July.14,2008 漫談のような噺が続いた昼興行

7月5日 国立演芸場7月上席

        落語芸術協会真打昇進披露興行も、新宿、浅草、池袋と済み、ついに最後の国立演芸場まで来た。今回3人の新真打の披露興行で他の寄席では毎日3人が出演していたが、国立は日ごとに一人ずつの形態になる。小屋としても大きいしゆったり観られる。トリの古今亭今輔の持ち時間も30分ある。さて何を演ってくれるのか、ちょっと長めのあまり余所の寄席では演らなかったものを持ってくるのか、期待が高まる。

        新宿で買物をしていたら少々遅くなってしまった。すでに前座さんが一席演っている。楽屋へ行き鯉橋さんを呼んでもらい、差し入れを渡す。鯉橋さんは前日にウチの二階で勉強会を演ったばかり。お互いに「きのうはどうも」と挨拶。鯉橋さんの出番が迫っているので挨拶もそこそこに客席へ回る。昨夜の鯉橋の高座は仕事中で観られなかったのだが『たがや』に工夫が凝らされていたとあとで聞いた。なんと、誰も死なない『たがや』だったとのこと。人が死ぬなんて噺は嫌いだとは鯉橋さんらしい。

        この日の前座さんは、春雨や雷太『道灌』。頑張ってね。

        つい数分前まで話していた瀧川鯉橋さん、慌しくてごめんね。ネタの『ん廻し』を落ち着いた口調で。とくに若手はこういう噺を早口でせわしなく演る人が多いが、こういうのあんまり走ると案外つまんなくなるんだよなあ。

        さてここからあとが、なんだか一席の落語を演るというよりは漫談のようなものが続く。三遊亭右京は宇宙飛行士の向井千秋さんが、「宙返り 何度もできる 無重力」の下の句を募集したのに、右京なりの下の句をつけたという話の『宙返り』。向井千秋の短歌の話題はもう10年前だ。一昔前の話題だからそろそろお蔵にしてもいいんじゃないかと思っていたら中に『北京オリンピック』をちょっぴり加えた構成。「北京の空気は汚染されていてマラソン・ランナーもたいへんだそうですね。でもアメリカの選手が有利なんじゃないかと思いますよ。なにせ胸に星条旗(清浄機)をつけて走っている」

        キャンディー・ブラザースの相方が亡くなってピンになった鏡味健二郎だが、独特の話術も加わって今日も元気。昭和10年生まれというと、オーバー70ですか。いつまでもお元気で。

        三笑亭夢之助は現代若者言葉を引き合いに出して笑いを取る『ちょーむかつく』。「[耳ざわりのいい曲]なんていう言葉を耳にしまして、はて[耳ざわり]というのは悪い意味かと思っていましたが、それに[肌触りがいい]とか[歯ざわりがいい]という言葉が合わさって、不思議な言葉使いになってしまっているんですね。あるいは[鳥肌がたった]というのは本来薄気味悪いといった意味なんですが、これを鳥肌がたつほど感動したりするらしい。[キレる]なんて言葉は以前は頭がきれる、頭がいいといった意味だったでしょ。それが今は危ない意味になってしまっている」 う〜ん、亡くなった文治が正しい言葉を諭していたのを思い出す。

        このところ今輔の名前が復活することを一番喜んでいるのは、直弟子だった桂米丸なのかもしれない。昔話がまた始まってしまう。「噺家になってまだ間もないころでした。寄席の出番が、私の前が先代桂文楽、私のあとが古今亭志ん生という、およそ考えられない順序だったことがありました。私の師匠に報告すると喜んでくれたのですが、実際始まってみると、これがたいへんなことだったんです。志ん生師匠という人は、いつ来るかわからない人だったんです。出番の時間に遅れて来るなんて年中でしたから、前の出番の者はそういうときに何十分でも繋いでなきゃいけない。黒門町の師匠桂文楽はキッチリと時間通りの噺をする人でしたから、志ん生師匠の前の出番を嫌ったんですね」 うん、もうけもうけ。こういう話が聞けると、ほんとに得した気分になる。長いマクラから入ったのは初めて聞く話だった。人から『千葉の怪』という噺だと聞いた。どうも昔演っていたことがあるということらしいが、今はめったに演らなくなってしまったらしい。ちょっとした不思議な体験談のような構成のお噺。それに続けて『タクシーの怪』まで追加という豪華版。

        仲入り後が口上。あいかわらず桂米丸の挨拶が長い長い。いままでは他の新真打のことも話していたが、今回は六代目今輔ひとり。だというのに、いや、だからだろうが先代の話から新今輔の話までひとりでいつまでも話している(笑)。こういう米丸の姿を見るのはうれしい。

        古今亭寿輔も「たくさんの噺家がいますがね、弟子に追い抜かれたのは私くらいなもの。でしょ? 私が今輔を継いだかもしれないんですよ。まあ、あいつは運がいいんでしょうね。米丸師匠が今輔を継がなかったおかげで、今輔になれたんですから」と感慨深げな滑り出し。そこから気を取り直したのか客いじりから『地獄めぐり』へ。

        林家今丸の紙切り。[七夕]というお題に、七夕かざりを見上げる親子を切り上げる。注文したお客さんに、「子供は男の子にしますか? 女の子にしますか? お母さんは美人にしますか? ブスにしますか?」 他に六代目今輔の高座姿、チンドン屋、イチロー、お客さんの似顔。

        さあて古今亭今輔がトリとして登場。マクラで熱血少年漫画のことを話し始めたので、これは『甲子園の魔物』だなと思ったら、どうもお客さんの反応がイマイチと見たらしくて、食べ物の話題に切り替え『飽食の城』へ。なるほど周りを見渡せば高齢者の客層が多い。野球マンガには食いついてこないか。でも『甲子園の魔物』は噺自体はどんなお客さんにも受けると思うのだけどねえ。


July.4,2008 そこそこの幸せの者は・・・

6月28日 劇団ダンダンブエノ
       『ハイ! ミラクルズ』 (青山円形劇場)

        観ている間中、先日の秋葉原通り魔事件を思い出していた。

        早朝の街を走っている新聞配達員たち。まだみんなが眠っているうちに各家庭に新聞を届けるという仕事を誇りに思っているが、それでもどこか劣等感を感じている。ホワイトカラーの昼間の会社員の生活にどこか憧れているところがある。そんな毎日の中で、新聞を配達中の朝、どんな仕事をしているのか早朝に帰宅してくる女性に彼らは恋する。名前も知らないので彼らは彼女を[おつかれさん]と共通の名前で呼んでいるが、個々ではそれぞれ勝手に想像上の名前をつけて憧れている。

        [おつかれさん]役は南野陽子。私の座っていた席の横の通路を通って舞台に上がっていった。今何歳になったのだろう。40歳前後か? いまでもオーラを感じる。ホステスさん役なのかなと思ったら、彼女の役は製パン工場の夜勤。毎晩、パンを焼いては朝に帰宅している。そんな彼女に新聞配達員は告白をしたくて日々を過ごしている。彼らの望みは「もっとお金が欲しい」 「女が欲しい」と、きわめて即物的。[おつかれさん]も新聞配達員たちも「幸せになりたい」という点で一致している。では、幸せとはいったい何なのかというのが、この芝居のテーマでもある。

        舞台はミュージカル仕立てで、ところどころ歌や踊りが入る。芝居自体もコミカルで飽きさせないのだが、なんだか話がとっ散らかってしまっている感も。ラスト、世の中、正反対になればと願う彼ら。幸せな者は不幸せに。幸せな者は不幸せになればと願う。そしてそれが敵った時、彼らに何が起こったか。ふと、こちらは醒めてきてしまった。お金があれば幸せなのか。幸せとは何なんだろう。幸せでも不幸せでもないブラマイゼロの階級とは。

        秋葉原通り魔事件の男は、世間に較べて自分は不細工で金も無い女も友達も無いと感じていた。憎悪の対象を世間一般に向け凶行に及んだ。そんな現実の事件に接してしまうと、この物語はなんなのだろうと頭の中が迷走していってしまう。もし奇跡が起こって、自分は不幸せだと思っていたあの事件の彼が世の中正反対になれば、幸せになれたのだろうか?

        ひるがえって、今の私は・・・。私だって午前4時起きで夜遅くまで肉体労働をしている。でも不幸せなんて感じてないけどね。


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