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2011年3月8日第104回江戸川落語会(江戸川区総合文化センター)

 はて、江戸川総合文化センターってどこだ? チケットを手に入れてから初めてインターネットで検索してみる。最寄りの駅はJR新小岩駅。ふうん。しかし今やインターネットのおかげだねえ。知らない会場でも
すぐに調べられる。

 新小岩から、会場まで歩く。できることならどこかで夕食を食べていきたいところだが、開演時間までもうあまり時間もないし、なにしろ初めて行く所だ。迷子になってしまったら辿り着けないうちに落語会が始まってしまう恐れもある。もう暗くなってしまった道を、こっちの方だろうなあという勘に従って歩く。新小岩駅から、けっこう歩いたところに江戸川総合文化センターはあった。

 会場に到着したときはもう開演ギリギリ。指定された席に滑り込む。

 開口一番は林家まめ平『子ほめ』。頑張ってね。

 古今亭菊之丞『湯屋番』。これはこれは。菊之丞の若旦那っていいねえ。ぴったりだもん。もっともっと菊之丞で若旦那ものを聴いてみたい。

 「ここって中途半端な距離じゃありません?」と柳家喬太郎。「私は新小岩からバスに乗って江戸川高校前で降りて、ここまで来ましたが、歩いちゃってもよかったかなって感じ」 喬太郎がなんだかみんなの意見を代弁してくれているようで、ドッと笑いが起こる。客の掴みの上手さときたらこの人は天才的。ネタは『竹の水仙』。喬太郎の『竹の水仙』はもう十年聴き続けているが、毎回少しずつ変化してきているように思う。

 喬太郎の宿屋の主人は、女房にも頭が上がらず、文無しばかり泊めてしまうダメ亭主。その主人が宿役人と武家屋敷に行くところが涙が出るほど面白い。早とちりした宿役人が、「この人は何もやっていません!」とやかましいばかりに謝る場面の可笑しさ。そこにポツリと挟まる宿屋の主人の「何もできない人生なんだよな」という一言がコントラストとして入る鮮やかさ。百両の金を手に入れて家に帰ってきて、亭主をダメ亭主扱いしていた女房に一喝を入れる。胸がスーっとするところで、「言えた」と呟く主人の心情の描写。いいなあ、喬太郎の『竹の水仙』。

 仲入りのときに腹が空いてたまらなくなり、会場を出てコンビニを探す。会場からやや離れたところに、ようやく一軒見つけた。おにぎりを2個買って食べながら会場へ戻る。これまた時間ギリギリでセーフ。

 柳家三三『笠碁』。ヘボ碁仲間の老人が、一手待った、待てないの言い争いから喧嘩分かれしてからの、家で待っている老人の描写がいい。なにしろ、この老人たちが三三にかかると妙にふたりともかわいいのだが。「熱いよ、このお茶! まあ、待ってればぬるくなるか・・・待ちゃあよかったかなあ」 「このごろの奴は(囲碁の)本なんて読んで勉強するから気に食わない」 「どうしてうちの孫たちは喧嘩ばかりしてるんだろうね。 えっ?血は争えませんね」

 トリは林家正蔵『しじみ売り』。正蔵の『しじみ売り』は去年、にぎわい座で耳にしたけれど、なかなかいい出来だと思う。中には正蔵に人情噺は合わないという人もいるようだが、どうしてどうして、子供の描写が巧みだし、うーん、一度、正蔵で『子別れ』が聴いてみたいなあ。

4月4日記

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