2009年8月8日 人形町で『お富与三郎』を聴く会 茣蓙松 隅田川馬石師匠にお願いしている、『お富与三郎』長講全六回も、今回で五回目。 三ヶ月置きの会だから、思えばもう一年になる。第一回『発端』は一年前だった。玄冶店のあった人形町のこの町で、是非とも実現したかった企画。しかし、動員は難しだろうと思い先延ばしにしていたのを思い切って一年前に立ち上げたのだった。 第一回は正直に言ってお客さんの数はあまり多くなかった。いったいこの先どうなるのだろうと思っていたら、その後お客さんの数が増え始め、ついには毎回完売御礼を出すようになってきた。 馬石師匠には『お富与三郎』と、もう一席軽い噺をお願いして、毎回ひとりゲストを呼んでいる。今回は講談の神田きらりさんにお願いした。きらりさんは即答で出演をOKしてくださった。 さて、ところで人間、歳は取りたくないもので、歳を取ると物忘れがひどくなる。 当日の一カ月ほど前のことだ。そのころの私ときたらプライベートな話なのだが、家族が危機的状況に追い込まれていた。毎日があれこれ思い悩み、次々と起こる事態に追われていた。その上に朝から晩まで連日の仕事である。 そんなある晩、私は酒を飲んで寝ていた。そこへきらりさんから電話があったのだ。8月8日の当日は地方での仕事が入っており、こちらの開演時間までには戻ってこれると思っていたが、どうも無理らしいということ。翌日も松本で昼から仕事が入っているので、この話はお断りしたいという内容だった。「それでは誰か他の人にします」と私は答えて電話を切った。 ところが、その電話のことを一晩たったら、すっかり忘れ去ってしまっていたのだ。 さて当日。いつものようにスタッフは16時30分に集合。あっという間に準備完了。馬石師匠は池袋演芸場の夜の部に出演中。出番は浅いところだというが、夜の部開演が17時。本来なら二ツ目の上がる位置に馬石師匠が先に上がらせてもらって、下りるのが17時15分。そこから地下鉄に乗って浜町。浜町に自転車を用意しておいて、それで会場入りという寸法だ。 17時50分馬石師匠楽屋入り。ところがきらり現れず。現れないわけだ。だって、来られないと断りの電話があったのだから。この時点で私はそんな電話があったことをすっかり忘れ去っていたのだが。 5分押しで開演。今回はお囃子さん付きだよ。 まずは立命亭八戒。出囃子は祭囃子。マクラも短めで『風呂敷』を演る。私は、来るはずもないきらりさんのことを思って気がそぞろだったが、この日の八戒さんの出来は耳にしていると絶好調といっていい。八戒さんらしいクスグリも入れて飛ばしているなあという印象。 続いて隅田川馬石の『錦明竹』。師匠は兵庫の出身なのだそうで、こういう言い回しはお得意らしい。こちらも快調に飛ばしているる 来るはずのないきらりさん。それではと中入りを入れて、八戒さんと茶番をやろうと計画する。まず八戒さんが高座に上がり、今回は急遽、馬石、八戒二人会になったと宣言して、『芝浜』を始める。そこに私が割って入って、「おいおい、そんなことはさせないよ」と止める。そこからアドリブで状況説明をしようという寸法。 お客さんは面白がってくださったろうか。 岸の柳の出囃子で隅田川馬石が高座に上がる。「岸の柳は先代の志ん馬師匠が使っていた出囃子でして、寄席の楽屋で聴いていて、いい出囃子だなあと思っていたんですが、志ん馬師匠が亡くなりまして、今の志ん馬師匠がお使いにならないというので、私がいただいたというわけで、望んでいれば願いは叶うものでございますね」と、軽く触れて、『お富与三郎 茣蓙松』へ。 茣蓙松は別に無くてもいいエピソードなのだが、これが入ると入らないとではやはり物語としての厚みが違うという感じ。お富と与三郎がどんどんと悪の深みにはまっていってしまう様子が描かれる。一時間を超えるもっとも長い部分でもある。楽屋のモニターで馬石師匠の熱演にぐいぐいと引き込まれてしまった。 会場を直して、そばタイム。夏はやっぱり冷たいもりそばでしょ。 ウチアゲも楽しく、これで残すのはあと一回だけと思うと残念な気がする。もっと長い物語ならいいのになあ。 きらりさんからは、その後、胃炎で体調を崩しているとの連絡が入った。 この場をお借りして、きらりさん、当日のお客様、そして関係者の皆さまに多大なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。 2009年8月23日記 このコーナーの表紙に戻る |