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週末日記



2010年3月11日から13日

11日(金)

 午前中、父の相続届を出しに、父のメインバンクだった銀行に行ったら、「書類が不足している」とのことで出直しになってしまった。何ヶ所かに電話を入れて、書類を手に入れようとしたが、「そんな書類はもうないし、そんな書類が必要とは思えない」との返事。午後にメインバンクに電話して事情を話すことにする。

 お昼の仕事に突入。忙しい。

 そして、運命の14時46分。夜は、川柳つくしさんの『つくしの翁庵落語会27』があるので、高座用座布団、毛氈、CDラジカセ、出囃子CDを二階の座敷に用意する。

 下に降りて来て、お昼の片づけを始めたところ、揺れを感じる。「あっ、地震だ」 続いて思ったのは「これは大きいぞ」ということ。すぐに火を止める。厨房では汁を入れた鍋が波打ってこぼれる。何かに掴まっていなければ倒れそうなほどの揺れ。長かった。いつまでも揺れていたという記憶がある。不幸中の幸いだったのは店にお客さんがひとりもいなかったこと。ほぼ収まったので外へ出るとたくさんの人が外に出ていてたたずんでいる。

 閉店の準備を始め、15時に閉店。

 毎週木曜日に母を近くの整形外科に連れて行っているのだが、昨日は夜に大口の出前を受けてしまったので残業となり、母を連れていかれなかった。その代りに今日にしたので、母を車椅子に乗せて外に出ようとしたら、また地震。これは福島ではなく、茨城沖だとあとで知ることになるが、これもかなり大きい。

 揺れが収まるのを待って、母の車椅子を押して整形外科のビルの前まで行くと、エレベーターは止まっていた。今日はもう診療はしないとのこと。痛み止めの処方箋だけ出してもらって帰宅。

 父のメインバンクだったところに電話を入れるが、まるで繋がらない。今日はあきらめるしかないだろう。

 処方箋を持って薬局へ。外にたたずんでいる人は減って、今度は徒歩で自宅に帰ろうという人の群れ。なんか大変なことになってる。

 17時ちょっと前に店に行くが、どうやら電車は動いていない。これでは、落語会目当てのお客さんも来られないだろうし、肝心のつくしさんも辿り着けそうもない。電話は混雑していて、つくしさんに繋がらない。困ったなあと思っていたら、携帯電話につくしさんからの電話が。今日は中止にしようという旨の返事をした途端に回線が切れる。

 後片付けをして、残り物を食べてマンションに帰る。疲れ果てていて、そのまま眠りに。

12日(土)
 テレビを点けると、東北は大変なことになっている。大災害じゃないか。

 母をデイ・サービスに送り出し、さて、どうしようかと思う。テレビの地震災害報道を見ながら、Utamさんの写真をアップさせる準備作業。昼前にほぼ見通しがつく。昼飯を食べようとコンビニに行くと、カップ麺の類がみんな無くなってるのに愕然とする。保存のきく食料を確保しようとした人が多いのだろう。

 これは非常事態なのかも知れない。ドラッグストアにトイレット・ペーパーとティッシュを買いに行く。オイル・ショックでトイレット・ペーパーが無くなったときの体験を踏まえてなのだが、あとから、これが正解だったのが判明する。どこの店にもトイレット・ペーパーが売ってない事態が起こることになる。誰か買い占めているらしい。

 14時ごろ、Utamさんの写真をアップ。観続けていたテレビ報道にうんざりしてきて、BSにチャンネルを変えてみるとWOWOWで『第9地区』が始まるところ。夢中になって観続けてしまう。ドキュメンタリー的な導入部が次第にサスペンスが高まって行く。

 夜は渋谷でSWA落語会に行く予定だったが地震の影響で公演中止が発表された。

 母を連れて外食することにする。[菜心]がいいというので、車椅子で出かける。ニラ饅頭、牡蠣の山椒炒め、XO醤炒飯。おいしい。

13日(日)
 深川のスーパーへ。レジに凄い列が出来ている。ここも、保存のきく食料の棚を中心にカラッポになっているところが多々ある。

 日用品を売るホームセンターも大混雑。こんなに混んでいるのをみたことがない。ここでも日用品を確保しようとしている人が多いらしい。

 帰宅して、風呂に入ろうとしたらガスが止まっている。復帰ボタンを押して、しばらく待ったら、湯沸かし器のお湯が出る

 翌日の仕込み。いざとなったら、店にはそば粉はたくさんある。それで食い繋ぐことはできるだろう。

 夕方から自室でハードディスクに溜まっているテレビ番組を観て過ごす。リアルタイムのテレビの方は相変わらず地震報道。節電を呼び掛けている。明日から輪番停電が始まるようだ。節電、節電。早めに床に着く。

3月14日記

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