October.27,2003 抱腹絶倒・四字熟語
10月19日 池袋演芸場十月中席
池袋演芸場の前に着いたら、午後三時を回っていた。木戸銭を払う入口にはモニターが置かれていて、現在誰が出ているかわかるようになっているのだが、見上げてみると誰も映っていない。どうやら昼の部の仲入り時間のようだ。入ってみると日曜日とあって客の入りはいいようだ。
三遊亭遊之介は、いつものマクラ。居酒屋の冷奴の話。そして、師匠や先輩に寿司屋に連れて行ってもらったときのマナーの話。「このネタだけは絶対に頼んじゃいけないというのがあるんです。値段の高いものですね。ネタのアタマに、あいうえおが付くものは頼んではいけません。あ・・・あわび、い・・・いくら、う・・・うに、え・・・えび、お・・・おおトロ。頼んでもいいものはといいますと、下に[り]が付くもの。がり、しゃり、あがり、おしぼり、おつり、昨日の残り、それで寿司屋が『毎度あり』」 寿司じゃなくて、噺のネタは『長短』。技ありの結構な味でございました。
春風亭柳橋は、もう秋も深まったというのに、真夏の噺『青菜』。植木屋さんが、鯉の洗いの下に敷いてある氷を箸でチョいと弾いて左の掌に乗せ、口に運ぶ仕種が何とも粋に見えるのがいい。
ボンボンブラザースのヒゲの繁二郎さん、いつものように鼻の頭にコヨリを立てて客席まで乱入。上手の階段を降りて、一番前の席の通路を下手へ。衝立のうしろを通って下手の階段を上がる途中でこけてしまった。いつか客席一周が観てみたいなあ。
昼の主任は春風亭柏枝。生まれも育ちも、今住んでいるのも茨城県の古河市。「電車でここまで一時間十五分。往復で二時間半の通勤時間。それで、労働時間が二十分」 ワリをいくら貰えるのかわからないけれど、採算は合うのかなあ。ネタは『干物箱』。茨城弁のカケラも無い、歯切れのいい江戸っ子言葉だ。
昼の部が終わったところで、お客さんがゾロゾロと出て行ってしまう。日曜日はこれだからなあ。結局夜の部のお客さんは二十人程度。
「前座でございます。オマケでございまして、しょーもない噺をして、引っ込もうかと思ってまして」と、笑福亭和光が話し始めたら、客席のオバチャンが「頑張って!」と声をかける。「ありがとうございます。それでは師匠がラジオで演っていた小噺をひとつ。『おかあちゃん、どうして、私は一人っ子なの?』 『あんたが、なかなか寝ないからだよ!』」 こうして前座噺の定番『子ほめ』に入ったのだが、上方落語版なので、普段東京で聴くものと、ちょっと違う。オチまで違う。しかも宇都宮出身なのに大阪弁。おかしいくはないよな、上方落語を習っているんだから。
「頑張っていきまっしょ」 桂快冶がいつもの第一声から『狸の札』へ。元気があっていい。
番組表にはこのあと宮城けんじが出ることになっていた。あのかつての名コンビWけんじの宮城けんじだ。ところが出てきたのは若倉健。「プログラム見ても出てません。宮城けんじさんの替わりです」 宮城けんじさん、どうしたんだろう。ちょっと心配。「寒くなってまいりましたね。私、大阪から出てきた人間なんですけど、東京と大阪では温度が違う。どのくらい違うかわかりますか? (客席を見回して)、東京音頭と河内音頭」 お客さんの数は少ないけれど、ギャハハハハという笑い声で一杯になる。「それじゃあ東京と山形ではどのくらい違いがありますか? これに正解されますと、池袋演芸場の方から、カラーテレビと、電子レンジと、冷蔵庫のみっつ・・・・・・・に差し込めるコンセントを差し上げます」 客席から「花笠音頭!」の声。「残念でした。正解は真室川音頭でした。真室川音頭と言われれば、正解は花笠音頭って答えることになっているんですけどね」 いつもの、石原裕次郎、小林旭、渡哲也を演って、高倉健へ。「最近、高倉健とキム・ジョンイルが同じ二月十六日生まれだということを知りました。ふたりの好きなもの、高倉健が天丼、キム・ジョンイルがテポドン。似ていますね」
山遊亭金太郎は『肥かめ』。汚い噺だよなあ。アツアツの炊きたてのおまんまを、焼き海苔で食べるところが美味しそう・・・と言っていいのかどうか(笑)。よっぽど猫舌の男らしく、ハフハフ言いながら食べている。でも中から新聞紙のカケラが出てくるって・・・・どういう炊き方をしたものやら。
男ばかりの寄席の高座に神田陽子が出てくるとパッと明るくなる。「(私のこと)いくつだと思っているんでしょ? 私、今年で芸暦二十五年なの。そう、三つで入門したのよ」 ネタは『勘助島の由来』。
東京ボーイズの八郎さんが客の数を数えてる。「2、4、6、8・・・・」 すかさず五郎さんが「数えるな!」 「このくらいの人数がいいですね。(最前列の若者に)きのうも来てましたね。すべての人の顔が憶えられる」 ネタはいつもの『故郷』コーラスに、『静かな湖畔』輪唱。
桂歌若は『四字熟語』。四字熟語のテストで0点を取ってきた息子と、その父親の会話で四字熟語のテストのおさらいが始まる。「自分の利益だけで生きること。うーん、これは私利私欲だな。お前は何て書いた?」 「鈴木宗男」 「常識では考えられない出来事。これは不可思議だろう。お前は何て書いた?」 「阪神優勝」 「厚かましくて恥知らずなこと。これは厚顔無恥。お前は?」 「藤井総裁」 「自分だけが正しいと思い込んでいる奴。これは唯我独尊だ。お前は?」 「ブッシュ大統領とキム・ジョンイル」 「漢字ですら無いだろう!」
ここまで観て、次の予定があったので池袋演芸場を出ることにする。考えてみると実に久しぶりに定席を観たことになる。もっとちょくちょく来なくちゃな。
October.19,2003 雨のち晴れ
10月13日 柳家小三冶独演会 (アミューたちかわ大ホール)
中央線快速が立川駅に滑り込む直前から強い雨が降りだした。南口駅前に掲示されていた地図を頼りに雨の中をホールへ向かう。徒歩13分というから、そろそろだと思うころ、道は寂しい方向になっていく。空では雷まで鳴り始め、傘を差しているというのに足元はずぶ濡れ。本当にこの道でいいのだろうかと不安になりはじめたころ、アミューたちかわは目の前に現れた。
まずは柳家三之助が『浮世床』を。本、夢で約30分。たっぷり!
柳家小三冶、一席目。「昨夜、空を見たら、真っ暗な空なのに明るい。星もたくさん出ている。『明日はいい天気かな?』と思ったら、『長短』っていう落語を思い出した。『きのうの夜、はばかりに行って、しょんべんをしようと思って、ふと空を見たら、空が真っ赤だった。ことによると、明日は雨かなあと思ったら、ほうらみねえ、やっぱり雨が降った』というくだりがあるんですがね・・・。この分じゃあ、お客さんはいらっしゃらないだろうと・・・(満員の客席を見渡し) どうも、よくいらっしゃいました」と、あまり長いマクラもなく、『道灌』へ。『道灌』はよく前座噺としてかけられるものだが、小三冶は今でもよくかけるようだ。ご隠居さんと八っつあんの会話が面白い。「江戸城はもともとは大田道灌公が作ったものだ」 「なあんだ、徳川さんは大田さんから買ったんだ。買い叩いたんでしょうね?」 「なんだ?」 「いえやすってくらいだから」
仲入りのあとの二席目。プロ野球のことをマクラに。ヤンキースの松井のことから日米の野球の観賞の仕方の違いについて語る。「なぜ日本のプロ野球を見に行かなくなったかっていうと、応援がうるさいからですよ。大リーグの野球は何回か見に行っていますがね、アメリカの野球って、その土地のチームのファンしか来ない。メッツならメッツのファンしかいないんですよ。だから自分のホームチームの選手がホームランを打つと大歓声ですよ。反対に相手チームの選手がホームランを打ったって、シーンとしているだけ。大差で自分のところのチームが負けたりしていると、観覧席でビニール風船膨らませて遊んだりしていて、ゲームなんて見ていない。これって、自分のところがよければ何でもいいっていうアメリカ人の体質なんですかねえ」 やがてマクラは相撲に移る。「相撲も変わりました。どうして国技館かねえ。万国旗立てればいいのに。もう日本人だけじゃないでしょ。無理に朝青龍なんて名前にしなくてもいいんじゃないの? 蒙古山でも荒蒙古でもいいじゃない」 このマクラどうなってしまうのかと思ったら、国技館のあった蔵前という地名の説明が入り、そこから蔵前の大店の隠居が隠居して根岸の里に移るという『茶の湯』に入る。定吉の「(青きな粉とムクの皮で立てた茶を)毎日『風流だ風流だ』と腹下してばかり。誰か呼んで腹下させましょーよ。嫌ですよ、あたし、いつまでも一人、血祭りに上げられるなんて」という言葉で、「たまたま家の前を通りかかった罪の無い人まで引き込んで」の血祭り。いつ聴いても可笑しいんだよなあ、この噺。自分だけがよければ何でもいいっていうアメリカ人への小三冶なりの皮肉りなのか? アメリカ人は聴いてないよなあ。
外に出ると、さっきの雨は嘘のような青空。なんでも日本の気象庁はただの低気圧と思っていたものが、アメリカ軍によると熱帯低気圧、つまり小型の台風だと見ていたようだ。帰りの中央線はこの天気のために運休があいつぎ、超満員の大混乱。アメリカも自分だけよければいいってことだけでもないようで・・・。日本の気象庁も他人の意見は聞いた方がいのかも知れないよ。
October.18,2003 文楽初体験
10月5日 文楽 (パルテノン多摩・小ホール)
文楽というものを観たことがなかった。少々敷居が高い気がして、ついつい敬遠していたのだ。それが知り合いの人から、「文楽を観に行きませんか?」とのお誘いを受け、観てみようという気になった。これなんだなあ。ちょっと興味はあっても、自分からチケットを買ってまで行こうという気にはなかなかなれないもの。世の中、寄席という存在には興味があっても、なかなか自分から行ってみようという気にはなれない人が多いようだ。一度足を踏み入れてしまうと、案外夢中になってしまうものだったりするのだが。
パルテノン多摩は大ホールの方へ一度コンサートを聴きにいった経験がある。多摩センター駅でアイスコーヒーを飲んで一服してから、記憶にある坂を登って行く。パルテノン多摩へ続く広い道路では大道芸人がパフォーマンスを演っていたりして、いい雰囲気。受付でチケットの半券を切ってもらって会場内に入ると、中は満席。
正面に舞台があるのは当然だが、上手に、[床]といわれる太夫(浄瑠璃語り)と三味線弾きが座る空間が、客席の一部を改造して設けられている。もっとも下手の前から三列目という位置のチケットだったので、この床を見るには、真横を観なければならなかった。
この日の公演は、本編に先立って文楽の解説が入った。これはありがたい。初心者の私としては、これは助かった。太夫の役割、三味線の役割の解説。太夫が夫だとすれば、それを助けるのが三味線弾きの役割だと、例を挙げて演ってみせてくれる。おあとが人形の遣い方。文楽の人形は三人で操るなんてことすら知らなかった。首と右手を担当する人、左手を担当する人、足を担当する人の三人が必要なのだということが解りやすく説明される。文楽は観たことがなかったけれど、文楽の人形が動くところは観ている。宇崎竜童、ダウンタウン・ブギウギ・バンドが演った『曽根崎心中Part2』である。DTBWBがバックでロツク・オペラのような演奏をしている前で、文楽の若手の人形遣いが演じてくれた。あのときは、文楽人形に関する知識がまったくなかったから、人形のうしろに何人もの人間が付いていても、それぞれの役割がわからなかった。やっぱり初心者にはこういう解説は必要だ。
続いて、吉田蓑太郎改め三世桐竹勘十郎襲名披露口上がある。太夫のひとりが大きな名前を継いだようだ。寄席の冗談まじりの口上とは違って、あくまで真面目におごそかに進んでいく。
いよいよ始まった最初の演目は、『絵本太功記』から、『夕顔棚の段』と『尼ヶ崎の段』。明智光秀が主君織田信長を本能寺の変で殺したあと、豊臣秀吉に滅ぼされるまでの間の出来事を物語ったもののうち、最も有名なところとのこと。登場人物も織田信長→尾田春長、明智光秀→武智光秀、羽柴秀吉→真柴久吉と名前は変えてある。史実を元にしてはあるが、フィクションだということなのだろう。なにせ観ていて、「そんなことはないだろう」と突っ込みをいれてしまいたくなるような場面の連続である。光秀の母さつきは、主君を討った息子に怒りを感じ家を出て別居してしまう。そんな母の落ち着き先の家の様子をそっと窺う光秀。そこへ旅の僧が宿を求めてやってくる。さつきは僧を泊めてやることにし、風呂に入るように勧める。光秀は、この旅の僧が実は久吉だと見抜く。光秀、庭の竹薮から竹を一本引き抜き(竹なんて簡単に引き抜けないって!)、刀でスパッと斜めに切り目を入れて竹槍を作る。それがあんまり鋭そうでないから、これじゃあ猫すら刺せそうにないのだが・・・。家に飛び込んだ光秀、障子の隙間から竹槍を突き刺す。相手の位置も確かめないで盲滅法に槍を刺すというのは武士とは思えない行動だと思うのだが・・・。案の定言わんこっちゃない。久吉を刺したと思ったら、相手は光秀の実の母のさつき。盲滅法に刺した竹槍が上手く人に刺さっただけでも奇跡に近いが、普通、戸を開けて、相手と相手の位置を確かめてから突き刺すだろうになあ。なぜ、さつきが久吉の代わりに風呂に入っていたかというと、久吉の身代わりになって死に、主殺しの罪深さを息子にわからせようとしたというのだが・・・。なんともまあ、そんなことで自分の命を絶つものかねえ。腹に竹槍を突き刺されたさつきは、そのことを打ち明けるのだが、そんな重症だったら横になって倒れていて、話も出来る状態にないだろうが、座って話を続けている。無理だって! しかも、周りの者は誰も介抱しようとしないのだ。
なあんてことを思いながら、ときどき、うつらうつらと眠りの世界に入りそうになりながらの鑑賞であったが文楽人形の操りは、やはり見事。人形の顔が小さいので顔の動きが観ずらいので、舞台との距離も短いのに、ときどきオペグラスで人形の顔を確認。何頭身あるんだろう。もう少し頭を大きく作ってくれたらいいのになあ。
もうひとつの演目は、『釣女』。床には三味線弾きが数人並び、曲調も華やかになる。太夫も四人の登場人物ひとりひとりに役割が振られ、『絵本太功記』よりは取っ付きやすい。内容も笑いの要素が強く、気軽に観られる感じ。独身者の大名と太郎冠者が、妻を授けて欲しいと恵比寿様に願をかける。すると釣竿がひとつ出てくる。大名が釣竿を投じてみると、「♪小野小町か楊貴妃か〜」という美女がかかる。さっそく祝言だとその場で契りの儀式。三々九度で祝うのだが、その盃の大きなこと。盃といよりはお盆。相撲取りの優勝祝いじゃないんだから! それならと今度は太郎冠者が釣竿を投じてみると、かかったのは「♪フグに等しき醜女ゆゑ〜 よは鬼か化け物か〜」 そんなに言うこともない(笑)。アハハ、アハハと笑っているうちに終わってしまった。それでも人形遣いも太夫も三味線弾きもクスリともせずに無表情で淡々と自分の役割を続けていく。もっと楽しそうに演ってもいいのになあ。うーん、それが古典芸能といものか・・・。
突っ込みを入れたいところは他にもいろいろあるのだが、正直言って、文楽がこんなに面白いものだとは思わなかった。人形の動きを追っているだけでも、その表現力の巧みさに圧倒されっぱなし。この夜、床に入ったら、文楽の人形がたくさん出てくる夢を見た。
October.12,2003 酔いざましの落語
9月29日 早朝寄席 (鈴本演芸場)
鈴本の受付には本日の出演者が並んでお客さんをお出迎え。先月、かわさきFMで遇った桂笑生さんもいる。「かわさきFMではどーも」なんて挨拶をしているところに、五街道喜助さんも現れる。しばし立ち話をしてから客席に上がる。二ツ目さんばかりの落語会だが、開演前にあたりを見回すと、ざっと4〜50人のお客さんが入っている。案外、落語の未来は明るいのかもしれない。
まずは金原亭小駒が高座に上がる。師匠の金原亭伯楽、吉原朝馬、ニューマリオネットと一緒に北海道に営業に行ったというマクラ。「最後に大喜利をやろうということになりまして、今回演ったのが、都々逸の廻しっこという企画。ところが師匠も私も三味線がそんなにうまくはない。唄おうとすると三味線が止まる。三味線を弾こうとすると唄が出ない。仕方ないから、師匠が唄うときは私が三味線を弾く、私が唄うときは師匠が三味線を弾くといった具合でして・・・。お客さんの前で稽古しているようなもんで・・・」 落語もいいけど、一度小駒さんの三味線も聴いてみたいものだと思っていると、噺に入っていた。この日のネタは『浮世床』。ぐっすり眠っていた男が起こされて、オツな年増に惚れられたという話を始める。「(その年増が)スーッと布団の裾から入ってくる・・・・・誰だい、そのとき『半ちゃん、ひとつ食わねえか』って言ったのは!」 この男は色気より食い気なのかなあ。私だったら・・・・。
鈴々舎風車は『そば清』。テレビで評判の大食い選手権の、初代みたいな噺。この噺、そばっ食いの清さんが明るいのがいい。「どーもっ!」という[も]にアクセントがくる挨拶が楽しい。そばの大食い、そば清さんだとは知らない男が、いくら食べられるか賭けを持ちかける。ペロリとたいらげてしまうので、今度は「(せいろ)二十食べたら、三両やろう」と持ちかける。「二十なんて数、私死んじゃいますよ」 「死んじゃいなさい!」 このあと五十までの賭けに発展するのだが、そんなに食えないよなあ。うちの店にも清さん来てくれないかなあ。うちは大儲け(笑)。
鈴本は古今亭菊之丞の真打昇進披露興行中。高座の上にはさまざまな披露目の品物が乗っている。五街道喜助は、「披露興行中は手の空いている二ツ目も呼び出されてお手伝いするんですが、楽屋には酒が置いてあって表立って酒が飲める。今朝出る四人のうち二人は酒臭い。どうも披露目太りになりそうで・・・。下手の衝立が邪魔になるので、取っ払ってますでしょ。客席上手の前の方のお客様だと、二ツ目が太鼓を叩いているのが見えるはずです。中にはビール片手に太鼓叩いている奴がいたりして・・・」 ネタは『犬の災難』。さすがは古今亭一門、猫を犬に、鯛を鶏に置き換えた『猫災』の別バージョン。男がひとりで酒を飲んで呂律が回らなくなるところは、酔いの残っている喜助の本当のところだっりして。
どうやら酒臭いのは喜助と、トリの桂笑生らしい。前夜は三時まで呑んでいたとかで、涙目状態。それでも、『粗忽の使者』に入るや、どうしてどうしてしっかりと話してみせるんだから、さすが。
鈴本を出たのが十一時半を回ったところ。実は私もこの日はいささか二日酔い状態だったのだが、落語を聴いているうちにスッキリしてきた。と同時に猛烈に腹が空いてきた。『犬災』を聴いたから上野で鶏料理でも食べようか。それともウチに帰って、『そば清』にならってそばでも茹でようか?
October.11,2003 日本のクラシック? 講談
9月28日 神田山陽独演会 (すみだトリフォニーホール)
錦糸町駅の北口に劇場ができたことは知っていた。しかし、私があまり興味のないクラシック音楽のための劇場ということもあって足を運んだことはなかった。すみだトリフォニー小ホールは室内楽などに使われるらしい地下にあるホール。音響は確かによさそうだ。ただ、客席に坂がなく、後ろの方の人は見難いかも。私は比較的前の方の席を取れたので何の問題もなかった。
ジャズの出囃子で神田山陽が出て来て曰く、「こういう催しは、ここでは初めてと言われまして・・・」 クラシックだけに貸し出されている状況はもったいない。これからも、ドシドシ演芸にも解放して欲しいものだ。「地方に行きますと、多目的ホールというのが建設されている。何でも出来るが、何でも合わない。昇太さんが行ったある地方の会場では高座の後ろを見たら土が盛ってる。弓道場にもなるんですね」
自分のジャンルは講談というより、座りひとりコントだという山陽の長いマクラが始まる。どういうキッカケで誰と仲良くなるか、またどういうキッカケで誰が嫌いになるかというテーマの、少々とっ散らかった話が続いていく。林家彦いちと親しくなったキッカケは、辛い仕事をふたりでしたとの事。「スーパーの開店祝いの仕事でした。高座はというと、もう店全体。買い物に来たお客さんにフレンドリーに話しかけて欲しいと言うんですよ。着物姿に前掛けかけて、角刈りと丸坊主の男が、『きょうのオカズは何ですか?』なんて奥さんに話しかけて歩く。不気味でしょ? その辛い仕事のときからですよ、彼と仲良くなったのは」
といったマクラから一席目の新作『嗚呼、花の応援団』。これがまたのタイトルが『ドリフの応援団だよ!全員集合!!』。ある中学校の野球部が予選を勝ち進んでいる。廃部になっていた応援団が突然に再結成されることになる。一年生の各クラスからひとりずつ代表が出されて急造の応援団が組まれることになる。選挙で選ばれたというのは名ばかり。進学組ではないクラスでは一番目立たない、選ばれて嫌とは言えない者にそのオハチが廻ってくることになる。A組からはタカギ、B組からはカトウ、C組からはシムラ、D組からはナカモト。みんな応援団には向いていない弱々しい連中ばかり。オタクやいじめられっ子で、友達も出来ないという共通項を持っている。顧問のスワは、かつてこの中学応援団のOBで団長だった経験がある。「この玉子丼野郎があー!」 「何ですか、玉子丼って?」 「カツが入っていなーい!」 かくてスワの正拳突きから、猛特訓が始まる。ドリフターズのキャラクターを借りて、野球の応援団を作ることによって友達が出来なかった少年たちが団結し、初めて友達同志の関係が作れるようになるといった感動的な講談。ギャグをふんだんに盛り込みながら、友達を作るのが苦手な子供たちが成長していく過程を見事に描いてみせた。
二席目は古典、『赤穂義士外伝・天野屋利兵衛』。「屠所の羊が歩くがごとく・・・」パーンと張り扇が鳴る。「としょと言っても図書ではありません。何かに取り付かれて喋っているようですが、これが講談です」と、赤穂浪士に武器や資金を援助した大阪の商人天野屋利兵衛と、その息子の噺をキッチリと読み上げた。一席目とは打って変わってピーンと張り詰めた緊張感が漂う高座だ。こういう山陽もやはりいい。
二席読み上げて、最後の挨拶。「人をどこまで信用できるか。自分をどこまで信用できるか。自分を信じ、他人を許す。年末まで何とかしたいと思います」 どうやら恒例の紀伊国屋ホールのクリスマス・イヴのネタは固まりつつあるようだ。