August.31,2008 人形町にまた新しい落語会を

8月28日 日本橋納涼落語会 (日本橋萌 和文化くらぶ衣知会)

        近所の呉服店萌(もえぎ)さんは、衣知会(いちえ)という和文化を広げる目的の会を開いていらっしゃる。茶道教室や華道教室のほか、さまざまな文化講演会を催しされている。その衣知会から落語会を企画したいとの相談を受けたのは先月のこと。人形町の街でまた新しい落語会が生まれるといのはうれしいではないか。二つ返事で、「ご協力しますよ」とお答えした。数日後、第一回の開催日を8月28日の午後2時からにしたいとの連絡が入った。ついてはどなたか落語家さんを紹介して欲しいとのこと。予算を聞くと、う〜ん、落語家さんひとり呼ぶのがやっとという金額。しかも真打の師匠に声をかけるにははばかられる。二ツ目クラスで誰かと頭をめぐらせる。あの人、この人といろいろと浮かんでくるが、やっぱりここは第一回から、びっくりさせたい。ここのお客さんに、落語ってこんなに凄い芸なんだよということを見せ付けたいという気がしてくる。そうすると自ずと今、誰を呼ぶのがベストかというと三遊亭好二郎以外にない。9月には三遊亭兼好と名前が替わり真打昇進が決まっている。8月28日はまだ二ツ目ギリギリの位置。ここで呼ばなければ、もういつ呼べるのだ。好二郎さんに連絡を取ると快く引き受けてくださった。ありがとう、好二郎さん。

        8月28日は木曜日。平日の午後。しかも2時からということでは私はお手伝いができない。立命亭八戒さんに助っ人を頼んだ。3時に昼の営業を終え、そろそろ終演だろうと会場の後片付けを手伝いに行く。骨折した左足はなんとかコルセットを外してもよくなったものの、普通の速度では歩けない。ビッコをひくようにして、ぴょこたんぴょこたんと進む。会場へのエレベーターを降りると、三遊亭好二郎さんがマクラを振っている。おやおや、まだ二席目が始まったばかりらしい。あとで八戒さんに聞くと一席目は『高砂や』で、「短く演ります」と言っていたわりに長く演っていたとのこと。会のスタッフの方が新たに椅子を出してくださり、思わぬことに一席聴けることになった。ほとんどのお客さんが落語初体験とみたらしく、落語の仕種講座を演っている。笑いが多い好二郎の話術もさることながら、お客さんが暖かい。好二郎の言葉にドッと笑いが沸く。お酒の話題から、酔っ払いの小噺への流れも客の心を引っ張る。そして『替り目』へ。時間帯が時間帯なので主婦の方が多い。酔っ払い亭主をよく見ているらしくて、いちいちうなづいたりして笑いが巻き起こる。

        座布団、毛氈、めくり台、ラジカセを回収して会場をあとにする。あとからスタッフさんが、「みなさん、とても喜んでくださいました。またよろしくお願いします」とご挨拶にお見えになった。よかった、よかった。人形町にまた新しい落語会が生まれた。この会が末永く定着しますように。


August.10,2008 珍しい噺を

8月2日 人形町で『お富与三郎』を聴く会 第一回 (人形町翁庵)

        人形町の交差点近くに玄冶店跡の碑が立っている。玄冶店といえば歌舞伎『与話情浮名横櫛』に出てくるところとしか知識が以前は無かった。落語会に通うようになって、『お富与三郎』は何回か耳にするようになっていった。よくかけられているのは『木更津』とか『稲荷堀』の場。しかし、この長い話を全編通して聴いた事はない。そんな折、隅田川馬石師匠が通しで演っているというのを耳にして、これを翁庵寄席で出来ないだろうかと思うようになっていた。なにしろ地元だ。人形町界隈の地名がたくさん出てくる噺である。これをやらないではじっとしていられない。しかも出来れば地元の人に聴いてもらいたい。かといって、宣伝方法にも限界がある。どうしようかと実は2年前から思案を続けていた。馬石師匠がまだ二ツ目、五街道佐助のころから、「いつかやりましょう」と声をかけていた企画である。

        昨年、雑誌『荷風』から、日本橋を舞台にした映画ベスト5アンケートというのが回ってきた。私はこの中に市川雷蔵の『切られ与三郎』を入れた。編集者と打ち合わせをする中で、私が『お富与三郎』を自分の店で落語の形で演りたいと思っているのだと伝えると、「それじゃあ、コメントの中にそのことも書いてください」と言われた。よし、それじゃあと私はそのことを書いた。『荷風』が発売され、見本誌が送られてきて、「これは引っ込みがつかなくなったな」という思いがつのってくる。

        そうこうするうちに4月になっていた。3月末にやった春の翁庵寄席『そば屋の花見』も終わり、ほっとしているところへ、人形町のタウン誌『人形町』から取材の申し込みが入った。なんと今回の特集は[人形町と落語]。翁庵寄席の記事を載せたいのだという。幸い4月下旬には『錦之輔改メ古今亭今輔の創作ミステリ落語の世界』を予定していた。ここに取材が入ることになる。編集者と打ち合わせしているうちに、「これから予定されている落語会の告知は入れられませんか?」と訊ねると、OKとのこと。これぞチャンスではないか。『お富与三郎』を始めるには、この機会をおいてないだろう。よし決めた、「やろう!」 さっそく馬石師匠に連絡を取り一回目を8月2日に。以降、3ヵ月置きの開催と決める。それにもうひとり誰かと思案して、二ツ目から、この9月に真打昇進する三遊亭好二郎を選んだ。以前から好二郎に出てもらいたかったのだが、これが二ツ目として出てもらえるラストチャンスなのだ。

        そんな折、アクシデントが起こった。7月7日七夕の夜のことだった。夜中に寝ぼけ眼でトイレに行こうと寝床から立ち上がったのだが、階段から落ちてしまったのだ。実際は気がついたときにはもう頭から落下している途中という感じだった。なんとか止めようと足を踏ん張ったのがいけなかったのか、次の瞬間には左足首に激痛が走った。「あっ、これは折れたな」 左足を引きずるようにして寝床に戻りバッタリと倒れ、これが夢であってくれと祈りながら寝たのだが、翌朝になって足を見てみれば異様な形で腫れあがっている。タクシーで外科まで行ってレントゲンを撮ってもらうと、くるぶしと親指が折れていた。「治るまでどのくらいかかるでしょうか?」と訊いてみると、「そうね、ギブスが取れるまでに一ヶ月。全治するのは二ヵ月ってところかな」との答え。う〜ん、8月2日は松葉杖かあ。しかも、7月、8月に予定していた落語会や芝居は全て諦めるしかない。手持ちのチケットを知り合いに全て譲る。大銀座落語祭、行きたかったなあ。

        当日、私が動けないのでスタッフの皆さんに動いてもらって会場の設営。今回こんなにスタッフの存在をありがたく思ったことはない。

        開場時間になったころ、好二郎、馬石師匠があいついで楽屋入り。私の松葉杖姿を見て、心配してくださる。ありがたいが、これは全て私が悪いんです。

        開演。マエセツで私が出て話す。骨折、松葉杖。話をするのにこんなネタがあるんだもの、おいしいではないか。

        まずはいつもの立命亭八戒による開口一番。早めに会場入りして稽古していたのは『権助魚』。こっそり耳をすませていたのだが、八戒さんらしいクスグリがたくさん入っていて面白いと思ったのだが、本番ではなぜか『夕立勘五郎』。こちらは本寸法な芸。ほう〜、こんな噺もできるんだ八戒さん。

        隅田川馬石師匠一席目は、自己紹介を兼ねて自分の名前の由来などをマクラにして笑いを取り、これから続く[化ける]という意味で縁起ものの狸の噺『狸の札』

        三遊亭好二郎も化けるを意識してくれたのか、幽霊のマクラから『お化け長屋』へ。この噺、演り手は多いが、まず下の部分はやらない。男が財布を持っていってしまうところまでで、ほとんどの噺家は切ってしまう。仲入りの声を出そうと八戒さんが準備していたところ、「あれっ? 終わらない」。越してきた男を長屋の住人が協力して脅かすところまで演ってくれた。最近ではなかなか聴けない部分なのでこれはうれしい。

        仲入りを挟んで、いよいよ『お富与三郎 発端』だ。この部分は馬石師匠と、その師匠の五街道雲助しか演らない。他の人は木更津から始めるのだ。今回、初めてこの『発端』部分を聴いて、なかなかに面白いと思った。与三郎は横山町の問屋の若旦那という設定なのである。横山町も人形町のお隣だ。与三郎の性格づけもまだ出来上がっていない部分で、これだと、二枚目の優男という感じ。それが世の中の闇の部分を体験して、これからが陰惨な世界へ落ちていく、まさに序。しかしこの部分があるのとないのでは、後の展開の意味が違ってくる。

        さて、次回はいよいよ木更津だ。足が治ったら、それまでに木更津の海岸でも見に行こうか。


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