October.28,2000 ありがとうございました

        本日、明治座千秋楽。今月は里見浩太朗座長公演『長脇差団十郎――錦秋男の花道――』でした。里見浩太朗様、安井昌二様、星由里子様、小野ヤスシ様、下川辰平様、芦屋雁平様、新田純一様他の皆様から出前の注文をいただき、楽屋までお届いたしました。ありがとうございました。


October.25,2000 石見榮英さんの楽屋にて

        植木等の楽屋を出て、石見さんの楽屋に行く。足を伸ばして、次いでアグラをかく。植木等の楽屋では正座だった。でも不思議なものですね、まるで痺れることがなかった。緊張してたんでしょうね。石見さんがコーヒー・メイカーでコーヒーを煎れてくれる。コーヒー・カップなんてないから、備品の湯呑茶碗。

「石見さんがいなかったから、植木さんの楽屋に招待されちゃいましたよ」
「ははははは、ごめん、ごめん。でも、いい経験になったでしょ」
「ええ、植木さんが、素顔もあんなにキサクな人とは思わなかった」
「そりゃあ、お客さんだからだよ。気に入らない人だと、鼻もひっかけてくれない」
「なんだか、芸には厳しいところありますよね」

        中日劇場の制作の人がやってきて、座りこむ。
「植木さんの話だと、大入りだそうですね」
「うん、これを演ると、お客さんが入る」
「じゃあ、来年も?」
「来年はもう、スケジュールが一杯。このシリーズはね、2年に一回のペースなんだ」

        石見さんと同室の赤城太郎さんも、楽屋入りしてくる。
「石見さん、今度の役は名古屋人の役? 名古屋弁、難しいでしょ」
名古屋弁は難しくてダメ。名古屋弁は勘弁してもらった。赤木ちゃんとボクは製薬会社の営業マンという設定なのだけれど、東京からセールスに来たということにしてもらった。だから、名古屋の悪口を言ったりするんだけどね。名古屋の仇役になっちゃった」

        石見さんの楽屋にも、初日挨拶の役者さんが、多くやってくる。ガングロ・メイクの女性がやってきてびっくり。あとで芝居を見たら、三女役の菊池美和という女優さんだった。ほとんど素顔がわからないほどのガングロ・メイク。
「うわあ、すっかりメイクが決まったね」と石見さん。
「ええ、昨日、あれから街に出て若い子の化粧品を扱うところで、メイクの仕方を教えてもらって買ってきたんですよ」
どうやら、芝居で使うドウランでは、あのガングロは無理らしい。

        にぎやかに、女優さんが入ってきた。水野久美だ。
「1ヶ月よろしく。これね、私からのささやかなプレゼント。どうぞ、召し上がってくださいな」と、菓子折を出す。
制作の人がすかさず
「水野さん、プログラムにプロフィール書こうとして驚いちゃいましたよ。水野さんのデビュー作・・・」
「『気違い部落』でしょ」
「[気違い]も[部落]も使えない」
「ねえ、それがタイトルなんだもん、しょうがないですよねえ。『おかしな村』ってわけにもいかないですもんねえ」
「もう、ワープロ打っても、そんな字、出て来ない」
「うっそー!」
ちなみに、『気違い部落』は1957年の渋谷実作品。同年の『キネマ旬報』のベスト・テン第6位。『幕末太陽伝』や『蜘蛛巣城』と並んで評価の高い名作である。

        しかし、私の世代にとっては水野久美といえば、東宝の特撮映画の看板女優だった。『マタンゴ』! 懐かしいなあ。この人が、こんなに明るい素顔の持ち主だったことを知ったのも、今回の収穫。

        石見さんが、チラシを一枚見せてくれる。
「来年の正月興業に、また中日劇場に出るんだ。よかったらまた来ない?」
座長はと見ると、コロッケだった。物真似タレントが座長になるのは、コロッケが初めてだとのこと。うーん、また行きたくなってしまった。


October.21,2000 座長植木等、楽屋初日風景

        「準備が出来ましたから、どうぞ中へお入りください」 若いマネージャーさんの声に導かれて、私は植木等の楽屋に入った。「初日おめでとうございます」 決まりとなった挨拶をしながら入口にひざまずき、深深とお辞儀をした。顔を上げると正面奥にキャップとサングラスをはずした植木等が満面の笑顔で座布団に座っていた。「あー、そこは入口で、これから人の出入りが多いから奥へ入ってちょうだい」と手を横に振る。入って左側に座布団が用意されていて、そこへ座れということらしい。私は、その座布団に座って植木等と話すことになった。

        「この芝居の稽古は東京の[ベニサン・ピット]でやったんだよ」 ベニサン・ピットは私の店や明治座のある人形町や浜町とは、隅田川をはさんだ森下という町にある。倉庫を改造したらしい建物で、主に演劇の稽古場として使われているが、たまに芝居の公演で使われることもある。「おたくに近いからね、一度みんなで食べに行こうと思ったんだけどさ、誰を連れていって誰を連れて行かないというと、まずいんだよね」と言って笑った。お世辞だとしてもうれしい。

―――『名古屋嫁入り物語』も長いですね
「うん、もう10年以上になる」
―――私は、テレビ・シリーズが好きで、よく拝見していました。食べ物屋という設定が多かったですよね
「うん、きしめん屋が多かったな。今回はね、ちょうど、ボクが大阪で春に1ヶ月の舞台に立っているときに、ポスターの写真撮影に来たんだよ。役柄で口髭を伸ばしていて、それを剃るわけにもいかないから、そのまま撮ったらね、きしめん屋のオヤジという感じじゃなくなっちゃって、それで、それから脚本を書き始めて医者ならいいだろうって、それで産婦人科の医者になっちゃった。あっはっはっは」

        なるほど、おそらく後から白衣の写真を撮って顔写真と合成したのだろう。それにしても、植木等の話し方はテレビなどで見るのと、まったく同じである。まさに、あのままの人だったというのがうれしい。特に、あの笑い方だ。おそらく、今どんな物真似芸人でも、あの植木等の笑い方を真似することはできないだろう。あの独特の笑いを見せてくれる植木等が今、目の前で私と話している。私は夢でも見ているような気がした。

―――芝居が名古屋の話なので、当然名古屋弁ということになりますが、名古屋弁は難しいですか?
「難しいねえ(と、首を素早く一振り)。舞台でついつい普通の言葉が出てしまったりする。あのね、名古屋では[お仲人さん]のことを[おちゅうにんさん]って言うんだよ。セリフで、そう言えっていわれるから、そのとおり言っているんだけど、はたして名古屋以外の人に解るのかどうか・・・」
―――お客さんは、ほとんど名古屋の人ですかね
「いや、それがね全国から見に来てくれているんだよ。前回のときも、沖縄から来たなんていう人がいた。うん」
―――役者さんは名古屋の人が多いんですか?
「いや、これがまた、ほとんどね名古屋以外の人でね、女房役の山田昌さんは名古屋の役者さんだけど、あとは・・・、そうそう三上直也が名古屋出身なんだ」
―――ええー!、三上さんって名古屋人だったんですか。知らなかった。
「うん、彼はね、一幕目の飛行場のシーンから登場するんだけどね、白髪頭のカツラを被ってボクより年上って設定なんだ。彼のはさすがに生粋の名古屋弁」
―――きのうから泊まりこみで、こちらに来ているのですが、街で若い人の会話が耳に入ってきても名古屋弁が聞えてこないんですがね。
「こっちの若い人は、名古屋弁を嫌っているのかなあ。あれでいて、家に帰ると家族とは、もうもろに親とは名古屋弁で喋っている」

        こうやって植木等と話していると、ひっきりなしに人がやってくる。最も多いのは共演する役者さんが挨拶にみえる。そのたびに私との会話は中断するのだが、そのやりとりを聞いているだけで楽しい。「おはようございます。1ヶ月よろしくお願いします」と入口で、声がするたびに植木等が「うん? 誰? ああ、君か。まあ楽しくやろうよ」と声を返す。植木等の横には大きな姿見が置いてあり、ちょうど私の位置から、その姿見に入口の人物が写る。

        きれいな若い女性が挨拶にくる。中山忍だ。今回の芝居では植木等の娘役。嫁にいく人物を演じる。
「ああ、よろしくね。いやあ、今回ね、君の上達ぶりには舌を巻いた。うまくなったねえ。その調子でね、まあ、楽しくやりましょうよ」

        挨拶にくる、ほとんどの役者さんは植木等の前で緊張の色を浮かべている。それはそうだろう。座長でもあり、日本の喜劇界を支えてきた大人物である。山田昌がやってくる。顔面いっぱいに笑顔を浮かべ、楽屋の中まで入ってきた。

「先生、これから1ヶ月、女房としてよろしくお願いしますよ。何か毎日、お口に合うようなものを買ってまいりましょう。どのようなものがよろしいですかね」
「あのね、ボクはね、歯は丈夫なんだよ」
と、植木等はアゴを突き出し、上下の歯をカチカチと噛み合わせてみせ、とてもいい笑顔で笑った。
んっ? 植木等って、入歯固定剤の[タフデント]のCMに出ていなかったっけ。

「寄せ豆腐なんていかがですか? ご存知ありません? ウチの近くに売っているんですがね、美味しいんですよ。まあ、適当に見繕ってお持ちしますよ」
このふたりの会話はこのあとも、しばらく続くのであるが、残念ながらネットに乗せるとまずい内容も含まれているので、書けない。しかし、爆笑ものの会話だったことを付け加えておく。それ以外にも植木等は私と、さまざまな会話をする中で、やはり公にすると、ひょっとしてまずい内容のものもあった。大事を取ってそれらは書けない。それが一番面白いのだが・・・。

―――どうやら、今回の芝居、大入りのようですね。
「うん、おかげさまでね、大入りなんだよ。中日劇場としても、この一年の中では唯一の黒字興業なんだって。一年の赤を、この一月で取り返すんだって」
―――8月の堺正章との公演も、随分とお客さんが入っていましたね。
「あれもね、黒字だったって。マチャアキが演ると、明治座は毎回黒字になるってね。去年もそうだったし、その前のは・・・」
―――その前のは、植木さんは、ご出演なさらなかったですよね」
「そうそう、そうだった。あのときは、ちょっと売上が落ちたなんて言ってたね」
―――去年のも今年のも、明治座での堺さんの舞台は拝見したのですが、面白かったですね。何か新しい喜劇の道が開けていくような気がしましたよ」
「うん、脚本がよく出来てたでしょ。何回も直してもらったからね」
―――堺さんと多岐川裕美が夢の中で道行をするシーンで、女形の竜虎さんが、邪魔をするギャグ、面白かったですね。
「うん、新内を使ったところね。マチャアキが蛇の目傘を出して、多岐川裕美と相合傘しようとすると、竜虎が傘を奪っちゃう。するとマチャアキが一回り小さな傘を着物の裾から出してきて、それをまた竜虎が奪うと、さらに小さな傘、小さな傘って、最後は楊枝くらいのを出す。あれは傑作だったな」

        植木等は、実に真面目な人物である。納得がいかないと、とことん直しが入るらしい。今年の明治座でも、稽古に入ってからも堺正章と植木等でアレコレ細かい直しが入ったらしい。しかも、興業が始まったある日のこと、私は楽屋に出前を持っていって、ある光景を目撃した。昼の部がハネて、舞台から役者が楽屋に戻ってくるところだった。植木等が中心となって堺正章以下、主なキャストと「あそこは、こうした方がいい」といった内容の会話を真剣な顔して話し合っていた。しかも、それがもう千秋楽一週間前の話である。その時点で直しが入るとは、私には信じられない話である。

        誰が挨拶に入ってきたときだか忘れてしまったのだが、その人が、こんなことを言った。
「きのう、突然セリフが変更になっちゃいましたが、憶えられましたか?」
「ああ、大丈夫、大丈夫。しかしなあ、あれでいいかなあ」
初日前日にセリフ変更なんてことは、こういう舞台ではありがちなのだろうが、とことん、いいものを作ろうという姿勢が感じられる。実は、この日、芝居がハネたあと、石見さんと飲みに行く約束をしていたのだが、待ち合わせの場所に1時間待っても現れない。どうしたのかと携帯に電話すると、植木さんからの[ダメ押し]が入って、いつ終わるかわからないとのことだった。

        中日劇場の制作の人がプログラムを数十冊持って現れる。
「プログラムができましたので、どうぞお使いください。評判は人によってピンからキリまでですが」
しばらくプログラムを眺めていた植木等、顔を上げると、
「こりゃ、キリの方だな」と言って、「ふわっはっはっは」と笑った。

        続々と鉢植えの花が届けられる。マネージャーさんが楽屋に次々と運び込む。
「これは誰からのだ?」
「谷啓さんからです」
「おう、谷か。それじやあ、そこに置いてくれ」
「これは桜井センリさんから」
「センリか。それじゃあ、それは谷の隣に」
と、ひとつひとつ、置く位置を指図していく。

―――凄い数の鉢植えですね。置き切れないないですよね
「やはり今年、大阪の舞台に出ていたときね、終わって、東京に持って帰るのは大変だなあと思っていたんだよ。そしたら、翌月に石見がその劇場に出るっていうんだ。よかったら置いていってくれっていうものだから、そっくりあげちゃったの。そしたら石見の狭い楽屋いっぱいになっちゃって、足の踏み場がなくなっちゃったって。ひゃっはっはっっは」

        そういえば、石見さんはどうしたのだろう。私はかれこれ30分以上植木等の楽屋にいる。植木等と話をしているのは、実に楽しいのだが、そろそろ舞台へ立つ準備もあるのではないか。

―――今回の芝居は、現代劇ですから、カツラや衣装がいらないから、準備は楽ですね。
「いやね、二幕目の頭で劇中劇があって、『巌流島』をやるんだよ。これがねえ、実にくだらないんでね、なんとかならないかと思っているんだけど」
これは、あとで見ることになるが、ちょっと植木等の謙遜も混じっている。くだらないといえばくだらないが、素人のやる芝居という設定で、これが結構面白い。

        そんなところに、石見さん登場。初日の挨拶をすませる。これ以上の長居は座長に悪いので、退散する。気を使っていただいて、植木等がマネージャーさんに「お客さんにお茶をお出ししないか」と言って出してもらったお茶も、すっかり冷えきっていた。

        「お忙しいところ、失礼いたしました。芝居を楽しませていただきます」と楽屋をあとにしようとすると、「ちょっと待ってよ。この芝居のために作ったテレホンカードがあるんだ。枚数に限りがあるんで、あまり渡せないんだけれど、マネージャー、何処へ置いたのかなあ。ははあ、あの紙袋だな。――――――――ほうら、やっぱりそうだ。これ、お使いください」

        こうして、私は石見さんと植木等の楽屋を跡にした。あとから考えると、自分がいかに植木等のファンであるか、どんなにテレビや映画を夢中になってみていたかを話していないのに気がついた。あのテレビのコントや、映画の話をもっと訊きたかった。突然のことですっかりアガっていたのですね。

  


October.18,2000 名古屋へ行ったわけ。そして何と・・・!

        今年の明治座8月公演は堺正章が座長だった。特別出演が植木等。楽屋はいつもにぎやかで、ウチも出前の注文がやたらに多い月だった。

        石見榮英という役者がいる。勿論、主役を演じるような人ではないし、脇役ですらない。かといって大部屋にいる人でもない。芝居の中では物語の大きな流れにはあまり関係ないものの、ちゃんとセリフもあり、重要な役どころになる、大劇場では欠かせないタイプの位置にいる。明治座や新橋演舞場といった劇場のポスターを見てもらうとわかるのだが、こういった地位にいる役者はポスターの中では衣装を着て写っていない。しかしポスターの片隅に顔写真が必ず載っている。石見(いわみ)さんとは、長いつきあいだ。明治座に出演しているときには、毎日のように出前をとってくれる。

        8月公演が始まってある日、石見さんが「10月に名古屋で植木さんと芝居があるだけれど、見に来ない?」とチラシを渡された。大のお得意さんの林与一さんも出る。石見さんの仲間である三上直也さん、赤城太郎さんも出る。しかも今回、三上さんは大きな役を貰えたらしく、ポスターには顔写真ではなく、衣装をきて写っている。出し物は『新・名古屋嫁入り物語』。テレビ・シリーズの舞台化だ。これで舞台化3作目だという。いつも名古屋でしか上演しないこともあって、前2回は見る事ができなかったのだ。

        「小宮孝泰くんにも声かけたんだけどね、彼、今年は他の芝居に出るので、こっちには出られないんだって」 「へえー、小宮さんもレギュラーだったんだ」 小宮さんが出ないのは寂しいが、たまには名古屋旅行も兼ねて見に行くのも悪くないかなと思った。「それじゃあ、初日のチケット買っといてくださいよ」 「あいよー、一番いい席押さえとくからね」

        チケットは、当日渡すから楽屋まで取りに来てくれと言う。初日の開演は正午から。10時には楽屋入りしているからとのことだったので、10時10分に中日劇場の楽屋まで行った。受付で「あのー、石見さんにお会いしたいんですが・・・」と告げると、「石見さん? 石見さんは、まだ楽屋入りしてないよ」と壁にかかった名札を見る。裏表に出演者の名前が書いてあり、黒だと楽屋入りしている合図。赤だと、まだ楽屋していない合図になる。なるほど石見さんの名札は、まだ赤だ。

        どうしよう。楽屋入口で、石見さんを待つか。―――と、そのとき名札をひっくり返す人の手が見えた。そして、その隣にいた人物が、私に声をかけてきた。「あれっ、人形町のお蕎麦やさんじゃないの。どうしたの、こんなところで」 黒のスラックス、黒の柄もののシャツ、黒のキャップ、サングラスのこの人物、しかし声ですぐにわかった。植木等だった。

        「あっ、いつも明治座にご出演の際には、お世話になっております。是非、このお芝居を拝見したく、石見さんにチケットを取ってもらっていて、受け取りに来たんですが、まだ石見さん楽屋入りしておられないようなんですよ」

        「あ、そうなの。それはありがとう。それじゃ、石見が来るまで、私の楽屋にいらっしゃい

        植木等は、私の憧れの人物だった。小学校のとき、日曜の夜にやっていた『シャボン玉ホリデー』は、欠かさずに見ていた。クレイジー・キャッツを中心にしたコントの数々が大好きだった。中でも植木等の「およびでない こらまた失礼いたしました!」には毎回笑い転げていた。昼間やっていた『大人の漫画』は、残念ながら見られず、夏休みなどの大きな休みになるのを心待ちにしていたものだった。

        中学生になると、ウチの親は映画あるいは寄席に行くと言うと無条件でお金をくれた。当時、私は杉並区の阿佐ヶ谷に住んでいた。阿佐ヶ谷の商店街には3本立ての洋画を上映する小屋が一軒。それと邦画では東宝、東映、日活があった。松竹と大映は確か、なかったと思う。東映や日活に行くとは、ちょっと言えなかった。かなり行ってはいけない雰囲気があった。そこへいくと東宝は健全なイメージがあった。怪獣ものも見たけれど、もう興味の対象は加山雄三の若大将シリーズと、クレイジー・キャッツの一連の映画だった。私は加山雄三に憧れると同時に、植木等にも憧れていた。

        大学を卒業して、ひょんなことから、渡辺プロダクションの関連会社で働くこととなった。渡辺プロダクションの営業部の一角にシキリを付けただけの、狭い空間だった。社員私を含めて4人、アルバイト2人が入ると身動きがとれない状態のもと、3年間お世話になった。所属のタレントさんの姿もよく目にしたが、植木等クラスになると、会社に来ることは極々稀のことだった。植木等を目にできたのは、毎年ホテルで業界を招待して催される新年会のとき。なにしろ植木さんは渡辺プロダクションとしても、長年に渡る超大物。一介の平社員の若造が話しかけられる相手ではなかった。

        やがて、店を継ぎ、明治座に出前を持っていくようになって、出演中の楽屋での植木さんの姿を目撃するようになる。ただ、ここでも私に対して、口をきいてくれるようなことはなかった。私は今度は一介の出入り業者。相手はスターである。

        ちょっと長くなったが、中日劇場の楽屋口で植木等さんが私に声をかけてくださったのは、一目で私を人形町の蕎麦屋だと見ぬいたわけではないと思っている。石見さん達が、初日に私が見に来るということを、植木さんに前もって話してくれていたからだ。楽屋口でのやりとりに気がついた植木さんが、気を使って声をかけてくれたに違いないのだ。今度は私は、植木さんの芝居を見に来たお客さんという立場になっただけのことだ。

        「ちょっと用意ができるまで、そこで待っていてください」 マネージャーさんは、私に植木さんの部屋の近くの椅子で待つように言った。憧れの植木等と話ができる。しかも座長の楽屋で。私の胸は、ときめいていた。いったい何を話そう。目の前のお稲荷さんを祭った神棚を目にしながら、私の頭の中は、真っ白になっていた。


October.14,2000 名古屋クラウンホテル

        名古屋へは、会社員時代の出張も含めて計10回くらい来ている。たいていビジネスホテルを利用することになるが、[クラウンホテル]は中でもお気に入りで、これで3回目。名古屋駅からも、また地下鉄伏見駅からも、そう遠くない。672室もあるというマンモス・ビジネス・ホテルだ。スポーツの試合で来ている団体、大きな会議で来ている団体の利用客が多い。宴会場や大小様々な会議室まであって、なんだかロビーはいつでも、ごったがえしている。

        もっとも、部屋に入ってしまえば、いたって静か。セミダブルのベッドが置かれていて、そう悪くない。まあ、部屋数が物凄く多いということを別にすればごく普通のビジネスホテル

        ところがですね、このホテルには他にはない特徴がある。それが私の気に入っている理由。なんと、地下に温泉大浴場があるんですよ。地下駐車場を1年がかりで掘り当てた天然温泉。都会のど真中。そこで温泉とはいいじゃないですか。もちろん各部屋にもユニット・バスは付いているのだけれど、なんたって大浴場のほうが気持ちがいい。24時間入れるから、夜中に目が覚めてしまった時にも入りに行った。他に入浴客はなし。気持ちよかったですね。ちょっと怖かったけど。


October.11,2000 [八丁味噌の郷]

        教えられたとおりにカクキューの[八丁味噌の郷]まで歩く。おお、今しも観光バスが入ってきて、団体が建物に吸い込まれていく。どうやら、ここは地元では有名で観光パスのコースに入っているのかもしれない。

        受付で、住所と名前を書くと、ちょっと待っていてくれと言われる。見学する人間が6人ほど溜まったところで、女性のガイドがつき、資料館の見学が始まった。八丁味噌は大豆と塩と水だけで作る。大豆を蒸して大きな樽に入れて重しを置く。ほとんどの工程は、今や機械化されているそうなのだが、この樽に仕込むことだけは、昔ながらの方法を守っているという。

        詳しくはカクキューさんのホームページを見て欲しい。見学を終えると休憩所のような茶屋に通された。そこで試食してくださいと、こんなものを出された。

        手前のはこんにゃくに八丁味噌をかけたもの。うしろのは八丁味噌に何か穀物の粒を混ぜ込んだものだったが、何だったか忘れた。お茶を出してくれたので、ありがたく頂く。しかし、目は壁の方にいってしまう。この試食はあまりに素朴でつまらない。そこへいくと壁に書かれていた、この茶屋のメニューには惹かれるものがある。

八丁みそカレーうどん 480円
八丁みそカレーきしめん 480円
八丁みそカレーライス 480円
八丁みそミニカレー丼 250円

        な、何だ? 八丁みそカレーって? た、食べてみたい! 是非とも食べてみたい! ところが、朝は駅弁食って、昼に名古屋コーチンのコースまで食っちまった、私の腹は、もう限界だった。うーん、食べてみたかったな八丁みそカレー。

        お土産だといわれて、[特選赤だし八丁味噌]の試供品を手渡される。これけっこうな量ですよ。普通に売っているパックとほぼ同じ量が入っている。これで当分八丁味噌には困らない。なにせ見学無料、試食つきですよ。それに八丁味噌までもらえる。いよっ、太っ腹!

        と思ったのは、そこまで。さて帰ろうとして、ついでに売店を覗いたのが運の尽きだった。ここで私は、ほとんど目を疑うような製品の数々を見てしまったのだ。次の瞬間、「これも買いだ、これも買いだ!」。結果、ずっしりと重い土産物を私は手にしてお帰りという次第になってしまった。その土産ものは、今回の名古屋編の最後で『言いたい放題食べ放題』に書くつもりなのだが、フハハハハ、これはカクキューさんのホームページにも乗ってない商品なのだよ。楽しみにしててね。えっ! 読みたくない?


October.7,2000 名鉄(メイテツ)に乗って

        『言いたい放題食べ放題』のコーナーで、詳しく書くつもりなのだが、私、名古屋の八丁味噌が大好きなのだ。そして、八丁味噌といえばカクキュー。業界トップのブランドである。そのカクキューが工場見学をさせてくれるとガイドブックに出ていた。これは、一見の価値がある。

        というわけで、カクキューのある岡崎まで名鉄に乗って行く事にした。名鉄は、以前来たときに、中京競馬場まで行くのに利用したことがあり、馴れている。カクキューのある岡崎公園前までは650円。うへー、高い! もっとも岡崎といったら、位置的にいうと新幹線の名古屋のひとつ手前、三河安城よりも更に先にあたる。名古屋から帰って、名古屋出身の人に話をしたら、「えーっ! 岡崎市まで行ったんですか!」とびっくりされてしまった。名古屋の人にとっても岡崎は、随分と遠いところらしい。

        ガイドブックでは岡崎公園前まで30分とある。ところが急行に乗ったというのに30分では、到底着くことができなかった。岡崎公園前には急行が止まらないので、手前の西岡崎で乗りかえる。この時点でもう40分ほどの時間が経っていた。普通列車の乗り継ぎにさらに20分。なんと30分に一本しか普通列車が通らない。

        畑の中を走る名鉄電車に乗って、ようやく着きました、岡崎公園前。出口は後方だとあったので、のんびりとホームを歩く。今乗ってきた電車の車掌さんが、一番後ろの車両で手を出して待っている。通りすぎようとしたら「お客さん、キップ、キップ!」。げげっ、こ、この駅は無人駅かあ?! キップを車掌さんに渡して駅を出る。なるほど無人駅だった。駅前は閑散としていた。なあんにもない。駅の売店らしきものがあったがシャッターが閉まっていた。

        カクキューは何処だ? 案内の掲示板もない。駅の前で途方に暮れる。いや、一軒建物がある。しかし、これは、

        う、うさぎの丘? なんとここは、看板に書いてあるようにアメリカンラビットの店であった。そうなのだよ、中でうさぎを売っているのだ。いや、別にうさぎを売る店があっちゃいけないという訳ではないですよ。ただね、無人駅の、しかも、駅前がガラーンとしている空間に、うさぎ専門のペットショップ。これはカルチャー・ショックでしたね。この店に入って、うさぎを見て、店の人にカクキューの場所を教えてもらったから悪いことは言えないけれど、なんだか駅を降りたら『不思議の国のアリス』になったようでしたね。この店の中に懐中時計を見ながら「遅れちゃう、遅れちゃう」と言っているうさぎがいても、私は驚かなかったに違いない。


October.4,2000 防災館みやげコーナー

        [本所防災館]の出口近くには、こんなマシーンが設置されてある。ゲームセンターにときどき置いてあるクイズを出すゲーム機だ。もちろん無料。

        3分間ほどで、5問のクイズが出され、1問につき3秒以内で答えなければならない。これが、この3秒以内というのがなかなかクセモノで、よく考えればわかるのだが、咄嗟にはなかなか答えられないというものが多い。

        例えば、こんな具合。
問 ベッドで寝ていたら地震が起きた。下の3つの中で、してはいけないことのボタンを1つだけ押せ。

1.ベッドの下にもぐり込む。
2.布団を被る。
3.急いで服を着替える。

1・・・2・・・3 はい、何番でしょうか?

私、咄嗟に2番を押してしまった。だって布団被ったって上から落ちてくるものをガードできないもの。特に、この日は真夏だったので、布団を被るというのは、タオルケット1枚で寝ている私には、かなり無防備だと感じられてしまったわけで・・・。正解は3の急いで服を着替える。なるほどねえ、パジャマ姿ででも、いざとなったら逃げ出せってことか。

        出口近くにはまた、スーベニア・ショップもある。おお! まさにテーマパーク! 家具と天井を固定させる器具[タオレンサー]2700円。携帯用ストロー式浄水器2800円。携帯用簡易浄水器700円。カンパン240円。避難21点セット8000円。

        上のものは、かなり実用性があって、うなずけるのだが、本気でスーベニア商品を売っているのには驚いた。テレホン・カード550円。携帯ストラップ550円。Tシャツ2000円。キャップ1400円。消火器型の消しゴム90円。消火器型の鉛筆削り90円。ピンバッチ350円。ボールペン100円etc.といった具合。

        そんな中で、興味を引いたのが、これ。

        よく、アメリカ映画を見ていると、建物の中に真っ赤な斧がガラスケースに入っていて、火事になったりすると、ガラスを割って取り出すでしょ。具体的にどう使うのかよくわからないんだけれど、何で日本では斧を配置してないんだ? 我ながら、これを買ってどうするんだと思いながら、迷っているうちに、帰りのバスが出る時間が来てしまった。「井上さん、バスが出てしまいますよ、早く早く!」「あ、あのでも、斧をどうしようかと」「えっ? 斧がどうしましたって?」「いや、別に」。私は町会の人にズルズルと引きずられるようにしてバスに乗り込んだ。乗りこんでからも、じっと窓からスーベニアコーナーのあたりを眺めていたのは言うまでも無い。欲しかったな、あれ。


October.1,2000 消火体験

        どこの家にも消火器は必ずあるが、実際に使ったことがある人は少ないだろう。実は私も使ったことが無い。使わなければならないような体験など無いに越した事はないのだが、いざと言う時のために、やっぱり体験しておいた方がいい。

        [本所防災館]の次なるアトラクションは、シューティング・ゲーム[消火体験]。全員、またガイドさんに案内され、映像シミュレーション室へ。部屋の奥にスクリーンがあり、そこで石油ストーブから火が出た映像が映し出される。三人一組になって消火器をそれぞれが持ち、スクリーンの前まで走っていって、消火器の中の液体を石油ストーブの画像に向かって発射する。スクリーンの前はガラスが張ってあるから、いくらかけても大丈夫。スクリーンの下には排水溝まである。

        うまく消火できれば、スクリーンの火は鎮火してくれるが、うまくいかないと天井まで火が燃え移る映像になっていってしまう。コツとしては出火の元になっている個所に向かって一点集中でかけること。あんまりホースを振り回してはいけない。

        私の番になった。あれっ? 今までの和室での石油ストーブの映像ではない。庭先に積み上げた藁の束から出火している。消火器を持ってスクリーンの前の黄色い線のところまで走る。左手でレバーを握り、右手でピンを引きぬきホースを藁の束に向かって突き出す。消火器の液体は、なぜか20秒しか出ない。「く、くそーっ、消えねえ!」 シューティング・ゲームでも、こいつはボスキャラかあ?!

        あえなく、消火失敗。どうして?どうして? ちゃんと火元に向かってシューティングしたのにぃ。「はい、外は風が強いんで、消火が難しいんですよね」 おい、いったい風速何十メートルの風が吹いてたという設定だあ! 台風でも来ているという設定なのかよ! その割には庭の木は、ほとんど揺れてなかったじゃないか! しかも弾が20秒しか出ないというハンデはどうしたことだ。

        「ねえ、お姉さん、もう一度やらせてよ、お願いだからさ。もっと強力な武器はないの? 消防自動車が積んでいる巨大なホースでやらせてみてよ、ね!」 「はい、終わった方は出口はこちらからですからね。お疲れ様でしたね、さようなら」 「くそっ!」

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