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2010年7月9日『醜男(ぶおとこ)』世田谷パブリックホール

 ドイツの脚本家マリウス・フォン・マイエンブルクの作品の翻訳劇。タイトルが気になって観に行った。だって自分はどう考えてもイケ面じゃないもん。ポツドールの『顔よ!』に打ちのめされてしまった自分としては、こういうテーマって興味がある。

 新商品を開発したレッテ(山内圭哉)は、プレゼンに行くつもりだったのだが、土壇場で上司シェフラー(入江雅人)に、プレゼンに行くのはレッテの部下に当たるコールマン(斎藤工)に変えると言われる。レッテの顔が醜いからだというのがその理由。レッテは妻(内山理名)に、自分の顔はそんなに醜いのかと問いただす。すると妻は、「確かに、あなたの顔は醜い。でもあなたのことは好きよ」と答える。

 ふうん。主人公は自分の顔は醜くないと思っていたのかあ。いやね、実をいうと山内圭哉という役者は決して醜くないのだよ。スキンヘッドにしているが、よく見るとその顔は二枚目だと言っていい。そこからまず違和感があるのだが、まあ醜いという前提の芝居だからしょーがないのだろうけど。

 それで、レッテは整形手術をして、いい男になることに成功するのだが、と言った話。その時点で、「ああ、そういうことをいいたい芝居なのか」と見当がついてしまうのだが、そのあと話はどんどん観念的な方向に向かって行ってしまい、あれよあれよと終わってしまった。1時間15分。

 観念的といえば、舞台には大道具も少なく小道具もない。役者の着ている衣裳は現実にはありえない奇妙なもの。リアルさには程遠い。

 いや、これはこれで芝居としてはいいんだろうけど、あのポツドールの『顔よ!』がリアルだとすれば、『醜男』はあまりに反対方向。まあ、好みってのもあるのだが、私は芝居にリアルさを求めたいのだなあ。

7月13日記

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