October.28,2002 250回の三本締め

10月27日 第250回国立名人会 (国立演芸場)

        キリのいい250回記念。小三治トリと聞けば行かなくてはならんだろう。

        前座は古今亭朝松『たらちね』。頑張ってね。

        柳家一九『片棒』。豪華な葬式を提案する長男、派手な葬式を提案する次男、質素な葬式を提案する三男。それぞれの語り分けが楽しい一席だ。この話を聴いていていつも思うことは自分の葬式。三男の質素な葬式ほどでなくても、自分の葬式は質素でありたいなあ。ひっそりと死んでいきたい。レッド・ツェッペリンの『死にかけて』を流して欲しいけれど・・・。まあ、死んでしまったら、どうでもいいことだけどね。 

        三遊亭楽太郎。「クラス会の連絡で、昔の同級生に電話したんですよ。小学校3年生くらいの女の子が出た。『もしもし、おとうさんいる?』って言ったら『いらない』と言って切られちゃった。また電話して、『おとうさん出して』って言ったら、『出ていった』と言って切られちっゃた。今度は『おとうさんに替わって』って言ったら、『先週替わった』と言われちっゃた」 どういう家なんだろうなあ。ネタは『猫の皿』。猫を懐に入れて撫でているところをみると、これって秋か冬の話なのか? 私の頭の中には秋の田舎の情景が浮かんでいる。

        桂文治は、やっぱり江戸弁の話、日本語の乱れの話が始まってしまった。この人の話は、ハッとさせられる事が多い。「『この駅は終日禁煙とさしていただいております』だってやんの。なぜ『禁煙でございます』って言えないのかねえ。『向い側の電車にお乗り換えください』なんてアナウンスがある。江戸弁では『向い側』なんて言わない。『向こう側』ですよ。『向こう横丁の煙草屋の』とか『向こう三軒両隣』って言ってたんだよ。『向島』、『向丘遊園』は『むこうじま』、『むこうがわゆうえん』だよ。『むかいじま』、『むかいがわゆうえん』なんて言わないだろ?」 ごもっとも、ごもっとも。「『姪っ子、甥っ子』なんて平気で言ってる。これは東北弁。江戸弁では『めいご、おいご』だよ」 ごもっとも、ごもっとも。そのまま、正しくは上州弁で演る『国定忠治』へ。「おれには生涯てめえという、つええ味方があったんべな」 締まらないけど、本当のところはそうだったんだろうなあ。

        林家木久蔵、「只今、池袋演芸場では林家いっ平の真打披露興行中。感無量でございます。いっ平は三平の息子でございますが、こん平の弟子として育てられました。でかい声、貪欲、エネルギッシュ・・・こん平のことを誉めようもないのですが・・・私が師匠の正蔵に連れられて初めて新宿末広亭に行ったときです。そのときの立前座がこん平。師匠が『うちの新しい奴だ、頼むよ〜』って言ってくれたんです。そうしたら、こん平の言うことには、『前座は無駄な動きをしないように。柱時計の下に座ってろ。そうすると各師匠方が時計を見るときに、お前の姿を見て憶えてくださる』って言うのを真に受けて座ってたら、『今度の前座は働かない』って評判になっちっゃた」 『笑点』で一緒のこん平の話から入って、自分の生立ちから正蔵の弟子になるまでの漫談。もう本でも読んだ話だけれど、いつも可笑しい。正蔵の声色を使っての逸話噺も、まだまだ出て来る。作りじゃないのかとも思うのだが、案外、本当のことだったりして。終演後に貼り出されたネタ帖によると、『明るい選挙』となっていたが、どこに選挙の話が出てきたのかなあ?

        俗曲の柳家小菊ねえさんは、『唐傘』から、[寄席のスタンダードナンバー・への8番、かえるぴょこぴょこ]、カニとナマコの喧嘩『とっちりとん』で笑わせ、大作『たぬき』へ。ようよう、三味線上手いねえ!

        待ってました、トリの柳家小三治! 長野の飯田で落語会を演ってきたというマクラが始まる。あそこは二方を山に囲まれた谷、伊那谷だという話から小畑実のことになり、「今日は若い人が多いようですから止めますが・・・」と言いながらも、小畑実の『勘太郎月夜歌』の一節を気持ち良さそう歌ってみせる。「♪影か柳か 勘太郎さんか 伊那は七谷 糸ひく煙・・・」 「飯田ってね、街路樹がリンゴなんですよ。我々としてはね、そのリンゴは安全なんだろうかと・・・誰か持っていっちゃって無くなっちゃうんじゃないかと・・・それがたわわになっているというのは・・・不味いんですかね?」

        「落語会が終わると、よく高座の袖で三本締めということをやります」 この落語会のあとで主催者の宴会に出たという話になる。酒を呑まない小三治が、いいかげんなところで席を立とうとすると、それではと、また三本締めになるかと思いきや、「万歳三唱だった。結婚式でもなんでも、この土地では万歳三唱なんだそうですよ。万歳なんてね、何かを勝ち取ったときにしません? 落語会の終わりに万歳なんねえ・・・」 さかんに不思議がってみせて『粗忽長屋』へ。小三治言うところの、マメでそそっかしい粗忽者と、不精でそそっかしい粗忽者の対比が可笑しい。不精粗忽派の熊さんがいかにも小三治のとぼけた味わいにマッチしていて爆笑ものだった。

        予定時間を十五分押しての終演。外に出ると止んでいたはずの雨がまた降り出していた。駅へ走りながら、そっと心の中で三本締め。「よよよい、よよよい、よよよいよい!」 やっぱり万歳じゃなくて、三本締めだよなあ。


October.26,2002 バカごっこコント(?)に大笑い

10月20日 スーパー・エキセントリック・シアター
        『幕末幻妖伝』 (池袋サンシャイン劇場)

        三宅裕司率いるスーパー・エキセントリック・シアター、昨年の公演はチケットを入手していながら、当日に風邪をひいてしまい行かれずに涙を飲んだ。今年は万全の態勢でサンシャイン劇場へ。

        幕末、上海へ向う一艘の船。船上には高杉晋作(宮内大)、伊藤博文(小倉久寛)、五代才助(野崎数馬)らの姿。開国を迫る欧米に、近隣諸国の様子を視察しようとの目的らしいのだが、本当のところは積荷のひとつに関係するものらしい。上海上陸まじかになったときに、突如現れた海賊らしき一団、白蓮教とは何か? たちまち船上は立ち回りの場に。中国拳法と日本の剣法が入り混じり、その殺陣の鮮やかなこと! そこにさらに何やら怪しげな中国魔術ギャグが加わる。アクションと笑いがうまい具合に調和した舞台だ。

        船はやがて上海へ。先に来ていた坂本竜馬(野添義弘)、謎の僧侶ピータン(三宅裕司)、シーボルト(八木橋修)らを加えて、話はやがて中国の奥地崑崙へと向っていく。京劇の役者を加えたアクションにふんだんなギャグを加え、突如、舞台がミュージカルになってしまうサービス精神。シーボルトの助手ナット(丸山優子)が、説明のたびに白衣を脱ぎ、チャイナ・ドレスになって歌うのが可笑しい。

        クライマックスは、さまよう湖ロブ=ノール湖の翡翠城へ。行こうと思うと消えてしまうこの湖に行きつくためには、行こうという意思を消してバカにならなければ行けないという、即興バカごっこが楽しい。このコーナーは毎日違うらしく、役者も楽しんで(苦しんで?)演っているよう。三宅と小倉を中心にしたコントのようなコーナーになっていて、ここは爆笑もの。

        とても楽しめた2時間だったが、惜しむらくはラスト。突如の仲間割れの展開から収拾がつかなくなったのか、夢オチは安易ではないかい? もう少し別の結末があったのではないかと思うのだが・・・。とはいえ、盛りだくさんの趣向で飽きさせない楽しい芝居だった。


October.20,2002 山陽や談春と同時代に生きられる幸せ

10月19日 第281回花形演芸会 (国立演芸場)

        家を出る前から雲行きが怪しい。一雨ありそうだと折りたたみの傘をバッグの中に入れる。半蔵門の駅を出たらば、バケツをひっくり返したような雨。小さな折りたたみ傘では間に合わない。足早に国立演芸場に向うが、だいぶ濡れてしまった。入りの方はと開演前に客席を見渡せば満員。さすがに顔づけがいいと、この会は席が埋まる。

        前座は柳家さん角『高砂や』。いまどき婚礼の席で謡いを演るという習慣もなくなったから、こんなネタは難しくなったと思うのだが、いまだに寄席の定番噺になっているのは、やっぱり面白いからなんだろう。私だって『高砂や』の歌詞なんて知らない。それが、世間の人はみんな知っていたという頃の話なのだから、ちょっと苦しいとは思うのだけどね。さん角は、隠居さんに『高砂や』の全ての歌詞を言わせる丁寧な型。そのせいなのか、隠居さんに稽古をつけてもらっている最中、「豆腐ぃー、高砂やこの浦舟に帆を上げて、がんもどき」までで下りてしまった。

        クリクリお目々の春風亭朝之助が、「前座さんが持ち時間より早く下りてしまいまして」と出囃子たっぷりのあとに出てくる。ネタは『悋気の独楽』。この人は顔の表情がいい。旦那、おかみさん、定吉、お妾さん、婆やの様子がキリッ、キリッと切り替わる演じ分けが気持ちいい。この人の目を見ていると、それぞれの役柄に切り替わって成りきっていくのがわかる。

        初めて見るカンニングという漫才。九州出身でサン・ミュージック所属だという。「ぼくらのこと知ってる人います?」 ほとんど手が上がらない。「漫才あとで演りますけど、愚痴を言わせてください。ぼくらもう、10年やってます・・・バイトばっかり。17回もバイト替わった。ボイラー技師の免許まで持っている」 「サン・ミュージックの人に言われました。『そろそろ考えろよ』って。これって、もう(芸人を)止めろってことですよ!」 これだけいっぱい若手の漫才がいると競争も激しい。それでもお笑い芸人になりたいという人たちは次々と出て来る。私には、そっとエールを送ることしか出来ないのだが・・・と思っているうちに、いつしかネタに入っていた。高校野球の監督が、最後の試合を終えた野球部の生徒に贈る言葉というネタなのだが、これが面白い。「これで君たちの高校野球生活も終わりだ。これからはこの思い出を胸に人生を歩んでいって・・・る場合じゃないぞ! 人生は金だ!」 老人を騙して洗剤や布団を売りつけろと熱弁をふるう監督。ボケ役の竹山の声が元気で通りがよく、面白い漫才だった。止めないで続けて欲しいぞ。

        神田山陽が出て来ると、小さな女の子の「三代目!」の声がかかる。今行われている国立演芸場十月中席は山陽の真打昇進襲名披露公演の最中。山陽は昼の部でこれに出て、引き続き花形演芸会だ。「おかげさまで連日大入り袋が出ましたが、きょうは土曜だというのに、なぜか目減りしまして・・・」 講談になかなか入らずに漫談が続いていく。「先日も、とある先輩のうちに泊めてもらったんですが」と言うだけでドッと笑いが起こる。山陽が昇太のうちに入り浸っている話はもう有名だもんね。

        高校時代の同級生と十年ぶりに逢って、居酒屋で呑むうちに、相手が「世の中、間違っていると思わないか?」さらには「若者が間違っている」と言い出したそうだ。コンビニの前の地べたにペタッと座り込んでいる若者。しかし、山陽の分析というのは面白い。今の若者は高価なジーンズを買うが洗わない。色が落ちるのはよくないと思っている。それは今の若者にとっては[当たり前]なのだ。一方、今までの私たちはまっさらのジーンズを嫌い、わざわざ色を落として穿いていた。それが[当たり前]だっのだ。当たり前と当たり前がぶつかったところで平行線になるのは当たり前だというわけである。さらに山陽はこれを展開させる。当たり前だと思っている価値観の違いを取りまとめるのに日本人くらい適任なのはいないのではないか。さらには、講談、講釈とは、物事をわかりやすく解説する、説明するということ。「国際社会の中で、これから講釈師は重宝な役になるのではないか」 う〜ん、飛躍がある気がするが、これは面白い。

        ようやくネタに入ると、水戸黄門の家来だった剣の達人和田平助の逸話『和田平助・鉄砲斬り』を脱線をふんだんに盛り込んでの一席。脱線で笑いを取りながらも、闘いの場面の切れ味は鋭い。これからこの人の講談を聴きながら一生を過ごしていけると思うだけでうれしくなる。それだけの面白さを持った人だ。

        「山陽くん、普段からあんなに歯切れ良く喋っているわけじゃないんですよ。こん平さんや山陽くんのような芸風は疲れるんです」 柳家花緑は大阪の学校寄席に行った体験を語り出した。大阪で東京の落語家が受けること自体が難しい上に、お金を払っていない、笑おうという気が無い観客。しかもちょっとグレてる学校。『離さんかじじい』の小噺を演っても六百人の生徒はシーン。落語のうどんの食べ方などを演ってみせてもシーン。「もう、恐怖体験でしたよ」 落語が終わって質問コーナー。ここでも誰も質問が無くてシーン。やがてドラッグをやってるんじゃないかという女の子が、「あのー、ブレイクダンス出来はるとうかがってますが、やってくれはらしませんかあ」 そこでムーンウォークを演ってみせると、拍手。「おーい、お前ら、噺家イジメか、と」 受けなかったとガッカリして、校長先生に「すみませんでした」と謝ると、「いやー、受けてたじゃありませんか。生徒が一時間十分黙って聴いているのが凄いですよ。私らなんかだと私語だらけですから」 そのあと生徒の感想文というのを見せてもらう。「『死ね!』とか書いてあるんじゃないかと思いましたよ。・・・そしたらね・・・誉めてるの。『花咲じじいの小噺、あんな面白い噺、聴いた事が無い』 『うどんの食べ方上手ですね』 『あなたは上手いですね』 それからですよ、客席で笑いが起こらなくても気にしなくなった」 この日は『不動坊』へ。笑いの多いネタだから客席からはコンスタントに笑いが入る。大丈夫、受けてるよ。

        仲入り後は、スウィングのコント。初めて入る床屋にやってきた男。だが、ここの床屋ちょっとヘン。「ハサミで切りましょうか? それとも毟りますか?」 『不精床』を現代的にしたような出だしの床屋コント。客に話しかけてばかりで、散髪がなかなか進まない。「お客さん、どんなタイプの女性が好きですか?」 「憎めない子かなあ」 「えっ! 妊娠に目が無い子?」 「そんなこと言ってないだろ! あとは、意地っ張りの子って可愛いよね」 「えっ! 突っ張りの上手い子?」 「相撲とりじゃないんだから!」

        和楽社中の若手、翁家和助がピンで出てきた。まずは三本のバチの曲芸。二本のバチで一本のバチを吊り上げ、一回転、二回転、連続回転。いつもは、和楽にツッコミを入れられているいるが、この日はひとり。伸び伸び演っているようだが、喋りながらの曲芸はたいへんそう。毬を使っての衣紋流しにもハラハラ。客席から笑いが起こる。「なんで笑ってるのかなあ。これ、難しいんですよー」 最後は刀の曲芸。始める前に、ちょっと準備をと着物を肩からずらしてみせると、大リーグボール養成ギブスが付いていた。ガシャンと外して、さあ本気だ。ハハハ、まさかあ。

        トリは立川談春『鼠穴』。竹次郎が兄貴のところへ金を借りに行くと、包みに入ったものを渡される。開けてみると、たったの三文。今の三十円にも満たない金額。これを見て竹次郎が、小さくポツポツと「三文・・・三文か。オラが金借りに行って、たった三文か・・・オラの顔見るのも嫌か・・・これは縁切りという意味か」と呟く様子が切ない。十日も食べてない竹次郎の元気の無さがよく出ている。三文を元手にサシを作って、だんだんに金を手にしていくのだが、食事もとれないでどうしたのかというと、夜鳴き蕎麦屋の残り物の汁だけ飲ませてもらって生き延びる。「人間、まさかの坂を越えられたら怖いものは無いと言います」 このまさかの坂を越えた竹次郎が十年後に兄と再開を果した時、兄と弟の十年前の思いをぶつけ合う姿が迫真の場面になっている。思わず引き込まれてしまう迫力だ。

        終演時間を二十分押しての談春の熱演を見て外に出ると、雨は上がっていた。


October.17,2002 猫のホテルに翻弄されるラッパ屋の可笑しさ

10月14日 『ビルの中味』 (本多劇場)

        [猫のホテル]が面白いという話を聞いていて、一度見てみたいと思っていた。たまたま『ビルの中味』を見に行く日の前日に、NHK衛星第二で、猫のホテル『愛してる。いや言わんでいい』を放送していて、それを見たらば、なかなか私好みの面白さだったので、期待が高まる。

        今回の公演は、猫のホテルとラッパ屋、それに他の劇団からも役者を呼び、猫のホテルの千葉雅子が、作・演出をするという企画。社会人ネタを得意とするらしい両劇団らしく、テーマは合併企業の話。猫のホテルの役者たちがいた会社派と、ラッパ屋他の合同チームのいた会社派の対立といった構造になっている。どちらかというと真面目で良識的(?)な芝居を演るラッパ屋が、猫のホテルのエキセントリックな役者面々に翻弄されていく様子が可笑しい。

        まだ前夜、『愛してる。いや言わんでいい』を見ただけなのだが、市川しんぺーは両作とも服を脱いじゃうわ、池田鉄洋は奇妙だわ、佐藤真弓はその独特のセリフまわしが耳に残るわで、まったく猫のホテルペース。

        ごくごくまっとうに生きている人が、異星人のようなキャラクターたちに翻弄されるというコメディのパターンに近いものがある。たとえば映画でいうと、『ネイバーズ』でダン・エイクロイドに翻弄されるジョン・ベルーシだとか、『ケーブル・ガイ』でジム・キャリーに翻弄されるマシュー・ブロデリックのような感じといえばいいのだろうか? しかしそれにしても猫のホテルの面々が演じる会社員は、いったい会社で何をやってるんだろうねえ。

        消えものといわれる食べ物も、今回も本物が使われている。かけそばと缶コーヒーに固執しているのも可笑しいし、生姜焼きの匂いが客席まで漂ってくるのがいい。映画と違って食べ物の匂いが客席に漂ってくるというのは効果的だ。

        劇場を出たら、急にお腹が空いてきた。下北沢の町は若い人でいっぱい。安い食べ物屋もいっぱいだ。石焼ビビンバをフーフーと口に運びながら生ビール。寄席にばかり通っていたこのごろだが、ちょっと、小劇団の芝居が面白く感じられてきた。このままハマってしまいそうだなあ。さて・・・。


October.13,2002 荻野目慶子体当たり演技

10月12日 大人計画
        日本総合悲劇協会『業音(ごうおん)』 (草月ホール)

        いきなり、舞台奥から本物の自動車が現れる。人身事故。伊勢志摩がはねられる。運転していたのは荻野目慶子。被害者の夫松尾スズキは妻のことをそっちのけで、荻野目と話を始める。荻野目は借金苦にあえぐ売れないタレント役。再起を望んで、老人介護をテーマにした演歌で再デビューをしようとしている。

        ようやくのことで被害者は病院へ送られるが、植物人間に。荻野目は拉致され松尾の妻の替わりとされてしまう・・・。

        このような芝居のストーリーを書くのは、あまり意味のないことだ。ストーリーはあるようで無く、無いようである。ただ2時間、まったく退屈することなく舞台に引き込まれてしまった。悲劇とはいうものの、笑いの要素もふんだんだ。

        携帯電話のメールをひっきりなしに気にするアイドルタレント役の荻野目慶子が、カーテンコールで出て来たときには大女優の風格さえ感じさせるのも見事。

        入口でカメラ・チェックがあった。おや、芝居の公演でカメラ・チェックとは珍しいなと思ったら、なるほど流出するとまずいだろう場面がかなりあった。どんな場面かというと・・・見に行った人だけの秘密。


October.12,2002 鈴本に前衛を持ち込むことは・・・

10月6日 秋風鈴本特選落語会・夜の部
       柳家花緑奮闘公演『史上最大の落語』 (鈴本演芸場)

        柳家花緑が意欲的だ。夏の鈴木聡:作『ナンパジジイ』に続いて、今度は平田オリザ:作『史上最大の落語』に挑む。前売りチケットを買ってこの日を楽しみにしていた。私が行くのは六日目。その間、噂が聞こえてきた。前衛的、難解、疲れる・・・むむむ、ちょっと気が重くなる。昼寝をたっぷり取り、頭をすっきりさせてから鈴本へ向う。

        前座はなく、いきなり二ツ目の柳家三三から。例の[はいてく犯罪]の小噺から『釜泥』へ。釜を盗まれるという事件が頻発し、豆腐屋さんも被害に遭う。二度と盗まれないようにと豆腐屋のオヤジが釜の中に入って寝ずの番。ところが、ただ釜の中に入ってちゃ退屈だ。ばあさんに酒と肴を持ってきてくれと頼む。「夜寝る前にお酒を呑んだり油ものを食べたりすると、コレステロールがたまって良くないと、昼間、みのさんが言ってたよ」 「お前、どういう番組見てんだよ!」 うううっ、耳が痛い。

        新作派を揃えたこの興行。林家こぶ平も漫談かなあと思っていたら、マクラらしいマクラもなくスッと『錦の袈裟』に入り、最後までいかずに、吉原で錦のフンドシを見せたあたりで切って、「冗談いっちゃいけねえ」で下りてしまった。このところ古典に真剣に取り組んでいるこぶ平だ。上手い。上手くはある。だが、この『錦の袈裟』はソツがなく演ったという印象しか残らなかった。細かいところもツメずに、キチンと演じている。贅沢な要求かも知れないが、しかしこれでは、こぶ平らしさが出ていない。何かこぶ平ならではの工夫はなかったものなのか。こぶ平なりに消化した『錦の袈裟』が聴いてみたかった。

        柳家喬太郎がいつものツカミを入れている。「この上席十日間の興行に出させていただいたあと、下席ではトリをとらせていただいて『史上最低の落語』というのを演りまして、そのあとは・・・・・二十七連休・・・かな?」 ハブの小噺、回送電車の小噺。喬太郎を何回も聴いている者にはお馴染みのネタなのだが、今興行の客席は、どうやら普段はあまり落語など聴きに来ない演劇好きで埋まっている。喬太郎なりのアッピールになればいいなと思う。演劇ファンがこうやって寄席の面白さを感じて、通ってきてくれれば。その意味では、この興行はよかったのかも知れない。喬太郎数ある新作ネタの中から、この日は『ほんとうのこというと』。マサヒロくんが婚約者のユミコさんを家に連れてくる。ちょっと変ったおとうさんとおかあさん、弟と妹の演じ方が面白い。ところが本当に変っていたのはユミコさんの方で・・・。これ以上は聞いた事がない人には興味を削ぐことになりそうだから書かないが、唖然とするような発想の噺。途中で、驚いた展開になっていくので、客がびっくりしているところで、「『たらちね』にすればよかったあ」。これ、最近の喬太郎の笑いの取り方。「なんでもない、なんでもない。ただ、心のつぶやき・・・」

        林家彦いちは、お得意『睨み合い』。JR車内で起こったドキュメンタリー落語だ。マクラで演った住宅街に入ってきた街宣車の話と同じで、ちょっとした短い出来事を話すだけのことなのだが、引っ張る、引っ張る。その話術たるや見事だ。緊急停車した車内にいる“キレる”若者。「ざけんなよ〜!」を繰り返している。「誰もふざけている人はいません。彼の顔の前で、ハブの小噺でも演ったら、それはふざけているでしょうが・・・」

        和楽社中の太神楽。傘の曲芸、毬の交換取りで、和助が傘から放った毬が遠くへ飛びすぎて小楽が苦労してキャッチ。狭い鈴本の高座ではたいへんそうだ。

        平田オリザの客を意識して、三遊亭歌武蔵も古典ではなくて、例の相撲部屋漫談かなあと思ったら、『胴斬り』だった。この人の『胴斬り』は、今年の二月にも聴いていて、そのときにも書いたのだが、あと二分で終わるというところで一端話を切り、素になって話が入る。「おことわりしますと、私、この噺演るの不安なんです。胴から上と、足がバラバラになって湯屋の番台と、こんにゃく屋で働くなんていう架空の世界の噺に、お客さんが着いて来れるかどうかと・・・。落語というのは知的な遊びなんです。頭のいい人だけが楽しめるんです」 そうだ、そうだ、そのとおり。

        柳家はん治は、桂三枝:作の『君よ、モーツァルトを聴け』だ。隠居さんにモーツァルトの逸話を聞いた男が、家に帰ってその話をするが、生半可に聞いて来たのでヘンな話になるという、落語の黄金のパターン。途中、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』(Eine Kleine Nachitmusik)を鳴り物として使っての高座。モーツァルトのセレナーデをゆったりと味わいながらの落語というのも風情があっていいね。

        仲入り。腰を伸ばす。これから、いよいよ問題の『史上最大の落語』が始まる。「疲れるぞお」という声を聞いているので、今のうちにリラックスだ。軽く体を動かし、ペットポトルの水を飲んで、再び席につく。ふと気がつくと、鈴木聡も一番前の席で座っていた。

        柳家花緑は、いきなり本題に入った。『史上最大の落語』は、あとから思い返してみると、六つに分かれていた。

『ヤルタ会談・上』
        1945年(昭和二十年)、第二次世界大戦の戦後処理を話し合う、ルーズベルト、チャーチル、スターリンによるヤルタ会談の内容を落語にしてみせるという試み。面白いかどうかは評価が分かれるところ。ただ私にはあんまり笑えなかったといえる。お客さんも唖然として聴いていると人が多かったような気がする。

『ご説明』
        『ヤルタ会談・上』が終わったところで、花緑の解説が入る。客席から「噺が難しすぎるよ」という声が飛ぶのを受けて、「中には何が何だかわからないとい人もいるでしょう。演ってるボクにもわからない。歴史に詳しい人はわかってくれるでしょうが」 「実験落語だと思ってください」 「平田オリザさんに訊かれました。『落語っていうのは、何分笑いが無くても持つんですか?』 そんな質問されたのは初めて」 「落語とは自己主張です。ところが、きょうは自己の主張ゼロ。役者になって演ってみようということです。いっこく堂でいえば、ボクは人形」 うーん、それも落語なんだろうか? 自分でもわからないものを演ってのけてしまう花緑も凄いが・・・。『ヤルタ会談・上』を聴いていても、まるで噛むことなく、流れるように話している。ただ丸暗記しただけでは、あんなに流暢には話せないと思うのだが。

『詩を読む』
        宮沢賢治の『雨にも負けず』と、谷川俊太郎の『新しい荒野 アポロ11号』を、何も見ずに暗誦する。いったい、いったい、これのどこが落語なのだろうか。これまた淀みなく、スラスラと暗誦する花緑には、ただただ驚くばかりだが、まさか詩の朗読を聴かされるとは思わなかった。『雨にも負けず』は聞き手の頭に病気のおかあさんの姿が浮かべば、これも落語なのではないかという事だそうだ。それでは、詩の朗読という作業は落語なのか? 谷川俊太郎の方は、新しいことに立ち向かおうとする花緑の今の姿にオーバー・ラップするという意味で選んだらしいが、うーん、そんなものを聞かされてもなあ。私は落語を聴きに来たのであって、詩の朗読会に来たのではない。詩が聴きたければ朗読会に行く。行きたくないけど。

『動物会議』
        エーリヒ・ケストナーの『動物会議』を落語にしたもの。本を手にして話し出す。これだと落語らしくならない。キッチリとカミシモを切って演るわけではないから、本を読んでもらっているような気になってしまう。両親や学校の先生から、ちょっと大人向けの童話を聴かされているようだ。実験とはいえ、これも本来の落語とは、また別のもののような気がする。

『素粒子の世界』
        一番落語らしいといえば、これがそうなのだろう。物理学落語だ。物理・・・苦手だったんだよなあ。聴いていて頭が痛くなってきたきたが、陽子が電子に三千円貸していて、それを返せと要求するのを、中性子が中に入って取り持つ噺(?)。なんのことやらわからずに聴いていると、このオチが実に落語的なのにびっくり。

『ヤルタ会談・下』
        『素粒子の世界』が史上最小の世界の落語だとすると、『ヤルタ会談』はよく聴くと史上最大の世界の落語だということが、聴いていてわかってくる。『上』ではヨーロッパ編ともいうべきものだったが、『下』はアジア編といった趣き。だんだんと怖さが増してくる。

        一時間十分聴き通して感じたのは、やっぱり疲れたということ。落語を聴いてこんなに疲れたことはない。客席は、いつもの鈴本ではない。演劇関係の人が多かったような気がする。演劇好きの人を寄席にも来させようという意気込みは感じた。しかし、はたしてこれでよかったのだろうか? 同じ演劇畑の人の書いた噺をかけるなら、鈴木聡の『ナンパジジイ』の方が良かったのではないか。『史上最大の落語』は鈴本にかける噺ではない。あまりに前衛すぎて、鈴本には似合わない。こういうものは、どこかのホールで演ってもらいたい。もっとも、ホール公演だと、前売り二千五百円という安い料金では見られなかっただろうが・・・。


October.9,2002 高座の座布団

10月5日 柳家小三治独演会
       第36回所沢寄席 (所沢・ミューズ マーキーホール)

        江戸半太くんに影響されて、東京近郊で開かれる小三治の独演会のおっかけを始めて、ついに今まで乗ったことがなかった西武新宿線というものに乗ることになった。この、知らない土地に行くというのは、ちょっとした旅行気分で案外楽しい。所沢のホールってどこにあるんだろうと、ネットで調べてみたら、西武新宿線の航空公園という駅が最寄の駅だということがわかった。小三治の会としては珍しく開演は夜。夕方、西武新宿駅から急行電車に乗ったときにはすでに車窓は暗くなりだしていた。知らない路線に乗るときは、この車窓風景も楽しみのひとつなのだが、乗って間もなく外は真っ暗闇。

        途中、特急電車の通過待ち合わせなどもあり、航空公園駅に着いたときは、西武新宿駅をたって四十五分が経過していた。改札を出て駅前へ出るとそこは大きなロータリー。広々とした道が一本前方にあるだけ。どうやらこの道をまっすぐに行けということらしい。暗がりの中に本物の飛行機が駅前に置いてあるのがわかる。ぎょっとしながら進むと、右手に市役所や郵便局などの建物が並んでいて、その先がミューズだ。マーキーホールはその中でも一番奥まったところ。中に入ってみると、いやあ、実に立派なホールだ。緞帳が銀色で重々しさを醸し出している。これから落語が始まるとは思えない。シェークスピアでも上演しそうな雰囲気。

        まずは柳家三之助『芝居の喧嘩』。先週浅草で春風亭一朝のを聴いたばかり。三之助のも一朝の型と同じだった。ただやはりまだ年季の違いかなあ、一朝ほど噺が弾んでこない。これからに期待。

        柳家小三治一席目。会館の人から、新調の座布団だから味わってくださいと言われたという話をして、座布団の話になる。よく柔らかくて厚い座布団を出されることがあるが、あれは拷問だという。どうすれば長時間座っていられるかというと、まず柔らかい座布団はやめるということ。長く座っていると痺れてくる。なぜ痺れるかというと血行が悪くなる。柔らかい座布団はジワーッと足全体を締めつけてくるそうだ。そこへいくと固い座布団はスキがあってちょっと体を動かすと血液が流れるのだそうだ。。「落語ってのはズルがあるんですよ。『隠居さんこんにちは』 『おや、八っつぁん、お上がりよ』(と、腰を上げて見せ)、こうすると血が流れる」 「お葬式などで、長く正座していられるコツその二は、柔らかい座布団だったら、いっそ敷かない方がいい。固いから痛いと思うでしょ。痛いですよ、そりゃ。でも痺れてるのと痛いのとどちらがイヤかと言ったら、痺れてる方がイヤ」 以前から噺家さんってよく長時間正座していられるなあと思っていたのだが、そういうことなんだあ。

        今年亡くなった師匠の小さんの話になる。「大往生でした。心持ちよく亡くなったというのが大往生」 ひところ食欲が無くなっていた小さんが、珍しくとったちらし寿司をペロリとたいらげ、寝る前に「明日は稲荷寿司にしよう」と言って、翌朝冷たくなっていた。「だって、明日は稲荷寿司を食べたいという希望を持って亡くなったんですから大往生ですよ。人間、死亡率100%ですからね。どうせなら、気持ちよく亡くなりたいじゃないですか。大往生するためのヒント。今夜から晩飯はいつもちらし寿司。そして、寝るときに家の者に『明日は稲荷寿司が食べたい』と言う」

        このあと、話が脱線して皇室のことになり、このままだと噺に入りにくいと言い出す。「皇室の話から裏長屋の噺は差が有りすぎるから」と、もう少し他のことを話してから入りますと、例の[木・チャンラン]の話をまたひとくさり。四十五分のマクラのあとに『金明竹』に入った。小三治の『金明竹』は先月も聴いて、そこに書いた。大阪弁の使いの者が出て来る前までで十五分。金明竹の本筋に入って十分の計二十五分だ。この噺も普通の噺家さんだと半分の十二〜三分で演ってしまう。別に余計なものを入れているのではないが、なぜか小三治が演ると、どの噺も倍の長さになる。それでいて退屈させないのだから、不思議な人である。それにしてもマクラ四十五分、ネタ二十五分の計一時間十分である。よく正座で話せるものだ。新調の座布団の座り心地はいかがだったのだろうか?

        二席目のマクラは、BSデジタルのチューナーのを買ったという話。ところが師匠、このデジタルの映像があまりお気に召さなかったらしい。デジタルの映像はマシュマロ、あるいはスの入った大根を食わされているようだと形容。アナログのBSの方がしっくりくるらしい。「レコードからCDになったときだってそうですよ。ある部分は良くなりました。今さらまたレコードに戻るわけにもいかないけれど、心が落ち着いていい気持ちになるのはアナログですよ。ヘンに便利に新しくしようとして、首締めてるってことありますよ」と、まったくのアナログ文化の落語に入る。マクラ二十分。

        町名変更によって、自分が生まれ育った柏木が、北新宿に変えられてしまったことに対する怒り。「きっと都庁の人が新宿近辺を四つに区切り、東西南北を新宿に分けたに違いないんですよ。『これでいいや』って五時になって帰りがけに雀荘に行って東だの北だのやったに違いない。柏木というきれいな町名が北新宿にされちゃった。北っていうと気が滅入るでしょ」 ほんとだよなあ。今からでも遅くないから、町名を復活させてくれないかなあ。人形町、堀留、小伝馬町と説明して、馬喰町へ。ははあ、アレだなと思ったら、やっぱり『宿屋の富』へ。小三治の『宿屋の富』は今年の六月に春日部で聴いた。富が当ったのを知る場面で、自分の持っている札と当り番号を確認するうちに、だんだんと無口になって見比べていく仕種がいい。

        二席とも、小三治で聴いてしまった噺だったのにちょっと失望しながらも、楽しいマクラだけでも一時間以上聴けた勘定になり、まあ満足。駅前に戻って、[ぎょうざの満州]で餃子と生ビール。アツアツの餃子がビールに良く合う。いい気持ちで酔っ払ってしまい、帰りの西武新宿線の車内ではグッスリと眠り込んでしまった。


October.6,2002 元気なマチャアキ

10月5日 『おしゃべり伝六捕物帖』 (明治座)

        二年ぶりの明治座堺正章座長公演。堺正章の父・堺駿二もやっていた『右門捕物帖』の中のキャラクター、おしゃべり伝六ものとしては七年前の『おしゃべり伝六一番手柄』に続いて二作目。

        今年のマチャアキの舞台は、元気一杯だ。二年前の『ご存知一心太助 目から鱗の物語』のときは、どことなく精彩がないような気がした。さすがにマチャアキも歳なのかなあと思ったのだが、今年はどうしたことだろう。もう実にハツラツとしている。

        一幕目、五重の塔のてっぺんで自殺しようとしている男に「どうせ死ぬ気はないんだろう? 悔しかったら飛び降りてみろ!」と伝六が言ったために、自殺願望の男が本当に飛び降りて死んでしまうという事件が起きる。そのため右門(名高達男)は伝六に一切言葉をしゃべってはいけないと言い渡す。自殺願望者にポンポンと啖呵を切る堺正章が気持ちいい。口をきいてはいけないと言われて、すべてをジェスチャーで表現しようとする伝六と、髪結いのお咲(紺野美沙子)のかけあいが面白い。

        面白いのは、右門の同僚でライバルの敬四郎(斎藤暁)と、その手下の岡っ引きのちょんぎれの松(市川勇)の存在。『踊る大捜査線』のスリーアミーゴスのひとりとしても活躍した斎藤暁の起用はズバリ当っただろう。でしゃばらず、舞台を壊さず、それでいてふんだんに笑いを取るこの人の存在は貴重だ。市川勇もさすがに東京ヴォードヴィルショーの役者だけあってコメディのツボを心得ている。

        江戸でインチキくさい壷を売っている者がいるという話。沢竜二の浪人者たちが何やら不穏な動きをしているという話。そしてそのことを、沢竜二の娘紅葉(棚橋幸代)と若手の同心三之助(山中篤)が話していることを聞いてしまう伝六。伝六は確かでないことを右門にしゃべってはいけないと黙っていたために、お紅葉と三之助は殺されてしまう。しゃべっては人が死に、黙っていると人が死ぬ。「いったいどうすればいいんだ」と悩む伝六。一幕目の最後で松平伊豆守役の植木等も登場して、マチャアキとの笑えるカラミが見られる。「26歳という設定は無理。舞台袖まで56歳で、舞台に出ると26歳というのは疲れる」と、マチャアキのぶっちゃけ話まで織り込んで、楽しい舞台だ。とても56歳とは思えない元気なマチャアキがそこにいる。

        今回の圧巻は何と言っても二幕目。伝六が自殺しようと思い、最後に母の元を訪ねるところから始まるのだが、この母親役の田島令子が実にいい。この母もインチキな壷を買わされており、おかしな宗教のようなものに、のめり込んでいる。自分の回りで人が死ぬと話す伝六に、それは悪霊が取り付いているからだと、壷を売ったインチキ霊媒師由井浄雪(石橋雅史)のところへ連れていこうとする。行く前にお祈りの練習をしようと、伝六にお祈りを教えるところが面白い。伝六に太鼓を叩かせ、一緒に祈祷するのだが、どうしても祈祷の調子が『大漁節』にのなってしまい、舞台中を踊りまくるはめに。ゼエゼエ息を切らせている田島令子と涼しい顔で突っ込むマチャアキの絶妙の可笑しさったらない。田島令子の弾けた演技に拍手。

        もっとすごいのが、一幕目で「主人公は死なないというのが法則だ」と言いながらも、伝六が死んでしまうことだ。あの世に行ってしまうのだが、三途の川には赤鬼と青鬼がいて、これが斎藤暁と市川勇による二役。ここでも、このふたりは弾けたコメディ役を見せてくれる。これでは死に切れないと、伝六は一緒に死んでしまった母、先に死んでいた沢竜二の娘お菊(森奈みはる)、紅葉、三之助らと閻魔大王(植木等)に現世に返して欲しいと頼む。ここでの植木等のぶっとび具合も楽しい。閻魔大王は言い分を理解しながらも、全員返すわけにはいかない。五人の中からひとりだけなら返してやろうと言い出す。五人の中の誰を返すか。それを決めるためにカラオケのど自慢大会が始まって・・・。いやあ、この二幕目のぶっ飛び具合といったらない。夢中になって笑っているうちに、あっという間に終わってしまったと言っていい。最後はマチャアキの宙乗りという趣向だが、これも大笑いな仕掛けが見られる。

        三幕目は大団円に向ってストーリーが展開する。最後の大立ち回りは、さすがに沢竜二の見せ場。マチャアキも『西遊記』の孫悟空役の経験があるから棒術の達者なところを見せてくれる。おしむらくは石橋雅史。東映空手映画で千葉真一の相手役をしていた、実際に空手師範でもあるこの人の殺陣が見られなかったのが残念だ。てっきり最後に大暴れしてくれると思っていたのにィ。

        それにしても、マチャアキの元気な舞台姿が見られてよかった。今度はまた二年後かな?


October.5,2002 健康第一

9月28日 浅草演芸ホール九月下席夜の部
       橘家文蔵・鏡味仙之助一周忌追善興行

        曳舟で春風亭昇太の独演会を見てから、ついでにと思い浅草に出る。買い物を済まし、ひとりでのんびりとコーヒーを飲んで一休みしていたら、もう六時近くなっている。浅草演芸ホールの木戸をくぐったのは五時五十分。春風亭小朝が高座に上がるところだった。浅草は顔づけに関係なく、いつ行っても混んでいる。この夜も立見となった。一階席の後ろの通路に立って見る。

        さすがに春風亭小朝だ。すごい拍手が起こる。高座には上手に文蔵、下手に仙之助の大きなパネルの遺影が飾られ献花が置かれている。小朝はマクラ代わりに、仙之助は太神楽界の若き巨人と言われていたこと、文蔵は持ちネタが二百席あったことなどを解説してから、何回か聴いたことのある新作噺に入った。これは『私が温泉を嫌いな理由(わけ)』というらしい。「温泉に行こうか」と言い出す亭主。「あなたがそんなことを言い出すなんて、雪が降りそう」と返す奥さん。案の定(?)当日は記録的な大雪。本当は経理のヨーコちゃんと来たかったと思っている亭主だが、古女房との温泉行き。家庭サービスもタイヘンだ。奥さんに請われるままにする三人の狩人の小噺が傑作。

        男女コンビ漫才のパターンは、女が強く、男が弱いというパターンが多い。寄席での現役最年長コンビ漫才、あしたひろし順子も、順子が引っ張り、ひろしが翻弄されるといった可笑しさだ。それにしてもキャバレーのネタは、今ではいささか古いかなあ。「ビールちょうだい」 「カンにしましょうか?」 「おいおい、ビールに燗はないだろう?」 「缶って言ったのよう」 「瓶だよう」 「大にしますか? 小にしますか?」 「大だよう」 「はい」 「これは小じゃないか!」 「うちのは台に乗ってるの」 客とホステスがダンス・タイム。こんなことやってるキャバレーって最近では、ほとんどないんじゃないか? 私が若き日、アルバイト先の先輩の奢りで場末のキャバレーに行った体験を思い出してしまった。母親くらいの年齢のホステスさんに社交ダンスを教わって帰ってきたことがあったっけ。

        「いろいろな者が出てまいります。年寄りは長く演っちゃいけない。若い人に一分でも多く時間をあげるのがルール」って、入船亭扇橋が始めたのが『化物使い』。おいおい長いぞ、こりゃ。狸でなくてもヘトヘト。

        相撲取りから落語家になった三遊亭歌武蔵。以前はよく相撲取り時代の体験を漫談にしていたものだが、このところはすっかり古典落語にばかり。この人の古典落語も面白いのだが、たまにはあの漫談がまた聴きたいなあと思っていたところに、この日は久しぶりにアレを演ってくれた。「貴闘力ともやりました。一勝一敗。勝率五割。一戦目、押し出しで私の負け。立ち合いいきなり張り手を食らわされた。貴闘力の張り手といのはビンタ。あれは殴打ですよ。あれでクラッときて負けた。二戦目は私の勝。決まり手は肩透かし・・・どうして笑うんですか? 私の得意手は、はたき込み、引き落とし、けたぐり、猫だまし・・・みんな卑怯な手ばかり」

        「私がこちらの世界にフリー・エージェントでトラバーユした理由。1.左足のアキレス腱を痛めた。2.メシが不味かった。相撲取りが食べればチャンコだけど、あれは豚のエサ。3.気が合わなかった。4.根性が無かった。5.相撲取りはバカが多い。本当に利口なら四谷の整体師に洗脳されるわけがない」 懐かしいネタを久しぶりで聴いた。いいなあと思っていたら、先場所の貴乃花の裏話というのが始まった。中国から針の先生を呼んで足の治療をしたというのだが、いかにも本当らしい話なもので聞き入ってしまったら、とんだオチがついていた。どうやら、このギャグを思いついて演りたかったらしい。

        「吉原は今では千束四丁目と言います。地名が無くなっちゃった。これは致命傷」 古今亭円菊『錦の袈裟』

        歌武蔵の漫談が久しぶりに聴けたと思ったら、これまたこのところ古典落語をキッチリと聴かせてくれるようになった林家こぶ平が、昔に戻って漫談。「このホールの裏手のデニーズ。最近髪を三つ編みにした可愛い女の子が入りました。行ってみてください。『デニーズへようこそ。おひとり様ですか?』と言いたかったんでしょうが、私を見て『ようこそデニーズへ、こんにちは。あわわ、おっおおお、おぶとり様でございますか?』」 自分が太っていることを自虐ネタにしたのを聴くのは久しぶり。でも以前よりはもう太ってないよ。松村邦洋のことを話し始めたあたりから熱が入り、いつのまにか座布団を離れ、座布団の隣の板の間に座って演っている。はては体重計のネタになり、立ち上がったり倒れたり。いやあ、こういうこぶ平もいいなあ。三平落語をこぶ平なりに継承しているようだ。

        仲入りに入って、立見が辛くなった。一階席を諦め、二階に上がる。ところがこちらも満席。かくなる上はと、上手通路の階段にちょっとした空間を見つけ、ここに座ることにする。

        幕が上がって、今興行の目玉、橘家文蔵と鏡味仙之助の追善座談会が始まる。中央に釈台が置かれ文蔵の弟子にあたる橘家文左衛門が司会という役割。下手にはやし家林蔵、古今亭円菊。上手に入船亭扇橋、林家正楽、鏡味仙三郎。このところ私の興味は、橘家文左衛門というキャラクターに引かれている。乱暴者といったイメージを売りにして落語を組み立てていく。その方法論が、うまくはまってきた感がある。ところが、この座談の司会役は荷が重かったらしい。なにせ回りは先輩ばかりである。若手仲間に囲まれているときとは大違い。借りてきた猫みたいだ。

        ここにきて、私は自分の失敗に気がつくことになる。二階席の後ろの方なので、高座の人の声がよく聴き取れない。しかも悪いことにすぐ頭の上にはエアコンが取り付けられていて、このエアコンが大きな音を出しているのだ。ますます高座の声が掻き消えてしまう。円菊の声は特にマイクの拾いが悪かった。「兄弟のように仲がよかった・・・とにかく憶えのいい人で・・・先代の馬生には『大物になるよ』と言われ・・・女郎買い・・・フィリピン」となにやら危ない話になっているようなのだが、よくわからない。話がそれていっているらしく、文左衛門がオロオロしているのが可笑しい。

        林蔵は文蔵と旅行に行った思い出話。新婚さんの部屋の隣になったときのことなど。これもヤバい話だなあ。扇橋の声もよく聴き取れなかった。文蔵は競馬に詳しくて、競馬で取った金で服を買っていたとか。正楽が「二人ともいい人だった」と話し出すと、円菊がすかさず「いい人は早く死ぬ」。切り返す正楽「円菊師匠は、お元気ですねえー」

        座談が終わったところで上手から下手へ移動。こちらはエアコンの騒音がないから、噺が聴き取れそうだ。

        はやし家林蔵という噺家は初めて見た。それもそのはず、脳梗塞でリハビリ中だったというのである。その体験談をマクラにしたのだが、これが冗談まじりの話になっていて、たいへんなことなのに笑えるのである。「四人部屋に入れられたら、みんな口をきかない。なぜだろうと思ったら、シニンに口無し」 噺家にとって脳梗塞は致命的だ。ロレツが回らなくなってしまう。しかしこの人のリハビリは成功したと言えるだろう。とても脳梗塞をしたとは思えない、なめらかな口調なのである。ただ、ちょっと空気が抜けるような声が気になったら、なんと歯を五本一度に抜いたそうだ。「歯がなくなって、本当にハナシカになっちゃった」 どこまでが冗談なのかわからない。『起死回生の会』ではさすがに、その闘病記に笑えなかったが、林蔵のは、ちゃんと笑いになっていた。ネタは『転失気』。まったく正常な人と変わりない口調で進む『転失気』に感心して聞き惚れてしまった。

        紙切りの林家正楽が、腕試しの『相合傘』を切ると、「衣紋流し!」という声がかかる。なんとマニアックな題だろう。これは仙之助・仙三郎の得意としていた技のひとつ。毬を、一方の手の甲から走らせ、腕を通って、顔の前を通過させ、もう一方の腕から反対側の手の甲でピタリと止める難しい技。チョキチョキと仙之助、仙三郎二体が衣紋流しを演っているところを切り上げた。「四畳半!」 「三社祭!」あたりはお手のもの。御神輿を担いでいる大勢の人の足を次々と切り出したところで全体が見えてきた。客席から拍手が沸き起こる。

        春風亭一朝『芝居の喧嘩』は、トントントーンと進む講釈ネタが心地よい。そこに力の抜けるようなギャグがはさまるから面白さ倍増。幡随院長兵衛の子分、雷の十五郎が半畳を持っていなかったと小屋の若い衆に張り倒されてしまう。「雷は怖いねえ」 「なるほど」。そこへ水野十郎左衛門の子分、金時金兵衛が雷の十五郎を外へ放り出す。「金時がという男が出てきて、雷がいなくなっゃったよ。金時だけに甘く見ちゃいけねえ」 それを見ていたのが幡随院側の闘犬権兵衛。金時金兵衛を倒してしまう。「闘犬という人を倒す人が出てきますかねえ」 「さあケントウもつかねえ」 これまで落語では志の輔で聴いたことがあるが、一朝のは講談に近いテンポのよさで進む。気持ちいい『芝居の喧嘩』だ。

        ひざは鏡味仙三郎社中の太神楽。正楽の衣紋流しを見たばかりだが、仙三郎の毬は、さすがに見事。衣紋流し、山越し、人工衛星、地球の裏側・・・。仙之助さんの在りし日の姿が浮かんできた。

        トリの橘家文左衛門は明かに、いつもの文左衛門ではない。「こういう特別興行になると楽屋に酒が届いたりしまして、今、楽屋は楽屋じゃないですよ。居酒屋です。今、車座になってますよ。ほとんど飯場の同窓会。もう私なんかお酌したりで座ってられないんですから。ここに出てきて、ようやく座れたところ」 ネタは先月もこの人で聴いた『青菜』。もう秋風が立とうというのに、まだ『青菜』ね。まっ、いいか。この人の『青菜』面白いから。

        ハネてから外へ出たら、あとから長井好弘さんも出てきた。「ありゃ、長井さん、浅草に来るなんて久しぶりでしょ」 「そう、久しぶりなの」 「奇遇ですねえ」と立ち話をしていたら、師匠方が続々と出て来る。みんな酔っ払っているみたい。いい気持ちそうにしている正楽さん、長井さんにふざけて「読売新聞、読んでますよー」って、このふたりは日曜版で連載しあってる仲じゃないの。

        こぶ平が、「髪を三つ編みにした可愛い子が入った」というデニーズへ。残念ながら勤務時間帯ではなかったようで、三つ編みの女の子は見られなかったが、長井さんと初めてサシで話する。落語の話もしたが、話題が自然と健康のことへ。三年ほど前に心筋梗塞を経験した長井さん。四十代で心筋梗塞は早いと思ったが、今は昔と違って食生活の変化などで、こういった病気は若くても起こりうるものなのだそうだ。やはり若くして脳梗塞を起こしたのち再起した、はやし家林蔵の先ほどの見事な高座を振り返り、人間、やっぱり健康でなければと思った。デニーズのメニューにはカロリー表示と塩分表示がついている。どうしても目はそこに行ってしまう。さんざん迷って落ちついたメニューは、チキンサラダプレート。一周忌追善興行なんて見たあとは、やっぱりヘルシー志向になってしまう。


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