February.27,2005 落語の持つ力

2月26日 こまつ座
       『円生と志ん生』 (紀伊國屋ホール)

        井上ひさしの新作。昭和20年、大連で終戦を迎えた、五代目古今亭志ん生と、六代目三遊亭円生が異国の地で過ごし、昭和22年に日本に引き上げて来るまでの様子を描いた芝居。

        紀伊國屋ホールの席に座ると、昔の記憶が蘇ってきた。私は、志ん生には間に合わなかったが、円生には間に合った。昭和40年代の前半に中学生だった私は、紀伊國屋ホールで催されていた[古典落語を聴く会]に毎月通っていたのだ。客席を見渡してもさすがに中学生の姿は私以外には見当たらない。今から考えると、ませた嫌なガキだったろう。円生はこの会に毎月出演していた。他のレギュラーは、小さん、正蔵(後の彦六)、馬生、文楽ら。今から考えるとなんて贅沢な会だったろう。中でも私は円生に夢中だった。

        円生の姿が舞台に見えるような錯覚を覚えながら、開演を待つ。空襲を嫌い満州に渡ったのは志ん生55歳、円生45歳ということになるから、ふたりとも決して若くはなかったということがパンフレットから読み取れる。志ん生役の角野卓造が現在57歳、円生役の辻萬長が現在61歳。実際よりも年上でのキャスティングだが、おふたりとも、それぞれのモデルを意識しての演技で、さもあんな感じだったのではないかと思えてくる。

        土曜日のマチネー、まだ一週間の疲れが残っている時間帯でもあったこともあるが、1幕目はところどころで眠ってしまった。舞台の照明が暗いということもあるのだが、話が見えて来ない。ふたりの大連での、いくつかのエピソードが描かれるのだが、エピソードごとに4人の女優さん(久世星佳、宮地雅子、神野三鈴、ひらたよーこ)が別の役で現れて、ふたりに絡む。この4人の女優さんたちは着替えも大変だったろうが、実際のモデルあっての男優ふたりよりも、生き生きとした演技をなさっているようで、楽しい舞台となっている。

        圧巻なのは、2幕目に入ってのクライマックス、修道院のシーン。ホームレスとなった志ん生が、修道院の炊き出しに並んでいるうちに倒れてしまう。その報を聞きつけた円生が修道院にやってくる。ふたりはそこで、自分の考えた小噺を披露しあうのだが、それを耳にした修道女が、ふたりの言葉の端々から聖書の言葉と勘違いして、志ん生のことを復活なさったキリスト、円生のことを弟子マタイだと思い込んでしまう。このへんのドタバタの脚本はさすがに井上ひさしといっていいだろう。ふたりは修道女たちに、自分たちは噺家という職業なのだと伝える。貧乏を楽しい貧乏に、悲しみを楽しい悲しみに語るのが落語なんだと主張するふたり。貧乏噺の志ん生。人情噺の円生かくやというシーンだ。

        落語でよく使われる聴き慣れた小噺を散りばめて笑いを取っている。落語好きなら、もうクスリとも笑わないだろう聴き飽きたクスグリでも、こまつ座のお客さんだと爆笑が帰ってくる。これが落語の持つ力なんだなあと思う。志ん生が、修道女たちに小噺を聴かせると、最初は戸惑っていた彼女たちがだんだんと笑いというものがわかってくるシーンもいい。

        短いカーテンコールのあと照明が点くと、また紀伊國屋ホールの高座に座ってお茶を啜りながら一席話している円生の姿が蘇ってきた。


February.25,2005 人を襲わないゾンビ

2月20日 阿佐ヶ谷スパイダース
       『悪魔の唄』 (本多劇場)

        こちらも評判に釣られて観に行った。悪い出来の芝居ではないのだが、どうも不満が多い思いで劇場を後にした。

        どこかの山奥にある山荘。都会から夫婦者が越してくる。職業はわからないのだが、亭主の山本壱朗(吉田鋼太郎)が浮気をしていたことから、妻・愛子(伊勢志摩)は精神に異常をきたしている。山荘に到着すると知らない女性が勝手に言えに入り込んでいる。この女性・牧田サヤ(小島聖)は実は幽霊。戦争中に平山上等兵(山内圭哉)を好きだったのだが、平山は敵機の機銃掃射で戦死してしまう。その後、サヤは牧田眞(長塚圭史)と結婚するのだが、平山のことが忘れられない。忘れられないままに夫との結婚生活をするのだが、やがて死んでしまう。死んでからも平山のことが忘れられず幽霊になって出てきたというわけだ。夫・眞も死んでしまうのだが、自分よりも、かつての恋人のことが忘れられない妻のことが気になって、これまた幽霊になって出てきている。サヤは気がおかしくなっている愛子に、平山が眠っている地面を掘らせる。すると平山は、戦友の鏡石二等兵(伊達暁)、立花伍長と共に、ゾンビになって蘇ってくる。

        さて、ホラーだと聞いていたから、ゾンビが出てきてもおかしくは無いのだが、このゾンビ、生きている人間を食おうと襲ってきたりしないのが、よくわからない。ゾンビとして登場したのだから、そのへんのルールは踏襲して欲しいところ。夫婦者を食おうとはしないのだが、日本が敗戦したと聞くと、アメリカに一矢報いようと、山本に、アメリカに爆弾を落としに行くから、爆撃機を用意しろと、気の狂った妻・愛子を巻き込んで、脅迫する。

        3時間近い上演時間が苦痛に感じられた。幽霊とゾンビの違いのルール性が曖昧なのと、ホラーと言う割には怖くない。いや、どちらかというと3人のゾンビは滑稽にも見える。いくつものテーマ(夫の浮気で気の狂った妻、戦争の問題、死んでも本当に好きだった男を諦められない女など)が散発的に語られて、収集がつかないままにエンディングを迎えてしまう。残されたのは、全て絶望感。こんな感じで外に放り出されてもなあと思う日曜の夜の下北沢の町。明日からまた仕事だと思うと、こういう芝居はなあ。いやいや、悪くは無い芝居だとは思う。ただなあ、こちらの選択が間違っていたのだろうか?


February.15,2005 引っ張る引っ張るエピローグ(笑)

2月13日 シベリア少女鉄道 vol.12
       『アパートの窓割ります』 (THEATER/TOPS)

        面白い劇団があるとのウワサを聞いて観に行った。わかっているのはタイトルだけ。どんな内容なのかは行ってみるまでわからなかった。

        舞台は、とある喫茶店の内部。野球好きらしい6人の若者が集っていて、その者たちからの会話から、話がだんだんと見えてくるようになる。高校野球時代、四番打者・中西(吉田友則)とピッチャー・岡田(横溝茂雄)は、違う高校のライバル同士。ふたりは、木戸真弓(篠塚茜)という女性をめぐってもライバル関係にある。高校野球が終わって、中西はプロ野球球団からドラフト指名を受けるが、希望する球団でなかったことから、社会人野球に入って三年後の逆指名を狙っている。一方の岡田は別の社会人野球チームに、仲間の平田(藤原幹雄)、佐野(前畑陽平)、マネージャーの渡(出来恵美)らと加わっている。そんなとき、岡田のチームは、会社から廃部を言い渡される。中西は、逆指名を蹴り、大リーグ入りを考え始める。真弓にプロポーズして一緒にアメリカへ行こうと思っている。そして、ついに中西のチームと、岡田のチームは、社会人野球最後のゲームの日を向かえる。そんなとき、岡田は実は白血病で、余命いくばくもないことが知らされる。

        こうやって書いていると、あだち充世界と、『木更津キャッツアイ』を混ぜ合わせたような世界で、陳腐といえば陳腐。正直にいって私もここまでの1時間は、観ていて辛かった。なんでこんな芝居を観させられているのか、さっぱりわからない。ところがシベリア少女鉄道という劇団、只者ではないことがこのあとわかってくる。

        物語は、試合が九回裏ツーアウト。岡田のチームが一点差で勝っているところに中西がバッターボックスに立つ。塁にはランナーが出ていて、一打同点、ホームランが出ればサヨナラの場面だ。カウント、ツースリーとなったところで、物語は一応終わってしまう。壁に[エピローグ]の文字。観客は多くの謎を残されたまま、最終章に入ってしまう。果たして、試合の結果は、どちらが勝ったのか。岡田は生きているのか。岡田のいたチームはそのあとどうなったのか。中西はメジャー・リーグへ行ったのか。そして真弓は誰と結婚したのか。それらの結末を期待して観ていると、作者はここで、観客を翻弄しまくる。これらの結末をなかなか明かさないで、客を引っ張りに引っ張る。意味ありげなトロフィー、赤ん坊、命日(岡田のかと思うと、野球の応援効果音が、戦国の合戦の効果音になり、ホラ貝が鳴り、織田信長まで舞台に登場する)、結婚式の写真などで、「いよいよ真相がわかるぞ」という期待を次々とはぐらかして、弄び続ける。こちらも、こうなると、どこまで引っ張れるのか覚悟を決めて、作者の罠にはまって行くことになる。

        物語は突然に終わりを告げる。一応のオチがつくのだが、そこまで。肝心の試合結果などは明かされぬまま照明が付く。カーテンコール無し。場内整理係が、ぶっきらぼうに試合結果と、岡田がどうなったかを告げると、本当に終わってしまった。

        取ってつけたようなカーテンコール一切無し。観客は拍手をする暇も与えられないで小屋から出されることになる。楽屋で作・演出の土屋亮一とキャストの面々が「してやったり」とほくそ笑んでいるような気がする。こちらも「やられたなあ」と思いながら、妙に笑いが込み上げてきた。


February.13,2005 満員の深夜寄席

2月12日 深夜寄席 (新宿末廣亭)

        驚いた。久しぶりに深夜寄席に足を運んでみれば客席はいっぱい。下手な本興行のときより入りがいい。両桟敷にも、それぞれ15人くらいずつお客さんが入っている。ざっと目測したところで、この夜はおよそ100人くらいのお客さんであろうか。それも圧倒的に若い人が多い。

        一番手は古今亭錦之輔。氷川きよしマニア、モー娘。マニアのことなどを語りながら、懐かしの劇画『ドーベルマン刑事』、『マッドブル34』のことなどに触れながら『怪盗X』へ。錦之輔の名探偵・金田大五郎シリーズの1本としてタイトルだけは知っていたもの。ここで遭遇できた。ダイヤモンド[ブラジルの星]をめぐる金田大五郎と怪盗Xの、珍妙な攻防が可笑しい。オチもよく出来ていると思うのだが、ドッと来なかったのは、ストーンと落とすのに持っていく話術かなあ。風邪をひいているらしく、いつもほどの元気が無かったのが残念。次回がんばってね。

        100ccのバイクを盗まれたばかりだという昔昔亭笑橋は「今夜はこのあと、やけ酒だあ」と『試し酒』へ。こんなに飲めたらいいんだけどね。

        「胃カメラを飲みまして。この技術師さんが上手いんですよ。カメラの管を飲み込む人を調子よく、よいしょして飲ませちゃう。その結果、私、立派な十二指腸潰瘍なんだそうです」と三遊亭遊馬は、『壷算』へ。甕を値切って買う男も調子がいいが、この瀬戸物屋の主も調子がよく、ばかなハイテンション(笑)。

        桂花丸は、田舎の妹の結婚式の話から、『お化け屋敷』へ。さっぱりお客さんが集らない遊園地。社長は自殺まで考えている。そこへ、お化け屋敷に本物のお化けを出したらと思い立ち、日本お化け協会に電話する。ところが集ってきたのは、一反木綿ならぬ、生活苦から切り売りしてしまった一寸木綿やら、入口のペットボトルに驚いて逃げてしまう化け猫といった情けない連中ばかり。そこへ某国のお姫様が、このお化け屋敷を観に来るが・・・・・。

        オチまで言って幕が下りていく間中、花丸は大勢のお客さんの前で「落語ブームはきっと来ます!」と絶叫しつづけた。ひょっとすると本当に落語はブームと成り得るのかもしれない。それには若手の二ツ目さんの芸の努力も必要。「頑張れよー!」 私は心から拍手を送り続けた。


February.12,2005 なべさん快調

2月11日 渡辺正行プロデュース
       『LDK vol.2 〜ラストダンスはキッチンで〜』

        コント、軽演劇を演らせたら、こんなに確かな演技をする人もいないと思える渡辺正行。今の喜劇を支える大きな柱になっておかしくない人だと思うのだが、彼の姿を見るのはもっぱらテレビのバラエティー番組。コント赤信号時代の仲間、ラサール石井、小宮孝泰が、それぞれ舞台で、今でも笑いを生産し続けているというのに、惜しいことだと思っていたら、こんな形で元気な姿を 見せてくれた。WAHAHA本舗の柴田理恵と組んだ企画の第二弾。渡辺正行といえば想像されるのがまずは手八丁口八丁のプレイボーイ。それに、あまり女という部分を感じさせない(失礼)柴田理恵という組み合わせの妙が面白い。

        2時間ほどの舞台で3つのオムニバス・コメディーが上演された。1話目。渡辺は、あるプロダクションの社長。社員を集めて王様ゲームをやったりして遊んでいるが、会社の経営は火の車。最後に残ったのは、このプロダクションで15年俳優をやっているという柴田。もう自殺しようか、海外へ高飛びしようかと考えている渡辺だが、柴田はそっと近づいてきて、いつの間にか押しかけ女房気取り。この1話目の続きが、2話目、3話目のあとに挿入されるという構成になっていている。ほとんど色気皆無みたいな女性が自分の生活にどんどん入り込んできて、やがてはこの女性がピタリと寄り添っている。ラストは柴田が可愛く感じられるのが面白い。

        電車の中で痴漢に間違われた渡辺。冤罪を晴らすべく、弁護士の柴田と、被害者だという女子高生の調書を検証し始める。柴田が超ミニスカートの女子高生になってみせるのが圧巻(笑)。終始一貫、痴漢行為はしていないという渡辺だが、最後にきて、その女子高生の言うような痴漢行為はしていないが、取られようによっては痴漢行為とも取られかねない、ある行為を女性に対してしたことがあると告白する。その行為とは・・・・・。人間の寂しさが沸き上がってくるような名編。

        売れない夫婦漫才コンビの渡辺と柴田。翌日は26歳になる息子の結婚式。その息子のために披露宴で新ネタをかけようとネタ合わせが始まる。自分の息子を育てた26年間の思い出話をしているうちに、息子の結婚式と同時に、ふたりは離婚する決心をする。唐突とも思える展開に驚いたが、これがけっこうおもしろい。漫才コンビのボケ、ツッコミのリズムで物語が進行していき、行き着く先がそういうことになるというおかしさ。いや、なかなか、こういう無理な設定をポンポンポンと持っていくというのは相当な経験と実力がないと無理なこと。

        渡辺正行は、おそらくこういう自分が自由になる小人数での芝居が理想なのだと思う。その意味では柴田理恵という存在はうってつけに違いない。第三弾、期待してよさそうだ。


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