February.15,2009 バカな奴がバカなことをする噺。それが落語

2月14日 春風亭昇太独演会 (町田市民ホール)

        久しぶりの遠出。前回町田まで来たのはいつだったろうか? しかも午後7時開演って遅すぎだろと思ったら、土曜の午後というのは昇太が『笑点』の収録があるのだった。ホールの手前まで来て「夕食どうしよう」と突然に思いついた。おそらく終演は9時を回りそうだ。ホールの周辺には飲食店はなさそう。今から駅前まで戻ると開演時間に間に合わない恐れもある。コンビニでサンドイッチでも買うかと思ったときに、ホールの一階に食堂があるのを見つけた。ラーメンとかカレーライスとかカツ丼といったものがメニューにある。その中からオムライスを注文。出来上がるまでに時間がかかるのかなあと思ったら、ほどなくしてオムライスは運ばれてきた。オムライスの上にケチャップがかかっているのは当然(?)として、まわりにデミグラスソースがかっていて、水菜らしきものが散りばめられている。アツアツでおいしいオムライス。今度来るときも(いつになるやら)、これ食べようーっと!

        定刻キッチリに春風亭昇太が前説というのかオープニングトークで登場。東海大学湘南キャンパスで過ごした話やら、歌丸師匠の話など。これでツカミは万全。

        開口一番は昇太の弟子、春風亭昇吉『雑俳』。頑張ってね。

        春風亭昇太一席目。『雑俳』という噺は一旦笑いが取れなくなると、まるで迷宮に入ってしまったようになってしまうと説明。前座修業が辛くて毎日辞めようと思っていたなんて話から、お正月は前座にお年玉をあげなくてはならないって話。「会ったら貰えるんですから、ひとりひとりの額は少なくても何十万にもなる。ですから獣のような目をしているんですよ。余所の協会の前座さんにだってあげなくちゃいけないから、用のない前座さんまで楽屋に来ている」 さらに紅白歌合戦での森進一、山梨は武田信玄がいなかったらどうなっていたのだろうといった話で盛り上げること20分。そこから『時そば』へ。昇太の『時そば』は上方の『時うどん』を『時そば』にしたもの。だから兄貴と弟分がふたりでそば屋でそばを食べる。江戸噺の『時そば』の聞かせどころ、前半のそばの薀蓄、後半の不味いそばといった聞かせどころはあえて無くなっていて、あくまで前の日と同じことをやろうとする弟分の可笑しさを昇太流に見せる。アフタートークで昇太が語ったところでは、「東京の『時そば』よりバカでしょ」。うんうん、なるほどね。

        仲入り後は、三増紋之助の曲独楽。お客さんを高座に上げて[綱渡り]だが、板の上に乗せた独楽を投げ合うサービスも。さらにはこの人、広い会場だと風車を客席に降りて見せてくれる。これもサービス。

        春風亭昇太二席目。自分の趣味は中世城郭を見に行くことだという話から、相撲の話へ。こりゃあ、『力士の春』だろうと思っていたら、あらあら『花筏』! 昇太、すっかり古典の人になっていたんだなあ。これが驚くほど丁寧な『花筏』になっていて、花筏に成りすました提灯屋がなぜ千秋楽の土俵に昇らなくてはならなくなったか、千鳥が浜がなぜ花筏と相撲を取らされるはめになったかの説明が十分になされている。こちらもアフタートークでの昇太の説明どおりバカな奴同士がバカなことをやっている噺。バカだなあと思いながら聴くのが落語なんだというのが昇太の落語論なのかもしれない。


February.14,2009 嫌な奴、でも愛しい、久蔵という幇間

2月11日 鈴本演芸場2月中席夜の部

        開口一番、前座さんは三遊亭歌る美『たらちね』。頑張ってね。やっぱり女流の落語家さんは女性が出てくる噺がいいね。

        女流が続く。柳亭こみち『権助魚』。こちらもおかみさんの様子が女性ならではの表現で、いいねっと感じる。

        和楽社中は、和楽、小楽、小花。六丁のナイフの交換取りで小花の投げたナイフを小楽が落としてしまう。小花の投げ方が悪かったのかなあ。

        橘家文左衛門『道灌』。こういう前座噺も、ベテランにかかるとどうしてこうも面白いのかと感じる。「太田さん? 津軽三味線やってる人だろ。三味線で『ウエシタデー』とかやってる人」 「そんな飲んだくれじゃないよ!」

        最近は鈴本は講談を入れているようだ。宝井琴調『寛永三馬術 愛宕山』。乗り上がりまで。愛宕山から下るところで「これからが面白いのですが、お時間!」

        のいる・こいるが休演で、代演がロケット団。「キューティクルって知ってるか?」 「そんなの山形では何十年も前から使っているよ。この日本酒飲むと胃にキューてくる」 「ジョージ・クルーニーって知ってるか?」 「そんなの山形では何十年も前から使ってるよ。風邪引いて、調子狂うにい」 どんどん出てくるね、このシリーズ。血液型当て心理試験、そして、付き合い始めた彼女というネタは、かつてのてんやわんやさんを思わせる構成で、これぞ東京漫才といった面白さだ。

        柳家さん喬『棒鱈』。田舎侍をからかった江戸っ子噺らしい痛快なネタ。こういうのが江戸前なんだろうけど、棒鱈なんて料理は江戸っ子はあまり食べないような気がしてくるんだけど。

        中トリは古今亭志ん五『不精床』。こんな顔している無愛想な床屋には入るべきではないって感じですよね(笑)。

        仲入り後の食いつきがぺぺ桜井のギター漫才。「日産が酔っ払って運転しようとするとエンジンがかからないっていう自動車を作ったそうですね。そうしたら三菱が酔っ払って運転するとタイヤが外れちゃうっていう自動車を作ったっていうんです・・・ウソですけど」

        柳家喬太郎は、この時期によくかけている『白日の約束』。「今日の約束忘れてない?」という女性の台詞から始まるこの噺。「忘れてるでしょ。懺悔する? 私の出番、本当は今日と13日だったはずなの。それが13日は出ないのよ。ダブルブッキング。前から入れていた仕事忘れちゃってたの。菊之丞さんには迷惑かけちゃって」 これで大受けを取るのだから喬太郎は凄い。

        林家正楽の紙切り。お題は[梅に鶯] [ホワイトデー] [お雛様]。ホワイトデーはしばし考えて切り出したのだが、けっこう無言状態。集中しているのがわかる。「ホワイトデーというご注文。男性が女性に贈り物をしているところですが、今日のお客様はそれだけでは満足しないでしょうから」とプロジェクターを点けると、贈り物を受け取る女性のうしろに吉良上野介。男性のうしろに浅野内匠頭。

        「トリの前に上がる芸人さんを膝がわりと言います。正楽師匠のあとにトリ上がれるのは落語家冥利につきますな。そしてその前のアレは何ですか!? 『白日の約束』という古典落語・・・いや、古典になろうという噺。ちょうどこの時期の噺。時期はずれの噺を演る場合は、噺家の時知らずなんて申しまして、私は年末の噺を」と柳亭市馬『富久』に入った。この噺は演じ手により地名が少しずつ違っている。市馬のものは、久蔵の住まいが浅草三間町。旦那の住まいが横山町。富くじは椙森神社。私が理想とする地名だ。この噺、久蔵という幇間の噺なのだが、こんなに幇間に向かない男もいないだろう。酒が元で旦那をしくじってしまう。そんな前置きくらいでは、「何があったのだろう」くらいにしか思えないのだが、横山町が火事で、旦那に許しをもらえるのではと駆けつける。火事が収まり火事見舞いの酒が届けられると、もうその酒が飲みたくて仕方ない。その意地汚さ。酒を飲み始めれば本性が出て、ついまた旦那をしくじりそうになる。もうほとんど酒乱に近い。ほんと、幇間という職業をするには決定的な何かが欠けている男なのだ。富が当ったものの、札を持っていないと一文ももらえないと言われると、さんざんに毒づく。ほんと嫌なやつなのだ。火事にあった久蔵の家から神棚を持ち出してやったカシラにまで毒づく場面もある。でも、落語ってそうなのかも知れない。それが人間。人間らしい姿を描くのが落語なんだろう。久蔵を嫌な奴だと思いながらも最後には、久蔵という存在が愛しくも思えてくる。

        酒を飲む噺を聴くとどうしても、日本酒が飲みたくなる。吉池で閉店間際の割引サービスで刺身を買い、家で日本酒わ飲んだのは言うまでもない。火の用心のチェックをしておやすみなさい。


February.11,2009 笑いどころはシンペーのオヤジギャグ?

2月7日 AGAPE store
        『テーブルマナー』 (紀伊國屋サザンシアター)

        ドロドロの話。これはちょっと観ていて辛かったなあ。イギリスの戯曲の翻訳劇だから、ユーモアもあって退屈しないのだが、私にはやや苦手な芝居。

        三人の兄妹の母親というのが寝たきりの生活をしていて、その面倒を一番下の独身者の妹加代子(大和田美帆)が見ている。その彼女が旅行に行きたいと言い出して、兄の大輔とその妻理香(市川しんぺー、佐藤真弓)、姉の美智子とその夫武士(島田歌穂、松尾貴史)が実家にやってくる。武士はほとんど仕事をしておらずブラブラしているのに対して美智子はバリバリに仕事をしていて、武士はヒモ状態でプレイボーイという設定なのだが、松尾貴史というのは、そういうイメージが浮かんでこないのが難。逆にオヤジギャグを連発する大輔役は市川しんぺーにぴったりはまっていた(笑)。

        老人介護の物語になるのかと思うと、そうではなく兄妹、それにそのカップル間のドロドロの関係と、相手への罵り劇。こういうのほんと苦手。イギリスの芝居を日本に移しているので、やや無理が生じている個所もいくつかあって、う〜ん、なんかムズムズするっていうか〜。まっ、これ、芝居としてはよく出来ていると思うんですよ。ただ、私の好みに合わなかったんでしようね。選択を間違えた私の失敗。でもチラシのイメージではもっと笑えそうな感じの芝居だったんですけどねえ。


February.8,2009 モッズ版シェイクスピア

1月31日 『リチャード三世』 (赤坂ACTシアター)

        劇団☆新感線のいのうえひでのりが、古田新太主演で演出するシェークスピア劇。新感線は『メタルマクベス』などを上演したりしているのだから、シェークスピアといっても驚かないのだが、これほど真っ向からシェークスピアに取り組んでいる作品を私が観に行くことになるとは。

        観に行く前に、ざっとこの話を予習しておこうとインターネットで粗筋を読んで見ると、これが実に面白い話であることがわかった。リチャード三世が王になるために、様々な権謀術数を企んでのし上がっていく様と、そのあとの悲劇。やや、複雑な人物関係が厄介だが、こりゃあ素材として面白くならないわけがないではないか。

        いきなりオープニングで流れるのが、The WhoのLove Reign O’er Me(愛の支配) これでもうすっかりはまってしまった。この曲は芝居の中段、そしてラスト・シーンにも流された。70年代ロック、そして映画好きの人なら、この曲はThe WhoのQuadrophenia(四重人格)の中の曲であり、それを映画化した『さらば青春の光』のラストで流れることを知っているに違いない。行き場のない青春を描いたあの作品に『リチャード三世』を重ね合わせた手腕に、70年代ロックオヤジはコロッといってしまった。

        ところが、芝居はとなると、70年代をはるかに過ぎ去って、舞台の上には何台ものモニターが備え付けられ、ところどころでワイドショーのクルーが出てきて実況中継をしたりする。ボイスレコーダーに携帯電話まで登場。馬ではなくスクーターに跨ったリチャード三世!(まあこのへんは、『さらば青春の光』のモッズ族の反映か?)

        暗い照明と長台詞のおかげで、前半はところどころ眠ってしまったりしたが、リチャードがアンに上手い事言って求愛する場面は圧巻! 私は一人で笑っていたのだが、客席は誰も笑わない。笑うと不謹慎なのかと思って声に出しては笑わなかったけど、そういう芝居なのかなあ。

        後半、リチャード三世が落ちていくところは面白い。古田新太、いいねえ!

        The Whoとシェークスピア。同じイギリスを重ね合わせたところに、いのうえひでのりのセンスを感じてしまうのだよ、70年代ロックおじさんは。 


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