July.29.2002 「真っ黒だね。海行ったの?」 「いや、日野。落語聴きに」
7月20日 柳家小三治独演会 (日野市民会館大ホール)
「暑いですねえ。日野の駅降りて、途中で挫折しちゃった方も多いんじゃないですか? 坂道が一筋縄ではないですから」
そんな小三治の第一声を聴くことになるのだが、まさに暑い日だった。六日前に有楽町で小三治を聴いたばかりだというのに、また小三治を聴きに日野まで出かけた。初めて降りるJRの日野駅。駅前の地図をチラッと見てホールのだいたいの位置を確認する。ようするに国道に出て、それを西に歩けばいいらしい。
アジアジ、フウフウ言いながら国道まで出ると、有楽町でも一緒だった江戸半太くんがうしろからやってきた。同じ電車だったらしい。それにしても焼け付くような日差しだ。それに上り坂まである。ホールまでの長い道をバカ話をしながら歩く。先日喬太郎の落語のCDをMDに録音したのを渡したら、早速聴いてくれたようだ。ひとしきり喬太郎のことで盛り上がる。『すみれ荘二○一号』のマクラにこんな部分がある。「ねえねえメグ。メグの彼氏、何やってんの?」 「あたしの彼氏? スノボーやってんの」 「いいじゃんいいじゃん。ねえ、マユミ、マユミ」 「あたしの彼氏? ラクビーやってんの」 「すっごいすっごいすっごい。ねえ、ノンコ、ノンコ、ノンコ」 「あたしの彼氏? 落語。十八番がねえ、『初天神』」 「・・・落語? いつか絶対いいことあるわよ」 そんなところが可笑しかったと笑い合いながら冗談を飛ばす。「ねえねえねえ、真っ黒じゃない。どこ行ったの? 海? それとも山?」 「落語」 ギャハハハハと笑いながら歩いていたら割と長い道のりも気にならなかった。
柳家三之助が『かぼちゃ屋』。いくつになってもブラブラしている与太郎を見かねて、叔父さんが商売を教えてやろうとする。「お前、もう二十歳だろ?」 「二十歳になんかなりたくなりたくないやい。いったい誰がした。生涯三つでいいやい」 しょーがない与太郎さんだけど、この気持ちわかるなあ。
冒頭で書いたような第一声に続いて、小三治がマクラを振っていく。「噺家とは世間ではあまり言わない。落語家と言った方が通りがいい。申告書には落語家って書きますよ。その方が通りがいいから。でもね・・・落語家って・・・なんだか落語家みたいじゃないですか。お話をする仕事だから噺家。まあ、心の整理の問題なんでしょうが・・・」 「噺っていってもたくさんの分野があります。怪談噺、芝居噺、そして人情噺ね。涙なしには聴けないやつ。客が泣かない場合は自分で泣いちゃう。滑稽噺、これがまあ、今、三之助が演ったようなものですね。オチがついている落とし噺。落語家っていうと、そういう落語演らなくちゃならない感じじゃないですか。マクラだってね、まあ、噺ですよ。ひょっとすると、きょうはマクラだけだけで、落語やんないかもしれない。それで最近、評判落としているんですが・・・。まあ、何か噺をすれば噺家だと思ってます」
「怪談噺・・・川口の駅前のビルでお化け屋敷を見たことがあります。ビルの三階って怖そうに思えないでしょ? エレベーター降りると、いきなり[お化け屋敷]って書いてある。明朝体で。普通、血の滴るような字で書くものじゃないですか。それが明朝体。これは怖くなかったですね。衝立の陰から、一つ目や三つ目小僧が出てくる。『お前、学生アルバイトだろ?』と言うとコクコクと首を振る。普段は展示会などに使っているらしいんですが、夏場借りる人もいないので、お化け屋敷でもやってみようかと思ったらしいんですがね」
こうして入っていったのが『お化け長屋』。長屋の空家を物置代わりに使っている住人。ここに借り手がつかないように、借りたいという人が来ると、あの空家には幽霊が出るといって脅かして追い返してしまう。「宵のうちはにぎやかで何事もないが、夜もしんしんと更け渡り、どこで打ち出すか遠寺の鐘が、ゴーン。障子に髪の毛が当る音がサラサラサラ。すると、障子の戸がひとりでにススススッと」 一人目の借り手は大の怪談嫌い。「私、そういう怖い噺を聴くと、夜、はばかり行けなくなっちゃう。お願いだから止めてくださーい。ウエーン」 「すると、幽霊が『よく越してきてくれたねえ』」 「ウワー、ギャー!」 ところが二人目は威勢のいい男。「今を去ること三年前・・・」と怪談口調で始めると、「もっとテキパキやれー!」と言われ、怪談噺がいつしか平板な口調になってしまって、ちっとも怖くなくなってしまう。ところがこの男、因縁噺で、泥棒がおかみさんの懐に手を入れたという個所にくると興味深々。「うー、おっぱいか?」と身を乗り出す始末。「ちょっと、そんなに前に出ないでくださいよ。この線までー!」 このとぼけた味わいが小三治。
二席目は、お辞儀をした途端、「植木屋さん、精が出ますね」といきなりネタに入った。夏にふさわしい『青菜』だ。仕事先の庭で旦那から酒を薦められた植木屋さん。「仕事中に酒呑んだなんてことが知れると傷がつきますから、きっぱりとお断りします!・・・なんてことは絶対にいいません」とゴチになっちゃう。銘酒[柳影]を呑む植木屋さんの風情がいい。「旨いっすねえ」と、本当に旨そうに呑むのだ。そのたびに、しみじみと「旨いっすねえ」と連発するセリフが、本当に旨いんだろうなあと思えてくる。鯉の洗いを薦められ、「これ、鯉なんですか? 鯉って黒いでしょ。これ真っ白じゃないですか。あの黒いの、こんなに白くするには、どんなに石鹸を使ったかわかんねえ」 「洗濯したんじゃないよ」 「(一口食べて)これ、旨いっすよ」 「そんなにうまいと言われるほどのものじゃない。淡白ですからね」 「ああ、淡白ねえ。この淡白、もう一切れいただいていいですか?」 この何とも風流なやり取りを、じっくりと描いていく小三治の間がいい。夏の午後、こちらもいい気分になっていくではないか。
「鞍馬から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官」の場面があって、さあ家に帰った植木屋さんとおかみさんとのやり取りがまた可笑しい。「菜があったろう?」 「何言ってるの! 三日前に買った三銭の菜がいつまであると思ってんだい!」 「お前なあ、何かといえば人の上に出ようとする。こっちを見ろ。たばこなんて吸ってるんじゃない。たばこなんて人の話全部聴いてから吸え!」ってんで、今度は長屋の辰公相手に、普通の酒と鰯の塩焼きでやってみせるのだが、ここがまた小三治独特のとぼけた味わいで可笑しい。旦那と植木屋さん場面では旦那が気を使って、植木屋さんに扇子の風を送ってあげていたというのに、辰公との場面では自分で自分に風を送っているという芸が細かい。辰公に「鯉の洗いをおあがりなさい」と鰯の塩焼きを薦めると、「なんだこれは、鰯じゃないか!」 「淡白んなものですからな」 「脂が乗って、淡白ってあるかい!」というあたり爆笑の渦に包まれてしまう。「菜はお好きかい?」から、菜なんて嫌いだという辰公を無理矢理説きつけて、「奥や」と手を叩くと、押し入れから、「だんな様」と、頭から水をかぶったようにびっしょりと汗をかいたおかみさんが出てくる。それにしても、気が強くて亭主のことを何とも思っていないようなおかみさん、こういうことになると協力してあげるあたりが、やっぱりいい女房なんだろうなあ。
外に出ると、まだ日差しが強い。駅前で柳影と鯉の洗いで一杯やりたいところだけど、こう暑いと酔っ払うともっと暑くなりそう。帰りが辛くなる。日野はやっぱり遠いや。駅前まで来ると、[よむよむ]という本屋を発見。江戸半太くん曰く、「よむよむじゃあ、立ち読みされちゃいそうだね。かうかうじゃなきゃ」 「ギャハハハハ、かうかうにすると、西部劇小説を買いに来る少年が増えるよ。カウボーイ・・・なーんちっゃてね」 「ギャハハハハ」 暑さのせいで、どこがおかしいんだかわからないバカ話をしながら、涼しい電車で帰ったのでありました。
July.27,2002 人形町末広
7月14日 第二十七回朝日名人会
<柳家小三治 何をおはなししませうか> (朝日ホール)
抜群の面白さを持った、長ーい長ーい柳家小三治のマクラ。そのマクラだけを聴けるとしたら・・・そんな楽しい企画が実現した。友人ふたりと三人分のチケットを発売日に取り、この日の来るのを待ちわびていた。前から三列目の真中。小三治が目と鼻の先でみられる。
まずは柳家三三で『湯屋番』。妄想癖のある若旦那の顔の表情がいいね。「あすこの湯屋のおかみさんというのが、い〜〜〜い〜〜〜女なのよ」と目をパチクリさせてフラフラッと倒れちゃうのが可笑しいのなんの。もっもこちらは早く小三治の自由なマクラが聴きたくて、ちょっと気もそぞろだったけどね。
小三治登場。いつものように、湯飲から茶を啜って、さあ始まりだ。「落語なんてね、小噺演って、スッとネタに入っていく。それがいいと思ってましたよ。落語以外のことを話すなんてね、冒涜だと思ってました。今や、冒涜の小三治」 ドッと笑いが起こり、本人も照れくさそう。でも小三治のマクラって本当に面白いんだもの、しょーがないよなあ。マクラと称してネタ以外のことを話し出したのは、名古屋のラジオ番組『ミッドナイト東海』でDJをやってからだと、先月、春日部での独演会での内容とほぼ同じ、マクラ事始めの話が始まる。これは重複するのでレポートは割愛。
「DJと、高座で演る落語とは重みが違うと思ってた。DJなんてね、上顎と下顎をぶつけるだけのこと。落語というのはね・・・そんな程度のものじゃないですよ。今こうやってくっちゃべってることとは違うんだから。『東京落語会』でマクラに、たまごかけご飯の話をした。そうしたら『毎日新聞』ですよ。『小三治光る、たまごかけご飯』。落語で誉めてもらえないでマクラで誉められちゃった」と複雑な顔。ここで去年の秋にこの会で二回に渡って演ったドリアンの話をもう一度。これは私も去年聴いているのだが抜群に面白い話。ただ、ある特定の果物屋さんのことが出てくるのでネットには書けないんだよね。大笑いなんだけどなあ。そこから、ここの主催者が、「今度はマクラだけの会をやろう」と言い出したのだそうだ。「この会はもっと権威のあるものだと思ってましたが・・・」(笑)
「『ま・く・ら』という本を出しまして、あの本を読んだ人は、毎日ああいう面白いこと言うものと思ってるらしい。違うんですよ! (自分で)怒ることないけど・・・。『同じマクラはいつまでやっているんですか?』なんてハガキが来た。これを解釈すると、『いつまで同じマクラを演っているんだ、この野郎』ってことですかね。気に入った話は何回も話すこともある。例えば、最近だったら、中田喜直の話」と、『夏の思い出〜ラジオから生まれた歌』(藍川由美)というCDのことを語り出した。この話は、松戸でこのマクラを聴いた江戸半太くんが、CAGE`S TAVERN『おあとがよろしいようで・・・』で4月1日付け、および5月17日付けの補足であらかた書いているので、そちらを参照していただきたい。
ただ私からも補足させていただくと、この話はいろいろな側面がある話で、そのひとつは小三治の初恋物語だということ。初恋の女性と皇居のお堀端を歩いているとき、相手の彼女が『山の煙』を歌ってくれと言うので歌ったという思い出。その彼女が突然、「いつまでも遊んでいられなくなりました。こう書けばおわかりでしょう」と書かれたハガキをよこしたあと、他の人と結婚してしまったという。傷心のまま共通の友人の女性から、「彼女に『好き』って言ったの?」と訊かれ、「言ってない」と答えると、「それじゃあダメよ。女はね、『好き』って言ってもらわなきゃダメなのよ」と言われた。小三治、客席に向って「そうですか? 『好きだ』なんて口にするのは、レベルが低いと思ってた」 「もう二度と人前で『山の煙』は歌わないと決心していたんですがね、新宿ゴールデン街でナガシがこの曲を弾いたことがあって・・・私は泣きながら歌いましたよ」 話は突然にワールトカップのことに飛んだり、差別用語のことに飛んだりもしながら、『花の街』、『あの人とっても困るのよ』を歌いまくり、独自の解釈を入れていく。さらには『麦踏みながら』からは母の思い出、そしてじゃがいもの植え方といった方向にどんどんそれて行くのだが、これがまたひとつひとつ面白いからたまらない。
結局一席目は、1時間半喋った時点で、「きょうは二時間の会の予定でしたが、もうこんな時間・・・きょうはもう気がすむまで喋りますから。終演時間は気にしません。それにしても、みんなよく来たよ。何やるかわからないのに」と一席目がようやく終了。
仲入りを挟んで柳貴家小雪の太神楽。いつもどおり小雪ちゃんに指名されたお客さんが客席から毬を放る。この日はナイスボール。傘で受け取って、あらよっと、傘の上で毬回し。
小三治二席目。「七月九日の深夜、路上駐車していたクルマの窓を破られて、カバンを盗られました。用を済ませてクルマに戻り、走り出して、いやによく風が吹きこんでくるなあと思ったら、助手席側の窓がねえんですよ」 一席目とは違って最新の体験談だ。「交番で何が入っていたか訊かれて・・・モノが無くなるというのはヘンな感じだと思いましたね。レッカー車でクルマを持って行かれたような感じとでもいうのですか・・・」 中には現金が40代のサラリーマンの月給分くらい入っていたし、カード類も入っていた。現金はしょーがないし、カードは止めるとしても、小里んが真打になったときに貰った筆箱の中にはお気に入りのボールペンやら筆ペン、長崎でしか売っていないクジラのヒゲの耳掻き、落款も入っている。住所録やネタ帳を書き込んだ電子手帳も入っていたという。これは私もかつてショルダーバッグを盗まれた経験があり、この小三治の気持ちがよくわかるのだ。現金はあきらめた。カードはすぐに止める手続きをした。悔しいのは手帳だ。住所録が無くなると、とんでもなく不自由なことになるということを身に沁みて私も体験したのだ。「とくに困ったのは小銭入れに入れておいた鍵。身元がわかるものがいろいろ入っている中での鍵です。家の鍵は全て付け替えました」 このあと、この無くしたバッグは出てくるのだが、現金だけは抜き取られていたという。「ストーカーの仕業じゃないでしょうね。皆さんの中にいるんじゃないですか?」
この日、受付でいつものようにチラシの束を受け取ったのだが、中に昔の人形町末広のプログラム(入場した人に配られる番組表)の複製が混じっていた。これは後に語るように、小三治がまだ二ツ目時代の『蒟蒻問答』のメモの束に混じっていたものという。いやあ、懐かしい。ここでこの実物をスキャンして載せたいところなのだが、「無断転載・流用はご遠慮ください」との一文があるので、残念ながらネットには乗せられない。表紙はいつ撮られた写真なのかは不明だが、人形町末広の正面を写した写真。人形町末広が閉館したのは昭和四十五年の一月二十日。私が人形町に移り住んできたのは昭和五十年。つまりその五年前に人形町末広は無くなっていたのだが、その前には茅場町に長く住んでいた時期があり、人形町は隣町。日曜日など父に連れられて、よく人形町末広や映画館に来たものだ。
「自2月11日至20日とありますから、二月の中席のものですが、何年のものかは不明です」 こうして小三治はこの番組表から当時の思い出に入っていく。私もそれとは別にいろいろなことを思い出していた。何年の番組なのかの手がかりとして、裏表紙には席亭の石原幸吉の文章がある。「長い間御不便を御掛けしました地下鉄工事もすっかり完成し益々交通の便も倍ました」 営団地下鉄日比谷線及び、都営地下鉄浅草線の人形町駅ができたのが昭和三十七年。当時、二ツ目だった小三治が、さん治の名前でプログラムに載っている。前座名小たけから二ツ目のさん治になったのが昭和三十八年四月だから、昭和三十九年以降ということになる。となると、昭和三十九年か四十年というのが有力。
「石原幸吉という席亭は名物男でしてね。よく文句ばかり言ってました。あまり寄席にはいなくて通りの向かいの[百億]というパチンコ屋・・・今はこのパチンコ屋も無くなってしまいましたが・・・に入り浸っておりまして、なにか揉め事があると迎えに行く・・・」 これは正確にいうとちょっと違う。[百億]は人形町の交差点を日本橋方向に行った左側で、今も健在。さらに不思議なのは、人形町末広が閉館した翌朝の『読売新聞』の記事だ。
トリがすんだあと今輔師匠の紹介で席亭の石原幸吉さん(七五歳)が高座にあがって異例の挨拶。「わたしで三代目になりますが、先代からは三代目は家をつぶすといわれ、わたしはマージャン、競馬などいっさいやらず、何の楽しみもなしにやってまいりました・・・」
へえー、マージャンや競馬はやらなかったけど、パチンコはやってたのね。
この番組表には、人形町界隈の商店の広告が載っていて、これまた楽しいのだ。まだ健在の店も多い。裏表紙には、[ゼイタク煎餅]と冨貴豆の[ハマヤ]。中を開くと、あんみつが有名な[初音]、室町の弁当屋[弁松]、それになぜか「高級佃煮詰合せ」とあるが食料品店の[わしや]。一方ではもう無くなってしまっている店もある。人形町の通りにあった[小島電気]。ここはもう二十五年くらい前に無くなった。今ではビルが建って一階はラーメン屋さんだ。うなぎの大和屋。そういえばあったよなあ。ここもずいぶん前に無くなっている。[甘栗一番]。ここは七〜八年前に無くなった。今回一番の収穫は鮨の[一徳]の広告が載っていたこと。「末広亭に御注文下されば座席迄御届けします」とあるように、ここではお茶子さんに頼むと鮨を取ってくれたのだ。父と行くと必ず鮨を食べさせてくれるのが私の楽しみであった。妹はここで鮨を食べていると、芸人さんの絶好の客いじりにあい、それがたまらなくイヤだったと言う。私もイヤだから急いで食べたものだ。食べるのが遅い妹はいつもターゲットだった。そうかあ、どこの鮨屋だったのか気になっていたのだ。[一徳]という名前だったと知って長年の胸のつかえが下りたよう。ただし、この[一徳]はもう今はない。
転載はいかんとあるが、この番組だけでもここに書き写しておこう。
五〇〇
落語 柳家小きん(今のつば女)
万才 大江笙子・リーガル千太
落語 柳家さん八(今の扇橋)
紙切り 林家小正楽
六〇〇
落語 柳家さん治(今の小三治)
落語 三遊亭小円朝(昭和四十三年に死去)
小唄模写 柳家亀松
講談 一竜斎貞丈
七〇〇
奇術 アダチ竜光
落語 金原亭馬生
トリオ さえずり姉妹
落語 三遊亭円生
八〇〇(仲入り)
落語 柳家小さん
歌謡コント 都上英二・東和代
落語 柳家つばめ
落語 林家正蔵
九〇〇
曲枝 東富士夫
主任 桂文治
どうです、凄いでしょう。もしタイムマシンが出来て、どこでも連れてってやると言われたたら、わたしなら迷わずこのときの人形町末広に行きますね。今からみると色物の数が多いのがうかがえる。噺家の数が少なかったこともあるんでしょうね。約半々ですものね。今の寄席は落語ばかりが並んでいるという感じ。小唄模写なんて芸が通用したんですね、まだこの時代。この小正楽は、おそらく先代の正楽。妹が切ってもらった人だと思います。確か藤娘だった。そしてアダチ竜光。小三治も言うとおり、今の寄席での、話術で見せる奇術を編み出した人。子供心にも、ものすごく面白かったのを憶えている。今のアサダ二世が、かなり近い。
それにしても落語も凄い顔づけ。講談の貞丈から始まって、馬生、円生、小さん、正蔵とズラリ大看板が並んでいる。トリの文治は先代の文治だろうけれど、残念ながら私にはこの人の記憶はない。そんな勝手な私の思いとは別に、小三治は、それぞれの人の思い出を語っていく。「馬正師匠、よく『芸人は何でもいいんだよ』と言ってました。そのとき私は青年将校みたいなこと言ってましたよ。『芸なんてものはそんなものではない!』なんてね。今ようやく馬生師匠と同じことを言えるようになってきた。芸人なんて何でもいいんですよ。それはね、落語なんてね、いろんな落語があっていいってことです。自分が天下取ったようなこと言ってる奴がいるでしょ。私に言わせれば[笑わせんなよ]です」
「円生師匠、独演会で聴いた『牡丹灯篭 栗橋宿』に、私は心底打たれた。心底惚れましたよ。円生師匠の出囃子は[正札つき]。ちょっと演ってみましょうか?」と、一旦袖に下がって、[正札つき]の出囃子に乗って、ちょっと前かがみになって出てくる。もう円生の歩き方そっくりなのだ。座布団に座って一礼すると、円生を真似て落語をちょっと演ってみせる。「『真田小僧』を円生師匠から習いました。円生師匠の教え方は、一言一句変えてはいけないというもの。あるときこの『真田小僧』を私が高座でかけていたら、うちの師匠の小さんが楽屋から覗いて、『なんだこりゃ、円生の物真似じゃねえか』って言うんですよ。それからですよ、私の中で脱円生が始まったのは・・・」
「『蒟蒻問答』も円生師匠から習いました。あるとき、正蔵師匠が『永平寺の坊さんの挨拶のところ、あすこは違うよ』と言われました。それで正蔵の型を教えてもらった。ウソだと思うなら永平寺に行って見てごらん。行ってみたら確かにそうなんです。そんなある日、人形町末広で『蒟蒻問答』を演っていたら、いつのまにか楽屋に、小さん、円生、正蔵が入っている。もうどの型を演ったものか頭ン中いっぱいになっちゃって・・・おそらく円生のものに近いのを演って、慌てて下りたと思うんですが・・・、この番組表はおそらくそのときのものでしょうね」
こうして話は昨年亡くなった小さん師匠の思い出話へと繋がっていくのだが、あまりに近すぎて何を喋ったらいいかわからないと、いくつかのエピソードを話すうちに、いつのまにか、やはり去年亡くなった志ん朝師匠の話へと移っていく。「(私が入門したてのころ)志ん生師匠の息子で、凄い才能を持っている人がいるというのは知ってた。顔は知りませんでしたがね。あるとき、新宿末広亭の楽屋口ですれ違った人に、一種のオーラのようなものを感じました。ひょっとすると、あれが朝太という人ではないだろうかと・・・」 こうなると志ん朝師匠とのイタリア旅行の話がまた延々と続くことになり、メモをとるのも、次第に苦痛になるほど話に引き込まれてしまう。この日のことは、もうこうやって書いていてもかなり長くなってしまったし、疲れたのでこの辺までにして筆を・・・キーボードを置こう。
二席目は何と二時間。幕が下りていく中、最前列のお客さんに「今、何時ですか?」と小三治が訊いている。腕時計を見せられ、「アチャー」という表情の小三治。計3時間半のマクラを聴かされた私、ちっとも退屈しなかった。3時間半、マクラだけで持たせるというのは、やはりひとつの芸に違いない。
July.20,2002 九州男児歌之介、炎の独演会
7月13日 三遊亭歌之介独演会 (中央会館)
歌之介の面白さというのは、どうも文章では表し難い。彼の喋った笑いをどう文章にしてみてもその面白さを伝えることができない。口惜しいが、もう聴いてもらうしかない。しかし、一度耳にした人ならきっと彼の話術に魅了されてしまうに違いない。きん歌と名乗っていた二つ目時代には、よく新作の会に出ていたものだが、このところは出身地の鹿児島を中心にして独自の活動をしているらしい。それでも東京の寄席ではコンスタントに見かける。そんな歌之介が久しぶりに独演会を開いた。なんと東京での独演会は十一年ぶりだという。
一席目はネタおろしの新作。ワールドカップでにわかサッカー・ファンになったおかあさん、ベッカムに夢中だ。おとうさんは学生時代に何をやっていたのと訊くと、陸上部だという。さらに陸上部で何をやっていたのと深く訊いてみると競歩だという。競歩なんてマイナーだとバカにするおかあさんに、「桜田淳子で有名になったんだぞ! ♪キョウホそここへ クッククック・・・っていって」 ふたりの娘にもおとうさんはバカにされている。「おとうさん、金欠病って遺伝するの?」ときたもんだ。
おとうさんも負けていない。「このホルスタインの放し飼いがー! 体重計乗るのに地雷を踏むように恐る恐る乗って・・・、ムーミンが黙祷を捧げているのかと思ったよ。首かしげて『おかしい』だって。片足あげたてみたりして・・・それで体重が変わるかあ! そして『ハハハ、この体重計壊れてる』だって・・・三日前に買ったばかりだあ!」
おかあさんと娘は、ベッカムに会いたさに海外旅行に行きたいと言い出す。ところがおとうさんは永平寺の鐘の音がローンローンと聞こえる身の上。とてもそんな金はないと言う。替わりに提案したのが、ワールドカップ、イングランド代表が宿泊した淡路島のウェスティンホテル淡路への一泊旅行なのだが・・・。なかなか良く出来た歌之介らしい噺だが、これ、今だからいいものの、果たして数年後に通用する噺なのか、ちょっと気になる。そのころにはみんな、ベッカムも、イングランド代表が淡路島で合宿したことも忘れてしまうのではないだろうか?
間に挟まって、三遊亭小円歌姐さんの三味線漫談。「三味線の三の弦って、細くて切れやすいんですよ」と解説して、都々逸をひとつ。「♪三味線の 三の糸ほど苦労をかけて 今更切るとは バチあたり」 ようよう! 『のんき節』 『両国風景』に、最後は立ちあがって『奴さん』を踊るサービスぶり。姐さん、色っぽいよう!
歌之介の二席目は古典『小別れ』の(上)(中)(下)を通しで演るという趣向。(下)の『子は鎹』は自らCDにもしている自信作だが、どうやら通しで演るのは初めてらしい。驚いたことに、歌之の『子別れ』は、まったくの本寸法だった。余計なクスグリも入れずにキッチリと一時間演じきった。それでも圧巻はやはり(下)。歌之介の『子別れ』(下)の面白さは、やっぱり子供の演出にある。歌之介の子供は妙に可愛いのだ。こんな子供は現実にはいないだろうと思うくらい可愛い。それに対するおかあさんというのが、まさに武田鉄矢のおかあさんのよう。ははあ、九州の気質ってこんな感じなのかなあと思う。
客層が、普通の落語会のお客さんと微妙に違う感じがした。どうやら鹿児島からわざわざやってきたご贔屓さんも多いようだ。外に出るとクラッとするような炎天下。『子別れ』で夫婦がうなぎ屋で再会するシーンを反芻するうちに、急にうなぎが食べたくなってきた。さあて、うなぎでも食べに行くことにしますか。
July.17,2002 アンジャッシュって声がいいんだ、きっと
7月7日 バカバク! JCAオンパレード (横浜にぎわい座)
横浜にぎわい座のプログラムくらい自由なのはない。もう何でもアリという感じなのがいい。特に若手の漫才やコントを積極的に上げてくれるのはうれしい。七夕の日曜日昼興行。お客さんも若い人を中心によく入っている。
アメデオ
赤ちゃんを話題にした漫才。この二人、もう結婚しているのかどうかわからないけれど、いきなり子供が欲しいという話題が可笑しい。愚図る赤ちゃんに「何か歌ってあげよう」と言うと「マイ・ウェイ」とリクエストする赤ちゃん。こんな赤ちゃんがいたら気持ち悪いね。
チャップマン
遊園地で遊ぶふたり。メリー・ゴーランドに夢中な相方に、今度はジェット・コースターに乗ろうと言う。ところがどうやら相方は絶叫マシンが苦手らしい。「メリー・ゴーランドに忘れ物をしてしまった」 「何を?」 「想い出」 「何?」 「それと・・・ときめき」 「ははあ、ジェット・コースター怖いんだろ?」 「ジェット・コースターに乗るくらいなら、幸せな家庭築いた方がマシだよ」 「誰だってそうだよ!」 嫌がる相棒を無理矢理にジェット・コースターに乗せると・・・。絶叫マシンって好き嫌いがハッキリするよね。私の回りにも意地でも乗らないという人がいる。私は好きなんだけどね。面白いところに目をつけた漫才。
CUBE
息子が大学受験で毎晩勉強しているのに刺激され(?)、頑張っちゃた夫婦。どうやら妊娠しちゃったらしい。呆れ顔の息子、「どうするんだよ。オフクロもう50過ぎだろ?」 「出産とロックンロールに年齢は関係ないだろ!」 「ロックンロールがどうして出てくるんだよ!?」 「ベイビーだろうが」 フハハハ、可笑しい。ちょっと大人向けの艶笑コント。
キング・オブ・コメディ
難病で入院している子供。手術を前にして悩んでいる。そこへ勇気を出せと見舞いにやってきたプロ野球選手という黄金のパターン。イチローならぬイツロー選手はちょっとセコイ。野球帽をくれないかとせがんでも、やはり惜しいらしい。「君には別にプレゼントを持ってきたんだ」 「何?」 「・・・ストライクゾーン」 「何だよ、概念かよ」 とぼけたやり取りの[間]が面白い。いい味してるね、この人たち。
アンタッチャブル
プロポーズの仕方を相方に教える漫才。高級なレストランに彼女を呼び出す。「それじゃあ、食券買ってくるから」 「高級なレストランなんだから、食券制じゃないんだよ! ボーイさんを呼ぶの!」 「あっ君。・・・あれをくれ・・・凄いやつだ」 「料理の名前出てこないのかよ!」 フハハハ、わかるよね、こういう感じ。「彼女もワインを飲んで酔ってる。次は彼女を誉めるんだよ」 「夜景がきれいだね。でもそんな君より夜景の方がきれいだよ」 「逆だろうが!」 テンポがよくてポンポンポンと進んで行く漫才。気持ちがいいけれども、テーマがテーマだけに、もう少し落ちついて演った方が面白さが増すような気がするなあ。
Y&Y
女の子二人組の漫才。「私最近、すごくいいことがあったんですよ。いい人が現れまして、その人に告白しました」 「へえ、どうだったの?」 「彼が言うのにはね、『君とはずっといい友達でいたい』って。ウフフフフ」 「それって振られちっゃたんじゃないの!」 「えっ? そうなの?」 そこでなぜか『ゴッドファーザー』まのテーマが流れて、髪の毛の中から干しシイタケが出てくるは、脇の下からエノキが出てくるは―――って、なんなんだ、このシュールな笑いは! 等身大の女の子の気持ちを表したらしいこの漫才、ちょっとオジサンにはついて行けない所もあるけど、面白いね。
おぎやはぎ
漫才ブームのときに、やすきよ、ツービート、B&Bらが起こしたテンポの速い漫才というのは革命的であったものの、それを真似して演る、ただ騒々しい漫才が多すぎるように思う。そこへいくと、おぎやはぎが演っているボソボソとした口調の漫才は逆に面白い。この日のネタは不動産屋。「どの辺の物件をお捜しですか?」 「この辺に住みたいと思うんですが?」 「ああ、この辺ね。この辺はいいんですが、ベトナムの家庭料理を出す店が一軒もないんですよ」 「ベトナムの家庭料理の店なんていらないよ」 「そうですか? 『あなたの家の近くにはベトナムの家庭料理を出す店が一軒もないのね?』と言われるのイヤでしょ?」 「誰がそんなこと言うんだよ?」 「渡辺満里奈とか」 「言いそうだけど、渡辺満里奈は呼ばないでしょ」 この何とも言えない脱力系の漫才がなんとも可笑しい。
田上よしえ
幼稚園の先生がケンカをしている園児の仲裁をするネタ。「二人ともケンカしないの! はいはい、日本刀もスタンガンも仕舞って! ケンカの原因は何なの? 教えてくれたらいいことを教えてあげるから。人が死んだらどうなるか知ってる? いいことをした人は天国、悪いことをした人は地獄、普通の人は中国で暮らすのよ」 速射砲のように繰り出されるひとりコントギャグに、へたをすると置いて行かれてしまう。この人もナマで見るのは初めてだが、飛ばしてるねえ。
アルファルファ
ハローワークの係員(豊本)と職を捜しに来た男(飯塚)のコント。なぜか飯塚を見た途端に笑いのツボにはまってしまう豊本。「何笑ってるんですか?」 「いやあ、こんなに笑ったの、プーチン大統領の名前を聞いたとき以来」 こうして、紹介してくれる仕事といったらサーカスのピエロ。「いやですよ、ピエロなんて」 「いやあ、ピッタリですよ、飯塚さんには・・・アハハハハ」 こんなハローワークの係員がいたらイヤだねえ。
アンジャッシュ
現場検証のコント。児嶋が警部、渡部が刑事。殺人現場にたまたま興信所の盗聴機が仕掛けられていて、殺人があった時間の音が入っていた。そのテープから何が起こったか推理しようという設定。ドアが開く音、人を殴る音、もう一度殴る音、ナイフで刺す音、「う〜」といううめき声。この音にあわせて様々なパターンの推理をする。ガチャ、「新聞屋でーす。新聞とってください」 「けっこうです」 「一ヶ月でいいですから」 ボカッ 「洗剤もつけますから」 ボカッ 「お願いだからとってくださいよ」 グサッ 「う〜」 まさかあ。あいかわらずよく練られたコントで、やはりこの日のトリにふさわしい面白さだ。アンジャッシュが面白いということは、もう何度も書いたのだが、この人たちが面白いと感じるのは、どうもその発声法にもよるのだと思った。声がいいんですね。とても聴き取りやすいセリフまわしで、スーッと面白さが頭に入ってくる。いわば演劇に近いコントとでもいうのだろうか? それと児嶋の顔の表情のうまさだ。困った顔をさせるとこんなに面白い人も、そういないだろう。
最後は大喜利。クイズ当てのようなものだが、三問ともアンジャッシュの渡部が正解してしまった。頭いいんだな、きっとこの人。あの緻密なコントが作れる人なんだもの。
July.13,2002 コント赤信号復活!
7月6日 ラサール石井プロデュースシリーズ『ハヒヘ・フホ』 第二弾『ヒ・ヒ・ヒ』
『パンタロン同盟SP・夏が来れば重いだス!』 (ラフォーレミュージアム原宿)
ラサール石井、小宮孝泰、清水宏、春風亭昇太の四人が、ここ三年ほど毎年夏に下北沢の[ザ・スズナリ]でやっていたコント公演のスペシャル版。今年は渡辺正行まで加わって、あのコント赤信号が復活する。古くからのお笑い好きとしては見逃せない公演だ。
まずは清水宏と、ゲストのダチョウ倶楽部・肥後克弘、上島竜兵、それに室井滋を加えてのオープニング。例によって清水が最初から飛ばす。この芸人を初めて見る人はほんとうにびっくりするだろうなあ。
『野球』(村上大樹・作)
昇太ピッチャー、石井キャッチャー、清水バッターの三人が野球を始めようとしている。しかしベースの位置も決まっていなければ道具もない。この罵り合いが可笑しいのだ。「一塁はどこだよ?」 「一塁いらねえよ!」 「いらねえわけねえだろ!」 「じゃあこの辺が一塁な」 「この辺じゃわかんねえよ!」 「じゃあ何か目印置けよ!」 「何もねえよ!」 「そのメガネ置けよ!」 「置きゃいいんだろ!」 こんな調子で二塁に携帯電話、三塁に喪服(!)を置き、バットの代りにゴルフのクラブ、キャッチャー・ミットの代りに昇太の被っていたカツラでプレイボール。単に罵り合っているだけに見えた前半の可笑しなやり取りが、実はみんな伏線で、なあるほどというオチに繋がる。最初からレベルが高いコントでスタートだ。
『合格発表』
昇太が街の占い師。受験生の小宮(いつになっても学生服が似合う)が通りかかる。この日は東大の合格発表の日だ。小宮の[右、左、右、左]と歩くテンポに合わせて、占い師が「落ちる、受かる、落ちる、受かる」と声を出すものだから気がでない。アドリブでもっと長くできそうなコントだが、ほどを知っている。テンポがいいのが気持ちいい。
『替え歌1』(ビデオ)
暗転の間、ビデオで歌詞を出して替え歌コーナー。三好鉄生『すごい男の歌』の替え歌で、スズキムネオ、福岡看護婦保険金注射器殺人、和泉元弥の母をちょっぴり風刺。上手い替え歌だなあ。
『現場検証』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ・作)
渡辺正行登場。昇太が殺人現場の発見者、小宮と清水が刑事という設定がシュールに崩れていく、???というコント。やはり渡辺が入ると、その場が締まる感じ。
『替え歌2』(ビデオ)
『水戸黄門』の替え歌で、辻仁成、石田壱成をちょっぴり風刺。フフフ。
『本当にあった怖い話』
石井が語り部になって、古い旅館に泊まった恐怖の一夜の経験を語る。そこに清水が旅館の女将に扮して絡む。清水大暴れの爆笑ホラー編。清水の弾け具合が楽しい。
『モデルルーム』(小林顕作・作)
結婚を前にしたカップル(男・清水、女・小宮)がマンションのモデルルームに行くコント。マンションの販売員が昇太。いつもハイテンションの清水だが、ここは小宮に奪われた感じ。「♪ネエ見てサトル これがモデルルームよ ふたりの夢の まさに出発テンテンテン」という妙に頭に残る歌を何かといえば歌うのが可笑しい。すっかり気に入っちゃって有頂天になっている小宮だが、どうもこのマンション欠陥があるらしい・・・。
『ぶらり途中下車の旅/ストリップ篇』(ビデオ)
毎週土曜に放送しているテレビ番組のパロディ。小宮が旅人役で、本当に滝口順平がナレーションをつけている。「おんや? 小宮さん、さっそく何か見つけたようですねえ」 [道頓堀劇場]に入っていく小宮。「こちらは何のお店なんでしょうか?」と踊り子さんに訊ねる小宮。「裸を見せるお店なんですよ」 「あっ、そうですか。ちょっと・・・見せていただけませんか?」 踊り子さんのおっぱいを見せてもらう。「お手入れは?」 「はい、ちょっと」 「ちょっと触らせていただいてよろしいでしょうか?」 そこに被さる滝口順平の「お味の方はいかがなんでしょうか?」がバカに可笑しい。
『取調室』(水谷龍二・作)
コント赤信号復活。警部・渡辺、刑事・石井、容疑者・小宮という設定。石井の取調べにまったく動じない小宮に、渡辺が登場。ところが渡辺は容疑者のことなどどうでもよく、自分の娘が帰ってこないことを心配ばかりしている。やがて小宮も飲み込まれて、娘がどうなっているのかのシミュレーションに参加。果てはタイムマシンに乗ったごとく時空を越えて・・・。やはりコント赤信号は可笑しい。渡辺が一枚入ったことで、ぜんぜん別のリズムが生まれてくるから面白い。スピーディに飛ばすこの連中のコントを久々に思い出した。そうなんだよ、このテンポなんだよね。客席の笑いもやはりこのコントが一番大きかったようだ。
『領事館』
中国の日本領事館での、亡命者を中国側に引き渡してしまった不祥事についての記者会見コント。領事館の領事に石井。記者が清水と昇太。のらりくらりと質問をかわす石井の態度が可笑しい。
『八月の濡れた砂』(松尾スズキ・作)
同名の映画の石川セリの歌に乗って(このワルツの曲好きなんだ)始まったのは、海辺の町に、ひと夏を受験勉強のためにと避暑にやってきた学生(石井)が経験する物語。叔父(清水)の家にやっかいになりに来たのだが、この叔父さんはかなりの変わり者。かなり奔放な生き方をしているらしく、どうやら行きつけの店の女(昇太)とデキているらしい。その女の亭主(小宮)は、そんなふたりの様子を知りながら注意の言葉を吐くこともできない。・・・コントというよりも短い芝居という感じの一編。今や役者としての活動が多い石井、小宮は当然としても、清水も昇太も役者として十分やっていける演技力があるようだ。
『ボケ老人大喜利』
昨年に引き続きのこのコーナー。昇太が司会でのボケ老人大喜利。「おかゆ」の三文字を頭にして作る即席川柳。石井の作るのが一番まとも。「鬼嫁に カニと一緒に 茹でられた」 「大宮に 帰ろうとして ゆりかもめ」 「やらせろ、やらせろ」と騒ぐ清水にはやらせないのは、その場をぶっ壊すから。案の定、最後にやらせてみたら、「おーい 川村さーん 愉快だな」―――って何の意味があるんだあ。
『最終コント』
ゲストの三人とコント赤信号のコント。ゲストとのカラミも面白かったが、前半のコント赤信号としてのコント部分がやはり可笑しい。三人はそれぞれに忙しいんだろうし、いろいろとシガラミもあるみたいだけど、ファンとしてはやはりまたコント赤信号が見たい。渡辺の強い個性のリーダーに、ボケをかます石井と小宮の絶妙の息。久しぶりに三人のコントが見られて、幸せな気分になった公演だった。
July.8.2002 寄席見物オフ会
6月29日 池袋演芸場六月下席昼の部
そもそも[PRIVATE EYE]なるホームページを始めたのは3年前、私がパソコンを買ったときに、仲間たちからホームページを作れとそそのかされたのがきっかけだった。私を含めて数人の者の連絡用にという気持ちでスタートしたものだから、ごく私的なことを書き連ねていた。仲間以外の人間が読んでいるという感覚はまったく無かった。それがふとしたことから、一年半前にこの『客席放浪記』というコーナーを作ったことから[PRIVATE EYE]は予期しないことになってしまった。演芸好きの人がポツポツと読みに来ているのがわかってきた。こうなると、引っ込みがつかなくなってきたというのが本音。以前は月に1〜2回程度しか行かなかった落語会も、ほぼ毎週どこかに出かけて行く。当然、他のコーナーに書くことが減り、『客席放浪記』ばかり書いているという状態になってしまった。こうなるとごく仲間内の連中の戸惑いも多くなってきてしまった。何も言われるわけでもないが、仲間が「あいつ、どうしちゃったんだ?」という思いでいるのが伝わってくるようだ。そこで、当初から私のホームページを読んでくれている仲間を寄席という場所に連れて行って、少しでも寄席の雰囲気を掴んでもらえたら・・・そう思って、ごく内輪での[寄席見物オフ会]を企画した。
私の仲間とは、小説や映画が好きな四十代後半のおっさんばかり。お話が好きだから当然、落語にもある程度の知識はある。寄席で落語を聴くという行為もそれほど違和感はないはずだ。それでも初心者を寄席に連れて行くには、やはり番組を選びたい。「なあんだ、つまらないじゃないか」と思われるのは困る。それと、見終わったあとでワイワイと話したいから夜遅く終わるのではまずい。そこで選択したのが池袋演芸場の昼の部。下席は入れ替え制だから、五時に終了。料金も二千円といつもより安い。それに六月下席は若手の噺家がズラリと揃っている。これはいいのではないか。東京在住の五人に声をかけた。結果ひとりは仕事で来られないと言う。もうひとりは、やはり仕事だが五時には行かれるから、あとの飲み会だけ参加すると言う。かくて、あとの三人とは池袋演芸場の中で落ち合うという約束で、第一回寄席見物オフ会はスタートした。
まずは前座さん、春風亭朝左久で『牛ほめ』。去年入ったばかりの人だというのに、どうしてどうして上手いじゃないの。頑張ってね。
春風亭朝之助。「『早起きは三文の得』と申しますが、これと同じようなことわざが外国にもあります。『早起き鳥は虫を食べられる』。しかしこれ、虫の身になって考えてください。可哀想ですよ。『果報は寝て待て』という言葉もございますが、これは『果報は練って待て』だという説もございます。中には十日も二十日も寝っぱなしという奴が世の中にはおりまして・・・」と、『持参金』に入る。この噺に入る流れるような上手いマクラ。でもこの噺の八っつぁんはロクなことにならない。やっぱり早起きして働かなくちゃね。
大学卒の噺家さんの数も多い。入船亭扇辰も、先輩後輩に大卒が多いということをマクラに持ってきて自分のことも話し出した。「私は國學院というところを・・・中退しまして・・・何も食べるものもなくて道端に倒れているところを師匠に救われまして、噺家になりました」って、まさかなあ。ネタが『手紙無筆』。まだ寄席は始まったばかりだというのに、もう時間が押しているのかな、[おくれよ言葉]のところで切り上げてしまった。
この日のトリは、五明楼玉の輔のはずだったが休演となっていた。代バネはと見ると何と三遊亭白鳥。ちょっとヘンな新作落語を演る人だが、小説好きの私の仲間ならきっと気に入るだろうと思った。春風亭勢朝もちょっとぶっ飛んでいる噺家さんだ。「志ん朝師匠が無くなったとき、『古典の灯が消えた』と言われました。小さん師匠が無くなったときは、『本物の落語を演る者がいなくなった』です。さあ、きょうのトリは白鳥ですよ。ここは普通の寄席じゃありません。きょうは末広亭で小三治師匠がトリを取っています。あっちに行く人の方が邪道!」 ふはははは、やっぱり選択をょ間違ったかなあ。そしてギャグ満載の『紀州』へ。
すず風にゃん子・金魚の漫才。ふたりが出てきた途端に仲間たちの目が点になっているのがわかる。この日は青緑のドレス。いつものツカミ「金魚ちゃん、よく見るとカワイイでしょ。これでもハーフなんですよ。ブタとイノシシの」 「にゃん子ちゃんって一応美人でしょ。でも生娘じゃないのよ」にこれまた目が点になっているのがわかる。そうなのそうなの、こういう人たちなの。ネタは最近よくかけている、『ハッピー不動産』。
「高座で喋っちゃいけない話題が三つあります。ひとつは政治。ひとつはプロ野球の話題。もうひとつは宗教。お客さんの中にはそれぞれ考えがございますから、やっちゃいけないよと言われています。ですからきょうは宗教の噺を・・・」 橘家蔵之助が漫才を挟んで、勢朝に続いて同じ地噺『お血脈』に入った。閻魔大王に頼まれて善光寺に忍び込んだ石川五右衛門。なぜかこの噺、石川五右衛門だけは歌舞伎になっちゃうんだよね。血脈の印を奪い取って「ありがたや」と見栄を切ると楽屋でチョーンと木が入る。気持ちよさそうだねえ。
このところ妙に面白くなってきた柳亭市馬。「長嶋監督くらいそそっかしい人はいない。自分だけが気がついてないんですね。ロッカールームで柴田が着替えをしているとき、百円玉を置いておいた。そこへ長嶋がその百円を持っていこうとしたので柴田が『それは私のです』と言ったら、長嶋さん、『ごめん、ボクのによく似ていたから』」 そのまま『粗忽の使者』へ。
仲入り休憩が短いと不平へ言う私の仲間。そうなんだけどねえ、私はもう慣れちゃった。それよりも食いつきの柳家喬太郎を見て欲しいという気持ちが高まる。高座に上がった途端に、いつもの、のんしゃらんムードで、エロアニメの声優の仕事や大阪で乾電池祭り(十一月十一日。プラスマイナスだからだそうな)の司会をやった話を始めた。楽屋のお囃子さんにも受けているようで、ここでは初めて話すことなのかもしれない。「バレンタインデーなんていらないでしょ。豪華な市役所の庁舎くらいいらないでしょ。それに何ですかホワイトデーなんて」 始まった始まった。これはひょっとして、初めて聴く『白日の約束』かなあと思っていたら、やっぱりそうだった。女性が男性に訊いている。「覚えてる? きょうの約束のこと」 「三月十四日。3.14.円周率か?」 こんな女心を知らない男にOLキラーとあだ名される同僚が、ホワイトデーだと教えてあげる。そうか忘れてたと、同僚から教わった西麻布のバーへ女性を連れて行ってカクテルを飲ませて、プレゼントを渡そうとすると・・・。へへえ、こんな話だったんだあ。これはこれは、意外なラストだなあ。
喬太郎の落語を気に入ってくれたらしい仲間の顔つきを確認して、今度は橘家円太郎だ。「何も考えない瞬間が必要なんです。今夜のワールドカップ三位決定戦、トルコが勝つか韓国が勝つかとか、阪神はこのまま負け続けるのかとか、わからねえなあ喬太郎の頭の中はとか、そんなのは白鳥聴いたらぶっ飛んじゃう」 喬太郎も白鳥のことを、[けだもの芸人]だの[破壊力があるがときどき不発]なんて言うものだから、仲間に聴かせるのがちょっと不安になってくる。ネタは『短命』だ。円太郎の『短命』も最後のおかみさんとのくだりが可笑しい。メシの支度をしてくれと言う亭主に、お櫃に茶碗を突っ込んですくって寄越す。「なんで、シャモジ使わないんだよ」 「シャモジ洗うのタイヘンなの! あたしゃ、あんたと一緒になってロクなことないわ。あーあ、あたしゃくたびれた」と、テンコ盛りにしたご飯を差し出すおかみさん。「食え! どうだ!」 「博打打ってるんじゃねえや。お前だって女だろ。色っぽくやってみろ」 「昼間っからかい?」とちょっとまんざらでもなく、「あ〜、あ〜、あ〜、あなーたぁ〜ん」 ごっつい顔の円太郎が演るとおっかしいんだよね。
「最近デパートで手品のタネ売ってるでしょ。子供が『そんなの知ってるよ』なんて言うもんだからやり難いんですよ。じゃあ、売ってないものを使った手品ね」 花見世津子が駅前で拾ってきたという新聞紙を破いていく。「一枚が二枚。二枚が三枚。三枚が四枚・・・」 あのねえ、二枚が四枚、四枚が八枚なんじゃないのかねえ。小さく切った新聞紙を広げると、なんと元通りの大きな新聞紙・・・おや? 破いていたのは朝日新聞だったのに、いつのまにかスポーツ新聞。サッカーの大きな記事が載っている。「おうちに帰ってやってみてね。やり方? 見た通りにやりゃあいいの!」
初の代バネだという三遊亭白鳥は『青春残酷物語』を持ってきた。貧乏な日本の若者ふたりと、中国から来た留学生が歌舞伎町のキャバクラへ行って飲み逃げをしようという噺。白鳥の噺の中でも、たくさんの小道具に伏線が張ってあって、後半でドカンドカンと爆発するよく練られた噺だ。うん、破壊力満点。不発もなしだ。紋付(落研のトランプ亭ダイヤから借りたダイヤの紋が付いている)、喪服と数珠、チャイナ服(虎にしか見えない白猫の刺繍入り)、山口県、バナナ、牛乳屋の叔父、シャプシャブといったキーワードが大混乱のクライマックスへ向って効いて来る。私が聴くのはこれで三回目かな? 仲間の顔をチラチラと見ると、みんなにも受けているようだ。
ハネてから外で待っていたもうひとりと合流して、中華料理屋へ落ちつく。やっぱりみんなの気に入ったのは、仲入り後の喬太郎、円太郎、白鳥だったようだ。白鳥を受け入れられるかどうか、ちょっと心配だったけど、「なあんだ、案外マトモじゃん」との感想。よかった、よかった。ねえみんな、また一緒に行こうね。
July.6,2002 昇太のいい意味での軽さ
6月23日 春風亭昇太独演会 (関内ホール)
ワールドカップの真っ最中。街には日本代表のブルーのユニフォーム姿の人が多い。今はいいけれど、ワールドカップが終わっちゃったらどうするつもりなんだろうねえ。と、かく言う私も関連商品の傘を買ってしまったのだ。梅雨どきはこれが手放せないんだよね。
前説で出てきた春風亭昇太もワールドカップの話題。「私の生まれ故郷の清水ではサッカー熱が盛ん。サッカーやらない子はダメな子、ビョーキな子という扱いでしたからね。横浜競技場、行きましたよ。クロアチア対エクアドル戦。小机、初めて下りましたが・・・何にもない」 地元横浜らしく笑いが起こる。 「蕎麦屋が一軒ありました。入ろうとしたらいっぱい。中はパニックになっている。その先へ行ったら中華屋が一軒。ここは店が広い。やはり満員。ただ、働いている人数がすごく少ない。おじさん一人と、中国人の女の子がふたりだけ。もうお客さんは、間違って料理が来るのはいいよという気になっている。頼んでないマーボー豆腐がくると、『マーボー頼んだ人いますか?』と他の人に確かめる。いないと、これは俺のだと自分で食べる」 わかるよなあ、パニックの様子。ウチだってときどき何かの理由でドーッとお客さんが来てしまってパニックになることあるもんね。
神田京子という名前は、別に講釈師でなくてもおかしくない。「インターネットで検索すると、これでも180くらい出てくるんですよ。もっともほとんどが私ではなくて同姓同名の人。プレゼントの当選者だったり、中には26歳のアダルトビデオの女優さんだったりする」 ほんとだ。今、検索を入れてみたら山岳会の会員だったり、トライアスロンの選手だったりの神田京子さんが出てくる。アダルトビデオのサイトにも繋がってるね。それに、何と私のこのコーナー、去年の12月分まで出てきた。げげっ! この日のネタは『巴御前』。女傑というより豪傑といった巴御前の活躍を読んだ一席。
昇太の一席目。趣味は愛車トヨタパブリカ800(昭和42年生産)の洗車。車は好きだけど運転は好きじゃない―――って、変わってるね。「あと趣味といいますとね、雨がザカザカ降っているときに外を駆出すのが好き。濡れてもいいTシャツ着て、昼間だと人目があるんで夜中に走るんです。濡れると気持ちが開放される。オレは生き物だという気持ちが沸いてくる。風呂沸かしておいて服のまま入るの。ねっ、やってみたいと思う人いるでしょ。やってみてくださいよ」 うーん、これは面白いかも。
「冷蔵庫って昔は電気じゃなかった。扉を開けると上の段に氷を入れておく空間がある。その下にビールを入れておくと、半端な温度に冷やしてくれるといったもの。昔の人は食べ物を残さない、大切にしたと言うじゃないですか。そうじゃないんです。腐っちゃうから食べたんです」と、腐った豆腐を食べさせる『ちりとてちん』へ。おなじ奢るのでも、酒を薦めれば、「私はこの日本という国に灘の酒という、けっこうなものがあるのは知っていたんですが、飲るのは初めて」一口飲むや、「これが・・・これが・・・灘の酒というものですか。ここらの酒とは違いますなあ」なんて言ってくれる人だと、薦め甲斐があるんだけどね。鯛の刺身を薦めれば、「私はこの日本という国に鯛の刺身というけっこうな食べ物があるのは知っていたのですが、食べるのは初めて・・・(さも旨そうに食べて)死んだオフクロに食べさせてあげたかったー」。鰻の蒲焼を薦めれば、「私はこの日本という国に、鰻の蒲焼という・・・」 はいはい、わかりました、わかりました。次に登場が知ったかぶりのイヤな奴。酒も刺身も蒲焼も、不味い不味いと言いながら、その実、口と箸を持つ手が喜んでいるのが可笑しい。腐った豆腐に七味唐辛子を混ぜたものを食べさせられての、「神様ー!!」の気合もろともの一気食い。すっかり昇太はこの噺を自分流にモノにしたようだ。
仲入りがあって、神田北陽。太閤豊臣秀吉の立身出世秘話。信長へ近づく為の奇襲作戦から、草履暖め秘話。ほんとうかなあ。そこから曾呂利新左衛門の話に至る一席。マクラもそこそこに怒涛のごとく読み倒した高座。いよいよこの夏は真打だ。
昇太二席目。「落語家になってよかったなあと思ってますよ。ところが家族では自慢じやない。そう思ってない。オリンピックの代表選手にでもなったら家族の自慢になりますよ。中継のときに公民館のテレビの前に近所の人集めて、お父さん挨拶しちゃったりして。そこへいくと我々の町内会のバス旅行で、たまたま寄席に入ったら、自分の息子が出てる。また、受けてない。『あれ、お宅の息子さんですよね?』 『違います!!』なんて言ってね」 「私もやがては、人間国宝・・・なんて器じゃないですけれどね。ただ、面白いおじさんになれればいい」と、『人生が二度あれば』へ。
昔を懐かしむ老人。好きだったお千代さんが出征のときに何か言っていた。「一緒になってー!」と言っていたのでないか。そこへ行くと今のバアさん。「大きなカブトムシと寝ているようだ」―――って、この大きなカブトムシという表現がバカに可笑しい。人生が二度あったらなあと思っているところへ、盆栽の松の精が現れる・・・。古典の『ちりとてちん』をうまく自分流に仕立て上げたの対して、新作の『人生が二度あれば』も、だんだんと風格が出てきたようだ。古典も新作も絶好調の昇太、この人ほど聴き終わって軽くていい気持ちにさせてくれる人もいない。胃にもたれない落語とでもいうのだろうか。横浜まで来ても帰りの道も辛くない。人生二度なくたっていいや。昇太の落語が聴ければ幸せ。このまま面白い柳昇みたいな面白いおじさんになっていくのだろうか。うふふ、楽しみじゃないの。