June.29,2002 不愉快

6月22日 『談志ひとり会 立川談志の独壇場・第2弾〜遺言〜』 (東京厚生年金会館)

        昔の話である。少年時代の私は人形町末広亭の売店の前に立っていた。本を売っている小さなコーナーがあって、その中から何か一冊、本を買おうと思っていた。本当は『円生全集』の中からどれか一冊欲しかったのだったと思う。長い時間をかけて本を選んでいる私を、売店の女性店員がジッと見つめていた。しかし、『円生全集』は高かった。当時の私の小遣いで手の届く値段ではなかった。最終的に私は立川談志の『現代落語論』を買うことにした。新書サイズのその本は値段も手頃で、しかも談志のサイン入りだった。売店の女性にこの本を差し出すと、がっかりしたような表情を浮かべ、「こんなのを読むのかい?」といったようなことを口にした記憶がある。そのころから、談志は寄席では浮いた存在だった。

        私にとって談志は、まず『笑点』の司会者として記憶されている。どこか世をすねたような毒舌の持ち主で、当時反抗期に入っていた私は談志の毒舌に影響された。文化祭の舞台で『笑点』の大喜利を真似た出し物をクラスメイトと演ったのもこの頃。台本を私が書き、司会役も当然私が演った。そこでの毒舌も談志のまんま。『現代落語論』を読んだのは、その前後だったと思う。今では本も散逸してしまい、内容もほとんど憶えていない。しかし、妙に影響されたことは事実で、「そうだ、これからの落語はこうあらねばならない」と熱くなってしまったのを憶えている。

        談志の落語をナマで聴いたのは、それからあとだったと思う。今や、談志が何処で何を演ったかも憶えておらず記憶がぷっつりと無いのだが、才気走った高座で、すっかり飲みこまれてしまったことだけは確かだ。親戚の落語好きの叔父さんと談志の評価をめぐって喧喧諤諤の論議をしたのを憶えている。叔父は談志なんて認めないと言う。私は、談志こそがこれからの落語だと言う。論議は平行線のままだった。やがて私は落語から距離を置くようになっていき、大人の階段を上り始めた。社会人になったころには談志の落語を聴きたいとはまるで思わなくなっていた。落語協会を脱退したときには、私には、いい歳をしただだっ子にしか見えなかった。ようするにお山の大将でいたいだけ。厳然とした縦社会に耐えられなくなっただけとしか写らなかった。

        近年、談志はテレビやラジオによく出るようになった。NHKで爆笑問題と一緒に出て、あいかわらず毒舌をふりまいているが、今の私には談志の発言のほとんどが耳障りでしかない。ひとりよがりで相手の気持ちなんて考えてないような気がする。日曜の朝に文化放送で演っているラジオ番組もそう。古い芸能を評価しよう、残そうという姿勢はいい。しかし、新しいものをほとんど認めない態度は、感性が衰えているとしか思えない。映画は戦後すぐのころのものしか認めないし、音楽も懐メロ一辺倒。漫画は手塚治虫を天才として評価するのみ。談志の目は、過去しか見えていない。昔のものを評価するのは貴重なこと。多いにやって欲しい。ただ、衰えた感性で、現代のものは全てダメだと言うのはやめてもらいたい。そんなことは心の中で勝手に思っていればいいこと。

        決定的に談志が嫌いになったのは、居眠りしていた客とのトラブル事件。高座で演っていて目の前で居眠りをしている客を見たら、演りにくいだろうことは想像がつく。しかし、その客を追い出すか?フツー。談志の会に来たのだから談志を聴きたくて来たのだろう。しかし人間、体調というものもある。昼間、仕事に追われて忙しい思いをし、ようやく客席に座ったところで猛烈な睡魔に襲われるということは誰にでもある。私もときどき客席で眠り込んでしまうことがある。それは仕方が無いことだ。噺家といえども客商売。あしらい方ってものがあるだろう。客を怒らせてどうする。もっと言えば、客を眠らせないだけの芸をしてみろってんだ。凄い芸を見せられたら眠ってなんていられないって。

        嫌いなら見に行かなければいいじゃないかといわれそうだが、どうしても今の談志のナマの落語を確かめてみたくなった。前売り当日、ぴあステーションの前に立った。発売直後だというのに、もう一階席は売り切れだと言う。「二階席でもいいですから」と言うと、二階席の後ろの方を発券された。二千人規模の会場が即完売。凄いことである。

        高座が遥か遠くに見える座席に腰を落とす。座席にパンフレットのようなものが置かれている。中には、別に演目が書かれているわけでもない。談志からのメッセージのようなものが印刷されている。少々長いので後半部分だけを書き出してみる。

「こんな大きな会場で売り出しと同時に完売となる奴が他に居るか、である。なら、長ぇの短ぇの、文句だ、云い訳だ、と御託を並べても始まらない。いや、もう始まった、幕が開くのである。家元いう如く『現実は事実である』と決めた世の中だ、大人数だろうが小人数だろうが、さあ来い、さあ来い、やってやる。出来、不出来は時の運。『猫の災難』ならぬ『客の災難』なんざァ知るもんか。人生成り行き、風まかせ。南が吹くか、西南となるか、又は嵐か凪かいな。”落語を演ろう“なんて思うから不可ねぇンだ。落語立川流家元立川談志、つまりこの俺様が出るンだ。それでいい”文句があるなら帰ンな“である。・・・あのネ、解るよネ、俺の気持。これ以上書かない・・・。」

        読まなきゃよかった。ドッと疲れが出てくる。これを書いている談志の腹積もりが見えてくるようだ。ちょっと私なりの分析を加えてみるとこうなる。
「こんな大きな会場で売り出しと同時に完売となる奴が他に居るか、である。」
(即完売となった自慢。客に感謝するのではなく、自慢にするところが談志らしい嫌らしさ)
「なら、長ぇの短けぇの、文句だ、云い訳だ、と御託を並べても始まらない。いや、もう始まった、幕が開くのである。」
(そのとおり。云い訳だの御託だの並べても始まらないのだよ。なら、こんなもの書かなけりゃいい)
「家元いう如く「現実は事実である」と決めた世の中だ、」
(たいそうな事を言っているように聞こえるがあたりまえの事)
「大人数だろうが、小人数だろうが、さあ来い、さあ来い、やってやる」
(それでもある程度のプレッシャーがあるのか気合を入れているように見える。それに見合っただけのものを見せてもらおうじゃないかと思うのだが、次の文章である。)
「出来、不出来は時の運」
(時の運もあろうが、やっぱりほとんどは実力じゃないのか?)
「「猫の災難」ならぬ「客の災難」なんざァ知るもんか」
(うまくいかなかったらという事態になっても知るもんかという突き放し。用意周到である)
「人生成り行き、風まかせ。南が吹くか、西北となるか、又は嵐か凪かいな」
(美文調での自分の飾り立て。いやしい文章だ)
「“落語を演ろう”なんと思うから不可ねぇンだ。落語立川流家元立川談志、つまりこの俺様が出るンだ。」
(ええっ! 落語を演るわけではないの? そういえば落語会だとはどこにも書いてない。でも、そりゃあないぜ)
「それでいい“文句があるなら帰ンな”である。」
(あーあー、ここまで来て帰れるものでもない。本当にこの会は落語会ではないのか? さらなる用意周到なメッセージを用意したように思える。つまり何をやっても、できがどうだろうと、どこからも文句を言わせないようにしている。さらにだ、)
「・・・あのネ、解るよネ、俺の気持ち。これ以上書かない・・・」
(今まで書いてきたことを、さらに周到にはぐらかしてみせる。これを読んだ談志ファンに甘え、おもねってみせる。)
        読んでいて、とても不愉快になった。このチラシのようなものを渡したのはどんな意味があるというのだろう。それこそ、御託はいいから、談志の落語をキッチリと聴かせて欲しいと思う。いかんいかん、気を落ちつけて談志の高座を見よう。先入観はいけない。

        幕が開くと、即談志が出てきた。二階席の上の方では豆粒のようにしか見えない。と、突然談志はコロンと横にひっくり返ってみせる。これに何の意味があるのかわからないが、客席からは笑いが起こる。本人も機嫌がいいようだが、喋り出した声がよく聞こえない。「(後ろの方の人)聞こえますかー?」と談志が言うと、「聞こえるよー」の声に混じって「聞こえないよー」の声もある。「えっ、聞こえない?」 「聞こえないよー」 「じゃあ、聞こえてるんじゃないか」 聞こえないというよりは、聴きずらいといった感じ。マイクでの音声を嫌うのかマイクが談志から遠い位置にある。「でも聞こえてるから今日のオレがあるんだよ。聞こえなければ聞こえないでそれでいいの。聞こえない日もあった、というそれだけの話」 うーん、そう言われてもなあ。それに談志自身が言うように音が響いて聞き苦しい。

        「人間というのは死滅すべき動物だったのだが、知性というものがあって生き長らえてしまった。ところが、人間って知性ではなく好奇心だけだったんだね。動物ってのは元来不精なんだ。つまり動物は不精だから好奇心が無い。人間は次から次へと好奇心が沸く。好奇心を止めるのは恐怖心しかない。それがあるかぎり文明はどうにもならない」という文化論が始まる。この好奇心を食べ物、セックスを例にあげてわかりやすくユーモラスに解いていく。なあるほどなあと感心してしまった。

        続いて唐突に小噺を何本か始めた。例えばこんなの。「橋の上で男が、『二十一、二十一、二十一・・・・・』と呟いている。なんだと思ってある男がその男の側に行くと、川の中に投げ込まれてしまった。『二十二』」 丁寧に語るというより、ぶっきらぼうに並べて行く感じ。それが談志の持ち味といえば持ち味なのかもしれない。ただ、もったいないと思うのだ。小噺を紹介するだけなら別に噺家が演らなくてもいい。そこをどう聴かせていくかが噺家の芸であろう。さん喬師でも聴いた小噺をやっていた。ある男がひとりでバーにやってきて、毎回ショットグラスに2杯のウイスキーを注文する。お代わりをするというのではなく、一度に二つのショットグラスのウイスキーを注文するという小噺である。この噺はいささか状況を説明するのに時間がかかる。バーテンダーと客のやり取りを細かく描写しておいて、「あっ」というオチに繋がるのだが、談志のは早くオチに持っていきたいのか、噺を急ぐ。丁寧に語らないから、味も何も無い。私はこのオチを知っているから、そこへ持っていく過程を楽しみたいのに、談志の語りは状況の説明だけで持って行ってしまう。この小噺、本当によく出来ているのだから、意外性のオチと共に、ドッと笑いがこなければいけないのに、二千人ものお客さんの割には笑いが少ない。

        一席目、『短命』が始まる。ネタに入るとさすがである。立て板に水のごとくの談志調だ。隠居と八っつぁんの会話がスピードを展開していく。ポンポンポンと取り交わされるこの部分は爽快である。伊勢屋の旦那に世話になった話から、その一人娘に婿が来た。娘は器量よしで、婿は役者にしたいくらいのいい男。この若夫婦が始終一緒の仲のよさという八っつぁんの説明は気持ちがいい。「あっしは庭から仕事しながら見てたんですがね。めしを食うときだってふたりっきり。女中が支度をするだけ支度をすると・・・」 ここで突然詰まってしまう。「あれ? ちょっと落語間違えて演ってねえか? (客に)間違えてない? 間違えてないか。間違えてないのに間違えていると思うのはどういうことだ? と、ハナから今までのところをブツブツとサラってみせる。よかったんだと元に戻る。

        ちょっと談志に集中力が無くなってきているようだ。このあとも途中で噺を切って、客席に知った顔があったらしく、私には意味不明の事を言い出す。居眠りをしている人がいたので噺に集中できずに追い出したというならまだしも、知り合いの人間を見たからといって集中力を無くして噺を切られてしまっては、こっちの集中力まで無くなってしまう。

       仲入りが入って二席目。「あれをやろう、これをやろう、いろいろ考えたあげくが、何もしなかったんですがね。私くらいの年齢になると、肉体と精神が遊離しはじめるんです。もともと精神と肉体は仲がいいもんじゃない。仲よくしてないともたないからしているだけ。『勉強するから徹夜しろ』って精神が言って、肉体は眠いんだけど我慢してつきあってた。。それが、精神はせっつくが、肉体はイヤだとなってくるんですね」 やっぱり歳なんだなあ、談志も。

        精神病のジョークを立て続けに演ってみせて、最近談志が凝っているというイリュージョン小噺を演ってみせる。「飼ってたキリンどうしたい?」 「トックリセーター着るのがイヤだって家出した」 「山手線に乗ってたったさ」 「定期券持ってたかな?」 「なんでも今、宮内庁にいるらしいよ」 笑いがこない。なんだか即席に作っているようなのだが、この面白さは、うーん、わからん。

        「寝ているときと起きている時の間を寝ぼけてるって言うでしょ。私、寝ぼけてる状況にずっといるんですよ。そうすると常識で作ったウソが見えてきちゃう。私が平気で壁突き抜けて向こうへ行っちゃう。向こうから来る奴もいて、話したりする。『どうだい、壁の向こうは?』 『知らない』なんて言う。こういう白昼夢を見ることがある。向こうに行きかけて戻るんです。怖いから。ウソついてるんです。だからそのウソを隠すために傲慢になったり、その裏返しでシャイになったりする」 どこか本音が覗くこんな喋りに、談志の本質が見えるような気がしてくる。

        突然に客席から携帯電話のベルが鳴る。「電話だよー」と教えておいて、「こっち(高座)にも電話があったらおもしろいだろうなあ。『ええ、お笑いを一席』 『ジリジリジリ』 『おお、今高座。厚生年金ホールいっぱい入ってる。あんまり受けねえ』」

        「野球の選手だったら球が飛ばなくなったとか、相撲だったら勝てなくなったとかあるけど、落語の場合どこで辞めていいのかわからない。余力のあるうちに辞めるという見方もあるけれど、それに自分が耐えられるか? まだできるのに辞められるものなのか。ロレっちゃったらどうにもならない。でもね、私の場合まだ、落語に対していろいろな思いがある。死んだ小さん師匠にはそれが無かったんだと思う。三十代か四十代でこしらえちゃったものを、ただ演ってるだけだからね。落語に対する思いなんて何もないでしょう。何があったのかね。あとはせいぜい食い物ぐらいだったでしょう。そういう人ですよ。その程度の人だったわけです」 そこまで言うのか。若くして自分の芸を完成してしまった小さん。六十代になってもまだ迷っている談志。どちらがいいかは、私には言えない。ただ、私には、小さんは[その程度の人]ではなく、[それほどの人]なのだ。

        「志ん朝や小さんは落語という作品を演ってたんだ。そこへいくと我輩は、落語というものを通して自分を喋っている。俺の方が受けたと思ってたんです。ところが聴く人の方では『大きなお世話』だと。『へんな理屈こねたりする奴の落語よりも、志ん朝の方が楽しくていいよ。お前みたいに人間性がどうのこうの言うのよりよっぽどいいよ。俺は好きだから聴いてるんだ』と言われたら一言もないですよね。でも内容的には違うだろうと思いつつ生きているだけなんですけどね」と、ひとつの決意を表明して『らくだ』に入った。

        この『らくだ』は悪くなかった。いわば談志に合っている落語だろう。凄みのある[らくだ]の兄貴分がうまく出ている。酒を呑まされて豹変していく過程のくず屋もいい。「落語を通して自分を語っている」という意味が当てはまるのかどうかはわからないが、ここに出てくる人物たちは、全て談志の分身のようだ。くず屋、らくだの兄貴分、長屋の月番、大家、漬物屋。みんな談志が顔を出す。これはこれでいいと思う。こういう落語もありだ。ただ、みんおんなじといえばみんなおんなじ。くず屋が使いに出されて行く先の月番も大家も漬物屋も演じ分けが出来ていない。みんなおんなじ一本調子になってしまう。それはみんな談志を通しての人物だから。『らくだ』を始める前に、談志は一人称の落語の方が演りやすいんだという意味のことを言った。それはおそらく地話のことを言ったのであろうが、こういう普通の噺も、よく聴いていると、談志の一人称噺のように聞こえて来る。

        一時間近い長講となり、気合の入った『らくだ』になった。ただ、この『らくだ』を良かったか悪かったは、受け取る側によって違うだろう。私は談志という話し手がやっぱりどことなく気に入らないのだろう。登場人物が全て談志しか出てこないこの方法論は、私には向かないのだと思う。聴いていて、うまいとは思うのだが、どんどんと不愉快になっていく落語なのだ。

        くず屋が酔っ払って、立場が逆転してしまうところで幕。再び幕が上がって行く。本来はこのあとの部分があると、ざっとこのあとのストーリーを語り、自分独自のオチまで披露してみせた。この後半の部分、私は談志で以前聴いた記憶がある。どちらかというと、私はこの後半部分の方が好きだった。『らくだ』に入る前に三十分ものマクラ(談志にいわせると与太話だそうだが)をふるなら、ここまでキッチリ演って欲しかったというのが正直な気持ち。

        満場の客から拍手が送られる。談志がニコニコと笑っている。これでいいのだろうか、談志。あの『短命』の出来と、『らくだ』はそんなに満足のいくものだったのか? これを遺言と称していいのか? 

        なんだか談志を拝め奉る集会に参加しているようなイヤな気分になった。ホールを出て、夜の街をあてもなく歩き回った。今まで聴いていた落語を頭の中で反芻すればするほど、不愉快になってくる。その不愉快感は、やがて不機嫌という状態になっていった。落語を聴きに来て不機嫌になるのでは何の意味もないではないか。ようするに、今の私と、今の談志は噛合わないのだと納得した。もう二度と談志を見るのは止めよう。あばよ、談志。


June.22,2002 杢兵衛のモノローグ

6月16日 新宿末広亭六月中席夜の部

        ムシムシとする梅雨がやってきた。末広亭に入ると、ムッとする暑さ。冷房はまだ入れてないらしい。もっとも、ここの冷房はきついので、入っていたら入っていたで辛いのだ。入場できたのが六時二十分。夜の部の番組ももう大分進んでいる。小走りでやってきたから体が熱かったのだろう。

        高座では三遊亭左遊が『釜どろ』を演っている最中。釜専門に盗んで行く泥棒に対抗して、釜の中に隠れていて、泥棒が来たら捕まえてやろうとする豆腐屋のオヤジさん。釜の中に入ったら、蚊がプーンと飛んでくる。手でパンと叩いて蚊を潰すと、手を叩く音にエコーがかかる。「おや、響くね」と歌を歌い出すのだが、その歌がなんで『君が代』なんだあ? 「今度からカラオケに行く必要ないわ」って、♪はは、呑気だねー・・・。もっともこの釜を盗み出す二人組の泥棒も呑気。釜を担いで、「こうやって毎日釜を担いでいるせいか、足が丈夫になっちゃったね。これじゃあ国民健康保険に入るんじゃなかった」 「あそこに入っていると、いろいろと安く泊まれる施設なんかもあるんだよ。どうだい、今度みんなで行こうじゃないか」 泥棒さんも呑気だねー。

        「♪めでためでたーあーのー わかーまーつ さーあーまーよー」 陽気に『花笠音頭』から入った俗曲の春風亭美由紀。さのさづくしの三連発。『花づくし』に『水づくし』に『嘘づくし』だって。『嘘づくし』なんて色っぽそうだなあと耳を傾けたら、「♪センセのつく嘘 いじめはありません お医者のつく嘘 切れば治ります 政治家のつく嘘 国民のために頑張ります 芸能人のつく嘘 彼とは何もありません」 なあんだ、そんなのかあ。最後は立ちあがって、「モーニング娘。も顔負けの華麗な舞」だと本人が言う『かっぽれ』。うーん、モー娘にも『かっぽれ』を踊らせてみたいなあ。

        ちょっと眠くなるような三笑亭夢楽の『一目上り』を聴きながら、扇子でパタパタやっているうちに汗が引き、気分が良くなってきた。それにしても、夢楽ももう七十七歳かあ。どうしてこうも静かな落語になっちゃったんだろう。淀みなく喋るのだが、これじゃあ今のお客さん、寝ちゃうよ。

        昔々亭桃太郎がいつもの「船の映画が流行っていて、まだやっていますね」って焚いた肉→タイタニックに繋がる小噺演ってる。もうそんな映画やってないぞー。いつまでこのネタ演るつもりなんだろう。湯呑茶碗で笑わせたあとは、政治家に関する漫談。「小泉首相。オペラやサッカーや歌舞伎、寄席行くならともかく、娯楽ばっかり行ってね。冷たい奴だ。金のないときなんて貸してくれそうもないでしょ。野中広務とか鈴木宗男の方が金貸してくれそうでしょ。ここで今日、いくら貰えると思ってる!? ここに来るのに息子の定期借りて来ているんだから。学割定期だから入れると赤いランプが点く。手で隠しながら通るんだから」 こらこら。

        仲入り後は春風亭柏枝の『たらちね』から。言葉が丁寧すぎる嫁さんが来るというので、いろいろと想像をたくましくする八っつあん。「どんな起こし方するかなあ。『あの、もし、あなた』なんてね」 これが「あーら我が君」だもんね。普通想像つかないよね。

        アコーディオン、三味線、ウクレレという音楽的にいうとかなりヘンな楽器構成の東京ボーイズ。それでもコミックバンドではなく、ボーイズというククリをしたならば、今まであったボーイズの中では私は一番好きな人たちだ。現在、東京の寄席に出ているボーイズは彼らだけ。だいたいメニューは決まってきてしまっているのだが、いつも可笑しいんだ。三味線の八郎さんが、アコーディオンでリーダーの五郎さんが歌う歌をメドレーで紹介するいつものネタ。「何だ、みんな死んじゃった人の歌ばっかりじゃないかよー」の中に村田英雄の名前が早くも加えられていた。三味線の六郎さんは日本人離れした顔立ち。八郎さんの紹介も「フィリピンの運び屋」 「タリバンの逃亡兵」って何だか当っているようなのが可笑しいんだよね。今回加わったのが、「東京ボーイズのカメルーン。待ち合わせの時間の来ない」 これって、ワールドカップの今の時期だからわかるんで、今に何の事だかわからなくなるだろうなあ。「日本に敗れた記念。ロシア民謡『カチューシャ』」も同様。いつも同じようなのだけど、八郎さんの入れるアドリブでいつも新鮮な気がする。

        三笑亭茶楽は『宮戸川』だったのだが、これは驚いた。私にとってこの噺はあくまで半ちゃんと花ちゃん噺であって、霊岸島の叔父さん夫婦の噺は邪魔だと思っていた。ところが茶楽のは、この叔父さん夫婦の部分がいいのだ。若い演じ手には、この夫婦の感じがまだ出せないのかもしれない。そこへいくともう六十になろうという茶楽は上手い。霊岸島の叔父さんの独り言が実に味があるのだ。隣で寝ている連れ合いの寝姿を見て「朝、光を当てると蘇生しようというんだね。粗製乱暴って、こういう寝方だね。頭があったところに足が行ってたと思ったら、また元に戻ってる。グルグル回ってるんだね、こりゃ。セコンドハバアってんだ、これは。昔は寝相見るとムラムラしたものだ。今は寝相見るとムカムカする」 かといって半ちゃんと花ちゃんの部分も悪くないのだ。ふたりだけになって気まずいふたり。花ちゃんが「何か話をしてよ」と言うと、半ちゃん「・・・・・・・・・・いよいよ、あさってはトルコ戦だね」 はいはい、ワールドカップ期間、本日限定のクスグリね。

        三笑亭笑三がなんと『桃太郎』を英語で始めた。「オールド イヤー。ベリー オールド イヤー。グランドパパ マウンテン シバカーリ。グランドママ リバー ジャブジャブランドリー。ビッグピーチ ドンブラコドンブラコ・・・・・」 本当に通じるかなあ、これ。あとは漫談だけで引っ込んじゃった。

        ひざがわりは北見マキの奇術。手の中から花やスカーフやコインがフワーっと出現する。その鮮やかさといったらため息もの。まるでスパイダーマンが手から出す糸のようだ。

        トリが三遊亭円輔。「『外務省、なんでもかんでも水増しだ』って、駅前の飲み屋で一杯やりながら話していたら、酒が水っぽい。『ねえさん、これ、何て酒?』って訊いたら、『清酒 外務省』」 マクラとは関係なく『お見立て』へ。田舎者の杢兵衛が大嫌いな花魁の喜瀬川、死んだということにしてくれと若い衆に頼む。「死因は何にしましょう?」 「なんだっていいよ」 「それじゃあ、花魁は気が狂って包丁で咽喉を突いて死んだということに・・・・・」 「やだよう、そんなの」 「それじゃあ、コレラで・・・・・腸チフスで」 色気ねえの。墓参りに行くという杢兵衛を連れて、適当な墓の前に行くと、杢兵衛のモノローグが始まる。これが長い。夜中に目を醒ましたときに水が欲しいと言うと、喜瀬川が水を汲んで飲ませてくれたという。「喜瀬川がいれてくれたかと思うと、うまい気がした」と涙声。夜中に腹が減ったと言えば、夜中に腹に溜まるものは毒だからと、雑炊をマメマメしく作って食べさせてくれたというエピソードをしみじみと語っていく。こっちも思わず杢兵衛さんの言葉にしんみりと聴き込んでしまった。えーっ、ひょっとして喜瀬川花魁は、杢兵衛の旦那をそんなに悪く思っていなかったんじゃないかなあと思えてくる。それとも、あくまでそれは花魁の手練手管だったのか。女って恐いね。


June.16,2002 終演のベルはまだ鳴らない

6月15日 浅草演芸ホール六月中席夜の部

        浅草の場外馬券売り場から、たくさんの人が出てくる。最終レースが終わったらしい。浮かない顔をしている人が多いのは、きょうもまたやられたのかな? 人ごみに揉まれながら歩く。右手にストリップ劇場のロック座、左手に浅草東宝。さらに歩くと大衆演劇の小屋として最近復活した大勝館。急げ急げ、もう浅草演芸ホールの夜の部は始まっているころだ。

        チケットを買って中に入ると、前座さんの大きな声が聞こえる。お客さんもまだ前座の高座だというのに、よく笑っている。ははあ、これは三遊亭かぬうだな。ちょうど、かぬうが一席終えて楽屋に下がるところで客席へ。あいかわらず浅草のお客さんは笑いが多い。芸人さんも演りやすいに違いない。

        三遊亭小田原丈が、いつものピンクの着物を着て出てくる。救急車を呼んだ体験談から、『必殺指圧人』(?)へ。死にかけているおじいちゃんの元にやってきたのは、ネパールの山奥で三日間修行したという指圧師。頭のツボに針を刺すと、これが時報のツボ。おじいちゃん、病気は治らないが時を知らせる時計になってしまう。実はこの指圧師、裏の家業は殺し屋だという。。恨みがある相手がいるなら、みんな針で時計にしてやる―――って、それじゃあ、おじいちゃんにやったのとおんなじじゃないかー。途方も無い噺なんだけど、浅草のお客さん、よく笑うなあ。

        ほほう、三遊亭らん丈は古典かあ。『真田小僧』だ。小遣いをねだる子供が父親に、父親が留守の間に母親が男を家に入れたという話を始める。障子に穴を開けて見てみると、母親が布団を敷いて横になっている。「おっかあの白いうなじがまぶしかった」―――って、この子いくつだあ? 「そしたらね、そのおじちゃん、おっかあのこと触ってね、おっかあが『気持ちいいー、気持ちいいー』って」 「くそー、オレのときだって、そんなこと言ったことない」 まんまと騙されて、お金を巻き上げられた父親、「こないだも、同じ話で騙された」―――って、懲りないオヤジだねえ。

        古今亭志ん輔が浪曲と落語の違いを説明している。一節、浪曲を唸ってみせると大きな拍手だ。そこから『夕立勘五郎』に入る。浪曲を演っている寄席に行ってみると、赤沢熊蔵なる浪曲師が出てくる。これがひどいズーズー弁の浪曲師。侠客・夕立勘五郎の一席を唸ってみせるのだが、とても浪曲とは思えないヘンテコなしろもの。これがもう、文字には表せない爆笑ものの面白さ。ゲタゲタと笑い転げてしまった。この噺に出会えた私は超ラッキーだったと言うしかない。信州ヘッコロ谷出身の赤沢熊蔵をまた聴いてみたいぞ!

        松旭斎菊代のマジック。いつもの、ヘンなカードマジック。ひっくり返すたびに、1、6、3、4と変化する。あっさり種明かしして、名前入りのカードを客席に飛ばすのもいつもどおり。練習と称してお客さんに演らせて、自分では(ほんものの)3とか8なんて、絶対にお客さんに配ったカードでは出せないカードを出してみせて煙に巻く。相変わらず鮮やかだなあ。

        五街道雲助が出てきたところでお腹が空いてきたので弁当にしようかと、松屋で買ってきたコロッケ弁当を広げようとしたら、ありゃりゃ、始めたネタが『勘定板』。うへー、汚ねえ噺が始まっちゃったあと、また袋に戻す。

        津軽三味線の大田家元九郎もいつものメニュー。国際旅行博覧会で披露したという(ウソでえ)韓国の『アリラン』、ペルーの『コンドルは飛んでいく』(バチでのトレモロが見事!)、アルゼンチンの『ラ・クンパルシータ』(客席から「上手い!」の声が飛ぶ)、ビートルズの『イエスタディ』(しょぼい)、ベンチャーズの『パイプライン』。シメの『禁じられた遊び』が入るじょんがらを弾き終えたところで、客席からは指笛ピーピーも交えたヤンヤの喝采。

        柳家小ゑんは『実在OL』。ファックスを物質転送機と勘違いして、「何回入れても戻ってきちゃう」と、何度も入れ直しているOL。「コピーをB3でとってくれ」と言われると地下3階の駐車場まで行くOL。いそうだよなあ。

        春風亭一朝がいつもの、彦六の逸話を始めた。餅、片足の痛み、アーモンドチョコ。もう聞き飽きたなあと思うのだが、何回聴いても笑ってしまう。また、浅草のお客さんはよく笑うんだ。安心して弁当を食べ始めたら、『小言念仏』に入った。「ナムアミダブ ナミアミダブ・・・・・・ あーあー、どうも臭いと思ったら、赤ん坊がやっちゃったよ。新聞紙持って来ーい! ほら、そこにまだひとつ落っこちてるよ! 踏むんじゃないぞー!」 うぐぐ。

        小野栄一が出てくると、「懐かしいー」のオバサンの声がかかる。「私を知ってる? 昔、テレビ週四本レギュラー持ってました・・・。そんな過去の栄光の話、止めましょう・・・」と、まずは森繁久弥。「小さん師匠の葬儀にもいらしていました。『今度は私の(死ぬ)番だ』って言ってましたが、死ぬもんですか。しぶといもんね」 小野栄一が、また「みんな歌ってね」と言うものだから、オバチャンたちがここでも『知床旅情』の大合唱。

        桂文朝は『つる』。自分のことを先生と呼ばせ、自分以外ものを愚者と呼ばわる隠居。なぜ[つる]という名前がついたのかという問いに、あれは、元は首長鳥といったと、いいかげんな講釈をたれる。この隠居のどこか傲慢な態度が可笑しい。それを聞かされた男が余所で聞かせてやろうとするものの、この男、物憶えが悪い。何回教えられても憶えられない。この人物造形がこれまた飛びきり可笑しい。「白髪の老人が、はるか沖を眺めていた・・・・・、そんなところ見てなけりゃいいのによ、ちきしょう!」

        仲入り後は、三遊亭白鳥から。「うちの田舎に牛丼屋が一軒ありまして、狂牛病が起こってから、ますます客が来なくなっちゃった。そこで貼り出したポスターが[ウチの牛丼は牛肉を使っておりません]」 うそだろう? この日もネタに入らず漫談だけ。ネタを演るのはトリのときだけと決めているのだろうか?

        ふじゆきえ・はなこの手話漫才。スピードが早過ぎる今の漫才には食傷気味ではあるが、これだけテンポの遅い漫才というのもいまどき珍しい。「はい、この形、何を意味していると思いますか? これでお手洗いなんですよ。中指、薬指、小指を立ててWの形。親指と人差し指でCの形。このまま親指と人差し指をくっつけちゃうと、OK。でも日本ではお金の意味になっちゃうんですね」 うーん、勉強になるなあ。こうやって、つぎつぎと手話を教えてくれる。ちょっとした勉強会のような静かな漫才。

        桂南喬は法事の席で一席やったというマクラを始めた。「四十九日の法要。納骨が済んだすぐあとですよ。しかも未亡人からのリクエストで、『野ざらし』を演ってくれって。『夫が好きな噺でした』って言われてねえ。目の前で未亡人が遺影の入った額を持って聴いているんですよ。やがて涙がボロボロ出てきて絶叫しはじめた。『おとうさーん、聴いてるー!? 面白いね―!』」 凄いマクラ聴いちゃったなあと思っているうちに『短命』へ。「差し向かいで食事なんてものじゃないよ。旦那にベッタリくっついちゃって、まるでダンプに引かれたプードルみたい」ってシナをつくって、しなだれかかるポーズ。そんなことされちゃあ、確かに短命だよなあ。

        「飲酒運転、今度から罰金三十万円になったの知ってますか?」 古今亭志ん駒が客席に問いかけると、「知ってるよー、六月一日から罰金三十万円だよ!」と野太い男の人の声。「今度から飲酒運転を発見すると、大きなスピーカーを乗せたパトカーから、美空ひばりのカラオケが流れる。 ♪ちょいとお待ちよその車 飲酒運転三十万」 海上自衛隊時代の話、志ん生の話、座右の銘の話などのいつもの漫談。客席を巻き込むようなこの人の強引ともいえる話術は、いつも感心してしまう。

        「きのうのサッカーの試合(ワールドカツプ日本対チュニジア戦)、この人ったら涙ながしながら見てたんですよ」 「男って感動屋なんだよ」 「この人って、二回も親からカンドウされたんですよ」 大空遊平・かほりがあいかわらず飛ばしている。ゆきえはなこを見たあとだと、ますますスピード感が感じられる。

        赤ちゃんは十月十日(とつきとおか)で生まれると聞いた小学生。「最近の子はマセてますなあ。十月九日生まれの子に付けられたあだ名が、大晦日。じゃあ、十月十日生まれの子はと言いますと、元旦・・・・・だと思うでしょ。これが、姫はじめ」 鈴々舎馬桜は漫談だけして、『ぎっちょんちょん』の当てぶり踊り。

        ペペ桜井もいつものメニューだなあと思っていたら、最後にハーモニカをホルダーに付けて持ってきた。「ギターを弾いて、ハーモニカを吹き、なおかつ歌が歌えないだろうかと思い演ってみました」と、『若者たち』を演り始めた。・・・・・うーん、これはやっぱり無理があるなあ。「当人は井上陽水か吉田拓郎のつもりなんですが・・・・・。ハーモニカを吹きながら歌を歌うのは、欠点がひとつ。何を歌っているのかわからない」 なあんだ、本人も気がついているんじゃないの。

        トリは三遊亭円丈。「ワールドカツプのサッカーのサポーター、熱狂的ですね。ああいうのを寄席のお客さんにやられると困る。『行けー! 速攻だー! ギャグ決めろー! ああ、外した』」 「ワールドカップ小噺というのを作ってみましたが・・・・・つまんないですよ。ほんと、期待しないでくださいね。ヘディング小噺なんですがね。(カミシモに切って、ヘディングしながら)『早く上がれー!』 『上がれません、オフサイドですから』」 面白いぞー。オフサイドというルールを知らない人にはわからないというのが致命的なんだけどね。ネタは先月も池袋で聴いた『悲しみは埼玉へ向けて』。「北千住の先が小菅です。ここには小菅の拘置所がある。一流の政治家はみんな入る。スズキムネオさんが、そろそろ入る。掃除は済んで、名札は付いている」 かもね。東武線の始発駅のある浅草という土地柄もあってか、お客さんにガンガン受けている。何回も挿入される「十九時四十三分発、準急新栃木行きの発車のベルはまだ鳴らない」という一節も、みんな憶えちゃって一緒に口にしている。

        哀愁を漂わせた『悲しみは埼玉へ向けて』が終わり、幕が下りていく。お客さんがゾロゾロと出ていく。この中にも、これから東武線浅草駅に向う人も多いんだろうなあ。


June.15,2002 出でよ、新世代の漫才!

6月9日 横浜ビタミン寄席 (横浜にぎわい座)

        ワールドカップ、日本対ロシア戦当日の地元横浜。日本代表選手のブルーのユニフォームを着た人たちが街中に溢れている。オープン間も無い横浜にぎわい座、桜木町の駅に降りたまではよかったが、さて、どちらに歩いていったらいいのかわからない。駅の壁に貼ってある地図にも載っていなかった。こういうときは本屋に飛び込むに限る。駅構内の本屋に行って最新の横浜のガイドブックを開く。出ていました。なあーんだ、駅のすぐ近くじゃないの。開演時間には余裕で到着。にぎわい座の外観を眺めていると、客引きの女性が「もう開場していますから、お早くどうぞ」と急き立てる。当日券をアテにしてきた私だから、満員になってしまうとちょっとまずい。慌ててビルの中に入る。当日券を買って客席に入ってみれば、あら、ガラガラ。どうもヘンだと思ったんだよ。この日はそんなに人気になる番組じゃないと思ってたから。

        ブレイク前の若い漫才コンビ9組が出て、その日の優勝者を三人の審査員が決めるというもの。後半、審査の最中にベテランが三組、ゲストとして出るという構成。上手、桟敷席に三人の審査員が座っている。9組の高座をクスリとも笑わずに睨むように見ている。厳正なる審査のために真剣に見ているらしい。ごくろうさま。もっとも、やはりまだこの9組の漫才は未熟だっと言えるかもしれない。正直言って私もあまり笑えなかったし、メモを見直してみても何が可笑しかったのか思い出せない。

        カミングという、やたらに騒々しい漫才コンビが司会。声がでかい上にマイクを使うから、その声は耳障り。このくらいならマイクはいらない。客のテンションを上げようということらしい。ご苦労様。三組づつ続けて出て、その三組について審査員がコメントする。

[ブックセンター]
喫煙マナーに関するネタから、女の子のコントへ。
[コア]
『ドラゴンボール』をハリウッドが実写で映画化しようとしているという話題から、『サザエさん』をハリウッドで実写映画化したらどうなるかというネタ。
[じゃけん]
女子高生の電車内での化粧、携帯電話のネタ。
[デカスロン]
『フランダースの犬』から、助け合いというテーマで、病気、借金取り、海で溺れたときに、どうやって助けるかというネタ。
[ナイスミドル]
金のかからないデート術
[ケルンファロット]
犬の鳴き声の翻訳機から、文字情報テレビのネタへ。
[パー&ナー]
女性の2人組漫才。ランドセルに黄色い帽子の小学生の格好をしての小学生漫才。
[かくれんぼ]
実生活から生まれたらしい一人暮しのネタ。新聞勧誘員、隣のピアノの音など。
[三拍子]
ふたり漫才だが、なぜかこんな名前のコンビ。漫才というよりは、自転車泥棒を街で取り調べる警官のコントに近いネタ。

        ひとつひとつのネタを具体的に紹介したいところなのだが、メモにはほとんど何も残っていない。それほど、これぞと思われる笑いが無かったのだと思う。審査員が口々に言うのは、「いくら自分が面白いと思っても、客が笑わなければいけない。客層を見て、ネタを合わせなければいけない。お客さんと楽しむくらいでなければ」ということ。でもまだ、そんな余裕は無いんだろうなあ。

        なぜこんなものを見に来たかというと、ゲストの三組が見たかったから。号泣というコンビは『爆笑オンエアバトル』で見て、面白いと思ったので一度、ナマを見たかったのだ。[号泣のかっこいい方へ]というファンレターが届いたことから、ふたりが「絶対にオレの方がモテるって」と言い合うネタ。「子供が生まれたら、三人で野球をするんだ。オレがバッターで、おかあさんがキャッチャー。子供にはピッチャーをやらせる。子供の投げた玉をホームラン」 「可哀想じゃないか」 「人生の厳しさを教えてあげるんだ」 「オレだったら、オレがバッター。おかあさんはキャッチャー兼審判。子供も審判」 「審判ばっかりじゃないか」 「おかあさん、『ボールが来ないわねえ』なんて言って」 さすがに上手い。今までに出た9組とはやはり雲泥の差がある。落ちついて聴いていられる安心感がある。この程度のレベルにまでなるというのは、けっこうたいへんなんだろうなあ。

        長井秀和も『爆笑オンエアバトル』で見て気になっていたひとり。テレビでもきわどいネタで勝負していたのだが、やはりあれは放送できるギリギリのネタだったのがわかった。それほどこの人のナマはヤバイ。残念だが、この日に彼が喋ったことはここには何も書けない。文きり調の独特のテンポで次々のぶつけられるネタは、毒がいっぱい。たけしだって、こんなに毒のあることは言わなかったのではないだろうかと思うほど。特にエロいネタをこんなに持っているとは思わなかった。爆笑するタイプのものではなく、うふふ、うふふ、と、思わずイケナイ笑いを浮かべてしまう快感がある。秘密クラブでこっそりヤバイのを聴いている感じ。こういうのも好きなんだよな、実は。

        北京ゲンジはオフィス北野所属の漫才コンビ。テレビをあまり見ない私は、なんとなく存在を知っていたものの見るのはほとんど初めて。漫才のネタを聴くのはもちろん初めてということになる。芸能人カツラ疑惑として、カツラをしている人を実名でバラしていく最初の部分はちょっとイヤだったが、号泣よりもさらにゆっくりとしたペースで、こちらも落ちついて聴いていられる漫才だ。ただ賑やかでスピードがあるだけという漫才はそろそろ勘弁してくれと思う私には、北京ゲンジの漫才はぴったりくる。「高校生がトイレで覚醒剤をやって捕まったそうですよ」 「それは校則違反だろ」 「そういう問題じゃない」 「手を洗う前に、足を洗って欲しい」

        審査を終えた審査員三名、この日の出演者全員が出てくる。審査結果の発表だ。優勝は三拍子。やっぱりなあ。でも私は、三拍子はもちろん良かったけれど、チラシのデカスロンとナイスミドルにも○印を付けていた。


June.10,2002 若いひとたちの若く楽しい笑い

6月8日 ハラホロシャングリラ
      『怖いのキライ!』 (シアターサンモール)

        若い人の劇団。それも思いっきり笑えるものが見たくなった。『ぴあ』の演劇欄を眺めていて、このハラホロシャングリラという劇団が気になった。劇団名からしても、笑いを中心に置いているような気がしてきた。地下鉄の新宿御苑前駅を出て、シアターサンモールまで歩く。久しぶりだなあ、この劇場に来るの。受付に行って当日券を求める。やっぱり椅子席は売り切れ。あとは通路に座布団を敷いて座る席しかない。諦めて帰ろうと思ったが、受付の若い人が熱心に「当日券は3500円ですが、2500円でいいですから」と言うものだから、気が変わった。別に1000円も割り引きしてくれるからといって、気が変わったのではない。こちらはもう若くない。通路は辛い。しかし、その熱心な顔を見ているうちに、引っ込みがつかなくなってしまった。薄くて小さな座布団を受け取って、指定された通路の位置に座る。回りを見回すと、圧倒的に若い人が多い。ちょっと恥ずかしくなるが、ようし、どんな芝居を見せてくれるのか、最後まで見てやろうじゃないの。

        小学校の夜中の教室。翌日、子供たちを怖がらせてやろうと、毎年恒例の[お化け屋敷]造りをしている先生たち―――ってヘンな設定だなあ。ところが、もう明日は本番だというのにまだお化け屋敷のアイデアが浮かばない―――っていうのもヘンだぞ。無駄話ばかりで、なかなか結論が出ない。そんな中、ひとりの男の先生が上京してくるときに、おばあちゃんからコツコツと貯金した500円玉のばかりがギッシリと入った袋を貰ったという感動的な話を始めた。それを聞いた相手の先生、すっかり気に入って、あとから入ってきた先生の前で、その話をもう一度してやれと言い出す。そこへ、翌日の準備のためのテストで、オドロオドロしい音楽が流される。「おばあちゃんに渡された袋はズッシリと重かった。何だろうと袋のヒモを開けてみると・・・」 「ギャー!」って、本当は感動的な話がホラーになっちゃう。怖い音楽だけでこんなに内容が違って感じられるのが可笑しい。

        この先生たち、大人だというのに、ほとんど子供みたいなのが可笑しい。もうタイムリミットがきているというのに、無駄に時間ばかり潰している。子供に帰って子供の気持ちになってみようなんて言う前に、ほとんど子供。騙しあい鬼ごっこ(傑作!)をしてみたり、サボテンごっこ(?)をしてみたり。ママゴト遊びも、ちょっと子供とは違うけれども子供っぽいか? 「ただいまー。今帰ったよ」 「トントントン(台所で食事の支度をしている音) 今、食事が出来たわよー。はい!」 「なんだよ、またカレーかよー」 「しょうがないでしょ、あなたの給料が安いんだから」 「なんだとう? うわっ、不味い。不味いぞ、このカレー。このジャガイモ、腐ってるじゃないか。お前の根性みたいだな」 「なんですってー!」と夫婦喧嘩。可笑しいんだよなあ、この感覚が。

        すったもんだの時間潰しのあとに出来あがったお化け屋敷のアイデアだが、これまたとんだ展開に・・・。いやあ、笑った笑った。長いコントを見ているような芝居。役者も若いし観客も若い。セリフを噛んでいる役者が多かったが、そんなことはあまり気にならない可笑しさがある。硬い通路席も忘れてしまうくらいに笑った。気に入っちっゃたなあ、この劇団。今度は早めにチケットを押さえて見に行こうーっと!


 June.9,2002 くず餅

6月2日 柳家小三治独演会 (春日部市民文化会館 大ホール)



        小三治の独演会というのは、まずめったに都心部では行われない。いきおい、小三治好きの江戸半太くんなどは小三治を追いかけて東京近郊の都市まで見に行っているようなのは、CAGE`S TAVERNの『おあとがよろしいようで・・・』を読めばわかるとおり。それに刺激されて、私も春日部まで行くことにした。日曜日、午前中に厨房の大掃除を終えて、日比谷線から直通の東武線で春日部まで約1時間。初めて春日部の町に降りる。駅にあった地図を頼りに春日部市民文化会館へ。二時の開演にはまだ少し時間があったので、隣のデパートのレストラン街で寿司をつまむ。と言ってもアルコールは呑まない。せっかくの落語を聴くのに酔っ払ってちゃ損だもんね。会場に入ってみると、そこは千人規模の大きなホールだ。

        小三治の弟子で二ツ目の柳家三之助が前座代わりで一席務める。ネタは『初天神』だ。ほほう、たこ焼き屋が出てくる。ということは、これはさん喬師から教わった型かな? 飴玉やダンゴを買ってくれとねだる子供の様子が現実の子供よりもカワイイんだよね、この話。現実の子供はダダをこねて泣き叫ぶだけ。

        小三治一席目。さあ、長いマクラなんだろうなあ。これが楽しみなんだけどね。「今とっても風邪をひいている人、多いですよ。こう暑くなったり寒くなったりじゃね。気にすることありませんよ、私も風邪ひいてる。どこも悪いところない健康だなんて人は、一度医者に診てもらった方がいい」なんてツカミから、春日部には粕壁という地名という表記の場所がある。元は粕壁が正しかったのではないかと言いだし、どうやら地名変更の話になりそうだったのだが、なぜか回路が地方名物の土産物の話に行ってしまった。「どこでも買えるものはお土産にならない。東京から地方に持っていくものが何かないかなあと、いつも困っちゃうんですよ。何かあったら教えてください。雷おこし・・・・・悪いとは言わないけれど、『これが東京のお土産です』とは言い難い。あっ、雷おこしにお勤めの方いますか? おいしいですよ、おいしいですよ」と、慌ててフォロー。

         ここから始まってしまったのが、くず餅の話題。小三治の話を聴いて初めて知ったのだが、なんと、くず餅というお菓子は、東京と東京に隣接する県にしか売っていない、東京のローカル菓子なんだそうだ。小麦粉のデンプンを発酵させて造る、いわば乳酸菌製品。これにキナコと蜜をかけて食べる。私は積極的に買って食べることはしないが、よく手土産に貰ったりする。小三治は、このくず餅を北海道の人のところにお土産に持っていく。すると、あとから電話がかかってきて、腐っていたと言う。東京の空港で買ったものだし、くず餅なんて、そうそう腐るものではない。あの匂いを嗅いで、腐っていると勘違いしたらしい。あれは腐っているのではないと説明しても理解してもらえない。捨ててしまったという。「ばっかやろう! てめえ、日本人か、おまえ!」と怒る小三治だが、こうなるとこの人、とことん試してみたくなるのが、この人らしい。

        新潟の人に食べさせる。「『何これ?』と笑い出しちっゃた。『これオモチャ?』。からかわれていると思ったらしい」 富山に嫁いだ妹のところに持っていく。そこの子供に食べさせると、やはりいい顔をしない。「『いいんだよ、腐ってるって捨てた人もいるんだから』って食べさせた。ヘンな顔して食べているから、『不味いんだろ?』と訊いたら、『キナコは美味しい』だって。よく出来た子ですよ。次に亭主に食べさせた」 その亭主の食べ方をやってみせたのだが、バクバク食べている割にはちっとも旨そうではない。「『無理して食うことはない』と言ってやったら、ヤツの返事、『腹が減ってりゃ何でも旨い』だってやんの。こんな腹の立った奴はいない。妹に、別れて帰って来いと言おうと思ったんですがね、五十過ぎの妹がウチにいても・・・」

        東京に来て三十年経つ名古屋の女性に食べさせる。皿に乗せて差し出すと手で払って拒否する。「そんなに臭かないでしょ。あいつらはそんな奴らですよ。どんだけウイロウ我慢して食ってるか。ネチャネチャネチャネチャ甘ったるくて。そこいくと、くず餅は江戸前だよ・・・・・(一瞬ハッとして)だけど、ウイロウ、不味いなんて言ってませんからね。たまに食べると旨い」 このあと思考回路が名古屋に飛び、名古屋文化についての言及が続くが、けっこうヤバイのでオフレコ。

        ここで、話がようやく地名変更に戻り、自分の住んでいる新宿の柏木町が、役人の都合で北新宿に変えられたことを怒り、ここからまた、勝手に昔からの町名を変える権利が誰にあるのかと熱弁をふるい出す。くず餅で二十分。町名変更で二十分。計四十分のマクラから、人形町、堀留、小伝馬町、岩本町・・・・・と今でも残る地名を挙げていって、馬喰町。ここから馬喰町を舞台にした『宿屋の富』に入る。

        実は一文無しの男が馬喰町の汚い宿に泊まる。宿賃の催促にきた主人に、自分はこういう身なりをしているが大金持ちなのだと大嘘をつく。口車に乗せられた主人、売れ残った富くじを買ってくれないかと持ちかける。一枚一分だと言うと、この男袂から、袂クソだと思ったという一分を出して、これを買う。この一分という金、村の衆に江戸の土産に何か買ってきてくれと渡された金だった・・・・・。へえー、くず餅でも買っていってあげればよかったのにねー。このあと、この富くじが当って大儲けということになるのだが、当りくじを確かめる男の表情が上手い。何回も自分の持っているクジと当り番号を確かめて、ヘナヘナと力が抜けてしまう。「なんで地べたが、オラに近づいてくるだー」 このネタだけで三十分。始まってから、計七十分。あいかわらず凄いなあ。

        仲入りを挟んで小三治の二席目。「楽屋でね、これだけ大勢の人が客席にいると名古屋出身者も多いと言われましてね・・・・・本当のこと言うと名古屋大好き! ああまで言うのも、ある種の愛着があるからなんです」 「私、長いマクラやりますが、あれがいいという方もいるし、あれさえなければという方もいる。もともとは私はマクラなんて演らなかったんですよ。マクラを演るようになったキッカケは名古屋なんです。東海ラジオでDJの仕事を頼まれた。土曜の夜十二時から三時間。初日行ってみたら台本もない。あのとき何を喋ったかわからない。何しろ五秒間とか声が出ないと警報が鳴って宿直が飛んできちゃう」 「何か気の効いた話ができればいいんですが、自分の身の上にあったことしかお話できない。寂しい人間ですよ」 「曲をかけて、その間でお喋りをしました。そのとき初めてユーミンとか井上陽水を知った。いいなと思う人、何度聴いてもやな人、いますね。番組でクラシックをかけたことがあるんです。ところがクラシックって、途中で小さな音になるところがある。ある一定の大きさの音が常に出てないと事故とみなされちゃうんですね。警報が鳴って宿直が飛んできちゃう」 「あの東海ラジオの仕事がなければ『マ・ク・ラ』なんて本は出さなかった。言ってみれば名古屋は私の産みの親なんです」 なるほど、そんなことがあったんだあ。名古屋はエライ。小三治の楽しいマクラは名古屋でのラジオがあってからのこと。

        小三治のマクラ事始め物語という長いマクラのあとで、見世物小屋のマクラが入る。花園神社の境内で、昔、[蛇娘]の見世物を見たと言う。木戸銭を払って中に入ってみると背丈の低いオバサンが、泥の付いた大根やら、泥の付いたネギ、泥の付いたニンジンなどを食べては吐き出すという仕種をしているだけ。「生野菜なんて、オレたちだって食ってる!」 なぎら健壱お得意の蛇娘の口上は知っているし、その昔、地方のお祭りで蛇娘の見世物小屋があったのは見ているが、中に入ったことはなかった。うーん、やっぱりそんなものなのだったのかあ。

        ようやくネタの『一眼国』へ。何か珍しいことはなかったかと諸国を歩き回った六十六部に訊く見世物小屋の主人。「アヒルの背中から木が生えてたとか、犬より早く尻尾を振る猫なんていなかったか?」 何も思い浮かばないようだったのが、ポツリポツリと話し出すのが、江戸から真北へ百里あまり行ったところにある大きな原。大きな榎の木が一本だけ立っている場所があるという。そこへ入ると一足ごとにあたりが暗くなっていく。足早に榎の木の下を通りすぎようとすると、どこからか鐘がゴーン。生暖かい風がソヨソヨ。後ろから、「おじさん、おじさん」と小さな女の子の声が・・・。ふと見ると、その女の子の顔は・・・。この噺、すっかり小三治のオハコになってしまったよう。あまり他の人がやらないのは遠慮してるのかな。

        四時終演の予定なんて、この人の場合アテになるもんか。大幅に押した四時半に終演。とはいえ、まだ外は明るい。会場近くのハンバーガー屋でビールを飲んで春日部の町を眺めて一服する。小三治師匠、これからオートバイで帰るのかなあ。こっちはほろ酔い気分で、そろそろ帰るとしますか。


June.2,2002 宮藤官九郎の疾走

6月1日 大人計画『春子ブックセンター』 (下北沢本多劇場)

        今や超人気劇団になった大人計画の舞台。しかも今回は映画『GO』やテレビ『池袋ゲートパーク』 『木更津キャッツアイ』の脚本を書いた宮藤官九郎の脚本・演出だ。一般発売の日にぴあチケット・カウンターに並んだら、第一希望日売りきれ。第二希望日でようやく本多劇場の後ろの方の席が、ようやく確保できた。こんなに見るのを楽しみにしていた芝居はこのところ無い。当日、劇場に行ってみると当日券を求める長い列。そのほとんどは通路の階段に座れる権利を得るための席だ。

        温泉地(と言っても温泉が出なくて温泉の元の粉末を入れただけ)のストリップ劇場。そこに、かつての漫才トリオ[春子ブックセンター]が集まる。ブック(阿部サダヲ)はテレビで売れてタレントになっている。才能が無いと思ったセンター(河原雅彦)は、そのブックのマネージャーになっている。春子(松尾スズキ)は、このストリップ劇場の雑用係になっていた。ブックは春子と、もう一度漫才がしたいと思っていたのだ・・・。

        このところ、こんな内容の芝居を続けざまに見たぞ。去年の三谷幸喜脚本・演出の『バッド・ニュース☆グッド・タイミング』 それに今年の小松政夫&団しん也『おとなげない大人たち』。みんなかつての漫才コンビが復活しようとする話。偶然といえば偶然なのだろうが、宮藤官九郎の脚本は、やっぱり突っ走っている感じ。

        へたなペーソスを入れないのがこの人。『木更津キャッツアイ』なども、考えてみれば悲惨な話で、登場人物のひとりは刑務所に行ってしまうは、重要なキャラクターであるひとりは途中で死んでしまうは、だいたい主人公が癌の宣告を受けて最終回では死んでしまうであろうことは、みんな知っている。ところがまるで暗くないのだ。うまい構成で書かれた脚本で、毎回あっと言わせた。

        『春子ブックセンター』もラストはかなり凄い状況だ。ちっょとしたことでブックの妹は重傷を負ってしまうのだが、それはそれで三人で漫才の稽古を始めてしまう。この漫才は面白いかどうかは別だが、よく出来ていてプロの漫才師顔負けのテンポだ。芝居はこのままハイテンションな三人の漫才で終わる。何より劇団員が若いのがパワーがあっていい。本物の階段落ちが2回ある。それもかなりの高さからの。これはこの若さからの体力あってこそ。こんな若くてパワーのある芝居を見て、少々興奮ぎみになってしまった。客席も若い人ばっかり。

        それにしても、宮藤官九郎、凄い才能が出てきたものだ。


June.1,2002 葬儀の夜に『らくだ』

5月19日 池袋演芸場五月中席夜の部

        柳家小さんが亡くなった。訃報を知ったのはテレビのニュースだった。昼時の忙しさが一段落した、午後一時のNHKニュース。小さん師匠の顔がアップでテレビ画面に写っている。「もしや・・・」と思ってテレビに近づいてみると、やっぱり小さんが亡くなったというニュースだった。別に悲しくはなかった。来る時が来たかという思いだった。ついに近年の小さんの高座を見られずじまいで、小さんは私の前から去って行ってしまった。以前にも書いたように、私が落語の本当の魅力に取り付かれたのは、父に連れられて初めて寄席に行った時に、トリで出てきた小さんの『長短』を聴いてからだった。

        私の中学生時代というのは、水泳と落語と小説とピートルズであけくれていた。落語は紀伊国屋ホールに毎月通い詰めていた。当時の紀伊国屋のレギュラーは、円生、正蔵、文楽、馬生、そして小さんだった。他の演者が笑いというよりも噺の面白さで聴かせていくのに対して、小さんの落語はあくまでも笑いにこだわった落語だった。ボソボソと話し始めるので、最初は聴き取りにくい。それが本題に入るや、客席を笑いの渦に巻き込んでいく。顔の表情が巧みで、落語というのは語りの芸であると同時に顔の表情や動きで見せるものなのだと感心したのを憶えている。今、自分が好きだった小さんの落語を思い返してみると、『蒟蒻問答』だったり、『睨み返し』だったりする。どちらも顔の表情で見せる芸。

        若くして名人と呼ばれ、たくさんの弟子に囲まれ、落語協会の会長にまで上り詰め、人間国宝の名前までもらう。八十七歳で亡くなる直前まで高座に上がって落語を演っていた。これ以上幸せな人生はなかっただろう。まさに大往生。ずいぶんと昔、私は小さんを浅草の[ヨシカミ]の近くで目撃したことがあった。ちょっとぶっちょう面をして歩いていたので、声をかけるのをはばかってしまったのだが、握手のひとつでもねだっておいたら・・・と今更ながら口惜しい思いがする。

        さて、現実の寄席に戻ろう。五月十九日は小さんの告別式だった。告別式参列という気にはなれず池袋演芸場に昼の部から夜の部まで見続けていた。昼の部が終わり、ロビーで腰を伸ばしていると、昼の部のトリ三遊亭円丈の門下、白鳥、らん丈、小田原丈ら、円丈一門が勢揃いしている。これから、小さんの遺影に挨拶に向うのだろうか?

        前座は柳家さん太の『つる』。うふふ、ラスト近くで言いたてを間違えちっゃた。すれっからしの落語好きから失笑が漏れる。動揺して「本当に泣きたくなっちゃった」―――って可哀想。頑張ってね。

        春風亭栄助は二ツ目にしては歳がいっているなあと思ったら、二十二歳から三十二歳までアメリカに行っていて、それから噺家になったという変り種。「十年もアメリカで生活していましたから、英語はペラペラ。その分落語は片言」 そんなわけでもないだろうけど、噺は演らずに漫談のみ。「DHAは頭をよくする働きがあります。鯖の目玉に多くのDHAが含まれているそうですよ。ですから、鯖の目玉を食べれば食べるほど頭がよくなる。どれくらいよくなるかというと・・・鯖なみによくなる」

        夜の部は小さんの葬式を終えた柳家が続々と出てくる。柳家太助は『たいこ腹』。針に凝った若旦那、畳、壁、向いのサザエさんとこのタマに続いて、幇間の一八が標的。一八、嫌がっていたものの、一本打たせれば一万円だと言う言葉に、「それじゃあ、千二百本お願いします」 それじゃあ針千本。ふぐじゃないんだから。いざ打つとなったら若旦那、「本どこやったっけなあ。カラフルな本で・・・『ハリのある暮らし』」 おーい、どんな本読んで針やってんだあー。

        柳家さん光は『家見舞い』。アニキの新築祝いに水瓶を買って持っていくこの噺。どうも苦手。肥瓶なら五十銭でいいと言われても、「それにしちゃおうかあー、オレたち金ないからー」って、やめなさいって!

        鏡味仙三郎社中の太神楽。仙三の傘の上で毬や枡を回す曲芸、仙一の五階茶碗、仙三郎の毬の曲芸、最後は三人でバチの取り分け。安定した静かな太神楽。染太郎、染之助の賑やかだった太神楽しか知らない一般の人にも、こういった芸を是非見て欲しいなあ。ずっと凄いこと演っているんだもの。

        「噺家になんてなんでなるのかわかりませんが、ようするに目立ちたがりやなんですね」と柳家喜多八。「『オレは目立ちたがりやじゃない』なんて私の師匠の小三治は言ってますがね、オートバイにヘルメット被って乗ったんじゃ誰だかわかんない。口惜しかったんでしょうね。ツナギに大きく小三治って書いてある」 うんうん。私もオートバイに凝っていたころは、いつもペンギンの形をしたリュックを背負っていたんだよね。オートバイを下りると、このペンギンのリュックが恥ずかしくてしょーがなかったっけ。ネタは『あくび指南』。昼の部からずーっと聴いていたら、ちょっと疲れてきた。あくびの師匠欠伸斎長息(?)が演ってみせる、「船頭さん、ふねー、上手にやってくんな・・・」を聴いているうちに、本当にこっちも眠くなってきた。もう一度演ってくれと八五郎が言うと、師匠「何度でも演りますがね、何回も演ると、前で本当にあくびする人が出てくる」という言葉にハッとして目が醒める。

        小さんのお葬式の話を誰かしてくれないものかと期待していたら、柳家さん吉がネタを演らずに小さんの葬式の模様を語ってくれた。こういうのがうれしいのだ。「今、無事に小さんの葬儀が終わって献杯してきました。納棺のときに、みんなでいろいろなもの入れてね。私はシルクのフンドシ入れたの。いい告別式でしたよ。焼けて骨になった小さん師匠、一番大きな骨壷に入りきらないくらい骨があった。頭蓋骨がしっかりしてるんですね。剣道で殴られているからかなあ」 「円楽も来ていた。あの人はまだ素直ですよ。そこへ行くと談志、花もよこさない。甘えさせちゃあいけないよ。品性のない人だよ。素直に位牌の前に来ればいいじゃないか」 しばし談志への愚痴のようなものが続く。私もその昔は、談志が好きだった。しかし、小さんから決別してからの談志は嫌いだ。今回のことでも、マスコミ向けにはいろいろなことを言うが、実際に霊前に立たない態度はおかしいと思う。談志に関しては近く、本当に久しぶりに独演会に行くから、それを見てから語ろうと思っている。

        柳家三太楼は、また小さんの思い出話を振っていく。前座のときの名前三太は、小さん師匠につけてもらった名前だという話、フランス料理の飾りの花を食べてしまった話。「博打が嫌いで、楽屋でやっていると怒ったものでしたよ。『てめえたちは、寄ると触ると博打ばかりやってやがってしょーがねえなあ』・・・・・あの、もう噺に入ったんです。『看板のピン』でも演ろうかと・・・・・絶妙な間でしょ?」 あまりのことに客席が沈黙してしまう。「やめようかなー」 とかなんとか言っても、この人の落語は入ってしまうと面白い。老親分が振ったサイコロ。一の目が出ているサイコロが壷の外に出てしまっている。子分達が全員、一に張ったところで、この一の目のサイコロは看板だと袂に仕舞ってしまう親分。「ひどい、それはひどすぎるー」と泣く子分のひとり、「いい手だ。ウハハハハー、どっかでやってやろー」というこの脳天気さ一杯の登場人物が三太楼落語の可笑しさだ。三太楼の描く人物って、どこかすっ飛んでるんだよね。

        林家正楽の紙切り。いつもどおりの相合傘は、良く見ると旦那の方が小さんのシルエットになっている。「影法師」というお題には、ちょっと戸惑っている風。「影法師ね・・・・・好きです・・・・・どちらかというと大好きです・・・・そういうの」と言うわりにはハサミが動かない。やがて動き出して切り上げたものは、ひとりの剣士が立っていて、その姿が月明かりで地面に影を落としている図。この剣士がこれまたよく見ると、小さん師匠なのだ。「たぬき」というお題には、通い帳と徳利を持ってるたぬきの図。これも小さん師匠に・・・あわわ、そんなことないか。「寅さん」というお題でお囃子も『男はつらいよ』になる。いつものように顔の輪郭だけで、渥美清の寅さんだとわかってしまう鮮やかさ。「これに目鼻も入れましょう」とまたチョキチョキ。

        林家しん平は、新作の構想を喬太郎に話したところ、それ面白いから、この興行中に演れと言われたという噺を始めた。「設定は江戸時代。八っつあんが巨大化するの・・・・・えっ? へん? 違和感ある? 熊さんは酒好きで虎に変身して巨大化。江戸の町でふたりが戦うの。へん?」 こうして新作落語を話すというよりは、高座で噺を作っていく。江戸時代、流星が建築現場で働く大工の八っつあんのところに落ちる。建物はバラバラ、八っつあんは死んでしまう。そこに巨大に影。これぞウルトラマンの先祖マゲトラマン。「君を殺して悪かった。私の命は二つある。そのひとつを君にあげよう。ただし、江戸の町を守るのが君の使命になるが、それでもいいか」―――って勝手な言い分だなあ。一方、もうひとつの流星に当って巨大な虎になった熊さん。酒に酔ってアルコール臭い息を吐くと火が出て、江戸の町は火の海。かくてふたりは戦うことになる―――って凄い噺作っちゃったのね。

        仲入り後は本興行の目玉、さん喬、権太楼だけに任す好企画だ。前日の小さんのお通夜の日には権太楼が『らくだ』を演ったという。柳家さん喬は小さんの葬儀の報告を簡単に語ったあと、「きのうは池袋の駅を出て、こちらに歩いている間、『らくだ』を演ろうと硬く決意していたんですが、来てみたら前で権太楼が『らくだ』演ってる。このやろうと思いましたね。ですから、きょうは私が『らくだ』演ります」と話し始めた。どうも私にはこのへんの感覚がわからないのだ。葬式に出た夜、しかも自分の師匠の葬儀である。そのあとで、どうして死体を扱った噺をしたがるんだろう。それもよりによって小さん弟子であるふたりが揃いも揃って。「死骸のやり場に困っております。こちらに死骸を運び込みますからお楽しみに。ついでに死骸にカンカンノウを踊らせてごらんにいれます」と本当にカンカンノウを踊らせるところは、さすがに小さんの葬式が頭にチラついて、どうも素直に聴いていられない。それがそのあとの、くず屋さんが酒呑んで、らくだの話を語り出すあたりはしんみりと聞こえて来る。さん喬師が何かしら思いを込めているような気がしてくる。

        柳家権太楼も疲れている様子だ。客席から「たっぷり!」の声に、「そうはいけません」。「ネタ帖見て何を演ろうかなと思ったんですが、何も浮かばない。何かリクエストありませんか?」の声に、客席からすかさず「居残り!」の声。「えーー! やっぱりリクエストやめ」と、池袋演芸場の想い出話に変わってしまった。まだ桟敷席だった昔の池袋、雨でお花見が中止になった三十人の団体が入ってきて、始めのうちはおとなしく呑みながら落語を聴いていたが、民謡の先生が出てきて花笠音頭を演ったものだから、「我々は花見に来たんだ」と我にかえって盛り上がっちっゃて、一緒に歌い出しちっゃたという話。やがて寄席は単なる宴会場。噺家が落語演ってると、「噺家、うるさいぞー。ここをどこだと思ってるんだー。そんなの外で演れー」

        こういう日は明るい噺がいいなあ。こんなところで『たちきり』でも演られた日にはかなわないなあと思っていたら、マクラからの繋がりで『くしゃみ講釈』に入った。犬糞のうらみで、講釈師に復讐してやろうという男、兄貴に相談すると、客席で火鉢に胡椒の粉をくべ、下からあおいでやろうということになる。さっそく買って来いと言うと、「誰がいくの?」 「お前がだよ」 「いつ行くの?」 「今すぐ」 「何買ってくる?」 「胡椒の粉」 「どこで売ってんの?」 「八百屋」 「どのくらい買えばいいの」 「十銭」 「誰が行くの?」 「お前がだよ。何回言わせるんだ」 「お医者さんから、『あなたは少し望遠鏡の気があります』って言われた」 「それは健忘症じゃないの?」 買ってくるものを胡椒の粉ということさえ憶えられない。覗きからくりの『八百屋お七』から小姓の吉三を思い出せと言われて八百屋へ行くが、さあ案の定胡椒が思い出せない。「あっ、それ―――――」と歌い出すものだから人が集まってしまう。「立たないで立たないで。じゃあ前の人は座りましょう」 ようやく胡椒ならぬ唐辛子を手に入れて八百屋を出る時は黒山のひとだかり。「わー、おまえんち繁盛してんなー」 「じゃねえや。あんたが呼んだんじゃないか」 ちょっと頭の足りない、子供のようなこの男が妙にカワイイのだ。やっぱり、権太楼は爆笑噺の方が私は好きだ。

        ハネてから、小屋の前で、正楽の紙切りの原稿を取りに来たという長井好弘さんと立ち話していたら、権太楼師とその門下の面々が出てきた。「どうですか、一杯」ということになってしまい、そのまま噺家、客含めて総勢十五人で[和民]へ。前から話したいと思っていた三太楼さんと話す機会に恵まれた。思っていたとおりの人柄の三太楼さん、ますますファンになってしまった。あとから席亭もやってきて一緒に飲む。権太楼師と池袋の最近の企画について、突っ込んだ話になる。いい企画をやれば客は来る。思いきった企画が続く池袋演芸場、期待してますよ。

        別れ際、権太楼師にどうしても訊いてみたかった。「きょうはさん喬さんが『らくだ』。きのうは権太楼さんが『らくだ』。なんで葬式の日に『らくだ』なんですか?」 「うーん、さん喬さんはどうだかわかんないけど・・・・・楽なのよ、『らくだ』くらいが。疲れてて面倒な噺は演りたくなかったの」 うーん、わからない。そんなものなのかなあ。権太楼師匠、まさか、『らくだ』は楽だというシャレじゃないですよね。


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