2011年7月8日 キョンちば(紀伊國屋サザンシアター) 定刻、前座さんがメクリを返すと、開口一番の文字。そのまま前座さんが引っ込んでしまうので、「おやっ?」と思ったら柳家喬太郎が出てきて、座布団に座る。「前座でございます」と、こういうところが喬太郎らしい。 劇団猫のホテルの千葉雅子と、柳家喬太郎のコラボ企画。喬太郎が千葉雅子に落語を教え、初高座を踏む。代りに千葉雅子が喬太郎に新作落語を書くという企画。 前座(じゃないけど)さんにしては、すっかり噺家の風格を感じさせる喬太郎(フハハ)が、「番組の進行表が楽屋にあるんですけど、このあと私が中入り後に演る新作ですが、40分になってる。昼の部で演ってみたらね、70分になっちゃった」。ここで客席から大きな拍手。「それは、演れって事ですか?」の問いに、さらなる大きな拍手が。 そこから、『反対俥』。途中で息を切らして、「50近い、腹の出た落語家が演る噺じゃない。『初天神』にしとけばよかった」なんて、地が出るのも計算のうちなんだろうなあ。 千葉雅子は喬太郎に習ったという『転宅』。うまい選択だといえる。落語初心者には、演じ分けの難しい役三人の登場人物でありながら、三人がいっぺんに出る場面は無いので、上下(かみしも)は比較的やさしいのだが、単なる滑稽話ではないし、それなりの演技経験がものを言うという類の噺だ。最後の対談で喬太郎が言っていたように、「役者さんがよく陥るのは、落語を演るのではなく、落語を演っている落語家を演ってしまうこと。その点、千葉さんはちゃんと落語になっていた」という意見に、なるほどと思う。それでも、やっぱり初高座というのは緊張するもんだろうなあ。寄席に入った前座さんが初高座を経験するのと違って、これだけ大きなホールで、これだけの人の前で演るのだから。 中入り後が、千葉雅子・作の『マイノリ』。柳家喬太郎はマクラも何も無く、いきなりスッと噺に入る。日大商学部の落研の男子学生と、国学院大学文学部劇研の女子学生が、アルバイトの面接会場で出会う。ふたりは夜中まで飲み、気が付くとどこかの私鉄の終着駅のホームで目を覚ます。それ以来ふたりは親しくなり、何かというと一緒に飲む仲。そこに、さまざまなエピソードが語られていく。就職、落語家・演劇人への転身、恋人、金銭、などなど。お互いが好きなのに、好きだと言えずじまいに過ぎていく30年の日々。そしてお決まりの朝の終着駅。それを追っていくという構造なのだが、喬太郎と千葉そのままのキャラクターを出しておいて、どこまでが実際に経験したことなのか、創作なのかは不明。40分の予定時間が70分。夜の部は75分になっちゃったのは、おそらく千葉雅子の台本を基にして、喬太郎がエピソードを加えていったからだろう。喬太郎の初期の傑作『すみれ荘201号』や『純情日記』シリーズを彷彿とさせる中、その一歩先を行った作品のような気がしてならない。伊藤咲子の『乙女のワルツ』が挿入歌のような効果をするが、これもまたドンピシャ。サゲがまたねえ、うまいんだ。演劇的というより、喬太郎落語トリック。落語でなければ、こうは効果的にならない。 喬太郎、千葉雅子に加え、河原雅彦のトークが付いた。これがまた楽しい。アフター・トークっていいものなんだよ。落語会もどんどん演ればいい。 『マイノリ』、また聴きたいなあ。でも75分もあるとすると、今度聴かれるチャンスはいつ? 7月16日記 このコーナーの表紙に戻る |