December.30,2006 散漫な気がするのは私だけなのだろうか?

12月24日 『あ・うん』 (シアターモリエール)

        私の苦手な向田邦子である。それでも立川志らくが、下町ダニーローズでやってきたものをプロの役者さんと噺家、コメディアンの混成チームで再演するというもの。好きな役者さんや噺家さんたちも大勢出ているので、前売発売日にチケットを取った。

        主演の水田仙吉に朝倉伸二。相手役の門倉修造を立川志らく本人が演じる。ここでやはり役者と、芝居経験の少ない噺家との力量の差はどうしても出てしまう。仙吉の存在感に修造というキャラクターが付いていけていないもどかしさを感じてしまう。女優陣が見事だ。仙吉の妻たみを演じる北原佐和子、仙吉の娘を演じる須藤温子、修造の妻を演じる高橋かおり、修造の二号さんを演じる吉田舞、みなさん達者だ。これに笑い系が絡む。モロ師岡、原武昭彦、山田明郷のトリオが出てくるシーンは、この芝居をまた違ったものにしている。さと子のお見合い相手の片桐仁もうまく笑いを取る。ただ、あまりに役者陣の見せる芝居と、コメディ演技を要求される人との演技プランが異質なので、観ていてちょっと戸惑いを覚えてしまう。

        向田邦子の原作は、テレビドラマ。それを舞台でやろうとしたところに、やや無理があるような気がする。舞台は水田家の一階部分が作られていて、幕を下ろして幕前を活用している。ただそれがあまりにも暗転でめまぐるしく場面が変わるので、どうしても芝居に集中できないのだ。あまり舞台向きとは思えない話のような気がする。ラスト、客席からはすすり泣きの声も聞かれたが、私にはどうもねえ・・・・・。やはり向田邦子は苦手だ。


December.24,2006 見事に円生に捧げた『文七元結』

12月23日 円丈の『文七元結』をやる会 古典も新作派の時代 (国立演芸場)

        円丈チルドレンの三遊亭白鳥、神田山陽、春風亭昇太、三増紋之助による前説からスタート。
昇太「ボクが大学生のときですから、もう26〜7年前ですか、寄席へ行くと円丈師匠は古典落語をやっていた。『茶の湯』なんて、今でも円丈師匠のが一番面白いと思っています」
山陽「昔、円丈師匠の『茶の湯』のテープをファンから5000円で買ったことがある。客席から盗み録りしたやつ」
昇太「バカじゃない? 今回、師匠はこの日のために着物も新しいのをあつらえました。しかも、33年ぶりに着物を着て正座して稽古をしたそうです。正座して稽古なんてオレたちやらないよな」
白鳥「ボクは寝っころがって稽古する。それでいまだにカミシモがわからないのかなあ」
山陽「寝ながらカミシモきったら、それは寝返りだろ。アザラシだね」

        開口一番は、三遊亭円丈自ら『手紙無筆USA』。外国人の乗った外車に撥ねられて、英語で大丈夫なのか尋ねられて「アウアウアウアウ」としか言えなかったというエピソードを披露してネタに入る。古典『手紙無筆』を英語の手紙ということにして改作したもの。居酒屋で知り合った外国人からの英語の手紙を知ったかぶりの男に翻訳させようという噺。『手紙無筆』のアイデアを使って大胆に変えて作った、新作派らしい工夫が施されていて楽しい。

        三遊亭白鳥『初天神』。子供時代は甘いものに飢えているという例を自分のレディボーデン体験で語ってみせてからネタに入る。「♪と゜ーしてお腹が減るのかな」と歌いながら出てくる金坊は、もう甘いものに飢えている子供そのもの。天神様に連れて行ってもらえないと父親に言われると、そば屋の二階でうりざね顔の黒木瞳似の女性と逢引して乳を揉むんだろうと創作噺をでっち上げて母親に告げ口する策士でもある。「飴屋が出ているよう」 「ああ、ウチとはエンもユカリもない飴屋だ」 「どのくらい縁がないの?」 「共産党と石原都知事くらいエンもユカリもないんだ」 こうなると金坊の逆襲がすごい。うしろにひっくり返ってダダをこねだす。「飴買ってくれえー!」と叫びながら、そのままゴロゴロ転がって上手側に消えてしまうという必殺技炸裂!

        神田山陽は、春風亭柳昇師匠に噺家、講談師としてやっていけるコツとして、@人気者になること、A噺が上手くなること、B贔屓をつけること。この三つのどれかが出来れば喰っていけると教わったというエピソードから『谷風情相撲』へ。贔屓から谷風に、マワシに手がかかったら何両、四つに組んだら何両、もろ差しにしたら何両とご祝儀を吊り上げていく様はまさにBの要領。軍配が返ったところで切れ場。う〜ん、続きが聴きたい。

        春風亭昇太は、山陽が自分の師匠柳昇に可愛がられていたことを、ちょっびりやっかんでいたらしい。どうして柳昇師匠が山陽を好きだったかというと、「日本軍みたいだろ。坊主頭で、ハキハキしていて」 ネタは二つ目時代によく演ったという『浮世床』。「あ、あ、あね、あね、あねが、あねがわ、あねがわの、かっ、あねがわのかっせんの、ことこと、ことことこっとん、ことことこっとん」 「森の水車か!」

        仲入り後は三増紋之助の曲独楽。風車は客席に下りて廊下で独楽を回し、棒の先に乗せて回すサービスぶり。私の本当に近くで回してくれたので、今までで観た中では最短距離。

        さて、トリが三遊亭円丈『大晦日文七元結』。実は円丈は六人抜きで真打になった人。師匠の円生も、古典落語を志す円丈に期待していた節がある。新作も円生は面白がってくれたが、古典を継承して欲しいという気持ちがあったようだ。それが円生亡き後、すーっと新作一辺倒に変わっていた。今回の『文七元結』はその円生に捧げる一席とのこと。まずは、奉公制度の解説から入る。番頭というのは、いわば真打。手代から出世して番頭になると、やがて暖簾分けして店を持たせてもらえるという図式。いわば二つ目ともいえる手代のころは、女性との付き合いは禁止されていた。この解説が効いている。円丈は『文七元結』の噺を大きく変えることはせずに、いくつかの手を入れている。まずは、以前から不自然と言われていた部分。やがて文七とお久が結ばれて夫婦になるという唐突とも思える結末。これを合理的に解決した。文七とお久は、以前からふとした出会いで恋仲になっていたという設定。吾妻橋の袂で飛び込もうとする前に、ふたりは会う約束をしていたというのが、これまた効いている。次に、もともとこの噺は、大晦日の前日から二日間という時間を、大晦日一日だけに短縮するという試み。ラストが除夜の鐘になるという鮮やかなクライマックスだ。眼鏡を外した円丈師匠の顔は初めて見たが、眼鏡を外すと、驚いたことに端整な古典落語の師匠のような顔立ちになるから凄い。古典でも円丈はやはり偉大だった。文七が四人抜きで番頭になったというところも、六人抜きで真打になったという自分を置いてのことだろう。さまざまな思いのこもった『文七元結』。いい噺を聴けた。


December.17,2006 踊りを楽しく観させる工夫

12月16日 人情おどり座
        『東町一丁目富士見荘』 (俳優座劇場)

        最近、夜に何回か店にお見えになっているお客様からチケットをいただいた。チラシの写真を見てびっくり。なんと、この舞台の出演者のひとりではないか。何の予備知識もなく劇場に向う。

        出演者は役者さんではない。8人の出演者は、それぞれ日本舞踊のプロ。その人たちが集って、ストーリー性のある芝居のような踊りを観させる。したがって台詞はひとつもない。だが、その踊りを観ているだけで、何事が進行しているのかわかる仕組になっている。

        それぞれが、ひとつの役柄を演じて踊る。[女形] [戦友] [バーママ] [家主] [苦学生] [酒屋小僧] [千葉のオバさん] [マドンナ]の八つの役柄。これに軍歌から始まって、戦後の歌謡曲が次々と流れる中、踊りで話が進んでいく。まずは[女形]と[戦友]による『蝶の道行』の踊りからスタート。これが戦場での演芸会という設定。やがて踊りの途中で敵機襲来。[戦友]は、この闘いで重症を負ってしまう。終戦直後の歌謡曲メドレーのあと、富士見荘の住民が紹介される。小さなバーを経営する[バーママ]、アルバイトをしながら大学に通う[苦学生]、このアパートの大家[家主]、そして生きて帰って来た[女形]。これに、自転車に乗って御用聞きをしている[酒屋小僧]、千葉から野菜を売りに来ている[千葉のオバさん]が加わる。さらに[苦学生]の憧れ[マドンナ]。それに何と[バーママ]と恋仲になっている、[女形]は死んだと思いこんでいた[戦友]という図式。[女形]は[戦友]のことを愛していたのだ。舞台の最後近くなってこの事実を知った[女形]は半狂乱になってしまう。ここで『娘道成寺』!

        舞踊というジャンルは苦手なのだが、こうやってわかりやすく観させてもらえると、取っ付きやすい。曲も昭和30年代くらいまでの、いわゆる歌謡曲。いわば、『ALWAYS 三丁目の夕日』時代の曲。あのころの曲は歌詞にちゃんとわかりやすい意味が込められていたんだなあと、この舞踊劇を観ていて思った。幸せな気分に浸れた1時間30分だった。


December.13,2006 男女9人恋愛物語

12月10日 ポツドール
        『恋の渦』 (THEATER TOPS)

        前々回『夢の城』、前回『女のみち』に続いて3度目のポツドール。この劇団の芝居は、正直言って観るのがしんどい作業になるのだが、とにかくインパクトがある。観終わったあと、しばらく虚脱感に襲われる。それが癖になって、また出かけていくのだが。

        ある若者の住む一室。あとからわかるのだが、ここは同棲中の男女が住む部屋。そこに、友人たちが集ってくる。仲間うちで、カノジョのいない男と、カレシのいない女を引き合わせてやろうというのが目的の飲み会なのだ。若者たちは、男はどうやらみんなフリーターらしい。女は、ほとんどが同じ会社に勤めているOL仲間という設定。今どきの若者らしく髪を染め、口調もやや乱暴な口のききかたをしている。「マジ?」 「それほんとマジで?」 「マジむかつく」 「マジすごくねえ?」 「マジやばい」となにかと、「マジ」という単語が入る。どうも、あったま悪いんじゃないかといった連中たちである。物語はここに集った男5人、女4人のここから始まる物語。暗転すると舞台は四つの部屋に分けられている。それぞれの人物の住む部屋で同時進行で話が進んでいく。どの部屋にもテレビがあり、そのテレビはいつも点けっ放し。同じ局の番組を放映している。いつでもバラエティ番組だ。何かものを深く考えようという番組ではなく、ダラダラとタレントが垂れ流す時間潰し番組。それをジッと見つめている者もあれば、ただ意味もなく点けているだけの者もいる。

        彼らの関心事はただひとつ、恋愛。彼らは四六時中恋愛のことしか考えてないようにみえる。なんとなくテレビの恋愛ドラマのようにも思えるが、この芝居は何せポツドールだ。恋愛のことしか考えていない生き物としての人間を、動物園の動物のようにして見せる。一切台詞無しで人間の欲望だけを描いた『夢の城』なんかに較べると、よりマトモな人間を描いているように見えるが、これだけ多くの台詞をもって語られる(時間が同時に動くのでお互いの台詞が被って、聞き取れないこともある)この芝居も結局、恋愛という名の欲望だけで生きている動物としての生き物を描いてる。彼らは常に携帯電話で連絡を取り合い、愛を告白し、うまくいかないとキレる。

        ポツドールの芝居を観たあとに感じる興奮と虚脱感は何なんだろう。人間の持つ理性を引っ剥がしたときに現れる、感情と欲望だけの本能で生きている者たち。それを理性を持ちながら見守っていく芝居体験。この作業は正直いってキツい。しかも、他人の生活を覗き見たような、ちょっとした罪悪感をも伴って、複雑な気になってくる。次回の公演もまた行く事になるんだろうなあ。今回は女性客の姿も多く見られた。前回の『女のみち』で女性を描いたことで女性客が増えたのだろうか。


December.9,2006 目立たない者たちの目立った人生

11月26日 東京ヴォードヴィルショー
        『エキストラ』 (紀伊國屋サザンシアター)

        学生時代、友人がエキストラの事務所に登録していて、授業が無いときはエキストラとして映画やテレビドラマに出ていた。アルバイトとしてはギャラが安いので割に合わないけれども、撮影現場の空気に触れられるのが楽しいとの事だった。私もやってみたいなあと思っていたが、当時はむしろ、そんな時間があったらば映画館の暗闇にいた方が好きだった。だから他のアルバイトをしながら名画座に入り浸る日々を送っていた。そんな中でも一度だけエキストラをやった事がある。唐十郎が監督した『任侠外伝 玄界灘』だ。一日の営業が終了した川崎のストリップ劇場を借りて徹夜で撮影が行われた。知り合いの雑誌編集者から、その日の夜に電話で呼び出され現場に行った。なにしろ急な呼び出しだったので、どんな服装で行ったらいいのかわからなかった。真冬のことだったので赤いセーターを着てコートを羽織って出かけてしまった。この日の撮影シーンは、ストリッパー役の李礼仙が踊っていると、客のひとりが李礼仙に触ったので、用心棒役の大前均がこの客に蹴りを入れる。すると怒った客全員が舞台に上がり、大前均らヤクザ数人と乱闘になるというくだりだ。2回のリハーサルのあと本番。私も舞台に駆け上がって乱闘に加わった。数ヵ月後映画は完成し、私も試写室に招待されて観た。私はしっかりと写っていた。赤いセーターの色がいやでも目に入ってくる。結構目立っているのだ。

        三谷幸喜、作・演出の『エキストラ』の中で、「エキストラは背景だ。目立ってはいけない」という台詞がある。ああ、そうなんだよな。そこへいくと、あのときの私は目立っていたなあと、今になって思う。しかし、服装のチェックなんて無かったもんね、あの日は。いや、目立ったと思っているのは私ひとりで、実際にあの映画を観た人はそうは思ってないのだろうけれど。

        テレビドラマの撮影現場。どうやら子供向けのドラマのようだ。主人公がタイムマシンに乗って過去から未来から自由に移動できるヒーローという設定。だからいろんな時代が出てくる。撮影は1話分だけまとめて撮るのではなく、何話にも渡ってシーンを少しずつ撮影していく。そのためにエキストラも含めて出演者はシーンごとに衣装をチェンジしなければならない。そんな現場に会社を定年退職した男、伊東四朗がやってくる。彼にとっては初めてづくしの事ばかり。撮影中に変な動きをしてはハジかれてしまう。他にも登場人物は多彩な者ばかり。エキストラの立場に不満を感じて暴動を起こす事になる角野卓造。エキストラ派遣会社の社員で、撮影スタッフとエキストラの間に立たされて難儀を押し付けられるはしのえみ。エキストラから俳優になって得意になっている佐藤B作。はしのえみとは逆にエキストラ派遣会社の社員としては経験の多い佐渡稔。なにやら重い病気を背負っていて、ほとんど寝ている老人市川勇など、実に個性的な人物が描き出されていく。この大人数を描き分け、交通整理する三谷幸喜の手腕はさすが。今回はドタバタというよりもペーソスに流れたような気がするが、それでも思い返してみると、ところどころの笑いが思い出されてクスクスと、思い出し笑いが起きてくる。伊東四朗は台詞が少ないけれども存在感がある。

        映画の中に映りたい。でも目立ってはならない。そんなエキストラの立場。今度、エキストラの声がかかったら、私は自然と溶け込んでみたい気がする。そして自分だけ、「うふふ」と笑ってみよう。


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