March.29.2003 落語の約束事を逆手に取った傑作『午後の保健室』

3月23日 上野鈴本演芸場三月下席夜の部

        イラク空爆が始まった。日曜の朝もテレビ局はこのニュースで持ちきり。嫌だ嫌だと思いながらも、ついついこの報道やら評論家の話に聞き入ってしまう。今日は一日家にいようと思っていたのを、夕方になってやっぱり落語を聴きに行こうかと思い直し、上野鈴本へ。

        開口一番の前座は三遊亭かぬう『たらちね』。頑張ってね。

        柳家喬四郎『つる』。ご隠居さん、八っつぁん、辰っつぁんの三人しか出てこない噺だが、いかにもご隠居さん、いかにもそそっかしい八っつあん、いかにも八っつぁんに迷惑している辰っつぁんが演じ別けられていて気持ちよく聴けた。まだ二つ目昇進したばかり。将来が楽しみになってきた。

        曲独楽の三増紋之助は二枚の羽子板を使う[羽子板の舞い]で、「羽子板の先に独楽が立ちます」と言って羽子板のてっぺんに独楽を投げ上げて立たせようとするが失敗。「大丈夫、大丈夫ですよ」と二度目で成功。「どうも、ご心配おかけしました」って、おや? 以前もそうだったぞ。一回目をわざと失敗しているんじゃないんだろうな?

        柳家三太楼『動物園』なのだが、この人にかかるとこの噺も、ひとりキチガイ度が増す。ライオンの着ぐるみを着せられた男が、動物を見に来たお客さんの前に出るや、たくさんの入りで大喜び。「うはー、お客さん一杯! フハハハハ ウオホホホホ イヤハハハ」 この人の笑い声のパターンは、いったいいくつ持っているんだろう。ライオンの鳴き声も、やけにリアル。ここまでリアルに鳴かなくていいだろうと思うのだが、そこがこの人のやり方なんだ。

        「デフレ現象、日本の経済情勢はどうなってるんでしょうねえ。この不景気どうなっちゃうんでしょうかってね・・・・・大丈夫ですよ、慣れればいいんです。私は落語家ズ―――っとやってましたから、不景気慣れてるの」 柳家権太楼のネタは『町内の若い衆』。兄ィに家の中のものを褒めてくれと言われても、兄ィの家には何にも物が無い。あるのは蜘蛛の巣、元気なゴキブリ、しゃくとり虫にナメクジ。「おたくは、地球に優しい環境ですね」 そうそう、不景気なんて、気の持ちよう。

        高齢のあした順子ひろしが先月、休演が続いていたというウワサを聞いていたので、今席はどうなんだろうと思ったら、いつもの様子で出てきた。どうやら、ひろしが風邪をひいて寝こんでいたらしい。1927年生まれのひろしは今年八十一歳になる。一方の順子もそろそろ七十歳に近い。ポンポンポンと突っ込んでいく順子に、「そんなこと言うから男に逃げられるんだよ!」と言えば、「逃げたんじゃないわよ。逃がしたのよ!」と返す順子。まだまだ元気だ。

        「ATMを起重機で・・・古いですね、クレーンで持ってっちゃうなんてことが流行ってる。ところが親分ひとりがお金を持って行っちゃって、子分にはお金をくれない。お金をクレーンって言って」 柳亭燕路『もぐら泥』。もぐらという手口で泥棒に入った男、主人に見つかり、手を縛られてしまう。勘弁してくださいと泣き言を言うが、絶対に勘弁してもらえないとみるや手のひら返して、「下手に出りゃ、つけあがりやがって!」と威勢のいいことを言うが、手を捻られて「痛ーい、痛ーい、痛ーい、痛ーい!」 散々な目に合う泥棒さんが、いかにも落語の世界。

        「狸、狐は人を化かす。白い狐はビャッコ(白狐)、黒い狐はクロコ(黒狐)、雨を呼ぶのはウコ(雨狐)、風を呼ぶのはフウコ(風狐)、雲を呼ぶのはウン・・・・・やめておきましょう」と柳家小太郎『狸賽』へ。

        「川の流れを眺めているご隠居さん。いい風情です。何の不自由もなく隠居生活かと思われるように見える。そのご隠居さんがポツリと呟いた。『金欲しいなあ』」 古今亭志ん輔のこのマクラのような小噺は、『宿屋の富』に続くいていく、いい導入部だ。湯島の富くじ抽籤所の見物客の様子が生き生きと描かれているのが楽しい。「富くじが当ったらよう・・・・・朝起きるってえと、『お前さん、湯行っといでよ』って女房が言うんで、ツーっと行って帰ってくるとお膳が出ている。刺身があって、天ぷらがあって、ウナギがあってねうれしいことにお酒が一本ついてる。これをキューっとやって、『お前も一杯呑みなよ』 『うーん、あんた、あたし酔っ払っちゃった。もう寝ましょうよ』って、朝起きるってえと、『お前さん、湯行っといでよ』・・・・・・」っていうエンドレスな生活って、いいな、いいな。

        仲入り後は和楽社中の太神楽。和助くんの衣紋流しは初めて見た。ちょうど首の後ろで一度停まってしまうのは、まだ慣れていないせいなのだろうか? 和楽に「途中で停まったぞ!」と指摘されて、ちょっと可哀想。しかし、これが太神楽の芸の世界。頑張れ、頑張れ!

        柳家喬太郎が出てくると一段と拍手が大きくなり、喬太郎がお辞儀をして顔を上げても鳴り止まない。やはり、この日のお客さんは、喬太郎、そしてトリのさん喬目当てらしい。「拍手はもういい!」との喬太郎の言葉でようやく鳴り止む始末。続けて「生意気を申しまして、申し訳ありません」と言う喬太郎に、お客さんに笑いがこぼれる。それほど楽しみにしていたのだ。「喬太郎と申します。どうかキョンキョンと呼んでください。しかし、そう呼んでもらいたくない人に言われることもある。今夜一番最後に落語を演る人。私の師匠なんですがね、『キョンキョン、今日暇か?』なんて言われると、破門の宣告か? と思います」 幼稚園や学校で落語を演った話やら、大阪に仕事に行った話などがテンション高く続く。お客さんもそんな漫談にゲラゲラと笑いが絶えない。「(高座と客席が)こんなにみんなの気持ちが一つになったのは、ワールドカツプ以来。わかったから早く落語演れってことでしょ?」 すかさず客席から拍手。「拍手いらないよ! そーはいかないんですよ」とまた中学校で落語教室を演ったという話から、ネタに入った。

        これがタイトルだけは知っていた『午後の保健室』。この噺を初めて聴くことが出来たのだが、この噺に関しては内容を書くことが出来ない。何か書くと、ネタをバラしてしまうことになってしまう。噺自体にちょっとした仕掛けがなされているのだ。落語という分野を逆手に取ったとでもいうのだろうか? 聴く側の落語の約束事というものをひっくり返してみせる仕掛けがしてある。こんなトリックをよくぞ考えついたものだ。しかも、この噺は喬太郎だから出来たというもののような気がする。まだこの噺にめぐり合っていない人は、いつの日か当る日を楽しみに。きっと、びっくりするから。

        紙切りの林家正楽。ハサミ試しの『相合傘』四十五秒。「お花畑!」 「お花畑・・・お花がたくさん」 二分二十秒。花畑の中で遊ぶ少年と少女。「サダム・フセイン!」 「どんな注文が来るかわからない。うっかりしているとこんな注文が来る・・・」 その割りにはスイスイとハサミが動く。「アラビアのような音楽が流れております」 お囃子さんも『月の砂漠』をたどたどしく弾いている(笑)。「まさか、フセインもね、こんなことしてるとは思わないでしょうね」 一分五十秒。フセインとブッシュの顔だけ。似てるー! なんと二人は、ジャンケンしてる。そうだよね、勝ち負けをジャンケンで決めたらいいのに。「シンデレラ!」 「どうします?」と楽屋のお囃子さんに。「『ヒビデバビデブー』ですよー」 紙切りの人は何でも知ってなければならない。お囃子さんも同じだね。さすがに苦戦としたのか、切り上げてプロジェクターの上に乗せてからも、二回ほど持ち上げて、さらにハサミを入れる。大苦戦の三分二十秒。「十二時の鐘が鳴って急いで帰るところ」

        トリの柳家さん喬が出てくると、これまたお辞儀をしたあとでも拍手が鳴り止まない。両手を切るように左右に広げて、ようやく拍手が収まる。「恐縮でございます」 今や本当の落語好きの間では、さん喬のトリは、それほど待ちかねたものになっているのだ。「街を歩いていると、コンピューターの付属品なんですか、袋に入っているものを『どうぞ、どうぞ、どうぞ』と渡そうとする人がいる。ひとつ渡すとマージンが貰えるんでしょうか?」 私もなんだか知らないのだが、ADSLがどうとかこうとかいうものらしい。「『タダです!』なんて言うんですがね、だから何なんだよ。あん中に何が入っているんですかね? 家に持ちこむと家の中が見透かされるカメラでも入っているんでしょうか?」

        江戸の祭りの話から、四神剣のことに触れる。おおおっ! これは『百川』ではないか。四神剣のことを解説しないとこの噺は意味がわからなくなるからだ。『百川』は田舎者の入りたての使用人、百兵衛のキャラクターで引っ張っていく噺だ。名前を訊かれると、「ひゃくべっちゃす」では名前もよくわからない。高級懐石料理の百川に河岸の若い衆が集まっているところに百兵衛が用を訊きに行く。この時の百兵衛の、「おっしゃ!」だか「うっしゃ!」だかいう文字には書き表せない声とイントネーションが可笑しいのだ。若い衆が「誰か何か踏んづけやしないか? ぐにゃっていったぞ」と言うくらい不思議な声を出す。この、ぬけているが憎めない百兵衛の造型がお見事としか言い様がない。どうという噺ではないのだが、春が近いこの時期には、ホンワカしていい気持ちにさせてくる噺だ。

        ハネてから外へ出ると、案の定、ネットで知り合った顔が見える見える。立ち話をしていると、さん喬師が喬太郎らと出て来る。拍手で送って、私らもそれぞれ帰宅の途へ。熱の入った志ん輔の『宿屋の富』、意外なトリックで出来ていた喬太郎の『午後の保健室』、楽しい気分にさせてくれたさん喬の『百川』。この夜は収穫が多かった。イラクのことは忘れて落語を楽しんだ一夜だった。


March.27,2003 ロックも落語も私のパワーのもと

3月16日 柳家小三治独演会 (中野Zeroホール)

        前日の夜は東京ドームでローリング・ストーンズを観て帰宅し、そのまま興奮が冷め遣らず明け方までストーンズの昔のビデオを見てしまったので、眠い眠い。一夜明けると今度は落語だというのだから、頭の切り替えが必要そうに思えるかもしれないが、ロックも落語も同じ感覚で聴いているから違和感は無い。

        それでもさすがに柳家三之助『千早振る』が始まると、寝不足がたたり、ウツラウツラ。小三治にかかると四十分もかかるこの噺も、三之助なら二十分。

        柳家小三治一席目。さあて、きょうはどんなマクラを聴かせてくれるのかとワクワクする。まず始まったのがタマちゃんのこと。「タマちゃんの味方になる会っていうんですか? アメリカの救出しようという団体が投網かけて捕まえようとして逃げられた。警察に呼ばれたようですね。魚漁法違反らしい。投網なんてむやみやたらと投げちゃいけないんだそうです。罰金取りゃいいのに、そのまま帰したらしい。なにせ神奈川県警ですから」 ここで会場の一部で爆笑が起る。小三治と神奈川県警の関連は、小三治の独演会の常連には周知のこと。「空輸して北海道に帰してやるのがタマちゃんの為になるというのですが、はたして、そうですか? タマちゃん、のんびりして、楊枝咥えて世間見て、水に潜ってる。何なんでしょうかねえ、クジラを守ろうというのもあの人たちなんでかねえ。ひとりで気兼ねしないで生きているタマちゃん、いいじゃないですか。人が自由に心持ち良く住んでいるのに、アザラシでもない野郎がですね、勝手に北極だか南極だかに連れて行こうとする。アメリカってそういう余計なことばかりする」 「スポーツ・フィッシィングっていうんですか? キャッチ&リリース? 魚吊り上げて、そのまま逃がしたりする。冗談じゃないよ。魚が可哀想なんだったら釣りなんてしなきゃいいんだ。あれはエゴイズムですよ。魚だって痛いんだよ、針を頬っぺたに引っかけられて!」 「イラク・・・困ったもんだ・・・大人はね、子供と喧嘩しちゃダメですよ。喧嘩するというのは、そいつと同列になるということですから」

        さあ、終わらない小三治のマクラは、ここで突如俳句の話題になる。先日亡くなった鈴木真砂女の句「羅(うすもの)や 人悲します 恋をして」を持ち出して、名句だと盛んに言う。「自分の身を呪っているんでしょうかねえ。道徳なんてね、自分たちが都合よく住みやすくするために決めたもんでねえ、どうってもんじゃない。私も『羅』で作ったことあるんですよ。『羅や 八つ口動く 白襦袢』。これじゃあ、ただイヤらしいという句だ。見たままの句でしょ。一度、鈴木真砂女さんが私の句を誉めてくれたことがあった。誉めてくれたんじゃなくて取り上げてくれたんでしょうがね。NHKの番組で、私の『春の雪 造り酒屋の 重き門』を『景色が見える』と言ってくれた。私のはどうしても見たままですな。そこへいくと『羅(うすもの)や 人悲します 恋をして』ですものねえ。女の果敢なさ、脆さ、したたかさが出ている」

        「人生とは旅をするようなものだ」と、ようやく『二人旅(ににんたび)』へ。謎かけやら都々逸やらをやりながら歩いていく二人旅のなんともノンビリした様子が、春らしくていい。茶店のお婆さんの眠そうな声が可笑しい。旅人がタニシを焚いたらしい鍋を見つけると、お婆さん「どれきゃあね?」と語尾上がりの方言。「これはタニシではにゃあ。焼き豆腐の焚いたんだ」 力が入らないこういうお婆さんの様子がいいなあと思いながら、こちらはまた昨夜の疲れで、ウツラウツラ。

        仲入りがあっての二席目。何を話し出すのかと思えば、まずは「楽屋の窓を見ていましたら、梅なのか桜なのか、大きな木が見えまして・・・」と始まる。ここから、桜と梅の違いの話をひとくさりしたあと、突如「棺桶は桜では作らないでしょうなあ。檜、あるいは杉ですか。金の無い人はラワン材ですか? もっともラワン材では重すぎていけない」 うーん、ひょっとして棺桶の出てくる噺が始まるのかなと想像する。『らくだ』かな? なんて思っているうちに、小三治の噺はどんどんと脱線が始まる。桜の木で作ったスピーカーはいい音がするだの、桜の蜂蜜はあまり美味しくないだとか、とっ散らかっていくうちに、また話が棺桶に戻ってくる。昔は寝棺というのは少なくて、ほとんどが座棺だったという話。寝かせておいた死体が死後硬直で固くなってしまったものを無理矢理に座棺に入れるのは苦労するという話、近所の棺桶作りの職人さんに早桶の作り方を教わった話などが続き、突如話がガラリと方向転換。

        「男と生まれて、女と頬っぺた突っつき合ったりするのはいいもんですなあ。鈴本の裏あたりで、ビールおつまみ付き六千五百円ポッキリなんてところがありますが、これに女の子が来るとこれでは済まない。『だめー! 誰も来ちゃだめー!』ってんなら、六千五百円なんですが、これじゃあ、ウチで呑んでた方がいい」 ここから吉原の話になり、吉原でも上がるときの予算の交渉があっても、なかなか予算通りにはならなかったという話になる。「遊んだあとの金くらいアホらしいものは無い」と、持ち金のない客に[付き馬]と言って若い衆に家まで送らせて借金を取った制度のことを話し出したことから、どうやら『付き馬』に入るらしいと見当がつく。客がこの付き馬を撒く手口の解説がこのあと続くのだから、噺に入ったのはかなり時間が経ってから。これだから、小三治の落語はタイヘンなのだ。窓から桜の木を見たというところから始まるんだからなあ。もっとも、[早桶]も[付き馬]も今は解説しておく必要はあるのかも。

        付き馬と一緒に吉原を出て、なんとか逃げる算段をしている男の様子が、小三治独特のとぼけた味わいがあって可笑しい。銭湯代やら朝飯代やらまで出させて、わざとらしい浅草見物。「おやー? おやー? 何か、ちっょと方角間違ったかな?」 心配顔の付き馬に、「玉乗り、見ようか?」 「花屋敷行って、象にパンでもやろうか?」 「ああー! 観音様! ハトハトハトハト!!」 「うわあ、仲見世だあ! 人形焼だあ!  帽子屋! あらあ、オモチャ屋!」 「うわーい、雷門だあ」 このわざとらしい男の様子じゃあ、さすがに付き馬も不信に思うやあね。「あんた、どこまで行くんです?」 この付き馬の若い衆、ここまではどこかコワモテの感もあるのだが、このあと騙されて棺桶屋に連れて行かれて、さあ騙されたと知るや立場が逆転。完成した図抜け大一番小判型を「木口手間代共で十五円にしておきましょう」と親方に言われて、唖然とする顔がみものだ。オドオドとした調子で「あー・・・・・どっから話せばいいんだろ? あのですね、・・・・・エライことになってきちっゃた! たいへんなことになっちゃった。あのー・・・・・あの野郎、ウチで遊んで・・・・・それが金が無くて・・・・・風呂入って・・・・・飯食って・・・・・私のカネー!」 もう頭が混乱している様子が可笑しいのなんの。それを見た親方、「いつまでもベソかいていたってしょーがないだろ!」と、図抜け大一番小判型の棺桶を付き馬の背中に無理矢理に背負わせる。付き馬が「やだあ、やだあ・・・・・痛い、痛い!」と抵抗しても後の祭り。「ああ、背負っちゃった・・・・・・大きいなあ」と呟く付き馬の情けない姿が、これまた可笑しい。

        小三治描くとぼけたキャラクターというのは、いつもなんとも可笑しい。この何ともとぼけ具合が、「落語なんだよなあ」と思う。還暦を迎えようとしているミック・ジャガーだが、還暦を過ぎても、まだまだ転がり続けている小三治が日本にはいる。転がり続ける石にコケは着かない。ロックも落語も私を元気にさせてくれる!


March.18,2003 天才少年現る? 落語の将来は明るい!

3月8日 第286回花形演芸会 (国立演芸場)

        青山で『Zipper』を見た足で今度は半蔵門へ。花緑がトリとあってか、超満員。かなりの立見が出ている。いつも書くようだが、花形は入っている日と入っていない日の差が大きい。

        開口一番の前座は金原亭駒八『鮑のし』。頑張ってね。

        柳家さん光が、見かけたヘンな看板の話を始める。「船橋で[愉快な小鳥たち]という店の看板を見つけた。鳥のペット・ショップかと思ったら、[鳥料理専門店]。愉快じゃないでしょ、鳥たちには! 極めつけは沖縄のラーメン屋。[沖縄名物・サッポロ一番]」 ネタはマクラとは関係なく『粗忽の釘』。私がこの噺で一番好きなところは、粗忽者の亭主が長い釘を壁に打ちこんでしまい、隣にあやまりに行って、落ちついて話さなければと、なぜか女房との馴れ初めを話し始めてしまうところ。「女の洗い物をしている姿っていいもんですなあ」と、今の女房が昔洗い物をしているところを後ろから近づいていって、着物の下に手を突っ込んで脇の下をコチョコチョ。「やめて、やめて、やめてー!」 大声出して嫌がっているようで、喜んでいるようで・・・。ちょっとエロチック。

        ネタ以外のマクラ部分がやたらと長い噺家さんがいる。こういう商売の人って、やたらと喋りたがり屋なんだろう。ついついマクラが長くなって持ち時間をオーバーしてしまう人がいる。立川談春が、「(次の出番の)山陽さんが鬼のような目で『二十分ですからね!』と言っていましたので」と、いきなり『天災』に入る。心学の先生紅羅坊名丸と乱暴者との問答が楽しい噺だ。論理で諭す先生が、実はまだ人間的にデキていないらしいのが可笑しい。こう言えばこう切り返す乱暴者に、興奮してきて声がだんだんでかくなる。このへんが、小さん流とは違う立川流なのか。

        キッチリ二十分で終わらせた談春のあと、「終わった途端に、お客さんが一斉に時計を見るという、珍しい光景が見られましたが」と神田山陽が高座に上がる。この人も喋りたがり屋だ。映画に関する話が長く続いていく。新文芸座で、山陽と昇太が好きな映画を四本選んで上映する話が来たこと。渥美清、藤山寛美の『拝啓天皇陛下様』を二回見て二回とも泣いたこと。故郷の網走のレンタルビデオ屋にはヤクザ映画ばかり置いてあること。自分が出演した『壬生義士伝』で何回もNGを出して、スタッフから「チッ!」という舌打ちが聞えてくるような気がしたとか延々と映画話が続く。「どうですか、みなさん。時間どおりに着々と進んでいくことが、はたしていいんでしょうか?」と問いかけた時には、場内大爆笑。こうして始まったのが『七人の侍』と『さるかに合戦』を合体させた『七人のさるかに侍』。ウス、キネ、クリ、ハチ、牛のフン、笠地蔵の笠、そしてカニの七人が猿との戦いに臨む・・・のだけど、いいところで「これからが波乱万丈、面白くなるのですが、お時間!」

        五明楼玉の輔、「時間計ってましたらね、(山陽の)ネタ八分。ほとんどが無駄話。あんなのに山陽継がしていいんですかね」と、こちらはいつもの前振りも無く、珍しくネタに入る。何かと思えば、『子別れ(下)』だ。この人もこういうのを演るんだなあ。悪くない出来だったが、やや急ぎすぎか。トントントンと進めていってしまうのでメリハリが無くなってしまっているように感じた。もう少し緩急をつけたら、案外、玉の輔に合っている噺のような気がする。

        なぜか今回の花形は落語ばかり。講談も一応色物には数えないから、色物はポカスカジャンだけ。ノンチン曰く「でも、山陽は人間的には色物」 ボーイズという肩書きにちょっと抵抗があるらしいポカスカジャンだが、かつてのボーイズ、コミック・バンドの歴史の中で、この人たちほど毎回毎回新ネタを用意してくる人たちはいないだろう。今回のテーマはスキャット。スキャットとはアドリブで意味の無い言葉で歌うこと。これを日常生活で発する声にならないスキャットを集めて音楽にした。タンスの角に足の指をぶつけて声にならないとき、キッャチバーで恐い兄さんから法外の料金を請求されたとき、チョコレートと一緒に銀紙まで食べてしまったとき、温水シャワーを浴びようとしたら水だったとき・・・。その他、ポカスカジャンに言わせると、世の中にはスキャットに溢れているらしい。『北斗の拳』のケンシロウが発する「アタタタタ」もスキャットだし、夜中の冷蔵庫が発するブーンという音もスキャット。

        「楽屋に五分置きに携帯電話がかかってくる人がおりまして・・・。『うん、九時十五分には終るから』 『談春さんが長くて』 『山陽さんも長かったから』」 どうやら、このあとのトリの花緑のことを言っているらしい。これがこのあとのネタ『三年目』に繋がるのだから、橘家円太郎の上手いところ。仲の良かった夫婦。女房が臨終の間際に、もし自分が死んだらあなたは後添えを貰うのだろうと気になっていると打ち明ける。それを受けて亭主は、もしそんなことになったら、婚礼の夜に化けて出てきてくれと言い聞かせる。「『出てきておくれよ』 『出ますから』 こういうのをバカ夫婦という」 花緑の顔が見たいところ。

        どんな顔して柳家花緑が現れるのかと思ったが、平気な顔で四月五日放送分の『ポンキッキーズ』に出たという話を始める。落語を演ってみたいという七歳から十歳くらいの子供を公募したら、三百通集まったという。そこから男十人、女十人選んでの落語教室。画用紙に好きな食べ物の絵を描かせ、それを小噺にするということを演らせた。「八歳でね、すごい上手い子がいるんですよ。この子は水の絵を描いた。いきなり『ワー、苦しいー!』と始めた。どっかで見たと始まりだと思ったら、これは昇太の仕種。『あっ、こんなところにミネラル・ウォーター』って、これが本当に旨そうに飲むんです。それでちゃんとオチまでつける。『ああっ! 賞味期限切れだあ! ウワー!』 おお、落語の未来は明るいかもしれない。第二、第三の花緑が生まれてきたら、どんなにか楽しいことか! こうして、ネタに入ろうとしたところで、「花粉症で咽喉が乾いてしまっていまして、(袖に)すみませーん、お湯を持ってきてくれませんか?」 そこに湯呑茶碗を持って現れたのは前座さんではなく、洋服に着替えた談春。驚いた花緑が、「帰ればいいのにね」 気を取りなおして、「私も九歳から落語ょを演っていますが、呑む、打つ、買うの噺もできるようになりましたということで」と『明烏』に入る。いつまでもウブな若旦那が、なんとなく花緑のキャラクターにダブって楽しい。だまされて吉原に連れ込まれた若旦那が泣き出すところが可笑しい。「うわーん、帰りたーい!」 源兵衛とたすけが、「お前があやせ」と擦り付け合っている様がまた爆笑もの。女将がなんとかしようとすると、「来ないで、寄らないで、触らないで、フー!(息を吹きかける)」 「おばさん、飛びませんよ」 廓噺も出来る歳になった花緑だが、やはり目立つのは若旦那のキャラクター。うふふ、『ポンキッキーズ』の少年は将来はたしてどんな大人になることだろう。


March.15,2003 青山、もうひとつのミュージカル

3月8日 『Zipper』 (青山円形劇場)

        いよいよ三谷幸喜のミュージカル『オケピ!』が再演された。「いざ、青山へ」と言いたいところだが、今回は『オケピ!』を上演している青山劇場のお隣、青山円形劇場。なんと、こちらもミュージカルだ。ラサール石井プロデュース・シリーズ『ハヒフ・ヘホ?』の第四弾『フ・フ・フ』として予告されていた『Zipper』。

        それぞれがミュージカルの舞台で活躍中の、麻生かほ里、入江可奈子、風間水希の3人の女優さんを集めてラサール石井が脚本・演出をしたもの。ミュージカルといっても『オケピ!』と同じく、ミュージカル嫌いの人にも受け入れてもらえるものになっている。台詞からいつのまにか歌になるという構成ではなく、ほとんどが芝居部分と歌や踊りの部分が別れており、ワザとらしさがないのが見やすい。

        小城朝子と小城真昼は双子の姉妹(入江可奈子二役)。朝子が交通事故で死んだことから、借金に苦しんでいた真昼は、自分が死んだことにして朝子に成りすますが、葬式の日に朝子に金を貸していたという真島時枝(風間水希)と船木夕子(麻生かほ里)が現れる・・・。

        前半は、ミステリー風の出だしから、3人の過去の回想に入っていき、どうなることかと思ったら、後半はなんとホラーになる。実際、後半にはドキリとするショッキングが演出もほどこされており、ゾーッとなった。しかし、それでいてあくまでミュージカル(笑)。3人の女優に加えて男性のダンサー2人が実に様々な踊りを見せてくれる。いつ着替えたのだろうと思うくらいの早代わりで、ドラマの途中で踊りが入る。これが実に自然で違和感がない。ミステリー、青春もの、ホラー、そしてミュージカルと盛りだくさんの内容で飽きさせないのが、ラサール石井らしい。

        さらに面白いのは、途中で入る女優3人のトリオ漫才のようなコーナー。ミュージカルのウソくささ告白大会のようなものになっていて笑える。「よく、後ろの方の動きが寂しいと、演出家が自由に動いてくれなんて言うと、必ず待ち合わせをしている演技をする人がいる」 「宝塚なんかで、男役が愛しい人に走り寄る場面で、最初の2歩がスローで、あとは小走りになる」 「音を聞くという演技が、耳に手を当てて音のする方に身体を乗り出してちゃうというオーバーな仕種になっていて、難聴なんじゃないかというほど」 「朝目覚めるという演技などは、そんなに大きく伸びをするかというほどオーバー」などなど、大噴出。

        ミュージカルにあまり興味が無い私でも、これはとても楽しい舞台だった。次は隣で演っている、これまたミュージカルらしくないミュージカル『オケピ!』に行かなくちゃ。3年前の『オケピ!』初演は計3回通い詰めたのだが、今年取ったチケットは気分を変えて名古屋公演と大阪公演の分。東京のも取ればよかったかな。


March.9,2003 人を使う人の部下掌握術

3月1日 上野鈴本演芸場三月上席夜の部

        前座古今亭いち五『元犬』頑張ってね。

        五街道佐助『金明竹』。大阪弁の口上が見事なので、客席から拍手が起る。四回も同じ口上を言わされる使いの者が、イライラしている様子が可笑しくて、「ほな、これが最後でっせ」と投げやりな口上の様子がまたよく演じられていた。お客さんからまた大きな拍手。

        いつも頭の中を引っ掻きまわされて終わる昭和のいる・こいるの漫才。のいるが「ちゃらんぽらんな大人ばかりで困ったもんだよ」と話を向けても、相手が「しょーがないよ」のこいるでは話が進んでいかないという笑いが絶妙なのだ。「電車の中で子供が暴れまわってるの」 「元気があって、よかった、よかった」 「そういう話じゃないよ。一言も子供に注意しないんだ。携帯電話をかけたりね、化粧道具出して化粧しているのまでいる」 「忙しかったから、余所で出来なかったんだな」 「あんた、話わかってんの?」 どつき漫才コンビだと、ここで突っ込み側がボケ側を叩いたり倒したりするのだが、そういうことを一切しないのが、のいるこいるの面白さ。どつき漫才があまり好きでない私は、のいるこいるの演り方が好きだ。人を叩くのが生理的に嫌いなこともある。しかしそれよりも、どつきの人達は叩いたりすることでリズムを出そうとするのだろうが、そこで笑いが切れてしまう気がするのだ。そこへいくと、のいこいは相手を叩くことなく進めていくのいる(そして観客)のフラストレーションがどんどん高まっていって、それが逆に観ていて快感になっていくから不思議な可笑しさが生まれる。「裏道を歩いていたんですよ、そしたら後ろからチリンチリン・・・」 「裏道ね、風流ですよね」 「そうじゃなくて、人の話をちゃんと聞けよ! うしろから自転車に乗った子供がチリンチリンチリンとベル鳴らしながら来るんですよ。もうまるでドケドケドケと鳴らしているようなんです。子供が『もたもたするな、このシジイ』って」 「当りだよねえ、たしかにババアじゃなくてジジイだ」

        橘家円太郎『勘定板』 「実に優雅な小笠原流の便所」かどうかはわからないが、いつ聴いても汚い噺だねえ。それでもついつい毎回聴いて笑ってしまうのだ。

        柳亭市馬『時そば』。のどが自慢で、独演会などを演ると懐メロを歌いまくるコーナーがあるという市馬だけあって、そば屋さんが流しているときの声がいい。「そば〜あ〜あ〜あ〜ふ〜〜っ」 これなら誰でも食べたくなるね。

        三遊亭歌之介は、いつもどおりの漫談大会。それにしても、こんなに元気でサービス精神旺盛の漫談は他にないだろう。ただ字にしてもその面白さが伝わらないのだから、やはり話芸なんだろうなあ。あいかわらずやってるのが「私は皇太子と同級生。ただし、学校が違う。あちらは学習院、私は少年院。あちらは私立、私は国立です! (少年院には)なかなか入れないんですから! 筆記試験は無し、実技のみ!」

        最前列にどうやら結婚式帰りの団体さんが陣取っているらしい。全員が式服姿。曲独楽の柳家とし松が糸渡りの独楽で、いつものように最前列の女性に糸の一方の端を持って上手に立ってもらう。独楽が糸の上を回って女性に近づいていくと、女性の親戚らしい男が立ちあがって独楽と女性をカメラでパチリ。

        橘家円蔵も漫談の名手だ。[女に逃げられた話]やら[お酒の好きな人はお酒の好きな医者に行け]といった話に夢中になって聴き入っていると、突然に猫の小噺を始めた。これが悪くは無いのだが、それまでの漫談に較べると客席の反応がイマイチ。「受けないでしょ。この白っちゃけたシラケの中引き上げる楽しさね」 フハハハハ、そんな降り方って・・・!

        「街中を歩いていてコーヒーを飲みに店に入ったんですよ。コーヒーを持ったウエイトレスがやってきました。『こちら、コーヒーになります』。・・・どのようなコーヒーになるのか二時間見ていましたが、ただ冷めただけだった」 「楽屋の人たちにあげようと思って、ひとりでハンバーガーを買いに行ったんです。『ハンバーガー三十個ください』 『こちらでお召し上がりですか?』 ひとりでハンバガー三十個食う奴がいるか!」 柳家さん喬がこういう話をすると、ふわっとしていて、本当に怒っているのではなく、世相を面白おかしくスケッチしているような具合になる。「美人薄命と申します。美しいものははかない。美しいものは寿命が短い。(客席の女性を見回し)御壮健をお祈りいたします」と『短命』へ。この噺、私には隠居が、短命の理由を遠まわしに八っつぁんに伝えるところが長すぎると感じていた。もちろんその部分が面白いのだが、何回も聴いていると鬱陶しくなる。「早く気づけよ!」という気になってしまうのだ。一番好きなところは後半部分。八っつぁんが自分のカミさんにご飯をよそってもらうところ。さん喬のは時間の関係もあったのだろうが、前半が短かった。割と早く八っつぁんが気づいてくれるのだ。このくらいでいいんじゃないかなあ。

        仲入り後は、大空遊平かほりの漫才。夫婦漫才では、たいてい女性の方が強いというパターンが多いそうだが、この人たちの場合はそれが徹底している。かほりが一方的に喋って、遊平が何か口を挿もうものなら完膚無きまでに叩かれてしまう。普通の男なら怒り出しそうだが、そこがこの人たちのリズム。何を言われてもマイペースの遊平。私生活ではどうなっているのか知りたくなってくる。ネタはいつも通り。

        歌之介、円蔵と漫談の名手が出たあと、なんと柳家喬太郎までが漫談だけ。[はぶ]、[回送電車]の小噺で軽く笑いを取ると、学校寄席、ベタベタイチャイチャカップル、煮つまったカップルのパターンなどで笑いを繋げていく。これはこれで芸になっているから文句も言えない。

        林家正楽の紙切り。いつも切っているハサミ試しの『相合傘』四十五秒。「松井のホームラン!」 ヤンキーズのオープン戦第二打席で見事にホームランを打った松井。チョキチョキと切ったのはいつもながら怪獣のゴジラ。ホームランを打った瞬間だ。口を開いて火を吹いている。脇にはニューヨークの摩天楼つき。一分二十秒。「雪崩!」 「雪崩ね。これは怖いですよ。・・・どうやって切っていいかわからないし」 雪崩が起きようとしているところと、ふたりの登山者。二分。「龍!」一分四十秒。「松竹梅!」 前の団体さんからの注文。「結婚式の帰りですか?」と新郎新婦つきの松竹梅、二分。「正楽さん!」 お客さんの前で紙を切っているところ、四十秒。

        トリは五街道雲助の代演で林家正雀。昔のお店奉公制度の説明から『百年目』に入っていった。この噺、私は昔、大番頭さんの立場で聴いていたように思う。それがこのごろはお店の主人の立場で聴いている。それは実生活で、人に使われる立場から使う立場に変化してきているからなのかも知れない。人を使うということは、それほど難しいことなのだ。口うるさく店の奉公人を叱り飛ばしてばかりいる大番頭さん。それでいて主人の目を盗んで向島で芸者遊び。そこを偶然に当の主人に見つかってしまう。その夜、いやな夢を見る大番頭さん。今までアゴで使っていた使用人に崖から突き落とされる夢というのは、まさに大番頭さんの偽らざる心理だろう。翌朝主人に呼び出され、説教されるかと思いきや、「いままで良くやってくれた、来年は店を持たせてやる」と話を持ち出す主人。奉公したばかりのころの大番頭を「用を三つ頼むと一つ忘れてくる。なかなか仕事を憶えない。不器用者だった」と評し、「どうなるものかと思っていた」と回想する。旦那という言葉の由来(南天竺の栴檀と南縁草)を説明し、ガミガミと厳しく説教するだけがいいことではないと諭す。これは会社組織での部下の掌握術にも繋がることだ。噺の途中で最前列にいた結婚式帰りの団体さんがゾロゾロとお帰り。いい噺なんだけど、結婚式帰りに聴く噺じゃなかったかもね。


March.2,2003 怪しげな芸人さんたちの世界

2月23日 マイダーリンの浅草ニコニコ大会 (東洋館)

        浅草東洋館には、他の寄席では観られない不思議な芸人が多く出ているらしい。こういうアヤシゲな芸人を一度観てみたいと思っていたのだが、なかなかチャンスが無かった。日曜の昼、意を決して東洋館に向う。東洋館は浅草演芸ホールの隣のビル。狭い入口を入った窓口でチケットを買い、エレベーターで上に上がる。モギリのおじさんが半券を千切りながら、「売店を作りましたからね。オツマミも売ってますよ。ビールの自動販売機を置いておきながらツマミが無いって言われてたからね」 うーん、昼間のビールは効きそうだから、後でね。

        正午から始まっていたプログラムは、前座さん、漫才のシャチホコが終わっていて、三組目の、漫才コンビロケット団も終わりに近い。去年の暮に二回続けて聴いたから、ネタも憶えている。今回も最後の盛り上げが、四文字言葉を使って誰にも気づかれずにトイレに行くと告げる方法。最近の若手漫才にしては落ちつきのある漫才、伝統的な東京漫才を演っている感じがして、私は好きなコンビだ。そろそろ違うネタも聴いてみたいな。

        高座に座布団が運ばれて、落語家の出番。立川談幸だ。なにか噺を演ってくれるのかと思ったら、漫談だった。「夫婦円満の秘訣。たまには奥さんを旅行に連れて行って、素晴らしい景色でも見せてあげてください。奥さんが『わーっ、綺麗!』と言ったら、ボンヤリしてちゃだめですよ。『君の方が、もっと綺麗だよ』と言わなきゃいけない。もっとも、『わーっ、凄い!』と言ったからって、『君の方がもっと凄いよ』なんて言っちゃいけませんよ」 この日も中高年の夫婦連れが目立つ。ギャハハハハと笑うおばさん、楽しそうだね。

        シリアルパパのコント。ヤクザが出所してくると、刑務所の前で道路工事をしている。その工事のガードマンをしているのが、この出所してきたヤクザの兄貴だという設定。「兄貴じゃないですか! こんなところで何してんですか!?」 「歩行者が悪い道に逸れないようにガードしてんだ」 時代は変わり、憬れの『網走番外地』 『唐獅子牡丹』の健さんも、駅員さんや船乗り、果てはコーヒーのCMを演っていると嘆くふたりが可笑しい。いかにも浅草あたりで受けそうなコント。

        玉川平太朗が出てきた。ぽっちゃりした体つきで妙に愛嬌がある。話しながら、自分で「アハッ、アハハハハ」と笑いを入れる。「玉川って言うくらいですから、玉川ファミリーのひとりなんですよ。玉川ファミリー知ってますか? 一番有名なのが、タマちゃん。アハッ、アハハハハハ。次に有名なのが玉川カルテットの四人組。その前はね、玉川勝太郎だったんですよ。私のお師匠さん。アハッ、アハハハハ。『天保水滸伝』演ってみましょうか?」 こうして「♪利根の川風 袂に入れて 月に棹さす高瀬舟」と始めたのだが、いやいやどうしてどうして勝太郎の弟子だというのは嘘でない。堂々と浪曲を歌い続けるのだ。「・・・・・・♪私しゃ九十九里浜 荒浜育ち と言うて鰯の子ではない」と続けて、「♪ちょうど時間となりましたア この歌の続きはホームページで」って、いくら検索しても平ちゃんのホームページが見つからないのだよ。騙されたのか?

        曲独楽を演る人がこんなにたくさんいるとは思わなかった。東京の寄席ではお目にかかれないみす乃家南玉(なんぎょく)を観られたのも今回の収穫。「普通の独楽は紐を巻きつけて回しますが、この独楽は紐は使いません。親指と人差し指で丸を作って振って回します。何で回るんでしょうか? 私にもわかりません」

        この日、一番怪しげだったのがパーラー吉松という芸人。パチンコ屋に入り浸っているからパーラー吉松というのだそうだが、この人の芸はプロレスと相撲の形態模写。上の服を脱ぎ、黒のタイツ姿になる。どう見てもレスラーらしい鍛え上げられた体ではなく、すっかりダレきった中年太り体型。ブッチャーの地獄突きから、きめ技のエルボードロップ。似てる似てる。ジャイアント馬場、タイガーマスクなどを演ってみせたが、次の相撲の形態模写の方が面白かった。黒タイツを脱ぐと、なんとマワシをしている。頭にチョンマゲのカツラを乗せて、お相撲さんに変身。「あんまり特徴が無いんだけど、引退しちっゃたから、ちょっと演ってみましょうか」と貴乃花。「少し遠くを見て、ちょっとマワシを気にする程度」 おお、そうそう、よく特徴を掴んでいるでないの。「それじゃあね、今度はお兄ちゃんの若乃花ね。お兄ちゃんはね、しきりをしている時に塩を取りに行くのに小走りで行くの。それがカワイイんだ。演ってみましょう」 お兄ちゃんの土俵も似ているなあ。圧巻は今話題の高見盛。表情と動作が豊かな人だから演りやすいんだろけれど、それにしも上手い! ここまでだと、形態模写芸人として感心しきりなのだが、ここから異様な世界に突入する。世界民族舞踊選手権大会で優勝したというマユツバものの踊りが始まる。題して『男の人生・四部作』。第一部・誕生、第二部・成人、第三部・結婚、第四部・旅立ち、と繋がるのだが、内容はほとんど同じ。「アイヤー、アアア、エーエーアー」という奇声を発して、奇妙な踊りを踊るというもの。果ては客席に乱入して客いじり。なんなの、この人? 不思議な芸人がいるものだ。

        コントのアンクルベイビーが休演で、替わりに前田隣が漫談で立つ。東洋館が出来た由来の話から、「自分も歳を取った」と老人漫談。歳を取ってからの屁や小便といった下ネタ話は侘しくなるが、こっちもいずれは老人になる身。笑い飛ばせる覚悟をしておかねば。代演で前田隣が出てきたときから、私には考えていたことがあった。前田隣はナンセンストリオ時代の「♪親亀の背中に小亀を乗せて・・・」を、リクエストに応じて動物を変えて歌ってみせることを演っていると聞いていた。よおし、リクエストしてやろうじゃないか。実は前田隣の漫談も上の空で考えていたのだ。どうせなら長くて言いづらい動物がいい。浮かんできたのが、ゴールデンレトリーバー。二十分ほどの漫談は終わりに近づいてきた。来た来た。親亀のリクエストだ。「何かリクエストありますか?」 私はすかさず叫んでいた。「ゴールデンレトリーバー!」 「えっ!? ゴールデンレシリーバー?・・・・・・♪親ゴールデンレトリーバーの背中に子ゴールデンレトリーバーを乗せて 子ゴル・・・ちょっと待ってください」 さすがに言い難いらしい。何回か歌い直すのだが、途中でひっかかってしまう。「今日は口が回らないの」 「演るからね、必ず演るからね」 「歳取るとね、肺活量が弱くなって・・・深呼吸をしてから」 言い訳が多かったが、それでも最後にはキチンと最後まで早口で歌い終えてくれた。隣さん、ごめんなさい。そして、ありがとう。私、ナンセンス・トリオ大好きでした。

        仲入り後の食いつきは、三遊亭好太郎『ブライダル・スピーチ』。よく落語家さんは結婚式の司会を演らされたりするので、こういうネタは多い。結婚式での仲人さんたちのスピーチをスケッチしたものだが、いかにも有りそうな無さそうな失敗スピーチの数々。

        松旭斎美登のマジック。若くてカワイイんだから、これでもう少し愛想よくしてくれたらいいんだがなあ。

        三人目の落語は立川左談次。師匠の談志のこと、噺家野球チームのことと漫談が続き、最後は相撲の話をして時間いっぱい。おやおや、この日は落語らしい落語に一席も当らなかった。これもいいけれど、ちょっと寂しいかな。

        次の名和美代児は声帯模写なのだが、主に音の物真似を演る人。ピンポン、吹雪、雅楽器、汽笛(大きな船とポンポン船)、F1レース。圧巻は蒸気機関車。この人ひとりいればサウンド・エフェクトはいらないね。

        トリは前田隣真木淳のコント。前田隣の医者のところに、ホームレスの真木淳が診察に訪れる。金のないホームレスの診療なんてしたくない医者と、具合の悪くて(どうやら腹が減っているだけらしいのだが)診てもらいたいホームレスのやりとりが続く。「保険証は持ってるの?」 「母子手帳ならある」 「母子手帳は女にしか支給されないの! 子宮は女にしかないんだから」 「・・・いろいろ考えているんですね」 「今、思いついたの」 どうやら、毎日このシチュエーションで即興のコントを演っているらしい。どうもこの日の乗りはイマイチ良くない。あとで前田隣のHPを見てみたら、この日のことを書いてあり、「コントの出来は悪かった。俺もやる気が無かった」とある。私が入った日がたまたま悪かったのだろう。三十分の出番なのだが、まとまりもないままに、十五分ほどで降りてしまった。隣さん、また観に来ますね。

        それにしても、世の中、まだまだ知らない芸人さんがいるものだ。東洋館、ちょっと病みつきになりそう。 

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