September.21,2003 桜田寄席、二十五周年の心意気

9月20日 桜田寄席 (炭焼・桜田)

        『東京かわら版』をボンヤリと眺めているうちに、11月に予定している『落語とブルースのゆふベ』のチラシ撒きも兼ねて、五街道喜助さんが出ている浅草の『桜田寄席』に行ってみようと突然に思いついた。五街道喜助と柳家三三が出ている会。都営浅草線の浅草駅を降りて雷門を右にみて田原町方向に歩くと、左側に炭焼の店[桜田]は見えてきた。扉を開けると若い店員さんが「ご予約は?」と訊ねてくる。「いや、予約はしていないんですが・・・」と答えると、「予約のない方は今夜は・・・」と入店拒否されてしまう。仕方ないと、「それでは喜助さんに挨拶だけしたいんですが」と言うと、裏に廻ってくれとのこと。外に出て裏へ行くとこの店のご主人らしき人が立っていた。

私「あのー、喜助さんに挨拶だけでもしたいんですが」
ご主人「(喜助さんは)もう出番だから、あとにしてください」
私「では、ここで待っています」
ご主人「待っているって、喜助さんは長い噺を演ると言うから四十分以上かかるよ」
私「そうですか。仕方ないですね、ここで出番が終わるまで待っています」
不信顔のご主人に、
私「予約無しで今日突然に来たのですが、予約が無い方は入れないと断られてしまったのですが、喜助さんに用があったものですから・・・」と言うと、ご主人は「断られた?」と先ほどの若い人を呼んで、何か話をしている。その結果、何とか積めこんで入れてもらえる位置を確保してもらえることになった。

        店の一角に高座が作られていて、それを取り巻くように、お客さんが二十名ほど。積め込めばもっとお客さんを入れられそうだと思うのだが、見やすい位置のみにお客さんを入れようという配慮なのか余裕を持った入れ方だ。言われた位置に座ると、松茸ご飯と味噌汁が出される。プーンと松茸の香りが漂うご飯をいただく。味噌汁は蕪と豆腐。ちょうどお腹が空いていたところ、旨い旨い。

        ご主人の挨拶。この会も二十五周年を迎えたとのこと。二ツ目の噺家さんふたりを呼んで二ヶ月おきに行っている会だそうだ。頭が下がる。こういう会が新しい噺家さんを育てているのだろう。

        五街道喜助が炭焼の台を即席に高座にしたものに上がる。もうひとりの出演者柳家三三がまだ到着していないとのことで、長めのマクラを入れるらしく、師匠の雲助との事を話しはじめる。「入門して、毎朝師匠のうちに行くと、いつも師匠はいなくなっちゃうんですね。初めての弟子と言う事もあるんですが、うちの師匠というのは人と話すのが苦手なんですね。私と話すのが恥ずかしかったらしい。八時に私が行くと、師匠はジムに行っちゃう。私が寄席に前座の仕事に行くまでジムにいるんですね。だからあのころうちの師匠、痩せていい身体をしていた」 「師匠に怒られたということも無かったですね。何も言わない師匠なんです。察してくれという事なんです」と、一度前座時代にしくじりをした時のことを話し始めた。東松山での師匠の会に一緒に行くときに、師匠の着物を持っていくのを忘れてしまったエピソード。これがはたで聴くと爆笑ものの話なのだが、詳細はあえて書かない。このあと、説教もせずに師匠がスッと三千円を出したという。何かと思って師匠を見たら、「坊主にするんだよ!」と言ったという話は真実味がある。長いマクラのあとに『妾馬』に入る。喜助の『妾馬』は、八五郎が変わっていくところもいいが、何と言っても殿様がいい。品があって爽やかさが漂う殿様だ。この噺に私がいまひとつ納得がいかなかったのはこの殿様の造形。いかに殿様に見初められたからといって、自分の妹を殿様に妾として差し出すという八五郎郎の心情は心底納得がいくとは言えない。しかし、これほどの加山雄三の若大将のような人物ならばすんなりと納得するではないか。この殿様を作り出したことに拍手を送りたい。桜田寄席二十五周年にふさわしいめでたい噺となった。

        はたして柳家三三は到着しているのかと心配になったが、問題なく到着済み。「六時十五分大船を出て、七時二十分にこちらに着きました」 只今、七時四十分。なあんだ、二十分も前に着いていたんだあ。「喜助さん、いつまで演っているんだと思いましたよ。今、そこですれ違ったときに、『ありがとうございました』と挨拶したら、温厚な人なんですね。無言でした」 なんで遅れたのかというと、大船の栄光学園での学校寄席に出ていたとのこと。「落語を静かに聴いて、よく笑ってくれる学校ほど偏差値が高いですよ。普通、学校寄席にかけるネタというのは、『子ほめ』とか『初天神』といった笑いの多いものに決まっているんですよ。それがこの学校のネタ帳を見ると、あたしが『釜どろ』で、喜多八師匠が『かんしゃく』だったりする。こんな噺、滑るとクスリとも来ない噺ですよ。それがドッと笑いが来る。『死神』だとか『錦の袈裟』までかけてる」 うーん、いい学校だなあ。学校で廓話なんて、粋じゃないですか。それが本当の教育ってもんじゃないかなあ。ネタは何にしようかまだ迷っているとしながら『崇徳院』へ。どこの誰ともわからない女性に恋煩いをした若旦那の代りに、相手を捜す熊さんの描写に、前の方に陣取った若い女性たちから笑いが巻き起こる。サゲまで辿りついて、盛大に拍手が上がった。

        終演後は、桜田の炭焼。囲炉裏の炭を起こし、ねぎ間の焼き鳥、つくね、えのきベーコン巻き、里芋、椎茸、ピーマン、生揚げなどを焼いて食べる。飲み物は飲み放題。喜助さん、三三さんも現れて落語楽屋話で盛りあがった。噺家さんふたり、それに食事に飲み放題となると、おひとり様四千円は安すぎはしないか? 若い噺家を育てようという店主の心意気に再び頭が下がる思いがした。江戸っ子だねえ、ご主人!!


September.20,2003 マクラ七十分!

8月30日 柳家小三治独演会 (志木市民会館 パルシティホール)

        志木というところに来るのは始めての経験だ。江戸半太くんには駅から会場まで徒歩15分かかると言われていたし、チケットにも徒歩17分とある。駅からバスも出ているというので、それに乗ろうとしたら、ちょうど発車してしまったあと。次のバスまでは15分くらいある。歩くか。スタスタと早足で歩いたせいもあるのだが、あらあら10分もかからないで市民会館まで来てしまった。志木市民会館は想像していたよりも小さな会館。普段、小三治が独演会を開く会場としてはいくらか小さい感じ。

        柳家三三は最近の若い女性の言葉使いが曖昧だという。「『私、落語、好きなんです、みたいな?』なんて言ってますでしょ。今に電車の中でのアナウンスも、『次は志木?』なんて言い出す、みたいな?」 そんなマクラをふって、曖昧どころかまったく理解できない大阪弁を聞かされて苦労する『金明竹』へ。

        柳家小三治、一席目。「あんまり夏がひどいとね、翌年に引き摺りますね」と健康の話を始めたのだが、それがなぜか40代から夢中になってしまったオートバイのことに逸れていってしまう。オートバイは車体を寝かさないと曲がれないんだとか、サーキットは平らだが実はデコボコの穴が開いていて、溝はレース場にあり、レース用のオートバイのタイヤは丸坊主なのだといった事を語っていく。その途中で気がついて「オートバイの話をしようと思ったんじゃなかったんだ」と軌道修正。

        「同じ世代の人が櫛で梳かれるように亡くなっていく。小沢昭一の言うように、五十過ぎたら順不同ですよ。去年、私の師匠柳家小さんが亡くなりました。親が亡くなって始めて自分といものがわかる。親が死んだときに自分が天涯孤独なんだと思うんですね。・・・・・師匠には迷惑をかけてはいけないと思っていました」と、自分がどこかの落語会のマクラで、上野の山の西郷さんの下の石段がイラン人の溜まり場になってしまった事を話したという話が始まる。「30代〜40代の働き盛りのイラン人が何十人と固まって道を塞いでいる。人の家に土足で上がり込んでいいのだろうか。受け入れられた方も楽しい、私も楽しいということがあってのことだと思うんです・・・・・というような事を言ったんですね。それをたまたま客席で聴いていたある大学の教授が、師匠の小さんに投書してきた。これは人種差別だと言うんですね。それは、人の言った言葉のアヤを掴んで揚げ足を取るようなものですよ。差別は嫌いだ。身体障害者という言葉も嫌いだ。その名前自体が差別だ。人間として生まれて障害者じゃない人なんていないよ。自分は障害者じゃないという人がここにいたら立ちあがってもらいたいものだ・・・・・その人は脳に障害がある(笑) それで、師匠がどういうことだと言うので、みんな仲良くしなければいけないけれど、土足で踏み込むようなことはしちゃいけないと言ったんですと答えたら、『だからな、そういうことは言わなきゃいいんだよ』だって。正に小さんでしょ。うっ、師匠カワイイ、と思っちゃった」 「その前の夏が志ん朝さんでしょ。さらにその前の年は枝雀。ちょっとっつ、いなくなるじゃないですか」

        と、なんとも気落ちしたような表情を見せたところで、いよいよネタに入るのかと思ったら、これだけでは終わらなくなってしまった。一緒にスキーに行く約束をしていた作曲家の中田喜直さんも死んだという話から、またもや『ラジオから生まれた歌』というCDの話になり、小三治の初恋を語る『山の煙』、母との愛憎を語った『麦踏みながら』を長々と語る。クライマックスは最初は気に入っていた『花の街』や『森の水車』が嫌いになり、結局『あの人とっても困るのよ』の単純な歌詞が気に入ってしまったという話。小三治の歌うのを必死で書き取ってみたら、こんな歌詞。「♪あの人とっても困るのよ 本を開けば本の中に こっそり姿を現して 散歩散歩と誘ったりする だからママに叱られるの いったいどこを読んでるの」 これが一番で、四番まであるのだが、それを気持ち良さそうに歌っていくのだ。「年頃15〜6歳の若い女性なんでしょうね。本を読んでいてもカレシの事が忘れられないでいる様なんでしょう。散歩散歩と誘ったりするなんていうのは時代ですねえ。今ならホテルホテルと誘ったりするのかもしれませんが・・・」 もう小三治の独壇場と化してしまう代表的なマクラになってきた。どうやら演るたびに内容は少しずつ変わるようで、以前に聴いた部分が抜けていたり、新しく聴く話があったりで、もうネタに入ることなど、こちらもどうでもよくなってきてしまう。

        結局一席目のマクラは七十分。小三治は額の汗を拭うと、「ではお待たせしました。開演でございます」と『あくび指南』に入る。さすがに70分のマクラはこちらの身にも重かった。揺れるともなく身体を揺らして舟遊びをする男があくびをするという指南所の師匠の夏のあくびの仕種に合わせて、こちらもウツラウツラ。「マクラもいいが、こうやって長いこと聴いてると、ネタに入ってからが、疲れてしまって、ふわーっ」

        仲入り後に、また柳家三三が出てくる。高座に座布団が敷いてないと思ったら、膝がわりの踊り。「また、長い後半の始まりです」と、踊りは『こうもり』

        柳家小三治、二席目はマクラもなく、スーッと『猫の災難』へ。小さんの『猫の災難』も大好きだったが、小三治のも負けず劣らず面白い。小三治にかかるとこの噺も五十分のものになってしまうのだが、酒を呑んでしまう熊公のモノローグも面白いが、今回は兄貴分の方も面白く感じられた。「オレの性格、知ってるだろ? 一遍その日は鯛と思ったら、にゃにがにゃんでも鯛だ!」 猫が乗り移ってるうー! 

        この日の夜は友人たちと納涼黒澤明鍋をやる約束だった。黒澤明鍋というのは私の命名したもの。お湯を張った鍋にそばがきを入れて、そば汁で食す。その後、蕎麦湯状態になった鍋で豚シャブ(こちらのつけ汁もそば汁)をやるといった趣向。終演が四時四十分。慌てて東武東上線の駅まで急ぐ。おーい、みんな待っててくれよー! ボクが戻るまで、用意した酒全部呑んじゃうんじゃないぞー! 隣の家には猫はいないからなあー!


September.7,2003 薄い客?

8月23日 浅草東洋館八月下席

        半年前に観た東洋館の『前田隣のニコニコ大会』は、前田隣の調子が悪かったそうで今ひとつの出来。その後体調を崩して入院までしたとか。隣さん大丈夫だろうか? 半年ぶりに様子を観に行くことにした。

        昼をちょっと回ったころ、高座には派手な衣装の寒空はだかが立っていた。「中島みゆき、NHKへの貢献度高いですからねえ、今年の紅白出るんじゃないでしょうか?」と、『ひょっこりひょうたん島』を『地上の星』のメロディで歌う。「♪波の上のガバチョ 雲の上の博士 みんなどこへ行った ひょうたん島はどこへ行く・・・」 締めは例によって『東京タワーの歌』。30人くらいお客さんが入っているのだが、あまり笑いが起らない。重いお客さんなのか、あまりの芸風に戸惑っているのか・・・。

        姉妹漫才のニックス。「ヤクルト・スワローズのファンなんです。1勝するとひとりで祝杯あげるんです。立ち飲みはしません。ヤクルト座ろうズっていうくらいですからあ」 妹のトモちゃんの田中邦衛のものまねも可笑しいのだが、ここもお客さん重いー。

        シリアルパパは、銀行にお金を借りに来た男と行員のコント。「あんたのところは、自転車操業じゃないですか」 「いや、うちのは水上歩行操業っていうの。左足が沈まないうちに右足を上げるの。それで右足が沈まないうちに今度は左足をあげるの」 「だいたい、あんたのところは使途不明金が多すぎますよ。何に使っているんですか?」 「交際費。去年は500万円使った」 「何でそんなに使うんですか?」 「だって一回食事するだけで3万円」 「援助交際じゃないの?」

        まったく東洋館というところは、どんな芸人が出てくるかわからないのが面白い。次は天坊福丸という歌手。美空ひばりの歌を気持ち良さそうに歌っていく。『私は街の子』 『東京キッド』 『ひばりの花売り娘』 『港町十三番地』 さらには『東京ブギウギ』、江利チエミの『新妻にささげる歌』。美空ひばりはかなり似ている。もう本人に成りきって歌っている感じ。

        23区という、これまた初めて観る漫才。「コンビ名を何にしようか、いろいろ考えたんですよ。衆議員・参議員とかね」 「タスキかけてやれとか言われて」 まだまだこれからといった感じ。頑張れー!

        なかなか円楽一門を観る機会がないと思っていたのだが、ここで三遊亭好太郎を観ることが出来た。ネタは『親子酒』。ばあさんをおだてて酒を出させる親父の様子がいい。

        東京ボーイズはいつもどおり。ワイアン(ハワイアン)を歌うと言い出す五郎さん。ウクレレ担当の八郎さんに「伴奏してくれよ、ウクレレってハワイの楽器だろ?」 「演歌しかできません」 しかたなく三味線の六郎さんに「三味線でハワイアン弾けよ。客席に新聞記者がいるかも知れない。明日の新聞に載るかも知れないよ、写真入りで。黒枠つきで」 「死亡記事じゃないか!」 東京ボーイズにかかると、この三味線が妙にハワイアンに合うから可笑しい。

        仲入り後は立川談幸、漫談のみ。中高年の夫婦の会話がいかにもありそう。「お茶!」 「お茶がどうしたの?」 「淹れてくれよ」 「淹れてくださいって頭下げるものでしょうよ」 「じゃあいいよ、自分で淹れるから」 「それなら、私のも淹れて」

        浪曲漫才の大空なんだ・かんだ。『新相馬節』の口三味線ネタやら、英語で浪曲を演るネタなど、いつものやつ。「♪うがい手水に身を清め」が、英語になると「マウスクリーニング、トイレット、シャワーでクリーニング」って、いかにも怪しい(笑)。

        一人コント・モロ師岡『棚作りスーパー定年マン』。定年退職して暇を持て余しているいる男の趣味は棚作り。困っている人を助けてあげることに生きがいを感じている。そんなある日銀行に行くと・・・・・。別にモロ師岡だけに限ったことではなく、この日のお客さんは笑いが少ない。最高時で40人を超えているのだが、大声で笑うのを避けているよう。決して楽しんでないわけじゃないのだが。

        立川左談次が、最近の若い女の子のファッションについて語る。「お腹を出している子が多いですね。ヘソ出しルックってんですか? お腹冷えゃいますよね。お腹冷やす前に、お前の頭冷やせ!」 ネタは『短命』。ひょっとして私がこの人の古典落語を聴いたのはこれが初めてかも知れない。いつもこの人は『読書日記』ばかり当る。

        トリは前田隣真木淳のコント。前田隣が温泉旅館に泊まりに来た客、真木淳は中居、番頭、女将、按摩の四役。混浴の露天風呂と喜んで来てみると、キツネとコンコン混浴風呂だったり、特別料理を頼むとトリとカブトムシの和え物[トリカブト]だったりというギャグが散りばめられていて、可笑しかった。でも、この日のお客さんあんまり笑わないんだよね。

        翌日、前田隣のホームページの日記を読んでみると、この日のことは、「客が薄い。しかもあまり笑わない。現金の客が多いといつもこうだ」とある。あのー、ボクも招待券じゃなくて金払って観たんだけどなあ。前回に続いて前田隣との相性悪し。また出直しますか。


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