2011年7月31日桂米朝展記念落語会(紀伊國屋ホール) 「米朝のちょう、ざこばのばをいただいた、ありがたい高座名です」と言う桂ちょうばは『時うどん』。会場を沸かす。 桂宋助は、おやっ?『権助魚』みたいだけど、飯炊きの権助は出て来ないなあと思ったら、これは『禍は下』という噺。初めて聴いた。 東京から柳亭市馬『片棒』。こういう賑やかな噺をさせるとイキイキとしてくる市馬。東側からなんで市馬なの?とよく考えたら、東の人間国宝だった小さんの弟子なんだもんね。 桂南光は『素人義太夫』。『寝床』まで行かないから『素人義太夫』。最後まで聴きたいところだったが、今夜は、このあとの仲入り後がお楽しみ。 幕が上がると、板付きで椅子に座った人たちがズラリ。人間国宝桂米朝、永六輔、小沢昭一、大西信行、加藤武、矢野誠一。これに本来は入船亭扇橋、柳家小三治が加わって、やなぎ句会のメンバーなのだが、扇橋と小三治は落語協会の行事のために欠席。なにしろ後期高齢者ばかり。とりあえず、『米朝よもやま噺』というタイトルの鼎談なのだが、肝心の米朝師匠が、病後ということもあってあまり喋らない。 それぞれの話を聞くうち、もともとは正岡容を慕って集まってきた集団が後に、やなぎ句会に発展したらしい。桂米朝展を見てから来ると、正岡容の直筆原稿が見られた。猫の絵が描かれた原稿用紙で美しいが、肝心の升目がいびつで、大きいのやら小さいのやらがある。これは「だいたいこんな風に印刷してくれというメモのつもりで印刷屋に渡したら、そのまま何千枚も刷ってしまって、しかたなくそれを使っていたとのこと。 やなぎ句会は、永六輔と小沢昭一が忙しくなって、月例の会合が難しくなってきて、575で、毎月17日に行うようになったとか。これも真実味あるなあ。 とにかく高齢者ばかりの集まりだから、けっこうグダグダ。これに扇橋と小三治が加わっていれば、もっとグダグダだったかも。 誰が先に死ぬかもわからない集まり。最後に米朝が「次々に死んでいくのを見るのが楽しみだ」なんて言っていたけれど、それは米朝、現世で見ていくのか、来世で見ていくのか、どこまでも飄々とした姿だった。 8月9日記 このコーナーの表紙に戻る |