November.28,2002 贅沢な一夜

11月23日 第157回ちとしゃん亭 (高円寺ちんとんしゃん)

        粋曲の柳家紫文さんのお店で行われている落語会。夕方五時から開演の会ということで、四時半ごろに行ったら一番乗り。柳家三太楼の独演会ということで超満員になるのかと思ったのだが、開演直前でようやく、つ離れ(十人)した程度。ええーっ! 本当にこれで三太楼が見られるのかあ!?

        定刻、紫文さんの三味線と太鼓の出囃子で、今年二ツ目になった春風亭笑橋がカウンターの中に設えられた即席の高座に上る。まさに至近距離。ちゃんと寄席文字で書かれたメクリまである。「しょうきょうと読みます。ちゃんと最後まで読んでくださいね。しょうきょ(消去)になっちゃいますからね」 『浮世根問』のようなものが始まった。「鵜が困っている。鵜ー、うーん、うーん。鵜が・・・難儀しているんだな・・・鵜ー難儀、うー難儀、うなぎ。それで、うなぎになったな」 「ずいぶん困ってましたね」と、このまま『魚根問』に進むのかと思ったら、『やかん』になった。「無学者は論に負けず」

        代って柳家三太楼が上がった途端に男性客二人連れが入ってきた。さっそく三太楼の標的だ。「いらっしゃいませ。競馬帰りという感じですね。ボランティアの帰りとは思えない」 これだからタイミング悪く途中で入ると怖い。「今、何がしたいのかと言うと・・・恋がしたい・・・小中学生のころに感じた恋ですよ。高校生くらいになっちゃうとダメ。肉体を欲するようになっちゃう。女性を好きになるという情況だけでピークになってしまうあのころに、戻れるのかなあ・・・と。落語の世界にはこういうことはありまして」と、『明烏』に入った。

        いくつになってもウブな若旦那。町内のワル(悪の権化)源兵衛と太助にお稲荷さんにお参りに行こうと誘われる。これは真っ赤なウソで実は吉原に放り込んじまおうという算段。親に断ってからと父親に相談に行くと、源兵衛たちの企てを察した粋な親父、「今夜はお篭りしておいで」と送り出す。吉原に近づいても気がつかない若旦那、「ご利益があるお稲荷さんなんですねえ。(お稲荷さんに向う)みなさん、希望に輝いている」 三太楼の人物造型の見事さは改めて言うことでもないが、吉原の女将がいい。お稲荷さんにお参りに来たことにしてくれという源兵衛たちの頼みに、いやいやながらヘタな芝居を演るところが可笑しい。「私がお巫女頭でございますよ・・・(回りの者に)ゆび指して笑うんじゃないの! 足をバタバタして笑うんじゃないの!・・・それでは祝詞の支度を・・・」 この女将がいかにも居そうな人物のように生き生きと描かれている。世間知らずでウブな若旦那、そして源兵衛、太助の二人組もいい。ようやくここは吉原だと気がついた若旦那がジタバタする泣き出す様がいいし、「私ら若いときは、吉原に行きたいと泣いたもんだ」とつぶやく町内のワルのつぶやきも可笑しい。

        春風亭笑橋の二席目は『バスガール』。縁談を持ちかけられて、その相手の女性の言葉使いにいささか欠点があるというパターンは『たらちね』が有名だが、これを現代風にしたのがこの『バスガール』。話し言葉が、すべてバスガール調になってしまうというのが、この噺のミソ。会話の語尾に必ず、「〜でございまーす」が付いてしまうバスガール鶴子さん。「私の名前は鶴子と申しまーす」 「鶴光?」 「そんなカマキリみたいな大阪の落語家ではございませーん」 私は初めて聴いた噺だが芸協の寄席ではよくかけられている演目だそうな。

        柳家三太楼の二席目は『湯屋番』。なんで大ネタの『明烏』が一席目で、軽めの『湯屋番』を二席目にしたのか、あとで三太楼さんに確かめたら、近く『明烏』を演ることがあって、とりあえずさらっておきたかったとのこと。それでも二席目に『湯屋番』でも、こちらに不満はない。三太楼という人は登場人物の笑い声の種類が豊富なのが特徴。ただ「あはははは」だけではないのだ。この『湯屋番』に出てきただけでも、「うふふふ」 「あっはっはっはっはっはっ」 「うっふふ」 「うひっちっちっちっ」 「ふははははははは」と数えくれないくらいある。低く高く、豪快に静かに、朗らかに何かを秘めて、その表現力の巧みさは群を抜いているといっていいだろう。これからもこの人の笑い声収拾を続けてみたくなってきた。なかなか文章では表現できないんだけどね。これが落語の魅力なんだよなあ。

        ハネると[ちんとんしゃん]の平常営業。[ちとしゃん亭]の二次会の様相となる。紫文さん、三太楼さんと歓談。興味深いお話を数々うかがった。このへんが、こういう小さい催し物のいいところ。手羽先と大根の煮物をツマミにビール。ほろ酔い気分で高円寺を後にした。たった1800円の木戸銭で贅沢な夜を味あわせていただいた。落語という芸は、特別な空間や設備などいらない。落語家さんと観客、それに座布団がひとつあればいい。それであれだけの素晴らしい空間が生み出されていくのだ。なんて省エネで素晴らしい世界なんだろう。小人数で三太楼が聴けた。なんて贅沢な夜だったろう。


November.23,2002 二日続けて国立

11月17日 国立演芸場十一月中席

        国立演芸場から送られてきた招待券二枚。誰か他にも行きたいという人はいないかと余所のHPの掲示板に書き込みをしたのだが誰も現れず。そんな、タダでも行きたくないという顔づけでもないのになあと思い、もったいないから前日に引き続いて私が行くことにする。結果、トリの文楽が休演で代バネになった他、代演がやたら多い芝居になり、ちょっと得した気分になった。さすがに日曜日、立見が出る寸前くらいの大入りだ。

        前座は春風亭朝左久『一目上り』。頑張ってね。

        前日に文楽がトリネタで演った『時そば』を今度は古今亭菊朗が。蕎麦を食べる仕種を盛んに繰り返している。「拍手してくれてもいいんですよ」とちゃっかりおねだり。ようやく暖まってきた客席からパチパチパチと拍手が沸く。「嫌な芸風になっちゃったなあ、オレも」。二番目の男が不味い蕎麦の汁飲んで「甘い、辛いというのはあるが、酸っぱいというのは初めてだ」というのは、きっと汁が腐ってるんだと思うなあ。そんなの食べない方がいいからね。

        今年の六月に横浜にぎわい座で見た漫才ケルンファロットがこんなところで出てきた。憶えているぞ、このコンビ。数字ゴロあわせの記念日→犬の鳴き声自動翻訳機(バウリンガル)→怒ったときに出て来る方言→日本一旨いカップやきそば→職業別喧嘩方法といった流れで、ややまとまりがない感があったが、前回見たときよりもぐっと面白くなっていた。前回も聴いたバウリンガルのネタは、ネタとしてまだ早すぎた感があったのだろう。今聴くと面白い。他のネタも良く出来ていて飽きさせない。職業別喧嘩方法で、医者の喧嘩、腹話術師の喧嘩ときて、最後に落語家の喧嘩を持ってきたのには驚いた。この人たちは、けっこう落語に詳しいのではないか。たとえば日本一旨いカップやきそばなどはこんな感じだった。「日本一旨いカップやきそばは、ペヤングだと思う? それともUFOだと思う?」 「ペヤングじゃないか?」 「本当かよ、お前総てのカップやきそばを食べ較べたことがあるのかよ」 「いや、ペヤングしか食べたことない」 「UFOは食べたこと無いのか?」 「無いなあ」 「UFOだけに未確認なんだ」 これって落語みたい!

        柳家はん治は、前日に続いて『鯛』。鯛同士が話しをしている様が、はん治独特のゆったりした口調で面白いのだ。「鯛の生き造り。あれはひどいねえ。包丁を身と肉の間に入れてさあ、ガリガリガリガリと切るんだ。気を失っちまう。切り取った身を、削ぐように切ってさあ、骨のところに並べるんだあ。それが痛いのなんのって、ピクピクッて痙攣起こしちまう。あとは食べられておしまい」 残酷な場面なのだが、はん治の話し方が、おじいさんが昔話でもするような口調でユーモラス。二日続けて聴くと、話の構成がよくわかり、これまた面白いものだと思う。

        まずは尺八の腕前を魅せてくれたはたのぼるがダジャレを連発する。「尺八は、竹で出来ています。四角い竹というのもあるんですよ。まだ竹の子の段階で周りに四角い囲いをつけちゃう。すると真四角な竹ができる。これは習字の筆の材料にしかならない・・・かくだけ」 水道管、さまざまな野菜にも穴をあけ、みんな笛にしてしまうという不思議な人だ。「野菜に穴をあけて四十年。サツマイモ、キュウリ・・・なんにでも穴をあけて笛を作ってきました。ナスはダメ。音がナス。北海道の足寄に日本一のフキがあるというので、これで笛を作ってみたら、いやあフキにくいこと」 どこまでが冗談なのやら。へ長調の音階しか出ないというサツマイモ笛で『夕焼け小焼け』。「みなさんも歌ってくださいね」と言うので、私も一緒に歌う。「♪カラスもいっしょに帰りましょ」と歌うと、「帰らないでねー」 はいはい。

        桂南喬は、この日は『短命』。この噺、前半に八っつあんが短命の理由を隠居に訊く場面をどう演るかで、噺家の性格がわかるような気がする。南喬のは、品があって好感が持てた。

        仲入り後は、また前日に引き続いて東京ビンゴビンゴダイナマイトジャパン。このひとたちは今回の顔づけに載っていないから、二日続いて代演での出演ということになる。ネタも同じ『ラップ先生』。このネタは最初に先生役がひとりで出てきて出欠を取るというところから始まる。「青木・・・井上・・・工藤・・・遠藤・・・」 前日はここで客席から「はーい」と声がやたらとかかったのだが、この日はシーンとしている。「きょうは出席率悪いなあ・・・鈴木・・・おーい、鈴木ー! 鈴木もいないのかあ!? ・・・鈴木宗男・・・来られるわけないか。・・・アニータ・・・あいつは転校したんだっけな。・・・高橋尚子・・・あいつは肋骨折れて欠席か」 こうして『ラップ先生』の本筋に入っていくのだが、難しいといわれる三人コントを上手く演っている。昔のコント赤信号のような雰囲気がある。注目していきたいコント・グループだ。

        古今亭志ん駒は、歌のダジャレが炸裂する『野ざらし』。あれは幽霊だと隠居に聞かされると「あれ、幽霊? 幽子? ♪そんなユウコに惚れました〜」 つり竿の針が鼻に引っかり鼻から血が出ると「ハナチにならない。 ♪ハナチばかよね〜」 一席終えて立ちあがって、お得意の手旗信号。

        お馴染み柳家紫文『長谷川平蔵市中見廻り日記』が始まる。これがバカに受けている。一発鬼平ネタを演ると、ドーッと笑いが起こり拍手が沸く。紫文さん、すっかり気分がいいようだ。「このネタ、難しいんですよ。三回に一回はシーンとしてしまう」 またもうひとつ鬼平を演るとドーッという笑いと拍手。「満員のお客様。教養があるお客様のようですね。何だか大スターになった気分」と、この日はこれ一本だけのフル・ヴァージョン。

        「文楽さんから電話がありまして、風邪をひいて声が出ない。行ってお客さんに謝ってくれないかと、元気な声で言われました」と、文楽の代バネに上がった古今亭円菊。ネタは『寝床』。義太夫を披露しようと張り切っている旦那、「うー、うわー、うぎゃー、うげー」 「洗面器お持ちしましょうか?」 「気持ち悪いんじゃないんだ、咽喉の調子を整えているのだ!」 こんな義太夫聴かされるのはたまったもんじゃないけど、円菊の旦那はどことなく可愛いくて憎めない感じがする旦那になっている。ふふふ、可笑しいよなあ。

        二日続けて通った国立演芸場の定席。余所の寄席では見られない出演者も多い。料金だって安い。一般1900円。シルバー料金なんて1100円だ。あっ、そうか、それでお年寄りが多いんだ!?


November.17,2002 文楽、本寸法の『時そば』

11月16日 国立演芸場十一月中席

        国立演芸場のアンケートに答えてアンケート用紙を渡したら、何と後日、抽選に当ったとかで十一月中席の招待券が二枚送られてきた。トリは桂文楽。ときどきゴルフ帰りにご来店になる方だ。仲間とゴルフ談義に花が咲き、盛大に飲食をしてくださるので重宝なお客様でもある。これは見に行かない手はない。

        前座は林家彦丸『黄金の大黒』。頑張ってね。

        春風亭朝之助は、ある大先輩の師匠と銀座松屋の陶器の展覧会に行ったというマクラから入った。人間国宝の方が作ったという二百万円の陶器に目を見張るうちに、新進作家による壷が置かれているコーナーに目がいった。大きな壷が十五万円、小さな壷が三十万円。「師匠、何で小さい方が三十万円で、大きい方が十五万円なんですかね?」 「よく見てみろ。この小さい方は、色、艶、形、内面の芸術性、心にグーッと迫ってくるものがあるだろう。それに対してこの大きい方は、ただあるだけって感じだ」 ふーんと感心していると、係員が「すいませーん、間違っていました」と値札を逆に入れ替えた。「この師匠、誰だとは絶対に言えませんが・・・イニシャルを言うと・・・柳家小三治」 陶器のマクラとくれば『お菊の皿』 『厩火事』 あるいは『猫の皿』かと思ったら、『猫の皿』に入った。この話、私の頭の中では江戸時代というイメージがあったのだが、朝之助のを聴いていると、上野の山の彰義隊の話が出て来る。どうやら明治初年が舞台の話らしい。

        「女って変りますね」と出産を終えて再び高座に上がるようになった神田茜が言う。「十代のころは虫なんかみると『きゃー!、虫ー!』なんて言っていたのが、今は『このやろー!』ってスリッパで叩きますから」とおばさん化していく女性の噺、新作講談『おばさん誕生』に入った。新婚間も無い主婦に近所の五十代後半の主婦が話しかけてくる。彼女曰く、女性には三つのハザマがあるという。少女から女になるハザマ、女からおばさんになるハザマ、そしておばさんからおばあさんになるハザマ。かくて、彼女からおばさん道のコーチを受けることになる。スーパーに行けば、まず見切り品のコーナーに行けと言われる。賞味期限切れが近い商品が置かれているからだと言う。ありゃりゃ、私もまずは賞味期限が近づいて値引きしてある商品をチッェクするぞ。うーん、どうも立派な主婦(?)・・・おばさん化しているのだろうか?

        「はんじと申しましても、隣の裁判所の回し者ではありません」と柳家はん治。ネタは桂三枝作の『鯛』。料理屋の水槽に入れられた新入りの鯛に、二十年前からこの水槽で生き続けているという先輩の鯛が「タタイ(他鯛)には言うなよ」と、生き残りのコツを伝授する噺。この店の主人は客が見てないと弱っている鯛からすくっていくから、元気よく泳げ。客が水槽を覗きこんでいたら、「オレを食うと危ないぞ」と思わせるように弱ったように泳げと言う。なんともとぼけた可笑しい噺だ。

        ビックボーイズの漫才。一番前に座ったオバサンが盛んに「アハハハハ」と笑っている。その声がやたら耳に入るので、高座のふたりが沈黙してしまう間があるくらい。このおばさんがそれに気がつき「止まらなくていいよ」と言ったものだから、ボケのなべかずおが相方に「お前よりいいツッコミしてんじゃないの!」 ネタは、「不景気になると忙しくなる所があります」と職業安定所での会話。「名前は?」 「なべかずお」 「歳は?」 「二十代」 「・・・?」 「気持ちが・・・」 「・・・本当は?」 「三十代」 「・・・?」 「体力が・・・」 「・・・本当は?」 「四十代」 「そのままね。それでどんな職業を希望しているの?」 「椅子に座って、寝てて、金がドカドカ入ってくる仕事」 「そんなのありませんよ」 「テレビ見てたら、そんな人いましたよ」 「どんな番組見てたの?」 「国会中継」 安定した漫才で好感が持てた。最近の騒がしいだけの漫才にはうんざりしていただけに、こういう漫才もまだあるんだなあとホッとする。

        「昔、吉原というところがありましたそうですが、仲間に聞くと今でも同じような場所があるそうで・・・。そんなね、お金で女の人を買おうなんてね、そんなのは私の性に合わない・・・ただ、肌には合っちゃうんですね」と桂南喬『お見立て』に入った。快調に続いた噺の途中、杢兵衛が「墓を見せてくれ」と言い出す場面で高座の下手で何かが倒れるドシーンという大きな音がした。喜瀬川に相談に行く番頭、「驚いたねえ、こういうことがあるから大きな音がしちゃうんだよ」

        仲入り後は中小企業楽団バラクーダ。ギター、ベース、ヴォーカルの三人編成。『日本全国酒のみ音頭』で二十年以上前に一世風靡したコミックバンドだ。ここはあの名曲が聴きたいところだが、リーダーが許さない。他の人のカヴァーを演ろうとニール・セダカの『カレンダー・ガール』が始まる。「♪アイ ラヴァ ラヴァ ラブァ カレンダー・ガール イエス スイート カレンダー・ガール・・・一月・・・正月で酒が飲めるぞ 二月・・・豆まきで酒が飲めるぞ」 やっぱりこれになっちゃうのね。来年は阪神タイガースの応援歌としてこの曲が替え歌で出るそうだ。タイガースらしいといえばタイガースらしい。後半の「♪北海道は毛蟹で酒が飲めるぞー・・・」の部分をお客さんのリクエストで演るコーナー。「ベトナム!」の声にリーダーの困惑の表情。「お客さん、ベトナムって行ったことあるんですか?」 「行ったこと無い!」 「それじゃあ何言ってもかまわないやあ」と「♪ベトナムはキャラメルコーンで酒が飲めるぞー・・・」 一発ヒットがあるタレントは強い。

        古今亭志ん駒『幇間腹』。ヨイショの上手い志ん駒だけにこういう噺はお手のもの。最近凝っているものがあるんだと言う若旦那に、「いよー、ビリヤードでしょ」 「いよー、鉄砲撃ちでしょ」 「いよー、ゴルフでしょ」と先走ってヨイショする様が気持ちいい。腹出して針を刺される場面、「ああた、お臍の中に指突っ込んで掻き回しちゃ、やだ」には、こっちも臍がムズムズ。今回は手旗信号も踊りも無し。

        東京ビンゴビンゴダイナマイトジャパンのコント。どうやらウワサに聴く『ラップ先生』というネタらしい。補習授業に出た生徒が歴史の先生にラップで授業を受けるというコント。一緒になって♪ズンズズンズチャ・・・というリズムに乗って踊りながら歌う。「♪1192(いいくに)作ろう小泉政権」 「鎌倉幕府だろうが!」 「♪794(なくよ)ウグイス平安京 797(なくな)徳光お前が泣いても松井は行く」 「大リーグだろ!」 「♪2006ワールドカップ」 「未来の話?」 テレビ『学校へ行こう』でCO慶應という凄いラッパーが出てきちゃったから、ちょっとネタが弱くなっちっゃたかな。それにしても客席はお年寄りが多い。この面白さが通じたかどうか・・・。私は結構楽しんだけど。

        「日本人は麺類を好んで食べますね。『あいつは蕎麦食わない』なんて言うと『あいつはバカだから』なんて言われたりする」 いいこと言ってくれるねえ桂文楽師匠。「蕎麦屋で蕎麦食べてますとね、『おーい見てみろ噺家だよ。ああいう芸人は食べるのが上手いから見てみよう』なんて声が聞えて来たりする。蕎麦持つ手が震えたりして・・・」 これはアレだなと思っていたとおり『時そば』へ。「近頃悪いことが流行っているんだよ。チクワブなんてまがい物出す所がある。そこへ行くとお前んとこは、ちゃんと本寸法、チクワだねえ」 文楽の『時そば』もキッチリと本寸法。上手く笑いをつかんでいる。文楽師匠、またのご来店をお待ちしております。


November.16,2002 コロッケと肉まん

11月10日 立川流演芸会 (横浜にぎわい座)

        横浜にぎわい座のすぐ裏手に、コロッケを揚げて売っている店がある。ここのコロッケがすっかり気に入ってしまい、にぎわい座に入る前には、ここのコロッケを買うのが習慣になってしまった。一個百円。パンに挟んだコロッケパンは二百円。私はコロッケだけで二個買うのだ。その場で揚げてくれた揚げたてのコロッケを紙の袋に入れてくれる。アツアツの袋を持って、にぎわい座に入る楽しみはささやかな贅沢。

        前座は快楽亭ブラッC『小町』。頑張ってね。

        立川談生は接待で蕎麦屋へ連れて行かれたときのことをマクラに持ってきた。四人で天ぷらの盛り合わせ一人前を注文。さあどうぞ召し上がってくださいと言われたのだが・・・。「大きなエビがドンドンと二匹。これが微妙ですよ。四人で二匹。確率二分の一ですから。これを取ると意地汚く思われちゃう。箸はエビを逸れてどこへ行くか・・・。あとは野菜類。しし唐かシイタケか・・・。しし唐を取るとあまりに遠慮している感じになっちゃう。となるとシイタケ。エビほど大胆じゃない。ころあい。よし、これにしようと持ち上げてみると、これが実はマツタケだった。一番高額なものを取っちゃった。嫌な奴になっちゃった」 これ、わかるのだ。ウチでも数人で天ぷらの盛り合わせを注文するグループがいる。作っている側でも、どうやって分けるのかなあと思いながら作っているのだが、やっぱり一人前の盛り合わせを前に心の中で格闘を続けている人たちっているのだなあ。

        ネタは『時そば』。「早いね。頼んですぐ出て来るところがいいね。オレなんかモスバーガーなんて行かない」 「石みてえなものが出てきたよ。チクワかあ。大きいねえ。箸で持ちあがるかなあ。箸、折れるんじゃないか? 手、捻挫しないか?」ってヘンな誉め方。「JR○○駅ロータリーの立ち食いそば、あそこで食うんじゃないぞ。蕎麦って概念がガラガラと崩れちまう」 立ち食いそばでそこまで言われてもなあと思うのだが、昔の夜鳴き蕎麦って、どの程度のレベルだったのだろう。一文ごまかして去って行った男の様子を見ていた男が、これはごまかしたんだと気がつく場面が長い。「あれっ?」と思いながらも、指を折って勘定してみたり、算盤ならぬ電卓を取り出してみたり、石を拾って勘定してみたり。「ああ、オレ、ものすごく頭悪いのかも知れない!」

        立川流の演芸会なのに三遊亭白鳥が出ている。故郷の新潟県高田市の話やらおふくろさんの話など、得意の爆笑マクラで笑わせて『戦え軍人くん!』(『おばさん自衛隊』)へ。以前聴いたときには女性週刊誌の広告で二百人のおばさんが集まってしまったという設定だったが、今回は三百人に増えていた。その騒がしいこと。入隊式でも上官の話なんて聞かないで私語ばかり。「あら、ちっょと、どうしたの、そのスーツ?」 「シャネルよ。ダイエーで買ったの1280円で。あら、あなたの毛皮のコート素敵じゃない?」 「赤札堂で買ったの。100%ポリエステルの毛皮」

        そのつぎも異色な顔が出てきた。談志の弟子になって半年という野末陳平だ。ネタは『玄宗皇帝と楊貴妃のラヴラヴ物語』という、陳平得意の中国古典の世界。これを落語といっていいのかどうか迷うところ。本人も言っていたが、これはあまり笑うところのない教養落語。話の上手い教授の中国史の授業を受けている感じだ。肉感的な美女が好みだったという玄宗皇帝が二十二歳の楊貴妃に一目惚れ。このとき玄宗皇帝は五十五歳。三十三歳違いの愛人を持った皇帝は彼女に溺れて行く。「別荘と愛人は持つまでが楽しい。持ってからが苦労する」 それが元で国が滅んでいってしまう過程を面白く話してくれるのだが、これはやはり落語というよりも、ただ面白い大学の授業を聴いたという感じ。ところどころ脱線して話す今の日本の政治の話も悪くないのだけど、四十分さすがに疲れた。

        仲入り後は、国本武春の浪曲。「浪曲が最も流行ったのは、大正の終わりから昭和のはじめにかけて。浪曲師が出てまいりますと、お客さん全員で『待ってました!』の声がかかったと言います。では、もう一度出てまいりますので、よ・ろ・し・く!」 再び出て来ると客席から一斉に「待ってました!」の声がかかる。「掛け声は『待ってました』だけではありません。三味線が鳴りましたら、『たっぷり!』 『名調子!』 『よう、日本一!』 腹でどう思っていようと、そういう決まりでございます」 こうして強引に盛り上げておいて(笑)、『大浦兼武・出世の美談』へ。明治の初め、鹿児島から上京してきたものの無一文。東京警視庁の巡査募集チラシを見て警官になった大浦が、料亭の金屏風に落書きをした男がいるという通報をもらう。料亭からの苦情に、それでは自分が弁償しようと申し出る大浦。この金屏風は、四十円もした。当時の大浦の給料が二円七十銭。これを月に一円の月賦で支払い続けた大浦。やがてこの犯人が明らかになる。この人物こそが岩倉具視。欧米視察から帰って来た岩倉は大浦に感謝して、いきなり警部補にさせちゃう―――ってこれ、岩倉具視が一方的に悪かっただけじゃないの? へんな話なのだが国本武春が演ると、妙に納得して聴いてしまうから不思議。

        快楽亭ブラックが、幼稚園の子供の遠足に行って、生徒たちの前でも演ったという小噺を披露してくれた。「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。おばあさんが洗濯をしていると川上から大きなサツマイモがドンブラコ。このサツマイモを蒸かしておじいさんが食べたらば、ブーッとオナラを一発。おじいさんシバからないで、クサかった」 こういうの子供に受けそう! ネタは『湯屋番』だったが、例によってブラック流のくすぐりは入るものの、思ったよりも正攻法の『湯屋番』になっていた。

        トリは立川談之助。「ウチの家元は大変に評判が悪い。嫌われ者。百人に聞いたら六十人が嫌い。あとの四十人は、そんな人知らない」 そんなことないだろうけどね。「あの人が死ねば、我々は寄席に出られるようになるんですがね。惜しかったのは五年前。喉頭癌で再起不能かと騒がれた。でも騒いだのはテレビだけ。楽屋では騒がなかった。なぜかといえば、ずっと前から落語界の癌」 言いたい放題の談之助だが、これがまた談志ファンからも笑いを取れるのだから面白い。

        これまで談之助というと、落語界をネタにした漫談か、オタクの世界を描いた新作しか聴いたことがなかった。私はあまり好きな噺家ではなかったのだが、この日はこのあとに、突然に古典に入った。ネタは『桑名舟』(『兵庫舟』)をかつて談志が自分流に演った『鮫講釈』。鮫に食べられると知った講釈師が、この世の最後にと舟の上で講釈を始めてしまうのが見せ場。マクラであれほど談志をくさしていた談之助なのに、これはまさに家元ゆずりとでもいうような名調子で読んでみせる。パンパパン パパンパンパンと扇子を張り扇にして調子をとり、ほれぼれするような修羅場が続いていく。これが、よく聴いていると、『忠臣蔵』やら『斬られ与三郎』やら『四谷怪談』やら『桃太郎』やらがゴッチャ混ぜ。座布団からすっくと立ちあがり、客席後方まで走って行ってしまうほどの熱演。いやあ、びっくりした。この人がこんなことを演るなんて。「なあんだ、出来るんじゃん」 談志の『鮫講釈』はいかにも講談を演りたくて演ったという感じだ。立て板に水のごとき修羅場は見事の一言だった。ただ、「どうだ、上手いだろう」という態度がみえみえなのが好きでなかった。鮫に食われて死ぬと決まって必死になって演るところなのだから、観客の驚く様を見て、素に帰って、ニヤリと笑い、「上手いだろう」という表情を見せるのはどうかと思ったのだ。それが談之助のは、まさに必死の形相で支離滅裂な講釈を演るというのが、うまくオーバーに演出されていたように思う。

        いいものを見ちゃった。大満足で外に出る。入る前に買ったコロッケも旨かったけれど、今度は肉まんが食べたくなってきた。へへへ、それでは中華街にでも向いますか。


November.12,2002 楽しみになってきたロケット団

11月9日 浅草演芸ホール十一月上席

        エリザベス女王杯の馬券を買いに浅草へ。場外馬券売り場を出てブラブラとロックを歩いていて浅草演芸ホールの前まで来ると、昼の主任が柳家喬太郎になっていた。「おやっ?」と『東京かわら版』を見ると、昼の主任は本来は林家正雀。どうやら代演になったらしい。夜までこれといって予定が無い。暇つぶしに入ってみるか。喬太郎なら楽しめるはずだ。

        三時すぎの浅草。さぞかし混んでいるだろうと思って覚悟して入ったら案外空いていた。一応座席は埋まっているものの、空席もけっこうある。高座では松旭斎美智がマジックを演っている最中。ありゃりゃ、またサイコロキャラメルを客席に投げているぞ。これを貰うとひどいことになるので、なるべくウシロの方の、高座から離れた席へ座る。「サイコロキャラメル、懐かしいでしょ。今、売ってないのよー。でもね、一軒だけ売っているところがあるの、知ってる? パチンコ屋さんなのよー。これ一個手に入れるのに千円くらいしちゃうのー」 てなこと言いながらキャラメルを受け取った男の人ふたりが餌食に。「どこから来たのー? 群馬!? それは寒いところからようこそ!!」と客のジャケットを借りて、さんざんに客いじりしながら紐抜きのマジック。怖い怖い。

        そんな美智ねえさんも達者だが、次の桂文朝も一筋縄ではない。「只今は綺麗な女性が出てまいりまして、しかも器用な方でして、あのくらいの技はどうってことない。綺麗な方なのに、いまだに独身。なのに子供が三人いる。器用な方でございますなあ」 この人にあの調子で飄々と言われると美智ねえさんも敵わない。ネタは、しったかぶりの先生が、いい加減なことを教える『つる』なのだが、この人が演ると、この聞き飽きたような噺がどうしてこうも面白いんだろうというくらい可笑しい。「1羽の首長鳥がツー――っと飛んできて・・・」と扇子を上手から下手へ動かして目で追う仕種の動きのときの、目の表情を見ているだけで笑いが込み上げてきてしまう。

        古今亭志ん橋『不精床』。髪を剃るための水の入った桶は開店以来取り替えていないくて、ボウフラが沸いている。「ボウフラも蚊になるまでの浮き沈み」 つるつる頭の志ん橋さんも毎日剃刀で剃っているのだろうか?

        紙切りの林家正楽は、いつも通り『相合傘』を切った後の御注文。「忘年会!」 おう、もうそんな季節になってきちっゃたなあ。そろそろ私も準備をしなければ。正楽の切り上げたのは宴席で乾杯の音頭があがったところ。「タマちゃん!」には、川から顔を出したタマちゃんを川岸で人々が見つけた図柄。「松井!」 「松井といいますと、ジャイアンツの四番バッターで、今度メジャー・リーグへ行く人ですか?」 お約束のコンバットマーチがお囃子で流れる。途中で忙しくハサミを動かしてギザギザを入れている。そこで気がついた観客から笑い声が。切り上げたのは野球帽を被った怪獣のゴジラがバッター・ボックスに入ったところ!! もちろんギザギザはセビレとシッポね。

        お目当てトリの柳家喬太郎は何を演ってくれるだろうと期待していたら、古典の『金明竹』。大阪弁の使いの者が言いたてる言葉に客席から拍手が来る。まったく浅草のお客さんは何を演ってもよく笑うし、反応がいい。きっと喬太郎も気分がいいに違いない。いかにも喬太郎らしい『金明竹』になっていて楽しいのだが、喬太郎にはぶっ壊れモードに入った姿の方が似合う。

        これで帰ってもよかったのだが、次の予定までまだ少し時間がある。そのまま夜の分まで居残ることにする。

        夜の部の前座は柳家さん太『手紙無筆』。頑張ってね。

        柳家さん光『寄合酒』は、子供と鬼ごっこをして鰹節をまんまとせしめた男が言う、「カツブシニホン、へへへへへへへ、カツブシニホン、へへへへへへへ、カツブシニホン、へへへへへへへ」がやけに可笑しい。

        ちょっとふっくらした柳家一琴。「六万円で半日ドックというのに行って来ました。朝入って夕方には結果が出ているというところ。いろんなもの取られるんです。血を採られて、レントゲン撮られて、CTスキャン撮られて、最後に六万円取られた。先生に結果を聞いたら、『これが平均値、これがあなたです。全部平均値の3倍以上ですね。これなんか20倍以上ですよ』 『それで何が悪いんですか?』と聞いたら、『単なる太りすぎですね』だって。六万円払って太りすぎが判明した。そんなの知ってたよ!」 ネタは『初天神』。うるさかった子供が、飴玉を飲み込んじゃった瞬間、驚きのあまり声が出なくなってしまうところが可笑しい。親が驚いて「声を出せ―!!」

        最近、寄席に出るようになったロケット団なる漫才を是非見てみたかった。このあとの予定が押してきたけれど、彼らの漫才だけは見てから出よう。「2004年に新しいお札が出るの知ってますかー? 今度の図柄に採用されたのが、樋口一葉と野口五郎」 「野口五郎のわけないだろ、野口英世」 「野口英世は新潟県に生まれました」 「うそだあ、福島県だよ」 「小さいときはセイサクと言われていた。野球が大好きな少年で・・・」 「?」 「やがてジャイアンツに入って、お風呂場でケガして、プロレスに転向」 「それは馬場さんだろ!」 「樋口一葉は1872年東京生まれ。『にごりえ』 『たけくらべ』なんかを書いた。そのあとに書いたのが『あじごのみ』」 「おかしいだろ!」 「そのあと青森へ行って素敵な男性と知り合い結婚。お金を貰ってチリに豪邸を建てた」 「それはアニータさんだろ!!」 若手の漫才にしては割りと落ちついたやり取りなのが好感を覚える。いいぞいいぞ、このコンビ、とても面白くなる可能性がある。

        ここまで見たところで時間いっぱい。浅草演芸ホールをあとにした。夕暮れの浅草、寒くなってきたなあ。ポケットに手を突っ込み、急ぎ足で浅草の町並みをぬけた。明日のエリザベス女王杯、当るかなあ。


November.9,2002 新しい寄席を作る試み

11月4日 ガチャ×2ステージVol.1 (新宿SPACE107)

        演劇+演芸+音楽のコラボレートステージ。チラシを見て、はて、これは何だろうと思って興味を持った。50分がワンセットになっていて、ワンセットごとに25分程度の芝居と3組のエンターテイナーのショウがあるのものが、3セットある。といってもわかりにくいだろうから、私の見た千秋楽の内容を先に書いてしまうと次のようなものになる。

ガチャステ1
漫才 サミットクラブ
(進行) 橘しんご
マジック マギー隆司
コント だるま食堂
短編芝居 『お見合いパーティー』

ガチャステ2
ボサノバ 犬塚彩子
スペシャルゲスト 徳光和夫
コント シリアルパパ
短編芝居 『本当の彼女』

ガチャステ3
朗読 高木順巨・松本麻希 + ライブペインティング くわナよしゆき
ショートムービー 『コインランドリー』
落語 三遊亭楽麻呂 『味噌豆』
短編芝居 『同窓会』

        まずはサミットクラブという大阪弁の漫才。ふたりともまだ二十歳という若いコンビだ。葬式をテーマパーク化したらどうなるかというネタ。落語の『片棒』の世界に近い。坊さんを派手に登場させるとか、いろいろアイデアを出しているが、どうも大きな笑いに繋がっていかない。持ち時間が5分程度しかないので客席を暖めるのが精一杯だったのかも知れない。

        橘しんごに進行とあるのは、司会役のようなことを演らせようとしたらしいのだが、なにせ時間が押していくばかりだったので、エッチな替え歌を2曲歌っただけでこのあと出てこなくなってしまった。

        マギー隆司のマジック。トランプの図柄が変るマジックであっと言わせておいて、話術巧みに鋼鉄曲げと、トランプ当てで笑わせる。さすがに短い時間でも客を引きこむ術(すべ)を知っている人だ。こうなると年季がものをいう。

        前から見てみたかった、女性トリオのコントだるま食堂。黒いドレスを着て、バストとヒップに盛大な詰め物をした超グラマーなコーラス・トリオという設定。それぞれがイエロー、グリーン、レッドのカツラを被って歌うのだが、これが期待にたがわず面白かった。映画『男と女』のテーマのネタなどは途中でネタ割れてしまうし、『サンバ・デ・クイズ』もネタとしてはけっこう寒いのだが、妙なパワーがあり引っ張っていく。これも持ち時間が少なくて可哀想だったが、一度たっぷりしたステージを見てみたいものだ。

        1本目の芝居『お見合いパーティー』は女優さん6人だけの芝居。お見合いパーティーを終えて結果を待つ女性控え室の中で繰り広げられる話。結婚願望の三十歳前後の女性の気持ちと闘いを描いたもの。笑いも多い芝居で楽しめた。落語界でいうと、川柳つくしの作る新作落語の世界に近い。ちょっと私のようなおじさんには、ついていけないところもあるのだが・・・。

        10分の休憩があって、ガチャステ2に突入。舞台に椅子が一脚用意されて犬塚彩子のボサノバ、ギター弾き語り。日本語で歌うオリジナルのボサノバ『たぶん、だいじょうぶ』他。ボサノバは嫌いじゃないのだけれど普段あまり聴くことが無い。こうやってしばしボサノバの世界に入っていけるのも、こういった企画あってのこと。ちょっとしたライヴ・ハウスの雰囲気が味わえた。

        あの徳光和夫が出るのかと思ってドキドキしたのだが、これはビデオ出演。本来ならばここに来るはずだったのだが、この日はジャイアンツが日本一になったパレードがあるので来られなくなったという言い訳。真からジャイアンツが好きというのが言葉で溢れかえっている。私はジャイアンツは好きじゃないが、徳光さんがジャイアンツを語る姿は、いいなあと思う。

        このあとがシリアルパパのコントだったのだが、ちょっと急用を思い出して客席を中座して外に出て携帯電話。ううーん、残念! この人たちのコント見たかったなあ。

        2本目の芝居は『本当の彼女』。酔っ払って携帯電話をかけまくっている女性。どうやら自殺しようとしているらしい。やがてぐったりとソファーに倒れこむ。携帯電話やメールを読んだ彼女の友達たちが続々と集まってくる・・・。3本の芝居の中では、これが一番脚本がよく出来ている。二段オチになっている結末が不気味で面白い。

        ガチャステ3突入。休憩時間からステージにキャンパスを置き絵を書き始めている人がいる。この人がライブペインティングのくわナよしゆきらしい。絵を書き続けている両脇に男女が離れて座り朗読が始まる。高木順巨松本麻希のふたりだ。バーのカウンターで、わかれたカップルが偶然に再開する。過ぎ去った過去の日々の記憶を持ち出して、あのときは実はこうだったんだと、打ち明け合う。一度結婚して今はバツいちの男は、この女性とのヨリを戻したそうにしているのだが・・・。大人の会話と言いたいところだが、やや内容が幼いかな?

        ショートムービー『コインランドリー』。コインランドリーで乾燥機を使っている女がいる。そこへ変な男がからんでくる。こんなにいい天気なのに乾燥機を使うのはおかしいと言うのである。干して乾かせばいいのにというわけである。女は放っておいてくれと言うが男はしつこい・・・。ちょっとしたワンアイデアの短編映画。なんとなく可笑しさが漂う。

        さあて、これら異種格闘技戦の様相を呈してきた中で、落語が始まる。円楽一門の三遊亭楽麻呂だ。NHKの『爆笑オンエアバトル』で過去何回か落語家が挑戦し続けてきたがオンエアに到らなかった。今の若い人たちには漫才やコントの方が面白いと感じるらしい。落語という分野のまき返しは可能なのであろうか? 高座が作られちょっと小さめな座布団が敷かれる。出囃子が流れ出てきた楽麻呂はさすがに勝手が違うのか、どこか演りにくそう。「こんなところで演るのは初めてでして、大丈夫なんだろうかと思っていました。不安なんで、さっきからウシロで見ていたんですが、その不安は見事敵中しまして・・・」と、まずは小噺からと『鶴の恩返し』パターンの小噺二本。そして短めの噺『味噌豆』へ。落語好きの私だが、贔屓目にみても、この楽麻呂が一番受けていたように思う。笑いも一番来ている。大丈夫だ、落語はまだまだ対抗できる。

        さあ最後だ。3本目の芝居は『同窓会』。通夜に出席して12年ぶりで再開した高校時代の同級生が、通夜の帰りに居酒屋に寄り、近況を語り合うという話。男5人だけの芝居。居酒屋の店員が妙にヘンなキャラクターで笑えたの面白かったが、こうやって3本の芝居を続けて見ると、3本に共通のものを感じてしまう。総て30歳前後の役者だけで構成されていて、内容がこれまた今の30歳前後の人たちの生活から出てきた現実話という感じになってしまっているのだ。これはなんとかならなかっただろうか? せっかく他のコーナーがバラエティに富んでいたのに、芝居が三本似通っていたのではつまらない。

        パンフレットを読むと、この催しは、「『あそこへ行けば、いつも面白いモノをやっている!』と噂になるスタンダップコメディーシアター+OFF OFFブロードウェーのような空間(常設劇場)を作ることをめざしております」とある。上野、浅草、新宿、池袋の寄席。国立演芸場、東洋館、横浜にぎわい座、そしてルミネ・ザ・よしもと。それらに新たに加わる勢力を作れるかどうか。若い世代の新しい挑戦に、多いに期待したいものだ。

        最後にちょっと注文。スタッフがまだ慣れていないこともあるのだろうが、この3ガチャはバラ売りもしていた。私は3ガチャの通し券を買って入ったのだが、バラ売りで入った客を1時間だけ見て帰すシステムがいい加減で、どうもバラ券だけで入ってずーっと居残っていてもわからない感じなのだ。通し券はバラ券の三倍近くするのだから、これでは不公平感があった。次回は、そのへんをしっかりして欲しい。いっそのことバラ券を売るのは止めてしまった方がいい。


November.4,2002 総決算

11月3日 第一回神田山陽独演会 (国立演芸場)

        真打昇進襲名披露興行が終わったばかりの三代目が独演会を開くという。しかも芸術祭参加公演。一気に勝負をかけてきたようだ。演目も古典と新作一本ずつ。おそらく三代目が今、一番自信があるネタを出してきたに違いない。二日で売りきれたというチケット、客席を見渡せば若い客層が多い。講談という、もうあまり見向きもされなくなってきた芸に、ここまで若い観客を引っ張ってきた功績は、まさに評価されていいのではないか。

        神田山陽が現れると盛大な拍手が起こる。これがまたなかなか鳴り止まないのも珍しい事ではなくなった。毎度お馴染みになったトークが始まる。浅草で高座があってここ国立演芸場へ移動する地下鉄銀座線の中、隣の二人組の会話が耳に入ってきてしまったという。なんでもアメリカのある学者が世界で一番面白いパーティ・ジョークを発明した。「大きな猟師と小さな猟師が、ふたりで狩りに行った。ひとりが木に登り、もうひとりが木の下で銃を構えて獲物を待った。下の方の猟師が撃ったら、上の方の猟師が・・・」というところで上野駅について、ふたりが降りていってしまった。「気になるじゃないですか! 面白くなる先が聴いてみたかった。講談の世界でも『この先が面白くなるのですが、お時間』と切ってしまう。今日は自分が一度そういう目に逢うとわかるという貴重な人生体験をしてまいりました」 これだけの話なのだが山陽に語らせると爆笑が起こる。やっぱり話術なんだな。

        今年会えてうれしかった三人の著名人の名前をあげながら、「人は人でしか変わらない。出会ったことによって変わっていく」というマクラから二代目直伝の『青龍刀権次』へ。十手持ちの権次は青龍刀の刺青があることから青龍刀権次、と名前は強そうだが根っからの意気地なし。ある日権次は、薩摩の侍が芸者を殺害した現場を目撃してしまう。侍にお縄をかけようとするが、金で買収されてしまう。ところが金を受け取って去った現場に煙草入れを落としてきてしまった。これを八丁堀の同心に発見され、権次は芸者殺しの罪を被せられて苦役につくことになる。三年後に皮膚病を患ってシャバに出てみると、世の中は大政奉還が起こり、時代は様代わりしていた。料亭の雑役夫をしているうちに、客で来た官軍の大隊長があのときの芸者殺しの下手人だと気がつく・・・。講談ではあまり聴いた事がない幕末もの。なんとも理不尽なような切れ場に辿りついたところで、「これからが面白くなるのですが、師匠からはここまでしか教わっていない」と切られてしまった。ううーっ、権次の続きが聴きたいよー。

        仲入りが入って、ボンボンブラザースの曲芸。髭の繁二郎さんの紙の曲芸も客席まで下りてきちゃって下手のドアを開けて出ていってしまう。もう、このくらいエスカレートしないと収まらなくなってきちゃっている。いつもよりたっぷりの十五分高座。最初から最後まで一言も発しないのだけど妙に笑える曲芸なんだよねえ。

        山陽二席目。新作講談のネタを夜中に突然思いつくことがあるそうで枕元にメモ用紙を用意しているという。これが朝起きてみると何の事だかわからないものが多いらしい。「『冷蔵庫』としか書いてない。中には『そんなわけないだろ』なんてのもある。肝心のオチが書いてなくてどうする」 夢で見た話はなぜすぐに忘れてしまうんだろう。見たときはばかに面白かったと思うのになあ。今度から夢を見ながらメモをとろうか―――って無理だよなあ。

        「書けたと思っても出来てない。出来たと思っても書けてない。また、演りながら出来ていくということもある」と『鼠小僧外伝〜サンタクロースとの出会い』に入ったと同時に客電が少し落ちた。浅草寺の屋根に登る鼠小僧。そこには先客がいる。赤い服に長く伸びた真っ白な髭。サンタクロースがココアを啜っているのだ。いつものことながら、ここでドッと笑いがくる。「ここのハードルを乗り越えないと、たいへんなことになります」 今までの講談ファンにはびっくりする世界が待っている。極東の地、日本にやってきたサンタクロースを鼠小僧が江戸見物に連れ出す。相撲興行では佐野山が谷風を投げているところを目撃するわ、忠臣蔵の討ち入りの場面に遭遇するわと、時代考証もバラバラなのだが、面白ければなんだっていい。これが新作講談の面白いところ。そしてこの噺の良く出来たところは、理不尽とも思える人間の定め(運命)を鼠小僧が目撃してしまうところにもある。そんな鼠小僧にサンタクロースが「たとえ神様でも変えることが出来ないこともあるんだ」と諭す。朝日の中を飛んで行くサンタクロースが、涙に濡れた鼠小僧の目に虹のように見えたという所では、私も思わずジーンとしてしまった。そのあとに訪れる感動的な映画のラストシーンのような胸踊る展開にワクワクとしたところで、読み切りとなる。

        鳴り止まない拍手にお辞儀を繰り返してから、「今までやってきたことを、ここでリセットして、新しくやり直していこうと思います」との決意表明。北陽時代から三代目襲名までの総決算。これから新しい山陽の時代が始まる。



November.2,2002 志の輔のロジックの楽しさ

10月27日 志の輔らくごのごらく (国立演芸場)

        前座、立川志の吉『狸の札』頑張ってね。

        立川志の輔一席目は『はんどたおる』。何年か前のパルコ劇場の会で演った新作だ。亭主が家に帰ると、ダイエット中のはずの女房が大量のシュークリームを食べている。どうしたのかと問いただせば、スーパーで買い物をしてレジに行ったら三千円買い物をすればハンドタオルが景品につくと書いてあった。とっさにそばにあったシュークリームの箱を加えるとちょうど三千円になったと自慢する。それはおかしい、ハンドタオルなんて買ったってたいした金額じゃあるまいし、なんでシュークリームなんて買うんだと主張する亭主の論理と、だってシュークリームとハンドタオルが両方手にはいったから得したんだという女房の論理が交錯して、論理のすれ違いの可笑しさがエスカレートしていく。このあと新聞勧誘員が登場して、ますます論理のひねくりかえりがヒートアップしていくのだが、志の輔の新作はたいていこの論理のひねくりかえりがテーマ。それが嫌味ではなく、とぼけた味わいになっているのが憎めない。無理を押しつけられる新聞勧誘員が『壷算』の瀬戸物屋のよう。そういえば志の輔の『壷算』も絶品だった。

        実況漫談と演目にある山田雅人。テレビでは何回か見たことがあるがナマで見るのはもちろん初めて。競馬の実況中継を芸にしている人として前から気になっていたのだ。「初舞台は23歳のとき、通天閣の下の[新花月]でした。ここは凄いところでしたよ。舞台で喋ってますと、お客さんがツカツカと歩いてきて『にいちゃん、便所行ってくるわ』 便所なんて黙って行けってんですわ。そうかと思うと『にいちゃん、お前みたいな若造聴きたない! はよ下がれ下がれ!』というお客さんがいる。すると競馬ネタの好きな別のお客さんが『今言ったんは誰や!? オレが殺すぞ!!』 

        そんな山田雅人の競馬実況中継ネタが始まる。お客さんから好きな競走馬を三頭言ってもらい、その三頭が競馬をする模様を即興で中継するという十八番のネタだ。この日のお題は、シンザン、シンボリルドルフ、テンポイントと、ずいぶんと古い馬が集まった。ファンファーレに続きゲートが開いてスタート。各馬のプロフィール、戦績、思い出などを折込みながらの実況アナウンサー並の名調子にうっとりと聞き惚れてしまった。競馬好きにはたまんない楽しさだ。そして山田雅人ってほんとうに競馬が好きなんだと思う。とてつもない競馬に関する知識がないとできない芸なのだから。競馬を知らない人も、次のお騒がせ有名人競馬実況中継なら楽しめただろう。オカエ、ヤックン、カブレラ、マツイ、シンジョウ、フカサク、オギノメ、コイズミといった、どこかで聞いた事がある名前の馬が走る走る。「落語にしか興味ないよう」という人にも、最後にちゃーんと趣向が用意されていた。なんと古典落語の主人公たちが走る。『居残り佐平治』の佐平治、『芝浜』の魚勝、『火炎太鼓』の道具屋の甚兵衛、『小言幸兵衛』の幸兵衛、『たいこ腹』の一八に、『鰻の幇間』の一八、さらに『野ざらし』の八五郎まで。これまた落語に詳しくないと語れない芸だ。

        やはり大阪の噺家である桂文我が山田雅人の[新花月]のことを続けて話しだした。「あそこは地獄のような寄席でしたわ。漫才出てきても笑わない、ハトが出てきても驚かない。落語演りだすと、誰かが『やめとけ!』、すると別のお客さんが『聴いたれ!』。ついにはお客さん同士で掴み合いの喧嘩ですわ。噺家が仲裁に入っている。ついには支配人が出てきてふたりをロビーに出す。こうなると他のお客さんもみんなロビーに出ていってしまって、客席には誰もおりまへんわ」 このあとマクラに義太夫を稽古のことなどを話しだしたので、これは『寝床』なのかと思っていたら、『虱茶屋』に入った。旦那が茶屋に上がって芸者や幇間を集め、襟筋占いをしてやると騙して襟から虱を入れる噺。これ、面白いんだけど、聴いているこちらまでが痒くなってくるから、ちょっと苦手。八代目雷門助六でよく見たっけ。踊りの上手い人だから一八が踊りながら虱を潰すところが絶品だった。文我のも、なかなかに上手い。本当にひどいお遊びなのだが、事は落語の世界。真相を知った一八が旦那に、「あんた、アクマみたいな人でんな」と言っても本当に怒っているようにならない。洒落が通用する落語世界ならではの出来事だ。

        仲入りのあとに幕が開くと、そこは竹薮。暗い高座の中央に薩摩琵琶の坂田美子が琵琶を抱えて座っていた。普段あまり耳にすることがない琵琶の音が響き渡る。演目は民話の『鶴の恩返し』を元にした『鶴』。誰でも知っている話だが、こうやって琵琶の音に乗せながら聴くと、また格別。琵琶という楽器を演奏しているところを見たことが無かったので、こんなにさまざまな奏法テクニックがあるのかと感心しきり。

        独演会とは違うという意識があるのだろうか、志の輔は一席目に続きあまり長いマクラを演らずに噺に入った。これも確か一昨年のパルコでネタおろししていた『帯久』。今やあまり演り手がなくなってしまった古典落語。大阪の噺だが、東京では円生くらいしか演り手がいなかったろう。演り手がいなくなった理由として、「面白くない」と志の輔は語るのだが、けっして面白くないわけではない。ただちょっと長いのと、案外難しい噺なのではないだろうか? 裁きものの一席なのだが、いかに大岡越前だとしても、この裁きはちと苦しい。無理がある。それを強引な論理的展開に持っていくのは志の輔ならではの力わざか? それと現代ではこのオチが何の事やらわからなくなってしまったのが演られなくなってしまったことの原因らしい。志の輔は思いきってオチも変えた。悪い方の側が帯屋という屋号の呉服屋だというのを使って、「帯屋だけに、少々きつく締めておいた」は上手い! 円生のものくらいしか残っていない現在、これから志の輔の『帯久』が定番となっていくのかもしれない。


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