドが理想の結婚生活をシミュレーションするという漫才。「ただいまー」 「おかえんなさーい。あなた、ご飯にする? パンにする? 麺にする?」 「炭水化物ばっかりじゃないかー!」 「ただいまー」 「おかえんなさーい あなた、ご飯にする? お風呂にする? 仕事にする?」 「なんで、家に帰ってまで仕事しなきゃならないんだー」 掛け合いの息がぴったり合っていて、気持ちいい漫才だ。テレビの仕事が多い彼らが、いったいいつ漫才の稽古なんてやっているのか、不思議だ。

コント『不動産屋』
        不動産屋(ウド)のところへ、客(天野)が物件を捜しに来るというコント。この不動産屋の紹介する物件たるや、床暖房ならぬ壁暖房だったり、セキュリティがしっかりしているというのは鬼が住みこんでいたり、三十畳のリビングとは真四角ではなくてウネウネとくねった細長いものだったりというヘンなのばっかり。私はコントはこれが一番面白かった。後ろのプロジェクターに物件の絵を映しながら進行する。物件がどんどんシュールで荒唐無稽になっていくところが可笑しい。

漫才『教育』
        「円周率は3.1415・・・って憶えたでしょ。それがいまや、およそ3でいいそうなんです」 「そうなると、やがて歴史も簡単になっていきますね」 「えっ! 歴史が?」 「たとえば鎌倉幕府は、いい国作ろう鎌倉幕府ですから1192年でしょ。これを、およそ・・・1000年」 「1000年? じゃあ平安京は?」 「鳴くよウグイス平安京、794年だから・・・・・1000年!」 「ええっ! 鎌倉幕府も平安京も同じ年なのー!?」 「関が原の戦いは1600年ですから・・・2000年でいいや!」 「それじゃあ、今から2年前じゃないか!」 「天野くん、生まれたのは何年?」 「1970年」 「これは2000年でいいですね」 「おい、それじゃあオレは関が原の戦いの年に生まれたのかあ?」 ネタとしては『結婚』よりも良く出来ていている。そして、今回のライヴの中でもベストの出来だと思う。これだけの漫才が出来るのだから、テレビのバラエティばかりで使われているなんて、もったいないではないか。

コント『ものまね芸人3』
        去年に引き続いてのシリーズ3作目。売れないものまね芸人(ウド)と、テレビで売れっ子になったその弟子(天野)のコント。前作から一年後、体調を壊して病院に入院していたウド、ようやく元気になってきた。そんなところへ、天野がテレビ取材で師匠にネタを演らせるという企画を持ってくる。さっそくふたりでものまねの練習を始めるが、森進一も、桑田佳祐も、さだまさしも天野の方が上手いから自信喪失。ここの掛け合いが、去年に引き続いてのパターンが出来ていて可笑しいんだなあ。翌日、取材に来たときに演ったネタというのは・・・・・宇多田ヒカルにしてもゴスペラーズにしても、かなりトホホな芸。次には病院の患者さん向けに復活ライヴを企画する。こうして演じられるのは、[もしもナニナニがナニナニだったらシリーズ]なのも去年と同じパターン。[もしもサッチーがスッチーだったら] [もしも井筒監督が甘口評論家だったら]など、今年のも可笑しい。

コント『ロボット』
        母親を無くし、父親が海外で仕事をしているために、ひとり暮らしをしている少年(天野)のところに、父親からお手伝いとして人型ロボット(ウド)が贈られる。前半の、このヘンなロボットとのやり取りが可笑しい。後半は、このロボットと心を通わせて行くという、ややペーソスが加わってくる。

        ラストがまた去年と同じで、テレビ的な楽屋オチ悪ふざけで終わってしまったのが残念。そんなことしなくても、十分に実力がある人たちだと思うんだけどなあ。


May.5,2002 期待と不安の白鳥初トリ

4月29日 上野鈴本演芸場夜の部

        あの三遊亭白鳥が定席のトリをとる。これを快挙と言わずして何であろう。あのヘンな落語を定席のトリにした席亭さんの決断はいかなものか。表彰状を送りたくなってくるねえ。白鳥くんの主任でお客さんが入れば、またこんな企画もやってくれるかもしれない。ここはひとつ是非とも一度は行かなくちゃ。

        前座は三遊亭かぬう。三遊亭円丈の弟子であり、白鳥の弟弟子でもある。「ウチの師匠が言うんです。『何かみんなを驚かせることをしよう。オレは目をフタエにしようと思う』 ウチの師匠、五十八ですよ!」 この意気だよ、円丈師匠がいつまでも新作を作りつづけるパワーは。ネタは『やかん』。頑張ってね。

        柳家三三『湯屋番』。「女湯は・・・っと、ありゃ、ぜんぜん入ってないね。そこんとこいくと男湯は・・・入っているねえ。一匹、二匹、三匹・・・・・・・九匹。ありゃ、湯船からゴボッと上がってきたね。カバだね、ありゃ」 ふはははは、ボクのこと言われてるみたい。

        翁家勝之助・勝丸の太神楽。まずは勝之助の[籠毬]。寄席ではちょっと珍しいのか、あまり見かけなかった曲芸。弟子の勝丸が「鮮やかなものでございます。全て私が教えました」 そんな勝丸の五階茶碗も鮮やか。

        「最近は交通が発達しまして、地方の仕事でも日帰りが増えましたな。落語会が終わってから席を設けて落語家さんに話を聞こうなんて主催者もいなくなった。インターネットなどの情報で、落語家に呑ますと、ものすごく呑むというのが知れ渡ってしまいまして・・・」 柳家さん生も酒呑みなのかなあ。ここから『二人旅』に入るのは上手い段取り。ふたりの旅人、ここでも酒が呑みたそう。でも田舎にある酒ときたら、名前は[むらさめ]と美味しそうなのに、いい気持ちで酔っ払ってムラを出るとサメてしまう。こんなの嫌だあ。[にわさめ]はニワを出るとサメる。[じきさめ]はもっと嫌だあー!

        最近お気に入りの古今亭菊丸。この人の明るい爆笑落語はこのところのマイブーム。ほほう、子供の日が近いのか、『人形買い』だ。ありゃりゃ、後半のおしゃべり小僧が出てきたところで引っ込んじゃった。ここからが面白いのにぃー!

        おそらくほとんどの噺家が演っているだろう『初天神』だけれど、私のお気に入りは桂文朝のもの。この夜もいつものマクラから『初天神』が始まったから、すっかりうれしくなってしまった。屋台のお菓子目当てに、「連れてっておくれよー!」としつこくせがむ息子。「連れてっておやりよ、あんたの子でしょ」というおかみさんに、「『あんたの子でしょ』だって!? これがか? こんなのがか? 『あれ買ってくれー、これ買ってくれー』って、いいか、こいつ、オレに言うんじゃないんだぞ、回りの人に言うんだ!」 このあと、「絶対に連れて行かない」と言うと、向かいのオジサンのところへ行って、「ある夜のおとっつぁんとおっかさんのお話してあげようか?」 「うんうん」 「あたいにね、『土曜だから早く寝ちゃえー』って言うの。おっかさんは、どこにも出かけないのにお化粧始めるんだよ」 「そうか、お前のとこは土曜日か」 「それでこっそり見ているとね、『あら、あなた、そんなとこに手を入れちゃあ、くすぐったい・・・・・あら、いやーん』」 このあともすんげー子供ぶりなんだ。

        ♪あのこはだーれ だれでしょね 隣のミヤちゃんじゃないでしょか・・・。お囃子に乗って曲独楽の三増巳也こと、独楽のミーちゃんが出てくる。投げ独楽[衣文流しの曲]もキレイに決めて客席から大きな拍手。

        五明楼玉の輔のツカミはいつもおんなじだなあ。でもこれが受けるんだから仕方ない。今宵のネタは『生徒の作文』。おねえちゃんに映画に連れて行ってもらった子供の作文が可笑しいこと可笑しいこと。

        「電車の中、襟元に日が当って暖められているうちに、スーッと寝込んでしまいました」 柳家さん喬は『天狗裁き』 いい気持ちで目が醒めると、どんな夢を見たのか問い詰める女房、隣の男、大家。ついには奉行にまで問い詰められ、「ですからあ、見てもいない夢の話なんてできませんって」 「さてはそのほう、幕府転覆を図って・・・!」 「何でオレはこんな目にあわなきゃならねえんだ」 春ウララ、電車に乗ってるとついつい夢の中に入っちゃうんだよねえ、このごろ。

        仲入り。自販機でコーヒーを買って眠気を覚まし、さあ後半だ。

        すず風にゃん子・金魚がバカに受けている。にゃん子が「私、育ちはいいんですよ」と言うと、金魚が「でも生娘じゃないよ」と返すいつものやり取りに、パチパチパチパチと拍手が沸く。にゃん子「今、第3次漫才ブームなんですよ」 金魚「乗り遅れました」 パチパチパチパチ そんなとこで拍手しないでね。ネタは結婚願望の女性に家を紹介する[ハッピー不動産]の話。

        元武蔵川部屋のお相撲さんだった三遊亭歌武蔵。「武蔵丸は私の弟弟子ですよ。今でも(私が相撲を)やってたらたいへんですよ・・・もう、武蔵丸に・・・ゴチになって歩いてる」 ほほう、今宵は『親子酒』かあ。親子で禁酒の約束をしたおとうさん。十日もすればアル中の禁断症状。ハアハア意気をついている。おかみさんに「何かクラクラするようなもの飲んでから、休みましょーか」 「目と目の間を金槌で叩きましょうか?」 一本だけなんて約束は酒呑みに通用しないもんね。一本入ると「もう一本! 今、ツーッと一本お腹の中に入ってきて、一人ぼっちなの。もう一本入ってくりゃあ話し合いが出来るだろ? ボランティア、ボランティア」 ボランティアはやがてヘベレケ。帰ってきた息子もボランティアに余念がなかったらしくヘベレケ。「只今帰りましたー」と高座でひっくり返ると、ドシーンと、まるで上手投げをくらって転がされたごとし。高座の床、壊さないでね。

        おおっ! 柳亭市馬が珍しい噺を始めた。昔一度聴いたことがある『藪医者』じゃないの! まったく患者さんがやって来ないお医者さん。それもそのはず、藪医者として誉れ高い(?)迷医なのだ。使用人の権助に頼んで、患者が訪ねて来ているような声を出させる。「そんな殺しの片棒担ぐようなことしたくねえんだが」と言いながらも、共犯者に。「おー頼み申ーしあげますでのー」 「どーれ、これはこれはどちらから?」 お医者さんの声だけは威厳ありそうだけど、こんな医者にかかったら命がいくつあっても足りないね。

        絶妙な話術で奇術を演るのは、寄席芸の特徴。アサダ二世も、出てくるなり「えーとね、それじゃあね、私はね、きょうは手品演りますよ」といつものツカミ。袋の中から卵を出すお馴染みの手品だ。「『おーい、今度はヒヨコ出せー』ってお客さんがいますけどね、やろうとしたことあるんでよ。でもヒヨコはダメ。演る前からピヨピヨピヨピヨ鳴いちゃって。きょうはヒヨコ出ませんよ。卵だけ・・・・・(何もない袋から卵を出してみせ)ほら、こうですよ。あたしだってね、やりゃー、出来るんですよ」 この人の話術でついつい引き込まれちゃうのね。

        三遊亭白鳥の出囃子が『白鳥の湖』になった。お囃子の三味線が弾き難くそうだ。太鼓がかなり叩き辛そうにしているが、後打ちのリズムで打っていけばいいんじゃないかなあ。「池袋にある牛丼屋、店長がインド人。インド人って宗教上、牛肉食べちゃあいけないんじゃないの? それが味見してんの。『大丈夫、ここの牛丼、牛肉使ってないから』」 ムムムムム、何の肉だあ? 白鳥初のトリ。いったいあの不可思議な新作が鈴本のお客さんに受けるのだろうかという不安があった。ところが案外、大きな拍手で迎えられ、こんなツカミでもドッと笑いが来る。行けるんじゃないだろうか、白鳥。

        「鈴本の早朝寄席に出たときですよ。終えて出てきたら、出待ちの女の子がひとり。喫茶店で話をしていたら、『私、きょう誕生日なんですよ』と言って、指輪を買わされてしまった。ローン組んで。そしたら、その子はそれ以来音信普通。微妙なプレゼントというのもある。誕生日にアパートの郵便受け開けたらブリンがひとつ入っていた。これ、プレゼントなのか嫌がらせなのか。毒入っていたら死んじゃうし・・・」 ははあ、こんなマクラを振るところをみると、アレだなと思ったら、やっぱり『ある愛の詩』だ。

        これは、ストーカーの女の子に付けまわされる若手落語家の噺。二ツ目の落語家焼肉亭小袋は、ファンだという女の子と出会う。名前はと訊くと、「山口クミ」 「気に入らない噺家を東京湾に沈めてくれそうな名前だね」 これが本当に怖い怖いストーカー。自分が作ったというおでんを無理矢理に食べさせようとアパートまで押しかけてくる。爆笑のうちにも、よく考えるとちょっと怖いストーリー。以前は演劇青年をストーカーする噺だったはずで、これを噺家に変えたことによって、ずっと良くなった。お客さんにも、よく受けている。

        秋に真打昇進したあと一度鈴本で見たが、中に挟まれてあのヘンな落語を演ると場を荒らすと思われるのを嫌ったのだろうか、漫談だけで降りて行く白鳥を見て寂しい思いがしたものだ。今、白鳥は確実に定席に合った出し物を模索しているようだ。確実に成長している。白鳥くん、期待してますよ。面白いんだもの、この人の落語は。


May.3,2002 落語好きの賑やかな夜

4月28日 『芸人勢揃いな夜』 (なかの芸能小劇場)

        様々な落語会を企画してきた[唐茄子屋]が会社組織になって、[sho−camp唐茄子屋]として再出発することになった。この夜は、その旗揚げ記念公演。何が起こるか、見る側にも、おそらく演る側にもわからないという、ちょっと怖いような会。

        幕が開くと、ズラリと並んだ噺家さんが頭を下げている。みんな座布団もなしで床にじかに正座。人数分の座布団がなかったのかなあ。そんな中に和服を着ていない男がひとり。sho−camp唐茄子屋の社長横須賀譲二だ。中央に座った柳家喬太郎が代表して挨拶。「ゴールデン・ウイーク、これだけの芸人が仕事がない」 よく見ると、ここに集まっているのは本当に若い真打、二ツ目、前座さんだ。わたしがまだ噺を聴いたことが無い、初めて顔を見る人も多い。冗談まじりの社長の挨拶に「長い!」の突っ込みがあるものの、この日のために考えてきたスピーチらしく、熱のこもった旗揚げの意思が感じられた。喬太郎はここで、新宿の高座が待っているとのことで退席。「また戻ってきます」と、慌しく楽屋へ引っ込んだ。高座の噺家さん達も、ひとりずつ挨拶をして消えて行く。さあて、これからの2時間半、何が起こるのか・・・。

馬遊、扇辰のトークショー
        一旦はけた高座に座布団が二枚。去年真打になった金原亭馬遊と、今年真打になった入船亭扇辰のトークショー。まっ、座談会。走り書きした簡単なメモから、かいつまんで書くとこんな感じ。
扇辰「今回五人の真打昇進興行。私の分はもう終わった」
馬遊「終わって、気が抜けて、寂しくない?」
扇辰「定年が来て、張りがなくなったお父さんみたい」
馬遊「披露興行でのネタは何演ったの?」
扇辰「『子ほめ』 『手紙無筆』 『寿限無』・・・・・」
馬遊「ウソだあ。もっと大ネタでしょ。お客さん入ってた?」
扇辰「土日だと、知らないで入ってきた人が多かったみたいね」
馬遊「準備、たいへんだったろうけど、一緒に昇進した五人はどう?」
扇辰「バカばっかり」
馬遊「ぼくらのときは、三太楼と駿菊が全てやってくれたから楽だった」
扇辰「去年の十人昇進のときは、十日間にひとりずつ。ひとつの寄席で一回しかできなかったんだよね」
馬遊「今年はいいよね、五人だから二回ずつ出来る。一回納得できなくても、リベンジできるでしょ」
扇辰「柳家りべんじ」(笑)
馬遊「雪辱戦ができなかったんだよね」
扇辰「それって、リベンジを日本語にしただけじゃない?」(笑)
馬遊「二日あるっていうのはうらやましい」
扇辰「緊張しましたね」
馬遊「心臓が飛び出る感じでしょ」
扇辰「見てくださいよ、今、すごくリラックスしている」

本当だあ。先月鈴本で見た扇辰は、緊張しているのが、はっきり伝わってきたものなあ。

馬遊「ぼくはね、緊張のあまり一席終えたら、腹筋が攣った。幹部の口上はどうだった?」
扇辰「文朝師匠が良かった。品があってね。立ててくれるしね。短いし」
馬遊「ジャイアンツがどうのこうのって、いつも長く演る師匠いるでしょ」
扇辰「憶えちっゃたもんね、もう」
馬遊「扇橋師匠どうだった?」
扇辰「えれえなっと思って。毎日トリの高座聴いてるんだよ。それであとでアドバイスしてくれてるの」
馬遊「新作の彦いちのことは?」
扇辰「誉めてたよ」

        一足先に真打になった馬遊が、今度昇進した扇辰に話を聞くスタイル。和気藹々としたリラックス・ムード。ちょっとここに書けない爆笑発言も飛び出し、客席は楽屋裏を覗かせてもらっているような感じだ。

ゴングショー
        芸人さんたちによる隠し芸大会のようなものが続く。柳家ごん白らの着物たたみ競争に始まって、林家久蔵の歌が凄い。タンバリンでリズムをとり「♪おねーちゃんの おっぱい 揉みたいな 触りたいな 挟みたいな 埋めたいな 偽ものなのね シリコンなのね 残念」 
続く柳家さん光は、寄席に伝わる[百面相]から、大黒様と恵比寿様。
それを受けて五街道喜助の、金原亭に伝わる(ウソでえー)[百面相]というのは、前置きが長いぞー。で、演ったのが、羽織を頭に被せて首をニュッと出して「ジャミラ!」って、ウルトラマンの怪獣ね。別にガメラでも亀でもいいんじゃなーい。オマケに中国式、ドイツ式、パレスチナ式の「隣の空き地に壁ができたね」 ううっ、書けない。
三遊亭金太は「寄席の手品を演りまーす」 グラスにビールを注ぐと、「何と、このグラスの中のビールを消してみせまーす」 はいはい、わかりました、わかりました。
そこへいくと柳家小太郎の太神楽(?)は凄いぞ。手拭いを畳んで棒状にして、鼻の上に立ててみせた。客席から大きな拍手が沸く。
三遊亭小田原丈はケン玉。小手調べの[とめケン]から、[飛行機] [世界一周]は良く見るワザだけど、[剣先すべり] [ウグイス]は初めて見た。おおっ、鮮やか鮮やか!
トホホなのが三遊亭きん歌の[透視術]。詳しくは書かないけれど、ひょっとするとこれが一番受けていたかも。
古今亭菊之丞は寄席の踊り。おお、これは上手いでないの。見なおしたね、菊之丞!
シメは寒空はだかだけど、隠し芸じゃなくて、本芸(?)の『東京タワーの歌』 うへー。

落語『悋気の独楽』入船亭扇辰
        スゴイ隠し芸大会のあとの扇辰はさすがに演りにくそう。「何、演りましょうかねえ。私に与えられた時間は十二分。『鰍沢』でも演りますか」 大きな拍手が沸く。「しかしアレはいくら短くしても二十分はかかる。どうしてもお聴きになりたい方は、な・ん・と、ロビーで私の『鰍沢』をCDにしたものが、偶然にも売っています。今一度、自分の人生を省みたい方、ヘッドホーンでお聴きになっていただければ、くらーい気持ちになれます」―――って、これ買う気になるかなあ。スッと入ったのが『悋気の独楽』だった。披露目で聴いた『ねずみ』が私にはイマイチ面白くないものだったので、この日の扇辰にはびっくりした。やはり緊張感が取れたのだろう、伸び伸びとした落語を演っている。浮気をしている旦那、そのやきもち焼きのおかみさん、あとをつけろと命じられた定吉、色っぽいお妾さん。それぞれのキャラクターが実に生き生きとしている。先日の『ねずみ』の扇辰とは別人のようなのだ。やっぱりこの人、スゲー噺家だった。

大喜利
        上野鈴本の高座を終えて駆けつけた柳家三太楼が司会で、歌彦、菊朗、きん歌、久蔵、小田原丈らによる大喜利。[やりくり川柳]では菊朗がひとりで大暴れ。先に下の句五文字を書いておいて、客席から上の句五文字を貰い、中の七文字で辻褄を合わせるというものだが、菊朗は[三太楼]という下五文字。ここに[喬太郎]というお題が出たものだから、もう字数なん無視してヨイショ。「喬太郎 来るまで繋げる 三太楼」 「喬太郎 と一緒に切磋琢磨している 三太楼」 「喬太郎 と一緒に将来は名人とうたわれるであろう 三太楼」 司会の三太楼の複雑な顔と言ったら! [あいうえお作文] これまた客席から五文字の題を貰って、ひとりずつ一文字を担当してひとつの即興で作文にするもの。[こいのぼり] 「こ・・・こういう仕事なら い・・・・・いつも素敵な三太楼あにさんも の・・・・・のんびり構えていられるが ぼ・・・・・ぼんやりしながら リーさんとお茶を飲んでいる」 なんなんだあー。二回目、「こ・・・・・コタツをしまって い・・・・・犬も外で駆け回らなくなり の・・・・・野原も駆け回らなくなり ぼ・・・・・ぼくらも駆け回らなくなり リンスもしなくなった」 まとめの位置にいる小田原丈がすっ飛んでいるのが可笑しい。

落語『笑い屋キャリー』柳家喬太郎
        新宿の出番を終えて、喬太郎が戻ってきた。ありゃりゃ、また『時そば』の出だしだ。これは、先月池袋で聴いた『杉野十平次と杉田玄蕃』かあ? と思ったが、ちょっと様子が違う。これは噂には聞いていた『笑い屋キャリー』だった。浅草演芸ホールの客席に現れた二十代のブロンド美人。彼女こそ演芸壊滅集団[鹿の穴]から放たれた刺客、笑い屋キャリーだった。彼女は毎日毎日客席に顔を出す。すると十日間の興行の初日は満員御礼の浅草演芸ホールだったが、日が経つにつれ、彼女の魔力により芸人は誰ひとりとして客に受けなくなってしまう。高座に上るたびにズタズタに切られて、ボロボロになって下りてくる。「柳家喬太郎も血を流して下りてくる。『オレの新作は、もうダメだ。明日からは古典を演ろう』 『ますますダメでしょうね』 『前座が言うなあ!』」 噺家は自信喪失。客は次第に減って行き、ついには誰もお客さんが入ってこなくなってしまう。かくて、大真打・鶴の家丹頂は、[流しモギリのおせん]さんと共に、笑い屋キャリーとの闘いに挑む・・・。実在の噺家さんを登場させたりで、かなりコアなネタだから、定席ではかけにくいかも。そこへいくと、こんな会を見に行こうなんて人にはうってつけ。なかなか出遭えなかった噺なのは、こういう理由があったんだあ。まさかこんな噺だとは思いもよらなかった。

        ハネてから、ネット仲間のちゃーりーさんとお茶。もうひとり初めて会う男の人がいて話をしていたら、この人なんと、去年CAGE`S TAVERNに『新宿3丁目で降りたのは』で書き込みをしてくれたという[ちょも]さんだと判明。書き込みを読み直してみたらURLが付いていたので、[ちょも]さんのホームページまた見てきました。最近、更新が無いみたいですけど、すっごい趣味の広い方。私も広い方だと思っていたが、この人にはかなわないかも。最近思うのだけど、[笑い]って趣味の広い人でないと理解できない要素ってあるんだろうなあと思う。喬太郎や白鳥の噺なんて、そんな典型だと思う。だから、そんな彼らが好きだっていう人は、趣味人なんだよ、きっと。


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