January.5,2005 私の席
ここ数年、元日にはホテルで催される落語会を観に行くのが恒例となっている。この落語会は開演前にロビーで飲み物と軽いスナックが配られ、開演前のひと時を楽しむことができる。これもまた楽しみのひとつ。
今年も受付で前売り券を渡すと、半券を千切ってくれて、それと同時にドリンク券を渡してくれた。ドリンク券でビールを貰い、スナックが乗った皿を受け取って、さてどこで食べようかロビーを見渡す。ここは基本的には立食のシステム。そこここにテーブルが配置され、お客さんはそこに皿やドリンクを置き、立ったままで飲食をする。別にそれでも構わないのだが、窓際にいくつか椅子が置かれていてテーブルも前にある空間がある。今年はそこに空席を見つけたのだ。そりゃあ、立ったまま飲食するよりも座って食べた方が落ち着ける。
私はその空いている席に座り、テーブルにビールの入ったグラスとスナックの皿を乗せて飲食を始めた。サンドイッチを摘み、ビールを何口か飲んだころだった。隣に座っていた夫人が私に「あの、そこ、私の連れの席なんですけど」と言うではないか。私は慌てると同時にムッとした気分になった。その席がすでに自分とその仲間の権利だと主張するならば、そこにハンカチの一枚でも置いておくのがルールなのではないか。仕方なく私はその席を立った。夫人は持っていた紙バックを、今私が座っていた椅子に置いた。最初っからそうすればいいのにという思いにかられ、この夫人に一言文句を言ってやろうかと思ったが黙っていた。
用はタイミングだと思うのである。私が座ろうとした瞬間に「そこは連れの席なんですが」と言われれば「ああ、そうなんですか」で、それほど腹が立たない。しかし、そこに座って飲食を始めてから「立て」と言われれば人間腹が立ってくるものなのである。
事はそれだけでは終わらなかった。その夫人の逆隣にも空席を発見してしまったのである。ここにもハンカチ一枚置いてない。私はそちらの側に座り、飲食の続きを始めた。しばらくして男性が近寄ってきて、「そこ、私が座っていた席なんですけど」と言うではないか。唖然としてしまった。この夫人の両隣は、この夫人の仲間が座っていた席だったのだ。ならばなぜ私が二回目に座った席も、この夫人は何か物を置くなり、私が座った瞬間に「そこも私の連れの席です」と言わなかったのだろう。
そもそも席の権利とは何なんだろうか? 先に座った者がその席を占有する権利があるというのはわかるが、ものには限度というものがある。場外馬券売り場にはいくつかベンチが置いてあり、そのベンチにはズラーっと新聞が置かれている。ここは私の席だと主張しているのだが、ほとんどの席は誰も座っていない。テレビの中継を観に行ったり、馬券を買うために留守にしている人の席なのである。こういう人はほとんど席に帰って来ない。疲れたときだけ、この権利を主張している新聞紙を置いた席に帰ってくるのである。あとから馬券売り場に入ってきた人は何をするのでも立ったまま一日を過ごさなければならない。
話を元に戻す。物を置いておけば、その席は自分のものだと主張できるという理不尽さはしょうがないとして、何も置いておかないで、「そこは私の席だ」と主張するのは失礼ではないか。しかもすでに飲食の途中の人間に対してである。この人たちは見たところ私よりも年上の人たちであった。本来ならば、一言、「ならば、何か椅子の上に自分が先に見つけた席だと示す何か物を置いておいてくださいよ」と言いたかったところだが、新年ということもあり、これから落語を楽しもうという場でもあったので、黙って席を立った。
新年早々、嫌な気分になったのだが、猫のコーナーになぜこんな話を書いたのかというと、[新年・席・猫]で、昔のことを思い出してしまったのである。以前は元日というと、親戚の年始周りに家族で出かけた。ある家に挨拶に行ったら、応接間に通された。そこのソファーに座って新年の挨拶をして、おせち料理を摘んでいたら、その家の飼い猫が床で私の方を見つめているではないか。やがてこの猫が私の膝に飛び乗ってくると、そのまま丸まって寝てしまった。家の人曰く、「そこは、この猫のお気に入りの席で、いつもそこで寝ているんですよ」とのこと。「そこは私の席よ」と主張した猫が、仕方ないので、そのまま私の膝で寝てしまったらしい。こんな席の主張の仕方は猫好きな私にはありがたい。でも、スナックとドリンクを持ったおっさんが私の膝に乗るのだけはごめん被りたい。
以前も載せた事のある、私が通院している病院近くの床屋で買われている猫。天気の良い日には、こうやって入口のガラスドアの前で日向ぼっこしている。去年の暮に通ったときもいたので、またパチリ。