December.30,2002 カスタネットで討ち入り

12月28日 うどんに七味武春一味
        『ミラクル忠臣蔵』 (THEATER/TOPS)

        今年最後の放浪は、国本武春がラッパ屋の福本伸一木村靖司、それと竹内晶子と組んだ浪曲芝居。私は『忠臣蔵』という話はあまり面白いと思わなかったのだが、この『ミラクル忠臣蔵』は、音楽も多く、笑いの要素も多い、実に楽しいものになっていた。

        客席に座ろうとすると椅子には、チラシとカスタネットが置かれていた。席によっては鈴が置かれている人もいる。それとなぜか白紙が一枚。三味線を抱えた国本武春のマエセツによると、これらの楽器は途中で使うということ。どうやら観客参加型の芝居らしい。「それと、紙が一枚置いてあったかと思います。それは、おヒネリ用の紙でございます。今まで一番多かったのは、五百円玉の上に千円札を畳んでおヒネリにしたもの。のべつまくなしに放られますと気が散って芝居ができません。これはあとで合図をしますから、そのときにまとめて放ってください」 この他、掛け声をかけてくれとか、手拍子をしろとか、注文の多い芝居のマエセツだこと。

        国本武春が『ミラクル忠臣蔵』のテーマを観客に「♪あっ、それ あっ、それ」の合いの手を強要して歌い、いきなり殿中松の廊下の刃傷の場。吉良上野介に田舎侍と笑われた浅野内匠頭が刃傷に及んだところで、軽快な音楽が鳴りだし「♪殿中でござーる 殿中でござーる」と国本武春が登場して歌い出し、三人で踊る。まさにミュージカルのような楽しさだ。深刻さがまるで無いのがいい。

        すぐに内匠頭切腹の場。このスピーディーな展開がいい。さっさと切腹して、このことを赤穂に伝える萱野三平の場。国本武春はマンドリンを弾きながらこれまた軽快なナンバー「♪伝えよう 伝えよう 早く赤穂に伝えよう」 三平はお人形さん。江戸から赤穂まで百五十五里。キロに換算すると620キロ。このことを国本武春と掛け合い漫才のようにして語る。この伝え方も観客一体型。客席後方から紙風船が送られてくるのを観客が跳ね上げて舞台に送るというもの。無事に舞台に到着したら、このことが赤穂に伝わるというゲーム。

        箱根の茶店、神埼東下りの場。ここが一番浪曲らしいところ。国本武春が三味線を弾きながら浪曲を謡い、三人の役者が、神崎与五郎、牛五郎、茶店のばあさんになって、それに合わせて演技する。国本のオーバーなセリフ回しに翻弄されながら演技をする役者たちが可笑しい。爆笑が続く場面なのだが、このことを文章にするのはちと難しい。ここが一番笑いの要素が強いのだが。

        垣見左内を名乗って江戸に下る大石主税。そこへ本物の垣見左内が現れるという場。マンドリンを弾きながら歌う国本武春の大石主税と、ギターを弾きながら歌う福本伸一の本物の垣内左内の掛け合いが楽しい。ここもあくまで明るい曲調なのがいい。最後は観客にも合唱させる趣向。「♪どちらーがー偽者 どちらが本当ー」 憶えちゃったよー。

        吉良邸の絵図面を手に入れた岡野金右衛門、なぜか絵図面を無くしてしまったと言い出す。どこにあるのか捜してくれと観客に要請する。「椅子の裏あたりが怪しいと思われます」。観客が大騒ぎで捜すと封筒が四つ、客席から見つかる。これはプレゼントの抽選会のようなもの。この封筒があった椅子に座った人には写真入りサイン色紙などが送られた。いいなあ。絵図面を見て、観客にも手の合図の練習。山、川、前、後、右、左の形をとらせて、「さあ、いよいよ討ち入りだあ!」

        赤垣源蔵徳利の別れと、南部坂雪の別れを同時進行で描く。ここは、ごくごく普通の真面目な芝居になる。『忠臣蔵』でも、ややダレるところをふたつ同時に進行させてしまう手腕に感心した。しかも、四人が四人、思わず涙を誘う名演。さすがに役者だ。

        吉良邸討ち入り。ここからは、国本武春のCD『大忠臣蔵』の中の『ザ・忠臣蔵 吉良邸討ち入り』となる。ロック調(ファンク調?)のリズムに三味線をかき鳴らす国本武春。それに合わせて観客も「♪アコーーーーーーー ロウシ アコーーーーーーー ロウシ」と手ぶりをつけて、鈴とカスタネットを打ち鳴らす。吉良上野介を捜して、観客と一緒に山、川、前、後、右、左の合図。

        吉良を討ち取った後は、CDどおり曲調がバラードになる。これが実にいい曲なのだ。CDバージョンにさらに歌詞を付け加えられており、万感胸に迫るものがある。「♪その晴れ姿いつまでも たたえて今に名が残る 忠臣蔵の物語り」

        どうしたことだろう。映画やドラマで何回も見た『忠臣蔵』なのだが、こんなにこの話に感動してしまったのは初めてだった。それでいて、頭に残っているのはさまざまに盛り込まれたギャグであり、耳に残る歌であったり、観客参加イベント(決して、嫌な客イジリではない)だったりする。

        「さあ、方々、勝どきをあげましょう!」 国本武春に合わせて、観客も「エイエイ・オー!」 「方々、おヒネリの準備はいかがでしょうか?」 客席からおヒネリが飛ぶ。私もこっそり作っておいたおヒネリを飛ばした。「いいぞー、武春! 日本一!」

        さて、これで『客席放浪記』2002年度分は総て終了であります。これで丸二年が経過したことになる。もういったい何を書いたのか自分でも憶えていないくらい、無我夢中でキーボードを叩き続けてきた。誰も誉めてくれないだろうけれど、今夜は自分ひとりでシャンパンを開けて祝おうと思います。やったぜ、今年も一年書きつづけたぜ! エイエイ  オー!


December.29,2002 炊飯器投げの餌食

12月23日 清水宏のサタデーナイトライブ The Best
        〜年の瀬暴走特急〜 (紀伊国屋ホール)

        開演時間5分過ぎたところで、突然に客席後方から現れたのは春風亭昇太。「なんだなんだなんだ! 清水宏のためにこんなに来やがって!」 へんな着物に傘を持ってアジるのがだが、これが清水宏向けのマエセツになっているのだから面白い。「きょうは清水宏がここでいろいろなことを演ります。携帯電話・・・・・電源入れてください! 携帯でどんどん話してください! かかってきたらドンドン出てください! 好きなことやってください! 公演中いかがわしい行為、あっちこっちでやってください! さまざまな妨害もOKです!」 逆説的な携帯電話注意がいかにもって感じ。おかげでこの日は客席で一度も携帯電話が鳴らなかった。

        ロックビートに乗って清水宏登場。「よーし! なんだかむやみやたらと、いろいろ演ってやるぞ、おらー!」 相変わらずテンション高い。てなわけで、まずは恒例手拍子からスタート。

『C.T.O』
『G.T.O』のパロディのようなもの。「オレが、きょうからこの学校に赴任してきた教師だ。通称C.T.O. なんのイニシャルかと言うと・・・・クレイジー・ティーチャー・・・・・・・・・・・大暴れだあ!」 この一言で客席が大爆笑に包まれる。これから清水宏が、ひとり大暴れをしてくれるかと思うと期待が高まる。

『世直ししまくり男』
世の中狂っていると思っているハイテンション男が世直しをしようと、北朝鮮、タマちゃん、ハリー・ポッター役のダニエル・ラドクリフなどに会いに行き、「おらおらおらおら!」とその姿勢を正しまくる。少々乱暴だが、その乱暴さが楽しい。

落語『大江戸プロファイリング』
高座が出てきて、着物姿で登場。狂った自分のオヤジの行動を語るマクラから、「オレから見た落語」だというネタへ入る。岡っ引きの兄貴を殺人現場に案内する弟分。この兄貴なる人物がプロファイリングの名人だという発想がナミじゃない。路上で殺されていたのは夜鷹。顔には殴られた跡、首には締められた跡、身体中を刃物でメッタ刺し、猿ぐつわをされた跡や、後ろ手に縛られた跡まである。凄惨なのは尻の肉が削り取られていること。これをどうプロファイリングするかと、試しに弟分に問う兄貴。「犯人はまず、うしろから近づいて尻の肉を切る。騒がれたので、首を締める。腹が立って殴った。それでメッタ刺し。あとで縛って猿ぐつわってとこでしょうかねえ」 そんなバカなあ(笑)。[狂った人間が好き]という清水らしく、この落語に出て来る人たちというのも総て清水流な狂い方を見せる。だんだんこっちの頭も狂ってきた。

『映画予告編シリーズ』
映画の予告編というのは、その映画の面白いところだけ集めているから、実際の映画よりも面白かったりするということで、清水宏の作った架空の映画の予告編シリーズ。
『なにか』
なにかがやってくるという恐怖映画の予告編パターン。「なにかが・・・」 「なにかが・・・」 「なにかが、やってくる」と正体を見せないで引っ張る。結局最後まで[なにか]はわからない。
『ハリウッド版・サザエさん』
全篇英語で演じる『サザエさん』。予告編というよりも、もう映画の一片。ほのぼのとした本編に、ちょっとエッチな『ナイト・ライフ・オブ・サザエさん』、サザエさんの恐怖の一面を描く『ダーク・サイド・オブ・サザエさん』
『ハリウッド版・北の国から』
流氷の間から北の海に落ちた田中邦衛が、100年後に巨大化してニューヨークに現れるという怪獣映画。なんだこりゃ。

『ウルトラセブンに告ぐ』
モロボシ・ダンがウルトラセブンに変身できないときに代って怪獣と闘うカプセル怪獣ミクラスが、講演会で演説する。『ウルトラセブン』のドラマをプロレス団体の興行のようにして位置付けて話すのが可笑しい。ミクロスがいかにも体育会系の喋り方をする。「セブンの言うことは絶対だったですからね。セブンがカプセル取り出して、『ミクロス行け!』と言ったらば何が何でも行かなくてはならなかった。それで怪獣と闘って負けてみせると。次にセブンが出ていって相手を倒すと。こういう興行形態でやってきた」 そんなミクロスだが秘めたる思いがあるようだ。本当は自分の方がガチンコ勝負したら強いと言い出す。どうもウルトラセブンに対して怨みがあるようだ・・・。私はこのネタが一番気に入った。だんだん激昂して、ついにはセブンに「オレと勝負しろ!」と挑戦状を叩きつける。

『正のパンクバンド』
ギターのみのすけと一緒に、正しいことをパンクな音楽に乗せて歌うコーナー・・・・・って何? パンク努力(清水宏)とパンク真心(みのすけ)のユニットだ。テーマ曲『努力・真心・親切』 「♪横断歩道は手をあげて(とうぜんのことだぜ)」 「♪靴下脱いだら畳んでしまえ(奥さんのために)」 「♪消費税はなるべく細かいお金で払え(お店の人のために)」 格好も曲調も歌い方もパンク調なのになぜか倫理道徳を説くというヘンな歌だ。2曲目はメロウなナンバー『いいことしたあとは気持ちいい』(?)。これまた妙に耳に残る曲で、いきがったにいちゃんの歌い方なのに、なぜか倫理道徳的。3曲目『社会人として当然のルール』。またロック調に戻って「♪分別 分別 分別 ゴミは燃えるゴミと燃えないゴミに分けて出してくださいね」 この倫理道徳的パンクってアイデアは面白い。でも1曲目と3曲目は同じメロディーなんじゃないの?

『やる気マンマン男』
私がチケットぴあで手に入れたチケットは前から5列目の真正面。いやな予感は当然していたのだ。通路際というのも清水の客いじりの対象になりやすいのだが、真正面というのも危ない。「おらおらおらおら」とおかしなパントマイムが始まった。剣道をやったり、合気道をやったり、電話をかけたりするうちに、「飯を食わねば戦はできぬ」と大きな炊飯器でメシを炊き、なぜかこの炊飯器を回し始めた。そして客席にこの見えない大きな炊飯器を投げるから投げ返してくれと言い出す。ああ、いつものヤツだなあと思っているうちに、清水宏は何と私を指名したのだ。「あんただよ、そう。そこの帽子被ってる人!」 このあと私が何をやったのかほとんど憶えていない。清水が投げた炊飯器をパントマイムで受け取り、何回か投げ返したのだが、あのホールの中で注目を浴びるのがこんなに疲れることとは・・・・・。あとから考えると、こっちもテンション高く「おらおらおらおら」と言いながら投げ返せばよかったんだろうが、咄嗟のことでは何をしていいのかわからない。難しいものですね。

『シンバル漫談』
「世の中の小さな事から大きな事まで頭に来ることがあるが、特に小さな事を取り上げて斬る」というお馴染みのコーナー。「街頭インタビューの女子高生、『ノーベル賞を貰った田中さんをどう思いますか?』 『一家に一台欲しいでーす』 『一家に一台の田中さんに何して欲しいですか?』 『癒して欲しい』 田中さんにそんな時間はねえ! バッシャーン!」

アンコールのようなもの
『映画予告編シリーズ』から『フランス版・北の国から〜邦衛の赤い自転車』

        けっ、ついに清水宏の客いじりの対象にされちまったぞ、おら! おーらおらおらおら・・・・・! おい、8時半には終演だっていうから安心してたのに、もう9時半じゃないか! おら!ばっきゃろう! もう帰るぞ、おら! 明日はまた仕事だぞ、おら!


December.23,2002 目に見えないプレゼントをありがとう!

12月22日 日本の話芸と遊芸による聖夜 (国立演芸場)

        おおっ! 国立演芸場の緞帳がいつもの[広重『東海道五十三次之内箱根之図』ではない。濃い紫の地に雪と雪の結晶が舞う図柄。今夜はちょっと早いが国立劇場の聖夜。

        緞帳が上がると、まずは奇妙ともいえる出し物、賛美歌義太夫『イエス・キリスト』。十字架に見たてた舞台が作られている。十字架の横棒の上手に三味線の鶴澤清友、下手に浄瑠璃の豊竹英大夫が座り、暗い舞台いっぱいに百本ほどの赤い蝋燭が揺らぐ。「♪ベベンベンベンベン いとも気高きキリストの 流す清めの御血潮 我らの罪や背負いつつ 父よ彼らを許したまえ 彼らはそのなすことを知らなればなりー!」 主イエスの誕生から昇天までを義太夫で語るという前代未聞(?)の試み。「♪ベベンベンベンベン はあああーれる はーれるはーれるや! はれるや! あ〜〜〜〜めん!」 う〜ん。キリストもさぞや驚いたことだろう。

        一端緞帳が下り、再び上がると義太夫の高座は片付けられていた。上手にクリスマスツリー。松元ヒロはさすがに賛美歌義太夫あとは演りにくそうだ。「只今の浄瑠璃は荘厳なセレモニーのようなものでして、乾杯があってこれからは宴会に入ります。どうか笑ってください」と、日本一のパントマイム・・・・・日本一わかりやすいバントマイム・・・・・これから演ることを総て解説した上で演技に入るパントマイムが始まる。『ガラス(壁)を作る』 『ポット』 『電気掃除機のコードが収納されるところ』 『蛍光灯』などクリスマスには関係ないネタを演ってから、いよいよクリスマスにちなんだパントマイムを盛り込んだひとりコントになる。時代はちょっと前の日本。クリスマス・イヴだというのに付き合いで酔っ払って帰ってきたお父さん。手には無け無しの小遣いで家族のために買ってきたクリスマスケーキ。先日手袋を無くしてしまい寒い思いをして帰ってきたものの、妻も子供もすでに寝てしまっている。仕方なく、買ってきたクリスマスケーキに蝋燭を立ててひとりで聖夜を祝おうとするのだが・・・・・。家族にも疎んじられている可哀想な中年サラリーマンのお父さんの悲哀が笑いと共に描かれていくのだが、最後のオチには思わずにっこり。ポッと暖かくなる風景だ。

        再び緞帳が下りて上がると、落語の高座が出来ていた。林家たい平の出番となる。「クリスマス・イヴで思い出すのは、大師匠(林家三平)の家でのことですよ。毎年この日になると私は大師匠の家に行っていた。7時ごろになると奥さんが『そろそろサンタさんが来るかもしれません』と言い出すんです。それが合図になって私は外の駐車場に行ってベルをシャンシャン鳴らすんです。『あら、サンタさんじゃないの? サンタさんの鈴の音よ!』と奥さんが言い、物干しにこぶ平やいっ平が上がる。『サンタさん、ありがとう!』とみんなが言っている間に私は走って帰って居間にプレゼントをみんな出して・・・・・ハアハア息切らして・・・・・毎年タイヘンだったんですから!」 ごくろうさまでした、たい平さん。

        こうして入ったのは『イヴの夜』。フィリピンパプに通いつめるお父さん。フィリピン人ホステスのクリスちゃん改めイヴちゃんをご指名だ。「ワタシ ナンカ チカラデルモノ タベタイワー ニクタベタイ」 「この店に肉なんてあるのか?」 「チョウリバニ ロース アルヨ」 「ロース?」 「アンタ ロース クウ? アンタ クウ ロース? アンタクロース」 「洒落かよ!」 「ホオラ ヤケテキタワヨ。3卓デ ロース。サンタク デ ロース サンタクロースヨ」 このフィリピン・パプのイヴちゃんの名刺を背広の内ポケットに入れて帰ってきたことがバレたお父さん、奥さんから別れ話まで持ち出される始末。「もう、朝まで呑んでてもいいから、芝の浜行って財布拾ってらっしゃい!」 こうしてお父さんが毎晩フィリピンパプに通っているのには訳があった。七夕の短冊に書いた息子アキラの言葉「ゴジラに逢いたい」の夢を実現させてあげたいと思っていたお父さん、街でゴジラの着ぐるみを着たフィリピンパプのサンドイッチマンに出会うのだ。その着ぐるみをクリスマスイヴに貸してくれないか頼むお父さんに、サンドイッチマンは1ヶ月フィリピンパプに通ってくれたら貸してあげてもいいと答える。そのためのフイリピンパブ通いだったのだ。そして、いよいよクリスマスイヴの夜、ゴジラの着ぐるみを貸してもらおうとお父さんが街に出ると・・・・・。意外な展開と、ほんのりとしたラスト、そしてまたストーンと落とすオチ。たい平のサービス精神溢れる高座にすっかり暖まった気分。

        仲入り。コンビニで買ってきたチキンサンドとコーラで腹ごしらえ。メリー・クリスマス!

        スプリング・スプライト。ハンドベルの演奏というのは初めて聴いた。横に長い机に大小数十個のハンドベルが置かれている。それを五人の女性が曲の流れに従って、必要な音程のベルを持ち上げては振り、また元に戻し、次の音程のベルを手にする。そのめまぐるしいこと! それでもその音色は優しく気持ちがいい。時には隣の人が振ったベルを受け取って振ったり、人が置いたベルをサッと手にしたりで、わからなくならないだろうかと心配してしまうのだが、ちゃーんと手順が決められているようだ。『アメイジング・グレース』 ディズニー映画『アラジン』から『ホール・ニュー・ワールド』。そして、ここからいよいよクリスマスソングが始まる。スウェーデンのクリスマスキャロル『千本の蝋燭に灯が点いた』、そして定番の『清しこの夜』。赤い服に白い手袋をして演奏していた彼女たちが一端机の下に身を沈めると赤いお帽子を被って出てきた。可愛いサンタさんたちだあ! ラストナンバーはクリスマスキャロル・メドレーの『アメリカン・クリスマス』。木琴まで使ってのメドレーを『ジングルベル』で締めくくって大きな拍手が来る。かーわいいー! オルゴールの音色にも似たハンドベル演奏、珍しくも楽しいものを見せていただきました。私にとってこの日最大のクリスマス・プレゼント!

        また緞帳が下り、再び上がると、すでに神田山陽が板付きで釈台の前で頭を下げている。高座の照明は落とされ、客電も落とされた空間。背景も黒の幕。いきなり「文化五年、江戸に初雪が降った日のこと」と『鼠小僧外伝』に入るとみせて緊張させてから「ちょっと話をしましょうか」とマクラに入る。「こんな暗い客席は初めて。こんな暗いのは停電のとき以来ですか? 停電っていいもんですよ。バラバラだった家族が一体化する。蝋燭を持ってきた父が逞しく感じたりして」 アメリカの少女バージニアが「サンタクロースはいるのだろうか?」と父に訊いたところ、新聞に訊いてみなさいと言われ投書したものが、ニューヨーク・サン紙の社説で、その答えが載ったという有名な話をマクラに振る。その社説はバージニアに向けて、サンタクロースはいるのだと答える。人を好きになる心や、人に親切をする心や、人を許す心などは確かに存在する。目に見えるものだけが総てじゃないんだよと・・・。

        もう今や名作といっていい『鼠小僧外伝』の素晴らしさは、まずはその導入部だ。浅草寺の五重塔の上で、鼠小僧とサンタクロースが出会う場面から、ふたりが落下するシーン。それに続く橇に乗って江戸の空を駆け巡るシーンの浮遊感を伴った疾走感。明け方、江戸城のてっぺんで一息つくまで一気呵成だ。朝日の中で芝の浜が見える。「おい、浜の先で財布拾った人がいるぞお」 「それはたい平さんが演ったよ」 「オレも演りたかったんだ!」 続く江戸見物のシーンで江戸の情景をさらに想像させて、鼠小僧が腰を悪くしたサンタクロースの代りに、良い子たちにプレゼントを配るシーンへと繋いでいく。ここで一転、「可哀想な子供たちの姿も見てしまった」と告白する鼠小僧の激情でしんみりさせ、「世の中には定めってものがあってな。神様でもそれを変えることはできないんだ」と妙に仏教くさい(?)サンタのセリフがいい。

        こうして義賊として、日本のサンタさんになった鼠小僧だが・・・・、「しかし、いかに世のためとは言え、盗みは罪」 ここで後ろの黒い幕が開くとハンドペルのスプリング・スプライトが再び現れて演奏が始まる。そして上からは雪がハラハラと。伝馬町から引き出されて小塚っ原で磔、獄門にかけられる鼠小僧。その姿がキリストにダブッたのは私だけだろうか? そこへやってきたサンタクロース。「遅かったじゃないか、じいさん。なぜかさっきから鐘の音が聞こえるようなんだが・・・」 「これは、良い子にしか聞えん鐘じゃ」 鮮やかな幕切れ。もう何回も聴いた山陽の新作講談『鼠小僧外伝』だが、この日のものは一番胸に迫った。

        クリスマス・プレゼントありがとう、今夜の出演者のみなさん! 目には見えないけれど、私の心の中に、この上ない素晴らしいプレゼントをいただきました。


December.22,2002 いい意味での狂気

12月21日 一本柳道中双六 (なかの芸術小劇場)

        柳家喬太郎の勉強会。いまさら勉強会でもないくらいに毎日どこかで喋っているだろうに、それでも自分を見に来てくれている人を相手に、この会も十回目。

        前座は柳家さん角『高砂や』。頑張ってね。

        もうひとり、さん喬一門からこのたび二ツ目に昇進して、柳家さん坊から改名した柳家喬四郎が上がる。この日の昼間、さん喬師宅のプレ大掃除があったというマクラを軽くふって、実はタンス事件というのがあったというのをチラリとのぞかせる。「このタンス事件は、このあと喬太郎あにさんが喋るでしょうから・・・」と期待を持たせるのが立場を理解しているところか。ネタは『浮世床』。つっかえつっかえ講談本を読む源ちゃんの場面から、のろけ話をする半公の場面へ。芝居で知り合った年増女と、お燗の酒をやったりとったり。やがて布団の敷かれている次の間でしっぽりというくだりになっても、源ちゃんはまだひとりで講談本を読んでいる。「まーがーらーしーゆーうーろーおーざーえーもーんがー」 おーい、そんなもの読んでる場合じゃないぞー!

        喬四郎にタンス事件をあずけられた柳家喬太郎。「マクラ三十分、ネタ五分なんてときが多いんで、今日はちゃんとネタ演ろうと思ってたんですけど、喬四郎のバカがタンス事件のことをふるもんだから・・・」と、その日にあったタンス事件の話が始まる。さん喬師匠がリフォームの過程でいらなくなった大きなタンスを浅草の実家に持ち込もうということになって、それをレンタカーを借りて運ぶ顛末。雨の中の素人の運送がうまくいくわけもないという話なのだが、その面白いこと。多分に脚色はあるようなのだが、実在の人物の声色で演られると可笑しさが倍増する。途中、いまやさん喬一門ファンの間では有名になった、数年前の一門忘年会で喬太郎がヘベレケになって師匠にからんだ事件まで織り交ぜて語っていく。「べつにオチがある話じゃないんですよ」と前置きしていたにも関わらず、ちゃーんと最後におかみさんが言った一言がオチになっている。「さあて、これから、さん喬一門どうなるんでしょうか!?」 昼間の疲れがあるのだろうに、妙にハイテンションなこの日の喬太郎だ。

        こうして客席が爆笑に包まれて、もっと笑いたい態勢にあるのに突然に一席目と二席目のネタを入れ替えて、まずは稲田和浩が喬太郎のために書き下ろしたばかりの世話物『あげてのすえの』に入る。大店の主、吉衛門が奉公人のお咲に手をつけてしまう。それを飯炊きの権助がおかみさんに注進におよんだものだから事件になってしまう。妾にするなんてもっての外だというおかみさんが、この手の話としては現代的。長屋レベルの話ではなく、大店の主人ともなれば妾があって当然とする風潮だった昔の日本の話とは思えない展開になる。おかみさんは、番頭の松蔵にのれんわけさせ、お咲をその嫁にしようと言い出す。それがだめなら十両の持参金付きで近所に嫁に出そうと言う。

        吉衛門は、幇間の一八に相談する。この一八、実は吉衛門の幼なじみで、道楽が高じての[あげてのすえの]幇間。吉衛門はとことんお咲に惚れていて、松蔵の嫁にするのは我慢がならない。「松蔵を見たら、この男が毎晩お咲を抱いて寝ていると思うと、私は何をするかわからない」と言うし、町内の男と結婚させたとしても、その男とすれちがっただけで「この男が抱いているのか」、見ず知らず男と結婚させたとしても、「オレの知らない男に抱かれているのか」と思っただけでたまらなくなると言う。そこで一八は一計を案じる。一八がお咲と結婚したという形をとって、一八の家に吉衛門がお咲を囲うことにしようというのである。渡りに船と乗ったのが吉衛門。ところが一八にも考えがあった。持参金付きの上に、月づき駄賃を吉衛門から受け取ろうという算段だ。ここから話はドロドロの人間の業の話に展開していく。もう円朝、近松、南北の世界に近い。しかも新しいのはお咲である。お咲も実は男を狂わす悪女だったという設定なのがわかってくる。

        嫉妬深い吉衛門、気の強いおかみさん、計算高い一八、しぶとく生きるお咲という四人を生き生きと演じきった喬太郎。稲田和浩が喬太郎にしかできないだろうと書き下ろしただけあって難しい噺だと思う。それに答えて見事に話してみせた喬太郎。いや、それ以上かもしれない。題名が示すようにこれは一八の話のように見えるのだが、四人四様の生き方が総て出ているのだ。喬太郎の代表作がまたひとつ出来たようだ。

        仲入り後は、古くからの喬太郎の知り合いだというダムダムダンの漫才。この人たちの漫才は初めて見た。あまり情報誌でも見ない名前だなあと思ったら、どうやら仕事の本筋は今や、全国各地の小学校を回って太陽発電などの説明をする新エネルギー教室の講師をしているらしい。そこから生まれたのだろうか、小学校のイジメがテーマの漫才なのだが、このイジメの原因は誰にあるのか? 先生がイジメにあっている子供の家庭に電話をかける。「おたくの正一くんは、イジメにあっています。学校で葬式ごっこの死人の役をやらされました。葬儀委員は・・・私です。おかあさまも遺族代表やりますか?」 B&Bの洋七の弟子だそうで、最近の漫才としては落ちついてネタをやっているという印象で面白く聴けた。小学校の新エネ教室というのも聴いてみたいなあ。

        一日でいいから上がりたい舞台があるという柳家喬太郎。「新宿コマ劇場。第一部喬太郎伝説。第二部柳家喬太郎、早春に謡う ですよ」 それが先日この夢が実現してしまったという。西城秀樹、にしきのあきら、あべ静江、丸山恵子らが出た新宿コマ劇場『2002ファイナルコンサート』にコメンテーターとして出演して、池乃めだか、チャーリー浜にうながされて自作の『東京ホテトル音頭』を歌ったのだと言う。「歌わずにいられますか? さわりだけと言われましたがワンコーラス歌ってきましたよ。歌い終わったら客席は零下100℃。氷河期ですよ。掘ったらマンモスも出る」 この『東京ホテトル音頭』、喬太郎の『すみれ荘二〇一号』の中でも歌われる曲で、「一番、十八番な曲です」 「えっ?」 「一番から十八番まであるんです」というセリフがあるが、本当にCDが出ていて、ちゃんと歌詞が十八番まである。「実はCDに入れられなかったものが二番ありまして」と、インターネットでは流さないでくれと十九番と二十番。なるほどこれはヤバイ歌詞だ。さらにはこのアンサーソングを考えたと、逆の立場から歌った『大江戸ホテトル小唄』を二番まで。女子高生編と、人妻編。内容はというと・・・書くまでもないって!



        二席目は三遊亭円丈の作らしい『稲葉さんの大冒険』。普通のサラリーマン稲葉さんは毎日を判で押した押したような生活をしている真面目人間。そんなある日、住んでいる町の駅を降りると駅前でポケットティッシュを渡される。これがセクシーサロンの広告入り。思わず妄想を掻き立てられる稲葉さんだが、こんなものは家に持って帰れない。そこらに捨てて行こうとするとお巡りさんが通りかかる。公園のゴミ箱に捨てようとすると小学生が通りかかる。これは教育上よくない。トイレに流そうと思ったがビニールは流せない。よし、土に埋めようとすると、七十八歳の老人が通りかかる。この老人というのがお節介な人で、話がどんどん悪い方向へ向っていってしまう・・・。老人にちょっとしたウソを言っただけで不条理な世界に入っていってしまう面白さは、いかにも円丈らしい作風だろう。『ぺたりこん』もそうだったが、喬太郎が演ると、ますます狂気の度合いが増す。この狂い具合が実は落語では大切なのだと思う。普通の人の普通の話を聴いたのでは面白くもなんとも無い。私が落語を聴きに行くのを好むのは、日常を離れて狂気に触れに行くことなのではないかと最近思っている。いい意味での狂気を感じさせてくれない噺家はつまらないということなのである。


December.21,2002 菊之丞、真打昇進決定おめでとう!!

12月15日 ノラや寄席 (高円寺ノラや)

        古今亭菊之丞がNHK新人演芸大賞(落語部門)を受賞した。その菊之丞が小さな場所で落語を演る会があるというので足を運んだ。高円寺南口を出て、ガード沿いに阿佐ヶ谷方向にしばらく進み、左へ折れたところにある[ノラや]というお店だ。コの字型のカウンターがあるだけの小さな呑み屋なのだが、ここはギャラリーにもなっていて壁には期間を区切って、絵を展示している。午後五時半、店の前に到着すると、まだ設営の真っ最中。カウンターの丸椅子のうしろにさらにベンチ席を置き、店内はギッシリと椅子で埋まっている。正面最前列に座りビールを飲んでいると、続々とお客さんが入ってくる。店の人も慣れたもので、準備をすすめながら、にこやかな笑顔を浮かべてお客さんとの対応にも余念がない。うしろ幕を張り、寄席文字で書かれた[ノラや寄席]の札を貼り、コの字型の空間に小さな畳をはめ込み、座布団を乗せて準備完了。

        六時十分、開演となる。お客さん十五、六人。スタッフも椅子に座って、いよいよ菊之丞が、即席の高座に上がる。まさに至近距離。NHK新人演芸大賞を受賞した報告に続いて、「落語協会から電話をいただきまして、来年の秋、真打昇進が決まりました」 小さな店内に大きな拍手が沸く。「私の上にふたり、先輩がいるので、何人か一緒にということかと思ったのですが、どうやら私ひとりということらしいんです」 ここでまた、驚きの声と大きな拍手。真打昇進披露興行に向って、これから一年、菊之丞は忙しくなりそうだ。そんな中、誘われて刺身が旨いという店に行ったというマクラが始まる。「ワニの刺身なんていうのがある。それとダチョウの刺身。ダチョウ一匹まるごと仕入れるんですかねえ。よくわからないのが、マンボウの兜煮。マンボウのいったいどこからどこまでが頭なんでしょうか?」 一席目は『紙入れ』。前日に五明楼玉の輔で聴いたばかりなので、ついつい玉の輔と較べてしまう。そうすると、やはり玉の輔のおかみさんの演じ方の方が優ってしまう。間男をしようという中年女のふてぶてしさをうまく演じきっていた。菊之丞も悪くないのだが、これはやはり人生経験の違いなのだろうか?

        十五分の仲入り後は『片棒』。葬式がテーマだというのに明るい噺だ。お客さんの層は、すれっからしの落語ファンはほとんどいなくて、落語はあまり聴いたことがないらしい[ノラや]の常連客。私はもうすっかり憶えてしまった噺なのだが、ここのお客さんには新鮮らしい。ドッと笑いが来る。またこの狭い空間に、他の寄席にはない一体感があるのだ。顔なじみの者が集まって、噺家さんに落語を演ってもらおうというアットホームな雰囲気がいい。

        菊之丞の落語はこれまで短めの『湯屋番』くらいしか聴いた事がなかったのだが、これからちょっと注目していきたい。『紙入れ』のおかみさん、『片棒』 『湯屋番』の若旦那に、いい色気を感じる。この色気がこの人の持ち味なんだろう。これにもう少し毒が加わればもっと面白くなると思う。


December.17,2002 ライオンにドッグフード

12月14日 第283回花形演芸会 (国立演芸場)

        なかなかいい顔づけになったと思い、早いうちにチケットを手に入れたのに、そこそこの入りにしかならなかった。どうして? これで1400円なら行かなきゃ損ってものでしょうが!!

        前座は林家どん平『狸の札』。頑張ってね。

        アンジャッシュは、この秋に『爆笑オンエアバトル』で演っていたピーポー君のネタ。交通安全運動のキャンペーンに渡部の警察官がやってくる。ピーポー君の人形を相手に話をして交通安全を呼びかけようというもの。ピーポー君の声は、あらかじめサンプラーに用意していて音響係さんに出してもらおうという手筈。ところがやってきた音響係は新米な上に遅刻してきた。ぶっつけ本番のようになってしまったために、ちぐはぐな内容になってしまうというコント。どうやらNHKで放送したときに一部カットがあったようだ。今回増えていたのは、
(1)いよいよ本番となって、渡部が発声練習をすると、音響係の児嶋まで「うーうー、あーあー」とやる。渡部「おかしいよね。(音響係が、声を)整える必要ないよね」
(2)渡部が「クイズを出すけどいいかな?」とピーポー君にふると「やりたーい」という返事が返ってくるという伏線があって、後半にピーポー君とドライヴにでかけると目の前を携帯電話で話しながら通る美人が通る。渡部「こんなときは、どうするかな?」 「やりたーい」 「ちょっと、その答え、卑猥になっちゃうからね」
まだいくつか変っていた個所があったが、これはアンジャッシュの中でも傑作といっていいだろう。児嶋はほとんどセリフがないので、テレビでは渡部を映しているカットが多かった。今回は児嶋の顔ばかり見ていたが、この人の顔の演技はやはり面白い。

        柳家三太楼『粗忽長屋』。そそっかしい者ばかりが住んでいる長屋、八っつぁんが浅草で、いき倒れの死体を見て、熊さんだと勘違いする。さっそく長屋に帰って熊さんの家の戸を叩く。この熊さんがいい。ヘラヘラと顔を揺らしながら、「ニャハハハハハハ。戸袋を叩いてやんの。あれだけ叩いているんだから、熊さんって奴も返事してやりゃあいいのに・・・・・・・・・・あっ、オレだ!」 いつもながら三太楼は面白いのだが、この『粗忽長屋』という噺、登場人物が長屋の熊さん、八っつあん、それに死体の側にいる男くらいしか出てこない。つまり同じ年代の男三人の噺なのである。三太楼の面白さは、もっと様々な男女、年齢、職業の人間が出てきて、その演じ分けが楽しいのだと思う。こういう噺は三太楼の面白さがあまり出ない損な噺だと思うのだがどうだろう。

        「モー娘。(メンバーが)増えたり減ったりしてますね。今度、解散したSPEEDとくっつくらしいですよ・・・モースピード」。五明楼玉の輔『紙入れ』。この噺も三人しか出てこない噺なのに、旦那、若い衆、その若い衆を誘惑して間男させる旦那の女房と、色分けがはっきりする。どうみても『粗忽長屋』よりも華やかな噺になるのである。噺の特徴として仕方ないのだが、ふたりの落語を続けて聴くと、どうしても玉の輔の方が記憶に残ってしまう。

        ひとりコントのモロ師岡は、今回も『谷中のソムリエ』。これで、このコントを見たのは三回目。ぎっしり詰まったコントで何回見ても退屈しない。味にうるさいのではなく、ただうるさく騒ぐだけの若い女性客やら、[仏料理]を[ほとけ料理]と勘違いやってくるおばあさんやら、果てはワインをひと樽注文する客。「ひと樽呑めるかどうか賭けをして、ひと樽なんて呑んだことないから、そこの酒屋で試しにひと樽呑んできた」という。「ここは寄席じゃなーい!」(『試し酒』)。同じひとりコントでも、イッセー尾形と較べるとスピード感があるのは特徴的なのだが、もう少しゆっくりしたペースで演ったほうがいいような気がする。早すぎて着いて行かれないお客さんも多いんではないだろうか? もっとも、これがモロ師岡らしさなのかもしれないが。

        仲入り後の食いつき。幕が上がると、すでにポカスカジャンが板つきだ。「今日は十五分間の持ち時間、全部ブルース。安牌が無い」 ううっ、ブルースしか演らないなんて思いきったことを・・・ブルース好きの私は楽しみだけどね。
『ま行の憂歌団』
省吾が[まみむめも]だけで、憂歌団の木村の真似で歌うというもの。すっごい似ているけれど、これ、わかる人が客席にどれだけいたのか。それでも歌い終わって盛大な拍手があったので、笑いだけは伝わったらしい。よかった、よかった。
『マーメイド・ブルース』
のんちんが痔の手術をしたときの体験をブルースにしたナンバー。タイトルの意味は、「♪こうやって横座りのようにしか座れねえ まるで人魚みたい」 省吾はボトルネック奏法。
『ペインブルース』
三人が順々に、[痛み]について歌う。「♪○○○目薬の中身がポッカレモン」 「♪尿道に薔薇の棘」 「♪口内炎だらけの口でチゲ鍋」 あのねえ、ブルースっていうのは心の痛みを唄うのね。これって肉体的な、それもかなり辛い痛みでしょーが。『マーメイド・ブルース』もそうだったけど、聴いていて・・・嫌だー!(笑)
『笑点・バイ・ミー』
『スタンド・バイ・ミー』のメロディーに乗せて、『笑点』の大喜利を演るというネタ。「♪オー、ダーリン、ダーリン、スタン バイ・ミー」というサビが「♪おー題、お題、ちょーだい」。映画『スタンド・バイ・ミー』の印象的なシーンは、線路の上を歩いていた少年たちの後ろから汽車が迫ってくるところ。迫ってくる汽車に一言。省吾「あーっ! 後ろから汽車がきしゃった」 「♪いんじゃない(In the night) その答え」 玉ちゃん「うわー!後ろから新幹線が猛スピードでやってくる! わー! 轢かれ(ひかり)るー! もう望み(のぞみ)も無いー!」 「♪いんじゃない いんじゃない いんじゃない いんじゃない・・・・・・・・・・」
ふはははは、冴えてるでないの! それにしても、よく次から次と新ネタが出て来ること! 何年も同じネタしか演っていないボーイズ、コミック・バンドは彼らを見習って欲しいよな。

        姉妹コンビ、ニックスの漫才。「日本全国に、お笑いの若手芸人といわれる人が、どのくらいいると思いますか?」 「さあ、どのくらいでしょうかねえ」 「2347組だそうですよ」 「えーっ! そんなにいるのー?」 「そう、2369組もいるんですよ!」 「ちょっと! さっきと数字が違うじゃない! 増えちゃってるでしょ!」 「約2500組なんだそうです」 タマちゃん、叶姉妹、エステ、携帯電話マナー、電車の中で化粧する女性。若い女性らしい視点で運んでいく。競争率の高い若手お笑い界。ニックスも頑張れー!

        「自分が今、何をしたいのかというと・・・泣きたいんですね」と話し始めた神田山陽。「(落語や講談を聴いて)笑いたい人が笑うんだということに気がついたんです。お客さんが笑いたいかどうかなんです。私の噺が面白いかどうかじゃないんですね」 『コキーユ』(中原俊監督、小林薫、風吹ジュン主演)を見て泣いてしまったことに続いて、こんなもの見るのはカップルばかりで空いているだろうと思って入った『サンタクローズ リターン』で、「深く泣いてしまいました」と言う。「だから、気持ちなんです。これから話す私の講談がつまらなかったという人は・・・そういうことです」。

        こうして入ったネタは、『プライベート・ライオン』。広告代理店の若手社員、井上淳一は通称半ペラで通っている。名前の由来は『池中玄太80キロ』に出て来る同姓同盟の役者の役名が半ペラだから。元ちとせとライオンを使ってCM撮りをしようと準備を続けていたのだが、この企画が突然にキャンセルになってしまう。がっかりして帰宅しようとすると、動物プロダクションから借り出されたライオンがスタジオに置かれたまま。動物プロダクションが倒産して捨てられてしまったことがわかる。このライオン、なんと人間の言葉を喋るのだ。旭川の動物園で生まれ、人間の言葉がわかるようになってしまったのだという。ここに置きっぱなしにするわけにも行かず、半ペラは自宅にライオンを連れて帰る。「腹減ったなあ。コンビニ行って、何かみつくろって来てくれ」 「『みつくろってきてくれ』って、江戸っ子みたいなライオンだね」 ところが、半ペラが買ってきたのはペディグリーチャム。「おい、オレは猫科だぜ。なんでモンブチ買ってこないんだ?」 人間の歳なら六十八歳になる二十三歳の老ライオンと半ペラは、このあと半ペラの故郷の長野へ向うことになる。一面雪野原の故郷で彼らを待ちうけていたものは・・・。この幕切れが切なくていいのだが、ちょっとはしょりすぎか? せっかくいいところなのだから、キッチリと演って、余韻を持たせて終わってもらいたかったところ。

        腹減ったぞお。この夜も演芸場向いのインド料理屋へ。ここくらいしか演ってないんだよね、このへん。なんで日本の演芸を楽しんでインド料理? ドックフードを食べさせられたライオンさんよりゃ、まし?


December.14,2002 雪が降る『しじみ売り』

12月8日 志の輔らくご〜新古典の世界〜 (PARCO劇場)

        毎年恒例になった立川志の輔のパルコ公演。今年も新作二席と、あまり演リ手のいなくなった珍しい古典一席の計三席で構成されるとの新聞記事を読んで、胸が高鳴った。志の輔の会にはよく出かける方だが、このパルコの会が一番楽しみなのだ。

        一席目、ヴィレッジシンガーズのヴォーカリスト清水道夫の贋者が、長野のカラオケ大会に出て謝礼金を受け取って捕まったという事件のことをマクラに持ってきた。「ブルーコメッツ、タイガース、スパイダースといったまだ活躍しているバンドでもなく、かといってカーナビーツ、オックスといったマイナーすぎるバンドでもなく、ヴィレッジシンガースという中途半端さかげんが良かったんでしょうね。ところが、島谷ひとみが『亜麻色の髪の乙女』をカヴァーしてヒット。再結成話が出始めていたのが敗因だった」 

        それで噺の方はというと、あまりマクラとは関係ないような新作『のみごろ』。コピーライターをやっている甥に叔母が頼み事をしている。温度計付きの湯呑というアイデア商品を考えついたので、この商品のネーミングを考えてくれというのである。少々強引な叔母の頼みに甥は頭を絞る。「[ゆう・のう・みぃ?]というのはどうでしょう?」 「なにそれ?」 「英語の[You know me?]に引っかけたんですよ」 「ダメよ、日本の湯呑に英語の名前はおかしいでしょ」 「[茶柱くん]というのはどうでしょう?」 「お茶を煎れれば必ず茶柱が立つという装置があるわけじゃないもの」・・・。叔母さんの要求はかなり高いようだ。それにしても中に入っているお茶の温度がわかっても、あまり便利とはいえないだろうな。私が欲しいのは保温装置付きの湯呑。設定温度にいつまでも保ってくれるやつ。

        二席目は北朝鮮の拉致隠し問題に触れ、子供のころにイタズラをしたことが母親見つかりそうになり、「怒らないから言ってごらんなさい」と言われたので正直に認めると、「やーっぱり、あんただったのね!」と怒られたという話になる。「正直に言ったら怒られた。じゃあ隠すもんね。落語は、人間というものは本来隠すものだということで出来ている。亭主はバーのママの名刺を隠し、子供は〇点の答案用紙を隠し、女房は歳を隠す」

        と始まった『ガラガラ協奏曲』は、とある商店街の福引セールの噺。一等商品豪華客船世界一周ペア旅行の金の玉を1個と、ガラガラ(新井式回転抽籤機)の業者に発注したところ、[1]を[7]と見間違えて、一等が7本入ってしまっていた。近所に出来たスーパーへの対抗作として考えられたこの福引セール、2個目の金の玉が出た時点でこの事実が発覚。かといって、あとの6本は無効というわけにもいかない。商店街の役員は「出るな! 出るな!」の思いで熱を帯びはじめる。「あなたは、豪華客船に乗りたいですかあ? 『タイタニック』っていう映画を見たんですかあ?」 「おばあちゃん、もう少し待つと、永遠の旅に出られますよお」 人間という存在の可笑しさが、うまくデフォルメされている。これこそが落語の持つ可笑しさなんだろう。

        「不景気が続いていますね。トンネルから脱け出せないでいる。地上を走っていたのかと思ったら地下鉄だった」と仲入り後は、客電を落として、しんみりとした世界に入る。「そこへいくと、プロ野球の球団はお金を持っていますね。この際、球団が銀行をやればいい。ジャイアンツ銀行なんていいんじゃないですか? 利率と打率がわからなくなったりして・・・。ヤクルト銀行なんてのもいいですね。貯金もあれば乳酸菌もある」

        と始まったのが珍しい古典落語『しじみ売り』。鼠小僧が一杯呑んでいると、しじみ売りの少年がやってくる。しじみを買ってくれという少年に二百文払って全部買い取った他に、五両という金をあげようとすると、少年は頑なにこれを受け取ることを拒む。自分の姉さんは人に貰った金で患ったからだと言う。いったい何があったのだと問うと、少年は、姉である元芸者の小春と勘当息子の若旦那の身の上に起った出来事を話しだす。博打に負けて困っていた若旦那のところに、五十両恵んでくれたどこの誰ともわからない人物がいた。ところがその金には刻印が打たれていて、盗まれた金だということが発覚してしまう。若旦那は牢屋に入れられ、小春姉さんは心配のあまり患いついてしまったのだと言う。そこまで聞いて鼠小僧は、五十両を渡したのが人物が、なんと自分だったと思い出す・・・。助けたいという一心で渡したお金が逆に仇となった。これが潮時と役所に出向く決心をした鼠小僧、歩く姿に上から雪が降りかかる。ヤクザ映画のラストシーン、警察に出頭する主人公の花道のような演出が胸を突く。

        渋谷の街は雪でこそなかったが、冷たい雨が降っていた。熱燗で一杯やって寝た翌朝、東京は雪になった。


December.9,2002 隠居がマッドサイエンティストみたいな『茶の湯』

12月7日 春風亭昇太独演会 (かめありリリオホール)

        亀有へ向うには時間の判断が難しい。妙に早く着いてしまったり、時間がギリギリになってしまったりする。今回はちょーど上手い具合に着くことができた。開演十分前到着。よしよし。

        例によって春風亭昇太のマエセツから。毎週水曜日に出演しているニッポン放送の『ラジオビバリー昼ズ』で高田文夫から小学校のときの校歌を歌ってみろといわれて、清水の小学校の校歌を歌ったというエピソードから始まった。すると、母校の元PTA会長から電話があり、母校で講演してくれないかという。「小学生、素直でしょ。もう、受ける、受ける。『落語知ってるー?』 『知ってるー。ショーテン、キクゾウ、エンラク』」 「着物の着付けは難しいと思ってるらしいと思ったから、二分ほどで着て見せたら、もう尊敬のマナコですよ。これで『子ほめ』演ったら、ブワーッ、ブワーッと大受け」 「落語って(小学生のような)素直な心を持って聴かないとダメ。なまじ知識とか雑念を持っていたらダメなんです。だから、お坊さんなんか、ゲラゲラ笑ってくれるんじゃないかと・・・そういうわけで、今日はよろしくお願いします」 上手いマエセツだ。ちゃーんと自分の側に引き込んでいる。これで開口一番の前座さんも演りやすくなる。

        前座さんは、なぜか快楽亭ブラック師匠のお弟子さん快楽亭ブラ坊『平林』。頑張ってね。

        「同窓会ってイヤなんですよ」と春風亭昇太がマクラを振る。十年くらい前に同窓会に出たときの経験。酒呑んで料理を食べているうちに近況報告になる。銀行員になった者、先生になった者、家業のペンキ屋を継いだ者、そして落語家になった昇太。落語家になったと聞くと同窓生は一席やってくれということに必ずなる。「こういう席に出るというのは、仕事を離れて出るから楽しいんですよ。ギャラも出ないのに、何で落語演らなきゃいけないんですか! 何でボクだけ仕事! だったら、ペンキ屋はこの会場でペンキ塗れー! 先生はこの場で授業しろー!」 そんなマクラから、『演歌の花道』をもじって題名をつけたという『宴会の花道』へ。やたら酒を呑まされる宴会に飽きた社員たちが、ノンアルコールで、自分が好きなものだけ買ってきて食べる食事会形式で宴会を開こうとする噺。大皿に一緒に盛られたボラの白子とショートケーキ、パイナップルとヤキソバの組み合わせは、ゾッとする可笑しさ。だんだん険悪な様相になっていく宴会の様子が可笑しい。

        仲入り後は、柳貴家小雪の太神楽。前から二列目の男性が指名されて、小雪ちゃんのピンクの傘に毬を放ることになる。「そんなに力を入れて投げることはありませんからね。リラックスして、笑顔でお願いします」 お客さんのうまーいスローイングもあって、小雪ちゃんナイスキャーッチ! 次に投げてもらった女性のお客さんは、六列目中央。「こんなに離れたところから投げる毬をキャッチするのは初めてー!」 不安そうな小雪ちゃんとお客さん。それでも二回目で、これまたナイスキャーッチ!

        春風亭昇太二席目。「親が娘を嫁に出したくない相手の職業ベスト3は、泥棒、スリ、落語家」っていうのはシャレだろうが、世間での落語家のイメージは悪いのかもしれない。「都はるみがいけないんですよ。都はるみと言えば、『アンコ椿は恋の花』でしょ。それから・・・『アンコ椿は恋の花』ですよ。それと・・・『アンコ椿は恋の花』・・・。あの人が岡千秋とデュエットした『浪花恋しぐれ』がヒットしたおかげで落語家の地位が落ちた!」 そうそう、上方の伝説的な噺家桂春団治を歌ったもので、「♪芸のためなら女房も泣かす それがどうした文句があるか」だもんね。「また間奏の間中のセリフがひどいんです」 うんうん、なにせ「そりゃわいはアホや 酒もあおるし 女も泣かす せやかて それもこれも みんな芸のためや・・・なんや そのしんきくさい顔は 酒や酒や酒買うてこい」だもんね。「我々はアクマじゃないんですからね。酒くらい自分で買ってきますよ」

        噺家になって二十年、「つらいことがあったでしょうで訊かれることもありますが、まったくそんなことはなかった、趣味で落語を演っている」(笑)という昇太、定吉と一緒に根岸の里に隠居した旦那が、趣味として自己流の茶道を始める『茶の湯』に入った。囲炉裏の釜は、炎が釜を包まんがばかり。湯はグツグツにたぎっている。湯を取ろうとしても、うっかり近づけない。へたをするとこっち燃えてしまう。「アッチッ、アッチッチッチ」 大きな熊茶碗(?)に青きな粉と、カニの戦争みたいに泡が吹き出す椋の皮を入れ、煮えくり返っている熱湯を注ぐ。「アチッ、アチッ、アチチチチチッ」 腹を下して半病人になったふたり、およそ飲めたシロモノではない液体を誰かに飲ませようと思い立つあたりから昇太の『茶の湯』はさらに飛躍していく。「旦那様、三軒長屋の住人に飲ませましょう。嫌だと言ったらタナを空けろと言えばいいんですよ」 「お前、体ばかりでなく、心まで悪くなっているな」 もう、茶をたてる旦那は、ほとんどマッドサイエンティストで、定吉はその助手の様相。お茶をたてながら旦那は、「アハハハハ、ハハハ、ウヒャヒャヒャヒャ」だもんなあ。古典落語の原型は壊さずに昇太流に構成しなおした噺は、やっぱり面白い。登場人物はもう落語を超えてしまっているような気がする。

        ハネてから、仲間たちと忘年会。「ノンアルコールにして、ショートケーキとヤキソバとボラの白子にしようかあ」という提案は即座に却下された。


December.7,2002 無理矢理オカマにされちゃう人たちの可笑しさ

11月30日 ハロホロシャングリラ
        『ロマンチック』 (シアターサンモール)

        紀伊国屋ホールのマチネーを見た後に、新宿のコーヒー・ショップで本を読んで暇を潰してから新宿御苑前に移動。前回の公演に衝動的に飛び込んで、若い人たちの笑いの多い芝居が気に入ってしまったハロホロシャングリラの新作だ。今回のチラシには、オカマバーのオカマの話だと出ていて、あまり乗り気ではなかった。芝居ではよくオカマ役が出て来るが、私はこれがあまり好きではないのだ。ところが、これが予想を遥かに越えた面白い芝居になっていた。

        森口(滝裕次郎)は念願かなって店を出すことになる。といっても別にオーナーがいる雇われマスター。このオーナーの意向でオカマバーをやれといわれている。ところが開店当日に、雇うはずだったオカマが全員ドタキャン。困った森口は大学時代の[人形劇サークル]の仲間にオカマとして店に出てくれるように頼むことにする。かつての仲間広田(松澤仁晶)は真面目な銀行マン。皆川(山本佳希)は、現在は営業マン。青汁の数倍も不味いというフラワーエキスが詰まった健康飲料ハナ汁を売り歩いている。女優さんには食後に飲むと無理なく食べたものを吐けるというダイエット飲料として人気が出てきているという。ふたりを呼んで、実は臨時にオカマホステスになって欲しいと頼むのだが、もちろんふたりが同意するわけがない。強硬に拒まれる。

        さて、ここからが脚本と演出の妙。頑なに拒否するふたりを、どうやってオカマバーのホステスにするかなのだが、これが上手く出来ているのだ。流れでふたりはオカマにならざるを得なくなっていくのだ。「いやだ、いやだ」と言いながら、どんどんオカマに近づいていくふたりが可笑しい。赤やブルーの派手なドレスを着て、ストッキング、ハイヒールを履き、メイクをして貰い、金髪のカツラを被ると立派なオカマになっている。仕方なく一晩だけオカマになるかと観念したふたりだが、人形劇サークルの仲間でもあり、現在は広田の奥さんでもある女性が、このバーにやってきたから、たいへんなことになる・・・。

        なんといっても脚本がよく出来ている。オカマになるのは絶対に嫌だと言っている男たちが、どんどんとオカマにならざるをえない状況に陥っていく過程が、面白く、上手く、可笑しく描かれている。小道具として登場した[ハナ汁]が最後まで効いてくるのもいい。あれほど強硬にオカマになることを拒否していたふたりが、いよいよ金髪のカツラを被ってオカマ完成となって、みんなから「いーよ、いーよ」と言われて拍手がくると、まんざらでもない表情になるのは男の女装願望なのかもしれない。

        困った状況がどんどん連鎖していくという、シチュエーション・コメディとでもいうのだろうか、それで引っ張っていく面白さは三谷幸喜のものを彷彿とさせるものがある。緊張感と、雪達磨式にふくれあがっていく笑いとで、時間を忘れる面白さだった。いやー、久しぶりで大声で笑った。夜の新宿2丁目をぬけて、都営新宿線へ。そういえば昔、2丁目のオカマバーに行ったことがあったっけ。


December.5,2002 結成29年。成熟した東京ヴォードビルショー

11月30日 東京ヴォードヴィルショー
        『日暮里泥棒物語』 (紀伊国屋ホール)

        今やすっかり売れっ子になった水谷龍二の作・演出による舞台。伝説の大泥棒松永(佐藤B作)が刑務所から出所する。行き場所のない彼は別れた女房(吉行和子)の家に居候を決めこむ。元女房は日暮里でブティックを経営している。そこには自分の娘(小林美江)までいる。そんなところへ出版社の編集者(山口良一)がやってきて松永に自伝を書かないかという話を持ってくる。「自伝? オレはエジソンか?」とびっくりする松永だが、ゴーストライターが書くということで気持ちが揺れる。しかも「泥棒なんてね、サイテーの人間がやることよ」と軽蔑されている娘から「罪のつぐないをする気があるなら、書いてよ」という一言で、編集者に自分のやった泥棒話を語ることになる。

        どうせならと、昔の泥棒仲間も呼んで座談会をすることになる。この、かつての泥棒仲間、佐渡稔、市川勇、山本ふじこ、それに現役の泥棒坂本あきら、あめくみちこらの、一クセも二クセもある演技が光っている。水谷龍二がよく泥棒の世界を取材してあって、カード詐欺の手口や、政界のある大物黒幕の家に忍び込んだ話など、真実味のあるエピソードがふんだんに盛り込んである。そして、水谷龍二といえば歌と酒。今回はコロンビア・ローズの『東京のバスガール』や小林旭の『自動車ショー歌』が酒の宴と共に歌われる。

        ラストシーン。佐藤と吉行が並んでアップルパイを食べる場面がいい。佐藤B作がフケ役を見事に演じられる役者になっていたことに驚いた。側に寄りそう吉行も、いい感じだ。

        カーテンコールで最前列の老婦人が吉行和子に花束を渡していた。これがなんと吉行和子のおかあさま。あっ! ということは・・・NHKのドラマにもなった、あぐりさんだあ!!


December.1,2002 軽い『死神』

11月24日 花形演芸会 (国立演芸場)

        前座は春風亭朝左久『子ほめ』。頑張ってね。

        ひとりコントの田上よしえ『代用教員』。出産のために産休を取った小林先生の代りにクラスの担当になった数学の先生が授業に出る。「小林先生・・・まあ、いやらしいことをした為に産休。産休で休んでくれた小林先生にサンキュウ」。そんな代用教員が黒板に何か書こうとすると、首筋に[味ごのみ]やら[あつあつおでん]やらが飛んでくる。この人のコントはスピードがあって、ボーッと聴いていると取り残されてしまう。やけに面白いことを言っているんだけどね。あっという間に駈け抜けて行ってしまった。

        季節はめぐり寒くなってきた。入船亭扇辰が句会で出た御題が[冬めく]ないし[冬きざす]。苦吟しているうちにトイレに行きたくなったそうな。洋式トイレの便座に座ったとたんに尻が「おっ、冷てえ!」。そこで出来た句が、「腰おろし 便座にもふと 冬きざす」 評判悪かったそうだが、これ、秀句だと思うんだけどなあ。ネタは『権兵衛狸』

        先週浅草で見たロケット団が出て来た。「浅草演芸ホールで漫才演ってましたらね、ツカツカと前に出てきたお客さんがいた。『そんな漫才やめちまえ! このチケット返すから金返せ』だって。そのチケット見たら、招待券!」 あそこは某新聞社の招待券が大量に流れるらしく、いつもお客さんでいっぱいという噂。真実味があるなあ。

        古今亭志ん輔『厩火事』。志ん朝師匠のお弟子さんらしく口調がいかにも古今亭。髪結いの女房が生き生きと描かれている。仲人さんに唐土の孔子の話と、麹町のさる旦那の話を聞かされ、亭主の瀬戸物を壊してみろと言われた女房が家に帰る様子がかわいい。着物の袂に手を突っ込んで振りながら、「モロコシならいいけれど、麹町の猿だったら嫌だなあ」 こんな女房持ってみたい。それで朝から酒呑んで、遊んでるの。

        仲入り後は荻井かほりのマジック。お得意のチェンジング・パラソル、マネーサプライズなどに続いて、「一番大切にしている」というジャイアント・リンキングリング。最大六つの輪が繋がったり離れたり。音楽に合わせて踊りながらのリンキングリングはため息もの。かほりちゃーん、ワンダフル!

        BOOMERは、伊勢浩二扮する[伊勢子]シリーズ。すっかり愛想が尽きて伊勢子に別れ話を持ち出す貴一。「おまえ、暑苦しいんだよ。どんなに髪型変えても車だん吉!」 ほほう、そう言われれば、伊勢浩二は車だん吉に似ている。「ヒゲが浮いてるし!」 「父親似なのよ」 別れる前に一日だけ付き合ってとカラオケボックスへ。「デュエットしましょ」と伊勢子が歌い出すのは『長崎は今日も雨だった』。「♪長崎はー、今日もー、雨だったー」 「ワワワワ・・・って、これはデュエットじゃなくて、コーラスだろ!」 伊勢は車だん吉にも似ているけれど志村けんにも似ているぞ。

        トリは、ほんわかムードの春風亭柳好。それが何と『死神』を演るという。これは私が今までに聞いた事の無いような『死神』になっていた。演じる者によっては、じっくりと聴かせる重い噺になるのに対して、柳好のものは人柄も現れて、妙に軽い『死神』に変身していた。死神にもおどろおどろしさが無い。布団をクルッと半回転されて昇天させられてしまった死神、「何てことしてくれたんだ。死神の世界で、また前座からやりなおしだ」 演者によって、さまざまなオチが考えられてきたこの噺、柳好のものは、脱力的なオチになっていた。うふふ、こりゃあ柳好らしいや。そのオチというのが・・・ふっふっふっ、内緒、内緒。


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