September.30,2007 喬太郎を聴ける時代に生きている幸せ

9月22日 第2回丸善丸の内寄席 柳家喬太郎独演会 (丸善丸の内本店 日経セミナールーム)

        セミナールームを利用しての落語会。照明は全て蛍光灯だから、何だかこれから講義でも受けようかという空気。それでも机に毛氈をかけた高座に噺家さんが乗ると、落語世界になってしまうからさすが。

        開口一番は、前座さんが出払っているので、急遽2日前に喬太郎から頼まれたという、さん喬五番目の弟子柳家喬之進。ネタは『幇間腹』。若旦那が針を刺したいと言い出したのを聞いて幇間の一八「きのうの夢見がよくなかった。喬太郎がビリーズ・ブート・キャンプやってる夢見ちゃった」 若旦那、針を腹に刺そうと何やら教則本らしきものを取り出す。「若旦那、それ丸善で買ったんですか? ちょっと見せてくださいよ・・・『ダーティ・ハリー』って、違うでしょ!」

        柳家喬太郎一席目。噺家になる前は書店に勤めていた経験のある喬太郎、本屋トークが炸裂する。家の本棚を見ていたら、春風亭小朝の写真集が出てきたという話から、「私も写真集出しますか。いや、出すよ」ここで爆笑と共に拍手が起こる。「拍手かよ!・・・出すよ。脱ぎますよ、芸術のためなら」 ここから酒の話題になり5時ごろからビアホールでチンタラ飲むのが好きだと、その楽しさを語ったあと、「世間一般の落語家のイメージといいますとね、酒飲み、貧乏、旨い食い物を知っている、そこそこ物識り、人非人って感じでしょ。でもね、意外と酒飲まない人多いんですよ」と、噺家の実名を次々と上げて、その師匠と酒の飲み方を話し出したから、マクラが終わらない、終わらない。結局30分のマクラから『禁酒番屋』へ。もうトークショウ状態。これが好きで喬太郎を聴きに来る人は多いだろう。

        仲入りはさんでも柳家喬太郎のトークショウは終わらない。北海道に学校公演ツアーに出た近況報告が長い長い。朝食バイキングと、その日の公演先で出た弁当の話など大爆笑で、これまたネタに入ろうとしたときにはマクラだけで25分。当初予定していたという『文七元結』はとてもできない。そこで「あの、何か私が高座で演ったこともない15分くらいで出来る古典落語、リクエストしてくれませんか?」 ここで客席から出たお題が『看板のピン』。「『看板のピン』ねえ・・・としばらく話しながら、噺を思い出している様子。しばらくすると思い切ったように『看板のピン』を演りだした。この噺は落研時代に二回ほど演ったことがあるという。20年ぶりの演る噺を即席で演れてしまうところが凄い。それでも時間が余ったので、なんと三題噺を演ると言い出した。客席から出たお題が、フランス人形、東京駅、明太子。しばし逡巡していたが、JR、フランス大統領を中心に物語を組み立て始め、最後にサゲに使いやすいと思ったのだろう、明太子を持ってきて、うまくしめた。

        ハネると午後4時。知人とコーヒー。今、喬太郎がいなかったら、落語界はどんなに物足りなく思えるだろうという話になった。喬太郎の落語が聴ける時代に生きている幸せを感じた。昔、私が円生、文楽、小さん、馬生、正蔵を聴ける時代に生きている幸せ、そして古今亭志ん朝、立川談志、春風亭柳朝、三遊亭円楽を聴ける時代に生きている幸せを感じたように、今でも、今の時代に生きていてよかったと思える噺家が何人もいる。ナマの落語を聴きに行かないでいまだに故人の録音ソフトだけ聴いている人たちは、なんてもったいない生き方をしているのだろう。

        5時に知人と別れて、ビアホールへひとりで入る。夕方からビールだ。こちとら、きょうは休みだあ!


September.29,2007 目を瞑れば・・・

9月17日 紀伊國屋寄席

        なんと、513回目の紀伊國屋寄席だという。1964年9月が第一回。月一回のペースで43年。さすがに第一回は聴いていないが、私はおそらく1966年ごろからの数年間ほぼ毎回観に行っていた。もちろんまだ中学生。まわりを見渡しても私よりも年下なんていなかった。ほとんどレギュラーの出演者が、三遊亭円生(六代目)、林家正蔵(八代目)、桂文楽(八代目)、柳家小さん(五代目)、金原亭馬生(十代目)といった、そうそうたるメンバー。今、タイムマシンでどこにでも行かれるとしたら、私は迷わずあのころの紀伊國屋ホールへ行くだろう。

        そんな紀伊國屋寄席に久しぶりで行ってみようと思ったのは、今回けっこう私好みの出演者とネタが並んでいたからだ。発売日よりもかなり遅れて紀伊國屋のチケット売場に行ったのだが、チケットはまだ真ん中あたりのものが残っている。やや地味な顔づけなのかなあと思ったのだが、当日会場に着いてみると、客席はほぼ埋まっていた。

        開口一番の前座さんは、開演時間前に出る。これも昔ながら。この日は柳家ごん坊『狸の札』。頑張ってね。

        まずは二ツ目、柳家さん弥『臆病源兵衛』ときた。これもめったに聴けない噺だ。先代の金原亭馬生が演っていたという記憶があるが、それが五街道雲助に伝わり、さらにその弟子の桃月庵白酒がCDにしている。最近は、そこから何人かが演るようになっているようだが、途中で主人公が入れ替わるという不思議な噺で、オチも唐突。でもなんとも落語らしいエッセンスに溢れた楽しい噺だ。

        この日の私のお目当てのひとりが春風亭栄枝『蜀山人』。弟子の栄助はよく観るのだが、この師匠はなかなか当たらない。この『蜀山人』というネタ、この人が高座に上がるときに最も得意にしているネタらしい。江戸の狂歌師蜀山人(大田南畝)について語りながら、自由に漫談を入れていくという構成だ。「レストランに行きましたら列が出来ていて、お客さんが並んでいる。しばらくしたら『じいさん、ばあさん、ご案内』ってウエイターさんが呼んでいる。そんな失礼なと思ったら、これは『13番さん、ご案内』の聞き間違いだった」 「だんだんタバコを吸う人は肩身が狭くなってきまして、隣で吸うときは、吸ってもいいか訊ねたりしている。『すいません、すいません』っていうので吸わないのかと思うと、盛んに吸っている」 「国立という駅があります。国分寺と立川の間だから一字ずつ取って国立。ここに谷保天満宮という天神様がある。蜀山人の狂歌に『神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん』とある。ここから野暮天という言葉が出てきたんです」 ほほう、勉強になるではないの。「細木数子の狂歌を作ってみました。いたずらに 人の運命弄び 名は細木でも ふてえ女」 「狂歌は楽しいものです。みなさんも作ってみませんか? でも家で詠んでいてはいけません。余所に行って大勢で詠むのがいい。これを強化(狂歌)合宿といいます」 あんまり面白いので家に帰ってからインターネットを見ていたら、春風亭栄枝著『蜀山人 狂歌噺 江戸ギャグパロディーの発信源』なる本が発売されていることを知り、さっそくAmazonで購入してしまった。

        三遊亭金馬『さんま芝居』。これも、三遊亭円歌がCDにしているのと、三笑亭笑三がかけているのと、上方で桂文我がかけているくらいしか知識が無かったが、金馬が持っているとは知らなかった。「最近はガスじゃなくて電気のコンロが多いそうですが、電気は焼けあと付かないのが寂しいですな。一番嫌なのは電子レンジ光ったまま出てくる。さんまはやっぱり七輪に火を熾しましてね、煙をモウモウとさせながら焼くのが一番いいようで」とネタに持っていく。サゲに繋がる芝居小屋でさんまを焼いて煙を出す場面でこのマクラでのさんま話が効いてくる。う〜、さんま喰いてえ!

        仲入り後が、古今亭志ん輔『高田馬場』。あー、そういえば、こんな噺も聴くのは久しぶりではないか。歩行者天国でマジックを演っている人の描写から、浅草での蝦蟇の油売りの口上へと入っていくあたりの間が絶妙で、落語の世界にグイグイと引き付けられた。高田馬場の群集の描写もダイナミックでストーンと落とすサゲも楽しい。こんな面白い噺、なんで最近はあまり耳にしないのだろう。

        トリは三遊亭円窓。師匠円生の十八番『木乃伊取り』だ。私もこの場所で円生の『木乃伊取り』を聴いたことがある。目を閉じるとあのとき『木乃伊取り』を演っている円生の姿が甦ってくる。「師匠に『木乃伊取り』を教わりたくて『教えてください』と言ったら『勝手におやり』と言われたことがあります。稽古は厳しかったですが、いつも・・・厳しい人でしたね。『木乃伊取り』は廓噺ですからね。ウチの師匠なんかも吉原に通った経験があるんですよ。だから、そこでの失敗談なんかも聞きたかったんですがね。失敗談、しなかったですね」 「一度、円生、円楽、そして私で東北巡業に行ったことがあった。東北新幹線なんて無かったころ、特急電車でしたが、真夏でした、エアコンが壊れていて暑いのなんの。『暑いですね』と師匠に言うと『暑いでがす』なんて言いながら乗っていた。しばらくして駅に着きましたらね、師匠が『涼しくなりやしたな』って言うんです。もちろんエアコンはまだ壊れていて車内は暑い。北の方に来たのでいくらか涼しくなったのかなと思い、『そうですね』と答えたらね『そうだろう、駅は郡山だ』」 『木乃伊取り』は吉原に行ったっきり帰ってこない息子を迎えに行けと言われた番頭がそのまま木乃伊取りが木乃伊になってしまい帰ってこない。次に鳶の頭を迎えに出すが、これまた木乃伊になってしまう。そこで堅物の飯炊きの清蔵が行くと、という噺。「村相撲で大関になったんだ。四十八手ばかりじゃないだ、回し蹴りもやるだ。腕ひしぎ逆十字固めもやるだ」と自信満々だったが、「まあ、とりあえず、飲んでいけ」と湯呑を渡されると、「オラ、若旦那を迎えに来たで、酒迎に来たわけじゃないで」と言いながらも、あらあら、どんどん木乃伊になっていってしまう狂った状況が可笑しい。

        考えてみると、中学生のとき円生を聴いて、私は落語に木乃伊にされてしまったのかも知れないな。


September.26,2007 素に近い(?)石橋さん

9月15日 竜小太郎公演
       『音次郎しぐれ笠』 (三越劇場)

        昨年10月の三越劇場公演『緋牡丹慕情』、今年4月の浅草大勝館公演『緋牡丹慕情 浅草版』、『緋牡丹博徒 お竜参上』に続き、今年も三越劇場での竜小太郎公演。小太郎を取り巻く劇団員以外の出演者も、長門勇、三浦布美子、そして石橋雅史と固まってきた感じ。

        竜小太郎は、女形の緋牡丹のお竜役から一転、日本橋の魚問屋の若い衆音二郎。酒を飲んでいるところを喧嘩を売られ、それに乗ってしまう。音二郎の奉公先の女主人(三浦布美子)は、音二郎に禁酒の上、寺にこもって瀧に打たれて来いと命令する。その寺の住職が石橋雅史という配役。もちろん石橋さんは今回は悪役ではない。音二郎に対して「自分よりも強い者がいるということを知っている者こそ、本当に強い者なのだ」と諭したりする。おお、何だか石橋さん自身が本当に口にするような台詞ではないか(笑)。今回の石橋さんはまさに適役。素の石橋さんに近い役に思える。

        他の配役もほとんど悪役というものはいない。最後に音二郎と喧嘩をした相手が再び出てきて立ち回りになるが、その程度。いい人ばかりが出てくるので話が殺伐としてこないのがいい。観劇した日が東京公演の千秋楽であったせいもあるのか、出演者たちがみんなリラックスしていた。小太郎の音二郎に石橋さんが説教をしている場面で、小太郎がニコニコ笑っているのに石橋さんが気がついて、「ちゃんと聞いているのか?」と声をかけたところはアドリブかな(笑)。


September.23,2007 師匠と弟子

9月9日 柳家さん喬独演会 (横浜にぎわい座)

        二週続けてにぎわい座。特におめでたいことがあったわけではないけれど、崎陽軒の売店で赤飯弁当を購入して、これを食べながら前座さんの出を待つ。開口一番は柳家小んぶ。さん喬十番目のお弟子さん。ネタは『道灌』。頑張ってね。

        四番目の弟子ということでその名前が付いたという柳家喬四郎。もちろん一番弟子は喬太郎、二番弟子が柳亭左龍、三番弟子が喬之助ということになる。喬四郎は上の三人の兄弟子の師匠さん喬への接し方を、ややデフォルメした形で形態模写してみせた。それが似てるのなんの(笑)。「左龍アニさんと、喬之助アニさんがまだ前座修行中のことです。おかみさんに『冷蔵庫のメロン、食べごろだから食べていいわよ』と言われたので、このふたりのアニさん、二人で半分ずつに切って食べちゃった。あとから『全部食べていいなんて言ってないでしょ』と怒られたそうで」 ネタはなぜか『厩火事』のストーリーの解説から始まって、クライマックスからサゲまでで、これが柳亭左龍が高座で演っているところだったというのが始まり。左龍のところに弟子になりたいという男がやってくる新作『弟子入り志願』。さん喬一門を知っていると、うふふふと笑える。

        喬四郎がバラしたメロン事件のあとを受けて、柳家さん喬が今度は自分の師匠柳家小さんに怒られたというエピソードを披露し始めた。「ウチの師匠は冷蔵庫を二つ持っていて、ひとつは自分専用。もうひとつはみんなで使うもの。その共用のものに、あるとき缶詰が二つ入っていたんです。桃の缶詰とパイナップルの缶詰。これは食べていいんだろうと思って缶の蓋を開けて弟子たちで食べちゃったんですね。師匠が外から帰ってきて、その冷蔵庫を開けて『あっ!』と言ったんです。弟子たちを見て『旨かったか?』。私ら『はい』。その師匠の顔が怒っているんですよ。『喰うなと言うんじゃねえ。ひとりで全部は喰えねえんだから。一言断ってから喰えよ』 そういい残して二階へ上がっていくんですよ。踊り場に着いたときにボソッと『楽しみにしてたのに』 これですからメロン全部喰われても仕方ない」 一席目は『水屋の冨』。さん喬の『水屋の冨』は何といってもそのサゲの部分が圧巻だ。縁の下に吊り下げておいた八百両の包みを盗まれないか疑心暗鬼になって夜も眠れなかった水屋さん。ついに盗まれてしまったわかると本来のサゲは「これで苦労がなくなった」 これがさん喬演出だと、無くなったとわかった水屋さんが号泣するのだ。「俺の八百両! ちきしょー、誰だあ!」そしてひとしきり振り絞るように泣いてから、「きょうはよく眠れらあ」でサゲる。この「きょうは」というところがミソで、「これで苦労がなくなった」というサゲとは一線を画す。八百両への未練がなくなったわけでは決してなく、とりあえずは心配なく今夜だけはよく眠れるという意味と、「眠れらあ」という江戸っ子らしい意地が感じられるのだ。メロンを丸ごと食べられたさん喬、楽しみにしていた缶詰を食べられてしまった小さん。規模は違うが、ふたりの心情とあいまって、見事な高座となった。

        仲入り後のヒザは柳家小菊の粋曲。『かえるぴょこぴょこ』 『ぎっちょんちょん』 都々逸をいくつかと、最後は『淡海節』。

        二席目も小さんの思い出話から始まる。「寄席で一席終えて師匠が『おい、ちょっと付き合ってくれないか』って言うんですよ。それで連れて行かれたのが柳橋の料亭でした。師匠の贔屓筋のカシラで政五郎さんていう方が待ってらして、ご一緒させていただきました。師匠もカシラも膳のものにはまるで手をつけないでいる。するとカシラが私に向って『よっ、何か喰わねえか』と言ってくださいまして、私夢中で目の前のものをいただきました。すると師匠が『よっ、ご馳走になったんだから何か踊れ』って言うんですよ。『何を踊りましょう』と師匠に訊くと、『俺が歌うから、それに合わせて踊れ』って言うんです。確か『雪降る』とかいう小唄でした。師匠が歌うそばから、当てぶりで踊りました。終わってカシラからご祝儀渡されて、師匠からは『よっ、ありがとな』と言われて、それこそこちらからお礼を言わなくてはいけないのに」 その柳橋体験がいい経験になったのだろう。『たちきり』は柳橋の風景と芸者小糸の姿が浮かんでくる、いい出来の『たちきり』になっていた。


September.21,2007 今の時代とのずれ

9月8日 東京ヴォードビルショー 松原祭
      『黄昏れて、途方に暮れて』 (紀伊國屋サザンシアター)

        松原敏春脚本の再演企画二本目。どこかの駅。佐藤B作扮する主人公が降り立つところから始まる。彼はその様子を自分でアナウンサーのようにして喋りながらテープに録音している。そこへ電車ごっこをしている大人数名がやってきて、男を連れ去る。連れて行かれた先は、心にに傷を負った者達がその実体験を芝居にして繰り返し演ずることで、魂を開放しようとしている一団。

        なんともシュールな物語だった。いや、なんか、時代を感じてしまったというのだろうか。以前、こういうよくわかったようなわからないような芝居がもてはやされた時期があったような気がする。う〜ん、悪くはないのだが、なんだかもう現代と時代がズレてしまったような脚本のような気がしたのは私だけだろうか? 役者はみんな達者だ。佐藤B作をはじめとして、あめくみちこ、佐渡稔、市川勇、山口良一ら、こんな凄い役者はそういない。松原敏春を追悼するという試みもいいが、もう吹っ切って、東京ヴォードビルショーには次の活動に向って欲しい気がした。


September.16,2007 聴くのに力がいる落語

9月2日 横浜で彦いちの噺をきく。 (横浜にぎわい座)

        このところ横浜にぎわい座に行くには、行きは京浜急行乗り入れの都営浅草線を利用している。人形町駅で都営線に乗り込んで空席に座り込むと急に睡魔が襲ってきた。目をつぶって、これから横浜まで仮眠を取ろうかと思った。と、次の日本橋駅へと列車は滑り込む。ドアが開くと見知った顔の人物が乗り込んできた。あああっ、桃月庵白酒師匠ではないか。白酒師匠は二ツ目の五街道喜助時代に翁庵寄席にご出演してもらったことがある。「どうも、ご無沙汰しております」と師匠の隣に座り込む。「師匠、これからどこかでお仕事ですか?」 「ええ、横須賀まで」 尋ねると、これから横須賀ベイサイド・スポットでも三遊亭歌之介、柳家喬太郎、春風亭一之輔という豪華なメンバーでの落語会にご出演するとのこと。うう〜ん、横須賀の方も魅力的だが、もうにぎわい座のチケットを取ってしまったのだった。日本橋から横浜まで約30分、最近の落語界のあれこれを、いろいろと伺う。もう楽しくて楽しくて、あっという間の30分だった。横浜までの距離がこんなに近く感じられたことはない。横浜で別れて、にぎわい座へ。

        前座さんの開口一番もなく、林家彦いちが2時間喋り倒す趣向。まずは古典の『権助魚』だが、噺に入る前のマクラが長い。銭湯に行くのに石鹸を忘れていってしまいシャンプーで全身を洗ったらヌルヌルがなかなか取れなかっくなってしまったという話やら、フィリップの電動音波歯ブラシ、ソニックケアの威力を面白おかしく語ったあとは、ロスアンゼルスのコメディシアターで英語で小噺を演った話、そしてブルネイでの落語体験、顔芸、空港での南京玉すだれまで35分。もう、長いマクラは小三治の専売じゃなくなった。彦いちらしい、力の入ったおかみさんととぼけた権助の対比に大笑いして、前半が終了。

        ブルネイ旅行で撮ってきた写真がスライドで上映されるうちに、SWAのユニフォームに着替えて後半の新作2本に突入。とにかく彦いちの落語は力が入っている(笑)。『ジャッキー・チェンの息子』は、もう何回も聴いているので、こちらも力を入れて聴きすぎると持たないので、力を抜いて聴き流す(笑)。

        お目当ては、次の『睨み合い 完全版』。もともと『睨み合い』は、緊急停車した電車の車内で、イヤホンから音楽が漏れている今どきの[キレる若者]と、彦いちの緊張した場面をドキュメントした噺だが、その噺のマクラで、そのときどきに体験した緊迫した場面をやっていたものを集大成したものらしい。「ガタンゴトーン、ガタンゴトーン」という効果音をネタとネタの間に挟んで、進めていく。いずれも以前なんらかの形で聴いたものがほとんど。床屋、正月のスターバックス、中国の木久蔵、台風の日空港カウンターでの睨み合い、下北沢で声をかけてきた見知らぬ男、車内のいちゃつきバカップル、そして本題の『睨み合い』へ。

        彦いちの噺は面白いのだが、さすがに2時間力を入れて聴くと疲れる。帰りの電車ではぐっすり眠ってしまった。幸い緊急停車もなかったし、キレる若者もいなかったし。


September.13,2007 意欲的なネタが揃った、これぞ深夜寄席

9月1日 深夜寄席 (新宿末廣亭)

        列に並んでいると、錦之輔さんがチケットを売りに来た。500円は差し出しながら、「例の事(六代目今輔襲名)、産経の先走りですか?」と話を向けると、「いや、まだ正式に発表してないですから」 「おめでとうございます」

        今夜も客席はいっぱいだ。『芸能人落語研究会』というDVDが発売される。彦摩呂に師匠鶴光が『手水廻し』を教えているところで、一緒に教わったという笑福亭里光が、これを披露してみせた。DVDの方は10月に発売。果たして里光は彦摩呂よりも上手いか! DVDが楽しみだ。

        春風亭笑好。「麻原ではありません(ショーコー)。それと、おは付けないでください(お焼香)」 笑いが来ない。深夜寄席のお客さんって、いっぱい入っているのに笑いが少ないんだよね。厳しいお客さんというより、笑っていいのかどうか戸惑っている感じ。こういうお客さんを笑わせてこそ実力がついてくるというものだ。ガンバレー! 幸いネタの『湯屋番』に入ると笑いが起こった。

        昔昔亭健太郎は新作。難病のおかあさんの病気を治す特効薬(青汁の葉、コーヒー、寿司・・・・??????)を求めて世界中を時空を超えて(ドイツでバッハに逢い、アメリカでレイ・チャールスに逢い、イタリアのお米屋さんに行く・・・・??????)、息子が幼なじみの女性と旅する噺。なんじゃこれと思っていたら、どうやら1時間くらいかかる『夢花火』という自作のネタの短縮版らしい。ラストの花火の場面が鮮やかだったので、是非完全版を聴いてみたいな。

        トリは、いよいよ来春真打昇進が待っている古今亭錦之輔。「恐怖体験ってしたこありますか? 友人のアパートで一緒にビデオ観ようということになって、友人はビデオ借りてくるからって私は先に友人の家に。鍵なんてかけない奴なんで、そのまま部屋へ入って、冷蔵庫を勝手に開けてビール飲んだりして待ってたんですけど、いつまで待っても友人が帰ってこない。心配して友人の携帯に電話したんですよ。「おい、何やってんだよ。まだ帰ってこないのかよ」 すると「えっ? お前どこにいるんだよ。オレはとっくに戻っているぜ」 えっ、じゃ今いるここは・・・。慌てて飛び出してしまったんですが、そのときに靴を履き間違えてしまいまして、その靴し今でも履いてますが、その住人はさぞかし恐怖体験だったろうと」 ネタは、これもおそらく錦之輔の代表作になっているであろう『山ん中村奇談』。民俗学を学ぶ学生ふたりが訪れた山の村。そこに明神様が祭られている祠を見つける。土地の老婆から聞かされた話とは。ホラー風味で語られるのだが、そこは錦之輔。突っ込みギャグ満載。笑って、納涼気分になり、そして最後にぞっとするオチが待っている。

        きょうの深夜寄席は、意欲的ないい噺が揃った。これぞ深夜寄席。


September.8,2007 今甦る鮮やかな脚本

9月1日 東京ヴォードビルショー 松原祭
      『まだ見ぬ幸せ』 (紀伊國屋サザンシアター)

        脚本家松原敏春の七回忌にあたり、彼の脚本作2本の再演企画の1本目。

        駅の改札。そこで誰かを待つ男(布施博)。上手にキオスクがあり、売り子(あめくみちこ)がいたりいなかったり。男は芸能プロダクションの社員らしい。そうとう仕事が忙しいらしく、ひっきりなしにポケベルが鳴る。1989年初演とあって、まだ携帯電話は一般に出回っていなかったころの話だ。公衆電話でワガママな所属アイドルのご機嫌をとりながら誰かを待ち続けている。そこに、回想シーンが挟まっていく。それは、男の妻とのやりとり。仕事人間の男に不満をぶつける妻(あめくみちこ二役)。よくある光景のようだが、真実味のあるセリフがいっぱいだ。どうやらそれも松原敏春が実際に奥さんと交わした夫婦喧嘩そのままのセリフらしい。

        夫婦関係を描いたかなり重い内容の脚本で少々疲れたが、男が誰を待っていたのか、妻とはどうなったのかという興味がラストで一気に明らかにされる構成は素晴らしい脚本としかいいようがない。惜しい作家を亡くしたものだ。享年53とは若すぎた。あめくみちこがいい。初演は戸田恵子だったそうで、なるほどと思ったが、おそらく、あめくみちこも負けていないと思う。


September.5,2007 怖いもの無し!

8月26日 YEBISU亭 番外編 (恵比寿ガーデンプレイス/ザ・ガーデンルーム)

        何が番外編なのかもわからずに席に着く。暗転すると、寄席でお馴染み襲名披露口上が始まる。何のことやらと思ったら、この日のゲストは劇団Studio Lifeの役者さん曽世海児が高座に上がるに際しての高座名の披露口上。その高座名とはYEBISU亭かいじ・・・って、そのまんまじゃん。

        20分ほどの口上があったあとで、まずは三遊亭王楽の高座から。「ファミレスでオバサンたちが、着ている服を褒めあっていました。相手の顔と体型をしげしげと見ていた人が『エレファントね』って」 エレガントだろ!って突っ込むところだけど、相手のオバサンも気がつかなかったりしてね。10分の持ち時間にマクラ6分。あとの4分で『つる』

        柳家初花は、深夜のテレビショッピングで売られているスレンダー・シェイバーを買ったというマクラから。このベルトをお腹に撒いて電源を入れるとベルトがブルブル動き出して、無駄な脂肪を取ってくるという商品。「これね、肩にかけると肩こりも治るんですよ」 おお、それはいい。このところ肩こりで悩んでいた私は、にわかに欲しくなってきた。ネタは『反対車』で、なんとこの車屋、スレンダー・シェイバーを腰に巻くとターボ・エンジンがかかる(笑)。

        三遊亭白鳥が入門したてのころ、花緑に案内されて小さん師匠宅の風呂に入ったときのエピソードを語ってくれた。「大きな風呂場なんですよ。湯船に大きなタヌキの置物があって、その○○○からお湯がドボドボドボって出ている。あっ、ウソですよー! 湯船に使っていたら小さん師匠が入ってきてしまいまして、当然ボクのことなど小さん師匠は知りませんで、花緑さんの友達だと思っているらしくて、『湯加減はどうだ』と聞いてくるので、『とっても気持ちいいです』なんて答えたりして。『将来何になりたい?』と聞かれて、前座をやっていますと言えなくて、思わず『警察官』」 ネタはあの禁断のネタ『真夜中の襲名』。これは危なくて何にも書けない。その危ない噺を堂々と演ってしまうところが白鳥。この人はもう怖いものがないんだね。

        まあくまさこの[今夜踊ろう]は、本日の出演者を上げてのトーク・コーナー。相変わらずまあくさん、人の話を聞いていない(笑)。

        仲入り後は、いよいよYEBISU亭かいじこと曽世海児の高座。マクラもそこそこにすぐに『ちりとてちん』に入る。なんというか、風間杜夫の落語を聴いたときと同じような印象を持った。いい意味でも悪い意味でも、噺家さんの落語じゃない。役者さんの落語。そんな感じ。サゲに繋がる、腐った豆腐を口に入れた男が悶絶する顔の表情は強烈。このへんも役者の演技という印象を持った。

        トリは林家彦いち。ブルネイへ行って英語で落語をしたという話をマクラに持ってくる。「『初天神』を演ったんですが、よく考えたらブルネイって石油王国。お金持ちの国なんですよ。『おとうさん、あれ買ってくれ』って言われたら『いいよ』っていうお国柄。受けるわけがない。あとで気がついた」 ネタは『掛け声指南』。タイ人の男がボクシングの応援をする噺。新宿で出合った果物屋、シャブ中、ティッシュ配りといった伏線が見事に繋がるラストは鮮やかだ。

        開演時間が早いので、日曜の夜に早く帰宅できるのはうれしい。『真夜中の襲名』の細部を思い出し笑いしながら家路につく。「寄席じゃできない」と白鳥は言っていたけれど、鈴本で演った実績あり。怖いもの無しなんだよなあこの人、やっぱり。


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