November.25,2006 長講1時間20分

11月11日 今松をきく会 (江戸川区北小岩コミュニティ会館)

        笹塚から京王線で新宿へ、新宿からJRで上野へ。アメ横で買物をすませてから京成線に乗る。京成線は町屋の斎場で葬式があるときくらいしか利用したことがない。町屋より先は未知の世界だ。アメ横での買物に思ったより時間がかかってしまったので、外はもうすっかり暗くなってしまった。京成小岩駅を出て、インターネットで調べた地図を頼りに会場に向う。場所はすぐにわかった。和室二間を使って、一間が客席、障子を開けると、もう一間が高座。ごくごく内輪の回なので、顔見知りの人が大半。和気藹々と四方山話などしながら開演を待つ。

        開口一番は、おいけ家金魚『時そば』。プロの噺家さんでは無いそうなのだが、どうして上手いもの。「どうでもいいけど、遅いね。こちとら江戸っ子、気が短けえ・・・・・いや、千葉っ子なんだ。落花生むきむき食べてる。気が長いんだ」

        むかし家今松、一席目。爪に火を灯すという本来の意味の説明から、けちん坊のマクラを振っていくのだが、どうも調子に乗らないのか「気が入らなくてねえ・・・・・なんだか談志みたいになってきましたな」なんて言いながらも噺に入る。ははあ、『味噌蔵』かあと思っていたら、旦那が出て行った後のお店の様子が出てこない。おやっと思ったら、これは『二丁ろうそく』という珍しい噺。このあと『位牌屋』に続けることもあるという。『二丁ろうそく』だけでも30分くらいあった。ということは、この二席を続けて演ると1時間?

        仲入りで、後半は長講だから足を伸ばしておいた方がいいと言われる。こうして始まったのが『大阪屋花鳥(おおさかやかちょう)』という長い噺。これが本来はもっと長い噺『島千鳥沖津白波』の中の一部なのだというから驚き。島流しにあった後、島抜けした吉原の花魁の噺ということだけの知識しかなかった。落語ではむかし家今松の師匠、十代目金原亭馬生が演ったのみとのこと。馬生版は聴いたことが無いが、おそらく馬生版よりも前半部分が長いのではないか。ここがないと島抜けの首謀者だった佐原の喜三郎のこと、そして喜三郎と花鳥の繋がりがわからない。もっとも、噺としてはヒロイン花鳥の方を主役に持っていった方が噺としては面白くなるということらしい。だから、前半部の佐原が舞台になるところ、はやや聴いていてダレてしまうのだが、舞台が江戸になると急に物語が面白くなる。梅津長門が花鳥に入れあげ散財を繰り返すうちに金が無くなり、町人を切って二百両の金を手に入れるくだりの凄惨さ。それを追う目明しのサスペンス。そして長門を逃がすために吉原に火を点ける花鳥。吉原炎上の場面が頭の中でダイナミックに浮かび上がる。島流し。島での日々。いったいどうやって島抜けするんだろうという興味は、ちょっと肩透かしか。あっけなく島抜けしちゃうんだもの。クライマックスは花鳥と長門の再会。全編1時間20分。1本の映画を観終えた気分なのだが、とても短く感じた。

        回りはほとんど知り合いばっかり。ハネてから居酒屋のウチアゲへ。落語好きの人間同士で、大好きな落語の話で盛り上がったり、グチを言い合ったり。楽しい時を過ごしていたら、あらあら遅くまで飲み続けてしまった。こりゃあ帰宅するのは午前様かな。


November.23,2006 笑う間も与えないスピーディーなコント

11月11日 THE GEESE 第2回単独ライブ
        『微生物の友』 (笹塚ファクトリー)

        花形演芸回で初めて目にしたTHE GEESEのシュール系コントがすっかり気に入ってしまった。彼らのコントをもっと観てみたい。気合を入れてチケットを取る。会場は全席自由席。整理番号付きの入場券の番号は10番。あれっ? そんなに人気ないのかな、このコンビ。

        笹塚という駅は以前一度だけ降りたことがある。といっても、もう30年近くなるだろうか。笹塚にあった会社に用があって降りたのだが、駅前にはロータリーなどの類は一切なくて、いきなり密集した建物が目の前にあった。30年ぶりに降りても、地区開発などは一切していなくて昔のまんまだ。外は強い雨が降っている。笹塚ファクトリーは駅からすぐのところにあった。開場10分前に着いたら、2〜30人程度の列が出来ていた。全員若い女性ばかり。私のようなオジサンは場違いの雰囲気がある。10番なんて若い整理番号のチケットを持っているのが恥ずかしくなってくる。開場して中に入ると、若い女の子たちは最前列に小走り向っていく。私は少し後ろの方の隅の席へ。開場時間の段階であまり列が出来ていなかったので、満員にはならないだろうと思っていたが、開演時間には満席。

        最初のコント。どこかの会社での打ち合わせ。ふたりの男がそれぞれ顕微鏡を覗いている。資料が肉眼では見えないくらい小さいので、顕微鏡で覗いているというわけ。ベージをめくるのもタイヘン(笑)。なんでそんなに小さいのかというと、この会社の上司が微生物くらいの大きさしかないから。いきなり超シュールなコントだ。

        パンティー・ストッキングを頭から被るのが普通の世界のコント。パンスト屋に来た客と店員のやりとり。

        嘘をつけない医者と患者のコント。胃潰瘍だと主張する医者なのだが、言葉の端々に「がん」という言葉が混じってしまう。花形で観た『ヘレンケラー』にも通じる、早い言葉のやりとりが、ぞくぞくするほどスピーディーな面白さになっている。観る者に笑いの間を置かせないのが凄く現代的。あとから何回も思い出し笑いが出てくるネタだ。ビデオ出ないかなあ。何回も観てみたいコント。

        喫茶店に男がコーヒーを飲みに入る。BGMに野球の実況中継が流れている。やがて野球は終わり勝利者インタビューが流れる。この部分が前振り。コーヒーを飲み終えた男がレジで会計をしようとすると、レジの男がインタビュアーになって、今までコーヒーを飲んでいたことに関するインタビューが始まってしまう。誇らかにコーヒーを飲んだことを回想して答える客。前半部の仕込みがうまく効いたコントだった。

        一方が一発ギャグをかます。するとその一発ギャグに対して感想文を読み上げる相方。いわゆる一発ギャグって、滑っているものが多いが、こうやって一発ギャグを観た感想を読み上げるというのは、自虐的で可笑しい。

        テレビのトークショウ。アーティストに作品のことを尋ねているのだが、彼の作品はどれをとってもあきらかに盗作だということが観ている客にはわかるというコント。これも痛烈。

        接客用語のコント。レストランの店長が新人に接客用語をレクチャーする。これだけでも面白いのだが、これがまた前振りになっていて、後半にこれがまた生きてくる。うまく作りこまれたコントだ。

        放送禁止用語スレスレクイズ。危ないネタ!(笑)

        娘さんとの結婚を認めてもらおうと、結婚相手の父親に会いに行くコント。父親は突然男に心理テストを始める。相手の反応に、いちいち微妙な反応をみせる父親に、不安になっていく男。

        ラストは濡れるのが大好きな理髪店の店員のコント。ふたりともずぶ濡れ。

        終わって外に出ると、あいかわらず強い雨。傘をささないと、こちらもずぶ濡れだ。ビデオカメラが入っていたから、ひょっとするとビデオ化するのかもしれない。そのときは是非観てみたい。何回も観たくなるコントがたくさんあったから。


November.18,2006 明治座と濱田家のPR?(笑)

11月5日 『日本橋物語V 最愛の人』 (明治座)

        ジェームス三木、作・演出、三田佳子主演の日本橋物語シリーズ三作目。今回は明治座の経営母体でもある人形町の料亭濱田家の跡取りと、そのおかみさんの物語。濱田家は浜乃家、濱田家の社長でもあり、後に明治座の社長にもなった三田政吉は津田惣吉と名前を変えてあるが、濱田家と明治座の話には違いない。

        舞台はいきなり『婦系図』の湯島天神の場面から始まり、観る者をびっくりさせる。お蔦が三原じゅん子、早瀬主税が青山良彦。これがいい。この有名なシーンを臭くなく演じるふたりに、いきなり圧倒させられた。「別れろ切れろは芸者のときにいうもの」という台詞を凛とした表情で言う三原じゅん子は、この古い話を現代的に解釈してみせたかのよう。

        この最初の場は、浜乃家の息子(北大路欣也)と浅草の料亭の娘(三田佳子)がお見合いをかねて明治座に芝居を観に行ったという設定から、演じられたもの。見合いの席に別れ話の芝居を連れて行くとは何事かという親族もいるが、ふたりは結婚することになる。第一幕は戦前から戦中、戦後の浜乃家の様子が描かれ、第二幕は、明治座の火事から、浜乃家が明治座再建に乗り出す様子が描かれる。第三幕になると、政治家になろうかと志す惣吉と、女将の対立を通じて話が進行していく。おそらく、濱田家と明治座を経営する実在の人物のモデルを使って、ジェームス三木が創作した話なのだろうが、観る者を飽きさせない作りになっている。休憩を除いて正味3時間が短く感じるほどだった。

        石橋雅史さんは、二役。舞台が先月の三越劇場と2ヶ月続いてしまうとのことで、ジェームス三木が台詞の少ない役を回してくれたとのこと。最初の役は第一幕の始めごろ。三田佳子の叔父役。そしてもうひとつの役が第三幕の始めごろ、浜乃家の座敷で川口松太郎(青山良彦)と永田雅一(江藤潤)が話しているところへ闖入してくる酔っ払い役。川口松太郎に絡んでくる。自分はあなたの小説のファンで評論家だと、名刺を出してくる。そこで松太郎の前でよろける。後日、石橋さんにお話をうかがった。「あの役は、何の評論家なんですか?」 「これだよ、これ(頬に縦に線を引く)」 「えっ、ヤクザなんですか?」 「評論家とは名ばっかりで、いい加減な記事を書いているゴロツキ」 「ははあ、インテリヤクザなんですね」 「インテリですらないよ」 「酔っ払いの演技って難しいですか?」 「疲れるよ。普通の役の二倍疲れる」 「はあ〜、そういうもんですか」 「動きが大きくなるだろ」 「ええ、声も無駄に張り上げたりして」 「だからさ、二日酔いの人が起き上がれなかったしてるだろ、無駄な力を使うからだよ」 「酔っ払っていて、川口松太郎の前でよろけるっていう演技は大変でしたね」 「うん、実際には酔っ払っていないでフラフラするというのは難しいんだ。しかも人の前でよろけるというのは注意が必要だからね。本当に相手にぶつかってはいけないんだから」

        今回もラストシーンは日本橋の橋の袂。今回は時代が現代なので、日本橋の上に無粋な高速道路がかかっている。その高速道路が取り払われるイメージで舞台は終わりを告げる。すっきりした景観の日本橋でないと、物語性は薄まってしまうもんなあ。

        しかし、観終って感じるのは、これってひょっとして明治座と濱田家のPR劇を観せられたんじゃないかと思えてくるのだ。それを12000円の料金でというのに、ちょっと戸惑いを感じてしまう。劇中で、明治座の改修工事の費用を工面しようとした惣吉が、政治家に相談すると、「そんなものは入場料を上げればいいじゃないか」と言われてムッとしたという話をする場面があった。「お客さんに負担をかけるわけにはいかない」という台詞を思うと、PR劇に12000円ねえと、ちょっぴり苦言を呈したくなってしまうのは私だけだろうか?


November.12,2006 落語でいくらまでなら払えるか

10月29日 『風間杜夫の平成落語会』 (明治座)

        昔だったら、ウチから一番近いところで落語を聴けたのは人形町末広ってことになるが、今やもう末広はとうに無くなっている。今一番近い寄席だったらお江戸日本橋亭ってことになりますか。と、思っていたのはつい最近まで。実はお隣の町、浜町で柳家一琴の会が開かれているのを知って、こちらも観に行くようになってきた。そこへ、もっと近くでも落語を演る場所が出来た。明治座である。明治座なら徒歩5分だ! 2年に1度の風間杜夫、平田満による落語シリーズが大ヒットの明治座が贈る風間杜夫の落語会だ。こんな近くの場所で落語が聴けるなんて思いもよらなかった。開演時間ギリギリまで家で過ごし明治座へ向う。贅沢気分だね。チケットの売れ行きもよかったらしく、三階席までいっぱいの盛況。でも入場料7500円というのは落語会としては高すぎじゃないか?

        前座は無く、いきなり柳家花緑が登場して『片棒』。客席がまだ暖まらない中で、ちょっと可哀想だった。もう少しマクラを長く取ってから噺に入れば良かったのになあ。それにしても、これだけの大きさの劇場、さぞ演りにくいだろうに。

        そこへいくと、新橋演舞場を体験している立川志の輔は実に堂々としている。会場の広さに決して負けていないのである。マクラで、戸隠村で聞いたという、熊の捕獲機の中にうっかり入ってしまった男のことを話す。これだけで、観客をグッと掴む手腕はさすがだ。ネタは『はんどたおる』。客層を夫婦者が多いと見た志の輔の勝ちだ。夫婦のやり取り、新聞販売員とのやり取り、そのねじれた会話くる笑いを、しっかりと取っている。

        春風亭昇太『時そば』。昇太のは実はふたり一組で、屋台のそば屋へ行くという『時うどん』構成。15文しか持ち合わせのない2人組のうち、計略を考えたのが兄貴分。一杯のそばをひとりで全部食べてしまいかけると、弟分が慌てて兄貴分を引っ張る。「引っ張るなって!」と返す仕種が伏線になっていく。丼を奪った弟分にはもう、そばが3本しか残っていない。「こうなったら楽しんで食べるぞ」と、「長いのチュルチュル、中くらいのチュルチュル、短いのチュルチュル」と食べる。これが後半に効いてくる。真似をしてやろうと考えるのは『時そば』を初めとする落語の笑いのテクニック。ところが、この昇太の『時そば』は一歩先を行っている。真似をしてやろうと考える弟分は、なんと二人で行ったのだから、真似するときも二人分の真似をしなければと考えてしまうのだ。つまり実際にはいないのに、前回の自分の分まで真似してしまう。つまり、引っ張っている実際にはいない人物であり、三本しか残っていないそばを食べる人物まで演じてしまうのだから、異様な可笑しさが生まれてくる。さすがだなあ、昇太の古典は。

        仲入り後は春風亭小朝。落語だとばかり思っていたのだが、なんと三味線ロックバンド。『ロック・アラウンド・ザ・クロック』 『ハウンド・ドッグ』 『死神ロック』。こういうオールドタイム・ロツクン・ロールばかりというのも芸が無いと思うんだけどなあ。同じような曲が3曲並ぶと飽きてしまう。

        風間杜夫『居残り佐平冶』。この噺、難しいと思うんですよ。落語を前座噺から習っていない風間杜夫の風間流の『居残り佐平治』だといっていい。良くも悪くも普通の落語の『居残り佐平治』では無い。

        林家正蔵は桂三枝の『読書の時間』。学校で読書の時間が出来て、息子が父親の読んでいる司馬遼太郎『竜馬がゆく』を学校に持っていくが、実はこの本、カバーは『竜馬がゆく』だが、中身はポルノ小説『未亡人下宿 今夜は燃えちゃう』だったという噺。先生から朗読するように命じられるが・・・・・。面白い噺だけど、これが明治座のトリの噺かなあ。

        ウチのもっと近くで落語会が開かれていることが判明した。料亭の濱田家。出演はなんとこれまた風間杜夫。料理も付いてだが、なんと二万五千円。う〜ん。 


November.7,2006 寄席では聴けないハナシ

10月22日 浜町・一琴の会 (中州コミニュティルーム)

        この会はいつも開口一番は前座さんが演るものと決まっているそうなのだが、いきなり柳家一琴が出てきたのでびっくり。「前座さんで手が空いている人が見つからなかったんです。いや、前座さんの数は多いんですが、このところ落語会の数が増えているんですね。それでみんな借り出されてしまう。私のように会の一週間前に頼もうとしても、もう誰もいなくなってしまうらしい」 まずは前座さんの代わりとして、正月興行など持ち時間の少ないときに演るという5分の小噺『きらいきらい坊主』。これ初めて聴いた。上方落語の小噺なのだそうだが、これ、今、東京で演るのは一琴だけではないだろうか? たわいないけれど面白い。

        二席目は、先日亡くなった柳家小せん師匠の出囃子『せり』で登場。軽く調子がいい出囃子で、いかにも小せん師匠の芸風に合っていたなと思う。小せん師匠の思い出、槙原敬之の松本零士の歌詞パクリ事件、さらには師匠小三治師匠の数十万円する茶碗を割って小言をくらったエピソードから、ケチ、セコイをキーワードにして(えへへ、書いちゃった)ネタに入る。吝嗇家の主人が、ひょんなことから結婚して寒い晩に奥方の布団にもぐり込むちに、奥方が妊娠してしまう。これは『厩火事』だろうと思ったら、なんと『位牌屋』。これ、随分と久しぶりに聴いた気がする。それこそ遙か昔にホール落語で三遊亭円生のものを聴いた記憶がある。芋屋の煙草を袂にくすねる仕種で思い出した。この仕種が笑いを生むんだよなあ。

        三席目は、打って変わって笑いの無い『柳田格之進』。50分以上の長講。この長い噺を観客はシーンと水を討ったに聴き込んでいるのが感じられる。格之進の無念の思いが伝わってきて、思わず涙をこぼす人も。

        ハネて後片付けのお手伝い。ウチアケは[ガスト]。ビールは発泡酒のマグナムドライしかないし、ツマミも一品料理の種類が少ない。でも一琴師匠は実は下戸。オムライスを旨そうに食べている。「きょうは、珍しい噺を聴かせていただきありがとうございました」と問いかけると、『きらいきらい坊主』のことを話してくれた上に、「『位牌屋』は、普段寄席ではかけられないネタなんですよ。尺が長いでしょ。その割にはトリネタというわけにはいかない。ホール向けですね。『柳田格之進』も寄席の持ち時間では収まらない。こういうところ向きの噺なんです」 そのあと復帰かなった三太楼→遊雀師匠の事など、裏事情など興味深いお話を伺う。

        浜町・一琴の会は年内はこれで終了。来年は、1月に再開予定だ。


November.5,2006 幻の10年後?

10月15日 The Shampoo Hat
        『津田沼』 (ザ・スズナリ)

        アパートの一室。高校生の主人公が友人に髪をセットしてもらっている。前から思っている同級生の女の子に告白しようと思っていて、彼女に会う前にオシャレをしているわけだ。だがこの部屋に次々と仲間が入ってくる。それがどうも不良連中。彼らは、主人公が思いを寄せている女性は、誰とでも寝る奴だと言い出す。ついには、ここに彼女がやってくると聞きつけた不良仲間が、女とセックスさせてやると中学生まで連れ込んでくる。さらに不良仲間の先輩らしい本物のヤクザまでやってくる。そして現れた彼女。ヤクザは主人公の友人と彼女を無理矢理にセックスさせる。さらには部屋にガスを充満させ、ライターで火をつけたら100万円やるなどと、無茶なことを言い出す。

        この話と、主人公の10年後のことが、とっかえひっかえ描かれていく。10年後の主人公は彼女と結婚していて、幸せに暮している。同じアパートのセットで、10年前と10年後が交互に出てくる構成なので最初はちょっと戸惑ったが、構成に慣れると面白く感じて来る。10年後の主人公はアパートのどこかからノイズが聞こえてくることをさかんに気にしている。業者がノイズの出所を探し回り、大家さんまでやってくる。なんということない平和な流れが続いていく。10年前の緊迫感と10年後の平安な時間。そのギャップが面白い。

        この10年後というのが、どうにもクセモノで、最後のセリフが意味深。どうもこの平和な10年後というのは単に高校生の主人公の夢の中の空想なのかもしれないと思われるのだ。現実はどうしようもない地獄のような世界。10年前の話を見せられる観客は苦痛のようなものを感じさせられる。なにしろ、あんな事件のあった10年後に主人公と彼女が結婚して穏やかに暮せるとは思えないのだから。


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