July.31,2000 言えない病気

        出前に行ったときなど、愛想よくしようと社交事例的に言葉を吐くときがある。天気のことなどを言っている分には辺り障りないのだが、ご老人相手についつい「お元気ですか」などと言ってしまうと大変なことになる。溜息まじりに「なんとか生きていますよ」と言ったと思うと、体の調子があちこち悪いという事を延々と聞かされるハメになる。本人は困っているのだが、ほとんど病気自慢のようになってしまう。

        先日、知り合いの人に用があって電話をした。当人ではなく家の人が電話に出た。
「あのー、〇〇さんいますか?」
「今、いないんですが」
「いつごろお戻りでしょうか?」
「・・・・・・、ちょっと留守にしておりまして・・・・・・、しばらくは戻らないんですが」
「あっ、ご旅行中ですか?」
「・・・・・・、いえ、そうじゃなくて・・・・・・、実は入院しているんです」
「えっ、どうしたんです!? どこか怪我でも?」
「いや、怪我じゃないんです」
「ご病気ですか? 先日お会いした時は元気そうでしたのに」
「はあ・・・・・・」
「どこが、お悪いんですか?」
「あのー、たいしたことないのでお気使いなく」
「そう言われましても心配です。長引きそうなんですか? ちょっと込み入った相談があるんですが、重病だと面会もできないでしょうねえ。困ったなあ」
「あのー、実はジシツなんです」
「ジシツ? ジシツって何ですか?」
「・・・・・・・・・・、痔の手術をしまして・・・・・・」
聞くんじゃなかった。痔だって病気の一種だ。しかし、場所が場所だからだろうか、人はなかなか恥ずかしがって、この病気のことを言わない。


July.27,2000 ありがとうございました

        本日、明治座千秋楽。今月は西郷輝彦座長公演『江戸を斬るー明日への道標』でした。西郷輝彦様、南田洋子様、根本りつ子様、大山克巳様、青山良彦様、芦川よしみ様、林家いっ平様、古芝香織様、佐竹明夫様、藤森大樹様、小袖京子様、長嶺有紀様他の皆様から注文をいただき、楽屋まで蕎麦をお届けしました。ありがとうございました。

        西郷輝彦様、今月は舞台を拝見しようと思っていながら、どうしても都合がつきませんでした。思い起こせば、25年も前でしたでしょうか。あれも暑い夏でした。友人をたずねて、松山へ行ったとき、友人から「今夜、松山の公会堂で西郷輝彦ショウがあるんだけど、チケットをもらったから行かないか?」と誘われ、見に行きました。芝居は確か当時テレビドラマでヒットした『どてらいやつ』とかいう大阪商人ものでした。後半が歌謡ショウ。『星のフラメンコ』で締めくくる楽しいショウでした。あのとき、レイ・チャールズの『ホワット・アイ・セイ』を歌われていましたね。「ヘーイ」とあなたが歌っても、何せ25年前の松山です。ほとんど客席から「ヘーイ」の声が返ってこず、困っておられたのを憶えています。勿論私、大きな声で「ヘーイ」と返していましたよ。


July.23,2000 悲劇の500円硬貨

        2000円札が発行された。まだ見なれないせいだろうか、「ヘンなデザインだなあ」という印象。まあ慣れてくると、どうってことないのだろうが。[2000円札]という言葉が[偽ん円札]と聞こえてしまうのも気になる。当然といえば当然なのだろうが、まだ自動販売機では使えない。地下鉄の切符の自動販売機には、2000円札は使えないから駅員に両替してもらってくれなんて書いてある。

        これは妹が目撃した光景。500円硬貨が発行されて、しばらく経ったころだった。妹は六本木で集まりがあり、ついつい遅くまで飲んでしまっていた。終電が近くなり、慌てて地下鉄の六本木駅に急いだ。その日は生憎と雨が降っており、傘を差していた。六本木の駅は終電に乗ろうとする客で、ごった返していたという。切符の自動販売機の前には、それぞれ10人前後の列が出来ていた。早く買わないと終電に乗れない。列に付いた人々は、一応に苛立ちの表情を浮かべていた。

        ある販売機の前で、ちょっとした事件が起きた。50代の男性が割り込んで切符を買おうとしたらしい。3人ほど後ろに並んでいた若い男が傘の先で、その男を突っついている。「何してんだよ! 割り込むんじゃねえよ!」。すると相手は「すいません、悪いのは私です。殴ってくださって結構です。でも切符は買わせてください」。すると若い男、この中年男性をボコボコと殴りはじめた。「すいません、すいません。隣の列に並んでいたのですが、こっちの列の販売機は500円硬貨が使えないタイプだったんです」

        当時、けっこう長い間、500円硬貨に対応できる機械が不足していた。10円硬貨、50円硬貨、100円硬貨しか使えないタイプのものが多く、なぜか500円硬貨が使えるタイプのものは、一駅に一台という割合だったと思う。この男性は、その時500円硬貨しか持っていなくて、終電は迫っている。悪いとは思いながらも隣の自動販売機に割り込んだのだろう。怒りにまかせて殴っていたこの男、状況を理解すると、なんとなく、きまり悪そうな顔をしていたそうだ。


July.19,2000 錦糸町そごうを蹴飛ばしに行く

        そごう倒産ですと! だから言ったんだ!(誰にと言われても困るが) 錦糸町にはJRAの場外馬券場があり、以前からよく行っていた。錦糸町はJRの駅の南側に発展した街である。京葉道路が走っているし、もちろん場外馬券場も南口、丸井だって、映画館の入っている楽天地ビルだって南側だ。北口には、かろうじてロッテ会館があるくらい。普通、錦糸町に行く人は北口には用はない。その北口に、そごうデパートを建てていると知った瞬間に、これは駄目だと確信した。実際、建築途中で計画断念した一時期もあったはずだ。それがごり押しで作り上げ開店してしまった。

        錦糸町はJRが1本通っているだけ。乗り換え駅でもない。もっともバスが何台も出ているから、これでも乗り換え駅というのかもしれないが・・・。それにしても、デパートを造るのは無謀だと思えた。土曜や日曜ともなれば、場外場券場に人が集まるものの、平日はそれほど錦糸町に人は流れまい。総武線沿線の人は、デパートへ行くなら銀座か日本橋へ行く。第一、場外馬券場に行くような連中は、デパートなんかに行かない!

        もともとデパートに行く習慣のない私なので、錦糸町そごうには開店以来一度も足を踏み入れたことがなかった。新聞を読んでいたら、膨大な債務超過による倒産だという。最高が千葉そごうで1660億円の債務超過。意外だったのは、錦糸町そごうがグループの中では1番低い35億円の債務超過ですんでいたことだ。いや、違うぞ。35億円といったらだなあ、ええっと、うーんと・・・、とにかくたいへんなことだ。しかも、この損失には税金が使われるらしい。ふざけんなよ! かくなる上は、錦糸町そごうに行って閉店してしまう前に、よおく見ておこう。―――ではない、かくなる上は、錦糸町そごうに一発蹴りを入れなくては腹の虫が治まらない!

        というわけで、錦糸町そごうへ出かけた。倒産報道がなされたというのに、店内は別に変わった様子もない。「倒産しちゃってごめんなさい」という貼り紙もない(あるわけないか)。とりあえず地下の食品売場へ。空いている。昼近くなのに、あの食品売場の熱気というものがまるでない。エスカレーターで1階ごとに下りて、中をぶらぶらと歩く。客が少ない。店員さんも退屈そうにしている。10階まで登ったら、レストラン街だった。中華料理屋に入って、点心3種が付くという蟹とレタスのチャーハンを食べる。窓際の席に座って、ぼんやりと錦糸町の街をながめた。この街に、こんなデパートは本当に必要だったのだろうか? 駅の中には駅ビルがあって、衣料品店だってレストランだって、たくさん入っていたじゃないか。

        食事を終えて、屋上に上ってみた。そこは、なんにもない空間だった。もったいないほどの広場である。誰もいない。―――いや、いた! 不届きな、こいつらだ!

       

        石を投げつけてやろうかと思ったが、回りには石ひとつ落ちていない。仕方なく、写真に撮ってWeb上で公開する刑にしてやる。

        1階に下りる。そごうの壁に蹴りを入れてやる。「この野郎、このアベックめ! 離れろ、離れろ! くそっ、猛烈に腹がたったぞ!」―――なんか、蹴りを入れる理由が他にあったような気がしたのだが・・・。


July.14,2000 猫の尻尾

        暑い。休日の午後、畳の上で大の字になって、何をするでもなくひっくりかえっている。足元には猫が一匹。猫によっては冷房が好きな奴がいるが、ウチのチェリーは冷房が大っ嫌い。扇風機も嫌い。ひとりと一匹で、うだるような暑さの中、窓を全開にしてゴロゴロしている。チェリーは四つの足を投げ出し暑さに気絶しているように寝ている。こっちも、さしてやる事がなく、何もやる気もない。猫の尻尾が見える。そんな時、ムクムクとある感情が芽生える。猫の尻尾を足の指で挟みたい!

        そおーっと右足の親指と人差し指で、猫の尻尾を挟む。チェリーは「またか!」という顔でチラッとこっちを向き、また眠りにつく。

        ラジオで武田鉄矢が、アシスタントの女子アナと話していて、「ほら、退屈な時、猫の尻尾を足の指を挟んだりするでしょ」「ええーっ、そんなことするんですか」「あっ、猫飼った事ないの?」「ええ」という会話をしていたのを憶えている。ははあ、猫を飼った事をある人ならみんな、足の指で猫の尻尾を挟みたいというのは共通した感情なのかもしれない。あれって、尻尾を無くした人類が、猫の尻尾に郷愁を感じるからなのだろうか?

        猫って、家の中どこででも、ゴロッところがっていて、踏まれやすくなっている。踏んでしまったあとは、「ごめんよ、でも、そんなところにころがっているお前も悪いんだよ」と声をかける。もっとも、ころがっている猫を見ると、足でウニウニと撫で回すのも快感。猫は「またかよ」という表情を浮かべ、それでも、されるがままになっている。


July.10,2000 不審人物

        冬が過ぎ、春になってコートがいらなくなると、毎年決まったように、途端にモノを整理しようという気になってくる。5年前の春である。押し入れに放りこんで、聴かなくなってしまったCDの山を何とかしようと決心した。とりあえずバッグひとつ分を中古CD屋に持っていって、買い取ってもらおうと思った。もういらないと思うものを厳選してバッグに詰めていたら60枚入った。「よおし、これでいくらかではあるが、すっきりするぞ」。

        そのアーミー・グリーンのバッグを下げ、地下鉄で銀座に出た。[ハンター]に行き、店員さんに買い取って欲しい旨を伝えると、「何枚くらいあるんですか?」と言うので、バッグから60枚のCDを取り出すと、「これだけあると査定に、ちょっと時間がかかりますから、30分ほどしてからまた来てください」と言われた。

        カラのバッグを下げて、地下街をブラブラして時間を潰すことにした。本屋で立ち読みをし、トイレに行き、飲食店のショウウィンドウを覗き、頻繁に腕時計を覗きこんでいた。すると後ろからふたりの男が駆け寄ってきた。「あの、あなた、さっきから見かけますが、ちょっとそのバッグの中を見せて下さい」。公安だった。

        当時、東京はたいへんな事になっていた。オウム事件である。地下鉄にサリンがまかれ、死者が出た。そのあとも、新宿駅のトイレでもまかれた。地下鉄線は厳戒態勢の、ちょうどその時だったのである。スキンヘッド、アーミー・グリーンの手提げバッグ。条件はそろっている。カラのバッグを見せ、事情を説明して納得してもらったが、今思い返しても我ながら笑ってしまう出来事だった。


July.5,2000 日経の別刷りにウチの店載りました

        昨日の『日本経済新聞』首都圏の宅配に入っていた、『東京どまんなか情報誌 日経街Navi』というカラー印刷の情報誌に、ウチの店の紹介が載りました。見た人いるかなあ。ウチ、基本的に取材にはあまり積極的ではないんですが、明治座の社員さんからの紹介だというので、取材を受けることにしました。明治座さんには、常日頃お世話になっておりますもの。

        で、その記事を下に入れておきましたが、きれいに見えているといいんだけれど。


July.2,2000 テレビ競馬中

        これ、浅草の場外馬券売場の近くの喫茶店の入口にかかっていた看板なんですけどね。まあ、言いたいことはわかる。ようするに、店内でCSのグリーンチャンネルを午前9時から最終レースまで放映しているということでしょ? 場外馬券場で馬券を買った人を目当てに営業しているんだろうなということはわかるし、この看板を見た人は、ピンとくるでしょうね。

        でもね、これって、なんかおかしくありませんか? 私、「テレビ競馬中」という文字だけ読んでいると、テレビ受像機が馬に乗って、競馬場で走っている様を想像してしまう。あるいは、競馬場の観覧席でテレビ受像機がずらりと並んで競馬新聞片手にレースを観戦している姿。

        まあ、できるだけ短い文章にしたかったのだけれども、失敗しちゃったんだろうなあ。「競馬中継放映中」でいいんじゃないかなあ。

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