May.31,2005 下座の一部が見える席

5月22日 浅草演芸ホール5月下席

        浅草は三社祭の賑わい。別に三社祭目当てでやってきたわけでもない。足は場外馬券売り場に向かうつもりなのだが、雑踏に阻まれてなかなか進めない。なんとかオークスの馬券を手に入れて外にでてみれば通りに舞台が出来ていて、知らない演歌歌手がプロモーションの最中。足を止めてしばし見ていたが、次々と歌手が出てきて大音量のスピーカーで歌っている。ほとんどが中年の太めのおばちゃん歌手。時間になったので浅草東宝に入って『交渉人・真下正義』を観る。こちらは外の雑踏が嘘のようにゆったりスペース。入ってないなあ、映画館。

        映画を観終わって外に出たらば、今度は夕立。それほど激しくはないが、傘が無いと辛い雨が降っている。それでもまだ、太めのおばちゃん歌手は歌っているぞ。観客も減ったはいえ、まだ舞台に張り付いている。駅へ向かおうとロックを小走りに走って浅草演芸ホールの前まで来ると、おっ、5月下席の夜の主任は円丈ではないの! トリの円丈まで観てもいいし、雨がやんだら帰ってもいいしと、浅草演芸ホールに飛び込むことにする。あいかわらず1階席は満員。2階に上がったが、ここもほぼ埋まっている。ふと、上手にある桟敷席を見ると、めずらしくここには誰もいない。行ってみるか。靴を脱いで桟敷に上がり下を覗き込むと、ぺぺ桜井がいつものネタをやっている。どっこいしょと腰を下ろしたところで次の出番と交代。下手の下座に下がっていく様子がこの位置からだとよく見える。下座の戸が開いてぺぺさんを迎え入れる。前座さんが出てきて座布団を持って高座へ出てくる。戸のすぐ先に三遊亭小田原丈の姿を発見。ぺぺさんに挨拶をしている。小田原丈は主任の円丈の弟子。どうやら出演者ひとりひとりに挨拶をして場を仕切っているようなのだ。これは面白い。これからは高座も面白いが、下座の出入りの様子が面白くなってしまった一日だった。

        前座さんが座布団を中央に置き、メクリを返すと川柳の文字。下座の戸の前に川柳川柳の姿が見える。小田原丈が川柳に声をかけている。「よろしくお願いします」とでも言っているのだろう。いいなあ、こういう光景が見えるのって。「ここはね、読売の招待券のお客さんが多いんだよね。でも読売の券は土日は夜の部からしか観られないんだ。だから昼は正規のお客さん。あんたたち夜の部のお客さんは邪道なお客さん」 おいおい、そんなこと言わないでよ。私なんかちゃーんとお金払って観ているんだからあ(笑)。「こう見えても私は、あの名人といわれた円生の弟子ですよ。知ってます?私のこと。昔は売れっ子でよくテレビ出てたんだから。ソンブレロ姿でギター持って『ラ・マラゲーニア』歌って漫談やったりしてたんだよ。円生はコテンで売れた。あたしはラテンで売れたの」 話は円生宅玄関でのウンコ事件、歴代噺家スケベ列伝に触れ、自分の本『天下御免の極落語』の宣伝。「売店で売っているから買ってくださいよ。俺が言ったといえば定価で売ってくれるから」 ネタはいつもの『ガーコン』。本の宣伝が入った分、短縮版。

        林家正楽の紙切り。鋏試しの[相合傘]のあとは、注文で[三社祭] [藤娘] [紫陽花とカタツムリ] [牛若丸と弁慶] どれもお得意中のお題。

        「毛蟹って美味しいですよね。でも蟹味噌がちょっとしか入ってない。もっと味噌がたくさん入っている毛蟹はいないのかと思ったら、そういう蟹は頭が良くて捕まらないそうで」と柳家小ゑんは、不条理落語の『フィッ』へ。

        「ペットブームだそうですな。私の友人がライオンを飼っている。餌がたいへん。なにしろ生きたものしか食べない。『一度見に来ないか』というので先日行きましたところライオンがいました。でも当人が見つからない・・・・・」 三遊亭円窓『権兵衛狸』

        仲入りが入ってからの食いつきは、下座の出口でチラチラと姿が見えていた三遊亭小田原丈。尿管結石で救急車を呼んだという例のマクラから『必殺指圧人』へ。

        小田原丈、急いで引っ込んで、次の太田家元九郎に挨拶。元九郎はいつもの国際旅行博覧会。浅草は出る人が多いので持ち時間が少ない。

        春風亭一朝はいつもの彦六話で笑いを取る。今や彦六師匠は伝説となった感があるなあ。ネタは前座がよく演る『牛ほめ』なのだが、さすがにベテランが演るとこんな噺でもやたらと面白い。特別なクスグリが入るわけでもないのに、なんて面白いんだろう。

        三遊亭円弥はアヒルにタバコをやるという、よくやる小噺をマクラに『鼻ほしい』

        椅子が出される。アコーディオンを抱えた近藤志げるが出てくる。この人の日本の童謡の世界は大好きなのだ。『浜千鳥』を歌う志げる。なんていい歌詞とメロディなんだろう。特に2番に入るとぐっと涙が出そうになる。♪夜鳴く鳥の悲しさは 親をたずねて海こえて 月夜の国へ消えていく・・・・・ 「男は男らしく、女は女らしくなんてことを否定される時代になってしまったんでしょうが、私は涙もろく繊細な女性が好きですね。日本の童謡は悲しい歌詞と悲しいメロディのものが多い。でもね、マイナスとマイナスをかけるとプラスになるんですかね。寂しい歌を聴いていると元気が出てくるってあるじゃないですか」 『荒城の月』から、北原白秋の『雨』へ。「昔の日本は貧乏でした。七人家族で七本の傘はなかった時代だったんですよ。そこからこういう歌が生まれたんです」 ♪雨がふります雨がふる 遊びに行きたし傘はなし 紅緒のカッコの緒も切れた 雨がふります雨がふる いやでもおうちで遊びましょ 千代紙折りましょ畳みましょ 雨がふります雨がふる けんけん小雉子も今啼いた 小雉子も寒かろ寂しかろ・・・・・ さらに北原白秋が続く。『あわて床屋』 『ちんちん千鳥』 そして『砂山』。いいなあ、日本の歌。

        虚弱体質を売物にしている柳家喜多八、下座の扉から出てくるところまでは胸を張っている。それが一歩高座に踏み出したところから前かがみになってダラダラと座布団に向かっていくのがわかる。始めたのは『小言念仏』。右手で扇子を叩きながら演じる噺だが、よく観るとちょうど叩いているあたりの床が剥げて白くなっている。ひょっとして、何人もの噺家が『小言念仏』であそこの部分を叩いた跡なのだろうか? 一席終えて下座へまたダラダラと引っ込んでいく喜多八。衝立の陰になったところで、しゃきっとした姿勢になった。こういう姿が観察できるのが面白い。

        ヒザが大瀬ゆめじうたじの漫才。「女性専用車両というのが出来ましたね。先日電車が走り出そうとしたところに飛び乗ったら、これが女性専用車両。気まずいですすね、あれは。歩いて隣の車両に移動しようにもラッシュ時で通れないものね」 ここから持ちネタ『平行線・箸』の導入部に入っていくので、トリの円丈の持ち時間がなくなるぞと思っていたら本題には入らず、2000万円のワイン、利き酒の駄洒落ネタで終了。へえー、こういう小ネタもあるんだあ。

        自分の師匠の三遊亭円丈の出番ともあって、小田原丈の送り出しも、さらに熱心。「中央競馬会の馬、1レース出ると36万円の出走手当が出るんですって。うらやましいじゃないですか。なら、オレが走るって! 2000m走るだけなんだから!」 う〜ん、うらやましいっていえばうらやましいなあ。36万円稼ぐのにこっちはどれだけ働いていることか。ネタは『一ツ家公園ラブ・ストーリー』。こういう老人ネタは浅草でやるとよく受ける。2階席から場内を見渡すと、やはり高齢者が多いのと、案外若いカップルが混じっている。新宿ほどじゃなくても、やはり若い人の落語熱というのは本当のようだ。

        それにしても今回は面白かったなあ。下座の一部がチラッと見える位置を発見しただけでも大収穫。結局最後まで居残ってしまったのだった。 


May.26,2005 落語はブームになってきたらしい

5月21日 深夜寄席 (新宿末廣亭)

        定席夜の部が終わるころに末廣亭の前まで来ると、もう深夜寄席の列が出来ている。どうやら今年に入ってから、ずっとこの調子らしい。以前は、二ツ目さんの勉強会である深夜寄席といったら40〜50人程度の入場者というのが相場で、やや寂しいながらも、ゆったりと二ツ目さんの落語を鑑賞できたのだが、この列を見ていると、わくわくしてくるものがある。

        開演までには席はどんどんと埋まっていき、椅子席はほぼ満席。上手、下手の桟敷席まできっちりと埋まった。三笑亭可龍が高座に座ると「どうやら今年の初めに『Rー 25』に深夜寄席が紹介されたあたりからお客さんが増え始め、あとは先月から始まった、テレビドラマ『タイガー&ドラゴン』の影響なんですかねえ」とこれだけの盛況を分析していた。「『タイガー&ドラゴン』の長瀬智也。実際にはあんなかっこいい噺家はいないと思いますでしょ? それが、今年の初めに大きな身体の前座が入りまして・・・・・紹介いたしましょう」と出てきたのは確かに大きくて、長瀬智也に似ているといえば似ているような瀧川鯉昇門下の瀧川鯉斗。茶色の着物を着て「タイガー、タイガー、じれっタイガー」とやって大受け。二ツ目に昇進したときには、是非とも虎の字が入った名前をつけてもらいたいなあ。ドラゴンの方の可龍は『片棒』

        「ボクも芸能人に似ていると言われることがあるんですよ・・・・・役所広司」と言うのは古今亭錦之輔。そういえば、痩せすぎた役所広司(笑)。「女性専用車両って出来たじゃないですか。それはいいんですが、テレビ・ニュースで女性にインタビューしていると、自意識過剰なんじゃないかという女性が答えていました。それが綺麗な人が言うんならまだいいんですよ。『これで安心して電車に乗れます』とか、『空気が綺麗になりました』って、お前が言うな!」 ほんと、女性の立場からすれば痴漢は敵だろうし、私もそんな奴は許せないと思うけど、女性に空気が綺麗になったとまでは言われたくないよなあ。ネタは『ぼくの彼女はくノ一』

        「来月4度目の結婚をします」と三笑亭月夢が喋りだしたときには、何かの冗談だと思ったが、話が進むうちに、これはマジなのだとわかってきた。「しかも相手アメリカ人。しょーがないですね、アメリカ人って、頭悪くて。和服って洗濯をしないものなんですよ。絹で出来てますから洗うと縮んじゃうの。それなのに勝手に洗っちゃうし。朝飯といったら日本人だったらご飯に味噌汁でしょ。それがパン焼いて、ジャムを持ってくるだけ」 なあんて、月夢さん、実はのろけているんじゃないの? そのまま、大学時代に6年間住んでいたニューヨークに久しぶりに行って来たという旅行の土産話漫談。変わった噺家さんが出てきたものだ。「郊外にドライブに行ったんですよ。アメリカって一歩郊外に出ると砂漠地帯ですからね。ガソリンスタンドに寄ったついでに、グレープフルーツ・ジュースを頼んだら18ドル。18ドルですよ、18ドル。バケツみたいな容器で来ますから量はあるんですが、それでも18ドルは高い。『砂漠だから、果物があまり無いんですか?』って訊いたら、『果物はたくさんあるんです。でも客が少ない』」

        松戸に住んでいるという雷門花助がトリ。といっても前の月夢が長かったので、持ち時間が短いらしい。「松戸には、すぐやる課というのがあるのが有名です。蜂の巣ができると、市のすぐやる課の職員がやってきてすぐに外してくれる。ウチにも蜂の巣ができたので電話したんですよ。そしたらやってきたのが美人女性職員。可愛いんだけど役に立たない。私が自分で外してしまいまて・・・・・あれからまたあの人に会いたくて、余所のウチに蜂の巣が無いか捜しております」とマクラを振って、関係なく短い噺『やかんなめ』

        この日の昼間は2階が開いたそうだ。いよいよ本当に落語はブームになってきたのかもしれない。


May.22,2005 よりネイティブな英語になった『接見』

5月15日 『JAIL TALK(ネイティブ版)』 (明治座地下稽古場)

        水谷龍二脚本の小宮孝泰の一人芝居『接見』の英語バージョンを、英国在住の女優さんの手で全面的に英訳し直したものの本邦初演。お客さんはほとんど『火焔太鼓』に出演中の役者さん。昼の部のみ、夜の部が休演という日曜日の夕方から行われた公演に、小宮さんのご好意で覗かせていただいた。

        物語のあらすじが日本語で書かれているプリントを渡されて熟読。この芝居、すでに2回、日本語版で観ているが、そのときの記憶を甦させる作業に没頭。定刻になるとお客さんで埋まった。なにしろお客さんといっても、毎日一緒に芝居をやっているお仲間。客席から様々な声が上がり、それに突っ込み返す小宮さん。なんでもこの日、役者さんのひとりが、とんでもない台詞の言い間違いをしたらしく、それを茶化しながら、「日本語でも台詞を間違える事があるんです。ましてや、英語でともなると、間違いがあってもおかしくない」と言いながらも、これまたプリントで配られた芝居の中で使われる重要単語の説明。「いいですか、今の説明をよく憶えておいてくださいよ。芝居の途中でそのプリントを見たりしないでください、気が散るから。それから上演中はウロウロと席を移動したりしないように、これも気が散りますから」と、なんとまあ注文の多いこと(笑)。まっ、入場無料だから。

        暴行傷害事件で留置されている男のところに、国選弁護人の檜常太郎が計4回通って接見するという構成で。男の無罪を勝ち取ることを確信している檜だが、回を重ねるごとに男の態度が変わってくるといった内容。最後は意外な真相が明かされるという、いわば推理劇仕立て。一生懸命、記憶にあるこの芝居の日本語バージョンを思い出し直しながら、英語を頭の中で日本語に置き換えるという作業は面白い体験だったが、やはり疲れた。回りが前日に観た芝居の役者さんばかりというのも緊張したし(笑)。

        終演後、居酒屋で懇親会。役者さんたちも何人か残ってくれて盛り上がった。イギリスの演劇では、日本にあるような台詞無しの[間]という概念がなく、ひたすら台詞を喋るように指導されたとか、『JAIL TALK』の最後の方に出てくる『雨の慕情』の振りがイギリス人にも、その可笑しさがわかったとか、檜弁護士の奇病は第一場は顔面神経痛だが、あとのは好きにやってくれと脚本にあったとか、洋服を脱いだときに着ている女性用の下着は奥さんが買ってきてくれたものだとか、いろいろと裏話を聞かせていただいた。

        入場無料で、居酒屋でご馳走にもなってしまった。「きょうはぼくの『寝床』ですから」とおっしゃる小宮さん。謙遜、謙遜。旦那道楽の域を軽く超えてましたから。      


May.21,2005 落語ブームいよいよか!?

5月14日 『火焔太鼓 〜お殿様一生一度の恋患い〜』 (明治座)

        3年まえの『居残り佐平次』に続く、水谷龍二脚本・演出、風間杜夫、平田満コンビ、星屑の会、その他小劇団出身の役者を集めての落語を素材にした芝居。今回も誰一人としてワイヤレスマイクを使わないで舞台をこなしている。

        『蒲田行進曲』の出囃子が鳴ると、いきなり幕前に風間杜夫が出てくる。中央の座布団に座って、落語のマクラに当たるような世間話から語りだした。主演の人間がいきなり出てくるのも意表を付かれたが、気負わずゆるやかに始まるこの出だしは落語好きの私には、もうぞくぞくっと来るものがある。風間杜夫ももうすっかり落語は慣れたもの。道具屋のマクラから後ろの幕が上がり芝居に入っていく。

        メインになる噺はもちろん『火焔太鼓』なのだが、これに『締め込み』 『妾馬』 『盃の殿様』 『かぼちゃ屋』などが取り入れられているが、そのまま使うということはせずに、その一部をエッセンスとして取り入れて、まったく新しい噺を作っている。そのまま使ったのは小噺の『酒の粕』くらいだろうか。さすがに『火焔太鼓』は大筋にあたるので、かなり元に近いが、火焔太鼓に三百両を支払うという動機づけは変えてある。

        さすがに水谷龍二脚本とあって、小さな役の役者まで脚本がよく出来ているし、演出も行き届いている。今回一番弾けていたのは、平田満のお殿様と、三太夫役の小宮孝泰。2幕目の冒頭でのやり取りの可笑しさといったらない。休憩後にいきなりまた芝居の世界に引きずり込むこの力技は、さすがにベテラン。とにかくこのコンビの可笑しさと言ったら、ラストの群集場面でも爆笑を取る。

        テレビドラマ『タイガー&ドラゴン』の人気もあってか、近頃また落語がブームになっている兆しもする。劇場パンフを買ったら風間杜夫、平田満、水谷龍二に春風亭昇太を加えた座談会やら、東京の寄席案内まで乗っていた。本当に寄席ブームが来るといいな。そしてその中でまた新しい噺家さんが出てくれば、もっとうれしい。


May.17,2005 初めて寄席に行ったあの日

5月8日 上野鈴本演芸場5月上席夜の部

        開口一番の前座さんは柳家さん作『真田小僧』、頑張ってね。

        和楽社中の太神楽。傘、鞠、そしてナイフの取り分け。和助の目の前をナイフが通過するが、今回はタバコは無し。

        古今亭志ん輔は、お灸の体験談をマクラに持ってきた。「お灸の熱さといったら・・・・・そうですね火をつけて、2〜3秒後でしょうか、熱くて声にならないんですよ。『ひーーーっ』っていう音が口から出るだけ。そうですね、その熱さといったら、例えて言うとですね・・・・・木綿針を焼いといて差し込まれたようなもの」 そこから『強情灸』に入ったのだが、噺家たるもの、やっぱり灸は体験しておかなくちゃならないんだろうな。声にならない声を発する志ん輔の声、表情は、おそらく凄くリアルだ。

        柳亭市馬は学校寄席で行った先の校長先生の名前が与太郎だったといういつものマクラから『たらちね』へ。ちょうど市馬の噺が始まったところで私の隣の席にお父さんに連れられてきたらしい小学校の上級生らしい女の子が。最初は遠慮しているのか笑い声が出なかったのが、市馬の噺が進むうちに声を出して笑うようになった。どうやら寄席初体験らしい。初体験が市馬なんて、なんてうらやましい出会いなんだろう。

        私が初めて寄席に行ったのは中学生のころだった。テレビの演芸番組を追っかけて観ていた私に気がついた父が東宝名人会に連れて行ってくれたのだ。トリが柳家小さんで『長短』だったことを鮮明に憶えている。今から思うに幸せな寄席通いデビューだった。

        「落語なんてテレビでもやってるよなんて言われますが、テレビは影しか出てきません。寄席は本物が出てくる。触ろうと思えば触れる。まあ、触りたくは無いでしょうが」と、三遊亭金馬。そうなんだよね、テレビで観る落語とナマで触れる落語とは、まったく違うの。だからお金を払って観に行くんだよね。隣の女の子がリピーターになってくれるとうれしいな。ネタは『転失気』

        昭和のいるこいるの漫才。思うにこのコンビの漫才って、基本は、ぼやき漫才なのではないだろうか? のいるが盛んに現代の不合理をぼやくのがスジで、それを茶化すのがこいる。道を歩いていると、自転車に乗った少年がチリンチリンとベルを鳴らしながらやってきて「もたもたするなジジイ!」と言ったとぼやくのいるに、「元気があっていいな」と受けて、「そういう事じゃない」と突っ込まれると、「しょーがない、しょーがない。楽しい事だけ考えようよ」と返すこいる。もう世の中、ぼやいているだけではやっていられない時代になったのかもしれないなあ。そこがこのコンビの漫才が現代に受ける理由なのかも。

        三遊亭歌之介はいつものような漫談。B型血液性格判断などの話題が続く。「A型血液の人は手を洗うのにも丁寧に洗います。B型の人、サッサッと洗う。O型の人は指先しか洗わない。AB型・・・・・洗いません!」 ドキッ! ちなみに私AB型。

        柳家小三治は「そそっかしい人というのは、ふたつに別れますなあ。ひとつはマメでそそっかしい人、もうひとつは不精でそそっかしい人」と『粗忽長屋』へ。さしずめ、行き倒れ死体を見て熊さんだと思い込む方がマメでそそっかしいタイプ。自分が死んでいると言われてそう思い込む方が不精でそそっかしいタイプか。

        柳家喬太郎『白日の約束』。どうも最近、定席での喬太郎はこの噺に遭遇することが多いような気がする。一般のお客さんにも受けるという自信のある噺なのかもしれない。隣の女の子もケラケラ笑っている。「もう私なんかバレンタインデーでも、誰からもチョコレートなんて貰えませんよ。いや、キャバクラにでも行けばホステスさんから貰えたりしますよ。でも、100円のチョコレート貰うために数千円払うのばかばかしいでしょ?」

        林家正楽の紙切り。鋏試しの『相合傘』に続いて、「藤娘」 「ヴァイオリニスト」 「隅田川の花火」 「舞妓さん」 「宝船」と綺麗なお題が続き、短時間で切っていく。ヴァイオリニスト以外は定番ともいえるお題で鋏の運びも快調。

        トリが柳家権太楼。なぜか前座時代に聞かされる先輩の小言の話が始まる。「『金は貯めるな残せ』なんて言われます。出すときの切っ先が鈍るからってことですね。あとね『裁つり返事だよ』なんてことも言われました。楽屋で『お茶くんねえか』と言われたら、まず『はい』と返事する。すぐにお茶を淹れる必要はないんです。『はい』と返事をすることで相手に安心感を与えるんですね。『捨て身でいろよ』とも言われる。これは、ほうぼうに気を使っていろよということ。先輩方の話をしていても高座での噺を耳に入れていて、噺が終わりそうになったらすぐに太鼓を叩きに行かれるようにしていなければならない。あるいはお帰りになる師匠の靴を出さなければならない。どの師匠がどの靴なのかを覚えておかなければならないんです。それでもわからないときにはある程度の目安はあるんです。まず収入ね。その師匠が売れているか売れてないか。売れてる師匠の靴はきれい。売れてない人は薄汚い。あと、弟子がいる師匠のはきれい」と、ネタはマクラとはまったく関係のない『茶の湯』。根岸の里に隠居した旦那流のお茶の作法。「茶碗を目八分の位置に上げる。目九分というと鴨居にぶつかる。目十分というと茶の湯を浴びなくちゃならない。脇を締める。締めないともろ差しにされるから」 爆笑の『茶の湯』に隣の女の子の笑い声もひときわ大きくなった。またおいでね。


May.14,2005 エネルギーの行方

5月7日 シベリア少女鉄道
      『笑顔の行方』 (紀伊國屋サザンシアター)

        前作『アパートの窓割ります』に続いて2度目のシベ少。以前から観ている人たちにとっては、最近のシベ少は不満が多いらしく、あまり評価がよくない。しかしまだ2回目の私には、この劇団が面白くてしょうがない。演劇というものを根底からパロディのようなものにしてしまうその手法は、今までになかったもの。よくぞそんなことを考えたついたものだ。くだらないと言えばくだらないことに、とんでもないエネルギーをかけている劇団、それがシベリア少女鉄道なのだ。

        『アパートの窓割ります』が野球を通しての青春ドラマのようなものだったのに対して、今回は一転してサイコ・サスペンス。舞台は2階立てになっていて手前の下の段、奥の上の段。下の段は病院の治療室や、レストランとして使われ、上の段は、病院の屋上や、道路として使われる・・・・・のだが、それが作者の巧妙な仕掛けの一部だったことにあとから知らされることになる。

        柳見隆憲(前畑陽平)は、彼女である菊池柚梨(篠塚茜)が暴行を受けたショックから、その前後の記憶を無くしてしまい、精神科医の永井留美(佐々木幸子)の病院に入院している。刑事でもある柚梨の父親(吉田友則)は、娘を襲った犯人を捜している。そこに、父親の部下の新米の刑事、レストランのウエイター、ホームレスの女がからんでくるというのが、大まかなストーリー。

        まず唖然とするのが、主要人物の過去の話が語られはじめると、上の段の背景がスクリーンになっていて、そのあちこちにスライド写真が写される。演技する者はその写真の前に立ってポーズをつくるのだ。これは結構タイミングの問題もあって、相当の緻密な打ち合わせ、稽古が必要だったろう。なにもそんな手の込んだことをする必要はないと思われるのだが、そういうどうでもいいと言ってしまっては身も蓋もないようなことに夢中になっているのが、この劇団のようなのだ。

        クライマックスに至るとさらに唖然とさせられる。どう説明していいのか書くのが難しいのだが・・・。上段では、なぜかスクリーン一杯に格闘テレビ・ゲーム『ストリート・ファイターU』が映し出され、役者がふたりづつ登り、格闘ゲームのキャラクターの動きで戦い始めるのだ。しかも、その戦いが下段のレストランでの会話とシンクロしている! この無駄といえば無駄、くだらないといえばくだらないことのためにエネルギーをかけるこの劇団、私は好きだけどなあ。

        ラストにオチが付いている。それがスクリーンに映し出された携帯電話の待ち受け画面に表示されたメールの文章。ちょっとしたどんでん返しが仕掛けられている。コーテン・コールも無し。役者は愛嬌を振りまく事もなく、笑いが起こりパラパラと拍手が起こる中、客電が点いておしまい。確かにこれでは怒り出す客もいるだろうが、私はついつい思い出し笑いを浮かべて劇場を出た。


May.6,2005 うまくしてやられた!

5月5日 うわの空・藤志郎一座
      『ただいま』 (紀伊國屋ホール)

        観終わってみると、実によくできている話だと納得できたのだが、なにしろ2時間の上演時間のうち、1時間半ほどすぎるまでは、いったいこの話は何なんだろうという戸惑いを覚えながら鑑賞していくことになった。舞台はどこかの小さな島。プロローグでミキジ(村木藤志郎)とキヨ(島優子)の会話があり、ミキジが島を出て東京に行こうとしていることが観客に伝わる。これのあたりの細かい会話が伏線になっていたのがわかるのが1時間半後ということなのである。それまでは、舞台は時系列が錯綜しているという事を観客に伝えないまま進行するから、何が起きているのだろうという不安感を持たせた舞台になっている。もちろん、きっとこれが作者側の作戦なのには違いないが。

        プロローグが終わると久保田家の庭が舞台となる。季節は夏。バルサンをたいている間、庭でくつろいでいる久保田家の面々。それに近所の人々が出たり入ったりして、エチュードのようなものが延々の続いていく。ボケ役の久保田家の娘・あずさ(小栗由加)、漁師のゲンさん(小林三十朗)、材木屋の勘太(水科孝之)らに、うまいツッコミを入れていく父親役(橋沢進一)が絶妙。いじられっぱなしのあずさの担任役(清水ひとみ)も可笑しい。そこに、ミキジとキヨが絡んでくるというわけなのだが、ミキジ役の村木はボケに回ったり、ツッこんでみたりと変幻自在。

        観ていて飽きはしないのだが、いったいこれは何なんだろうと思い始めた1時間半後、話はいきなり全貌が見えてくる。「ははあ、時系列の違うふたつの話がごっちゃになっているんだ」と気がついたときから、話は感動的なラストに向かって動き出す。終わって気がついてみれば、観客は落ち着くところに落とされ、涙まで浮かんでくることになる。「やられたなあ」という思い。これなんだなあ、この劇団の芝居の面白さって。


May.4,2005 ヒザの芸が強すぎるのも辛いものですが

5月3日 『国本武春と楽しい仲間』 (横浜にぎわい座)

        三味線を抱えた国本武春が幕前に出てきて、まずは前説のようなもの。例によって浪曲のかけ声講座。(浪曲師が)出てきたら「待ってました!」、三味線を弾き始めたら「たっぷり!」、ひと節歌ったところで「名調子!」、最後まできたら「日本一!」 津軽三味線の大会に出て津軽三味線ではなくロックを三味線で演って喝采をもらったが、「邪道です」と言われたという話から、三味線でロックンロール、三味線でブルースを弾いてみせ、最後は客席を巻き込んで『堪忍ブギ』の大合唱。これだけで20分。前説長すぎ(笑)。

        幕が上がると、ポカスカジャンがスタンバイしている。「武春さんがボクたちの前に『(客席を)暖めてやる』って言ってましたが、暖めすぎ! もう終わっちゃった感じですもんね」なんていいながら、いつもの絵描き歌『2億4千万の瞳〜エキゾチック・ジャパン』。この日のネタは『五十音ミュージック』。あ行のさだまさし、か行のボサノバ、な行の演歌、は行の民謡と続いて、じゃ行のシャンソン焼肉屋篇。じゃじゅじょを使った焼肉屋の会話「じゃ、上」 「じゅー」と続くフランス語風のギャグに、お客さんのひとりが「くだらねえ〜」 のんちん、「そういわれたの初めて! 最大の褒め言葉です」 ま行の憂歌団に続いてリクエスト。お客さんから出たのがなんと、「みゃ行!」 舞台上で凍りつく3人。みゃみゅみょで演れというのである。だから、じゃ行なんてのを演らなきゃよかったのに。3人で舞台上で会議が始まる。相談まとまり、即興で演ってみせたのは、みゃ行の藤井フミヤ。どうも国本武春が暖めすぎて、変なリクエストが続く。「ABC!」 「ええーっ、ABCって日本語ですらないじゃないですか!」とまた舞台上会議。これをこなしてしまうのがこの人たちの凄さ。ABCのアフリカ音楽を見事に演奏してみせた。さらには「ドイツ語のアーべーツェーで演れ!」 「それは無理ですよ〜」と言いながらも、アーベーツェーの邦楽を演っちゃうんだからアドリブ出来る連中だ。最後は『魚市場フラメンコ』。

        「今日ほど落語が地味な芸だと思ったことは無い」と柳家花緑が言うのも無理は無い。前の2組が客席を熱気で一杯にしてしまった。ここで落語を演るのは辛いところ。NHKの『アラビア語』講座に出演していたことなどをマクラにして『花見小僧』(お節徳三郎・上)に入ったが、小僧の話しっぷりでいくらテンションを上げようとしても、前が凄すぎた。なんだかこちらは疲れ果ててしまっていて、いまいち噺に入っていけない。ヒザが客席を乗せすぎてしまうと、落語という芸は厳しい。

        仲入り後は林家二楽の紙切り。鋏試しの『桃太郎』に続いてリクエスト。「憲法第9条!」 憲法記念日らしいお題だが、この日のお客さんは基本的に意地悪。「ポカスカジャンの時、嫌な予感がしてたんですよ」 二楽が切り抜いたのは、なぜか仁王立ちになっている人物と倒れている男。「拳法でノックアウトされて休場(9条)した」 く、苦しい〜(笑)。「国本武春!」というお題には、「普段の武春さんを切ります」とオートバイに乗った国本武春の姿。「これだとただの小太りのオジサンが乗っているだけですから、着物姿にしてみました」 連続切り絵劇場は『歯ブラシ』とでもいうのだろうか。松山千春の音楽をバックに。第一部『恋』、第二部『大空と大地の中で』。いつもながら感動的なストーリーを作る人だ、この人は。

        トリは国本武春の浪曲『紺屋高尾』。♪遊女は客に惚れたと言い 客は来もせで また来ると言う〜でお馴染みの浪曲。いつもは落語で聴いているこの噺、浪曲で聴くとまたひと味違う。医者の竹庵先生がバカに陽気なのが可笑しかった。

        それにしても、不思議な会だよなあ。中トリ、トリの芸よりもヒザの方がインパクトが強いんだから(笑)。


May.3,2005 あくまでばかばかしい笑いを追求している芝居

5月1日 動物電気
      『寝太郎の新作カレー』 (本多劇場)

        12年目にして本多劇場に進出した劇団の公演。評判が高くて、私の行った日も当日券の立見客でいっぱい。

        さて、どういう芝居を観せてくれるのかと思ったら、これが一筋縄ではない。ざっとしたストーリーを書いてみよう。舞台は、のぼる(小林健一)の経営する街の小さなカレー屋。コックとウエイトレスのふたりの従業員を雇っているが、本人にまったくやる気が無い。店内はゴミだらけ。気に入ったカレーのルーが出来なかったという表向きの理由で店を休んでばかり。実はこの店、父親から資金を出してもらって開店したのだが、あまりに経営不振なので、兄弟がここを格闘技の道場に変えようと乗り込んでくる。母親のタマ子(政岡泰志)もやってきて、これ以上経営が悪化するなら引き渡すように要求する。これにはなんとかせねばと、のぼるが改革に乗り出したのはなぜかウエイトレスをもう4人増やす事。それでも相変わらず、のぼるはのやる気のなさはあまり変わらない。ホームレスのトラオ(森戸宏明)と話している方が好きだ。やがて、近所で放火事件が起こる。刑事タチバナ(辻修)は、犯人はトラオだと思い込み、トラオを捜し回っている。さらには他にもトラオを捜している謎の男まで現れる。そんな中、のぼるは親の紹介で知り合った女性と結婚しようと決心する。

        こうやって書いてみても、内容はわかりにくいかもしれないが、ようするに骨格としては、よくある大衆演劇の下町人情喜劇のパターンなのである。ところが、それはあくまでも骨格だけ。この芝居の面白さはそんなところとはではまったくない。もっとドライで破壊的でギャグがテンコ盛りにされたコメディ。肉体派の劇団だとは聞いていたが、昔のドリフターズの喜劇をもっと身体が動くコメディアンが、より破壊的に演じたとでもいえるだろうか? いや、ドリフターズには、いかりや長介という、まとめ役がいたのだが、動物電気ともなると全員が突っ走っている感じ。突然に始まるトーク・コーナーやら、一発ギャグ。さらにはどうやら毎回恒例らしい、ばかばかしいハダカ・ギャグ。もう何が飛び出すかわからない。タマ子役の政岡泰志が、ときどき役者たちにツッコミを入れる可笑しさというのも絶妙。

        一応、人情喜劇的な結末は用意されていて、落しどころはつけているのだが、この劇団、実はそんなことはどうでもいいに違いない。骨格だけ用意しておいて、あとはやりたい放題。

        この芝居を観ていると、役者が実に生き生きと遊んでいるなという感じがする。その遊び感覚が観ている側にまるで不快にならないのがいい。ときとぎ自分たちだけが遊んでいて、その面白さが客席から観ていると、しらけるだけという劇団にぶつかることがある(そういう芝居は観ても書かないことにしている)。動物電気、何だかクセになりそうな劇団だった。


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