September.27,2008 600円寄席
9月23日 えどはく寄席 (江戸東京博物館)
土日祭日に行われている両国の江戸東京博物館のえどはく寄席。12:00と13:30の2ステージ。博物館への入場料600円を払えば、えどはく寄席は無料で観られるシステム。チケット売場で600円を払い長〜いエスカレーターで6階へ登る。6階と5階は吹き抜けになっていて、展示場はこの5階と6階のみ。どうやら7階にもフロアがあるようだが、4階以下は存在しないのだ。不思議な建物だよなあ。というか、もったいないというか。
6階で降りたところで大きな橋が見えた。ここを渡っていると人だかりが。下を覗き込むと、そこがイベント・スペースになっていて、ちょうど落語をやっていた。5階に下りて客席に座る。13:30の回がすでに始まっていて、高座では立川三四楼が『浮世床』を演っていた。林家木久蔵門下で林家木之助。その後何があって快楽亭ブラック門下に移ってブラッCになったかは知らない。ブラックが立川流を除名されたことにより、立川談四郎門下に入って三四楼。頑張ってくださいとしか言いようがない。
ジギジギが元気よく登場。『手のひらを太陽に』をお客さんと一緒に振り付け。お客さんの乗りもいい。特に子供客が実に楽しそうだ。「12時の回も観た人、いますかー?」との問いかけにかなりの手が上がる。しかもどうやら、江戸東京博物館に来たらば、たまたまジギジギが出ていたというのではなく、どうやらジギジギ目当てのお客さんが何人か確実に存在するようだ。『聖者の行進』 『パイプライン』 『ビートルズ三題』 『男はつらいよ』 『イッツ・ア・スモールワールド』。何を演っても受ける受ける。
終演後、川柳つくしさんとも合流して、ジギジギと私の店へ。来月の翁庵寄席の打ち合わせ。あと四週間かあ。楽しい会になりそうだ。
September.24,2008 客席四人男
9月21日 第14回つくしのシークレットライブ (阿佐ヶ谷区民センター第三和室)
阿佐ヶ谷に着いた途端に猛烈な雨。開演時間が午後7時とのことで、近くの食堂で夕食を取り、阿佐ヶ谷の商店街パールセンターをブラブラとしてから会場へ向う。開演5分前に着いたらお客は私以外にひとり。むむむ、ひょっとして今日はお客ふたりか。やっぱり雨がいけなかったんだろうか。そうこうするうちに開演直前に、あとふたりのお客さんが来て私を含めて4人になる。全員男性。
川柳つくし登場。BGMとして流していたラジカセのテープを止める。なんとこの会は全てつくしさんひとりで仕切っているらしい。お手伝いなどのスタッフは皆無。まさに手作りの会だ。シークレットライブとはよくぞ言ったもので、今回は『東京かわら版』にも載せていない。というよりも間に合わなかったらしい。この日に集ったお客さんはインターネットで知った人が大半らしい。それというのも、前回まで使っていた中野の会場が使えなくなってこちらに移ってきたからだ。会場探しの苦労をトークしてくれる。それで一席目は古典『権助魚』。権助が魚屋の店先で、いちいち魚を見て驚く様が可笑しい。「ギョ! 魚屋だから、ギョ!」 「うおっ! 魚屋だから、うおっ!」 「フイッシュ! 魚屋だから、フイッシュ!」 何もかかってないじゃないですか!
二席目は新作『ディーコン』。クイーンのベーシストだったジョン・ディーコン。結婚して妊娠中の奥さんがいるが今は無職。そんな中、やはり解散したレッド・ツェッペリンのベーシスト、ジョン・ポール・ジョーンズ、ローリングストーンズを脱退したベシスト、ビル・ワイマンと組んでバンドを作る。70年代ロックシーンを知る者にはこんな楽しい落語はない。そしてこの噺のサゲがまた衝撃的。これは落語好きの人なら大受けなのだが、ロックと落語どっちも好きという客を選ぶ噺かもしれない。私にはどんぴしゃりだけどね。
恒例になっている十分で考える三題噺。この日のお題は[引っ越し][リーマンブラザース][清水の次郎長]。仲入り休憩の間、お客さんは休憩できるけれど、つくしさんは頭フル回転だろう。前日に『次郎長三国志』を観たので、何となく私は[清水の次郎長]というお題を口にしたのだが、噺の中に映画の中でも宇崎竜童が歌っていた『旅姿三人男』を織り込んでくれる。驚いたのはつくしさんは三番まであるこの曲の歌詞を全て知っていた事。一番の歌詞は小政、二番は大政、三番は石松。そう、この曲、次郎長が出てこないのだ。次郎長のひ孫に当るおばさんが、それに怒って企業破綻を画策するという噺。かなり強引だなあと思うが、十分で考えるというのはやはり無理があるか。
September.21,2008 ネズミ・・・厄介事の予感
9月14日 チャリT企画
『ネズミ狩り』 (王子小劇場)
そば屋を舞台にした芝居だというので気になって観に行った。当然そば屋の店内が舞台。両親が死んで残された南家の三人の子供。長女ナツキ30歳(ザンヨウコ)があとを継いでいる。従業員はトモゾウ27歳(高見靖二)、ハジメ25歳(宍倉靖二)のふたりに、パートの土屋35歳(杉村こずえ)とワカナ20歳(長岡初奈)。ナツキには妹フユコ25歳(小杉美香)と弟ハルアキ(23歳)がいる。フユコはOLをしていて、ハルアキはそばアレルギーでフリーターという設定。
天井裏でネズミが走り回る音がする。それをきっかけにするかのように、一見穏やかなこの店に波乱が訪れることになる。ちょうど2ヶ月ほど前に私が左足を骨折したころに、私の店でも天井裏でネズミが走り回っていて、それと同時様々な厄介事が一気に襲い掛かってきたという経験をしたばかりなので、この話は他人事ではない。ネズミは全て駆除したし、様々の厄介事もひとつひとつ解決をみて、今では心穏やかになってきたが、この芝居のそば屋は私の家どころの騒ぎではなかったのである。
ナツキたちの父親は、少年同士の喧嘩の仲裁をして逆にナイフで刺されて死亡してしまっている。この事件は今も裁判の最中。妹のフユコは父親を刺した少年に死刑を望んでいる。しかしナツキは死刑に反対だ。姉妹の間で亀裂が生じている。父親は少年院上がりでそば屋を起こしたということもあって、少年院出の若者を進んで従業員として使っていた。実はトモゾウもハジメも少年院出身者。トモゾウは真面目に働く好青年だが時にキレやすい一面を持っている。そしてハジメは・・・ある凶悪少年犯罪の犯人だった。それを週刊誌の記者が嗅ぎつけて来る・・・。
そば屋に関する取材もよくなされていて不自然な感じはあまりない。それでも、ときどき「そりゃないよ」と心の中でツッコミをいれたりしていたが、、それも許せる程度。まさか話が加害者と被害者の話に発展していくとは思わなかった。
芝居は一応の決着をみたところで、また天井裏でネズミが走り回る音がしたところで終わる。私の足もようやくとりあえず歩き回れるようになってきた。また、落語会や芝居見物の再開だ。どうか、私の店の天井裏でまたネズミが走り回りませんように。
September.17,2008 今輔襲名第一作
9月14日 ノラや寄席 六代目古今亭今輔襲名の会
高円寺駅を降りて、ノラやを探す。以前に行った所から移転しているというので、インターネットで調べて、その地図を頼りに歩く。喉が渇いていたので自動販売機でミルクティを買おうとポケットから小銭を出していたら、私の名前を呼ぶ声が。あら、今輔師匠ではないの。この日は、新作ネタ下ろしと先代今輔のネタの二席だと聞いていたので、「楽しみにしてますよ」と言うと、「今日はぶちかましますからね」と自信の一言。「じゃあ、後で」と私はミルクティを飲んでいると師匠は去っていった。ノラやはこの近くだろうと歩いたのだが場所がわからない。こんなに駅から離れているわけはないと引き返してガード下に入ったら、ノラやは見つかった!
定刻をやや押して開演。お客さんはざっと17〜8人。まずは六代目古今亭今輔の一席目。披露目のときは楽屋が「六代目はどんな噺を演るんだろう」と耳をそばだてているので、寄席でかけても大丈夫な『飽食の城』や『甲子園の魔物』しか出来なかったと打ち明ける。「楽屋にチョココロネの差し入れが毎日のようにあるんですよ。これは私に『チョココロネ政談』を演れということなんでしょうが、あれは先輩の師匠の前ではできません。私が高座に上がって頭を下げると目の前にチョココロネを置く人がいる。何事もなかったようにチョココロネをしまって別の噺を演るんですがね。先代の噺を演れとも言われたんですが、先代と較べられたくないですから、あえて演りませんでした。でも私もウチの師匠から先代の作った噺を教わって何席か演っていたこともあるんです。今日はその中から一席を」と、五代目の作った『表札』に入る。習ったとおり忠実にという前置きそのまま、六代目らしいギャグが織り込まれているものの、ほぼ五代目の噺を再現してみせた。仕送りしてもらっている故郷の父親には大学に通っていることにしているが、実は大学は早々に中退。今は働いていて結婚までして5人の子供までいるという男。そこに田舎から父親が上京してくることになる。男は隣に住む独身者の童話作家に表札を取り替えてもらいねその童話作家の家が自分の家だということにしてもらう。さて、故郷から父親がやってくるが・・・。良くできている噺で、現在でもあまり古さを感じさせない。
三遊亭天どんは、夏に演る噺だが今年はまだ一度も演っていないのでと自作の、やや長い噺『壁ぬけ』。どちらかというと逆恨みで成仏できずに出てきた幽霊。ところがこの幽霊は取り付く相手も間違えてしまっている。本来取り付かなければならない相手はアメリカ旅行中。それで相手が帰ってくるまで、ふたりの同居生活が始まる。やがて取り付く相手がアメリカから帰ってくるが、取り付こうとする寸前に相手は交通事故に合ってしまう・・・。ふたりの奇妙な同居生活の有り様が面白いのと、さて取り付く相手が死にそうになっているのを見て幽霊が取った行動の興味。ラストの余韻もいいし、これは大作であるなあ。ひょっとしてこれ、いまに名作の予感が。
今回の楽しみは古今亭今輔の久しぶりの新作ネタ下ろしが聴けるということ。「今度は歴史ミステリです」との言葉に期待して、この日の会を見に来たのだ。題して『日本史発掘』。夏休み明けの歴史の授業。夏休みの宿題で歴史の自由研究の発表会だ。しょーもない発表が続く中、井沢君(井沢元彦を頭に置いているんたろうなあ)の発表は大胆な仮説に基づく、日本の歴史上暗躍したある一族の存在! おおおおおっ!と展開していくその仮説には、クスクスと笑いがこもるが、おもっしろ〜い! あっと驚くラストまで、グイグイと引っ張る面白さ。これは歴史好き、小説好きにはたまらない面白さだ。バカミステリっぽいけどね。←これ、褒め言葉だよ。
September.15,2008 階段落ち!
9月13日 ピチチ5
『全身ちぎれ節』 (三鷹市芸術文化センター星のホール)
2ヶ月前、階段から落ちて左足を骨折してしまってから、長い間落語にも芝居にも接っすることができずにきたのが、このところようやく歩き回れるようになって、観たいと思うものには片っ端から行きたくなってしまった。このピチチ5という劇団もなんだか面白そうだという嗅覚が働いて、いそいそと出かけた。このホールはJR三鷹駅から少々離れた立地条件にあるホールで、歩くにはやや遠い。三鷹駅からバスに乗るという手もあるのだが、バスで行くというほどの距離でもないという、微妙なところである。今回も時間に余裕があったので徒歩で会場に向う。
開演してしばらくしてから、壁の移動という大道具を使った演出にあっけにとられたが、この劇団、こういう舞台をダイナミックに使った演出が特徴であるようだ。
1時間半ほどの芝居だったが、三つの物語からなっていた。
『国分寺のキース・リチャーズ』
ロック・バーを開店した男。しかし客は昔のバンド仲間だけ。愛想をつかした女房は子供を連れて出て行ってしまう。男は、少年時代にピーマン栽培のビニールハウスの前でキース・リチャーズに会い、エレキギターを貰い、それでエレキギターの虜になってしまったという妄想を持っている・・・。キース・リチャーズうんぬんは別として、ロックと出会い、ロック・ミュージシャンになる夢を持ち続けて、ズルズルとその後の人生を過ごしてしまっている人っているんだろうなあ。
『花巻のスカーフェイス』
前のエピソードを引きずるかのような話。才能が無くて小説が書けない男。けれども作家になりたい。編集者に作家の原稿を受け取る仕事を与えられるが、受け取った原稿を持ち帰らずに自分名義で発表しはじめる。
『蒲田の行進曲』
タイトルどおりなのだが、つかこうへいの『蒲田行進曲』へのオマージュのような話。驚いたのは本当に階段落ちをやるのだ。ざっと二十段くらいあるのだろうか。その階段からゴロゴロと本当に落下する。横向きで落ちるからダメージは少ないだろうが、舞台の一番下まで落ちて、ついでに客席まで落ちる。「あっ!」と思わず叫んでしまった。
こっちは数段の階段から落ちて骨折だもんなあ。階段落ちはやっぱり落下に無理に逆らわないで落ちた方がいいのかも。足で落下を止めようとするとケガをすることになる。それにしても11公演あるのだ。稽古を含めると何回落下しているんだろう。役者はやっぱり身体が基本ですなあ。
帰りは初めてバスを使って三鷹駅へ戻る。無理は禁物。
September.14,2008 人間が生み出してしまった恐怖の物体と、心の恐怖
9月7日 スロウライダー
『トカゲを釣る−改−』 (THEATER/TOPS)
田舎の山の中にある製薬会社の実験室。舞台上手奥に大きな金属製の扉がある。人工内臓の研究をしているらしいチームなのだが、研究の過程でとんでもない化け物を生み出してしまったらしい。手がつけられない状態になってしまって都会の本社から助っ人がやってくる。
ホラー仕立ての芝居で、扉の奥には化け物がいるらしいのだが、どんな化け物なのかは想像するしかない。牛の化け物らしいのだが、ネチャネチャで、人間の男根のようでもあるらしい。この化け物は床に穴を掘り、地下道を作って村に出没するようになってしまっていて、村の人間を捕獲して連れて来るようになってしまっている。
都会からやってきた本社の研究員のひとりは、かつてこの研究所で働いていたことがある。化け物を作り出してしまった研究員とはそのころの同僚。都会に栄転した男に対してコンプレックスを感じていて、自分が作り出してしまった化け物を殺そうとする本社の人間と対立する。
そんなうちにも、扉の中では捕獲されてしまった村の人間は殺されてしまったり、助け出されたりのドラマが進行していく。
結局、扉の中の化け物は最後まで姿を現さないのだが、上演時間中はピリピリとした恐怖感がいっぱいで緊張をしいられた。ホラーの味付けと、人間のコンプレックスの衝突というふたつのテーマが上手い具合に重なり合って飽きさせない芝居だった。それにしても怖かったなあ。
September.7,2008 落語会通いに復帰
9月6日 落語教育委員会 (中野ZERO小ホール)
7月7日に左足を骨折して以来、ほぼ2ヶ月ぶりに落語を聴きに出かける。左足首はまだパンパンに腫れあがってしまっていて、スニーカーに足を入れるのに、スニーカーの紐を目一杯緩めて、そーっと足を滑り込ませる。2週間前から少しずつ歩行訓練を積んできたので、今ではほぼ普通の人と同じくらいのペースで歩けるようになったのだが、当初は普通の人の半分程度のペースでしか歩けなかったのだ。中野駅で降りて南口を線路伝いに歩く。中野駅からZEROホールまでは、そこそこの距離があり、歩き始めの地点は上り坂になっている。まだ歩行リハビリ中の身にはけっこうな距離だ。それでもこうして久しぶりに自由に歩けるというのは、何よりもうれしい。しかもこれから落語を聴きに行くのだ。
大事をとって早めに会場入りしようと思ったのだが、着いてみたら開演10分前。ドサッと渡された大量のチラシを眺めているうちに開演だ。この会は、柳家喜多八、三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎の三人会で、オープニングはいつも携帯電話に関する注意のコントを三人で演るというのが恒例。この日は緞帳が上がると上手に喜多八がボクサーの格好をして椅子にへたり込んでいる。それを無視するような形で海上自衛隊の制服を着た歌武蔵と、ジャージ姿の喬太郎がとりとめのない会話を漫才スタイルで演るという構成。
喬太郎「嫌がらせなんですかね。鈴本で昼トリをとったとき毎日、私が出てきてお辞儀して顔を上げた途端に席を立って出て行く人がいる。前の人が終わったところで出て行けばいいのに、よっぽど私が嫌いで、嫌がらせをしているとしか思えない」
歌武蔵「私も上野で昼トリだったとき、四十人の団体が入っていたんですね。4時30分終演のはずが、たまたまちょっと時間がこぼれていたこともあったんですが、私はちょうど『壷算』の途中。4時30分に客席の真ん中にいたその40人の団体が一斉に前の机をバタンバタンと倒して立ち上がって出て行っちゃった。瀬戸物屋の亭主を下手に向って演っていたのが、思わず上手を向いて『お客さーん、ちょっとお待ちください』」
漫才は10分以上続いたが、この間、喜多八は無視されたまま。ときどき縄跳びのようなことをして気を引こうとしたりしているのだがそれでも無視。なんなんでしょね、これ(笑)。
「今朝がたまで、仲間と居酒屋で始発が出るまで飲んでいましたが、何の話をしているかというと芸談です。あの噺のあそこはああした方いいとか、協会の行く末などを話し合ったりします。これが最初の30分くらい。そのあとは女の子の話なんかになりまして、最後は駄洒落になったりしますが、世の中のことをあれこれ心配したりもしているんです。エコロジーにも感心があるんです。地球温暖化で氷が解けて白熊が絶滅してしまうかもしれない。それだけじゃなくてアザラシも絶滅の危機にある。やはりエコロジーは大切にしなくちゃならない。これをエコエコアザラシ・・・」 三遊亭窓輝は父の円窓ゆずりの珍しい噺『洒落番頭』。「庭蟹」も、「鈴蹴って」も洒落としては、まさに駄洒落という感じで笑いに繋がりにくいところがあるのだが、なんともほのぼのしい噺ではある。こういう噺を無理なく演るのは難しいのだろうが、やはり父親の口調を真似てそつなくこなしている。いいね、この人。
柳家喬太郎の噺は初めて聴くなあと思っていたら、家に帰って調べ物をしていて気がついた。これは山田洋次が先代の小さんのために書いた落語のひとつ『頓馬の使者』だ。吉原に行ったのが女房おきくの逆鱗に触れ、家を追い出されてしまった八っつぁん。そのおきくがぽっくりと死んでしまう。その知らせを八っつぁんのところに知らせに行く熊さんの噺。直接死んだと言わずに、さりげない調子で呼んで来いと言われたものの、ついつい口を滑らせてしまいそうになる熊さん。その熊さんと八っつぁんの表情を見せるのが喬太郎のテクニックの上手さだ。そういえば5年前の大銀座落語祭で『山田洋次寄席』というビデオを買ったのだった。当時はもうすっかりDVD生活になってしまっていて、これを買ったものの一度も観ていない。この中に確か喬太郎の『頓馬の使者』も収録されていたはず。いい機会だと棚から引っ張り出して来てビデオデッキにかけてみたのだが、ビデオデッキが故障していて観られないことが判明。仕方ない、誰かに頼んでDVD化してもらうしかないかなあ。
三遊亭歌武蔵は『馬のす』。もともとこの噺、枝豆を食べながら酒を飲む男が、そのときどきの高座で時事ネタを織り込んで好き放題のことを言う噺らしいのだが、この日の歌武蔵も言いたい放題だ。「枝豆の食べ方はこう演れって教わったからこう演ってるけど、オレの食べ方は違うんだ。先に豆を鞘から全部出してガバーッと一気に食うんだ。ブドウもそう。全部皮から実を出しておいてガバーッと。口中ブドウでたまらないんだ」 「相撲取りって、あいかわらずバカだな。マリファナを財布に入れとくなんて、しかもそれを忘れてくるなんてな。ロシア人力士って最近多いんだ。あいつらみんな旧ソ連系。家が貧乏で日本に出稼ぎに来てるんだけど、あいつらいざとなったら強い。窮鼠(旧ソ)猫を咬むってな」
外では雷が鳴っている。どうやら夕立らしい。できることならトリの柳家喜多八にたっぷり演ってもらって、終演のときには雨が止んでくれていると助かるのだがなあと思っていたら、マクラも短めで『千両みかん』へ。真夏にみかんを手に入れられなかった、逆さ磔だと言われた番頭さん。「みかん、ありませんか?」と尋ねるところを「逆さ磔見た事がありますか?」なんて訊いてしまう。そのおぞましい光景を聞かされた番頭がパニックに陥ってしまうあたり、サゲで訳わかんなくなっちゃった番頭がみかん三房持っていないくなってしまうところとシンクロしているようで、クスクスと笑いが込み上げてくる。
外に出たら、まだ雨。生暖かい雨に濡れながら駅まで一生懸命に歩く。今年は海や山はおろか、大銀座落語祭も円朝まつりも行かれなかった。家にばかりいたから日にも焼けていない。もう夏も終わりだなあ。