April.30,2006 『激突!対岸のドラゴン』インサイド・レポート

4月15日 第7回人形町翁庵寄席『激突!対岸のドラゴン』

        翁庵寄席第7回の構想が頭に浮かんだのは、今から思うと2年前のことだった。明治座にご出演中だった石橋雅史さんの楽屋にお邪魔してお話を伺ったときに、なんて人間的に魅力のある人なんだろうと感じたのだ。この人の話をもっと多くの人にお聞かせしたいと思った。そのときは、たいした考えもなく、「実は、店で落語会を演っているのですが、ゲストという形で出ていただけませんでしょうか?」と口に出していた。正直に言って、そのときは具体的なことは何も考えていなかったのである。石橋さんにお会いしたのが2年前の2月。第3回の『なにわなくとも小春団治』を4月にひかえて準備に余念が無かった時期だった。第4回『てつ&つくしの演芸びっくり箱』が終わり、第5回『落語と芝居はおともだち』が終わった時点で、第6回『ハイテンションで行こう』の出演交渉を終え、早くも私の頭の中はいくつかの企画の中から次はどれにしようと迷っていた。スタッフのひとりに石橋さんのことを話すと、「次は是非その企画をやるべきですよ」と言われ、俄然私の頭の中は「石橋雅史を呼ぼう」という決心が固まった。

        石橋雅史という人の存在を知ったのは、東映の空手映画だった。1973年、『ボディガード牙 必殺三角飛び』の冒頭シーン、千葉真一、志穂美悦子らが空手で闘い、志穂美悦子が目を潰されて失明してしまうというシーンがある。これが志穂美悦子のスクリーン・デビューなのだが、実はもうひとりの人物が、このあとの東映空手映画の世界で重要な役割を果たす事になる。志穂美悦子との闘いで彼女の目を潰した人物。それが石橋雅史だった。石橋さんのアクションは、まさに目を奪われた気持ちだった。鬼気迫るというのだろうか、これは本物だというのがわかる。後に石橋さんに伺った話では、擬斗の日尾孝司がこのシーンに石橋さんを使いたくて東映サイドに「心当たりがあるから」と、撮影を延ばしてもらっていたという経緯があるようだ。テレビの仕事で石橋さんと出合った日尾孝司は、ここは是非石橋さんでと思ったらしい。当時フリーになっていた石橋さんは所属事務所がなくて連絡が取れなくなっていた。それがある日、バッタリと出合って、「探してたんだよ」と言われ撮影所に連れて行かれた。それが『ボティガード牙 必殺三角飛び』の冒頭シーンになったというわけだ。その年、映画界にはもうひとつ大きな出来事がある。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』が公開され、大ヒットになったのだ。当初配給を持ちかけられた東映は、「こんなもの、当たるはずがない」と一蹴。配給権を獲得した松竹は大儲けをすることになる。青くなったのは東映。すぐさま「空手映画を作れ」ということになった。アクションが出来る役者といえば千葉真一。東映は以後、千葉真一、志穂美悦子を使って空手映画を量産しはじめる。もちろん、石橋雅史もほとんどの映画に相手役として登場していた。千葉真一の空手アクションは明らかにブルース・リーを意識したもので、迫力はあるのだが、正直に言うとヘンなものだった。それが石橋さんのアクションは、本物だとわかるもの。なにしろ空手では剛柔流の師範でもあるのだから。東映空手映画が終息したあとも、数多くのテレビの時代劇、戦隊ヒーローもの、Vシネマ、そして出発点だった舞台と活躍の場を広げていった。

        去年の夏、暑い日だった。私は三越劇場の『新吾十番勝負』にご出演中の石橋さんの楽屋にお邪魔して、改めて出演を依頼した。石橋さんは、いつものようにニコニコ笑いながら、「いいですよ」とおっしっゃてくださった。秋の『ハイテンションで行こう』が終わって時点で私の構想は出来上がっていた。石橋さんの映画、テレビ、舞台の出演シーンをダイジェストで編集して、それをプロジェクターで上映したあとで、石橋さんにお話を伺う。石橋さんは話し始めたら何時間でも話している話し上手な人なのだが、「僕が一方的に喋るのはへんだから、そちらで質問する形式にしてよ。その方が自然だから」とおっしゃる。このへんが石橋雅史という人の人間が出来たところで、自分からでしゃばるのを嫌がる性格なのかもしれない。となると、質問者は私ということになるのだが、こういうの苦手だなあ。石橋雅史が来るとなると落語はこの人しかいない。林家彦いちだ。落語界で自他ともに認める武闘派噺家。大学時代は極真空手に入門していた経歴もある。彦いちというと新作落語というイメージがあるが、私は彦いちの古典が好きだ。彦いちというフィルターを通して出てくる古典の世界はなかなかに面白い。彦いちには古典、それと得意の漫談を演ってもらおう。それに二ツ目から誰かひとり。これは私が今一番注目している春風亭栄助にお願いしよう。この人の新作落語は、今、一番乗っている。

        年が変わって、今年の正月。『新・落語21』の打ち上げに、紛れ込んでしまったときに、春風亭昇輔さんと話し始めてびっくり。この人はまだ30代だというのに古い日本映画のことを実によく知っているのだ。石橋雅史さんのことに話を向けると、石橋さんの存在もちゃんと知っている。石橋さんの映画だけではなく、戦隊ヒーローものの番組もスラスラと口から出てきた。これはもう私が石橋さんの聞き手になるよりもプロに任せた方がいい。「昇輔さん、お願い。私の替わりに聞き役やって!」

        石橋雅史といえば、インターネット界ではこの人だろう。[魔窟 〜悪人たちの棲む館〜]の、えれおの〜らさんだ。石橋雅史に関する知識とデーターは、驚きの一言だ。えれおの〜らさんに依頼して主要な石橋雅史作品のビテオを送ってもらった。そこから15分〜20分程度のダイジェストを作る予定だったのだが、観始めてみるとこれが実に面白い。これならもっと長くても飽きるということはないだろう。まだまだ入れたいシーンは山のようにあったのだが、30分の長さに抑えた。

        スタッフのちばさん、くりさんと印刷物会議。イラストイメージとしては、3人が空手着を着て並んで立っているイメージで、石橋さんと彦いちが怖い顔で、それを栄助が「ひえーっ」と引いている感じでというアイデアが出たが、ちばさんが描きあげてくれたイラストは、もう想像以上の仕上がり。一目見てゲラゲラと笑い出してしまった。



イラスト:ちばけいすけ


        ちばさんは、彦いちを以前にも描いていし、石橋さんは3分で描けたそうだ。難しかったのは栄助。10時間かけても似ないとぼやいていたが、いやいや出来上がったものは、よく似ている。ちなみにタイトルの『激突!対岸のドラゴン』は、くりさんのアイデア。「なんでこんなタイトルなの?」という方は、早口で「対岸のドラゴン」と何回か口に出して言ってみてください。きっとニヤッとするはずだから。

        店内ポスターとインターネットで告知を開始したら、申し込み順調。やや集りすぎちゃったかもしれない不安を感じながら満員御礼。

        今回、新しい機材を購入することにした。1階で演っている模様を2階の楽屋のテレビでモニターできるようにしたいと以前から思っていたのだ。下の様子がわかった方が出演者にいいに違いない。秋葉原の家電販売店のビデオカメラ・コーナーに行って、「別の部屋の様子を見られるようなビデオカメラが欲しいのですが」と相談すると、「そういうものはウチでは扱っていません」と言う。それでピンときた。これはいわゆる防犯カメラとか盗撮カメラというやつなのだ。駅前のそれらしきものを売っている小さな店に行く。「別の部屋で起こっていることを見られるようなカメラが欲しいんですが」 「カラー? モノクロ?」 「カラーで。それと音も拾いたいんです」 なんだか犯罪の臭いがする言い方になってしまった。店員さんが見せてくれたカメラはかなり小さなもの。値段も高い。「あのー、もう少し安いのありませんか?」 「あることはあるけれど、目立つよ」 「いやいや、目についても構わないんです」 完全に盗撮目的と思われている。次に見せてくれたのが下のカメラ。画像と音声は電波でも飛ばせるそうだが、確実に送れるのはケーブルだということで、20mのケーブルも購入。 



        当日、モニターカメラのセッティングやら、映画を上映するプロジェクターとスクリーンのセッティングやらで準備に時間がかかりそうだったので、スタッフはいつもより早め集合。着々と準備を始めたが、やっぱり今回は時間がかかった。

        午後4時。出演者が次々に楽屋入り。一番最初にやってきたのは石橋さん。机の前に座ってニコニコしているところへ、やってきた噺家さんが挨拶していく。春風亭昇輔改め瀧川鯉朝さんは、石橋さんに会うなり、「映画での悪役のイメージとはすっかり違う、にこやかな方なので驚きました」と挨拶してる。林家彦いちさんは空手繋がりだから当然話が合う。にこやかな楽屋になりそうだ。

        4時半開場。今回はお客さんの集り方が早い。どんどん入場してくる。いつもは開演時間が来てもまだ空席があるのに、5時には満員に膨れ上がった。定刻スタート。

        まずは立命亭八戒の開口一番『あくび指南』。アマゾンのあくびやら、中国のあくびなんてものまで入る、いかにも八戒らしいアレンジが楽しい。

        二番手が春風亭栄助。去年の夏にプークで聴いた『怪談話し下手』(『怪談はなしベタ』)を演ってくれた。裏方でちゃんと話を聞けないときは、こういう聴いたことのある噺の方が私は助かる。楽屋ではどうやら石橋さん、鯉朝さん、彦いちさんが談笑しているらしくドカンドカンと笑い声が聞こえてくる。この楽屋の様子をモニターで見たかったほど(笑)。

        楽屋に引き上げてきた栄助を捕まえて、「どんな客層?」と訊いている林家彦いち。「見た事が無いお客さんですね」と答える栄助に送られ、「いったい何を演ったらいいんだ?」とつぶやきながら降りてくる。まだ何を演るのか決まっていないらしい。それでも高座に上がると、漫談をしながらお客さんの反応を見ているようだ。ちょっと長めのマクラから『ちりとてちん』に入る。

        スクリーンを張り、プロジェクターの準備ができたところで、瀧川鯉朝に出てもらって、軽く石橋雅史という人物を説明してもらうことにする。もっとも、まずは、チラシにも載っていない鯉朝さんの自己紹介。これが笑いを取る。お客さんに大受けなんだから、やっぱり一席演ってもらった方がよかったかなあ。

        照明を消して石橋雅史出演シーンのダイジェスト上映。鯉朝さんが解説を入れてくれるから、これも盛り上がった。

        上映終了後は、石橋雅史にいろいろなことをお伺いするコーナー。鯉朝さんがうまく石橋さんの話を引き出してくれる。やっぱり鯉朝さんに頼んでよかった。私ではこうはいかない。締めは石橋雅史による空手演武。これも裏にいたので観られなかったのが残念。観た人によると、息も出来ないくらいの迫力だったそうだ。

        林家彦いちがまた、「何を喋ればいいんだ!?」とつぶやきながら降りて来る。トリは彦いちのスタンダップトーク[喋り倒し]だ。空手のことから、得意ネタの実録内家拳法、そしてアメリカで南京玉すだれを演った話まで、この人はお客さんの気持ちをグッとつかむのが上手い人だ。

        みなさんに、おそばをお出しして、今回も無事に終えることができた。さて、次回なのだが、もう私の頭の中では構想が出来上がっている。何を考えているのかというと・・・・・。


April.22,2006 初めての真打昇進披露パーティー体験

4月9日 真打昇進披露パーティー (東京會舘ローズの間)

        噺家が真打に昇進するときは、披露興行に先立ち、盛大なパーティーを開くという話は聞いていたが、今までは私には何の縁もなかった。それがついに来てしまったのだよ、招待状が。今回真打に昇進して名前も瀧川鯉朝に変わる春風亭昇輔さんからの招待状だった。昇輔さんには、この忙しい時期に突然に『激突!対岸のドラゴン』に飛び入りで参加してもらうことをお願いしてしまった関係上、出欠ハガキには、「参加します」の方に○をつけて返送した。さあて、えらい事になった。こういう披露パーティーのご祝儀相場とはいくらなんだろうとネットで調べれば、円丈師匠のサイトにしっかり出ていた。う〜ん、結構いい値段なのだなあ。まあ、こっちも昇輔さんには無理を言っているから、これはしょうがないか。

        当日は何を着て入ったらいいのだろう。翁庵寄席で開口一番をお願いしている立命亭八戒さんに電話すると、やっぱり大半の男の人はスーツ姿だとのこと。スーツかあ。サラリーマン時代には何着かスーツを持っていたが、今は葬式用の礼服以外にスーツを持っていない。慌ててスーツを買いに走る。スーツをスマートに着こなした店員さんに泣きついて、スーツを選んでもらう。黒のスーツと一口に言っても、いろいろと色合いやデザインがあるものだということが判明する。このイケ面の店員さんが言うには、最近はスリム系のスーツが流行りなのだと言う。私は肩幅が広い体型をしているので、既成のスーツだと肩が窮屈になる。特にスリム系ともなると辛そうだ。そう店員さんに言うと、「まあ、とりあえず着てみてください。それから考えましょう」と言うではないか。さっそく手直にあったスリム系だというジャケットに袖を通してみる。これが案外着心地がいいのだ。生地も軽い素材で出来ているらしく動きやすい。これに決め! ついでにベルトを新調して、ネクタイを1本買った。

        当日、シャワーを浴び、スーツに着替えて地下鉄で日比谷へ。そこから歩いて東京會舘。



        今回は3人が同時に真打になる。春風亭小柳枝門下の春風亭柳之助と春風亭昇乃進、そして私が招待を受けた瀧川鯉朝。九階までエレベーターで上がると、3人に分かれた受付があった。祝儀袋を渡し、芳名帳に名前を書くと、着席するテーブル名と私の名前が書かれた札を渡された。会場に入ろうとすると、凄い列である。どうなっているのだろうと思ったら、入口のところで今回真打になる3人が、参列者を出迎えているのだ。それにいちいち参列者は挨拶をしているから、なかなか前に進まない。ようやく私の番になって鯉朝さんに軽く声をかけて中に進む。すると私の名前を呼ぶ声がするではないか。声の方を向くと長井好弘さんだ。「出席しないつもりでいたんだけど、急に出席することになっちゃってさ」 それから、鯉朝さんの後幕が、○の中にとの字の、と学会から贈られたものだ教えられたり、翌週のウチの『激突!対岸のドラゴン』の話になったり、しばし話し込んでいるうちに時間が迫ってきた。自分の席を捜し当てて座るが、同じテーブルの人は誰も知りあいがいない。まいったなあと思っていると、あとから隣に座ったのは、顔見知りのグレート・ゴーヤさんではないの。助かったあ。

        司会は春風亭昇太。こういうのはあまり得意ではないらしく。ややたどたどしい感じ。ほとんど笑いを入れずに、淡々と宴を進行していく。3人が鏡割りをして、参列者にお酒が配られたところで乾杯。落語協会の三遊亭円歌会長、落語芸術協会の桂歌丸会長、浅草演芸ホール社長松倉由幸、新宿末廣亭席亭北村幾夫の挨拶。堅苦しい挨拶があったあとは、桂平治らがもう亡くなった噺家の声色で挨拶。柳昇師匠の物真似は似ているなあ。「天国にも次々とやってくる人がありまして楽しいですなあ。文治さんもいますし、円右さんもやってまいりましたし、先日は米丸さんも・・・」 ここでまだ生きている桂米丸が「おいおい」と止めに入る姿が爆笑もの。噺家さんのパーティーはこうでなくちゃ。

        来賓の挨拶は、と学会つながりで唐沢俊一、アニメの声優田中真弓、元寺尾関こと、しころ山親方。次々に出てくる料理はどれも美味しいものばかりなんだけど、何だか落ち着かない、落ち着かない。ふと、前のテーブルを見れば、そこは落語協会の若手の噺家さんが集っているテーブルではないか。古今亭駿菊、入船亭扇治、古今亭菊之丞・・・・らがズラリ。ご無沙汰している駿菊さんに挨拶して、ついでに柳亭市馬師のところへススーッと近づいて名刺交換。翁庵寄席に市馬師をというリクエストがけっこうあるので顔繋ぎ。市馬師へのリクエストもあるけれど、市馬師を使ってちょっとした企画がまた私の頭の中で生まれつつあるのだ。

        余興はシャンソン歌手によるリサイタル。これが長い。曲と曲の間にジョークを挟むのだが、ズラリとお笑いのプロがいる前でも演ってしまう度胸には感心したり、苦笑したり。少々ビールを飲みすぎたのでトイレに立ったら、受付でまた私の名前を呼ぶ声が。古今亭錦之輔さんではないの。どうやら手伝いに借り出されたらしい。こうなると歌なんか聴く気になれず、ふたりで雑談。

        11時から始まった宴も、2時でお開き。引き出物の袋を持って家へ帰る。



        開けてみると、風呂敷が入っていた。



        西原理恵子のイラスト入りというのはうれしいけれど。ひよこの交尾っていうのは使いにくいような・・・・・(笑)

        で、噺家の真打昇進でいただくものは、やはり扇子、手拭い、口上書きの三点セット。



        春風亭昇輔改め瀧川鯉朝師匠、この度は、どうもおめでとうございます。


April.9,2006 三太楼、戻っておいでよ!!

4月8日 柳家権太楼独演会 (横浜にぎわい座)

        柳家三太楼になにかがあった。そんな噂が先月から聞こえてくる。師匠の権太楼との間で何かがあったらしく、一切、高座に姿を見せなくなっているらしい。知り合いに訊いても何があったのかわからない。三太楼のことを心配する日々が続いている。そんな中、柳家権太楼の独演会があるというので、先週に続き横浜まで出かけた。

        開口一番は柳家ごん坊『狸札』。頑張ってね。

        柳家小権太『初天神』を始めた。『初天神』といえば、あの絶品の三太楼の高座がどうしても頭をよぎる。あの爆笑の完成形、いや、まだ発展するやもしれぬ三太楼版の『初天神』がまた聴きたくなってくる。いやいや、小権太の『初天神』が悪かったわけじゃない。こちらもいい味を出している。飴玉を買って欲しいと父親に要求する金坊が、知らない他人に向って「飴、買ってくれえ!」と怒鳴るあたり。次に団子を買ってくれと、これまた他人を引き付けようと、きょろきょろと辺りを見回すと、父親が「知らないおじさんに言ってどうするんだ」と返すあたりのやりとりが爆笑を誘う。

        柳家権太楼の一席目は『青菜』。これは真夏の噺だが、「噺家の時知らずと申しまして」と、夏の噺を今のうちからさらっておくという、「言い訳ですが」と始めた。この噺は、前半の旦那と植木屋のやりとりが仕込みになっていて、後半に植木屋と女房のやりとりで仕込みが爆発し、さらに経師屋とのやりとりで二回目の爆笑が取れる、美味しいネタだ。女房とのやりとりで、そもそものなりそめを、隠居に騙されて一緒にされたというくだり、「二時に動物園のカバの檻の前で待たされて、なかなかやってこない。お前がやってきたのは四時だろ! 二時間もずーっとカバ見てたんだよ! (お前を見て)『きれいですね』って一緒になっちゃったんじゃないか!」って辺りは、もう大爆笑の一席。

        中入り後は、柳家権太郎と、ゲストの川柳川柳の対談。川柳は去年『天下御免の極落語』という本を出した。権太楼は今回『権太楼の大落語論』という本を出す。対談というよりは、お互いの本の宣伝(笑)。

権太楼 「今が一番面白いでしょ」
川柳 「うん、上がもうほとんどいないもんね。高座で言いたいこと言ってしまえるし。客も『あいつも、もう死ぬだろうから許してやろう』って思ってるだろうし。好き放題にやってますよ」
権太楼 「名人、上手っているけれど、この人はそういうのとは違う面白さがある。『ガーコン』しかやらないし」
川柳 「一年中、あれだけしかやらないんです」
権太楼 「うそ! 四十年でしょ」
川柳 「・・・・・・」
権太楼 「昔の写真集に寄席のネタ帳が出ていた。あなたの演目『昭和歌謡史』って『ガーコン』じゃないの!」
川柳 「今、芸の半分は本の宣伝ですから。あと余った時間で『ガーコン』」
権太楼 「怖い人のいない高座は強いですな」
川柳 「あなたも本出すんでしょ」
権太楼 「ええ、今日とりあえず50部、早刷りで持ってきたんですが、これを書いたのは三太楼の事件の前なんですが、その原因になったことが、何となく書いてある」

        これは欲しくなる本ではないか。

        川柳川柳の高座は、例によって本の宣伝と『ガーコン』。私の頭の中は、権太楼の新しい本のことでいっぱいになってしまう。

        柳家権太楼の二席目が始まる。対談のときに三太楼の話が出たので、何を言うのか期待して耳をそばだてる。「二十年噺家をやっていたやつが、たやすく辞められるはずがない。時間がかかるかもしれませんが、戻ってくれるならうれしい・・・・・。人間、順風満帆なときだけじゃない。誰でも通る道かな・・・と」 う〜ん、これだけじゃ何があったかわからない。とりあえずは、今は弟子の柳家甚語楼の真打昇進披露興行の最中。これが終わったら何らかの発言がありそうなのだが・・・・・。二席目は『茶の湯』。渋柿の五倍くらい苦いという椋の皮の入った茶を飲んだ人の表情が可笑しいのなんのって。しばし、三太楼のことを忘れて夢中になってしまった。さすがに芸の力なんだな。

        ハネて、ロビーへ行けば、本の販売コーナーは黒山の人だかり。そりゃあ、みんな三太楼とのことが気になるもんね。一冊手に入れようと並んだのだが、目の前まで来たときに売り切れ。

        いったい、三太楼と師匠の権太楼の間に何があったのだろう。三太楼は今、どこにいるのだろうか? おーい、三太楼、戻っておいでよ。


April.8,2006 現代でも通用する『電報違い』

4月2日 早朝寄席 (鈴本演芸場)

        「しょっぱなと読みます。途中で出てきてもしょっぱなですが」 柳家初花ももう二ツ目なんだ。前座時代にはよく開口一番で接したものだけど、そういえば最近は見なかったなあ。三坊のマクラから、けちん坊で「早朝寄席、500円。けちん坊な人は絶対に来ません。500円あったら、立ち食いそばぐらい食べられます。私なら来ません」って、ふはは。ネタの『出来心』は、声に落ち着きが出てきて、これまた結構な出来になっていますねえ。

        「只今、真打昇進興行の最中でして、私も楽屋に手伝い入っておりまして、毎晩ウチアゲに付き合う。深夜にから揚げなんて身体に良くないと思われるものを食べさせられて、先月18日に会った知り合いに28日にまた会ったときに『十日間で、人間、そんなに太れるのかと』と言われてしまいまして、四日間絶食してここまで戻しました」って、春風亭栄助。そういえば、心なしかちょっと太ったかな。『巌流島』、ちょっといじわるっぽい船頭の表情、しぐさが可笑しい。

        金原亭馬吉『元犬』。この人、ちょいといい男前。それがこの噺に幸いしているようだ。人間に生まれ変わった白犬が、いい男前の若い衆っていうのはいい。う〜ん、やっぱりハンサムなのは得だなあ。

        「新宿末廣亭の方では、土曜の夜に深夜寄席というのをやっていまして、こちら上野鈴本でも日曜の夜にやろうかと企画があったのですが、日曜の夜につまらない落語を聴かされると、もう一週間を棒に振った気になられますといけませんので、こちらは日曜の朝という時間にやらせていただいております」と、三遊亭歌彦は、初代円歌から代々伝えられている『電報違い』。まだ電話がない時代に名古屋から東京に打った電報が、間違った解釈をされてしまうというこの噺を、歌彦はスマートに演ってみせた。この噺を古いと感じさせないのがいい。案外、電報を携帯メールに置き換えると、このアイデアはもっと現代的になるかもなあ。そうかあ、電電公社が出来る前は、電報って郵便局が扱っていたんだあ。ここで沢木耕太郎の『深夜特急』のラストを思い出してしまった。あれ、一種のオチだよな。きっと、沢木耕太郎は落語好きなのに違いない。

        帰りがけに栄助さんに「今月、よろしく」と挨拶。『激突! 対岸のドラゴン』いよいよだ。


April.5,2006  高座では 永遠(とわ)に散らない 桜かな

4月1日 内海桂子と楽しい仲間 (横浜にぎわい座)

        今まで、横浜にぎわい座に行くには、都営地下鉄で新橋へ出て、JR東海道線で横浜。そこから乗り換えて桜木町というルートを使っていた。それが、ふと気がついたのだ。な〜んだあ、都営地下鉄浅草線にそのまま乗り続けて京浜急行で日の出町へ出ればいいんじゃないの。日の出町から横浜にぎわい座までだってすぐだ。それもこれも横浜方面についての知識がなさすぎだったからで、なんだか変なルートを取っていたんだなあ。

        内海桂子の弟子だというナイツの漫才から始まった。「フイギュア・スケートの荒川静香は何回もスケートを辞めようと思ったけれども、それでも続けられたのは滑るのが大好きだからと言ってました」 「漫才師も同じだね。舞台で滑るのが大好き」って、おいおい。荒川静香、イチロー、松井秀樹のプロフィールをギャグにした漫才。面白〜い。

        三増れ紋の曲独楽は、あいかわらず賑やか。末広の曲では、扇子を広げて「いい柄の扇子でしょ。ハイ・センス!」 真剣刃渡りでは「自慢の名刀菊正宗!」 鮮やかなのに、騒々しい投げ独楽衣紋流しに、風車。

        新山ひでややすこの夫婦漫才。「お父さんリサイクル法というのが出来たんです。お父さん棄てるとお金取られるのよ」 「いくら取られるんだい?」 「103円」 「ずいぶん安いなあ」 「103円で、とうさん」と、やすこがケラケラ笑う。「なんで笑っているんだよ」 「お客さんが笑わないから、お客さんのかわりに私が笑ってるの!」 やすこのテンポがいい。後半の、お馴染み離婚披露宴のネタは健在。

        モロ師岡は、無人島に漂流してしまった男の短めのひとりコントから、『スーパー定年マン』へ。以前、東洋館で見た事のあるコントだが、今回はかなり受けている。やっぱり浅草の客層よりも、横浜あたりの客層向けなのかな。

        青空たのしといえば、青空うれしとのコンビで漫才をやっていた人。こんな人の舞台が観れるのも、こんな会ならでは。今ではハーモニカで漫談をやっている。題して『ハーモニカで綴る昭和歌謡』。『春の小川』 『ふるさと』などを、さっと吹いてみせてから、昭和初期からの歌謡曲をトークを織り交ぜながらハーモニカを吹いていく。戦前から戦争中の軍歌、そして戦後歌謡。『旅の夜風』 『啼くな小鳩よ』って、客席は大合唱。・・・・・つまり・・・そういう年代の人が多い会なのよね、この日は。やがて忘れられていくのかなあ。

        青空たのしの持ち時間が来たところで、内海桂子登場。たのしにハーモニカを即興で吹かせながら、『赤城の子守唄』と『名月赤城山』。これまた客席が大合唱。よく歌詞を知っているものだ。私ももう歳を取っているが、さすがにこんな古い曲の歌詞は詳しくは知らないよう〜。

        青空たのしが去って、内海桂子の三味線漫談へ。自作の都々逸をいくつか。「♪命とは 粋なものだよ 色恋忘れ 情がなくなりゃ 石になる」 「♪年寄りを いたわるだけじゃ 正義じゃないよ いかして使えよ 老いの知恵」 

        弟子のナイツを呼び寄せて、これまた即興で松竹梅の掛け合い漫才をやらせる。「これが漫才の原典なんだよ」と言うのだが、さすがに若いナイツには古過ぎてついていけないようで(笑)。最後は『奴さん』を踊ってみせてくれた。着物の裾を撒くって生足を見せるんだから、こっちもびっくり。「これで84(歳)だよ!」 へへー、恐れ入りました。

        外へ出て、また京浜急行の日の出町駅へ歩いて行くと、川沿いの桜が満開だ。[姥桜]なんて言葉が、ふっと頭に浮かんだりして(笑)。桂子師匠ごめんなさい。そしていつまでもお元気で!        


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