May.29,2000 スーパー歌舞伎初観劇記

        市川猿之助の[スーパー歌舞伎]なるものを、初めて見た。新橋演舞場、昨年の再演『新・三国志』である。場内は超満員。パイプ椅子の追加席まで出た。

        第一幕、緞帳が上がると、黄巾賊の大旗が振りまわされる中、舞台中をアクロバッティックな乱舞。これにはドギモを抜かれた。ついに日本も上海雑技団レベルのアクションができるようになったのかと、ビックリしたのだが、これは中国から京劇の役者を呼んできたものと、あとから知って、なるほどと思った。そういえば、このへんのシーンは、京劇を参考にしているなと思わされた。タテもどこか京劇風。

        セリフは、普通の演劇のセリフ回し。歌舞伎のセリフ回しと違うから、私などにはわかりやすい。鳴物もなし。ロシアン・シンフォニー・オーケストラによる壮大なテーマ・ミュージックが流れる。パンフレット(こういう舞台では[筋書き]という)を買ったら、この音楽が入っているCDが付いて来た。

        劉備玄得が、弱い者達の為に立ちあがった女性だったという思いきった発想で、なんだか中国版ジャンヌ・ダルクのような趣。ただし、女であることを隠し通そうしているという、ちょっと捻った設定。劉備を演じる男の市川笑也(えみや)が、女であることを隠して男を演じるという複雑な役所を、うまく演じてみせた。

        第二幕のハイライトは、船の炎上沈没シーン。回り舞台に乗せた船が炎上しながら、180度回転し、船尾から沈んで行く様は、あっけにとられた。そして、幕切れの桃の花が舞い落ちる中、関羽(猿之助)と劉備の手だけの演技。これには、さすがに年期を積んだ役者の貫禄を感じさせられた。

        第三幕、いよいよ宙乗りなんですがね、これ、いらなかったんじゃないかと思うのですよ。いまさら、宙乗りなんて誰も驚かなくなっているもの。矢に撃たれ傷ついた劉備を、死んで霊になった関羽が現れて空中にさらって行くなんて、ちょっと無理がある。

        宙乗りが終わると、いよいよクライマックス。本水を使った立回り。どうどうと水の落ちる滝の下で、関羽の息子、関平(亀治郎)が闘うのだが、わざと水を客席に蹴り飛ばし、そこいら中、水浸し。これを亀治郎が嬉々として演じていた。敵を倒し、舞台最前中央に出てきて、大きくミエを切る。中央、前から2列目で見ていた私には、水が飛び散ってくる。最前列の人にはビニール・シートが渡されたのだが、私には無し。2列目でも十分かかるぞー! ところが、なぜか水がかかると嬉しい。って人間の心理って不思議ですな。

        明治座でも、何回か水を使った舞台の楽屋裏を覗いたことがあるが、衣装さんと床山さんはたいへん。ほとんど昼夜二回公演。昼夜、ふたつの衣装を用意して着替えるのかと思いきや、同じ衣装の使い回しなのだ。ずぶ濡れになった衣装を、夜までに乾かさなければならない。主役の人の衣装はおそらく乾燥機にかけるのだろうが、大部屋さんたちのは、扇風機で乾かしていた。

        花道に立ってから、再びミエを切って観客に水飛沫をサービス。花道を駆け抜けていく。いよいよフィナーレの様相になると、主だった役者が舞台裏手から登場。いちいち最前中央に出てきてミエ。花道でもミエが続く。このへんが歌舞伎だなあと、思わず笑みがこぼれてしまう。

        そして、劉備玄得の死。それに続いて、『曽根崎心中』のラストを思わせるような、あの世での関羽と劉備とのシーン。猛烈な勢いで降る桃の花。う〜ん、本当はここ、桜にしたかったんだろうが、中国じゃあそういう訳にもいかなかったのかな?


May.27,2000 ありがとうございました

        本日、明治座千秋楽。今月は杉良太郎座長公演『沓掛時次郎』でした。杉良太郎様、葉山葉子様、小林功様、竹内春樹様、なにわゆうじ様他の皆様から出前の注文をいただき、楽屋までお届いたしました。ありがとうございました。毎度のことながら、杉良太郎公演のときの楽屋は静かです。シーンとしています。以前、騒いでいる人が注意されていた光景を目撃したことがあるので、きっと楽屋内は静粛を旨としていらっしゃるのでしょう。しかし、静かすぎて活気がないように感じるのは私だけでしょうか?


May.25,2000 杉良太郎の舞台

        長谷川伸の股旅ものが大好きなので、今月の明治座には久しぶりに行ってみることにした。『沓掛時次郎』、映画では中村錦之助が演った名作もあり、ストーリーは知っている。今月の明治座版の舞台は、杉良太郎。

        もともと、あまり明るくない話なのだが、今回の舞台化、少々演出のテンポが悪い印象を受けた。冒頭の一宿一飯の義理で、何の恨みもない男を切ってしまうあたりの、回り舞台をうまく利用したシーンあたりはいいのだが、後は何だか間延びしたテンポになってしまい、観客が飽きてきてしまう。まあ、杉良が出ていさえすればいいと思っている観客が多いから、どうでもいいのかも知れないけれど。

        有名な話だから、ストーリーは知っている方が多いだろう。切ってしまった男から、後に残された女房のおきぬ(今回は葉山葉子)と子供の太郎吉を実家まで送り届けてくれと頼まれる。しかし旅の途中で、おきぬは病に伏せってしまう。そのころには、時次郎の心の中に、おきぬさんに対する恋心が生まれてしまい、太郎吉は時次郎になついてしまう。やがて、おきぬは病死してしまう。

        今回は最後の場が良かった。一面の菜の花畑。時次郎を襲う2人の渡世人。時次郎は堅気になる決心をしていて、刀を持っていない。その2人をあっさりいなして、太郎吉とふたり、花道に立つ。するとどからか「時次郎さーん!」とおきぬの声。「おやっ」と振りかえる時次郎。空耳か―――と、再び花道に向き直ると、太郎吉がオンブをせがむ。太郎吉を背負ったところで、拍子木がチョーン。花道を去って行く。この演技、タイミング、演出のよさは、ちょいとでしたね。


May.18,2000 まんびき

        先週の土曜日のことだ。神保町の三省堂に、路地裏の裏口から入ろうとしたら、50歳前後の男性が、やはり同じくらいの歳の女性に手を掴まれて三省堂の中に入っていった。
「申し訳なかったです。すいません、勘弁してください」
「いいから、とりあえず、いらっしゃい」
「もうしませんから勘弁してくださいよ」
「直接警察に行ってもいいんですよ!」
「すいません、本は返しますからゆるしてください」
「とにかく、話は中でうかがいましょう」

        万引きである。相手は小柄な女性だから、強引に振り解けば逃げられそうだが、一種独特の威圧感があるのかもしれない。万引き対策のプロなんだろうな。それにしても、いい歳の大人が万引きなんてやるなよな。そんなにしてまで本が欲しいか? まあ、本は古本屋に売れば金になるとはいっても、そんな大した値段にはならないだろうに。

        近所の酒屋にビールを買いに行ったら、店主に万引きの現行犯で、やはりいい歳の大人が捕まっていたいたことがある。服装も立派な紳士という感じの人だ。ポケットの中に店の冷蔵庫にあった缶ジュース4〜5本を突っ込んでいた。ほんの気の迷いだったのだろうが、それにしても捕まる危険を冒して数百円のジュースじゃあ、割が合わなくないか?
「あんた、とんでもない事をしたね」
「すいませんでした」
「あんたとは、よくウチで買い物がてら、よく世間話をした仲じゃないですか」
「ほんとに、すみませんでした」

        その日、私はビール代をそっと渡して帰ったが、翌日またその店に行って、店主に聞いてみた。
「あれから、どうでした?」
「いいお得意さんだったのに、困ったことだよね。土下座までしていったよ。今日またやってきて菓子折置いてったけどね、そんなにことされてもねえ」

        それから、その酒屋には顔を出さなくなってしまったという。そりゃあ、そうだ。気まずいものね。しかも行くたびに、その時の嫌な記憶が甦るんだものね。

        ある落語家のマクラで聞いた話。その落語家の先輩格の落語家がミステリ小説好きなのだそうである。ある日、こう話しかけた。
「師匠、最近『屍鬼』という小説が面白いそうですが、もうお読みになりました?」
「おう、そうだってな。俺も読みてえんだが、あれはダメだ」
「それはまた、どういう訳で」
「ありゃあ、分厚すぎて万引きしてこれねえんだ」


May.14,2000 都市交通マナー

        今発売中の『ダ・カーポ』に、「困ったひと」との付きあい方という特集が出ている。その中の「どんな人を困ったひとと感じるか」というアンケートで第10位に入ったのが、[電車やバスで降りる人がいるのに、先に乗ってくる]というのがあった。

        これ、わかるんですよねえ。通勤ということをしていないから、電車に乗るのはほとんど平日以外なのだが、毎回こういう人がいて、腹が立ってくる。これが不思議と若い人に少なくて、中年以上の人に多いというのはどうしたことか。もう長年、都市で生活しているのだから、そのくらい常識として持っていてくれてもおかしくないはずなのだが。

        下車駅が近づくと、ドアの中央に立ってドアが開くのを待つ。すると乗りこんでくる相手も中央にいるんですよ。降り難くてしょーがない。時々アナウンスで「降りる人のために、ドアの前は広く開けてお待ちください」と言っているのに、聞いていないのだろうか?

        もう12年も前だが、鈴木とふたりで上海に行ったことがある。そのときの光景が今だに忘れられない。バスが停留所に止まると、大量の人間が降りるのに、まず大量の人間が乗りこもうとする。もう怒号が飛び交っているのだが、みんな我先にバスの乗りこもうとしているのだ。最初ふたりで、このバスでの移動を試みたのだが、あまりの凄まじさに負けてしまい、そのあとは、もっぱらタクシーを利用するはめになった。あのころは、上海も都市としての発展過程にあったのだろう。

        東京はいつになったら、成熟した都市交通マナーを身につけられるのだろう。中学生のときだった。ある日、地下鉄に乗ろうとしたら、降りようとしていた男の人とぶつかってしまった。その人大きな声で「降りる者が先だろう!」と一喝。ちょっとドスの効いた声の持ち主で、私は凍りついてしまったのを憶えている。以来、電車に乗るときは、降りる人を待ってというのを実行している。一度、こうやって怒鳴られないとわからないのかも知れない。

        さっき、こういう人は年齢の高い人に多いと書いたが、その一因は座る席を確保したいという気持ちがそうさせているような気がする。東京はいつから年上の人に席を譲るというマナーを無くしてしまったのだろう。私の両親はもう70代である。母の方は、足があまりよくない。その両親と一緒に電車に乗ることがあるが、まあまず、席を譲ってくれる人に出会ったことがない。

        韓国など儒教の教えが徹底しているから、年上の人に我先に席を譲っていた。台湾でも、ニューヨークでも、イスタンブールでもだ。どうして、東京はこんな事になってしまったのだろう。私思うに、あの[優先席]というのが逆効果だったような気がするのだ。ここは優先席でないから、お年寄や体の不自由な人に席を譲る必要はない。座りたかったら優先席へ行けという考えが生まれてしまったのではないだろうか。


May.9,2000 真夜中の地下鉄構内で見たポスター

        これね、地下鉄の構内に貼ってあったポスター。ちょっとドキッとするでしょ。何だかさっぱりわからない広告だよね。白地に黒の、こんなデッカイ活字あんの?という文字だけの広告。ひょっとして、またヘンな信仰宗教かと思っちゃった。奇をてらった広告ではあるから、もうそれだけで成功なんだろうけどね。反対側の壁にも別のバージヨンが貼ってあった。

        うわあ、気持ち悪ーい! ポスターの下に小さくマークのようなものが描いてある。最初、豚の絵かな?と思ったら、そのさらに下に『全人類に、ちゃぶ台を。』なんて書いてあるので、「ああ、これは、ちゃぶ台なのね」と解ったのだが、いや、ますます解らなくなってしまった。これを最初に見た時って、終電で人形町の駅に帰ってきた時。まわりに人が誰もいなくて、ぞーっと怖くなってきた。黒いちゃぶ台の絵の中に白抜きの文字が。『Ch@b』 何だこれー! こ、これ『ちゃぶ』って読ませるの? 『しゃぶ』じやないよね。ああコワ。

        そのさらに下に、『www.isao.net』とURLが。これってプロバイダーかなんかの広告? パソコンやインターネットに無縁の生活をしている人は、だだただ気持ち悪がるだけだろうなあ。


May.5,2000 初任給

        先月の25日の夜は、お客さんが少なかった。どうしたのかなあと思っていたら、その少ないお客さんのひとりが、こう言った。「今日は給料日だろ? 新入社員は初任給だ。みんな新入社員を連れて、歓迎の意味でどこかに飲みに行ってるのさ」 なるほどなあ、そういうこともあるのか。

        私は卒業後、3年ほど会社勤めをしたことがある。その会社では、毎年恒例の[新入社員初任給強奪麻雀大会]なるものがあった。ヤクザな会社だったから仕方ないのだけれど、私は麻雀ができないと言って逃げたけれども、捕まった新入社員は悲惨だった。朝までにキレーに初任給全てを巻き上げられて、スッカラカンのやつもいた。

        初任給の日に驚いたのは、突然夕方に会社に訪ねて来やがったやつがいたことである。長崎、安渕両君である。ふたりよりも1年早く社会人になったので、彼らはまだ学生だった。「ねえ、給料出たんでしょ? 焼肉奢ってよ!」 私はひっくり返った。よく、そんなことまで気のまわるやつらだ! 正直言って、そのときは忙しかった。2日後には出張で大阪と福岡に飛ばねばならず、明日の夜までには印刷に回さなければならない原稿の整理に追われている最中だったのである。焼肉を奢ったら、また会社に帰って残業する覚悟で、机いっぱいに広がった書類の山をそのままに、両君と出かけた。

        会社の近くの焼肉屋で、ビールを飲みながら、ばか話をして、さて支払いを済ませて帰るかと背広の内ポケットを探ったのだが、給料袋が無いのである。そんなバカなと、背広のほかのポケットやら、ズボンのポケット、シャツのポケットまで探ったのだが、無いのである。給料袋以外には3000円しか持ち合わせがなかった。「ごめん、給料袋を無くしてしまったらしいんだ。明日にでも返すから5000円貸してくれない?」 ふたりはあきれ顔だったが、金を貸してくれた。

        とんだ恥じをかいちゃったなあと思いながら、会社へ逆もどり。仕事を片付けねばならない。どうやら、あの書類の山の中に、給料袋を紛れ込ませてきてしまったに違いないという確信があった。ところが、机の上の書類をいくらひっくり返しても、給料袋が出てこない。机の引出しにも無い。呆然としながらも、仕事を片付けて帰宅した。とても親には初任給を無くしたとは言えなかった。

        翌朝出社すると、私の席の隣の女子社員が「井上さん、駄目じゃないですか、初任給を机の上に置きっぱなしで出て行っちゃあ。私が保管しておきましたよ」と給料袋を渡してくれた。よかったあ、助かったあ。この女子社員には、給料から1割のお礼をした。

        さっそく、その夜にもう一度、長崎、安渕両君を呼んで、二度目の奢り。銀座の[ブリック]でボトルを入れて、乾杯した。さて、翌日からは出張。4日ほどの出張から戻って、今度は別の友人と[ブリック]に行った。ボトルが入っているから安心だ。まだ半分以上は残っていたはず。「あの、先週入れたボトル出してください」 「ボトルですか? 入ってないようですが」 「そんなはずないよ、確かに入れたんだから」 「ああ、あのときのボトルは、一緒にいらしたふたりの男の方達が、そのあと見えられまして、飲んでいかれましたが」

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