August.31,2003 『こち亀』を知らなくても楽しめる傑作

8月17日 『舞台版 こちら葛飾区亀有公園前派出所
        〜海パン刑事の逆襲・檸檬も出るのじゃ!〜』 (博品館劇場)

        人気の漫画の舞台化なのだが、私は『こち亀』はほとんど読んでないので、キャラクターの知識は無いに等しい。それでも今回はラサール石井のオリジナル脚本・演出・主演であることと、共演者になかなかの曲者を揃えたことで、観に行く気になった。これは観に行って正解だった。

        お客さんの層は、やはり『こち亀』好きが多いようだ。家族連れで来ている姿も見える。入口では両さんせんべい、両さん人形焼き、両さんどら焼き、両さんサブレなんかも売っていて、なかなかの人気。

        思いっきり漫画的な書き割りのセットを使って繰り広げられるお話は、ギャグ盛りだくさん。ミュージカル仕立てになっていて、役者が踊り歌う場面も自然な流れになっていて違和感が無い。しかもそれらの楽曲が総ていい曲で頭に残る。サントラ版出してくれないかなあ。

        世界征服を企むドクタービリジアンら3人組が、とりあえず亀有を征服しようとしている(?笑)。このドクタービリジアンを清水宏が向島巡査と二役で演じていて、その怪演ぶりが楽しい。二役をこなすためにバタバタと舞台裏を走りまわるギャグは爆笑もの。今回一番弾けていた。例によって客いじりもあったし。

        小宮孝泰演じるおばあちゃん擬宝珠夏春都の寿司屋にタダで寿司を食べに行こうと企んだ両さん(ラサール石井)が、ホームレスの亀太郎(坂本あきら)と演るコントも可笑しい。

        たっぷり楽しませてくれたドタバタ芝居なのだが、ラスト20分になったところでラサール石井マジックが起る。突然に今までの笑いの要素が伏線のようになっていてシリアスな芝居に変身する脚本は見事としか言いようがない。ホームレスの亀太郎の本当の正体が明からなると、戦後56年、日本の歩んできた落とし穴が曝される。それに伴ってドクタービリジアンの過去もわかってくるといった構成。

        あっと思っているところで、再びドタバタのフィナーレへ突入して芝居は終わる。この日は東京公演の千秋楽。何回ものカーテンコールに答えるラサール石井たちに心からの拍手を送った。千秋楽だというのが惜しい。こんな楽しい芝居だとは思わなかった。こんなことならもう一度観たかたのにー!


August.28,2003 アイデアは被っているが、こちらは別世界

8月15日 『野田版 鼠小僧』 (歌舞伎座)

        歌舞伎座に入ったのなんて、何年ぶりだろう? 八月納涼歌舞伎第3部。『神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり) どんつく』のあとに休憩があって、野田秀樹・作・演出の『野田版 鼠小僧』が始まった。花道から登場した鼠小僧が舞台狭しと飛びまわる姿は、まさに歌舞伎的な興奮・・・・・と思いきや、これが劇中劇。鼠小僧のお噺に胸がすく思いをしている江戸庶民。

        中村勘九郎演じる三太は、大の吝嗇家。金、金、金、金。つねに金を手に入れることしか考えていない。そんなおり、ひょんなことからある家の土蔵にある千両箱を持ち出すことになる。その中身をこれまたひょんなことから、屋根の上から江戸の町にばら撒いてしまったことから、鼠小僧が現れたと評判になってしまう・・・・・。

        勘九郎の役名が三太とあって、演芸好きの人は観始めてすぐに気がつくのだが、これは神田山陽の『鼠小僧外伝・サンタクロースとの出会い』とアイデアが被っている。おそらく野田秀樹は山陽の講談を知らないで書いたと思うが、義賊とサンタクロースを結びつけるというアイデアが、ふたりの才人の間で共通して生まれたというのは興味深い。

        もちろん、噺自体は大きく違う。野田秀樹の発想は、どこかディケンズの『クリスマス・キャロル』を思わせる。勘九郎の三太は吝嗇家のスクルージなのではないだろうか? いや、そこまで考えなくても、これはいわゆる欧米のクリスマス・ストーリー。野田秀樹は、歌舞伎の世界にクリスマス・ストーリーを持ち込んだのではないだろうか? 一応クリスマス・ストーリーにはお約束事があって、必ず幽霊が出てくるのだが、『野田版 鼠小僧』にもちゃんと出てきたし。

        後半にはお白州の場面もあるのだが、このお裁きも普通のお裁き物とは逆を行く構造になっていて、裏取引だらけの不条理な世界。困ったのは、ラストがかなり暗いこと。神田山陽の『鼠小僧外伝・サンタクロースとの出会い』が、ハリウッド映画を思わせる展開で、カタルシスを感じさせてくれる開放感があるのに対して、こちらは悲劇として幕が降りてしまう。どちらかと言えば、私は山陽の方を買うが・・・・・。


August.23 白鳥の新たな傑作

8月14日 『落語21』 (プーク人形劇場)

        夏休みに入った初日。外は雨。おいおい、本当に夏かあ。涼しさを通り越して肌寒さすら感じる。木曜日だから五街道喜助と林家久蔵がDJをやっている、かわさきFMの『気球に乗ってどこまでも』の生放送がある日。かわさきFMはウチでは受信できないし、普段は午後二時から三時までの生放送をサテライト・スタジオまで見に行くこともできない。これはチャンスだと思うのだが、日頃の疲れもあり、布団から出ることができない。四連休になる夏休みの初日から雨の降る外に出ていくこともあるまいという思いもあって、昼ごろまで布団の中でウツラウツラして過ごす。それでもさすがに十二時ともなると寝てもいられない。起き出して洗面をすまして外を見ると、雨は小降りだ。時計を見ると午後一時。放送開始まであと一時間。行くか! コージ(ライトニン)・大内の『オヤジブギ』が入っているCD、『Live At Mojo』を引っ掴み外に飛び出す。

        川崎の駅で南武線に乗り換え、武蔵小杉で下車。ホームページで確認しておいたビルへ向う。かわさきFMはビルの一階部分。ガラス張りの小さなブースがあり、そこで放送しているのだ。時刻はちょうど午後二時。スタジオの中には喜助さんと、もうひとり男の人がマイクの前に座っているが、久蔵ではない。喜助さんに手を振ると、喜助さんが気がついてくれた。そして、「中に入りません?」と声をかけてくれるが、「いやいや、いいですって!」と拒否するジェスチャーをしてみせたところで、番組が始まった。喜助さんの相手役は、やはり落語協会の二ツ目桂笑生さん。ふたりで、落語界を知らない人には何のことだかわからないような話題を話している。久蔵さんともいつもこの調子なんだろうか? だとしたら、毎週でも聴きたいなあ。

        番組が半ばまで過ぎたところで曲になった。スティービー・レイ・ボーンの『プライド・アンド・ジョイ』。ブルース好きの喜助さんらしい選曲だ。スタジオの外に喜助さんが出てくる。「番組に出てくださいよ」と言うので、「それじゃあ、コージ大内の『オヤジブギ』をかけてください」とCDを手渡す。中に入ると、私のためにもう一本マイクが机の上に立てられる。ラジオに出るのはわが人生の中でこれで二回目。前回はむかーしむかし、ニッポン放送のせんだみつおが司会の、ロック電話リクスト合戦のような番組。当時女の子に人気のあったエアロスミス、キッス、クイーン、ベイシティ・ローラーズをトーナメント・システムで電話リクエストを受け、リクエスト数の多かったバンドが勝つという企画。私はそこでクイーンについて何やら話したのだが、何を話したのかほとんど憶えていない。かなりミーハーなことを言っていたはずだ。

        『プライド・アンド・ジョイ』が終わり放送が始まる。喜助さんが私を紹介して、話を引出してくれる。私の店のこと、蕎麦の話題から11月8日の催し物のことへ。そして『オヤジブギ』を流してほぼ時間いっぱいいっぱい。

        武蔵小杉の駅で、おふたりと別れ、新宿へ出る。『落語21』のメール予約を入れておいたのだ。時間があるのでタワー・レコードと紀伊国屋で買い物。ドトールで読書をして暇を潰し、開場時間になったのでプーク人形劇場へ。

        開口一番はなんと柳家喬太郎。上野鈴本の夜の部に出なければならないということで、こんな位置。古典の物売りのマクラが始まったので、何で『落語21』で古典? と思っているうちに入ったのが『諜報員メアリー』という短い話。時間なかったのね。夜明けまでつぼ八で呑んでいて、酔いつぶれちゃった学生さん。店員に起こされて、「私はやってません!」 「スーパーフリーじゃありません! 普通のサークルです! 私はやってません!」と寝ぼけるのが、最近の事件を取り込んだ喬太郎流のクスグリ。

        日本語は実にオノマトペが多い言語だと言われる。オノマトペとは擬声語、擬音語、擬態語のこと。快楽亭ブラッCは日本語のオノマトペについて面白く解説してくれた。題して『オノマトペ研究序説』。「歩くという様を表すだけでも、ヨタヨタ、ヨロヨロ、ヨレヨレ、ウロウロ、ソロソロ、ノソノソ・・・・・とたくさんある」 「落語の演目だけでも『つるつる』 『ぞろぞろ』 『だくだく』がある」 「新しいオノマトペもどんどん出て来ていますよ。キャピキャピ、ルンルン、電子レンジでチン」 ありがとう、お勉強になりました。

        「古典落語は過去の時代を描きます。新作はといいますと、ほとんどのものが現代です。そこで、これから私の演る噺は未来の噺、未来落語というものを演ってみたいと思います」と言って川柳つくしが始めたのが『未来予想図』。師匠の三柳(仮名)が死んでしまったことから噺が始まる。師匠の身体は総て献体に出されることになる。おかみさん曰く、「生きているうちは人に迷惑ばかりかけていたんだから、死んでからは人の役にたつようにしなればいけないでしょ」には三柳(しつこいけど仮名)師匠を知っている落語ファンなら思わずニヤリ。やがて三柳には、つくしの弟弟子にあたる、つけしという弟子がいたことが判明する。ところがこのつけしの引き受け先の師匠がいない。「師匠には兄弟弟子が何人もいるじゃないですか?」とつくしがおかみさんに訊くと、「誰も父さんのことを兄弟弟子だと思っていない」 フハハハハ。しかたなく、つくしが、このしけしを弟子にするのだが、このつけし君はオカマ。「ああ、私は師匠にも弟子にも恵まれない」 とんだ未来予想図だこと!

        円丈一門の中で、師匠の語り口をそのまま受け継いだのが三遊亭らん丈だろう。献血が趣味だというらん丈が献血情報を教えてくれた。「紀伊国屋の隣のビルにある献血所はお薦めです。ミスター・ドーナッツ食べ放題。夏はアイスクリームも食べ放題。フリー・ドリンク。ビデオまで用意されていて、好きな映画を見ながら献血ができる」 ほほう、今度献血に行くときは新宿にしようっと。ネタは以前にも聴いた『謎の新明解』。三省堂の『新明解国語辞典』を引いてみるネタ。「以前の版で[なまじ]を引くとこんな例文が出てくる。『[=無理に]女が柔道など習ってもしょうがない』。これが最新の五版になると変えられている。『[=無理に]女の子が柔道など習ってもしょうがないなどという雑音には耳も貸さず精進し、見事世界チャンピオンになった』」 続きものなのね、この辞書。

        古今亭錦之輔『ケータイ夫婦』。娘が携帯電話を忘れて出かけてしまう。なんとかそのことを娘に伝えようと、その携帯電話で娘の携帯電話番号を押してみたり、家の電話で娘の携帯電話に電話をかけてみたりと、トンチンカンな行為が続く。機械オンチの年寄りなら、案外やりそうなことだ。

        三遊亭小田原丈は、志ん朝師匠に手直しを受けたという『必殺指圧人』。池袋の『二ツ目勉強会』であとで感想を貰ったもの。秘伝時報のツボでおじいちゃんがハト時計になってしまう噺。これ、以前にも聴いた事があるがシュールな噺だよなあ。

        三遊亭白鳥はなんとネタおろし。「お盆ということもあって、怪談噺を作ってきました」って、白鳥さんが本当に恐い怪談噺をやるわきゃない。始まったのは『河童の手』という噺。チャランポランで酒好きの道楽息子が父親の使いで珍しい物、変わった物が好きな呉服問屋の旦那に、最近できた日本中から珍しい物を集めてきたという店に行って、何か贈り物を捜して来いと言われる。[珍たから堂]というその店で河童の手というものを手に入れる。その河童の手とは、三つの願いをかなえてくれる手らしい・・・。これは同じ三つの願いテーマ、W.W.ジェイコブスの『猿の手』を下敷きにしたと思われるのだが、主人公がウッカリとつまらない願いをしてしまうのが、いかにも白鳥風で爆笑もの。オチもよく考えられていて、白鳥さん、構成力がこのところ格段とついてきたよう。

        四連休の一日目が過ぎていく。四つの願いのひとつめは私は大満足であった。あとは三つ。


August.20,2003 いつもながらよく出来た脚本

8月10日 ハラホロシャングリラ
       『Miss』 (紀伊国屋ホール)

        これでハロホロシャングリラを観るのは3本目。劇団としてもついに紀伊国屋ホール進出だ。この劇団は脚本がよく出来たコメディを上演してくれるので、また行ってみようという気になる。

        今回のは結婚式場のトイレが舞台。新婦の友人たちが、披露宴で行う出し物の稽古をしている。新婦と新郎の出会いからプロポーズまでを、寸劇にして紹介しようと趣向。ところが、土壇場になってもまだ構想がまとまっていない。実はこの友人たちと新婦は、それほど仲がよかったわけではないということが、だんだんとわかってくる。

        100分の上演時間のうち、上の女性トイレの場面だけで50分。おやおや、今回は女性キャストだけでいくのかと思ったら、ちょうど半分のとろで暗転があって、今度は男性トイレということになる。こちらでも新郎の友人たちが出し物の稽古中。こっちもやっぱり出し物は新郎と新婦の出会いからプロポーズまでを寸劇にしようというアイデア。すっかり被ってしまった企画ず進行している。女性トイレでの稽古風景も笑いの連続だったが、男性トイレ側は、女性トイレでの伏線があるから笑いの要素はテンポもパワーも格段にアップする。本格的にしようと、新婦役をやる男が女装してきたことから話が、どんどんややこしくなる。それにつれて爆笑度も増していく。

        今回もよく練られたコメディになっていて、観終わった後の満足感も最高。過去の作品もぜひ観たい。再演してくれないかなあ。


August.16,2003 やっぱり芝居はナマにかぎる

8月9日 『阿修羅城の瞳』 (新橋演舞場)

        開演前にレッド・ツェッペリンが流れる新橋演舞場。あきらかにいつもとは様子が違う事態になっている。食堂ではいつもの幕の内弁当は売られておらず、千円以下で、おでんやら、寿司やら、ヤキトリ丼をセルフサービスで提供している。客席も若い人ばかり。

        一昨年の2000年版はDVDで観ているが、こういう芝居はやはりナマで観るべきものだろう。2001年版とは舞台がちょっと違う。手前側が客席に向って下り坂になっている。役者さんなどは立ちまわりのときに演りにくそうな気がするが、観る側にとってはこれは観やすい配慮でうれしい。

        キャストは主演の市川染五郎以外は総取り替え。(闇のつばき)富田靖子→天海祐希、(邪空)古田新太→伊原剛志、(美惨)江波杏子→夏木マリ、(十三代目安倍晴明)平田満→近藤芳正・・・。前回の配役はかなりアクの強いものだったので、今回はややさっぱり系のキャスティングに感じる。

        2001年版では古田新太が劇団☆新感線カラーを出していたが、今回は高橋聖子と橋本じゅん。ふたりとも役は割と小さいのだが、その存在感は圧倒的。この人たちが出てくると座をさらってしまう感じだ。特に後半にしか出てこない刀鍛冶・祓刀斎役の橋本じゅんは、この役を根本的に変えてしまった。どこかドラゴンロックを思い出させる役づくりで、客席を爆笑の渦に巻き込む。「刀はお友達!」には大笑い。

        脚本は前回と同じだが、ところどころ直しが入っていて、より良くなっている気がする。

        舞台装置も以前のものよりも豪華になっているし、衣装も変化した。鬼の目が赤く光るのもいい。照明がまたお金がかかっている。色使いがよくて、きれいだ。客席へ向けられた目晦ましライトも強烈。

        ネズミの着ぐるみを着た染五郎が鼠小僧のふりをすると、「鼠小僧は今、歌舞伎座に出ています。今確かめてきた」には爆笑。同時期、歌舞伎座では勘九郎が鼠小僧を演っているのだ。                


August.13,2003 大人計画伝染中

8月2日 大人計画 WOMEN`S LIV.
      『熊沢パンキース03』 (本多劇場)

        今流行りとも言える大人計画の芝居を観るのは、『春子ブックセンター』、『業音』、『ニンゲン御破算』に続いて4本目。もともとはテレビの『池袋ウエストゲート・パーク』、『木更津キャッツアイ』を観て、クドカンこと宮藤官九郎という脚本家の存在を知って、苦労してチケットを取ったことから大人計画の芝居を観るようになった。

        今回の『熊沢パンキース03』は、8年前に上演されたものの再演、しかも、『木更津キャッツアイ』の原型になったものとあっては期待も高まる。南の島でSARSを思わせる伝染病が発生し、そのウイルスを日本に持ちかえった人物がいるらしい。その感染者を捜しに、架空の街熊沢に、男がひとり調査にやってくる。感染した男がよく顔を出すらしいスナックに入るが、このスナックの常連客たちは、どこかみんなヘンな人たちばかり。やがて伝染病は、次々とその場の人たちに感染しはじめる。

        これで4本の芝居を観たわけだが、松尾スズキ作・演出の『業音』、『ニンゲン御破産』と、宮藤官九郎作・演出の『春子ブックセンター』、『熊沢パンキース03』では、明かにその世界が違う。芝居の弾け具合の基本的な部分は共通しているのだが、クドカンの世界は松尾スズキほどドロドロしてなくて、どこかさっぱりした味わい。

        『木更津キャッツアイ』の原型と言われても、かなり違うじゃん。地方都市の野球好きの仲間が、あるスナックにたむろしているという設定が共通しているくらいで、あとはまったくの別ものという感じ。それでも、役者の熱気が伝わってくる濃い舞台になっている。今年の夏はまるで暑くならないけれど、本多劇場の中は熱気でいっぱい。


August.9,2003 土用の丑の日は、ゆめうた

7月29日 池袋演芸場七月下席昼の部

        七月ももう終わろうとしているのに梅雨が明けない。この日は土用の丑の日だというのに猛烈な暑さは感じない。米は大丈夫なのだろうかと心配になってくる。土用の丑の日にはうなぎを食べる、それが日本の習慣。私も夕食にはうなぎの蒲焼を食べようと思っていた。そうだ、その前に大瀬ゆめじ・うたじのネタ、『このうなぎ、ヨウショク?』を聴こうではないか。調べてみると、うまい具合にゆめうたさんは池袋演芸場昼の部に出ている。これはもうこの日のネタは『このうなぎ、ヨウショク?』以外に考えられないではないか! 木戸銭を払って地下への階段を降りる。そういえば最近、定席に行っていなかった。前売りを買って落語会に行くのもいいのだが、こうやってフラッと寄席に入るというのも、これでまた楽しいものだ。

        前座は、秋に二ツ目昇進が決まった柳家り助『桃太郎』。話っぷりもすっかり安定してきた。頑張ってね。

        春風亭栄助は、上方ではポピュラーだが、東京ではあまり演り手のいないネタ『手水(ちょうず)廻し』だ。大阪では洗顔の水のことを手水というのだそうだが、東京では使わない言葉だ。それでも私でも手水場といえば便所のことだとわかる。便所を洗面所ともいうが、顔を洗うのと便所に行くのは同じ言葉か? 直接表現を嫌う日本人らしい言葉使いなんだろう。

        「最初に出たり助は前座、次に出た栄助は二ツ目、それで私からは真打です。私を含めて今まで出た三人のうちで、私が一番年下。噺家の高齢化現象がおきております」 柳家一琴の言うとおり、最近は四十歳を過ぎてから入門してくる人もいる。人生いろいろ。いろんな人がいる。いろんな噺家さんがいる。聴き手としては何歳で噺家になろうと関係ない。いい噺が聴ければそれでいいのだから。ネタはびっくりしたことに三遊亭白鳥・作の『アジアそば』。見知らぬ土地へ出張に来た男が、そばを食べたいと思っていると、インド人のそば屋が現れる。「私の店、創業元年。三代続いた老舗です」 「創業元年っていつ?」 「平成」 「それじゃあ、まだ十五年じゃないか!」 「おじいさんもおとうさんも、異人さんに連れられて行っちゃった」 「強制送還じゃないか!」 白鳥さんの手を離れても十分に笑えるこの噺、他の人にも伝えていって欲しいな。

        「今出ました一琴は小三治の弟子。私も小三治の弟子なんですね。小三治といえば古典派。同じ一門としてあのような新作を演るというのはいかがなものかと思いますが・・・実は私も新作落語なんです・・・」と柳家はん治『君よ、モーツァルトを聴け』。「『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』なんかどうだい」 「有馬暗いねマッチの軸?」 「いいかい、アイネはひとつのという意味だ。クライネは小さな。ナハトは夜。ジークはミュージック、音楽。夜曲、セレナーデということだな」 「ナハトが夜なんですかい? 私はクライネが夜だと思いますが?」 落語を聴きながらドイツ語も勉強できたぞ。

        アサダ二世は、いつもの決まり文句「私ね、きょうはね、手品やりますよ」と言っておいて、雑談のようなものが始まってしまった。「明後日、奇術協会の臨時総会なの。議題は何かというとね・・・」 おいおい、きょうは手品演るんじゃなかったの(笑)。でもこの雑談のような話が無類に面白いときているから、手品なんてどうでもよくなる。時間が無くなったのか、ロープの手品をそそくさと演って、風船を使ったトランプ当てを鮮やかに決めて終了。

        いつも漫談だけで降りてしまうことが多い林家しん平が、怪談噺を演ると言う。なにかと思ったら映画『呪怨』を落語にして演った。なにしろ私はこの映画をテレビ放映で観て、最初の三十分で、そのあまりの怖さにギブ・アップしてスイッチを切ってしまったというだらしなさだ。そのために、この映画のストーリーが今までわからないでいた。しん平さんのおかげで、ようやく全体が理解できた。感謝、感謝。

        しん平の熱演のあとに出てきたのは、ベテランの金原亭伯楽。「しん平さん熱気がありましたね。どんなものでも、その人が煮えたぎって演っているというのは、引き付けられるもんです」と持ち上げて、『火炎太鼓』へ。こちらも、どうしてどうして熱演だ。三百両で売れた太鼓の代金を五十両ずつ、おかみさんの前に積み上げてみせるところの様は圧巻だ。「お前さん、水を一杯おくれ!」 「オレだって水飲んだんだ。でも、お前の方が五十両早いよ! ほら、これで二百五十両だ!」 「お前さん、今夜一緒に寝よう!」

        仲入り休憩。冷房が効いた演芸場で過ごす夏の午後は、うなぎを食べる土用を忘れてしまいそう。食いつきで出た柳家三太楼、「少しばかり寒すぎるようですが、ちゃんとした温度の冷房をするとお客が寝ちゃうんですよ。どうか寒がってください」と、『粗忽長屋』へ。寝ません、寝ませんって。三太楼の噺は何を聴いても上手いから、寝ることはない。

        「今、この空間で働いているの、私一人っきり」と桂南喬。うふふふ、そう言えばそうだ。ネタは『七段目』。芝居好きで仕事もしないで芝居通いの若旦那、芝居好きが高じて店の小僧と芝居ごっこ。落語はやっぱり仕事なのかなあ。南喬師、楽しんでいるように見えるんだけどなあ(笑)。

        さあいよいよお待ちかねの、大瀬ゆめじ・うたじ。この日が土用の丑の日であることには触れずに、いきなりうなぎネタに入る。「高校生の女の子が、うな重を持ってきてくれたんで、『このうなぎ、ヨウショクだろ?』って訊いたら、『和食です』だって」 さあ、ここから「君の言うことは日本の食文化の伝統を一切無視したものだ」と、うたじのうなぎ蘊蓄話が始まる。聴いているうちにヨダレが出てくる。うーん、早くうなぎが食べたいぞう。

        これで寄席を出てうなぎを買いに行ってもよかったのだが、トリが橘家円太郎ときては見逃すわけにいかない。「世界水泳で世界新記録をふたつ達成した北島康介、私と彼とは同じ東京スイミングセンターで泳ぐ水泳仲間。もっとも私の倍くらいのスピードで泳いでいる。先日バーでホステスさんと話してたら、『あら、私も金ふたつ取ったのよ』 オカマだったんですね」 ネタは『百川』。クワイのきんとんを飲みこんだ百兵衛の「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ」と苦しがる様が可笑しい。

        池袋演芸場を出て、デパ地下に寄って、うなぎを購入。家に帰ってレンジでチン。冷やしておいた日本酒で一杯やって、うなぎを食べる。日本の夏、いいなあ。今夜のヨウショクのうなぎ・・・私のユウショク(笑)。 


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